カテゴリ:笠ヶ岳( 1 )

雷鳴とどろく笠ヶ岳を行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 8月25日はアミューズで夜行の雨飾山に行ってきました。その模様は次回に報告します。そして26日(日)は久しぶりに日曜日に大井町湯屋へ行きました。日曜日に湯屋に行くのは、富士山登頂の前の週以来ですから、実に2年ぶりでした。この日、大井町は大井フェスタというお祭りをやっており、「じゃんけんぽん」も開店しているとの連絡がはるさんからあり、大井町湯屋の帰りにじゃんけんぽんに寄りました。068.gif
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 どこかの国の踊りをやっていました。
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 じゃんけんぽんの店頭。
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 招き猫がお出迎え。
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 食前酒のみりん。
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 塩こうじ漬けの鳥焼。
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 馬刺し。
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 ザーサイ。
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 今年、初のサンマ。画面に納まりません。
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 温かいソーメン。
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 さて8月17日~19日は北アルプスの笠ヶ岳へ行ってきました。8月17日はいつもより少し早い6時45分に新宿を出発。ガイドは先週の空木岳に引き続き、峰岸さんでした。そしてサブガイドはあの泉田さん、添乗員は池田さんでした。泉田さんは私を見るなり、「痩せた?」と言い、私が返事をするとニタリと不敵な笑みを浮かべていました。037.gif
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 風穴の里で休憩。
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 果物が水で冷やされて、夏らしい風景です。
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 午前11時50分に新穂高温泉に到着。ここから退屈な林道を歩いて、鏡平山荘へ向かいます。
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 穴毛谷。明治時代、ウエストンはここから笠ヶ岳に登ったそうです。
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 風穴。ここから涼しい風が吹き出していました。
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 わさび平小屋で休憩。サブガイドの泉田さんは私を見て、「汗をかきすぎだ。」と言い、泉田さん自身が自分自身を指差して「汗をかいていないでしょ。」と言ってました。私が泉田さんに「どうすればいいのですか?」と尋ねると、何も言わずにニタリと笑っていました。たぶんもっと痩せろと言いたかったのでしょう。037.gif
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 林道を歩くこと約2時間、いよいよ山道に入って行きます。しかし雨が降り出し、雨具を着ての山歩きとなりました。とても蒸し暑く、汗でびっしょりになり、雨具を着ても着なくても全身ずぶ濡れになってしまいました。
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 途中、年配の女性が暑さのためか具合が悪くなり、泉田さんに付き添われて下山して行きました。
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 17時50分、ようやく鏡池に着きました。晴れていれば槍ケ岳が逆さに池に写っているそうです。今日は曇りで、木しか映っていません。
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 鏡平山荘で夕飯を食べ、明日に備えました。この時、山荘で日本酒を買い、ガイドの峰岸さんと一杯飲みながら、先週の続きの話をしていました。先週の話の続きとは、小川山に参加された年配の女性が五竜岳で亡くなったという話です。小川山で私が随分と遅れてしまったために、私が峰岸さんのすぐ後ろを歩き、その私の後ろで歩いていた年配の女性が亡くなりました。私は、その方が後ろで尻もちをついていたので起こしてあげたのを覚えています。その方は五竜岳には個人で行ったわけはなく、ツアーに参加し、その行程中に滑落したそうです。ツアーに参加しているからといって、必ずしも安全だとは限らず、やはり最後は自分の身は自分で守らなければならないということだと思います。
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 翌朝、午前4時30分に朝食を済ませて、午前5時に鏡平小屋を出発しました。今日は笠ヶ岳の頂上を目指します。鏡平山荘前から見た槍ケ岳。
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 弓折岳へ向かう山腹から見た鏡平山荘と鏡池。
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 穂高連峰。
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 奥が乗鞍岳、手前が焼岳。
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 弓折岳のほうへ向かうアルプスエンタープライズの一行とその左には水晶岳。
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 私たちはまずは抜戸岳を目指します。
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 チングルマの実。
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 ハクサンイチゲ。
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 チングルマの花。
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 リンドウ。
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 槍ケ岳がだんだんと雲に覆われてきました。
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 この上が抜戸岳になります。この地方では山が崩れることを「山が抜ける」と言い、抜けた山に戸が立てかけられていることから、「抜戸岳」と名前が付けられました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 昭和24年(1949年)8月17日午前3時9分、青森発奥羽線回り上野行きの旅客列車が、東北本線金谷川・松川駅間のカーブで機関車が脱線転覆しました。

 12両編成の普通列車で、乗客は約600人。全員無事でしたが、機関士と機関助手3人は即死です。

 現場検証の結果、レールの継ぎ目板がはずされ、枕木の犬クギが抜かれているのが判明しました。近くの水田からバール、スパナが発見されました。だれかが仕掛けた列車妨害事件です。

 警察は9月になって、国鉄労組、事故現場に近い東芝松川工場労組の有力者20人を、共同謀議を含めた容疑者として逮捕しました。

 昭和25年(1950年)12月の第1審は死刑5人を含めて全員有罪、28年(1953年)12月の仙台高裁の第2審は、死刑4人を含めて17人有罪、3人無罪。34年(1959年)8月の最高裁では原審破棄差し戻しとなり、36年(1961年)8月、仙台の差し戻し審で全員無罪、上告によって38年(1963年)9月、最高裁で全員無罪が確定しました。

 その間14年、「松川事件」はその判決の是非、真犯人をめぐって大きな反響を巻き起こしました。

 作家広津和郎が、この被告たちの文集『真実は壁を通して』を読み、公判を傍聴して彼らの無実を信じ「中央公論」誌上に『真実を訴える』『松川裁判批判』を連載、一部の人たちから“文士裁判”の非難を浴びたのもその反響の1つでしょう。

 “被告たちの目が済んでいる”という作家的直観と、予断と憶測を避けて、法廷記録を緻密かつ実証的に検討して論述する彼の文章は説得力を持ち、被告の全員無罪判決をもたらす大きな力になったことは間違いありません。

 昭和43年(1967年)9月21日、伊豆熱海の国立病院で腎不全で急逝しました。77歳でした。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 この急登を登り、抜戸岳から笠ヶ岳を目指します。
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 朝はとてもいい天気だったのですが、稜線の上下から霧が湧いてきました。
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 折角、見え始めた笠ヶ岳がかすんでいます。
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 そして、ついに雨が降り出しました。しかも雷鳴がとどろく中の稜線歩きでした。
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 雷雲がまじかであるため、しばらく稜線から下がって避難しました。一か所に集まって、うずくまり、ビニルシートをかぶり、雷雲が遠ざかるのを待ちました。
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 雷雲が立ち去り、急いで笠ヶ岳山荘を目指します。笠ヶ岳山荘に着いたのは13時ちょうどでした。前日、具合が悪くなった客に付き添って下山した泉田さんが笠ヶ岳山荘に私たちよりも先に到着していました。この日の朝、客を新穂高の駅まで送り届けてから、笠新道をあがってきたそうです。このおっさんは只者ではありません。
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 私たちが笠ヶ岳山荘に着いた時もまだ雨が降っていたため、天候の様子を見てから山頂へ行くことにしました。15時にようやく雨があがり、晴れ間が見えてきたので、山頂に向かいました。
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 山頂で記念撮影。いい歳、りょうちゃん、日本百名山41座目になりました。
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 山頂からの風景をしばし楽しみました。058.gif
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 槍ケ岳方面に巨大な積乱雲が見えました。そして、槍ヶ岳の山頂付近にヘリコプターが旋回しており、あとで槍ケ岳で落雷のため人が亡くなったということを聞きました。その晩、よしこさんからメールがあり、特配チームは無事に登迢できたということを知らせていただきました。038.gif
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 笠ヶ岳山荘に戻ってから、夕飯前に笠ヶ岳登頂を祝ってビールで乾杯しました。この時、泉田さんとはじめてお話ししました。改めて、泉田さんに「どうすれば汗をかきすぎないのか?」と言うことを聞くと、単刀直入に「痩せればいい。」とおっしゃっていました。そして10 kg痩せて、体重が80 kg前後になったらアミューズの剱岳に参加できると失礼なことを言っていました。アミューズの剱岳に参加するには、道のりは遥かに遠い気がしました。
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 また泉田さんは「人間は簡単に死ぬ。」と言っていました。太っていれば、それだけで心臓に負担がかかり、支障のリスクが高くなるというのです。先月のアミューズの剱岳では、前剱で個人で来ている登山者が心筋梗塞で亡くなった場面に遭遇したそうです。心臓マッサージを施したそうですが、心肺停止になり、そのまま帰らぬ人になったと話していました。太っていると、それだけであらゆる故障の原因になるということを、こんこんと聞かせていただきました。そして、普通のツアーでは1時間当たり標高差250 m~300 mを登るのが限度とのことですが、体重を落とせば、当然ながら山登りも楽になり、1時間当たり標高差700 m登ることも夢ではないそうです。
 また、自分で近場の山に行ってトレーニングしない限り、現在のレベルからなかなか向上できないとも言っていました。アミューズトラベルのツアーに参加している限りでは、おばさんの登山レベルまでであり、それ以上は向上することはないとのことです。少しでも山登りのレベルを向上させたいならば、ひとりでの山登りを取り入れて自分に負荷をかけるトレーニングすることが必要であるとおっしゃっていました。
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 夕飯を食べた後、夕日を見に行きました。058.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(中島みゆき/荒野より)

荒野より(作詞:中島みゆき、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

夜が
望みは何かと訊かれたら君がこの星に居てくれることだ
力は何かと訊かれたら君を想えば立ち直れることだ

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

朝陽の昇らぬ日は来ても君の声を疑う日はないだろう
誓いは嵐にちぎれても君の声を忘れる日はないだろう

僕は歌っているだろう君と歌っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は生きているだろう君と生きているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない
荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない


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 最終日19日、今日は笠ヶ岳を下山します。午前5時に笠ヶ岳山荘を出発しました。最初は霧がかかり、何も見えませんでしたが、午前6時には霧が晴れ、日差しが差してきました。ダイヤモンド槍穂高連峰。
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 振り返ると笠ヶ岳が下山する私たちを見送っていました。
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 焼岳。
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 今日はひたすらに下ります。杓子平から見上げた稜線。
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 杓子平。
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 ここから笠新道に入ります。
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 笠新道は急こう配に加え、大きな石がごろごろしており、下りが得意のりょうちゃんでもとても気を使いました。そして、私の前で歩いているのはあの泉田さんで、すこしでも変な歩き方をすると「ホラッー」という「喝」が飛んできます。いつも少しでも前に行きたがるおばさんたちは決して泉田さんの後ろを歩きたがりませんでした。
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 笠新道の中腹から見た風景。
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 笠新道はまだまだ続きます。最後までまったく気が抜けません。
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 笠新道を下り始めてから約3時間、午前11時30分、ようやく林道に到着。
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 笠新道の入り口で記念撮影。
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 林道を新穂高温泉に向かって約1時間歩いて、戻ってきました。12時30分。
入浴を済ませ、食堂で苞葉焼き弁当を食べて、新宿に戻ってきました。
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 ブログの更新が遅れ気味なので、雨飾山の報告をするときにはたぶん今年の最大の目標である剱岳登頂は済んでいると思います。次週の8月30日~9月2日まで、北アルプスの剱岳~立山縦走に行ってきます。今回の剱岳はアミューズトラベルではなく、個人ガイドを頼みました。私を剱に連れて行ってくれるガイドさんは歩みの会の西村さんに紹介してもらったトミー富澤さんです。歩みの会の皆さん、それでは剱岳に行ってきます。038.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
 次回は雨飾山の報告をします。060.gif

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by ryott-ryott | 2012-08-27 00:55 | 笠ヶ岳