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ボジョレ―おしきせの会&「法然と親鸞」特別展ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 今週末の土曜日も雨、しかも大量に降る豪雨でした。11月19日(土)は大井町の名店「じゃんけんぽん」で解禁になったボジョレーヌーボの試飲会がありました。大井町湯屋からはプールの佐藤さん、大井町の母のよしこさんが参加、プールの佐藤さんは大井町湯屋No.1、よしこさんはNo.2のポジションであり、AKB48で言えば前田、大島にあたる方です。かなり年齢と容貌には大きな隔たりがありますが。また浦安湯屋からは最近転ばなくなったような気がするすみ姉ちゃん、はせやん、タッキーおじさんが来てくれました。038.gif
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 普段、じゃんけんぽんは土日は営業しておらず、平日しか店を開いていませんが、試飲会は大体土曜日に3時間の時間限定で行われます。プールの佐藤さんは私たちがおばあちゃんと親しみを込めて呼んでいる大先輩です。おばあちゃんは本当はボジョレ―はあまり好きではないとおっしゃっていましたが、孫のいい歳、りょうちゃんに会うために試飲会に来たとおっしゃってくれました。そして、おばあちゃんのファースト・ネームは「ますみ」さんなので、すみ姉ちゃんと「すみちゃん、ますみちゃん」と呼びあって意気投合していました。
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 今日、来ることができなかったかずさんから、何が美味しいかチェックしておいてと言われていましたが、飲み過ぎて忘れてしまいました。069.gif037.gif
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 サロマ湖産の牡蠣。
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 塩麹の鳥鍋。最近、じゃんけんぽんへ行くと塩麹を使った料理が必ず出てきます。以前にも説明しましたが、麹液に肉類を漬けておくことにより肉のタンパク質が分解しアミノ酸になるため、旨みが増すそうです。
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 阪急百貨店の佐藤さんが合流しました。佐藤さんは阪急の酒屋さんに勤務しており、いい歳、りょうちゃんが特配に持っていく日本酒はすべて佐藤さんが選んでくれています。タッキーおじさんに佐藤さんとの写真を撮ってもらいましたが、何度撮ってもいい歳りょうちゃんのほうがからだが大きく見えます。実は佐藤さんはいい歳、りょうちゃんの10 m後ろに立っています。037.gif
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 ここで一人一枚顔写真。(掲載についてはすべて本人の了解を得ています。茅ヶ岳・金ヶ岳特配のバスの中で第3者がつベこべ言わないでくださいね!)。037.gif
大井町湯屋No.2、大井町の母、よしこさん。
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大井町湯屋No.1のますみおばあちゃん。
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 大井町の名店「じゃんけんぽん」の女主人、はるさん。
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 阪急の佐藤さん。佐藤さんは浦安在住で前回の霧ヶ峰・美ヶ原特配に来る予定でしたが、体調を崩して来ることができませんでした。折角、山行きの装備を一式揃えたのでまずは初級の山登りに行きたいとおっしゃっていました。倉持さん、はじめて山登りをする初心者向けにお勧めの山行きを教えてあげてください。
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 タッキーおじさん、今日は職場からずぶ濡れになりながら来てくれました。038.gif
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 はせやん、来週アミューズの「雪の山歩き教室」講習会に参加し、いい歳、りょうちゃんと一緒に雪山に行くことを約束しました。038.gif
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 すみ姉ちゃんは「じゃんけんぽん」に来ることができてとても満足していました。
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 じゃんけんぽんのご主人トントンさんの妹のみきちゃんと整体師の若先生。若先生は誰も笑わないダジャレばかり言っています。離婚の原因はそこにあったかもしれません。037.gif
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 いつもながらに、みんなで記念撮影。またの再会を約束して、ボジョレーヌーボおしきせの会はお開きとなりました。038.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう



(岩崎宏美/思秋期)

(第89回安曇野歌声喫茶/思秋期)

思秋期(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、歌:岩崎宏美)

足音もなく 行き過ぎた
季節をひとり 見送って
はらはら涙あふれる 私十八
無口だけれど あたたかい
心を持った あのひとの
別れの言葉抱きしめ やがて十九に
心ゆれる秋になって 涙もろい私
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ふとしたことで はじめての
くちづけをした あのひとは
ごめんといった それきり
声もかけない
卒業式の まえの日に
心を告げに 来たひとは
私に悩む顔見て 肩をすぼめた
誰も彼も 通り過ぎて
二度とここへ 来ない
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ひとりで紅茶 のみながら
絵葉書なんか 書いている
お元気ですか みなさん
いつか逢いましょう

無-邪-気な 春の語らいや
はなやぐ 夏のいたずらや
笑いころげたあれこれ 思う秋の日

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親鸞は、京都で「お東さん」「お西さん」と呼ばれる、浄土真宗の総本山、東西両本願寺教団の開祖です。苦悩と波乱に富んだ革新的宗教家の事績と、主著「強行信証」、その語録「歎異抄」に魅かされるのか、親鸞に関する本は現在もあとをたちません。
 親鸞は、覚如の書いた「親鸞上人伝絵」によりますと、父は藤原一門、皇太后宮職をつとめた日野有範で、本来ならば、宮廷に使える殿上人(てんじょうびと)の生涯を送る人であったと言われます。

 8歳のとき父の勧めで出家し、比叡山延暦寺で修行に励みましたが飽き足らず、山を下りて、「専修念仏」を唱える、法然の門に入りました。当時、僧侶の妻帯は許されていませんでしたが、性に悩む若き親鸞は公然と結婚し、「破壊僧」と指さされながらも、長子善鸞をもうけました。
 やがて「専修念仏」への弾圧がはじまり、師の法然とともに流罪となり、親鸞は越後に流されます。ここで親鸞は、越後介三善為則の娘恵信と結ばれ、のちに男女6人の子どもをつくりました。恵信尼は、かなり教養のあった女性で、親鸞宛の数々の手紙が残されていますが、立派なので感心します。

 建暦元年(1211年)流罪を許され、親鸞は京都へ帰らず、親子ともども、新しい布教の地として常陸を選びました。約20年、彼は数多くの門徒、弟子を捨て、再び京都に戻りました。不服な門徒たちの要請に応え、長男善鸞を派遣しますが、この善鸞が父に背いてしまいます。京都はまだ弾圧の余波が残り、親鸞の悩みは尽きません。しかし親鸞にも終焉の時がやってきました。弘長2年(1262年)11月28日、愛の炎をくぐり抜け、煩悩と苦渋に満ちた90年の生涯を閉じました。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(坂本スミ子/夜が明けて)

夜が明けて(作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、歌:坂本スミ子)

夜が明けて 手さぐりをしてみた
ぬけがらのとなりには 誰もいない
目をあけて 部屋のなか見てみた
陽がもれる窓のそば 誰もいない
夢を追いかけて
ひとりふかす たばこのけむり
白い 白い
夜が明けて 夢をみたまくらに
あの人のかみの毛が ひとつのこる
テーブルの 灰皿の中には
あのひとのすいがらが ひとつのこる
あせたくちびるを
かんでひいた ルージュの赤が
つらい つらい

われた手鏡に
語りかける おんなの朝は
ひとり ひとり

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今年も残すところ40日ほどになりました。来年2012年は浄土宗の開祖、法然の800回忌とその弟子で浄土真宗の開祖、親鸞の750回忌にあたり、上野の東京国立博物館で「法然と親鸞 ゆかりの名宝」特別展が12月4日まで開催されており、見てきました。
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 法然は1133年、美作の国(現在の岡山県)稲岡荘の押領使(おうりょうし)の子として生まれました。13歳で比叡山にのぼり天台を学び、叡空について念仏の門に入り、法然房源空と名乗ります。法然は「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、誰でも極楽浄土へ往生出来るとの悟りに達します。43歳の時に比叡山を降り、念仏だけにすがる専修(せんじゅ)念仏の救いを説きますが、当時の仏教界は仏像や寺院をつくり難解な教義や厳しい戒律を強要しており、念仏さえ唱えれば経済的負担も学問も戒律も必要としないとする法然の教えに激しい迫害をはじめます。さらに法然の門弟の一人、柱連が安楽寺で行った六時礼賛で、御所の女房が出家してしまったことで後鳥羽上皇の逆鱗に触れてしまいます。朝廷は法然、その弟子の親鸞が説く専修念仏禁止令を裁定し、法然は讃岐に、親鸞は越後に流罪になりました。この時、法然は75歳、親鸞35歳でした。この流罪により、法然と親鸞は二度と会うことはありませんでした。その後、流罪が赦免され、法然はようやく京都への入京を許されますが、翌年1212年1月25日、80歳で亡くなりました。
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 一方の親鸞ですが、1173年日野有範(ありのり)の子として京都に生まれます。9歳で出家し、比叡山へのぼり、29歳で法然の門弟となりました。法然が讃岐に流された時、親鸞は越後に流されて、赦免後も越後にとどまりあす。その後は常陸の国(現在の茨城県)へ移り住み、関東の農民に教えを広めます。63歳で京都へ帰り、90歳で亡くなりました。親鸞は念仏を唱えた瞬間に極楽往生が約束されると説きました。そして罪深い悪人こそが阿弥陀仏が救済しようとしている対象であるとの「悪人正機説」をたてます。親鸞もまた立派な仏像や寺院、戒律などの形式は何の意味もないと考え、当時、妻がいたことを隠す僧侶もいましたが、親鸞は自分が結婚していることを隠さず、肉も食べ、農民の中に進んで入って行きました。親鸞の教えは多くの農民の信者の心をつかみます。

   明日ありと思ふ心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは   親鸞

 この歌にあるように、明日桜を見ることを楽しみにしていても、嵐が来れば桜は一晩で散ってしまう。人生においてもやるべきことを明日に延ばしたり明日があるなどと思ってはいけない。日々を誠実に生き、今日の命を大切にするという教えです。
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23日は深田久弥終焉の地、茅ヶ岳・金ヶ岳へ行ってきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2011-11-20 23:42 | museum

国宝源氏物語絵巻、時空を超えてヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 南国の旅・最終話へ行く前に、11月28日(日)に五島美術館へ行きました。五島美術館は11月28日を最後に翌日から改修工事に入り、リニューアルオープンは再来年の2012年秋を予定しており、約2年間しばしのお別れになります。リニューアル前の展示は「国宝 源氏物語絵巻」でした。018.gif
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 リニューアル前の最後、しかも日曜日とあって、大変な人出でした。展示室へ入るまで60分待ちの長蛇の列。記念絵葉書も飛ぶように売れていました。

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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親鸞は、京都で「お東さん」「お西さん」と呼ばれる、浄土真宗の総本山、東西両本願寺教団の開祖です。苦悩と波乱に富んだ革新的宗教家の事績と、主著「強行信証」、その語録「歎異抄」に魅かされるのか、親鸞に関する本は現在もあとをたちません。
 親鸞は、覚如の書いた「親鸞上人伝絵」によりますと、父は藤原一門、皇太后宮職をつとめた日野有範で、本来ならば、宮廷に使える殿上人(てんじょうびと)の生涯を送る人であったと言われます。
 8歳のとき父の勧めで出家し、比叡山延暦寺で修行に励みましたが飽き足らず、山を下りて、「専修念仏」を唱える、法然の門に入りました。
 当時、僧侶の妻帯は許されていませんでしたが、性に悩む若き親鸞は公然と結婚し、「破壊僧」と指さされながらも、長子善鸞をもうけました。
 やがて「専修念仏」への弾圧がはじまり、師の法然とともに流罪となり、親鸞は越後に流されます。ここで親鸞は、越後介三善為則の娘恵信と結ばれ、のちに男女6人の子どもをつくりました。恵信尼は、かなり教養のあった女性で、親鸞宛の数々の手紙が残されていますが、立派なので感心します。
 建暦元年(1211年)流罪を許され、親鸞は京都へ帰らず、親子ともども、新しい布教の地として常陸を選びました。約20年、彼は数多くの門徒、弟子を捨て、再び京都に戻りました。不服な門徒たちの要請に応え、長男善鸞を派遣しますが、この善鸞が父に背いてしまいます。
京都はまだ弾圧の余波が残り、親鸞の悩みは尽きません。しかし親鸞にも終焉の時がやってきました。弘長2年(1262年)11月28日、愛の炎をくぐり抜け、煩悩と苦渋に満ちた80年の生涯を閉じました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 さらに今週の土曜日はとても天気がよかったので、大井町湯屋での大暴れアクアをやめて、六本木ヒルズの展望台、スカイデッキへ、夕景を撮りに行きました。
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 すぐに展望台へ上がれると思ったら、五島美術館同様、長蛇の列。早く上がらないと肝心の太陽が沈んでしまいます。展望台+森美術館+スカイプラネタリュームのセットで1800円の料金を支払い、52階までエレベーターで移動。スカイデッキへすぐに入れると思ったら、さらに300円必要とのこと、すべてで2100円支払い、しかもカメラと携帯電話以外はコインロッカーへ入れて、カバンなどの持ち物を展望台へ持っていくことができません。こんなことだったら、お金を取られない『葛西臨海公園』へ行くべきだったと後悔しました。
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 何とか日没前にスカイデッキへ上がることが出来ました。東側に東京タワー、北東側には建設中の東京スカイツリー、スカイツリーと東京タワーを同時に見ることができました。024.gif
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 西側には富士山と丹沢山系、富士山の南側に日が沈んで行きました。
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 折角なので、森美術館とスカイプラネタリュームにも行きました。森美術館の展示は小谷元彦展 幽体の知覚をやっており、怪奇系の展示だと思いました。
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そして長蛇の列のほとんどのお客さんはスカイプラネタリューム目当てです。私たちが普段見ている星座を構成している星は太陽と同じ恒星であり、一定の方向へ動いているため、100万年後、200万年後と時間の経過とともに星座の形が変化してしまうということや、オリオン座を構成している7つの星の配置を2次元的に見ていますが、横から見ると奥行きがあり、3次元的に離れていることなど、とても勉強になりました。おそらく紫式部も同じ星を見ていたにちがいありません。

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by ryott-ryott | 2010-12-05 22:30 | museum

いい歳、りょうちゃん、東大寺大仏 天平の至宝展へ行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 たまたまテレビ神奈川をかけていたら、「好きです♡川崎」というCDの宣伝をしており、その中に「ちょっきんず」なるグループの唄が収録されているとのこと。「ちょっきんず」とは先週の日本酒試飲会に来ていたグループでした。「ちょっきんず」で検索すると、アメーバに「ちょっきんずオフィシャルブログ」があり、10月24日の記事に試飲会のことが書かれてありました。オフィシャルブログと言うことは、「ちょっきんず」も芸人ということなんでしょうか。西山さんや即身仏の話をしてくれた鯉川酒造の社長が「ちょっきんず」と一緒に記念撮影した写真が掲載されていました。037.gif037.gif037.gif
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 そして試飲会で食べたホタルイカ姿干しが宅急便でやって来ました。鯉川酒造の社長に教えてもらった「イグゼあまるめ」に問い合わせをして、取り寄せました。日本酒試飲会の会場に置いてあった酒の肴の中で一番おいしいと思いました。038.gif038.gif038.gif
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 057.gif057.gif057.gif土曜日はちょっと用事があり、台風接近の雨の中、大江戸線に乗りましたが、いつも通勤で人が溢れているホームはガランとしていました。057.gif057.gif057.gif

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 天文学に関心のある人なら、76年周期で回帰している“ハレー彗星”のことをご存知でしょう。
 その発見者エドモンド・ハレーは、1656年10月29日、ロンドンに生まれました。彼は、幼くして天文に興味を持ち、20歳のとき早くもセントヘレナ島に遠征し、南半球の恒星観測で大きな業績を挙げました。生まれながらの天文学者であったようです。
 1684年、28歳の夏、ケンブリッジ大学にいた物理学者「万有引力の法則」を発見したニュートンと知り合いました。『プリンキピア』(自然哲学の数理的原理)を刊行させたのも彼の助言です。この本は、力学の集大成として物理学史上第一級の古典といわれた名著です。
 彼はこの法則を利用し、宇宙における彗星もまた惑星と同じく、太陽の引力によって放物線を描き、楕円軌道をたどるのではなか、という仮説を立て、古い文献を調べるとともに,1607年にケプラーの観測した彗星、そして1682年にハレー自身が観測した彗星が同一であることを確かめました。
 この彗星の記録で一番古いのは、紀元前5世紀、周の時代のもので、それ以後、ほぼ76年おきに33回出現しています。
 ハレーは、1742年に亡くなりましたが、次の彗星が地球に接近するのは、1758年ごろと予測しました。果たせるかな同年クリスマスの晩に出現し、ドイツの天文学者バリッチによって観測され、彼の仮説の正しさを立証するとともに、この彗星を”ハレー彗星”と名付けました。
 ハレー彗星の正確な周期は76.02年です。一番新しい接近は、1986年(昭和61年)の春でした。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)072.gif

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 台風による大雨が心配されましたが、土曜日の夜には小康状態になりました。台風一過の日曜はいい天気になることを期待していましたが、空全面が鈍色のどんよりとした曇り空、そして夕方には鈍色の空がまた泣き出しました。057.gif057.gif
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 最近、日曜日は大井町湯屋をサボるのが定着してしまい、今週は東京国立博物館で開催されている特別展「東大寺大仏 天平の至宝」を見に行きました。平城遷都1300年記念の波及効果もあってか、特別展は多くの人で賑わっていました。台風のときの大江戸線とは大変なちがいです。037.gif037.gif037.gif
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 なかでも「誕生釈迦仏立像および灌仏盤」のまわりには多くの人が集まっていました。お釈迦様は生まれるとすぐに7歩あるいて、天と地を指して「天上天下(てんじょうてんげ)唯我独尊」と告げたという話は有名です。このお釈迦様と月光菩薩のレプリカがショップで売られていましたが、この特別展の入場券を持っていない人は買うことが出来ないプレミア商品であり、私もお釈迦さまを一つ買ってしまいました。041.gif

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by ryott-ryott | 2010-11-01 00:00 | museum

PONPEI展&岡本太郎美術館ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 横浜美術館で開かれているポンペイ展に行ってきました。ポンペイは西暦79年8月にベスヴィオ火山の噴火によって、一瞬して火山灰に埋まってしまった町です。しかし、そのことによって当時の生活がそのまま保存されたと言われています。
 ポンペイ展は6月13日(日)までの開催、ずっと行きたいと思っていましたが、ついに行くことが出来ました。当時の住民が使っていた物、建物、庭園、大理石の浴槽、フレスコ画から伺える当時の食事などを見て、現代よりもずっと豊かな生活であったと感じました。004.gif

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 ポンペイ展を見た後は、ついでに登戸まで出向き、岡本太郎美術館へ行きました。母の塔が印象的でした。近くの日本民家園にはハチがいるようです。


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母の塔
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(一青窈/ハナミズキ)

嘉永6年(1853年)6月3日、アメリカ海軍提督ペリーの率いる東インド艦隊(蒸気船2隻と帆船2隻)は突然伊豆半島に姿を現し、午後3時には浦賀に停泊しました。
 黒塗りでいかめしい威容を誇る軍艦からは、もくもくと黒い煙を吐き、見ればたくさんの大砲を積んであります。
沿岸の人々の驚きは大変でした。戦争になると考え、女子どもを避難させ、敵の上陸に備えて、街道に柵を作り、兵糧を集める騒ぎです。
浦賀奉行戸田氏栄は、早馬で江戸幕府に急を知らせました。鎖国を楯に泰平安逸をむさぼっていた幕府にとっても大混乱です。
ペリーは日本に開国通商を求め、アメリカ大統領の親書を携えてやってきたのです。交渉次第では武力行使もやむなしと強硬姿勢を示します。
幕府もてんやわんやの騒ぎの結果、浦賀奉行の戸田氏栄が久里浜でペリーと会見して親書を受け取り、来年の回答を返事しました。

泰平のねむりをさます上喜撰 たった四はいで夜も眠れず

上喜撰は上等なお茶、四はいは四隻の黒船を指しています。
親書を渡したペリーは江戸湾に黒船を進めてデモストレーションをし、沿岸の人々を驚かせて引き揚げました。

翌年安永元年(1854年)正月、再びペリーが約束通りに日本に現れ、その時初めて日米和親条約を結ぶことに成功しました。この日、明治維新への動乱の始まりになりました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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(映画「座頭市The Last」/予告編)

 市(香取慎吾)は妻タネ(石原さとみ)と最後の約束をしていた。それはこの闘いを終えたら、刀を置くということだった。追手との死闘が終わったかに思えた、その瞬間、最愛の妻タネは追手の天道一家の跡取・虎治の刃の犠牲になってしまう。
失意に暮れる市であったが、タネとの約束を守るために故郷に帰り、そこで百姓として静かに暮らすため、刀を置くのであった。しかし、故郷の村では極悪非道な天道一家が悪の限りを尽くしていた。百姓になることを決意した市に、村人たちが助けを求めるが、ただ耐えるしかなかった。
 ところが天道一家の横暴はおさまることはない。旧友の柳司(反町隆史)に頭を下げられ、市は再び刀を手にし、賭場に殴り込みをかける。逆上した天道一家は百姓の家を襲撃し、殺戮、放火を繰り返す。
 ついに天道一家悪事に耐えかねた村人たちは嘆願書を作成。役人に届けるために、嘆願書を市に託した。教えられた路を急ぐ市、それを追う天道一家。市と天道一家との壮絶な死闘が始まった。果たして、その結末は・・・・・・。


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今回の座頭市を演じるのはSMAPの香取慎吾。かつては勝新太郎、ビートたけしが演じてきた役。私は市の演技よりも、柳司の母親ミツ(倍賞千恵子)がこれから闘いに行こうとする市に「弱いから辛抱してんじゃねぇぞ」「強いものはいつも命を粗末にする。命を粗末にすんじゃねぇぞ。」と涙ながらに送り出す場面が、一番光っていると思いました。004.gif

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに


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by ryott-ryott | 2010-06-10 00:55 | museum

いい歳、りょうちゃん、土門拳記念館を行く~さらば、酒田~ヽ(^o^)丿

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じゃんけんぽんへ行ったら、エルビーさんが持ってきてくれたというハゼを唐揚げにして出して戴きました。011.gif
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今日10月3日は仲秋の名月、十五夜の月でした。日曜日は満月です。072.gif

いつものように大井町湯屋へ行き、新しいインストラクターのエアロ、中国整体、大暴れアクアビクスをやりました。中国整体が終わった後に、お昼御飯を「木洩れ日」さんに食べに行くところ、ポリスマンさんにバッタリ。ポリスマンさんたちも「木洩れ日」さんでご飯を食べてきたところだったそうです。041.gif


(Fit’s CM)
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「晩鐘」「種まく人」「落穂拾い」「羊飼いの少女」・・・・田園の叙情と祈りをテーマにした、ミレーの絵は、日本では明治以来親しまれてきました。
明治の文豪、高山樗牛(たかやまちょぎゅう)は「晩鐘」を見て、こんな一文を書いています。

「一日の業を終わりたる若き農夫その妻と、今方(まさ)に家路につかんとする時、エンジェラスの祈禱を告ぐる夕べの鐘の音響きわたりぬ。二人は頭(こうべ)を垂れて無言の祈りを捧げぬ。地には平和あり、天には光あり、人には愛情あり。而して天国の響きに応ふるこの祈りだにあらば、吾等この世に於いて何の求むる所ぞや・・・・・」(明治35年「文芸界」)

素朴な農民たちの姿を描く彼の絵は、今日になっても日本人の共感を誘わずにはおきません。
ミレーは1814年10月4日、北仏ノルマンディー地方の小村グリュシュイの農家で生まれました。
23歳でパリに出て、最初肖像画家を志しましたが、35歳のとき、パリから60 kmあまり南下したバルビゾンに移り、働く農民の姿を描く農民画家として、そこで60年の生涯を終えました。
わが国では、1977年、山梨県立美術館が1億700万円でミレーの名作「種まく人」を購入して当時話題になりました。

この絵は、最初の持ち主はパリ内務省の役人アルフレッド・サンシュ。1837年にニューヨークに渡り、鉄道王2代目W・H・バンダービルトが2番目の所有者。次にフィラデルフィアのプロビデント・ナショナル銀行が3番目、1977年競売に出され、東京の画商が落札して、山梨の県立美術館に収めたものです。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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土門拳記念館
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山形・酒田の旅、最終日。

9月23日秋分の日、この日も朝から激しい雨でした。夕方の帰りの飛行機の時間まで酒田の街をブラブラしようかと思っていましたが、結構な雨量のため、それもままならず。057.gif

最上川を渡って、飯森山公園にある土門拳記念館に行きました。土門拳は既に故人ですが、酒田出身の世界的な写真家であり、土門拳記念館は日本で最初の写真美術館です。土門拳の全作品が収蔵・展示されています。


ごみ捨て場のバー、大森駅付近、東京 林忠彦、1950年
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倒壊したビルを家に、江戸川橋、東京 林忠彦、1947年
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終戦の日の太陽、高田、新潟 濱谷浩 1945年
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焼け跡の母子、高田馬場、東京 林忠彦 1947年
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広島平和記念公園、広島 土門拳 1957年
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配給を受ける長い列、銀座 東京 林忠彦 1946年
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SKDの踊り子、浅草国際劇場屋上 東京 田沼武能 1949年
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本郷森川町 東京 木村伊兵衛 1953年
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銀座の若者 東京 田沼武能 1960年
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海抜ゼロメートル地帯の洪水、大島 東京 長野重一 1959年
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土門拳記念館を見た後は、明治26年(1893年)に建てられた米の保管倉庫である山居(さんきょ)倉庫へ行きました。11棟のうちの1棟は現在も農業倉庫として使用されています。私が訪れた時にはジュサブロ―の人形展が開かれていました。

山居倉庫
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山居倉庫とケヤキ並木
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昔は米俵5つ 300 kgの米を背負っていました
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最後は明和5年(1768年)に建造された本間家旧本邸と酒田を代表する廻船問屋の旧鐙屋(あぶみや)を見学しました。004.gif

本間家旧本邸の入り口
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廻船問屋は現在の商社。昔は来客をこのようなご馳走でもてなしたそうです。011.gif
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昔のかき氷機。鰹節削り機かと思いました。037.gif
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鐙屋の繁栄ぶりは井原西鶴の「日本永代蔵」で紹介されています。004.gif
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浄福寺・唐門
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シルバーウィーク後半はお天気に恵まれませんでしたが、日本の文化文芸に接した酒田の旅を楽しみました。夕方、庄内空港へ向かい、酒田の街に別れを告げました。004.gif
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by ryott-ryott | 2009-10-04 01:28 | museum

上野の森~黄金の都 シカン展

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夏休み2日目。今日はボサボサになった髪を切りに床屋さんに行きました。最近は髪も薄くなってきているので、伸ばしてもいいと思ったんですが、やはりうっとうしく感じたので床屋さんに行きました。この床屋さんは佳子さんのお友達のチャコちゃんが経営しているお店で、以前、私に白髪は抜くことも、染めることもよくないことを教えてくれました。004.gif
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白髪が生えている毛根からはもう白髪しか生えてこないんだそうです。そして、白髪を抜いていると、白髪が生えている毛根は弱いので、だんだんとその毛根からは髪が生えてこなくなると教えてくれました。また、染めることも髪を傷めるのでお勧めできないとのこと。人間の髪の毛は自然に任せて、黒か白か肌色に留めておくことが最も良いそうです。037.gif
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そして床屋さんから帰ってきて、上野の国立科学博物館の特別展「黄金の都 シカン」を観に行ってきました。



(花まつり)

千姫は、徳川家康の孫娘、2代将軍秀忠の長女として生まれました。
寛文6年(1666年)2月7日、70歳で江戸城中で亡くなりましたが、薄幸名の女性でした。

千姫は2歳のときに、秀吉の要請で無理やり、8歳の秀頼と婚約をさせられました。
秀吉没し、関ヶ原の戦いが終わって、天下の実権が家康の手に移ったところで、家康は約束通り、慶長8年(1603年)7月28日、孫娘の千姫を秀頼に嫁がせました。
 しかし、家康は大坂冬の陣、夏の陣を起こして、豊臣家を滅亡させてしまいます。
大坂城が落城する寸前、家康の命令で千姫を救出したのが坂崎出羽守でした。坂崎出羽守はその恩賞として千姫を貰い受けたいと希望しますが、千姫は、伊勢桑名城主本多忠政の子忠刻を見染め、この申し入れを断りました。

 元和3年(1617年)千姫は第二の夫本多忠刻と結婚、姫路城主に転封を機に姫路に落ち着きました。
結婚生活11年、第二の夫忠刻も31歳で病死してしまいました。世継ぎがなかったため本多家は断絶、千姫は再び江戸城に帰ってきました。このとき千姫29歳でした。

江戸城内東丸竹橋に住み、落飾して天寿院となり、後半世は主として仏道修行に専念しました。
 秀頼との間の養女(天秀尼)の入寺した鎌倉東慶寺や、徳川領満徳治の復興など、二人の夫の菩提を弔いながら、今でいう社会福祉のために力を尽くしたといいます。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(コンドルは飛んでいく)

シカン(SICAN)とは「月の宮殿」、「月の神殿」という意味があり、日本でいえば平安時代と同時期に隆盛を極めたといわれています。シカンの文化や黄金の装飾品制作技術はのちのインカ帝国に大きな影響を与えたと推測されています。

 当然ながら、博物館の中は撮影禁止だったので、図説を買って、図説の写真をデジカメに撮りました。しばし、ご覧あれ。

シカン黄金製大仮面
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シカン神の顔を打ち出し細工した黄金のケロ
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黄金の儀式用トゥミ
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高純度の黄金製の卵を抱いた蜘蛛
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ウミギクガイの貝殻を使った工芸品
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灰色の裸の女性像と黒色の裸の男性像
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銅合金の仮面をつけた遺体包み
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そして東京国立博物館で開催していた「伊勢神宮と神々の美術」展も覗いてきました。
伊勢参詣曼荼羅

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(茶木みやこ/泪橋)

by ryott-ryott | 2009-07-29 01:09 | museum