七賢、正雪、酒蔵見学~第3回奥武蔵縦走

登山
旅行・地域

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 ブログがまったく実態に追いついておりません。2月15日(日)は山旅クラブで第2回奥武蔵縦走へ参加する予定でしたがまたしても仕事の都合でキャンセルとなりました。それから1ヵ月後の3月14日(土)、同じく第3回奥武蔵縦走に参加しました。この縦走シリーズは、日和田山から丸山まで3回に分けて縦走するというものです。
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 第3回奥武蔵縦走の前に、この1ヵ月の間に2回の酒蔵見学に出かけましたので、簡単にその報告をします。1回目は山梨県の七賢へ見学に行きました。私が時々行く勇才さんのお店にお酒を納めている有澤酒店が毎年企画しているものです。酒蔵見学は日本酒の製造工程を見学し、そのあとは試飲会になります。勇才さんはいつも見学などなくてもよいから、すぐに試飲会にしろとおっしゃっていましたが、今回は鉄砲の大会のため不参加でした。
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 この日は寒い日でした。皆さん、暖炉の前に集まっていました。
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 洗米。
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 麹室。
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 醸造室。見学できるように整備されていました。
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 七賢の飼い犬。七賢なので名前は「SEVEN」。
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 お待ちかねの試飲会。試飲会では純米大吟醸、純米吟醸、純米酒が用意され、ワイングラスで飲み比べました。香り豊かな純米大吟醸はワイングラスで飲んだほうが香りと一緒に飲むことができて、湯呑で飲んだ時とは明らかに風味が増していました。酒蔵の人も純米大吟醸はワイングラスで飲むことを勧めていました。湯呑だと香り成分が器の構造上、逃げてしまうとのことでした。
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 最後は日帰り温泉に入浴して、東京に戻ってきました。


(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 七賢を見学した翌週3月8日(日)は、西山酒造さんが企画した正雪で有名な神沢川酒造へ行きました。静岡県由比にあります。西山酒造さんの酒蔵見学を、バスで行くのは久しぶりでした。
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 洗米。先週見た七賢とは全く違います。酒米についた糠を落とすことが最も重要であり、洗米は5人で大量の水を使って、洗い流すように行うとのことです。
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 酒母。ヨーグルトの香りがしました。乳酸を加えているそうです。
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 麹室。麹米を自由に食べさせてくれました。あまり美味しいものではありません。
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 お待ちかねの試飲会。
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 静岡県の由比と言えば、桜えびが有名です。試飲会には桜えびの料理が出されました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 さて本論の山行ですが、第3回奥武蔵縦走のコースは、正丸駅~旧正丸峠~カバ岳~大野峠~丸山~芦ケ久保駅になります。いつものようにいい歳、りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。次の写真は今回のものとは関係ありませんが、歩の会のマリコさんが写っている写真がトミーさんのブログにありました。この頃のトミーさんは髪がフサフサです。037.gif
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 西武秩父鉄道の正丸駅に集合。この沿線は登山する人が多く見受けられました。
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 まずは旧正丸峠に向かいます。
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 途中、黄色い福寿草が咲いていました。
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 道祖神でしょうか。
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 旧正丸峠。これから虚空蔵峠と向かいます。
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 途中こんな岩がありました。
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 露岩帯もありました。
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 カバ岳を通過。
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 大野峠、ここは車道です。ゴールの丸山は目の前です。この季節はスギ花粉が多く、トミーさんはクシャミとオナラを連発し、お忙しそうでした。037.gif
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 ゴールの丸山についに到着。
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 あいにくの薄曇りで、展望台からは武甲山くらいしか見えませんでした。
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 下山を続け、芦ヶ久保駅へ向かいます。
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 今年は第2回は参加できませんでしたが、来年企画されれば参加して、奥武蔵縦走を完登したいと思います。



本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス


 
次回は竪破山の報告をします060.gif

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by ryott-ryott | 2015-05-04 10:04 | 第3回奥武蔵縦走 | Comments(0)