カテゴリ:2012年最後の夕日( 1 )

年末年始の風景、大晦日その年最後の夕日

旅行・地域
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 新年あけましておめでとうございます。年末年始から暴飲暴食の日々が続いています。その暴飲暴食の片棒を担いでいるのは勇才さんです。通常のお店は12月28日までの営業ですが、勇才さんのお店は年末年始休まずに営業し、1月5日(土)から9日(水)までお休みするそうです。その勇才さんに行くと、12月22日マヤ暦最終日には何も起こらなかったけれども、確実に最終章へのカウントダウンが始まった気がするとおっしゃっていました。
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 また先日の12月16日(日)に行われた衆議院選挙では不正選挙が行われた可能性があるともおっしゃっていました。投票用紙、投票箱、票の回収と集計は株式会社ムサシという会社が一手に請け負っており、当初の出口調査と比べると、明らかに1000万票が忽然と消えてしまったと言うのです。この1000万票が消えなければ、日本未来の党が30%以上の得票率で第1党になっていたはずであり、そうはさせてはいけないという力が働いたというのが勇才さんのご意見です。こういうお話を勇才さんにさせると、いつまでも話しています。 今年も木曜スペシャル的なお話、楽しみにしています。038.gif
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 おだまき。茶碗蒸しにうどんを入れたものです。勇才さん子どもだった頃のおやつだそうです。
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 お刺身。
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 西京漬け。
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 鴨鍋。
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 グリーンカレー。
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 このお酒はモーツァルトを聴かせて発酵させたそうです。“Sonzen”(ソナタ)といいます。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 12月31日の夜のテレビは「紅白歌合戦」「ゆく年くる年」に続いて、各地の”除夜の鐘”を聴かせてくれます。最近は、衛生中継を使って中国の名刹寒山寺の”除夜の鐘”まで聞かせてくれるので、近年はこの寺の”除夜の鐘”を聴きに、大晦日になると、たくさんの日本人観光客が訪れます。

 寒山寺は、中国蘇州の西郊5 kmの楓橋鎮にあって、6世紀初頭(梁代の天監年間)に建立され、唐代の詩僧寒山が住職をしていた関係で、寒山寺と名づけられました。唐代の詩人張継がこの寺に寄って、楓橋鎮に夜泊したときつくったのが、『唐詩選』に載っている有名な七言絶句『楓橋夜泊』の詩です。

  月落烏啼霜満天(月落ち烏啼いて霜天に満つ)
  江楓漁火対愁眠(江楓漁火 愁眠に対す)
  姑蘇城外寒山寺(姑蘇城外 寒山寺)
  夜半鐘声到客船(夜半の鐘声 客船に到る)

 愁眠とは旅愁のことで、旅先でなかなか寝つかれないこと。姑蘇城は今の蘇洲の町。春秋時代、呉王夫差の宮殿のあったところです。古来、この近くに烏啼山という山があるので、「月は烏啼に落ち」と読むのが正しいと議論されましたが、調べた結果、この山の命名はこの詩のできたあととわかって一件落着しました。
張継は中唐の詩人で、襄州(湖北省襄陽)の人です。官吏で『楓橋夜泊』と題する詩集一巻があるだけです。

 “除夜の鐘”は日本では大晦日、百八の煩悩を洗い清めるために撞きますが、本来中国では唐の時代は各寺院で朝夕毎日撞いていたそうです。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 さて、ようやく休暇に入り、年末は神棚の御札を納めに戸越八幡神社へ行ってきました。その途中に戸越公園があるのですが、ヒマラヤザクラが咲いていました。056.gif
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 戸越八幡神社。
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 「戸越」の名前の由来の碑。ここは坂道の上に有り、昔は小高い丘になっていたようであり、その丘を越えていくと江戸を超えるので、「戸越(とごし)」という地名がついたようです。私はこのことを小学校2年生の社会科で習ったのを覚えています。
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 ルンビニ幼稚園のお地蔵様。
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 12月16日のブログで、映画館「大井武蔵野館」があった通りの写真を品川WEB写真館から引用して紹介しました。
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 その通りは現在、このようになっています。左手前のマンションの場所に「大井武蔵野館」がありました。
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 その奥に見える高い建物は広町にあるJR社宅のアパートです。昔は郷ひろみとその家族が住んでいたという噂がありましたが、見たことはありません。
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 年末の大掃除で書類を整理していると、上智大学から送られてきた来年度のカレンダーが出てきました。その写真の中に大正3年(1914年)に完成した赤レンガの校舎の写真がありました。昨年の1月、広島へ行った時にピースボランティアの辻さんのお仲間の細川さんから、原爆ドームである広島物産陳列館を設計したヤンレツルが上智大学の校舎も設計していることを教えていただき、6月のゲンダマ会のときに、先生方はじめ、知っていそうな年寄りの方にそのことを尋ねてみましたが、誰ひとりご存知の方はいませんでした。その後、フェイスブックにヤン・レツルの記事があり、あのウキペディアに上智大学は関東大震災(1923年)で倒壊したと記述されていました。校舎の一部でも残っていたら、写真に撮りたいと考えており、90年も前に地震で倒壊したら、その一部も残っていないだろうとあきらめていました。
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 しかし、そのカレンダーには大正3年(1914年)の校舎が写っていました。年代的に見ても、おそらくはこの赤レンガの校舎こそ、ヤン・レツルが設計したものに間違いないと思います。私はこの写真をスキャンして、すぐに広島の辻さんへ送りました。写真はその上智大学の赤レンガ校舎で、カレンダーをスキャーナーで画像にしたものです。
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 赤レンガ校舎の教室。
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 メインストリート。昭和7年(1932年)。
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 聖イグナチオ教会の前のカマボコハウスと書いてあります。昭和25年(1950年)。何のために建てられたのでしょうか。
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 聖イグナチオ教会。昭和30年(1955年)。右上に見えるのは迎賓館だと思います。
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 上智会館学生寮。昭和33年(1958年)。現在は取り壊されて、ありません。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度


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 12月31日、お天気であれば、毎年、その年の最後の夕日を見に行くことにしています。初日の出はたくさんの方が見に行かれるようですが、その年最後の夕日を見に行く人はほとんどいません。おそらくはいい歳、りょうちゃんだけではないでしょうか。今年は海浜幕張に行ってきました。海浜幕張駅を降りて、約20分で海浜幕張公園の砂浜につきます。天気が良ければここから富士山が見えるのですが、今日の大晦日は見えませんでした。
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 南のほうは青空が見えています。
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 北のほうには東京スカイツリーが見えます。
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 この日は風もなく、穏やかな一日であり、浜辺に遊びに来ている人がいました。
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 徐々に日が傾き、真上の厚い雲の中から師走の太陽が現れました。058.gif
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 周囲を赤く染めながら、太陽が降りてきます。
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 工場の煙突からの炎で太陽が燃えているように見えます。
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 太陽が沈みきり、海と空が真っ赤に染まりました。
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


 
新年山行は丹沢・仏果山に行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2013-01-02 11:56 | 2012年最後の夕日 | Comments(0)