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二十年 六日 九日 十五日 ~あやまちは繰り返しませんから~

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木洩れ日さんのごはん011.gif
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ごはん屋さん「木洩れ日」
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今週は夏休み明けで溜まっている仕事を片づけなければならない1週間でした。休み前に片づけたはずなのですが、休みが明けると何故か次から次へとやっつけなければならないことが発生していました。したがって、今週はじゃんけんぽんには一度も行けませんでした。

そして今週の芸能界は大激震だったのではないでしょうか。酒井法子の失踪から一転して容疑者へ、そして逮捕。私はドラマの「星の金貨」が大好きだっただけに、とても残念です。また、女優の大原麗子が自宅でひっそりと亡くなっていたニュースにも驚きました。私が子どものころからテレビに必ずと言っていいほど出演していましたが、最近は女優業を休止し、自宅療養していたとのことです。今年入社した新入社員が大原麗子を知らないということにも驚きました。026.gif


(藤山一郎/長崎の鐘)

昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。
快晴の広島市中央部上空から、「ピカ」、「ドン」という一瞬の光と音とともに、世界で最初の原子爆弾が投下されました。

この原爆の熱と爆風と放射能で、人口40万人の広島市民のうち、23万人から27万人が即死もしくは5年以内に生命を失いました。
 爆心地に近い、原爆ドームの残骸が見える広島平和公園では、毎年この日、この時刻に、慰霊祭、平和の式典が催されます。

 この広島の原爆で亡くなった演劇人のひとりが新劇俳優の丸山定夫でした。
 どんな人だったかは、彼の友人たちが彼を偲んで鎌倉妙法寺境内に建てられた記念碑の碑文を読むとわかります。

「・・・・独異の性格俳優として、『新劇の団十郎』とまでいわれ、新劇史上に不朽の名を止めた。
 人間としても、よく読み、よく歌い、よく恋し、友を愛し、人の世話をみ、純情で柔軟な心情をもって、知る人すべてから愛された。
 が、昭和二十年八月六日、広島市堀川町九十番地『移動演劇さくら隊』の宿舎で、アメリカ軍投下の原爆に遭い、十日間の苦闘の末、十六日厳島存光寺の庫里で、四十三年の命を閉じた。
 その後、埋められた場所さえ知れずにいたのを、最近この地に朽ちかけた墓標が発見され、友人知人たちの協力で、新しく記念碑が建てられた。
 知友代表としてその由来を記す。                    藤森茂吉」

劇団の重鎮として活躍していた滝沢修、宇野重吉、杉村春子、山本安英と仕事を共にしており、生きていたら、新劇が違っていたかもしれないとの声が聞かれます。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(Metis/アオギリの木の下で)

今週の土曜日はいつものように大井町湯屋へ行き、裕太郎エアロ、トレーニング、大暴れアクアをやりました。気温が高いこともあり、大暴れアクアは今週もかなりの人出でした。そして、その合間に坐骨神経痛の治療で中国整体院へ行きました。

この中国整体院は山田電機のそばのビル4階にあり、同じフロアに民主党の事務所があります。最近は人づてで、大井町湯屋の方がかなり通っているとのこと。しかしながら、先生がおっしゃるには、大井町湯屋から来る患者さんは我流のトレーニングをしている人が多く、体が変形している方が多いとのことでした。実際にトレーニングをしているところを見なくても、その人の体を見れば、間違った方法を繰り返していることがわかるそうです。私の場合は体の右側に重心が寄っており、右側の足が常に凝っているとのこと。普段も、右に持たれがちの筈なので、まっすぐ姿勢よく立つように指導されています。

そして、誰でも左右の強弱がありますが、弱い方を重点的にトレーニングすることはせず、弱い方に合わせて、左右均等の負荷でやることが常識だそうです。ついつい弱い方を強くするために重点的にやってしまいそうですが、これではいつまで経ってもアンバランスは解消されず、ひどい場合は変形してしまい怪我につながるそうです。一流のアスリートの中にも、結構そのことを知らない方が多く、怪我を繰り返しているそうです。

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今日は星野富広さんの最新刊「風の旅」から幾つか詩を写真で紹介します。056.gif

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by ryott-ryott | 2009-08-09 13:04 | Books | Comments(2)

豚バラの角煮と「よみがえる明治の東京」

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夏休み4日目。夏休みも残すところ、あとわずか。しかし、あまりの暑さに外出する気になれませんでした。

昨日の晩もじゃんけんぽんへ寄りました。昼間のajitoさんで牛肉ブロックが完売して食べられなかったため、トントンさんが豚バラ肉で作った角煮を出してくださいました。歯の悪い人でも、簡単に噛むことができるくらいにとても柔らかく、美味しかったです。
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(ロッテ Fit's CM/たむらぱん)

正岡子規の後継者として「アララギ」短歌の主宰者であった伊藤左千夫は、千葉県九十九里浜の波の遠鳴りの聞こえる成東町の農家に生まれました。24歳のとき、独立して東京芽場町で牧場と牛乳搾取業を経営し、そのかたわら、友人のすすめで短歌の道に入りました。

牛飼が歌詠むときに世の中の 新しき歌大いにおこる

「左千夫歌集」の扉にある代表的な歌の一つです。
彼は大正2年7月30日、脳溢血により48歳で亡くなりましたが、その短い生涯の中で3000の短歌、300編の歌論、50編の小説、その他随想、紀行文を残しました。

 左千夫門下から島木赤彦、斎藤茂吉、土屋文明、釈迢空(しゃくちょうくう)など大正・昭和歌壇を代表する作家を輩出しています。
 歌人として有名な人でもありますが、一般には「野菊の墓」の作者としてのほうが知られているかもしれません。
 「野菊の墓」は明治39年1月の「ホトトギス」新年号に掲載されたものですが、それを読んで夏目漱石は絶賛したと伝えられています。
 時は明治、舞台は千葉県松戸市の「矢切りの渡し」のあるかいわい。主人公の政夫が、少年時代、病気がちの母の手伝いに来ていた、親戚筋の17歳の娘、民(たみ)に抱いた初恋を回想する形式で書かれています。
 「矢切りの渡し」が望める小高い小公園の中に、「野菊の墓」の文学碑が建っています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(たむらぱん/ゼロ、ガムのCMを歌っている歌い手さんと同一人物らしいです。とても同一人物には思えない、いい歌だと思います。)

今日はあまりに暑いので、つい先日届いた写真集を見ていました。晴れ男さんがよく見るような「写真集」とは違います。041.gif前々からほしいと思っていた「写真集」で、明治時代の街並みや風俗文化を再現したものです。「よみがえる明治の東京 東京十五区写真集」です。角川学芸出版から出て、7980円。少し高いですが、当時の様子を知るにはとてもいい写真集です。

この写真集のサブタイトルにも書かれているように、今の東京23区は昭和22年に成立したものであり、最初は東京15区でした。麹町区、神田区、京橋区、日本橋区、赤坂区、麻布区、芝区、四谷区、牛込区、小石川区、本郷区、下谷区、浅草区、本所区、深川区の15区です。私が住んでいる品川区もお隣の大田区、そして板橋、渋谷、中野、豊島、荒川、足立、葛飾、江戸川、杉並、世田谷など東京に入ってなく、昭和7年に東京35区を経て、今の23区になりました。品川区は品川区と荏原区が一緒になり、大田区は大森区と蒲田区が一緒になってできました。

江戸幕府から明治政府に替っても、人々の暮らしは大きくは変わらなかったようです。明治初期の庶民の生活はまだまだ江戸時代と変わりなく、それが反映されている写真もあると思われます。近代化が進んだのは明治後期になってからで、近代化が進んだ東京と、江戸時代の街並みが残る東京が混在しています。
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上野大仏。上野に大仏があったそうです。明治6年(1873年)に公園開設と同時に取り払われました。
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荒物売り。家庭雑貨を小車に積んで町々を売り歩いていたそうです。
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寺子屋の手習い風景。
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看板書き。
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浅草仲見世。今と趣が違います。
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隅田川の花火大会。享保年間(1716年)から始まったそうですが、今のように色とりどりの花火が楽しめるようになったのは明治以降です。よく水戸黄門のような時代劇で花火職人が色を出すために苦労しているという話はテレビの創作です。
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吉原遊郭の大門。
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銀座4丁目。
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明治5年の品川駅。
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烏森駅(現新橋駅)。明治42年(1909年)に開業し、大正3年(1914年)に全面的に取り壊されて、2階建ての駅舎になった。
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(たむらぱん/責めないで)


(たむらぱん/ちゃりんこ)

by ryott-ryott | 2009-07-30 17:25 | Books | Comments(2)