奥武蔵縦走シリーズ第1回日和田山、物見山、越上山、顔振峠

登山
旅行・地域
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 ブログがまた実態に追いついておりません。1月は3週間連続で、山に出かけることができましたが、2月に入り、歩の会に行ったのが最後になっています。

 1月17日(土)は西武秩父鉄道の高麗駅から日和田山、高指山、物見山、スカリ山、越上(おがみ)山、雨乞い塚、顔振(こおぶり)峠と縦走し、吾野駅までのロングコースになります。いつものように、いい歳、りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。この奥武蔵縦走シリーズは3回予定されており、3回かけて丸山まで足を伸ばします。いい歳、りょうちゃんは第2回の関八州見晴台は仕事の都合でキャンセルしました。
 また来年度は3回分の縦走路を1日で歩くことを企画しているようでしたが、今回の第1回目でその企画を断念されたようです。
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 先週の新年山行・四阿屋山と同じように池袋から西武池袋線に乗り、飯能で乗り換えて、高麗駅までやってきました。
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 岩場の訓練で有名な日和田山から登ります。今日は表参道コースからの山歩きです。
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 男坂から登りました。
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 この鳥居のあるところは山頂ではありません。西武池袋線に乗っていた時は富士山が常に見えていましたが、日和田山の鳥居位置からは見えなくなっていました。山頂はここから10分くらいの歩いたところにあります。
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 日和田山山頂、標高305 m。東の方角に筑波山が見えました。お正月の企画でこの日和田山の山頂から初日の出を拝むというツアーがありましたが、今年の元日は初日の出を見ることができなかったのではないでしょうか。
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 山道というよりはとてもとく整備されたハイキングコースという感じの道が続きます。
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 高指山の山頂はNTTの電波塔が建って、柵で仕切られているため、山頂を踏むことはできません。NTT電波塔前から見た風景です。
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 途中ろう梅を見ながら、ハイキングコースを歩いて、30分足らずで物見山につきました。標高375 m。東京タワーを超えました。この日は冬型の気圧配置でかなり風が強く、風花も舞っていました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)


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物見山から約30分歩くと、北向地蔵が安置されています。野州(現在の栃木県)岩舟地蔵尊の分身として贈られたものであり、常に本尊の岩船地蔵の北の方角に向いていることから北向地蔵と呼ばれています。トミーさんは髪の毛がふさふさになるようにお祈りしたのでしょうか。それは神頼みでしかなりません。037.gif
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 北向地蔵を過ぎると、車道と山道が並行しているところが多くなり、登山者の数もガタンと減りました。
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 ここから整備されたハイキングコースから登山道のおもむきになってきました。途中、観音岳、スカリ山、エビガ坂を通過し、今回縦走の最高峰・越上山を目指します。
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 少し傾斜のある山道を10分ほど登ると、越上山山頂につきました。標高566 m。
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 越上山を降りて、顔振峠、吾野駅に向かうことになりますが、神社の裏から山道を通って向かうことになりました。今回、越上山が最も標高が高いと思っていましたが、さらに標高の高い雨乞い塚がありました。標高574 m。空は冬空となり、風花というよりも雪が舞っていました。
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 雨乞い塚から、顔振峠に降りてきました。顔振峠から見た風景。
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 雪がついた武甲山が見えます。かつて源義経が弁慶とともに追っ手から逃れるために、この地を通った時に、あまりの絶景に顔を振るようにして景色を眺めたために、顔振峠と名前がつきました。
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 この平九郎茶屋でビールを飲んでいる登山者がおり、早くビールを飲みたくなりました。まだ吾野駅までは1時間は歩いたような気がします。
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 15時40分、吾野駅に到着しました。高麗駅から歩き始めてちょうど7時間の行程でした。駅前のお店でうどんを食べて、西武秩父鉄道に乗って池袋まで帰ってきました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道





本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス


 
次回は雲竜渓谷の報告をします060.gif

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by ryott-ryott | 2015-02-28 15:49 | 奥武蔵主脈縦走第1回 | Comments(0)