カテゴリ:おいしい( 12 )

お店の紹介(^o^)丿

旅行・地域
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 屋久島・愛子岳登山の話に行く前に、屋久島から帰って来てから、じゃんけんぽんのトントンさんに誘われて、四谷3丁目にある「居酒屋やまちゃん」へ連れて行ってもらいました。このお店は普段は1人前5000円ほどで料理もお酒もおまかせのフルコースで食べられる超人気店で、今年の10月まで予約はいっぱいだそうです。この連休に限っては、日本酒のみを1杯400円で提供し、そのうちの50円を東北の義援金として日本赤十字社の方へ寄付する取り組みをされています。
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 400円を支払って、所望の日本酒をついでもらいます。そして50円は義援金に。
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 おつまみは持ち込みになります。

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 ひとり5杯ぐらいは飲んだでしょうか。まだ明るい中、店をあとにし四谷3丁目からバスで品川駅まできて、くいもの屋「陣」に行きました。屋久島では日本酒を飲むことができなかったので、「陣」でも日本酒を頼み、うれしい一日となりました。038.gif
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 おひたし。
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 カマンベールもんじゃ。
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 今、話題の生肉。「陣」の生肉は問題ありません。
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 水餃子。
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 メンチカツ。
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 冷ややっこ。
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 クジラのタレ焼き。
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 オーストラリアのお米で造った日本酒。

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(コブクロ/あの太陽が、この世界を照らし続けるように。)

(映画「岳」予告編)

あの太陽が、この世界を照らし続けるように。
(作詞、作曲:小渕健太郎)
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どんな悲しみにも ひとつの意味を注ぐように
世界中の夜に 朝を連れてくる太陽
ぼくは彷徨ってた 生きる意味を探して
君に出逢うまでの僕じゃ あの壁は越せない

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため
ぼくに生きる意味をくれた その微笑み

人ごみに紛れて 逃げ出すのは容易くとも
一人きりの夜に 孤独から逃げ出せない
ガラス玉のような心を抱え生きてる
落とすたびに砕け散った 涙を忘れない

転がりながら辿り着いた 今がいつも君だけの頂上
心のままに生きてゆけば 時には人はぶつかり合うけれど
その魂に刻まれた模様はきっと 美しきヒビとなる

どんな命も輝いてる
あの太陽が、この世界を照らし続けるように

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため

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5月5日「こどもの日」は、「端午の節句」です。
1月7日「人日」、3月3日「上巳(じょうし)」(雛の節句)、5月5日「端午」(菖蒲の節句)、7月7日(七夕)、9月9日「重陽」(菊の節句)の5節句の一つです。「端」は初め、「午」は五を意味します。

古代中国の春秋戦国時代、楚の国の重臣であり詩人の屈原が、讒言(ざんげん)にあって江南の地に流刑されました。清廉潔白、直情の士である屈原は流刑されても王に対して詩賦に託して数々の進言を行いました。これが古代中国を代表する詩集「楚辞」と言われるものです。しかし、王はせっかくの「楚辞」を読むことなく亡くなりました。屈原も生きる望みを失い、自ら懐中に石をつめ、汨羅(べきら)の淵に身を投じました。紀元前277年5月5日のことでした。

人々はその死を惜しみ、その霊を慰めるために、毎年5月5日に、菖蒲やよもぎも門口にさし、邪気をはらう祭りを催しました。

日本に入ってきてからは、いつの間にか稲作信仰の行事と重なり、奈良・平安時代には、田植えをする早乙女たちが菖蒲湯を使って潔斎し、隔離された菖蒲宿に一夜こもって田の神に豊作を祈願する女の祭りとして存続してきました。

やがて中世の武家社会に移ると、武家たちも菖蒲湯を使うようになり、季節もよいので甲冑(かっちゅう)や旗指物(はたさしもの)を虫干しし、それが武者飾りに発展していきました。子供たちも喜んで戦遊びをするようになってきたので、百姓・町人の家でも子供たちのために鍾馗様(しょうきさま)を飾ったり、武家の家紋の入った旗指物の代わりに、出世魚の鯉のぼり、五色の吹き流しなどをあげて、次第に男の子の祭りに変わっていきました。 これが「端午の節句」の歴史です。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(小柳ルミ子/星の砂)

星の砂(作詞:関口宏、作曲:出門英、歌:小柳ルミ子) 060.gif


二度と出来ない恋を捨てあなた遠く
離ればなれになってゆくの 今つらいわ

嫁ぐ日岬にひとりたたずみ君住む島に
別れを告げる
凪いで凪いでまぶしいサンゴの島が
にじんで落ちて 星の砂

過ぎし日 二人は海辺に遊び
変わらぬ愛を 夕陽に祈る
いつかいつか 二人は運命にさかれ
私は遠く 石垣へ

髪にかざした ブーゲンビリア
そえぬ運命に赤く咲く
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい 星の砂

ルルル・・・・・ルルル・・・・・
ルルルル・・・・・

風よ吹け 波よ打て
それであなたにつぐなえるならば
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい この想い
届けてほしい この想い

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 そして土曜日はトントンさんのご子息が働いているお店Patati-Patataにつれて行ってもらいました。トントンさん、トントンさんの妹ミキちゃんと秋葉原で待ち合わせをして、南フランス・プロヴァンス料理のお店、Patati-Patataへ向かいました。ミキちゃんはあのかみつき犬の飼い主です。最近は昨年生まれた子犬をようやく始末できて、あとはかみつき犬を殺処分するだけのようです。037.gif038.gif031.gif041.gif
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 働いているシェフがみんな若くてイケメンなので、お客さんのほとんどは若い女性です。うらぶれ中年の私とトントンさん兄妹は、この店ではちょっと異質な客層かもしれません。
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 ジャガイモのスープ・ビシソワーズ。
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 鰯のマリネとメリメロサラダ。
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 魚の名前を忘れてしまいました。グリーンのソースが鮮やか。
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 ウズラの料理。骨まで食べることができます。

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 店長の高田シェフが運ばれてくる料理について、詳細にたのしいおしゃべりを交えて説明してくれました。とにかく、よくしゃべる感じの方です。お店の名前Patati-Patataもおしゃべりという意味です。

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by ryott-ryott | 2011-05-10 00:52 | おいしい | Comments(0)

Cafe La Bohemeで暑気払いヽ(^o^)丿

旅行・地域
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2週間ほど前に大学の研究室の同窓会に出席した報告をしました。このときに日経キャリア「受験から就職まで 親と子のかしこい大学選び2011年版」(日経キャリアマガジン特別編集)で、大学3年生と大学院1年生を主に対象にした「本当の就職力が育つ大学ランキング」の調査があり、上智大学が総合1位に選ばれたというお話が理工学部長の早下先生からありました。その本が店頭に売っていたので買いました、980円。
分析結果に「サークル・部活の加入率の質問に対して、加入していると回答した割合が82 %と最も高く、社会で求められる年齢差の異なる人とのコミュニケーション力を身につけている学生が多いようである。」との記述があり、今でもそうですが、上の人の言うことを聞かなかった自分の経験を考えると、今の学生さんは随分お利口さんになっているようです。
また理工学部の新建屋をどこに建てるかについて、いろいろな議論があるようですが、大井町湯屋仲間のえっちゃんから、看護学科を新設する計画があるとの新情報を聞きました。この間の同窓会では、そんな話は出ていませんでした。看護学科は理工学部の中に出来るのでしょうか、楽しみです。

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そして、今日、一週間ぶりに大井町湯屋に行きました。職場が変わって日曜日出勤もなくなり、18:00には帰宅できる毎日ではありましたが、先週から腰痛がひどく、もともと猫背であるものの、背筋を伸ばせないほどの痛みがあり、湯屋でのワークアウトを自重していました。痛み止めを飲んでも、効く時と効かない時があって、今日、いつもの中国整体の施術を受けて、ようやく何とかなったという感じです。026.gif
先週の試飲会以来、今日も含めて1週間まったくお酒を口にしていないのですが、会う人みんなから「太ったんじゃないの」「太ったね」と冷たく言われ続け、今日、床屋のチャコちゃんからも「太ったんじゃないの」と言われて鏡を見ると、顔はパンパンでした。明日から真面目に運動をやろうと思います。
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今日の中国整体はダブルブッキングではありませんでした。いつものように施術中はカメラ・写真談義。先生はNikonのD3Xの購入を検討中であり、毎日、価格.comで価格をチェックしているそうです。Nikon D3Xは別名「風景王」と言われており、このカメラ1台あれば、自分の目で見た風景をそのまま切り取って写真におさめることが出来るとのことです。しかし宮仕えの私にはなかなか手が出せる代物ではありません。
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 明治の文豪の一人、森鴎外は島根県津和野の出身。津和野藩のご典医をしていた関係もあってか、東大医学部を卒業すると軍医になりました。
 本名は森林太郎。作家の森於蒐(おと)、小堀杏奴(あんぬ)さんは、その遺児です。明治17年(1884年)から明治21年(1888年)まで、陸軍から派遣されてドイツに留学していたので、ドイツ人の名前をもじってつけられたといわれています。
 軍医としては最高位の陸軍軍医総監、陸軍省医務局長などをつとめ、退官後も、宮内省所管の帝室博物館長、図書館長、帝国美術院初代院長などを歴任しました。
 その多忙な生活の中で、近代日本文学の中でも古典といわれる、数々の名作を残しました。
 『舞姫』『うたかたの恋』『ヰタ・セクスアリス』『雁』『阿部一族』『山椒大夫』『高瀬舟』『渋江抽斎』など。大正11年(1922年)7月9日、東京本郷の自宅“観潮楼”で亡くなりました。享年61歳でした。
 死の3日前、親友の賀古鶴所を招いて、遺言を口述筆記させましたが、その気魄のこもった文章と、鴎外の人となりがよくわかるというので、鴎外の墓のある東京三鷹の禅林寺境内に「遺言碑」が建てられました。

「死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ。奈何(いか)ナル官憲威力ト雖(いえども)此ニ反抗スル事ヲ得ズト信ズ。余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス。宮内省陸軍皆縁故アレドモ生死別ルル瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辞ス。森林太郎トシテ死セントス。・・・・・」

明治人の気骨があふれています。臨終の際も、床に袴をつけて横たわり「ばかばかしい」のうわごとを最後に亡くなったといいます。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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Mistyさん、旦那ちゃんを置いてけぼりにしています。037.gif
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てらりんさん、これから毎日、沼津でおいしい魚を食べれるようです。038.gif
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中村さん、土曜日出勤でたいへんお疲れのようです。070.gif
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みなさん、顔が光っています。
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さきほど、今週はまったくお酒を口にしていないと書きましたが、7月6日火曜日に飲んでいました。この日、湯屋仲間のmistyさんから「暑気払いをしましょう」とのお誘いで、白金にあるCafé La Boheme(何と発音するのでしょうか)へ連れて行ってもらいました。てらりんさん、中村さんにも、久しぶりにお会いすることが出来ました。中村さんはお仕事が変わって、私とは逆に毎日お忙しい日々を送っているそうであり、土曜日出勤もざらにあると嘆いていらっしゃいました。また、てらりんさんは7月から3ヵ月も沼津へ長期出張。たまたま、この日は東京での勤務だったようですが、これからしばらくの間は沼津での生活が続くそうです。ご本人は会社の寮に入らなければならないことが気に入らないようですが、私から見れば、毎日、沼津のおいしい魚を食べることが出来て、羨ましい限りです。最後には静岡のお土産までいただいて、本当にありがとうございました。てらりんさん、東京に帰ってきた折には、また一緒に湯屋で異常者一派を蹴散らしましょう041.gif
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Mistyさん、お洒落なお店に誘っていただき、ありがとうございました。今日、湯屋で旦那ちゃんにお会いしました。次回は旦那ちゃんも御一緒に、お洒落なお店に連れて行ってくださいね。024.gif


(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん)060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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青い鳥を見つけてください
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正解058.gif
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by ryott-ryott | 2010-07-11 01:08 | おいしい | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、麻布十番へ行くヽ(^o^)丿

グルメ

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黒いマクドナルド
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「あべちゃん」店頭
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土曜日の夕方は、大井町湯屋仲間の中丸さんご夫婦とトントンさん、春さんと、麻布十番にある「あべちゃん」という串焼き屋さんへ連れて行ってもらいました。024.gif

浜松町で大江戸線「大門駅」に乗り換え、2駅目麻布十番「4番出口」下車。階段を上がりきった出口の右側の通りをまっすぐ行った角にお店がありました。お店は15:00から営業。人気のお店とあって、かなり賑わっていました。

煮込み011.gif
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レバ011.gif
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つくね011.gif
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店頭ではお持ち帰り用の串を3代目が焼いており、お店に入るとすぐ右手に戦後(太平洋戦争)から継ぎ足しで使われ続けられているというタレの入った甕がありました。
私は見ることができませんでしたが、先日のテレビで、先祖代々受け継いでいるその店秘伝のタレに、本当に初代の成分が入っているかどうかを検証する番組があり、継ぎ足しで使っていると約30年で入れ替わってしまうということを報告していたそうです。トントンが無粋な番組だと言っていました。「あべちゃん」の甕を見る限り、初代の最初の成分はしっかり残っていると思います。004.gif

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肝心の串は、どれもおいしく、しかも大きいため、結構お腹がいっぱいになりました。
時計を見ると、まだ6時前。そとは明るく、早速、2次会へ。大門駅の近くにある「よござんす」へ行きました。
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15世紀のフランスは、イギリスと「百年戦争」を繰り返していました。
パリとブルジュの中間にオルレアンの町では、数千のイギリス軍に囲まれ、フランス軍は壊滅寸前の状態にありました。
 ここが落ちれば、フランスはイギリスに降伏するしかありません。

 そのとき、祖国フランスを救う、勇敢な19歳の少女が突如として現れました。
 彼女の夢枕に大天使ミカエルが立って「オルレアンに行け!そしてフランスを救え、フランスはお前を待っている!」と告げたからです。彼女は単身、シノン城に乗り込み、王子を訪ね、神のお告げと自分の使命を申し告げました。
 燃えるような愛国心に感動した王子は、200人の兵士を彼女に与えました。
 彼女は王子から贈られた甲冑に身をかため、軍旗を片手に白馬にまたがり、先頭に立って突撃して行きました。イギリス軍はついに退却です。

 だらしないことに、フランスはたった一人の少女によって救われたのです。その少女の名は、ジャンヌ・ダルク。しかしジャンヌは、その後最後の戦いで不幸にも捕えられ、イギリスの手によって宗教裁判にかけられ、異端者として火あぶりの刑に処せられました。
1431年5月30日のことです。彼女は最後までイエスの名を呼び続けて息絶えたといいます。

 それにしても、なぜフランスが、こんな無名の一少女によって救われなければいけなかったのか。いまだにそのことは謎に包まれています。
 パリの街角に彼女の銅像が建っていますが、一説では、彼女は精神異常者であったともいわれています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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今日、気が付きましたが、この歳時記ブログも開始して1年経ちました。ちょうど1年前は日本ダービーの予想を書きました。今日の日本ダービーの優勝馬はどの馬になるでしょうか。
昨年は1番ロジユニヴァースが1着、2着は12番リーチザクラウン。1番→12番。
今年の日本ダービーは国際化競走になり、JpnⅠからGⅠに変化しました。1983年、グレード制が導入される前年の日本ダービーは12番ミスターシービーが勝ち、2着は1番のメジロモンスニー。12番→1番。
その翌年、1984年4枠10番のシンボリルドルフが優勝、2着8枠19番。10番→19番。

1983年GⅠでない日本ダービー 12番→ 1番。
2009年GⅠでない日本ダービー  1番→12番。

1984年GⅠになった日本ダービー 10番→ 19番。
2010年GⅠになった日本ダービー  ?番→ ?番。

18頭立てなので19番というゼッケンはなく、しかも18番が出走取消。19番目ということに拘れば、1枠1番か2番が優勝し、2着は10番トーセンアレスということになります。しかし、あまりにも非常識な決着。全くわからないので、外(17番)から数えて10番目の8番ローズキングダムを今年の私のダービー馬にします。4枠であることもいいし、同枠に昨年の1着馬とほとんど同じローテーションの1番人気の馬が入ったこともよいか。8番の単勝。
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(あずみ野うたごえ喫茶/Believe)

「よござんす」は一軒家を改造したつくりの居酒屋さん。階段を上がったところにはシャンデリアがありました。

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そして3件目、ベルギービールの店「CHIMAY」へ(なんと発音するのでしょうか)。
十分飲んで、食べていたので、ビールはどうかとも思いましたが、私たちの予測を裏切った甘くておいしいビールでした。1杯のつもりが、3杯も頼んでしまい、燻製の盛り合わせも頼み、最後の最後までしっかり食べた一日になりました。
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by ryott-ryott | 2010-05-30 12:46 | おいしい | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、肉のまえかわへ行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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今日の日曜日は7週間ぶりに天気が崩れ、久しぶりの雨の日曜日でした。しかしながら、今週の日曜も休日出勤でした。014.gif
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最近、休日は1週間のうち1日しかなく、その1日のお休みは大井町湯屋へ行き、大暴れアクアをやりました。インストラクターの方はいつもと違う人、代行でした。しかし、この代行の方のアクア、結構、きつく、アクアで体の芯が熱くなったのは久しぶりでした。毎週同じ人の同じ動きだと体が慣れてしまうのでしょうか、たまには違う動きをした方がよい刺激になるのだと思います。大暴れアクアが終わってから、代行の方に「疲れませんでしたか?」と聞かれて、正直に「とても疲れました。」と答えました。水の負荷を最大限に取り入れているため、私自身、少々バテ気味で大暴れになっていなかったと思います。037.gif
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そして夜はじゃんけんぽんのトントンさん、春さんに誘われて、大井町の「肉のまえかわ」に行きました。
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すずらん通りの入ったところ、和菓子屋さんの隣にある、お肉屋さん兼立ち飲み屋さん。現地集合で、少し早く着いてしまったので、焼き鳥を焼いているお嬢さんに「生ビール1杯ください。」と言ったら、冷蔵庫を指さされ、ビールは缶ビールしかないことを教えられました。焼き鳥を何本か頼み、缶ビールを冷蔵庫から出して、その場でお勘定。あとは勝手に飲むだけです。こきたない店ですが、焼き鳥に、牛刺し、レバ刺し、串カツ、メンチカツ、カツ、コロッケなどが揃っており、結構な人気です。人が入れ替わり立ち替わり来店し、常に賑わっていました。
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(並木路子/リンゴの唄、今日5月23日は作詞家サトウハチローの誕生日です。)060.gif

 福井の永平寺は、曹洞宗の大本山です。ここでは毎年5月23日から6月12日まで「眼蔵会」が開かれます。開祖道元禅師の書かれた『正法眼蔵』(しょうほうげんぞう)を講讃する法会です。
 開祖道元は正治2年(1200年)4月2日に生まれました。道元の父は、内大臣久我通親(くがみちちか)、母は関白藤原基房(もとふさ)の娘です。道元3歳のとき父を、8歳のときに母を失いました。この母の死が、幼な心にも出家を決意させたのでしょう。道元はこう述べています。
「即ち高雄寺にて香烟の上るのを見て、生滅無常を悟り、それより発心す。」(『伝承録』)

両親を失った道元は、13歳のとき伯父の養家先を出、比叡山にいた良顕法眼のもとに走り、その世話で般若谷の千光房に入山します。臨済宗の開祖になった栄西禅師の指導を受けましたが、道元は天台教学にあきたりず、24歳の春、仲間数人とともに中国に渡ります。
 中国では長翁山の如浄禅師について、臨済宗の本義を学びます。やがて日本に帰り、有名な『正法眼蔵』を書き上げ、“禅”の修行に励みます。

 「仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己をわするるなり。自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるというは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり・・・・・」(『正法眼蔵』より)
“身心脱落”それが禅であり、その修業が座禅です。“只管打坐”(しかんたざ)ともいいます。
 道元は率先垂範“只管打坐”に徹し、建長5年(1253年)8月28日、53歳で遷化しました。仏性伝東国師、承陽大師号を下賜されました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)
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(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif
あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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「肉のまえかわ」は揚げもの、牛刺し、レバ刺し、串焼きがなくなると、お客さんも少なくなり、午後8時には閉店の様子。
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まだ早いので、やはり立ち飲み屋さんの「BEE」に行きました。カウンターには爬虫類を漬け込んだお酒が並んでおり、私はハブ酒を飲みました。
066.gif

BEEの金券、1000円で1100円分もらえます。071.gif
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先週の日曜日、月曜日、金曜日は貴重な夕陽を見ることが出来ました。日曜日の夕陽は先週、報告しました。平日の夕陽は、会社帰りにお台場へ行き、お台場海浜公園から写真を撮りました。今まではよく葛西臨海公園へ行っていましたが、お台場でもきれいな夕焼けを見ることが出来ると聞き、ぶらりと立ち寄りました。
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大井町から臨海副都心線で8分、東京テレポート駅で降り、フジテレビ局の前を過ぎて、お台場海浜公園へ。林立するビルの間へ太陽が沈んで行きました。空を見上げると、夕月が出ていました。会社帰りに撮った夕景の方が、秋田で撮影したものよりもよく撮れていると思いました。

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(倍賞千恵子/下町の太陽)

下町の太陽(作詞:横井弘、作曲:江口弘志、歌:倍賞千恵子)
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下町の空に かがやく太陽は
よろこびと 悲しみ写す ガラス窓
心のいたむ その朝は
足音しみる 橋の上
あゝ太陽に 呼びかける

下町の恋を 育てた太陽は
縁日に 二人で分けた 丸いあめ
口さえきけず 別れては
祭りの午後の なつかしく
あゝ太陽に 涙ぐむ

下町の屋根を 温める太陽は
貧しくも 笑顔を消さぬ 母の顔
悩みを夢を うちあけて
路地にも幸の くるように
あゝ太陽と 今日もまた


(あずみ野うたごえ喫茶/下町の太陽)
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by ryott-ryott | 2010-05-23 22:24 | おいしい | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、休日出勤前夜の鯨飲馬食ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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今週の日曜日も晴れて、6週間連続の晴天になりました。私は今週の日曜日もまた会社へ出勤で、5週間連続で日曜日の大井町湯屋へ行くことができませんでした。休日出勤はいつまで続くのでしょうか。014.gif
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 土曜日の夜は中丸家に御招待されました。中丸さんは大井町湯屋仲間であり、飲み仲間でもあります。お料理を用意していただきましたが、食べること、飲むこと、話すことに夢中になり、写真を撮り忘れてしまいました。037.gif
 3人でお酒をどのくらい飲んだでしょうか。かなりの量のお酒を戴きました。
 食前酒として持参した獺祭のにごり酒は、中丸さんの御主人が栓を開けた途端、お酒が勢いよく噴き出して半分くらいに減ってしまいましたが、その後、お正月に持って行った久保田紅寿がまだ手つかずで取ってあり、3人でその一升を平らげ、さらにお土産に差し上げた角館のお酒もほとんど、なくなってしまいました。
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 お酒をたくさん飲んだので、何を話したかよく覚えていませんが、どうやら中丸さんは私が雨男であると勘違いしているようです。

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昔の大師橋
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 国立公園十和田湖は、いまでこそ風光明媚な景勝地、奥入瀬の渓流と美しい紅葉、神秘な湖とヒメマスの養殖で知られますが、明治38年(1905年)の秋までは、魚一匹棲まない“魔の湖”でした。その十和田湖にヒメマスを放し、湖のほとりでに旅館をたて、道路を改修して交通の便をはかり、案内書をつくって全国に配布し、国立公園指定の働きかけをするなど、生涯をこの十和田湖開発に尽くした恩人とも呼ぶべき功労者がいました。和井内貞行(わいないさだゆき)という人です。
 彼は安政5年(1858年)、秋田県毛馬内町に生まれました。26歳の時、小坂鉱山から十和田鉱山へ転勤になったのが、この湖との出会いでした。

“こんなきれいな湖に、どうして魚がいないのだろう”と疑問を抱き、明治17年(1884年)の秋、自分の月給をさいて、600匹のコイを放流したのが最初の魚との取り組みでした。
 明治17年(1884年)から21年間に、コイ5万匹、マス159万匹、サケ5万匹、フナ、イワナ3000匹という膨大な量の稚魚を放しましたが、思うように魚が育ちません。
 退職金は使い果たし、借金をしながら最後の望みを北海道の“カバチョッポ”に託しました。“カバチョッポ”とはアイヌ語のヒメマスのことです。

 明治38年(1905年)9月、放流3年目にして、ついにヒメマスが大きく育ってもどってきました。彼の伝記の標題『われ幻の魚をみたり』は、このときの感激を表したものだと思います。
 これに自信を得て積極的に十和田湖開発に乗り出したのです。
 大正11年(1922年)5月16日、65歳で亡くなりましたが、その遺骨は十和田湖の神社に祀られ、昭和8年(1933年)、社号は和井内神社と改修されました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)
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(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif
あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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5月29日(土)は麻布十番にある串焼き屋さん『あべちゃん』に行ってきます。024.gif
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今日の日曜日も湯屋に行けませんでしたが、帰宅途中、大師橋から夕焼けを見ることが出来ました。太陽は地平線の雲に隠れてしまい、最後の沈むところまでは見ることはできませんでしたが、夕陽を関東で見るのは久しぶりでした。日曜日は連続6週間の晴天だったそうですが、夕方には雲が垂れこめてきて、夕陽らしい夕陽を見ることができなかったと思います。
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陽が沈むと、西の空に光る三日月が現れました。したがって、今日は旧暦では4月3日です。新月から数えて3日目なので、三日月になります。昔は月を見るだけで日にちがわかるので、太陰暦の方が便利だったかもしれません。

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by ryott-ryott | 2010-05-17 00:15 | おいしい | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、吉祥寺へ行くヽ(^o^)丿

グルメ
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今日の大井町湯屋のレッスンは、高島梓インストラクターのエアロでした。ご本人はレッスン前に何度もコリオを確認していました。先週は会社の業務で参加できませんでしたが、3週目の今日の参加者は20名程度。初回に比べるとだいぶ人数が減っていましたが、なかなか考えを凝らしていることを感じました。今後の成長が楽しみです。
そして、レッスン前に参加者へインフォメーションがありました。明日4月21日(水)「銀座プランタン」でセールがあり、10 %ほど商品の値引きがあるそうです。あの有名な田中小夜子さんも販売員としてお店に出ているとのこと。田中小夜子さんほど有名なインストラクターでさえ、販売員をしなければならないということを聞いて少し驚きました。それほど日本の経済状態は疲弊しているのでしょうか。

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いつもの土曜日ですが、今週は会社の業務があり、午前中の大井町湯屋のレッスンには参加できませんでした。会社の業務は、半年に1回、上層部の方の話を聞くというものであり、その後、懇親会がありました。会社に限った事ではありませんが、懇親会の最後に「三本締め」がありました。「タタタン タタタン タタタンタン」を3回手打ちするというものです。実はその前日に、私が所属している会社の部門の懇親会があり、その最後に「一本締め」がありました。その「一本締め」は「タンッ」と手を1回だけクラップするというものでした。三本締めが「タタタン タタタン タタタンタン」を3回手打ちするのだから、一本締めは「タタタン タタタン タタタンタン」を1回手打ちするのが正しいのではないかと思うのですが、何故か、「タンッ」と1回だけクラップするのが定着してしまっています。一本締めは「タンッ」と1回クラップするのではなく、「タタタン タタタン タタタンタン」を1回手打ちするのが正しいのです。
 そう言えば、3月まで火曜日のレッスンを担当していた人気インストラクターの最後のレッスンで、差配師の様な男が前にしゃしゃり出てきて、「一本締め」と称して、ワンクラップする偽物の「一本締め」をしていました。最近の大井町湯屋では無教養な連中が幅を利かせています。

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太平洋戦争当初の連合艦隊司令長官山本五十六元帥は、昭和18年(1943年)4月18日、南太平洋上で敵戦闘機に撃墜され、名誉の戦死を遂げました。55歳でした。

アメリカ軍は、このころすでに日本海軍の暗号電報を解読していましたから、簡単に迎撃できました。山本五十六は気の毒な提督でした。自分の志とはいつも異なる方向に物事が決まってしまいました。

日独同盟も、日米開戦にも反対し、海軍の大艦巨砲主義から航空決戦の時代への移行を主張しても受け容れられず、真珠湾攻撃成功後にすぐに和平提案すべきであることを進言しましたが、これも聞き入れられませんでした。その意味では悲運の提督でしたが、戦後の世界海軍史の中では日本を代表する名提督として、彼の識見、戦略に高い評価が与えられています。

「ヤッテミセ イッテキカセ サセテミテ ホメテヤラネバ 人ハ動カジ」
山本五十六流の人間操縦術は見事だったそうです。

偉くなってからも宴会は賑やかで、酔うと佐世保の町をチャップリンの真似をして歩いたり、芸者をおぶって駈け出したり、茶目っけたっぷりでした。
賭けごとは頭の体操だと言って何でもやりました。「海軍をやめたら、モナコへ行ってバクチ打ちになるんだ」と常々、よく冗談を言っていたそうです。
連合艦隊司令長官室で、平気で好きな芸者に手紙を書いていたのも語り草です。
部下思いも人一倍で、着艦に失敗してオーバーランする飛行機を見て、艦長自ら走り出して止めようと尾翼にしがみついたエピソードなど、枚挙にいとまがありません。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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日曜日は焼酎の試飲会で吉祥寺へ出かけました。昨年までは渋谷の駒場エミナースの会場で行われていましたが、駒場エミナースが会場として使用できなくなってしまったため、今年は吉祥寺の東急インで行われました。
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 会場に向かうため、京浜東北線に乗ると何処からともなく、「りょうちゃん。」との呼び声。同じ車両に春さん、トントンさん、よしえちゃんが乗っていました。そのまま、4名で吉祥寺へと向かいました。
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 吉祥寺に着いて、昼食に「麻辣商人(マーラーショウニン)」で坦々麺を食べました。辛いのが足りない場合は、カウンターに置いてあるラー油や山椒をかけて食べます。この山椒はとても香りがよいのですが、舌が痺れるような辛さでした。
 試飲会会場の東急インのエレベーターの中にいた人が、山椒で舌が痺れたという話をしており、この人たちも麻辣商人で山椒をかけて坦々麺を食べたんだなということがわかりました。

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麻辣商人の店頭
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坦々麺011.gif
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かき混ぜると辛いタレが絡みます。山椒かけ過ぎは注意、舌が痺れます。
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 試飲会会場は大勢の人で賑わっていました。すべてで32の酒蔵さんが出品していました。端から順番に行こうと思ったのですが、人気の酒蔵はたいへんな人だかり。空いている場所を探して、周って行きました。「不二才」の佐多宗二商店、銀座で飲むと1杯5000円は下らない「佐藤」の佐藤酒造、本来は日本酒が有名な八海山、いつも飲む順番を指導してくれる「春雨」の宮里酒造所、「百年の孤独」「中々」の黒木本店、私が好きな「宝山蒸撰綾紫」の西酒造、「もぐら」「黒さそり」のさつま無双、「道中」の常徳屋、「やきいも黒瀬」の鹿児島酒造などなど。枚挙にいとまがありませんでした。070.gif
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西山さん親子と記念撮影。056.gif
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酔っ払いの方々と。037.gif
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最後は記念撮影ですが、アルコールがまわって、ピンボケになりました。
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八海山の焼酎は、酒粕300 kgを蒸留して、50 Lの「宜有千萬(よろしく千萬あるべし)」をつくっているそうです。また国分酒造の「蔓無源氏」はさつまいもの昔の品種の名前で、わざわざ、その芋を復活させて焼酎をつくっているという話を聞きました。試飲をしながら、酒蔵の人から聞く話がまた勉強になり、いいものです。004.gif

しかし、あっという間に終了時間の16:00になってしまいました。外はまだ日も高く、吉祥寺で有名なハーモニカ横町へ行きました、そして井の頭公園の近くにある有名な焼き鳥屋「いせや」にも行きました。
いせやで焼き鳥をひとしきり食べて、井の頭公園で大道芸を見て、帰ってきました。024.gif

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ハーモニカ横町

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いせや068.gif
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井の頭公園072.gif
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by ryott-ryott | 2010-04-21 00:43 | おいしい | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、焼き肉屋「ごぞうろっぷ」に行くヽ(^o^)丿

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 土曜日はいつものように大井町湯屋に行き、奥山エアロ、中国整体、大暴れアクアをやりました。湯屋の廊下に人だかりがしており、見ると4月以降の大井町湯屋のプログラムが掲載されていました。レッスンの名称がかなり変わっていました。そして、私が参加しているプログラムにも大きな変更がありました。特に火曜日夜の人気インストラクターの名前はなく、エアロコンボⅡ45という45分間のレッスンになっていました。私が大井町湯屋に入ってから12年間、火曜日のイントラさんはずっと何かのレッスンを担当されていたと記憶していますが、ついに辞めてしまうのですね。4月からのプログラムを見て、火曜日のレッスンがなくなってしまうことに動揺されている方もいらっしゃいました。長い間、ご苦労様でした。024.gif

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そして、夜は今週は映画ではなく、じゃんけんぽんのトントンさんと春さんに大森の焼き肉屋さん「ごぞうろっぷ」に連れて行ってもらいました。トントンさんの絶妙な焼き加減もありますが、レバーは抜群のおいしさでした。


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(一青窈/花のあと)

 東京・渋谷駅の広場に「忠犬ハチ公」の銅像が立っています。そのハチ公の命日は3月8日です。
 ハチ公は、明治・大正時代に活躍した、農学博士上野英三郎の飼犬で、純粋な秋田犬でした。
上野博士が帝大農学部に出勤するため、毎朝松濤の自宅から渋谷駅まで、ハチ公を連れて見送らせ、夕方は駅まで迎えに出させるほど可愛がっていました。
 ところが、上野家にきてから1年5カ月ほどたった大正14年(1925年)5月21日、ご主人の上野博士が教授会で倒れ、不帰の客になりました。
 ハチ公は知るはずもありません。翌朝から毎日、渋谷駅に出掛けて行きます。
 上野家でも見かねて浅草の親戚の家に預けましたが、逃げ出して、また渋谷駅で空しく主人を待ち続けるのです。雨の日も風の日も、丸10年の歳月でした。
 この美談が新聞に報じられましたから、ハチ公が死んで、お葬式の日は大変でした。
 青山墓地の上野博士の墓地に埋められましたが、「花輪25、生花200、手紙・電報180余通、短冊15枚、色紙3枚、書6枚、学童の綴方30点、清酒4斗樽1本、4日間に御賽銭200余円」と、当時の新聞は大きく伝えています。
 このハチ公の銅像は、最初は犬好きの彫刻家安藤照が『忠犬ハチ公』として帝展に出品したのが話題を呼び、これが縁で駅前に建設されたものです。
 昭和9年(1934年)4月21日、有志の手で建設されましたが、戦時中、供出のため取りはらわれ、戦後「忠犬ハチ公」の像を懐かしむ声が多く、昭和34年(1959年)4月21日、再び建立されました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)
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(映画「花のあと」/予告編)

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子どもの虐待に関する相談がありました。子どもを虐待している親は、過去に自分の親からも理不尽な虐待を受けている場合が多いと言います。虐待は悪いことだと自分の経験から身をもって理解しているはずなのに、自分が親になったときにそれを繰り返してしまう。子どものときに受けた虐待は、それだけ、その人をおかしくしてしまう、今回の相談はその典型例だと思います。

「貴方の人生の物語を聞かせてください。
 正直に話すことで悩みが解決する力が生まれます。
 それは絶望が希望に変わるときです。」


(パーソナリティ:加藤諦三、回答者:マドモアゼル・愛)
http://zoome.jp/game-tv/diary/315/


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専門医から9歳の長男が発達障害であるとの診断をされた母親(31歳)からの相談。
この長男に対してイラついて、顔、頭、体を押さえつけて叩くなど、行きすぎた虐待を加えていた。長男が2歳のときに離婚し、5歳になるまで一人で育てたが、その後再婚し、今の主人とは「前よりは家族になれた」と話す相談者。しかし、心身ともに満たされていれば、子どもに対する虐待は考えにくいと指摘する加藤先生。母親は「この長男とは性が合わず、全く正反対の性格である。」と虐待を正当化する言い訳をする。加藤先生から、相談者とその父母との関係を聞かれると、現在50歳過ぎで、父親が違う兄がおり、5歳のときに発熱が原因で知的障害者になってしまったと話す。自分の実の母親と再婚した実の父親が、その兄をひどく嫌っており、いじめと暴力を繰り返していたという。そして、そのとき子どもであった相談者は、父親の兄に対する暴力をとても辛く感じ、母親も泣かしていた父親が嫌いであった。
相談者が虐待は9歳の長男と性格が違うためと言っているが、その嫌いな父親からの愛情が本当は欲しかったこと、そしてそれを得られなかった心の葛藤が今だに相談者にはあり、それが虐待の原因であると加藤先生は読む。自分の母親と父親との問題を、相談者がきっちり見つめておらず、様々なことを相談者が自覚していないことが長男に対するイライラにつながっているという。虐待は自分の心が原因であるのに、長男が原因であるとして、心を晴らしているだけである。発達障害であると診断された長男に対する対応を間違えるととんでもないことになると警告する。そしてセカンドオピニオンとしてもう一人の専門医にも、自分の心が原因で虐待をして、発達障害であると診断されたことを話して、意見を求めるべきであると説く。


基本的に虐待の場合は母親の立場に立って、虐待が酷くならないように母親を追い詰めないでケアするのが一般的であるが、『変な人が支配権をもって、それに誰も抵抗できない家に病理が生ずる』という考え方を話す愛先生。
 
 相談者の家では変な人は相談者、相談者が育った家では変な人は相談者の父親、しかも誰もその変な人に挑戦する人はいなかった、そうなると、みんなは人間に対する不信感を抱いて生きていかなければならなくなるという。悪魔に心を売り渡した相談者は、本当は純粋で、優しい兄をいじめる父親がおかしいと思ったに違いない。しかし、自分の安心・保全として、その父親を認めざるを得ない時、人間を信じられないということを、心の奥底で学んだはずである。そして、その兄を助けてあげられなかった負い目もある。そして今また、自分が長男に対して父親がやってきたことを再現している。相談者の心は、それほど傷ついておかしくなっており、自分が最低であることをわかっているはずであり、このままいくと、相談者の人生はだめになると警告する。夫の前でも虐待をしてしまう相談者に対して、『何で私を止めてくれないの、とめてよ、わたしを』とお願いしなさいという。長男を叩いている苦しさが夫に伝わったときに、この家は変わる可能性はあると説く。

 この優しい長男が叩かれることで、相談者のまだ解決していない問題をあからさまに見せてあげあげており、母親を助けようとしていることを、愛先生が涙ながらに訴えています。そして、長男の虐待を見ている二番目の子の姿は昔の相談者の姿であり、その子の人生も壊している、だから止めなければならないと説いています。


今まで話してきた環境の中で生きてきた自分をすごいと思うことにより、自分に対する怒りが消える、そして長男に対する怒りも消えるはずであると、加藤先生が相談者を諭します。

『悩みは自分の心が原因なのに、外に原因があると思っている人がいます』と最後に加藤先生が締めくくっています。


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by ryott-ryott | 2010-03-07 11:15 | おいしい | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、中丸家新年会訪問ヽ(^o^)丿

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今週の3連休は家でおとなしくしておりました。もちろん湯屋には出かけましたが。土曜日も日曜日もいい天気。11日の成人式の日はあいにくの曇り空。中国整体院の先生は月曜日がお休みなので、いつも月曜日に写真を撮りに行かれるそうです。しかしながら、11日月曜日は厚い雲が垂れこめており、雲の隙間からわずかに日の出の太陽が見えた時間は30秒だったそうです。先生は「仕事の時はいつもいい天気。」と嘆いておられました。037.gifその先生から別府の日の出の写真の構図として、手前の岩を入れて、太陽が地平線に近い方がよいとアドバイスを受けました。冒頭の写真は、そのようになっている写真を選んでみました。058.gif

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日本で最初の実測地図を作った江戸中期の地理学者で測量家の伊能忠敬は1745年1月11日に上総国山辺郡小関町(現在の九十九里町)に生まれました。
18歳の時に下総国佐原村にあった伊能家の婿養子に入りました。伊能家は代々の名主をつとめる名家で酒の醸造を営んでいましたが、負債で没落しかけていました。
忠敬は江戸に薪問屋を開き、米や雑貨の売買にまで手を広げて、その利益で酒造業も再興させます。養子としての仕事を果たすと、長男の影敬にさっさと家督を譲って。勘解由(かげゆ)と名乗り、隠居して江戸にうつりました。
そして若い時から好きであった数学、地理、天文の学問を学ぶために、幕府の天文方・高橋至時(よしとき)のい門下に入りました。このとき忠敬51歳、至時32歳です。
忠敬は西洋の暦法を学ぶ一方で自宅に新式の測量機を備えて天文測量に励み、いつしか有数の測量家として知られるようになりました。

師の至時は、忠敬の測量技術を高く評価し、幕府に推薦して、北辺防備に必要な蝦夷地の南東沿岸の測量に当らせました。忠敬55歳の時です。
その後16年間、忠敬の測量は日本全土に及びました。そして日本全土の測量が完成し、日本全図の地図の作成が行われているとき、忠敬は惜しくも完成を見ることなく文政元年(1818年)4月13日74歳でその生涯を閉じました。
至時の子・高橋景保が、門人たちと忠敬の測量をもとにして「大日本沿海輿地(よち)全図」、「輿地実測録」を完成させたのは忠敬の死後3年目のことでした。

これは日本初の科学的実測地図で現在の地図と比較しても驚くべき正確さだったと言われています。高橋至時と伊野忠敬は日本地図の父と言われています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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ピエール・オーギュスト・ルノワール(1841-1919)「船遊びをする人たちの昼食」
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今週の土曜日はいつものように奥山エアロと中国整体と大暴れアクアをやりました。そして夕方、湯屋仲間の中丸さんのお宅での鍋パーティーを兼ねた新年会にお誘いいただきました。024.gif
中丸家で用意された鍋以外にも、皆さんが持ち寄った食べ物で食卓がいっぱいになりました。

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トントンさんが持ってきたカニ011.gif
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よしこさんのお母さんが煮た海老芋011.gif
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吉田さんが持ってきたコロッケ
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ベリル・クック(1926-2008)「ロッキャー・タヴァーン」
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ラウル・デュフィ(1877-1953)「木陰の騎乗者たち」
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ジョルジュ・スーラ(1859-1891)「グランド・ジャット島の日曜日の午後」
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ピエール・オーギュスト・ルノワール(1841-1919)「陽光の中の裸婦」
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最後に記念撮影と思ったのですがいつの間にか皆さんご帰宅されていました。037.gif
エドヴァルト・ムンク「叫び」

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by ryott-ryott | 2010-01-17 14:27 | おいしい | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、師走の荏原町を行くヽ(^o^)丿

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今日5日は大井町湯屋がお休みでした。なので、いつもの予定は中国整体のみでした。中国整体の先生は11月の3連休は京都に行かれて、紅葉に染まりつつある京の街を撮影されたそうです。施術前に撮影された何枚か見せて戴きましたが、撮影枚数は600枚を越えたそうです。11月の3連休の京都は2日目午後に雨が降った以外は天候にも恵まれて、青空のカンバスに紅葉がよく映えていました。私が行った能登半島は京都とそんなに離れていないと思いますが、結構、天候が違うものだなと思いました。先生は私のこの「土曜日歳時記」に載せた「能登牛」の写真を見て、「おいしいもののばかり食べるから、痩せられない」と鋭い指摘をされてしまいました。041.gif

川上貞奴
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NHKの大河ドラマに登場したので、「マダム・貞奴」が有名になりました。彼女のような、波乱万丈、激しい生きざまを見せた人は、もう出てくることは少ないでしょう。
 彼女は明治5年(1872年)、日本橋に生まれました。家の事情で7歳の時、葦町の芸妓置屋「浜田屋」の養女となり、16歳で奴(やっこ)と名のって芸者に出ました。
 彼女には、伊藤博文など明治の政財界有力者のごひいき筋がいましたが、オッペケペエ節と壮士芝居で有名になった川上音二郎に熱を上げ、明治27年(1894年)、芸者を廃業して結婚しました。
 音二郎は、間もなく新演劇の勉強もかねて、欧米巡業を思い立ちます。ところが外国では女形(おやま)が不評です。やむを得ず彼女がピンチヒッターとして女優をやることになりました。芸名もあわてて本名の貞と芸者時代の奴をとって「貞奴」とつけました。
 この貞奴の演技と舞踊が各地で絶賛を浴びました。
 帰国後「川上一座」を旗揚げしましたが、とうとうわが国でも初の女優として貞奴が出ないわけにいかなくなりました。しかし、その興業の浮き沈みは激しく、二人で小舟を借り出し、太平洋を渡ろうという騒動なども引き起こして話題になりました。
 明治44年(1911年)、夫の死後、一座を率いて芝居を続けましたが、大正7年(1918年)、彼女は引退しました。
 当時、47歳、福沢諭吉の娘婿・実業家福沢桃介と同棲、「川上絹布株式会社」をつくってもらい、生活に不自由なく、静かな晩年を過ごしました。
 終戦後の昭和21年(1945年)12月7日、伊豆熱海の別荘で75歳の生涯を閉じました。

 兎も角も隠れすむべく野菊かな  貞奴

(小学館「一日一話人物歳時記」より)




(忌野清志郎/雨上がりの夜空に)

雨上がりの荏原町072.gif
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今日の夜は大井町湯屋仲間の吉田さん夫妻にお誘い戴き、荏原町の「ちゃんこ晴海」に行きました。若い店員さんの元気がよく、活気があるお店です。実は前日の金曜日は会社の人たちと同じく荏原町の「さ久」さんへ行ったので、2日連続の荏原町でした。

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「ちゃんこ晴海」は相変わらず大変な賑わい。夜7時に行ったのですが、10分も経たないうちにテーブルも座敷も満席になりました。私たちのグループは吉田さん夫妻の他は、はんにゃ阿部ちゃん、晴れ男さん、理枝ちゃん、そしていい歳、私の6名でした。本来ならば特別ゲストにらてこんさんもお誘いしていましたが、突然の体調不良で来ていただけませんでした。早く良くなってください。そして、大見ちゃん、よし子さんも不参加になり、6名で9人分の料理を平らげました。コース料理以外のも注文可能だったのですが、さすがに誰も注文せず、出されたものだけで満腹になりました。刺身、牛肉のたたきから始まって、特大の海老フライには吉田さん夫妻もびっくりしていました。そして、途中に出して戴いた「煮込み」は絶品で、口に入れると溶けてしまうほど柔らかくて、とても美味しかったです。晴れ男さんもこの「煮込み」を絶賛していました。
 最後はいつものことながら、ちゃんこ鍋の〆。いつものことながらと言っても店に行くのが今回3回目です。塩味と味噌味をお願いしました。いずれも美味しい。美味しいという以外に言葉が思いつきません。プロの力士がちゃんこ鍋を1週間食べて、体重を5 kg増量して体をつくると言います。ちゃんこ鍋は滋養のある食べ物だそうです。大見ちゃん、よし子さんはともかくとして、らてこんさんに食べさせてあげたっかたです。料理に感動した吉田さん夫妻がすぐさま新年会を発案し、次回2月6日土曜日に旧正月の新年会として「ちゃんこ晴海」に予約を取りました。
 料理に満足して、大井町湯屋の情報交換をして、次回新年会の予約を取って、いつものように店内と店の前で記念撮影をしました。


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皆さんが絶賛していた「煮込み」
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 帰り道、荏原町駅で晴れ男さんが携帯を騒ぎ出しましたが、皆さんがちゃんと持ってきてくれていました。晴れ男さんは、エルビーさんのことを言えないくらいに、携帯をよく忘れてしまうそうです。携帯が出てきた記念写真を撮ればよかったですね。037.gif

 土曜日、昼からあんなに降っていた雨が私たちの帰りに合わせてくれて、ぴたりと止んでいました。今年、あと何回忘年会をやるのかわかりませんが、次回の忘年会の約束を交わし、それぞれの道を帰って行きました。
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特大エビフライ011.gif
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ピンボケしてしまいました。
阿部ちゃんがエビフライをかじっている写真はいつの間にか削除されてしまいました。
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塩ちゃんこ。
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味噌ちゃんこ。見た目はわかりません。
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店内で記念撮影。061.gif
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店の前で記念撮影。061.gif
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by ryott-ryott | 2009-12-06 11:54 | おいしい | Comments(0)

荏原町「ちゃんこ晴海」へ行きましたヽ(^o^)丿

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今日は酒田日記を離れて、いつもの土曜日の報告です。056.gif
土曜日はいつものように裕太郎エアロ、中国整体、大暴れアクアビクスをやりました。そして26日の土曜日は裕太郎さんのエアロが最後でした。多分、現在ある大井町湯屋のレッスンの中で一番強度が高い有酸素運動だったと思います。このレッスンに参加するといつもグッタリしてしまいます。でも、このレッスンに出ているおかげで他のレッスンがとても楽にできました。また裕太郎さんの追っかけの方も多く、ルール違反ですがトイレで着替えて、いち早く場所取りをされる女性の方がいたり、噂では裕太郎さんの住んでいる家の近くに引っ越してきた女の子もいると聞くくらいの人気ぶりでした。
 来週からはこの人気レッスンがなくなると少しは静かになるのでしょうか。071.gif


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(ゆうひが丘の総理大臣/中村雅俊/時代遅れの恋人たち)

小野小町は平安初期(9世紀ごろ)の女流歌人で、「六歌仙」の一人として「古今集」をはじめ、数多くの勅撰歌集に秀歌をのこしています。生没年ともに不詳、そして絶世の美女だったと言われています。

小野小町に関する伝説、お墓は全国に点在しており、福島県に生地といわれる小野町があります。これは同じ小野一族で、浄瑠璃節の祖と言われた小野お通が、小町を主人公にした歌物語、恋物語、人生落魄(らくはく)の物語に仕立てて諸国をまわった影響とみられています。能の世界でも「小町もの」の人気は高く、さまざまな小野小町の生きざまを描いています。

才色兼備の絶世の美女、小野小町に憧れる男性は多く、中でも深草の少将の「通小町(かよいこまち)」は有名です。深草の少将が小野小町に「私のもとに、なんとしても嫁に来ていただきたい」と言い寄るところ、小町は「ならば百夜(ももよ)通ってください、そうすればあなた様のもとに参りましょう」と返事をします。「百夜通え」とは百日間欠かさず来ることを要求しました、しかし部屋に入れてくれるわけではありません。小町の住むところまで通ってきて、その外で歌などを詠んで帰っていくという繰り返しです。深草の少将はやりました。99日通い、あと一日で百夜だというところで、病を得て、とうとう焦れ死にをしてしまいました。
小町に仕えていた女中衆が、小町にそのことを知らせると、表情も変えずに脇に置いてあった「ほれ帳」と書かれてあった手帳を開き、イロハの順の「フ」の部に書いてあった深草の少将の名前に棒を引いてあっさりと消してしまったという話です。
実は小野小町は女性としての機能がなく、男性を受け入れることが出来ない体であったと言われています。それなのに「百夜通え」というのはイカサマじゃないかと、後に川柳を詠む江戸っ子たちは小野小町のことを「穴なし小町」と言うようになりました。
 裁縫に使う、穴のない針のことを「待ち針」と言いますが、もともとは「小町針」と言われており、「小」がとれて「町針」になり、「待ち針」となりました。

 小野小町は「俳句歳時記」では観音様の化身と言われており、その縁日である3月18日を「小町忌」としています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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大井町湯屋の小野小町、湯屋小町。な~んて、うそです。041.gif
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この日は兼ねてから皆さんから行きたいと要望があった荏原町の「ちゃんこ晴海」に行くことが出来ました。実はこのお店は大変な人気でなかなか予約が取れません。前回などは予約の電話を入れた時は2ヵ月先でも予約が取れませんでしたし、芸能人の常連客も多数いるようです。そして、今回は約1ヵ月前に予約の電話を入れて、幸運にも9月26日に予約を取れました。

大井町湯屋仲間の晴れ男さん、エルビーさん、湯浅さんご夫妻、理枝ちゃん、阿部ちゃんといい歳、わたくしの7名で「ちゃんこ晴海」を訪れました。いつもながら、晴れ男さんは約束の時刻から遅れて待ち合わせ場所に到着、最年長の方が「遅い!」と言って鬼みたいな顔で怒ってましたよ。
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ピーマンに挽肉を入れて揚げたもの011.gif
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つくねの天ぷら011.gif
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なんだかんだと言いながらも、7時前にはお店に着くことができました。地元のエルビーさんは既に到着していました。
大井町湯屋もお姉さん方から「ちゃんこ晴海」に行ったら、ピーマンにつくねを入れた揚げものを頼むべきだとアドバイスを受けていたので、もちろんオーダーしたのですが、頼んだお料理はどれも美味しかったです。お店は瞬く間に満席に。しかも若い店員さんが元気で、お店に活気がありました。この味でこの人気なら、なかなか予約を取れないのも納得できました。
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そしてエルビーさんお勧めの海老フライも頼みました。もの凄いボリュームで、衣の量が少なく、中はほとんどが海老でした。これには皆さん大喜びでした。060.gif

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ちゃんこ鍋の写メを撮る、奥様062.gif
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もちろん、ちゃんこ鍋も戴きました。味は塩、醤油、味噌、キムチの4種類。塩と醤油をそれぞれ1つずつ頼みました。これもまた美味しい一品でした。お店のご主人は昔、相撲部屋にいたそうであり、その時の味がベースになっているとのこと。こんなに美味しい「ちゃんこ鍋」を毎日鱈腹食べていれば、体重がgainすることは間違いないと思います。041.gif

「ちゃんこ晴海」での夜は賑やかに更けていきました。032.gif

晴れ男さん、途中シャバーサナ037.gif
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店内で記念撮影061.gif
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店頭で記念撮影061.gif
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by ryott-ryott | 2009-09-27 12:26 | おいしい | Comments(6)