カテゴリ:伊吹山・恵那山( 1 )

秋の音色に古代伝説を聞く、伊吹山・恵那山を行く

旅行・地域
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 伊吹山・恵那山の報告の前に、映画の話をします。10月22日(月)、この日は勤め先が創立記念日でお休みでした。久し振りに映画を見に行ってきました。しかも2本です。1本目はかねてから見たいと考えていた安井算哲の生涯を描いた「天地明察」。そしてもう1本は「使者(ツナグ)」です。
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 安井算哲は将軍家の御前で囲碁を打つ囲碁棋士でした。囲碁は奈良時代に日本に伝来したと言われています。源氏物語にも囲碁を打つ場面が出てくるように平安時代は主に貴族に限られています。室町時代から戦国時代にかけては武士と僧侶の間に普及し、江戸時代に入ってからようやく庶民のものになりました。
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 江戸幕府は、本因坊、井上家、安井家、林家の四家に家元を命じ、毎年1回、11月17日に将軍上覧の「御城碁(おしろご)」を行い、四家を競わせ、その勝者に「名人碁所」の地位を与えました。その当時の段位で、九段が名人位、八段が準名人、七段が上手という資格になっていました。
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 「天地明察」の主人公、安井算哲は安井家の二世で、御城碁で本因坊道策と対戦し4目勝ちをおさめて、七段の上手の資格が与えられていました。しかしながら、算哲は囲碁よりもむしろ数学、天文暦学のほうに興味があり、囲碁でも初手に「北極星」をあらわす天元に好んで打ったそうです。映画でも初手・天元を打つシーンが出てきます。
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 映画では会津藩主の保科正之の命を受け、北極出地へ参加し、その後にあの水戸黄門で有名な水戸光圀から改暦を命じられ、その当時、朝廷が採用していた宣明暦の間違いを指摘し、やはり中国の暦であった授時暦の採用を試みようとしますが、授時暦による食の予測で失敗し、改暦の申し出は退けられました。授時暦もまた、宣明暦同様に間違っていたからです。算哲は中国から伝わった暦は信用せず、独自の暦を作り上げたのが貞亨暦(じょうきょうれき)でした。映画の中では大和暦という名前で紹介されています。大和暦による食の予測で見事に皆既日食をいい当てて、その功績により大和暦が貞亨歴として採用され、以後70年間使用されることになります。幕府から天文方にも任命され、それと同時に囲碁棋士を辞めることになりました。これを機に、安井算哲から渋川春海と名を改めて、明治まで天文方は世襲されていきます。
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 映画「天使明察」はその安井算哲の半生を描いたものです。映画を見て、朱子学、神道の儒学者として有名な山崎闇斎が、改暦のための天測の最中に朝廷側の刺客に襲われて死亡する場面が出てきますが史実とは異なりますし、安井算哲が水戸光圀と映画で描かれているほど入魂の中であったのか、暦に関して貴族が絶対の実権を握っていたのかなど、疑わしい場面もありましたが、エンターテイメントとして面白い映画だったと思います。周囲の人から支えながら、計算と天測を重ねて日本独自の暦、大和暦を完成させようとする算哲の姿は、映画「おくりびと」の監督・滝田洋二郎が「人とのふれあい」を再びテーマにした映画だと思います。
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 そしてもう1本「使者(ツナグ)」を続けて見ました。これはいい映画でした。人は必ずいつかは死ぬ、しかしながら、いつ死ぬのか、死んだらどうなるのかについては生きている間は知ることはできません。この映画では生きている人間が、死んだ人間と会うことにより、生きている人間の姿勢、心を正してくれることを描いていると思いました。
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 生きている人間が生涯でたった一度、たったひとりの死んだ人間に会うことができ、その仲介ができるのが「ツナグ」です。映画では3つのケースが描かれています。1つはガンで亡くなった母親に本当のことを告げられなかった中年男性、2つ目は親友だと思っていた友人から裏切られたと思い、殺意を抱くようになった女子高生、最後は行方不明になった婚約者の女性を想い続ける男の話です。
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 2つ目の二人の女子高生の話では、演劇部に所属する二人が、演劇の主役に二人が立候補することにより、主役の座を奪われてしまった嵐のほうが主役の御薗に殺意を抱く心理が描写されています。
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 嵐と御園は演劇部に所属し、発表会の演劇に向けて練習を積み重ねる日々を送っており、お互いに親友だと思っていました。嵐は当然、自分が主役であり、親友の御園は主役に立候補するなどと考えてもいませんでした。配役を決める日、嵐のほかに主役に立候補の手を上げる部員がいました。それが親友の御園でした。しかし嵐は御薗に負けて、主役を逃すとは思っていませんでした。
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 オーディションの日、部室の中から「あたしに敵うわけがないと思うよ。」と御園がほかの部員に話しているのを嵐は聞いてしまいます。そして、オーディションの舞台に二人は立ちました。その結果、主役の座を射止めたのは嵐ではなくい、御園のほうでした。
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 嵐は御園に裏切られたという気持ちから、「御園さえ、いなければ。」という殺意が芽生えます。嵐と御園が毎朝、通学で通る坂道の途中に水道の蛇口がある駐車場があり、時折、水が出たままで、寒さで道が凍結したら危険であるということを気にしていました。ある朝、嵐は御薗よりも早くその坂へ行き、蛇口をひねり、水道を出したままにして、学校へ向かいます。
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 嵐が演劇部へ行くと、その中は騒然としていました。主役の御園が通学途中に転倒し、自動車に跳ねられて死んだという知らせが耳に入ってきました。御薗の死亡により、主役の座は嵐のもとにやってきましたが、自分が道路を凍結させて、御園を死なせてしまったという後目痛(うしろめた)さと罪悪感に苛(さいな)まれることになります。
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 あるとき、嵐が部室の前で聞いた「あたしには敵わないと思うよ。」と御園が言った言葉は、実は「嵐(あらし)には敵わないと思うよ。」と言っていたことを聞き間違えていたことを知ります。嵐は「ツナグ」に依頼して、死んだ御薗に会うことにしました。会うことの真意は、御園が「ツナグ」を通してほかの誰かに、「嵐に殺されてしまった」ことを話されては困るという恐怖心からです。なぜならば死んだ人間も会うことができる人間はたったひとりであるということを知っていたからです。御園が嵐に会えば、嵐の殺意とその行為をほかの人間にあって話すことはできなくなります。
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 「果たして御園は自分に会ってくれるのだろうか。」と思い悩みますが、死んだ御園が嵐に会うということを承諾したと、ツナグから連絡がありました。嵐は指定されたホテルの一室に向かいます。死んだ人間と会って、話ができるのは太陽が昇る翌朝までです。嵐は御園に会って、他愛もない話をし、御園が自分の殺意と道路を凍結させるために水を出し放しにしたということを知らないと確信します。
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 嵐は御薗に別れを告げて、部屋を出て、ロビーで待っているツナグにカードキーを返却しました。その時に嵐はツナグから御薗からの伝言を告げられます。「道路は凍ってなかったよ。」というものでした。御園は嵐の自分に対する殺意も、行った行為もすべてわかっていたのです。嵐は自分のしてしまったことを後悔し、ふたたび部屋に戻って御薗に会おうとしましたが、死んだ人間に会うことができるのは一度だけです。ツナグから引き止められ、その場で泣き崩れて、御薗に詫びました。
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 この場面を見て、映画館に来ていたほとんどの人が泣いていました。坊ちゃんもお嬢ちゃんもおじさんもみんな涙を拭いていました。泣いていないのは映画館で弁当を食べていたババァだけです。ほかにも行方不明になった婚約者(桐谷美玲)のことを想い続ける男の話がありますが、映画を見てください。037.gif
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 何年か前までテレビ朝日で「オーラの泉」が放送されており、今やまったくメディアに現れなくなってしまった江原啓之と美輪明宏がゲストの前世や周囲の亡くなった人からのメッセージを伝えるという内容でした。私もよく見ていました。その中で死んだ人からのメッセージで、「生きているときはわからなかったけれども、死んだ今、ようやくその謎が解けた。」というものがありました。周囲との人との関わり、現在抱えている悩み、自分がどうしてこの状況下に置かれているのか、自分がどうして現在この世の中を生きているのか、生きているうちはわからないけれども、自分が死んだ後にその理由がわかるといいます。
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 今生きているこの肉体は機械と同じで、いずれ動かなくなった時が死ぬ時であり、その肉体は朽ち果てて、消失してしまいますが、この機械・肉体を動かしている正体は個体の死と同時に機械を抜け出していくのだと思います。そのことは生きている今は認識できませんし、科学でも詳らかにされていませんが、人間はそのことを本能ではわかっているのではないかと、この「ツナグ」の映画から考えさせられました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 日本の古代国家、四世紀大和朝廷時代の歴史を解明する、貴重な史料として脚光を浴びているのが、高句麗(こうくり)の「好太王碑」です。

 好太王は、古代朝鮮を支配した高句麗19代の国王で、18歳で即位し、在位22年間、多くの治績を残して、412年、39歳で没しました。

 碑は高さ約6.6 mもある巨大なもので、長い間地中に埋もれていたものを1882年(明治15年)に発掘されたものです。建てられたのは、好太王没後2年たった414年10月28日です。

 碑文は総字数1758で、3段に分けて刻まれています。まずは王家の由来を述べ、次に百済(くだら)、新羅(しらぎ)への大遠征、倭軍(日本軍)を撃破して領土を拡大したことなど、好太王の偉大な功績を謳歌し、最後に守墓人を規定して終わっています。

 日本では、明治16年(1883年)、参謀本部の酒匂景信(さこうかげあき)中尉が、その碑文の拓本を持ち帰ってから、その解釈をめぐり、あるいは上代紀念論について、活発な意見が交わされるようになりました。

 たとえば、「而倭以辛卯年来渡海破残○○新羅以為臣民」の一文を、戦前の日本の歴史学者は、朝鮮侵略に都合のいいように、「しかるに倭(日本軍)は辛卯年に海を渡り、百済や新羅を破り、臣民にしました」と日本が占領したかのように解釈をしています。

 戦後、大韓民国や朝鮮民主主義人民共和国側の学者は、「倭が辛卯年に来たので、高句麗は海を渡って攻撃し、百済・新羅を討って、これを臣民にしました」と解釈しています。

 ともあれ、この碑が建てられたことから考えても当時、倭国の集団が朝鮮半島に渡り、高句麗と戦ったことだけは間違いありません。碑は現在、中国吉林省輯安県に再建されています。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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 さて先週末、10月27日(土)~28日(日)、百名山の伊吹山と恵那山へアミューズで行ってきました。伊吹山は滋賀県と岐阜県の県境にある滋賀県最高峰の山(標高1377 m)になります。新宿から朝7時にバスに乗って、伊吹山の9合目駐車場に着いたのは何と13時過ぎでした。東名高速、名神高速を乗り継いで約6時間の行程になります。
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 今日の参加者は13名、ガイドはあの泉田さんと仙谷さんで総勢15名のツアーでした。浦安湯屋からはすみちゃんが参加しました。大井町湯屋のよしこさんは足の指の骨折が完治せず、今回のツアーはキャンセルしていました。また浦安湯屋のあやちゃんもすみちゃんがお誘いしましたが、ポケットに500円玉1個しかなかったそうであり、ご一緒することができませんでした。041.gif037.gif
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 いつもの山行ならば、目的地までに1~2回の休憩で到着しますが、今回は3回もの休憩が入りました。新幹線で行ったほうが早かったのではないでしょうか。写真は2回目の休憩の浜松SAです。とても綺麗で、売っているものも美味しそうなものばかりでした。私が食べ物を買うたびに、泉田さんの厳しい目が光っていました。037.gif
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 メロンパン。
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 静岡おでん。
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 浜松にはヤマハがあり、ピアノ、楽器が展示されていました。
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 伊吹山はヤマトタケルが東征からの帰りに立ち寄った場所で、麓の村人から伊吹山の妖神が悪行をするので退治して欲しいと頼まれます。ヤマトタケルは伊吹山の神の化身である白い猪(イノシシ)と闘いますが、負けてしまい、命からがら逃げ帰ります。その闘いの痛手がもとでヤマトタケルは伊勢で命を落としてしまうという伝説があります。古事記では白い猪、日本書紀では白い蛇と記載されているそうです。泉田さんの説明では、白い猪とは、吹雪のことで、古事記に記載されている伝説はおそらくは一番最初に記されている吹雪による遭難例ではないかとのことです。
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 伊吹山登山口にある観音様。
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 伊吹山の山頂は登山口から歩いて、30分ほどで辿り着きます。山頂には伝説のヤマトタケル像が建てられています。
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 ヤマトタケル像の前で記念撮影をしました。
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 写真はセメントの原料になる石灰岩です。泉田さんからこの石は石灰岩で、この関ヶ原の周辺には石灰岩が溶けてできた鍾乳洞がたくさんあると教えていただきました。登山口に真っ白な光沢のある砂利が敷かれていましたが、石灰岩を砕いて撒いたものだろうとおっしゃっていました、
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 イブキトラノオのように「イブキ」の冠名がついた植物がたくさんあるように、伊吹山は植物の宝庫で、伊吹山で初めて見つけられた花は数多くあります。花の季節ではありませんでしたが、イブキトラノオが一つ残っていました。056.gif
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 この石像もヤマトタケルの像です。
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 頂上から下山を開始し、約30分で駐車場に戻ってきました。帰りのバスの中からカメラの砲列が並んでいるのが見えました。後で聞くと、イヌワシが旋回していたそうです。
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 今日の宿泊先は昼神あさひ苑というホテルでした。アミューズにしては立派なホテルです。このホテルでの夕飯の時に、鳳凰三山の地蔵岳オベリスクにウエストンが投げ縄をかけて登ったということを泉田さんが話してくれました。いつも厳しい泉田さんですが、今回の伊吹山・恵那山のツアーではとてもニコヤカで、いろいろなことを教えてくれました。
 またアミューズトラベルでは今年も雪山登山のツアーを数多く企画しており、年末年始に「富士山の佐藤小屋で過ごすお正月」というツアーが予定されているそうです。仙石さんはほぼ毎年、佐藤小屋に行かれており、お酒が飲み放題だとおっしゃっていました。佐藤小屋の中は室内でもあっても-5 ℃くらいであり、あ酒を飲んでいないと凍死してしまうそうです。037.gif
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 2日目は恵那山に登りました。日本百名山53座目です。恵那山は頂上の稜線が長く、遠くから見ると船を伏せたような形に見えるので、舟覆山(ふなぶせやま)とも呼ばれています。
 また子どもが生まれた時の後産での胎盤や臍の緒を桶に入れて、恵方の土中に埋めるという胞衣(えな)の儀式があります。イザナミとイザナギの間に生まれた天照大神の胞衣を山頂に納めたという伝説があり、胞山(えなさん)となり、恵那山という山名になったと言われています。

 宿を午前5時に出発し、まだ暗いうちに林道の入口に到着しました。しかも宿を出発した頃から雨模様。雨具を着て、ヘッドランプをつけて、準備体操後に、まずは登山口まで林道を歩いて行きました。
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 午前6時20分。丸太橋を渡って、登山道に入っていきます。紅葉の中の急登が続きます。
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 恵那山は舟覆山と呼ばれるようにある程度急登を登ると平坦に近い単調な登りになります。登山道はほとんど樹林帯の中で、展望もなく、とても退屈な山登りでした。この山が日本百名山に選ばれた理由は、イザナギとイザナミの神話があるというほかには、なかなか見つけられません。登山道の大半は写真のような感じです。
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 途中の山腹から見た景色。雨が上がったあと、雲も薄くなって、雲の波間に峰々が見え隠れしていました。この景色を見ることができたことだけでも救いとなりました。
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 山頂とイザナミ・イザナギが祀られている祠を通過して、避難小屋の前でお昼休憩を撮りました。午前9時50分。気温は低く、避難小屋の中には薪のストーブがあり、先程まで火が炊かれていたようです。
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 お昼を済ませて、また山頂まで戻ってきました。山頂には展望台がありましたが、曇り空で何も見えませんでした。
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 山頂で浦安湯屋のすみちゃんと記念撮影。すみちゃんはツアー参加前は泉田さんをたいへんに怖がっていましたが、時には冗談が飛び出すほど終始ニコヤカな泉田さんに接し、楽しく山歩きができたようです。
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 朝の登り始めは薄暗くて、よくわかりませんでしたが、下山時はすっかり明るくなって、恵那山の紅葉が鮮やかでした。
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 特に林道歩きはどんなにいい山でも退屈なものですが、恵那山下山後の林道歩きは、周囲の紅葉が鮮やかで、山歩きしている時よりも多くカメラのシャッターを押しました。
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 「湯ったりーな、昼神」で入浴を済ませて、みなさんとビールで乾杯して、新宿までの長い長い道のりをバスに乗って戻ってきました。068.gif
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 来週は日本百名山の赤城山・黒檜山へ大井町湯屋のよしこさんと行く予定です。また本日11月4日(日)は福島県の霊山(りょうぜん)に行く予定でしたが、家の事情でキャンセルしました。一緒に行く約束をしていた原田さん、ごめんなさい。山旅クラブの荒船山・茂来山で行かれるのならば、ご一緒しましょう。その次は12月の韓国岳ですね。
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来週は赤城山へ行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2012-11-04 16:27 | 伊吹山・恵那山 | Comments(0)