カテゴリ:散歩( 17 )

いい歳、りょうちゃん、年越しラーメンを食べるヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 ようやく勤めも年末年始休暇に入り、家の掃除をしています。ここ半年間、連続した休暇のたびに出掛けていたので、年末にしわ寄せがきて、なかなか片付きません。
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 大井町駅前の阪急もだいぶ出来てきたようです。3月にオープン。それと同時に現在のビルも解体開始。入っていたお店もすでに移転したところもあるようです。018.gif
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 29日は今年最後のじゃんけんぽんへ行きました。トントンさん、春さんのご子息の龍平ちゃんが学校の仲間としゃぶしゃぶをしており、私にもしゃぶしゃぶを用意してくれました。年越し一人しゃぶしゃぶでした。068.gif
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 龍平ちゃんのグル―プはほとんどが平成生まれ。一番年上のたまちゃんさえ、昭和63年生まれ。ついつい、若い人たちの方へ眼が向いてしまいます。037.gif
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 しゃぶしゃぶも食べ終わると、若いグループは記念撮影をはじめました。年配者の岡田夫妻、トントンさんの妹さん・みきちゃんも一緒に記念撮影に参加。岡田パパさんは私が撮った写真を見て、「顔が二重あごになっている。」と言って、撮り直しさせられましたが、変化はなかったと思います。写真は正直なんです。写真を見ると、岡田ママさんは自分を小さく見せようとしているのか、いつも後ろのほうで写っていました。
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この最後の写真が一番いい写真です。↓038.gif
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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 ロシア革命を早める原因の一つになった“怪僧・ラスプーチン”の名前は、旧制中学の西洋史で習って以来、妙に頭に残ってはなれません。
 日本の怪僧・道鏡のイメージがあるせいか、頭のハゲあがった、精力絶倫のデップリとした坊さんかと思っていましたら、実際は髪クログロとした、やせ型でアゴヒゲをたくわえた、イランのホメイニ師のような修道僧でした。
 1871年、シベリアの貧農の子として生まれましたが、生い立ちは一切ナゾに包まれています。

 異端の宗教、鞭身教徒として、ロシア各地を転々として巡礼し、それでも農民たちからは聖者として尊敬されていました。
 1907年、首都ペテルブルグに出て来ましたが、その名声を聞いて、時のニコライ2世の皇后が、彼を祈禱僧として宮廷内に迎い入れました。
  今でいう“超能力”とでもいうのでしょうか、奇妙な催眠術を応用して、すっかり人々を信じさせてしまいました。なにしろ王子の病気を彼の祈禱でなおしたのですから大変です。わけても皇后の信頼は厚く、次第に黒幕として、政治の実権を握るようになりました。人事は感情によって行われ、首相、国防相、農相など、閣僚を4回もクビにし、彼の友人たちを次々と大僧正や聖職の位につけました。

 ドイツとの戦争が起こると、親独派を集めて対独講和を推し進めましたが、これはドイツのスパイにまんまと利用されたものといわれ、抗戦派の人々によって、1916年12月29日、暗殺されました。45歳でした。
 このロシア王朝最後の人となったニコライ2世の優柔不断、皇后とラスプーチンの宮廷内の腐敗政治が、革命を早めたことは事実です。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 年末年始休暇2日目、本棚の整理以外はだいたい片付きました。本当は30日に本棚が届く予定でしたが、業者から年明けになってしまうとのふざけた連絡がありました。部屋は現在、本で溢れています。
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 神棚の古いお札を戸越八幡神社へ持って行き、新しいお札をもらって来ました。その帰りに年にほぼ1回しか行かない戸越銀座商店街へ行きました。正月の食べる食材を買うためです。070.gif
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 戸越銀座にも洋食屋の「ブルドッグ」があったはずなので、お昼ごはんを「ブルドッグ」で食べようとお店に行きましたが、準備中であり入店を断られてしまいました。戸越銀座は最近マスコットキャラクターを用意して、宣伝しているみたいです。
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 「ブルドッグ」を断られたので、「えにし」さんへ行きました。この時期は「ラーメン」しかないようです。ただし、「味付け卵」か、「ごはん」をつけてくれるというので、私は「ごはん」を頼みました。
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12月29日(水)はお台場海浜公園に夕景を撮りに行きました。この時期は太陽は南西の方へ沈み、レインボーブリッジに向かってかなり左端のほうへ移動しています。

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by ryott-ryott | 2010-12-30 22:27 | 散歩

出かける前に、最近の展望台事情を報告ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 じゃんけんぽんのトントンさんが、変人シェフの写真を見て、「お客さんと写っているのに全くニコリともしていない」と指摘されていましたが、改めて写真を見て、本当に愛想がないことがわかります。041.gif
 変人シェフの左目が真っ赤に充血していたので、また喧嘩でもしたのかと思いましたが、眼圧が高くなり、毛細血管が破けてしまったそうです。お大事にしてください。そして、もう少し笑顔になった方がいいと思います。037.gif037.gif037.gif

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 10月からの大井町湯屋のスタジオレッスン、とりわけ火曜日はレッスン内容、インストラクターとも未定でありましたが、今日、ようやく決まったことがわかりました。今まで、火曜日の夜8時台はあの人気インストラクターがずっと牽引し続けて、この4月からも新しいイントラさんが担当して、有酸素運動の枠が途切れることなく続いていましたが、ついに10月からはエアロビクスではなくて、ヨガのクラスになってしまいました。ヨガが嫌であるということではありませんが、今まで何年にもわたって続いて来たエアロのクラスが火曜の夜から完全になくなってしまうのは寂しい限りでした。今月限りでお辞めになる高島梓さんも10月からエアロがまた1つ減ってしまうことをとても心配していました。070.gif070.gif070.gif

 火曜日の夜は、最近、湯屋での運動をサボりがちの私にとって、数少ない有酸素運動のレッスンだっただけに、とても残念です。ポリスマンさんは、楽しめるエアロが木曜日の夜だけになってしまい、これだけのために湯屋に会費を払うのは「モッタイナイ」とおっしゃっており、心のどこかで「もう、やめてしまおうか」との考えがよぎっているようでした。
 私は勤め帰りに立ち寄ることが出来て、すでに13年も通っているので、大井町湯屋がなくならない限りはやめることはないと思っています、そして火曜の夜はシングルマザーのスタッフさんがやっているアクアにでも参加して、大暴れアクアにしてしまおうかと考え中です。071.gif071.gif071.gif



(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 3代将軍徳川家光の乳母で、大奥の実力者であった春日局は、明智光秀の重臣斎藤内蔵助利三の娘で、名をお福といいました。
 稲葉佐渡守正成の後妻に入り、3人の子を生みましたが、夫の愛妾を殺したことで離婚、運よく2代将軍秀忠の長子竹千代の乳母に採用され、江戸城に入りました。お福26歳のときです。
 翌年、秀忠に次男国千代が生まれ、秀忠夫妻の愛情はいつしか国千代に傾き、彼を将軍の後継者に推す動きが出て来ました。これを心配したお福は、伊勢参宮を名目に、駿府にいる家康に面会、実情を報告しました。
 やがて、家康の鶴の一声で、元和元年(1623年)竹千代は家光となり、3代将軍を継ぎました。お福の20年にわたる労苦が報われたのです。

 寛永6年(1629年)10月10日、上洛したお福は、後水尾天皇から異例ともいえる「春日局」の称号と、従二位の位を授けられました。
 彼女の大奥での活躍、実力者ぶりは、おもしろおかしく、虚実とりまぜて伝えられていますが、生活は質素で、生涯を家光の母がわりとして尽くしたことだけは間違いなさそうです。
 
寛永20年(1643年)9月14日、65歳で亡くなりました。
 一般に春日局といいますと、ふくよかな美人に描かれていますが、実像は小さいときに天然痘にかかったあとが、アバタとなって顔に残って、決して美人ではなかったといいます。
 あるとき“生き写し”彫刻の誉れ高い仏師が彼女の座像を贈りましたが、少し美人に修正して持っていったら御満悦だったといいます。大奥の実力者もやはり女性でした。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 すでに9月に入って、日没時間は18時よりも早くなっており、今まで通りに勤め帰りにぶらっと夕陽・夕焼けを撮影することが出来なくなりました。私の勤めはフレックスなしの17時30分までなので、今までのようにお台場海浜公園や東京タワーに立ち寄っている間に日が沈んでしまうからです。これからの日の短い期間は、天気の良いお休みの日に撮りに行くしかありません。058.gif058.gif058.gif
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以前8月22日に東京タワーへ勤め帰りに行った報告をしましたが、今回は隅田川沿いにある聖路加タワーと、ゆりかもめで行く東京テレコムセンター展望台へ行って来たのでご報告します。
 まず聖路加タワーですが47階に展望台が以前はあったそうですが、セキュリティ上の問題で7月に閉鎖したそうです。聖路加タワーへ行き、女性の守衛さんに展望台へ昇るエレベーターはどこかと聞くと、そう答えていました。それでも47階に行くにはどこから昇ればいいかと私が聞くと、女看守は47階に行っても窓はすべて閉鎖されており、なにも見ることは出来ないと念を押されました。残念ながら、諦めて帰りましたが、あとで知り合いの方からレストランに行けば、東京の街を一望できると教えてもらいました。今度、機会があったら行ってみましょう。
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 そして、もうひとつ有名な展望台、東京テレコムセンターへ行きました。展望台は西側の21階にあります。20階の受付で500円の入場料を支払い、21階へ昇りました。東側が海に面し、西側にはフジテレビ、レインボーブリッジ、東京タワーを見ることが出来ます。ひとつ欠点は真西の方角にテレコムセンターと同じくらいの高さのビルが建っており、沈みゆく夕陽を見ることができませんでした。20階の東側へ移動すると夕陽は見えるのですが、窓ガラスがひどく汚れており、満足いく写真は撮れない状況でした。テレコムセンターの展望台からは、たぶん朝陽はよく見えるのでしょう。夕陽はダメでした。
 私はせっかく晴れて夕陽が見えそうだったので、テレコムセンターの外に出て、海辺まで行きました。本当は展望台から見たい風景でした。
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 今週末は敬老の日までの3連休、来週末は飛び石を休めば4連休になります。今週は松本城と黒部ダムを撮りに行きます。そして来週は山形県の湯の浜へ行きます。湯の浜は夕陽の名所ながらも、シルバーウィークで4泊5日も滞在して、曇りと雨で昨年は一枚も夕陽の写真を撮ることが出来ませんでした。今年は4日のうち、1日くらいは撮って帰って来たいと思っています。029.gif

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by ryott-ryott | 2010-09-17 23:21 | 散歩

いい歳、りょうちゃん、藤の花に酔うヽ(^o^)丿

旅行・地域
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秋田から帰って、土曜日は久しぶりに大井町湯屋に行きました。土曜日の朝一時限目のエアロはかなり人が減っていました。そして2週間ぶりに中国整体へ行きました。田沢湖では毎日雨だったことをこの歳時記で知っていた先生は、「あなたは龍(辰年生まれ)だから、水(雨)を連れていく。」と言われてしまいました。たしかに辰子姫にしても、八郎潟の八郎にしても、水はつきものです。先生は来週また河口湖に大井町湯屋の方たちと行かれるそうです。すでに桜は散ってしまっているので、今度は河口湖近くの新緑を撮影するそうです。

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中国整体施術が終わってから、近くの食堂「木洩れ日」さんに行くと、昔、湯屋でローリング療法をやっていた臼井さんに偶然にもお会いしました。休憩時間に木洩れ日さんに昼食を食べに来たとのこと。三又通りの整体院で週2回、ローリング療法をやり来ているとのことでした。臼井さんは出産と育児に専念するため、湯屋をやめていましたが、1年くらい前から湯屋近くの整体院で働くことにしたそうです。臼井さんのお宅は神奈川県の相鉄線で行かなければならないところで、結構、遠いのですが、長年通った大井町が好きなんだそうです。双子のお子さんもかなり大きくなったようです。
 木洩れ日さんで遅めの昼食を摂った後は、水を求めに湯屋で大暴れアクアをやりました。037.gif

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(Funky Monkey Babys/ヒーロー)

英雄ナポレオンが危篤に陥ったのは1812年5月4日の夕暮れでした。死の前日です。
絶海の孤島セントヘレナに幽閉され、病気になっていたナポレオンには、彼の伝記と大戦の記録をとるために、年若い軍医がいつも枕辺におりました。
「皇帝、あなたの生い立ち、軍事、愛情にいたるまで、必要なことはすべてお聞きしました。だが、一つだけ聞きたいことがあります。宗教観です。」
ナポレオンは、こう言いました。「宗教は偏見と幻影に満ちた、人間を堕落させる毒物である。余は生を受けて以来、いかなる神もあがめず、いかなる宗教も信じた記憶がない。」

 しかし、危篤を知って、典獄と神父が入ってきたときです。
 神父はナポレオンの枕辺に立って、最後の祈りを求めました。ナポレオンはしばらく黙っていましたが、突然哀願するようにこう言いました。
「神父よ。余が息を引き取るとき、枕辺に聖体を安置してほしい。そして余の肉体が棺桶の底に沈みきるまで、祈りを続けてほしい。」
 先ほど否定したばかりの宗教を今さらと、若い軍医がいぶかしげに英雄の顔を見ました。彼は力なく、「かまわぬ、笑ってくれ、人間は誰でも、所詮笑われるような生き方しか出来ぬのだ。」これは、ナポレオンの逸話集に載っている話です。

 人間は誰しも強がりを言ったり、虚勢を張って生きていますが、いざ死に直面すると弱いものです。
“苦しいときの神頼み”は英雄といえども同じでした。
 キリスト教であれ、仏教であれ、宗教というものは、天地自然への畏れ、それに対する感謝の心を培養するものと考えたらいいと思いますが。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif
あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに


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 落ちかかる 石を抱えて 藤の花  正岡子規
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5月4日は湯屋へ行きトレーニングをし、連休最終日5月5日は湯屋はお休みのため、藤の花を見に、亀戸天神ではなく、埼玉県の藤の牛島まで行きました。臨海線で大宮まで行き、東武野田線乗り換えて25分、春日部の次の駅です。
そこから歩いて10分くらいでしょうか、樹齢1200年になる天然記念物の藤の木があります。連休最終日とあって、多くの人が藤の花を楽しんでいました。藤の花の花ことばは「あなたの愛に酔う」「至福のとき」なんだそうです。
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4泊5日の秋田県の旅では、前半は天気に恵まれませんでしたが、3回、朝陽と夕陽を撮ることができ、地酒と満開の桜との遭遇があり、地元の人の優しさに酔った、至福の時でした。

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by ryott-ryott | 2010-05-15 12:47 | 散歩

いい歳、りょうちゃん、仕事の日はいつもいい天気ヽ(^o^)丿

健康と美容
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空は真っ蒼。雲ひとつありません。058.gif
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今日は澄み渡るような青空が広がり、まさにどこかへ出かけたくなるような1日でした。しかし、今日はあいにく会社へ出勤でした。李先生の名言058.gif「仕事の日はいつもいい天気。」058.gifを思い出しました。041.gif

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書店の歴史コーナーをまわると、意外に「新撰組」に関する本の多いのにびっくりさせられます。
「新撰組」については、子母沢寛の『新撰組始末記』という名著がありますが、それ以外でも「新撰組」に関する顚末記、覚え書、興亡史、紀行文、秘話、それに隊員の近藤勇、土方歳三、沖田総司など、人物の伝記にいたるまで、いろいろな視点から、たくさんの本が出されています。
 映画やテレビドラマの時代劇にもふさわしいでしょう。今でもよく取り上げられています。
 現代の若者にとっては、「新撰組」の活動は、西部劇の殺し屋集団、あるいは特別機動隊のように、カッコよく見えるかもしれません。
 その「新撰組」のなかでも、花形はなんといっても隊長の近藤勇でしょう。彼は天保5年(1834年)武蔵多摩郡石原村に生まれました。本名は宮川昌宜。剣を近藤周助の門に学び、見こまれて養子となり、近藤勇に名をかえました。
 文久3年(1863年)、幕府の浪士募集に応じて京都に上り、壬生村にたむろし、芹沢鴨らと「新撰組」を組織し、隊長におさまりました。
 京都守護職松平容保(かたもり)(会津藩主)の下で尊攘派を弾圧、薩長土肥の各藩の志士を厳しく取り締まり、“池田屋騒動”など、その活躍ぶりは京都市中で恐怖の的となりました。
 しかし、近藤勇も鳥羽、伏見の戦いで敗れ、京都から江戸に逃れ、再び甲斐鎮撫隊を組織して甲斐勝山で奮戦しましたが敗れ、捕らわれの身となって、板橋で処刑されました。
 明治元年(1868年)4月25日、享年35歳でした。郷里の日野市高幡不動尊境内には、松平容保の手によって建てられた顕彰碑があります。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)
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(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif
あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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勤務が終了したのは夕方5時をまわってからでした。これでは大井町湯屋の隈ちゃんエアロとヨガには間に合わないことは必定。折角のいい天気なので、会社から駅まで歩いて、まだ日が高いので、071.gif多摩川の土手を少し歩きました。071.gif最近、有酸素運動が減っているので。037.gif
羽田空港、多摩川に架かる橋(名前を忘れてしまいました)、お月さまなど写真に撮りました。
夕陽も撮れるだろうと思いましたが、ちょうど陽が沈む方向に分厚い雲があり、その中にお日様は隠れてしまいました。058.gif一時間ほど歩いて、産業道路の駅から電車に乗って帰ってきました。

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いよいよ来週は田沢湖・角館・八郎潟・男鹿半島の秋田へ。今日のような青空であることを祈ります。024.gif058.gif024.gif058.gif

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by ryott-ryott | 2010-04-26 01:17 | 散歩

【ダイジェスト】七福神巡り、桜めぐり。いい歳、りょうちゃん、川越散策ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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先週月曜日に休暇をとって、雨の御殿場へ行ったことを前回報告しましたが、10日土曜日の朝、8:40頃、李先生から突然電話がありました。先生は今、御殿場にいるとのこと。どうやら、土曜日の朝、天気がいいのを見て、御殿場に行ってしまったようです。したがって、本日の施術はキャンセル。他のお客さんにも電話をかけてキャンセルしたのでしょうか。しかし、先生は電話口で「とてもいい写真が撮れた。景色もきれいだ。」とおっしゃっていました。 058.gif041.gif
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 056.gif日曜日に休日出勤を申しつけられていたこともあり、土曜日、湯屋に行くことをやめて、カメラ片手に桜を撮りに、川越に行ってみました。やはり晴れた日の桜が最高です。056.gif

知る人ぞ知る川越は大井町から臨海線快速で67分、終点の駅です。大宮を過ぎたあたりから、車窓から見る景色には春の花々が散りばめられており、これからの川越散策に期待が膨らむばかりでした。
070.gif
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 さて、どこからまわろうか。私の目に入ってきたのは、川越の七福神巡り。全長6 km。私の健脚なら1時間で周ることができるな、直感的に思いました。考えてみれば、昨年の今頃は突然に発症した坐骨神経痛に苦しんでいましたが、いまではすっかり平癒して、ダッシュして電車への駆け込み乗車が出来るまで回復した今ならば、6 kmの道のりなど取るに足らない距離なのです。037.gif
 七福神巡りは順番があるようであり、川越駅の東南の位置にある妙善寺からほぼ反時計回りに、妙善寺の毘沙門天、天然寺の寿老人、喜多院の大黒天、成田山の恵比寿天、連馨寺(れんけいじ)の福禄寿、見立寺(けんりゅうじ)の布袋尊、妙昌寺の弁財天を巡っていく行程でした。
070.gif


(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif
あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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昭和21年(1946年)4月10日は「婦人の日」、わが国ではじめて婦人参政権が行使された記念の日にあたります。
 婦人の参政権は、外国の例をみてもわかるように、フィンランド、ノルウェーなどは1905年から、イギリス、ドイツなどでは1918年から、かなり早い時期に行使されています。
 日本でも、大正14年(1925年)、男子普通選挙法が成立した前後から、婦人参政権獲得運動が繰り
が繰り広げられましたが、終戦まではその実現をみることができませんでした。
 戦後、占領軍の指導で新憲法が生まれ、男女平等の原則が認められて選挙法が改正され、ようやく第1回の婦人参政権が行使できるようになったのです。
 このときの選挙で、一挙に婦人議員39人が誕生して話題を呼びました。ここにいたるまで戦前から長い間、婦人参政権の獲得、婦人の地位向上のための婦人運動を推進してきた指導者を忘れるわけにはいかないでしょう。その人の名は市川房枝です。
 彼女は明治26年(1893年)、愛知県中島郡明地村(現・尾西市)に生まれました。
 大正7年(1918年)、名古屋新聞(現・中日新聞)の記者をやめて上京。婦人運動の創始者ともいえる平塚らいてうの提唱する“新しい女”の運動に参加して、婦人の参政権獲得に奔走してきました。
 戦後、婦人有権者同盟を組織し昭和28年(1953年)の参議院選挙に初当選、以後連続3回当選。昭和49年の参院選全国区では第2位当選、昭和55年(1980年)の選挙では見事第1位当選を果たしました。
 一生を独身で通し、生涯を婦人運動に捧げ、昭和56年(1981年)2月11日、88歳の米寿のお祝いを目前に、87歳9カ月の生涯を閉じました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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七福神巡りの1番手は毘沙門天の妙善寺。お寺はとても静かな様子でした。お守り売場でご朱印をもらおうと思いましたが人影はなし。境内の中のお宅を訪ねて、ご朱印をもらいました。妙善寺のお母さんが言うには、縁日のある正月1日~7日までと、毎月1日以外はあまり七福神巡りをする人はいないそうです。
 七福神のすべての訪印が押されている色紙と毘沙門天のご朱印を妙善寺で買って、毘沙門天さんとさつまいも地蔵尊にお参りしました。


妙善寺・毘沙門天
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さつまいも地蔵尊。川越はさつまいもが有名で、さつまいもを使ったお菓子がたくさん売られていました。お地蔵さまは手にさつまいもを持っています。

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2番手は天然寺・寿老人。ここもお守り売場に人影なし。お宅の呼び鈴を鳴らして、お寺の人を呼び出して、ご朱印をもらいました。寿老人像はガラス張りの小屋におさめられていました。光が反射して、写真を撮ることができませんでしたが、天然寺の桜は見事なものでした。056.gif

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056.gif天然寺の桜056.gif
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喜多院の大黒天に行く前に中院に立ち寄りました。


そして喜多院へ。喜多院が川越で最も大きい寺院ではないでしょうか。境内の中は出店が多数連なっており、あちこちでお花見が催されておりました。喜多院では、徳川家光公生誕の間があり、展示もありましたが、あと4人の神様を周らなければならないため、先を急ぎました。

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4人目は成田山・恵比寿天。成田山ではお釈迦様の花まつりも行われていました。お釈迦様像に甘茶をかけました。
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そして5人目は連馨寺・福禄寿。5枚目のご朱印をもらって、本殿のほぼ中央わきに、真赤な銅像「おびんづる様」が安置されていました。おびんづる様は病人を助け、悪人を懲らしめて、心に悩みを持つ人に教えを説いて、多くの人を救った十六羅漢のひとり。この「おびんづる様」をさわってなでると悪いところがすぐに治るとのこと、私もなでさせていただきました。004.gif
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さきを急ぎます。6人目、見立寺(けんりゅうじ)・布袋尊。ここもお寺の中のお宅の呼び鈴を鳴らして、ご朱印を戴きました。布袋様はガラス張りの小さな小屋に安置されていましたが、その前に布袋様の石像が建っていました。
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そして、いよいよ最後は妙昌寺・弁財天。見立寺から地図を頼りに、妙昌寺まで20分以上歩いたでしょうか。何処にあるのか少し迷ってしまいましたが、ついに辿り着きました。弁天様にお参りし、7枚目のご朱印をもらいました。時計を見ると16:30。カメラで写真を撮りながらの散策でしたので、約2時間30分かかりました。
037.gif
まだ日はたかかったので、蔵造りの街並みを見ました。しかし、040.gifこの通りは自動車の通行量も多いです。040.gif
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最後は新河岸川沿いの桜を見て、氷川神社に立ち寄って来ました。
今回は短い時間で駆け足で七福神巡りをしたため、見るべきところをかなり省いてしまいました。次回はゆっくり周ってみたいと思います。
070.gif

氷川神社。
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024.gifたまたま結婚式が行われていました。024.gif
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056.gif川沿いの桜056.gif
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時の鐘。夕方、6時に暮れ六つの鐘が鳴りました。

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by ryott-ryott | 2010-04-13 00:08 | 散歩

七福神巡り、桜めぐり。いい歳、りょうちゃん、川越散策ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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先週月曜日に休暇をとって、雨の御殿場へ行ったことを前回報告しましたが、10日土曜日の朝、8:40頃、李先生から突然電話がありました。先生は今、御殿場にいるとのこと。どうやら、土曜日の朝、天気がいいのを見て、御殿場に行ってしまったようです。したがって、本日の施術はキャンセル。他のお客さんにも電話をかけてキャンセルしたのでしょうか。しかし、先生は電話口で「とてもいい写真が撮れた。景色もきれいだ。」とおっしゃっていました。 058.gif041.gif
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 056.gif日曜日に休日出勤を申しつけられていたこともあり、土曜日、湯屋に行くことをやめて、カメラ片手に桜を撮りに、川越に行ってみました。やはり晴れた日の桜が最高です。056.gif
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知る人ぞ知る川越は大井町から臨海線快速で67分、終点の駅です。大宮を過ぎたあたりから、車窓から見る景色には春の花々が散りばめられており、これからの川越散策に期待が膨らむばかりでした。
070.gif
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 さて、どこからまわろうか。私の目に入ってきたのは、川越の七福神巡り。全長6 km。私の健脚なら1時間で周ることができるな、直感的に思いました。考えてみれば、昨年の今頃は突然に発症した坐骨神経痛に苦しんでいましたが、いまではすっかり平癒して、ダッシュして電車への駆け込み乗車が出来るまで回復した今ならば、6 kmの道のりなど取るに足らない距離なのです。037.gif
 七福神巡りは順番があるようであり、川越駅の東南の位置にある妙善寺からほぼ反時計回りに、妙善寺の毘沙門天、天然寺の寿老人、喜多院の大黒天、成田山の恵比寿天、連馨寺(れんけいじ)の福禄寿、見立寺(けんりゅうじ)の布袋尊、妙昌寺の弁財天を巡っていく行程でした。
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(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif
あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

b0190242_9462619.jpg

昭和21年(1946年)4月10日は「婦人の日」、わが国ではじめて婦人参政権が行使された記念の日にあたります。
 婦人の参政権は、外国の例をみてもわかるように、フィンランド、ノルウェーなどは1905年から、イギリス、ドイツなどでは1918年から、かなり早い時期に行使されています。
 日本でも、大正14年(1925年)、男子普通選挙法が成立した前後から、婦人参政権獲得運動が繰り
が繰り広げられましたが、終戦まではその実現をみることができませんでした。
 戦後、占領軍の指導で新憲法が生まれ、男女平等の原則が認められて選挙法が改正され、ようやく第1回の婦人参政権が行使できるようになったのです。
 このときの選挙で、一挙に婦人議員39人が誕生して話題を呼びました。ここにいたるまで戦前から長い間、婦人参政権の獲得、婦人の地位向上のための婦人運動を推進してきた指導者を忘れるわけにはいかないでしょう。その人の名は市川房枝です。
 彼女は明治26年(1893年)、愛知県中島郡明地村(現・尾西市)に生まれました。
 大正7年(1918年)、名古屋新聞(現・中日新聞)の記者をやめて上京。婦人運動の創始者ともいえる平塚らいてうの提唱する“新しい女”の運動に参加して、婦人の参政権獲得に奔走してきました。
 戦後、婦人有権者同盟を組織し昭和28年(1953年)の参議院選挙に初当選、以後連続3回当選。昭和49年の参院選全国区では第2位当選、昭和55年(1980年)の選挙では見事第1位当選を果たしました。
 一生を独身で通し、生涯を婦人運動に捧げ、昭和56年(1981年)2月11日、88歳の米寿のお祝いを目前に、87歳9カ月の生涯を閉じました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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七福神巡りの1番手は毘沙門天の妙善寺。お寺はとても静かな様子でした。お守り売場でご朱印をもらおうと思いましたが人影はなし。境内の中のお宅を訪ねて、ご朱印をもらいました。妙善寺のお母さんが言うには、縁日のある正月1日~7日までと、毎月1日以外はあまり七福神巡りをする人はいないそうです。
 七福神のすべての訪印が押されている色紙と毘沙門天のご朱印を妙善寺で買って、毘沙門天さんとさつまいも地蔵尊にお参りしました。

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妙善寺・毘沙門天
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さつまいも地蔵尊。川越はさつまいもが有名で、さつまいもを使ったお菓子がたくさん売られていました。お地蔵さまは手にさつまいもを持っています。

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2番手は天然寺・寿老人。ここもお守り売場に人影なし。お宅の呼び鈴を鳴らして、お寺の人を呼び出して、ご朱印をもらいました。寿老人像はガラス張りの小屋におさめられていました。光が反射して、写真を撮ることができませんでしたが、天然寺の桜は見事なものでした。056.gif
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056.gif天然寺の桜056.gif
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喜多院の大黒天に行く前に中院に立ち寄りました。

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そして喜多院へ。喜多院が川越で最も大きい寺院ではないでしょうか。境内の中は出店が多数連なっており、あちこちでお花見が催されておりました。喜多院では、徳川家光公生誕の間があり、展示もありましたが、あと4人の神様を周らなければならないため、先を急ぎました。
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喜多院・大黒天
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4人目は成田山・恵比寿天。成田山ではお釈迦様の花まつりも行われていました。お釈迦様像に甘茶をかけました。

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そして5人目は連馨寺・福禄寿。5枚目のご朱印をもらって、本殿のほぼ中央わきに、真赤な銅像「おびんづる様」が安置されていました。おびんづる様は病人を助け、悪人を懲らしめて、心に悩みを持つ人に教えを説いて、多くの人を救った十六羅漢のひとり。この「おびんづる様」をさわってなでると悪いところがすぐに治るとのこと、私もなでさせていただきました。004.gif
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さきを急ぎます。6人目、見立寺(けんりゅうじ)・布袋尊。ここもお寺の中のお宅の呼び鈴を鳴らして、ご朱印を戴きました。布袋様はガラス張りの小さな小屋に安置されていましたが、その前に布袋様の石像が建っていました。
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そして、いよいよ最後は妙昌寺・弁財天。見立寺から地図を頼りに、妙昌寺まで20分以上歩いたでしょうか。何処にあるのか少し迷ってしまいましたが、ついに辿り着きました。弁天様にお参りし、7枚目のご朱印をもらいました。時計を見ると16:30。カメラで写真を撮りながらの散策でしたので、約2時間30分かかりました。
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まだ日はたかかったので、蔵造りの街並みを見ました。しかし、040.gifこの通りは自動車の通行量も多いです。040.gif
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最後は新河岸川沿いの桜を見て、氷川神社に立ち寄って来ました。
今回は短い時間で駆け足で七福神巡りをしたため、見るべきところをかなり省いてしまいました。次回はゆっくり周ってみたいと思います。
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氷川神社。
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024.gifたまたま結婚式が行われていました。024.gif
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056.gif川沿いの桜056.gif
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時の鐘。夕方、6時に暮れ六つの鐘が鳴りました。

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by ryott-ryott | 2010-04-12 10:06 | 散歩

いい歳、りょうちゃん、スカイツリー、桜、そしてエアロ送別会ヽ(^o^)丿

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今日3月30日のブルームーンを撮影しました。072.gif

1ヵ月の間に2回の満月がめぐって来る時、その満月をブルームーンというそうです。今月は3月1日に続いて、3月2回目の満月です。このブルームーンはとても縁起の良いもので、いろいろとお願い事が叶うようであります。詳しくはゆったりゆっくりゴロゴロとアセンションへ(らてこんさんのブログ)で。004.gif

このブルームーンは今夜、大井町湯屋から帰ってから私の部屋から望遠で撮りました。004.gif
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大井町湯屋で晴れ男さんの視線の先には小粋な若い女性(マハ)の姿が必ずあります。そして、今日30日は人気インストラクターの最後のレッスンでした。
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晴れ男さん、私は実は会社を休んでしまいました。041.gif会社に出社しても、夜の最後のレッスンには出れると思いましたが、予期せぬことも起こりうるので、1週間前に休暇の届けを出して、昨日の月曜日に許可がおりました。037.gif
休暇を取って、大井町湯屋のレッスンに参加したのは、らてこんさんの木曜日のレッスン以来でした。

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最後のレッスンには、いつもは顔を見せない方も数多くいらっしゃっており、mistyさんにも久しぶりに会いました。晴れ男さんも仕事の合間にレッスンに参加しに来ていらっしゃいました。人気インストラクターさん(名前を明かしてもいいでしょう、本橋さん)は大井町湯屋でエアロビクス、ステップの指導にあたられて、13年間の歳月を過ごしたそうです。エアロビクスのあとには、プッシュアップをいつもより多い25回行って、フィニッシュ。最後は花束贈呈で、本橋さんの13年間の湯屋でのレッスンは幕が降ろされました。しかし、本橋さんはまだ大井町湯屋に登録はされているとのこと、祝日などにレッスンに来るかもしれないとおっしゃっていました。長い間、お世話になりました。024.gif
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レッスン終了後にエルビーさんに写真を撮っていただきました。本当は、湯屋で写真撮影してはいけないそうですね。しかし、皆さん、気にせずに撮っていたように思います037.gif
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「着衣のマハ」
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スペインの生んだ画壇の巨匠として知られるゴヤの生誕は、1746年3月30日です。
 彼は画家を志望し、若くしてマドリードに出て、30歳のとき王宮付属つづれ織り工場の下絵制作に従事しました。
 彼はこの仕事がきっかけでで、マドリードの上流階級の人々に近づくようになり、彼の絵の天分も認められ、特に社交界の花形である王妃、貴婦人に引き立てられました。そのお陰もあって50歳で、カルロス4世の首席宮廷画家の地位につきました。
 彼の作品は、ベラスケスとともに、マドリードのプラド美術館の目玉になっています。
 ゴヤの作品は、宮廷画家として仕えた『カルロス4世とその家族』、ナポレオンのスペイン侵入を記録した『1808年5月2日の変』など、たくさん展示されています。しかし、話題はなんといっても彼の描いた『裸体のマハ』と『着衣のマハ』の2点です。

 マハとは伊達女という意味ですが、それだけに、このモデルがだれで、なぜ同一人物の裸体と着衣の同じポーズの絵を描いたのか、興味があるでしょう。
 この作品のモデルは、その豊かな黒髪、豊満な肉体、奔放な気性の顔だちから、当時スペイン貴族の筆頭であったアルバ公爵夫人と噂されました。
 ゴヤとアルバ公爵夫人との関係は、わずか7年の付き合いでしたが、いろいろ憶測されました。
 アルバ公爵家では、この噂を気にしたとみえて、夫人が亡くなったあと40年も過ぎた1845年、夫人の棺をあけ、その骨格や、胴と足のプロポーションの違いを示し、モデルは彼女ではないと否定したりしました。
 ですから、なおさらこの絵に興味が集まるのです。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


「裸体のマハ」

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(奥華子/契)

30日はお休みをとったので、昼間は隅田川へ行き、東京スカイツリーと桜を見て来ました。056.gif
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平日にもかかわらず、私のような不心得者がたくさんいるようで、東京スカイツリーの周辺はカメラ片手に撮影する方で賑わっていました。東京スカイツリーは昨日3月29日に、高さ338 mに到達し、東京タワーの333 mを追い抜いたという報道がされていました。
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最初に見たときは、意外に大きくないなというのが第一印象でした。
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近くで見ると迫力があります。
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寄り道、米沢豚のとんかつという振れ込みを見て、思わず店に入ってしまいました。
やわらかくて、とてもおいしかったです。今夜は夕飯を食べなければいいのです。037.gif
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隅田川周辺から見た東京スカイツリー、完成が楽しみです。060.gif
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桜も咲いていました。056.gif
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牛島神社。
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アサヒビールのビルに東京スカイツリーが写っています。058.gif
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戸越公園の桜。
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今日は、東京スカイツリー、隅田川の桜、戸越公園の桜を見て、本橋さんの最後のレッスンに出て、帰宅してブルームーンを拝んで、充実した一日でした。
晴れ男さんは今頃、お仕事なんですね。037.gif


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by ryott-ryott | 2010-03-31 01:47 | 散歩

いい歳、りょうちゃん、2010年歳神さまと月の女神との邂逅ヽ(^o^)丿

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一富士二鷹三なすび
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初日の出前、西の空に浮かぶ十六夜の月072.gif
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葛西臨海公園対岸のディズニーランドのホテルの向こう側からあがる2010年初日の出058.gif
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12月29日は湯屋の年内最終日。かねて湯屋仲間の晴れ男さんと湯屋が終わってから、もつ鍋に行く予定でしたが、どこも満席でした。私がよく前を通りかかる今年出来たばかりと思われる「もつ鍋屋」も満席。いつも通りかかるときはガラガラ状態だったのですが、この年の瀬になって大井町は大賑わいでした。ようやく「もつ鍋」とは縁がないと思われるお店に入店。いつもご多忙でご一緒できない大崎さんも駆けつけることが出来て、年の瀬の最後の忘年会を行いました。私は湯屋、じゃんけんぽん、勤め先を合わせて、実に8回目の忘年会でした。024.gif

やっと店に入ることが出来た晴れ男さん、大崎さん037.gif

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これは何の鍋でしたか041.gif
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12月31日は何とか掃除・片付けに目処を付けて、葛西臨海公園に月と夕陽を撮りに行きました。12月31日は満月の1日前、十六夜の月です。15:59月の出。16:50日の入りでした。月の出から日の入りまで約50分、まだ明るいうちに月が出るということは、素人の私にとってはそれだけ写真が撮りやすい状況でしたが、東側の空は分厚い雲が立ち込めていました。でも撮れました、十六夜の月を。そして、大晦日の夕陽も撮りました。初日の出はあんなに人が来て賑わうのに、大晦日の終い舟じゃないけれど、その年最後の太陽の日の入りを見に来る人は誰もいませんでした。風が強く、相当に寒かったこともあるかもしれませんが。日没後はやはり気温がグンと下がり、三脚をしまう手が痛かったです。

2009年大晦日の夕陽。誰も見に来る人はいませんでした。058.gif041.gif
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東の空に十六夜の月が現れました。072.gif
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(石川さゆり/火の国へ)

大正15年(1926年)12月25日、クリスマスの日の午前1時25分、かねて病気療養中の大正天皇は48歳の若さで崩御されました。
 この日の朝、「東京日日新聞」(現在の毎日新聞)は、天皇崩御を知らせるとともに、新元号が「光文」に決まったことを伝えました。
 大スクープ、大特ダネです。驚いたのは政府関係者でした。摂政であった裕仁親王が即位され、それが終わったところで新元号を発表する手はずになっていました。その秘密が漏れては政府の面子がたちません。
 あわてて緊急秘密会議を開いて、もう一つの候補であった「昭和」を選ぶことにしました。気の毒だったのは「東京日日新聞」です。せっかくの大特ダネが一瞬にして「世紀の誤報」になってしまったのです。「光文」も幻の元号で終わりました。
 当時、黒田藩編纂所に勤務していた中島利一郎が、こんな証言をしています。「新しく来るべき新天皇の時代は、“文”を主体にした文化国家でなければならない。したがって、それにふさわしい名前を考えろと言われて探したのが“光文”です。漢代の詩人皇甫蔚の『文錦賦』にある「閲披風前 光文燦然 百花互選五色相宜」からとりました。」(川辺信蔵『書かれざる特種』サンデー毎日臨時増刊号・昭和32・2・15)。
 「昭和」の典拠は『書経』の堯典にある「百姓昭明ニシテ、万邦ヲ協和ス」の一句からとったものです。「昭」は光明、「和」は平和を意味します。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(美空ひばり/真赤な太陽)

2010年1月1日。朝5:30起床。本当は目覚ましでもっと早く起きるつもりでしたが、目が覚めた時には5時半でした。初日の出を近場に観に行こうと決めていました。直前までどこに行くべきか、迷いましたが電車で行けて、三脚が使える「葛西臨海公園」に行きました。東京タワーと東京テレコムセンターは近いのですが、建屋の中であるため三脚が使えるかどうか判断できなかったため、行き慣れた「葛西臨海公園」にしました。6時5分の大井町発臨海線に乗り、新木場で乗り換えて葛西臨海公園駅に着いたのは6時26分。昨日の大晦日の夕陽と違って、大変な人出でした。橋の上は入り込む余地がなく、橋を渡ったところで撮影しようと思い、三脚を立てました。西の空を見ると、昨日見た十六夜の月がまさに沈もうとしているところでした。
 葛西臨海公園での初日の出はすこし位置取りがよくなかったと思います。ディズニーランドのホテルの向こう側からの日の出となって、ホテルの上に日の出が出てきたときには、かなり明るくなっていました。しかし太陽が顔を覗かせると、集まった人らから大きな歓声が上がっていました。初日の出とともに、その年の年神さまが現れると言います。2010年の年神さまにお参りをして、元旦の朝、帰ってきました。058.gif


年の始めの 例(ためし)とて
終(おわり)なき世の めでたさよ
松竹たてて 門(かど)ごとに
祝う今日こそ 楽しけれ


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そして、おまけです。元旦の夜は満月でした。満月は明るすぎて夜景と合わせて撮ることはほとんどできないのですが、夕方再び葛西臨海公園へ行きました。まぁ、暇なんです。041.gif
ついでに元日の夕景も撮影しました。朝見た富士山はまだ雲に隠れずに姿を見せていました。夕焼けに染まる赤い富士山もまた美しいものです。夕陽が沈み、葛西臨海公園の門も閉められると、あとは満月が出るのを待つばかり。今日の朝は、初日の出を見ようと大変な数の人出だったのに、初月の出、しかも初満月を見ようなんて人は私一人でした。月の出は昨日よりも70分ほど遅い17:10。浦安付近の建物があって、なかなか顔を見せませんでしたが、月の出から約30分ほどで黄色い満月が東北東の空に現れました。三脚を使って撮りましたが、やはり思うような写真を撮ることはできませんでした。せめて露出を落として月だけの写真を撮りました。


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2010年元日は、初日の出で年神さまを拝み、満月で月の女神に遭うことが出来ました。058.gif072.gif

明日から5回目の一眼レフの旅、別府に行ってきます。でも天気が心配です。037.gif

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by ryott-ryott | 2010-01-01 22:57 | 散歩

いい歳、りょうちゃん、酒田に還幸、そして雨降る眺海の森へ行くヽ(^o^)丿

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山形・酒田の旅はまだ続きます。

飛島に行き、一泊しました。初日、島の散策を終えて、旅館で午後6時に食事。普段、大井町湯屋帰りに10~11時に夕食をとっている私としてはかなり早い時間帯です。しかもお酒はビールしかありません。午後7時前に夕食終了し、テレビで天気予報を見て、自分の部屋に戻りました。旅館のおばさんが、「お風呂は空いていれば、いつ入ってもいいよ」というので、風呂場へ行くと誰もいない様子。普通のお宅の風呂で一人しか入れないスペースでした。すぐに風呂に入って、長い長い夜は旅館のテレビを見て過ごしました。なにしろ、島には飲みに行くお店も、当然ながらコンビニエンス・ストアもありません。旅館で過ごすしかないのです。こんなに長い時間テレビを見て過ごしたのは、小学生の時以来でしょうか。日テレ系でロボットコンテストの特番を見て、そのあと午後9時から山形放送で映画「おくりびと」を放送していました。きのう訪れた、あの場所の場面。いまや観光スポットとして賑わっていましたが、映画で見るとひとけのない寂しい場所に見えます。
それと気がついたことは普通のCMが放映されていませんでした。すべてショップ・ジャパンの通販と地元のパチンコ屋や宿泊施設、飲食店の宣伝の放送で、番組と番組の隙間を埋められていました。


翌朝、晴れていれば飛島中学校の前まで行き、昇る朝日を撮影しようと考えていましたが、朝5時から激しい雨。朝日撮影は断念、というよりも船の出発時間13:30までの島の散策も断念。途中何度か、小雨になったのですが、間断なく雨が降り続きました。結局、長い夜に続き、長い朝も過ごさなければならない羽目に。昨晩と同様、テレビ番組の隙間は通販番組の放送があり、ショップ・ジャパンでパワージューサーが売っており、便利そうなので買ってしまいました。飛島まで行って、ジューサーを買うとは考えていませんでした。037.gif

ナイフのセットもついてきました。037.gif
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毛沢東は「魯迅は偉大な文学者、思想家、革命家である」「魯迅の示す方向こそ、新生中華人民共和国の文化の方向である」と、彼を称賛しています。
 
魯迅というのはペンネーム。本名は周樹人。1881年9月25日、中国淅江省紹興で生まれました。紹興酒で知られるところです。
当時中国は、1840年のアヘン戦争以来、帝国主義国家による侵略が続いていました。
彼は祖国解放を胸に秘めて日本に留学し、仙台の医学専門学校(現在の東北大学医学部)に入学しました。
2年生の時、たまたま日露戦争の記録のスライドを見せられて、中国人がロシアのスパイ容疑で日本軍に虐殺される場面に強いショックを受け、中国の民衆を救うためには、医学より言論活動だと決意して、北京へ戻り、文芸活動に入りました。
中国近代文学の先駆をなす処女作「狂人日記」、世界的名作と言われる「阿Q正伝」などは、この時代に発表されたものです。

1926年、北洋軍閥の文化弾圧と激突した学生運動3・18事件に北京を脱出、アモイ大学、中山大学(広州)で教鞭をとりながら、翌年上海に潜入。次第にマルキシズムに傾き、左翼作家連盟の指導者として頭角をあらわしてきました。

そして1936年、抗日戦争突入の前年、民族統一戦争の半ば、惜しくも上海の寓居で亡くなりました。
現代中国では、魯迅について毛沢東や周恩来などの革命指導者の師としての待遇を受け、生地紹興をはじめ、ゆかりの地北京と上海にそれぞれ魯迅博物館が建てられています。
最近は、上海虹口公園にある魯迅の墓は、日本人観光客が参拝する名所の一つになっています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


飛鳥神社。774年に建てられました。
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飛鳥神社の仁王像
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058.gifほぼ一日、散策もせず旅館で過ごしました。お昼ごろに漸く雨も上がり、日も差して、ほっとひと安心。旅館のおばさんに挨拶して、港へ向かいました。はやく本土に帰りたい気持ちでいっぱいでしたが、帰りの船便も結構満席に近い状態でした。あんなに雨が降っていたのに、船の出発時刻には青空が広がっていました。しかし、雨の影響か、海の波が高いということで、帰りの船便では甲板には出ることができませんでした。

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酒田の港が見えた時には「やっと帰ってきた」という嬉しい気持ちになりました。後で聞いたのですが、雨が降って、風があると、船が欠航してしまうことがよくあるのだそうです。とにかく無事に内地酒田へ還幸しました。019.gif

酒田の空はどんより曇っていました。この日、先日湯の浜に案内してくれたタクシーの運転手さんに、眺海(ちょうかい)の森に案内してもらい、そこから最上川の夕景を撮影する予定でした。しかし、この曇り空、しかも今にも泣きだしそうな空模様。とても夕日はもちろんのこと夕焼けすらも駄目だろうという感じでしたが、折角、酒田まで来たのだから、とにかく眺海の森へ行くことにしました。市内は曇り空でしたが、山の方にある眺海の森は雨模様でした。057.gif展望台で日没時間まで待ちましたが、雨は止まず、霧が出て、霞がかかって、思うような写真を撮ることはできませんでした。しかし、途中、總光寺の天然記念物に指定されているきのこ杉や飛鳥神社の仁王像を撮影することが出来ました。

總光寺のきのこ杉。天然記念物です。056.gif
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眺海の森からの眺めです。晴れていたら、比べ物にならないくらい美しいと思います。058.gif
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街の灯がつきはじめました。
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眺海の森展望台から最上川の写真を撮って、日曜日に入れなかったお店「七つ半」に行きました。お勧めの料理を女将さんに聞いて、私がいつものように幾つも注文をすると、「そんなに食べられないから、まずはお刺身とかぶと焼きにしておきましょう。それでお腹に余裕があれば次を頼みましょう。」と言ってくださいました。そして、次に私がてんぷらとイカのみそ焼きを頼んだところ、「てんぷらか、みそ焼きはどちらか一つにしましょう。」と言われました。私はてんぷらを選びました。お刺身もそうだったのですが、てんぷらもかなりの量で、食欲に自信のある私もてんぷらを食べ終わった時点で満腹になりました。しかも、値段は女将さんが計算を間違えているのではないかと思ってしまうほどの安さ。このボリュームでこの安さ、酒田へ移住したいと思いました。041.gif

To be continued

鯛のお刺身011.gif
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鯛の兜焼き011.gif
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鯛の天ぷら011.gif
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地酒「なまいき」044.gif
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山芋の天ぷら011.gif
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by ryott-ryott | 2009-09-30 00:37 | 散歩

いい歳、りょうちゃん、飛島へ配流されるヽ(^o^)丿

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9月21日(月)敬老の日。この日は、ついに山形県庄内港の沖合36 kmのところに浮かぶ「飛島」へ行くことになりました。飛島への船便は、今は一日一往復しか運行されていません。往路は朝9:30に庄内港を出発して飛島に11:00着。復路は13:30に飛島を出発して庄内港に15:00に到着します。だから飛島へ日帰りで行った場合には島内を2時間半しか散策できないことになります。040.gif059.gif

船の窓から見た波しぶき
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定期船「さんらいなぁ」
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飛島港
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私は当初は日帰りのつもりでしたが、酒田観光協会の方がとても2時間で島内を散策するのは忙しく、泊まることをお勧めしますと言われたので、それならば宿泊先を探してくださいとお願いしたところ、すぐに旅館の予約を取ってくれました。連休で空室などないのではないかと思っていましたので、すぐに予約が取れたのは意外でした。ということで飛島へ1泊することになりました。

円福院
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テキ穴。平安時代の人骨が発見され、鶴岡市の博物館に保存されています。
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酒田市立飛島中学校。ここからは朝日が見れるそうでしたが、
翌日は朝から雨で見ることはできませんでした。057.gif
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高森山の灯台
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なぎさの鐘060.gif
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朝9時に酒田の宿を出て庄内港に着くと、飛島へ行く観光客の長蛇の列。こんなにたくさん船に乗ることが出来るのかと思われるくらい混雑していました。切符を買うために並んでいるお客さんの中には、「もう行くの、やめたっ」と言い、帰ってしまう方もいらっしゃいました。スキューバダイビングや釣り、あるいはバードウォッチングに行くお客さんが多いようです。しかし、何とかかんとかで切符を買い求めることが出来て、無事に乗船しました。024.gif

庄内港を出発して、船が湾を出るとスピードが一気に加速。日本海の外海の波と、船のスピードで、船内は立っているのが難しいくらいの揺れで、船酔いするお客さんも多数いました。020.gif

私の方は幸いにして船酔いすることなく、無事に飛島に到着しました。026.gif


鼻戸崎展望台から見た鳥海山
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「少にして学べば、則ち壮にして為す有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず、
則ち死して朽ちず。」(佐藤一斎「言志四録」より)
(少年の時に勉強をすれば、壮年になった時に何事かをなすだろう。壮年の時に勉強をすれば、老年になっても気力が充実して、頭がボケるようなことはない。老いてなお勉強を心がける人は、寿命も長く、社会に役立ち、みんなから尊敬を受けて、その名声は消えることはない)

「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛(つつし)む」
(人間はとかく自分には甘く、人には厳しくあたる人が多いが、本当によい人間関係を作るためには、春風のようななごやかな心で人に接し、秋霜のような厳しさで自分を律することが大事である)

幕末の儒学者 佐藤一斎の語録「言志四録」にある言葉です。佐藤一斎は、安永元年(1772年)に生まれて、幼時より学に志し、はじめの岩村藩の儒臣として勤めていましたが、天保の改革の時に老中水野忠邦によって、幕府の大学校「昌平黌(しょうへいこう)」の教授として登用され、朱子学、陽明学を教えました。門下生は、諸大名をはじめ3000人。佐久間象山、吉田松陰のような学者、勝海舟、坂本竜馬、伊藤博文、西郷隆盛など、明治維新に活躍した逸材を輩出しています。

佐藤一斎は、その言葉の通り、「老いて衰えず」、安政6年(1859年)9月24日、87歳で亡くなりました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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島に着くと、旅館と民宿の女将さんたちが旗を持って待っていました。自動車に荷物を乗せてもらいましたが、宿泊客は港に止めてある観光用自転車に乗って宿まで行くように指示されました。車の後を追って、自転車で宿まで辿り着いたら、もうお昼時。お昼ごはんを宿で用意してあると聞いたので、何を食べさせてもらえるのか、とても楽しみでした。旅館のおばちゃんが「何が食べたいですか?」と尋ねるので、当然、お刺身定食か海鮮どんぶりだろうと考えていましたが、「お勧めは何ですか?」と逆に質問すると、そのおばちゃんは「カレーとラーメン」という信じられない回答が返ってきました。そして、この二品しかメニューはないと聞いて、さらに驚きました。折角、立派なお刺身か海鮮どんぶりが出てきたら、カメラに納めようとデジカメを出して用意していましたが、カメラをカバンに片づけてしまいました。037.gif

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仕方なく普通の特に美味しいわけでもないカレーを食べて、いよいよ島の散策へ。この日は青空が広がるいい天気。旅館の普通のカレーにはガッカリしましたが、展望台から見た鳥海山はとてもきれいな自然のごちそうでした。004.gif

To be continued

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飛島の海から見た夕日も水平線上に雲がかかっており、まん丸の夕日を見ることができませんでした。058.gif
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しかし、この風景を撮影した場所は島の山の上で、水平線上に雲がなかったら、真っ暗の中、
山を降りなければならず、海に転落していたかもしれません。058.gif
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by ryott-ryott | 2009-09-25 01:53 | 散歩