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上智大学100年史とともに、銀祝での再会を祝う

旅行・地域
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 日本ダービーの結果は、私が推したロゴタイプは直線伸び切れず5着に敗退し、1番のキズナが外から差し切って優勝しました。私はロゴタイプの持つ朝日杯FS ①着→スプリングS ①着→皐月賞①着の戦績を重視しましたが、優勝できませんでした。レースが終了し、今、考えられることは血統オペレーションが大きく働いていたということが考えられます。キズナはディープインパクト産駒でした。特に3歳の主要レースでは1つの血統だけが起用されることがしばしばあります。今回もHail to Reason系が起用されたということでしょうか。今後検証したいと思います。
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 5月25日(土)は約3週間ぶりにじゃんけんぽんに行ってきました。トントンさんとはるさんから何日か前に私の知り合いで大井町湯屋の会員で若くて目がクリっとしたきれいな女性の方がお店に来たと教えていただきました。目がギャロっとした人は知っていますが、若くてきれいな人は残念ながらおりません。私の知っているみなさんは、もう何年も前に女性でなくなった方ばかりで、私には心当たりがありませんでした。「若くてきれい」という点では、インストラクターのしのちゃんしかいませんが、わざわざ大井町に来るとは思えません。一体、誰だったのでしょうか。ご連絡をお待ちしております。037.gif
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 さてこの日も自分の健康、減量のため、野菜中心で高タンパク低脂肪のお料理を出していただきました。写真は正雪の天満月(あまみづき)という日本酒です。「天満月」とは満月を意味します。
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 鳥貝。
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 鳥のレバー。
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 鳥のムネ、モモ、セセリ。
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 焼き上がり。
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 これは何でしたっけ。
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 最後にカツオの漬け丼をいただきました。私がカツオの漬け丼を食べたいというと、「そんなもの食べてはいけない」と苦言を言って、私の健康と減量を心配し、小さいサイズのものを出してくれました。私を太らせて殺そうとする勇才さんと違って、とても優しいお店です。
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 そして、この日、お店には鳶職の山ちゃんが来ていました。山ちゃんは歯がないため、いつも柔らかいお豆腐しか食べられません。その山ちゃんから「大井町」の名前の由来を教えていただきました。大井第一小学校の近くに光福寺というお寺が今でもありますが、その敷地内に大きな井戸があって、周辺の人たちが生活用水やお産のときの産湯につかっていたそうです。その大きな井戸を中心に人々が生活し、町が形成されていき、「大井町」という名前が付いたそうです。その大きな井戸は現在は存在せず、江戸時代までの話です。何回もこのブログのなかで紹介している「戸越」の由来は、私が小学校2年生の時に社会科の授業で習いましたが、「大井町」の由来は初めて聞きました。私が小学生当時は、地域の名前の由来について、地域ごとに教えていたのだと思います。山ちゃんは鳶職だけあって、相撲取りが大っ嫌いだそうです(め組の喧嘩を調べてください)。037.gif041.gif


(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 詩人竹内浩三といっても、その名前や作品を知っている人は少ないでしょう。彼は大正10年(1921年)、伊勢市に生まれ、宇治山田中学在学中、宮沢賢治の詩に魅かれ、試作の道に入りました。

 昭和17年(1942年)9月、日大芸術科を繰り上げ卒業となり、茨城県筑波山麓の落下傘部隊に入隊しました。その後比島作戦に従軍し、昭和20年(1945年)4月、壮烈な戦士をとげました。陸軍兵長、23歳でした。

 昭和30年(1955年)、姉や同級生の手によって遺稿集『愚の旗』が出されました。私家版のわずか200冊の少数部にしか過ぎませんでしたが、収められた作品『骨のうたう』が注目されました。

 詩人の桑島玄三は、彼の筑波時代の記録『筑波日記』をもとに、『純白の花負いて―――詩人竹内浩三の“筑波日記”』(理論社)を出しました。そして昭和55年(1980年)5月25日には、彼の故郷、竹内家の墓地のある朝熊山上に、遺族や旧友たちの手によって、彼の詩碑が建立されたのです。

 アア 戦死ヤアワレ
 兵隊ノ死スルヤアワレ
  コラエキレナイサビシサヤ
 国ノタメ 大君ノタメ
 死ンデシマウヤ ソノ心ヤ

 『骨のうたう』の最後の一節が刻まれています。

 昭和57年(1982年)8月には、神戸女子大教授足立巻一の『戦士ヤアワレ―――無名兵士の記録』(新潮社)が出され、さらに同年8月には、NHKが湯浅譲二の音楽で、ドキュメンタリー『戦死ヤアワレ』を放送して話題を呼びました。『君死にたもうことなかれ』につぐ反戦詩です。「戦死ヤアワレ」ですが、「戦争ハモットアワレ」です。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 5月26日(日)は上智大学に行ってきました。この日は卒業後25周年の「銀祝」という同窓会がありました。
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 25周年の「銀祝」の他にも、50周年の「金祝」と15周年の「銅祝」がありました。
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 この日は上智大学が創設100周年を迎え、構内は屋台が並び、大勢の人で賑わっていました。
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 この写真は10号館で行われた「金・銀・銅祝」のお祝いセレモニーの様子です。まずは校歌斉唱から始まりましたが、私はこの校歌の曲調は25年経ってもあまり好きにはなれません。
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 この方はNHKの解説員だそうです。
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 セレモニーが終わって、銀祝の祝賀会が始まるまで約1時間半もあったので、ブラブラと露店を周り、ビールを飲みながら、化学科がある4階フロアーに行ってみました。25年経過しても、研究室の様子は変わらず、汚いままでした。以前に有明に移転するというお話も聞きましたが、入札に負けて頓挫してしまったそうです。また敷地の一角にあった上智会館が取り壊されて、2号館規模の建物を新築する計画があり、寄付金を募っていました。しかしながら、その新しい建物の中にも理工学部は移る予定はなく、しばらくは現在のままだそうです。
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 土手にも行きました。日曜日にもかかわらず、体育会系の学生が練習に励んでいました。
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 土手からは迎賓館が見えます。また25年前にはなかった六本木ヒルズも確認できました。
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 土手に咲いていた名も無き花です。しばらく土手を散歩しましたが、ここでも親指大の巨大なスズメバチが耳元をかすめていきましたので、慌てて退散しました。おそらくは、この土手のどこかにスズメバチの巣があるのでしょう。大学の皆さん、ハチに刺されないように気をつけてください。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(あづみ野うたごえ喫茶/あの素晴らしい愛をもう一度)

あの素晴らしい愛をもう一度(作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌:dicot)

夜が
命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変わってないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

広い荒野にぽつんといるよ
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

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 スズメバチから逃げるようにして、また大学構内に戻ってきました。露店で買った生ビールを飲んでいると、隣の銀祝に出席すると思われる男性が私の顔をじっと見ているので、「化学科出身の方ですか?」と尋ねると、違うとのことでした。037.gif
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 幹事の方から昨年の銀祝の様子の写真が公開されていることを教えていただき、その写真は見ていましたが、写っている方々のお顔は25年前の22~23歳の若いお嬢さん、若い青年の顔ではなく、やはり50歳の坂に差し掛かる中高年のお顔ばかりであったので、今日の銀祝で25年前の同窓生の顔が判るか、あるいは相手が自分を判ってくれるかという思いで、会場へ向かいました。
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 今日の銀祝には化学科のメンバーは21名が出席していました。私は当時の同窓生の顔がわからないでのはないかと思っていましたが、その予測は見事に裏切られました。たしかに20歳代の顔ではありませんが、25年前の痕跡をとどめており、はっきりと認識することができました。中には、25年前と顔つき、体つきが全く変わらない、とても50歳を目前にした人とは思えない、若さを保った方も数名いらっしゃいました。マイケル・ジャクソンのように薬物を打っているのではなかとか、整形しているのではないかとの様々な疑惑と噂が持ち上がっていましたが、少林寺拳法をやっており、5段の腕前とのことです。私も少林寺拳法をやってみようかと思いましたが、まあ無理ですね。037.gif
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 私の顔もすぐわかっていただいたようです。また卒業して25年が経ち、たぶん初めて話をした方もいました。初めて話をして、「こういう声だったのか。」ということが判り、銀祝では新しい発見がいろいろとありました。またよく喋るようになったとも言われました。学生時代はそれだけ人間関係が希薄だったということですね。銀祝会場での記念撮影が続きます。杉森先生を囲んでの記念撮影。038.gif
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 私の記憶では左側のお嬢さんは、ミス ソフィアに選ばれていたはずです。25年が経ちました。038.gif
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 みなさんの評価では、私の容貌は学生時代と変わっていないそうです。中には少し痩せて、若返ったのではないかと言ってくれる人もいました。現在と大学生時代の体重を比べるとほとんど変わっていません。大学の時は88 kgでした。その間は随分と乱高下しましたが現在は90 kgちょうどです。これも普段、山歩きをしているおかげでしょうか。
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 化学科のメンバーと記念撮影。
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 応援団の田中さんが何か話しています。何を話しているのかみんな聞いていませんでした。037.gif
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 2次会までしばらく時間があるので、25年前のミスソフィアと、大学院に一緒に行ったべんちゃんと、まりちゃんと喫茶店へ行きました。正門前にゆるキャラがいて、一緒に記念撮影しました。名前はソフィアンくんと言うそうです。024.gif
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新橋二丁目七番地
作詞:田久保真見、作曲:杉本眞人、歌:あさみちゆき


うすい座布団 一枚で
地べたに座って 四十年
時が流れて 人が流れる
濁流うねる この都会(まち)で
流されまいと 流されまいと
小石のように うずくまる
靴を磨けば こころも晴れる
今日も元気に がんばって
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

こんな私に 出来たのは
一生懸命 生きること
秋の夕暮れ ひとつため息
赤チン色の 赤ちょうちん
一杯飲めば 一杯飲めば
人間なんて 立ち直る
靴の汚れは 心の汚れ
夢も磨けば また光る
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地

明日はきっと 明日はきっと
いいことあるさ 大丈夫
つらい気持は 靴みりゃわかる
今日もあなたは がんばった
雨の日も 風の日も
新橋二丁目 七番地


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2次会では銀祝を上回る35名の方が参加されました。また数名の先生方にもご出席いただき、賑やかな夜が更けていきました。
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何名か現在の近況について報告せよとの依頼があり、私もここまで書き綴ったことと、上智大学と広島の原爆ドームの設計者が同一人物であったということをお話させていただきました。山登りの話は忘れてしまいました。

 最後に、この化学科の同窓会は今後も定期的に継続されるとのことです。幹事の皆さん、お疲れ様でした。
 また会う日を楽しみにしております。038.gif024.gif

(追)その設計者の名前はヤン・レツルで、今年の1月2日のブログに記事を掲載しています。写真だけ再度掲載しておきます。
上智大学の赤レンガ校舎。
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 赤レンガ校舎の教室。
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 メインストリート。昭和7年(1932年)。
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 聖イグナチオ教会の前のカマボコハウスと書いてあります。昭和25年(1950年)。何のために建てられたのでしょうか。
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 聖イグナチオ教会。昭和30年(1955年)。左上に見えるのは迎賓館だと思います。
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 上智会館学生寮。昭和33年(1958年)。現在は取り壊されて、ありません。
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来週は皇海山に行ってきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2013-05-27 14:43 | 上智大学銀祝 | Comments(0)