日本百名山完登、フィナーレへ、紅葉深まる白山・荒島岳を行く

登山
旅行・地域
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 10月9日(土)~13日(火)は北陸の百名山、白山と荒島岳に行ってきました。そして今回の登山で日本百名山100座を達成することができました。いつものようにいい歳りょうちゃんが写っている写真は全てトミーさんのブログからもらいました。

 2010年8月29日に富士山に登って以来、5年と44日かかりました。登山に費やした金額は計算していないので把握していませんが、富澤財団に相当貢献したと思います。またビール、日本酒などのアルコールの費用も相当なものだったでしょう。

 100座目の山頂を踏ませてくれた山旅クラブのトミーさん、そのトミーさんを紹介してくださった歩の会の皆さん、本当にありがとうございました。また登山の始めるきっかけを作ってくれた倉持さん、白砂さん、浦安湯屋・大井町湯屋の皆さん、お礼を申し上げます。皆さんの支えがあって、日本百名山を完登できました。ありがとうございました。今後も無理はせず、自分の実力にあった登山を継続していくつもりです。今後ともご指導のほど、宜しくお願いいたします。

 初日10月9日(土)は室堂ビジターセンターまで行きます。東京始発の北陸新幹線で金沢駅まで行き、そこからトミーさんのピッカピカのリムジンで市ノ瀬まで行きました。学生時代、学会で金沢大学に来たことはありましたが、金沢駅に来たのは初めてです。金沢駅にはたくさん観光客が押し寄せており、北陸新幹線も始発から満席でした。
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 市ノ瀬からはバスに乗り換えて、登山口の別当出合いまで行きました。上高地と同じシステムです。バス代は片道500円です。
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 別当出合登山口から砂防新道を登っていきます。最初に大きな吊り橋がありました。
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 登山道はよく整備されており、登山道のほとんどは石畳が敷かれてありました。相当な人出が必要だったのではないでしょうか。
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 中飯場。
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 甚之助小屋前から見た紅葉に染まる白山。山頂はまだ見えません。
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 尾根に出るまでは、しばらくはトラバース路が続きます。
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 黒ボコ岩、ここから木道が敷かれていました。
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 木道の終わりから、100 mほど登ると、室堂ビジターセンターに到着しました。本日の宿泊先です。午前11時40分に登り始め、15時40分に到着したので、ちょうど4時間で到着しました。
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 室堂ビジターセンター前から見た白山の山頂。明日の朝、登ります。ただし天気は下り坂。白山の山頂を見ることができたのは、この時が最後でした。
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 とりあえず夕飯前にビールとお酒で乾杯。このビジターセンターは白山市の公務員が働いており、他の営業小屋に比較すると、サービスはよくありませんでした。まずビジターセンターで購入した酒類の空き缶、紙コップ、ペットボトルは受け取ってくれず、全て持ち帰らなければなりません。また消灯は20時ですが、売店はなんと18時15分で閉店になってしまいます。消灯の30分前までは営業してもらいたいものです。
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 室堂ビジターセンターの夕飯。
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 2日目10月10日(日)は白山の山頂に登りました。当初は白山の山頂を踏んだあとは、お池めぐりコースを歩く予定でしたが、小雨交じりの強風で何も見えないので、同じコースをピストンすることになりました。昨日ははっきり見えていた山頂も全く見えません。
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 先週の岩手山と同じくらいの強風だったと思います。ビジターセンターから山頂まではコースタイムで40分、強風で撤退してくる方もいらっしゃいました。
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 強風の中、山頂に到着。いい歳りょうちゃん、日本百名山99座目になりました。本来ならば、白山を100座目に登りたかったのですが、日程などで白山が99座目になりました。99という数字の意味を持つ「白」という文字が入った白山が99座目になったことも意味があることだったかもしれせん。
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 記念撮影をさっさと済ませて、強風を免れるため、この奥宮の前で休憩をとりました。
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 下山時は少し風が弱わまりました。ビジターセンターで休憩をとって、下山を開始しました。ビジターセンターのてるてる坊主も効果はありませんでした。
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 白山の延命水、トミーさんは髪が伸びるように延命水を飲んでいたようです。
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 徐々に霧も晴れていき、紅葉を楽しみながらの下山となりました。
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 別当出合につくとバスが発車寸前でした。バスに飛び乗り市ノ瀬に戻ってきました。これは人形です。よくできています。037.gif
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 2泊目は荒島岳の近くに旅館「阿さひや」さんに宿泊しました。風情のあるとてもよい旅館でした。今度は登山とは関係なく、観光で泊まってみたいところです。
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 この「阿さひや」の夕飯を楽しみにしていましたが、トミーさんが夕飯を頼んでいなかったため、市街の店で夕飯を食べることになりました。写真を撮るのを忘れてしまいましたが、「阿さひや」の朝食はとても立派で、夕飯もとても美味しかったのではないでしょうか。トミーさん、抜けているのは髪の毛だけにしてください。037.gif
 市街のお店も美味しい料理をいただくことができました。しかもお酒もたっぷり飲んで一人当たり3000円ほどでした。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 3日目10月12日(月)、いい歳りょうちゃんにとって100座目にあたる荒島岳に登ります。荒島岳は深田久弥の愛人が地元に住んでいたために百名山に選んだという経緯から、よい印象がありませんでしたが、小荒島岳のピークから見た荒島岳は端正な山容を見たときは日本百名山であってもよいかなと思いました。また、もちが壁の急登は登りがいがあり、振り返って見た紅葉が深まる小荒島岳もきれいでした。
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 荒島岳の中出(なかんで)駐車場。今日は午後3時から雨の予報でしたが、割合登山者が来ていました。
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 しばらく林道を歩き、登山道へと入っていきます。
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 途中のブナ林がきれいでした。
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 登り始めて2時間ほどで小荒島岳の山頂に着きました。小荒島岳の山頂はトラバース路からの分岐を少し登ったところにあります。この小荒島岳から見た本峰の荒島岳は紅葉に染まり、端正な山容であり、「大野富士」と呼ばれるだけのことはあります。
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 ヤマボウシの実がなっていました。食べられるそうです。リンゴのの味がするそうです。
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 シャクナゲ平、シャクナゲは1本もありません。
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 ここからがこの山の正念場、もちが壁が現れます。階段状の急登が続き、鎖、ロープが張られています。登っても登っても、急登が延々と続きます。
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 急登を登りきると、ようやく山頂が視界に入ってきました。
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 登り始めて約4時間ほどで荒島岳の山頂に到着しました。いい歳りょうちゃん、ついに日本百名山100座目の山頂を踏むことができました。山頂ではトミーさんご夫妻が用意してくれた「祝 日本百名山完登!」の垂れ幕を、深田久弥の愛人だったと言ってもおかしくない年齢のA柳さん、H山さんに持っていただき、記念撮影をしました。
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 山頂から見た大野平野。
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 百名山達成の余韻を味わいながら、A柳さん、H山さんとおしゃべりしながら、下山しました。
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 もちが壁の途中から見た小荒島岳。
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 もちが壁の急登は、段差が大きく、降りのほうが慎重になりました。「足が短いと降りるのが大変だ。」と話ながら降りました。足も髪も短いトミーさんはスイスイと降りていきました。
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 初秋にしては花が多く咲いていました。
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 中出駐車場に戻ってきたときは、朝止めてあったほとんどの車はなくなっていました。明日仕事だというA柳さんとはここでお別れです。いい歳りょうちゃん、H山さんはトミーさんのリムジンカーで休暇村「越前三国」へと向かいました。夕日が百名山達成のお祝いをしてくれているようでした。
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 「越前三国」には18時30分に、最終の夕飯時刻ギリギリに到着しました。急いで入浴し、改めて日本百名山達成のお祝いをしました。H山さん、トミーさんからお祝いのお酒をご馳走していただきました。
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 最終日10月13日(火)は東京に帰ります。福井駅までの帰路で東尋坊に寄りました。東尋坊は自殺の名所で有名なところですが、もちが壁の切れているところのほうが危険だと思います。
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 福井駅まで送ってもらい、米原経由で帰るH山さんともここでお別れして、東京まで帰ってきました。
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 日本百名山登山は5年と44日で終了しました。終了したと言いましても、登山をやめるわけではありません。今後は今まで天気が悪かった山にもう一度行ってみたいと思っています。そう言う意味では、今回の白山は天気のよいときにもう一度登ってみたいと思います。また今までは何が何でも百名山の山行へ出かけていましたが、歩の会と温泉山旅にシフトしていきたいと考えています。
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 おまけの報告ですが、10月24日(土)は「生誕50年を祝う会」と銘打たれた、雪谷高校の同窓会がありました。高校卒業から33年が経過し、同窓生全員50~51歳です。すでにお亡くなりになった方も何名かいらっしゃるということをうかがいました。51歳にして、高校時代とほとんど容貌が変わらない方も少ないですが何名かいらっしゃいました。お話しを聞くと、皆さん、少林寺拳法や何らかのスポーツをやっていらっしゃるとのことでした。大学の同窓会の時もそうでしたが、武道をやっている人は若さを保っています。いい歳りょうちゃんも日本百名山の次は少林寺拳法でもやろうかと思ったくらいですが、腰を痛めるのでやめておきます。
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 そうでない方は、51歳相応の容貌で、頭髪も黒、白、肌色とバラエティーに富んでいました。
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 私がカメラを持って、皆さんのお写真を撮ろうかと歩いていると、「写真なんか撮るんじゃないわよ!」と恐ろしい顔をした女性に怒鳴られてしまいました。「魅力のないあなたなんか写真に撮りません!」と心の中で言ってやりました。ほとんどの女性は年を取れば取るほど、女性としてのしとやかさ、しなやかさ、優しさが希薄になり、性別を超えた存在になっていくということが改めてわかりました。
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 高校3年生の時、私は理系のクラスでほとんどが男性、女性は少数でした。お隣のクラスは逆に女性が多数で、男性が少数、いつも隣のクラスを羨望の眼差しで見ていましたが、昨日の同窓会では33年という歳月がもう羨ましいと思う必要がないことを教えてくれていました。
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 一昨年の高校の創立百年の時にお会いしたY子との写真をこのブログに載せたことについて、大変お叱りを受けました。Y子さんは現在は小学校の先生をなさっているとのことでしたが、私がY子さんのクラスだったら、登校拒否になっていると思います。若くて、きれいで、優しい先生が子どもには人気があることを認識なさったほうがよろしいのではないでしょうか、Y子先生。037.gif
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 幹事さんのお話では次回は2020年東京オリンピックの年に同窓会を計画しているとのことでした。1964年の東京オリンピックの年に生まれた者同士が、2020年の東京オリンピック開催の年に行う同窓会に、是非参加したいと思っております。皆さん、それまでお元気でお過ごしください。
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百座の次は万座温泉の報告をします060.gif

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by ryott-ryott | 2015-10-25 22:14 | 荒島岳・白山