2014年師走の風景

登山
旅行・地域
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 ブログが実態に追いつきましたが、肝心の山に行けておりません。12月は桜山、日蓮アルプスへのハイキング、月居山・奥久慈男体山に行く予定でしたが、いずれも仕事の邪魔が入って行くことができませんでした。11月の独鈷山、個人で行くことにしていた蔵王も含めると5回連続で行くことができず、11月13日に行った歩の会・桧沢岳が2014年最後の山行になりました。現在、体重がうなぎのぼりになっています。037.gif
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(奥穂高山頂から見たジャンダルム)

 大目標である日本百名山は、今年までで90座まで到達しました。悪天候や仕事による妨害があるので明確には宣言できませんが2015年には残りの10座を登ることができればよいと考えています。残りの10座は、蔵王山、黒部五郎岳、大朝日岳、火打山、妙高山、十勝岳、大雪山、羊蹄山、荒島岳、白山になります。当面の予定は以下のとおりです。

  1月10日(土)~11日(日) 四阿屋山(山旅クラブ)
  1月15日(木) 竹寺・子の権現(歩の会、休暇が取れれば)
  1月17日(土) 奥武蔵主脈縦走(日和田山~物見山~越上山、山旅クラブ)
  1月24日(土)~25日(日) 日光・雲竜渓谷(山旅クラブ)
  1月31日(土)~2月1日(日) 八丈島(八丈富士、三原山、トラベルギャラリー)
  2月15日(日) 奥武蔵主脈縦走(関八州見晴台、山旅クラブ)
  3月 1日(日) 宇都宮アルプス(山旅クラブ)
  3月14日(土)  奥武蔵主脈縦走(カバ岳、山旅クラブ)
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(光岳の光石)
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(鹿島槍ヶ岳北峰から見た南峰と劔岳)
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(燧ヶ岳柴安嵓)


(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 山に行っていないのでブログに書くことがありません。12月に撮影しました日の出、夕日の写真を掲載します。
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 毎年のことですが12月31日には終いの夕日、1月1日には初日の出を見に行きます(このブログを書いているときはまだどちらも見ていません)。かつては夕日や日の出を見るために日本各地に出かけていきましたが、南関東の冬の晴天率は80%もあり最も晴れの日が多いので、ここ数年は東京湾の日の出、夕日を見に行くことにしています。058.gif
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 日の出は、城南島海浜公園から東京湾の日の出を見ることができます。城南島海浜公園はJR大井町駅から徒歩2時間です。元旦の日の出時刻は6時50分なので、4時30分には家を出なければならないので、ほとんど往きはタクシーを使います。大井町駅から約20分、料金2700円くらいです。帰りはタクシーをほとんど捕まえることができないので2時間歩いて大井町駅まで戻ってきます。電話をしても、近くにタクシーが走っていないため、断られてしまうことが多いです。
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 城南島公園の中には浜辺があり、元旦に限って浜辺に入れてくれます。普段は施錠されていて入ることができません。ただし今年は浜辺の改修工事をしており、明日元旦に浜辺に入れてくれることは安全上難しいのではないでしょうか。
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 夕日は、葛西臨海公園で撮っていたこともありますが、12月はゴルフ練習場の屋根に沈んでいくので、今はほとんど千葉県立幕張海浜公園で見ることにしています。幕張海浜公園はJR海浜幕張から徒歩20分くらいです。私の場合は大井町駅からりんかい線で新木場まで行き、新木場から京葉線で海浜幕張まで行きます。
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 正面に富士山を見ることができ、2月下旬にはダイヤモンド富士を見ることができます。私は見たことがありません。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 その他の写真としては、戸越公園に毎年12月年の瀬にヒマラヤザクラが咲きます。今年は開花が少し早く12月14日に散りかけていました。
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 戸越(とごし)公園の「戸越」とは、この丘を越えると江戸を越えることになるので、「戸越」という地名がつけられた由縁になっています。42年前の品川区では小学校2年生の社会科で習いました。現在、教えているかどうかはわかりません。
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 また最近のことですが戸越小学校の北側に「文庫の森」公園ができ、近所の人たちがウォーキングなどをしています。私が小学校の頃には、文部省の資料館が建っており、中に決して入ることはできませんでした。その庭には大きな池があり、捨てられた犬が野犬化してうろついていたことを覚えています。悪い友人たちと犬を取りに行こうと、よく中に忍び込みましたが、捕まえることはできませんでした。その池には人を襲う魚が飼われており、「手を入れないでください」という立札がかかっていました。
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 また自分のクラスには霊感の強い女子がいて、文部省資料館の建物の窓から窓へと幽霊が飛びながら移動していると言っていました。
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 皆さん、よいお年をお迎えください。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



 
新年山行は四阿屋山に行ってきます060.gif

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by ryott-ryott | 2014-12-31 11:44 | 2014年年末の風景