カテゴリ:奥の細道( 5 )

いい歳、りょうちゃん、雨の庄内平野へ行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 9月23日からの飛び石連休は、山形県へ行きました。昨年のシルバーウィーク以来、2回目です。今回は夕日の名所、湯の浜と「眺海の森さんさん」に泊まる予定です。
「夕陽を撮ることが出来れば、いいなぁ」という気持ちで旅に出ましたが、初日の23日秋分の日は東京は朝から雨、庄内空港についても雨でした。057.gif

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 実は飛び石連休の山形旅行から帰った後、すぐに鹿児島へ出張しましたが、秋分の日に庄内空港には鹿児島から多くの方が山形を訪れていました。鹿児島と庄内は姉妹都市の関係にあるそうです。戊辰戦争のときに、庄内藩は東北の諸藩と奥羽列藩同盟を組み、倒幕軍と戦いましたが敗戦。しかしながら、西郷隆盛の寛大な措置に寄り、大きなお咎めはなかったといいます。その隆盛に対して、庄内は恩義を感じ、西郷の教えを請いに鹿児島まで何度も訪れて、その交流が今日まで続いているのでそうです。現在では、鹿児島の子どもたちが、山形へスキーを教わりに来たり、山形の人たちが鹿児島へ行き、西郷さんのお墓をきれいに掃除するといったことが行われているとのことでした。004.gif

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 明治維新の三傑といわれるのは、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の3人です。
 なかでも西郷の維新に果たした功績は、例の勝海舟との江戸城無血開城の談判など、民衆に広く知れわたり、その名声、人気は抜群で、明治2年(1869年)の論功行賞でも、それを反映するかのように、最高の賞典禄を下賜されています。
 しかし、隆盛は晩年、「幕末の功臣、維新の賊臣」と称されるように、征韓論で敗れ、西南の役で敗れ、ついに明治10年(1877年)9月24日、敗戦の責任をとって自刃しました。
 昔から西郷隆盛の人物評には二説あります。ひとつは、日本的リーダーの魅力とされる、無口、豪放磊落(ごうほうらいらく)、人情味を備えた、軍事的指揮官として名将ぶりを強調する説。
 もうひとつは、彼の風貌人柄にごま化されるが、所詮は軍事的指揮官に過ぎず、平時の行政能力、国際感覚などの先見性はゼロ、彼を買いかぶり過ぎているという説と二つあります。
 朝敵の汚名をきたまま悲劇的な死を遂げても、義経に対する“判官(ほうがん)びいき”と同じく、国民の隆盛に対する人気は一向に衰えをみせません。
 明治政府は明治22年(1889年)、西郷に貼り付けた「賊」の名を除き、剥奪していた正三位を改めて追贈しました。
 折柄の軍国主義熱に便乗し、隆盛を「征韓論の英雄」に復活させ、朝鮮半島侵略のムードづくりに利用するためです。
 明治31年(1898年)12月18日には、上野公園に西郷隆盛の銅像を建て、朝野の名士を招き盛大な除幕式を行いました。
 この日隆盛の夫人が招かれましたが、除幕した銅像の顔を見て「うちの人、こげん顔していません」と漏らし、関係者をあわてさせたという秘話が伝わっています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)




(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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致道博物館(ちどうはくぶちかん)。
民具のコレクションや、縄文時代の土器などの展示がありました。昨年行った飛島の洞窟内の人骨もありました。

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 折角、夕陽の名所に来たにもかかわらず、この雨では夕日も月も見ることはできません。この秋分の日は満月でもありました。庄内空港から湯の浜の宿に向かい、とりあえず荷物を置いて、雨の中、鶴岡へ行きました。鶴岡公園は北川景子が主演した「花のあと」のロケ地だったようです。お濠があって、かつて鶴岡城があったそうですが、山形県内のお城は明治以降ほとんどが取り壊され、残っておりません。そのお堀の内側に、今年の4月にオープンしたばかりの藤沢周平記念館があり、先ほど庄内空港にいた鹿児島の人たちが見学中でした。070.gif070.gif070.gif
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 果たして明日からの天気が気になるところです。058.gif058.gif058.gif

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 庄内平野の旅はまだまだ続きます。To be continued.
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by ryott-ryott | 2010-10-03 14:38 | 奥の細道

デジブック作成練習1ヽ(^o^)丿

10月の3連休に行った松島の写真をデジブックにまとめました004.gif


by ryott-ryott | 2009-11-02 10:52 | 奥の細道

いい歳、りょうちゃん、堤焼窯元を訪ねるヽ(^o^)丿

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10月13日火曜日は世の中では連休は終了しているのですが、私の勤め先は幹部の皆さんがゴルフをやるためのスポーツ奨励の日として休日でした。もちろん私は12日の夜も松島に滞在し、松島2回目の朝日を撮影しに、近くの双観山展望台へ行きました。双観山は結構、松が生い茂っており視界が狭かったです。この松を勝手に切ることはできないそうであり、松が伸びるだけ伸びています。松島四大観の一つである扇谷は生い茂る松でいまや松島湾の景観を眺めることが出来ないようです。しかし、何とか朝日を撮影することが出来ました。058.gif

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日蓮宗の開祖日蓮は、安房(千葉県)小湊の漁師の子に生まれました。

15歳で出家して仏教を学びますが、同じ仏陀(釈迦)の教えなのに、天台宗、真言宗、浄土宗、浄土真宗、禅宗など、各宗派に分かれて競い合うのか疑問を感じたといいます。

日蓮は、そのため鎌倉、京都、奈良の各寺を巡訪し、七千余巻の教典を調べ、結論として、「法華経」だけを唱和すれば、それが一番正しいと悟ります。
「南無阿弥陀仏」の念仏と同じく、「南妙法蓮華経」のお題目を唱えれば救われる-これを教義としました。手法は浄土宗と同じです。

ただ、鎌倉仏教としては、最後になったとせいか、日蓮宗(法華宗)以外の宗派は、ことごとく邪教として徹底的に闘いました。各宗派を全部敵にまわしたのですから、再三捕えられ、打ち首寸前、流罪に処せられたり数多くの法難に遭いました。

佐渡島の流罪から赦免された日蓮は、甲斐(山梨)の身延山に道場を建て隠棲しました。
これがのちの日蓮宗総本山久遠寺です。弘安五年(1282年)10月13日、旅先の武蔵国池上(東京都、現在の池上本門寺)で61歳の生涯を閉じました。

日蓮宗は、日蓮の死後弟子たちの力で隆々発展し、数多い分立各派(門流と呼びます)が誕生します。富士山麓に創建された大石寺が、富士門流の一つで、現在の創価学会の本拠になっていることはご存知の通りです。

日蓮は元の襲来を予言し、それを退散させ、今日の福岡市を護ったということで、福岡市の県庁脇の小公園に、大きな日蓮の立像が建っています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


輪王寺山門
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お釈迦様の足跡
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朝日を撮影後、ホテルへ戻り、朝食を済ませてチェックアウト。松島に別れを告げて、仙台へ向かいました。
仙台は輪王寺へ行きました。もともと輪王寺は1441年に11代の伊達持宗が福島県の梁川に創建したお寺です。伊達家の居城が梁川から西山・米沢・会津・米沢・岩出山・仙台と変遷したため、輪王寺もまた転々として、今の仙台に移ったのは17代政宗の1602年(慶長7年)の時でした。
輪王寺は明治9年に火事で焼けてしまいまい、その後、大正に再建されたときに庭園も現在の規模に建設されました。
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私が訪れた時、輪王寺の中では写経をやってました。そして庭園は庭師の方が植物を植えかえていました。10月も中旬に差し掛かろうというのに、庭園の中にはスズメバチが飛んでおり、私の耳元をかすめて行きました。071.gif

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輪王寺を見た後、近くの堤焼の工房を見学してきました。今は窯を使ってなく、専門の工場で作っているそうです。堤焼きの歴史は古く、あの多賀城(坂上田村麻呂の時代、平安時代)の瓦にも使われていたといいます。堤人形屋「つつみのおひなやっこや」のご主人が工房を案内してくださいました。

堤焼はもともと人形を作っていたわけではなく、日常生活に必要な日用品を焼いて作っており、そのときに人形も作られていたと言います。027.gif

ちょっとした坂道に6つの登り窯があり、中はレンガ作りになっていました。焼成するときの温度は1400 ℃にも達するそうであり、レンガは1400 ℃の高温に長年さらされるとガラス状に変質してしまうとのこと。


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工房には平安時代に作られた瓦が無造作に置いてありました。
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こちらは天保14年(1843年)に作られた「鬼瓦」。
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主に水がめを作っていたようです。
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お宮も陶器として焼いて作っていたそうです。
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これはかまぼこのすり鉢。仙台といえば、「笹かまぼこ」ですが、昔は冷蔵庫がなかったため、魚をすり身にして焼いて日持ちさせたのが始まりだそうです。
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戦時中、飛行機のエンジンに燃料を供給する容器。金属製では燃料の燃焼熱で金属製容器が溶けてしまうため、陶器で作られていました。
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これは伊達家が戦国時代に使った大砲の砲弾だそうです。
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初代横綱谷風の堤焼人形、寛政元年(1789年)製作。
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堤町の様子を示した絵巻。その当時は各家に堤焼を焼く窯を持っていたそうです。
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どれも博物館にあってもおかしくないものばかりでした。時々、歴史資料館からこの工房にあるものを借りに来るそうです。そして、この工房の先に文学館があるそうなのですが、その文学館よりもこの堤焼工房を訪れる人が多いとおっしゃっていました。

古くは平安時代から江戸、明治、そして昭和へと時の流れを体験できた工房見学でした。

仙台、もちろん牛タンを食べて、東京へ帰りました。


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by ryott-ryott | 2009-10-16 01:05 | 奥の細道

いい歳、りょうちゃん、松島へ朝焼け・夕景の旅ヽ(^o^)丿

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旅に病んで夢は枯野をかけめぐる 松尾芭蕉

10月10日が「体育の日」の座を明け渡して、今の祝日体系になってから何年が経過したことでしょう。今年は10月12日(月)が体育の日で、土曜日から3連休です。しかし、私の場合は体育の日の翌日も勤め先がお休みでした。したがって、4連休、宮城県の松島に出かけて来ました。004.gif

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土曜日の夜から移動したかったのですが、宿を取ることが出来ずに、日曜日に移動しました。日曜日は雲ひとつない快晴で、幸先のよい旅の出発になりました。秋田新幹線「こまち」に乗って2時間弱で仙台へ到着。仙台から「仙石線」に乗り換え、「松島海岸」まで約30分、電車に揺られて、目的地に到着しました。

「松島海岸」は大勢の観光客で賑わっていました。私が到着したのはちょうどお昼時でしたが、どの店も「人」「人」「人」・・・で、牛タンを食べさせる店は店外まで人が長蛇の列。日本は不況だという割には、どこからこんなに大勢の人が集まってくるのでしょうか。

私はやっと人気のなさそうな鮨屋に入ると、店主が「40分ほどかかりますが、いいですか?」と聞くので、「構いませんよ。」と返事をしたものの、本当に40分、いやそれ以上待たされました。しかし、お酒はすぐ出てくるので昼間からだいぶ飲んでしまいました。
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俳聖・松尾芭蕉は元禄7年(1694年)陰暦10月12日に亡くなりました。享年51歳でした。
寛文12年(1672年)俳諧師を志して,郷里伊賀上野を出て、江戸に上がった芭蕉は、亡くなる年の前年、お盆の墓参りを兼ねて、生まれ故郷の伊賀上野にやって来ました。9月8日、去りがたい故郷を後に門人に付き添われて、奈良を経由して大阪難波に向かいます。

 菊の香や奈良には古き仏たち

途中、奈良で詠んだ句です。翌9日大阪に到着し、翌日から発熱してしまいます。それでも病をおして、予定の俳席をまわったために病床に伏すようになりました。

 この道や行く人なしに秋の暮
 
 秋深き隣はなにをする人ぞ

よく知られている句は病中に読んだ句です。10月に入り病状は悪化し、10月8日深夜に辞世の句を門弟に書き留めさせました。それが冒頭の句、「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」です。
芭蕉には数多くの門弟が居ましたが、その中でも特に優れた10人の門弟を「蕉門十哲」といい、宝井其角(たからいきかく)や服部嵐雪(はっとりらんせつ)が有名です。また芭蕉の門下の女性のうち特に秀でた4人を四俳女と呼んでいました。智月(ちげつ)、捨女(すてじょ、「女を捨てる」なんて凄い俳号です)、秋色(しゅうしき、本名「お秋ちゃん」で最年少)、園女(そのめ)。芭蕉は大阪で亡くなりましたが、その時、園女夫婦から大変なもてなしを受けて、読んだ句が「白菊の目に立てて見る塵もなし」。園女夫婦の家は奇麗に掃除がされており、塵一つない、その「たたずまい」はまるで白菊のようであった、と歌っています。しかしながら夫婦が出したキノコ料理にあたったのが原因だと言われています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


なぜか「一眼レフの旅」に出る前に「じゃんけんぽん」で珍しいお客さんにお会いします。
試飲会仲間の三峡第一製薬で薬の売人をしている石井ちゃんとお仲間の捨女のみなさん。041.gif
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「西行戻しの松公園」から見た松島湾
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今回の旅の目的は言わずと知れた「一眼レフ」で松島の景観を撮影する「一眼レフの旅」です。幸いにも天気に恵まれ、私にしては上出来な写真を撮ることが出来ました。天気がよかったので、前回からの懸案事項である「夕景・夕日」を撮影することもできました。058.gif

私の場合は、食べる店もそうなのですが、どこが夕景のスポットかを事前に調べることはあまりせずに、地元の方に教えてもらうことにしています。その方がよい場所、よい店に巡り合う確率は高いと思います。今回もどこに行けばきれいな夕景が撮ることが出来るか、ホテルマンからタクシーの運転手、鮨屋の人にまで聞きました。驚くべきことにほとんど皆さんが違う意見でした。


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日曜日初日はそれらの意見を集約できずに、「西行戻しの松公園」へ行き、残念ながら、夕日を撮影することはできませんでした。そして、昼間はあんなに気温が高かったのに、夕刻はめっきり冷え込んで、さすがの私でも半袖で失敗したと思いました。そのくらい気温が下がり、後で聞いたら10 ℃を下回っていたそうです。暑がりの私でも10 ℃を切ると、寒さを感じます。しかし、帰りのタクシーの運転手さんに朝焼けの穴場スポットを教えていただきました。新富山の展望台に行けば、きれいな朝日・朝焼けを見ることが出来ると教えてもらいました。ホテルから歩いて15分くらいのところでした。その言葉を信じ、朝4時30分に起きました。日の出は5時42分、5時過ぎから東側の空が明るくなり、海を挟んで島の稜線上の空は真赤な朝焼けに染まっていました。そして、その明るさが次第に増していき、ついに朝日が稜線上に顔を覗かせました。058.gif

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昼間はフェリーで松島を一周ぐるりとまわり、島々を写真におさめました。乗船客がカモメに餌をやるので、いつまでもカモメが船のまわりにまとわりついて、撮影の邪魔でした。003.gif

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昼間は瑞巌寺、円通院、福浦島をブラブラと歩いて有酸素運動ウォーキング。070.gif

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よくよく考えれば、松島は太平洋に面しているので、夕日・夕景は場所を選ばないと、なかなか見ることはできないようです。松島には260余りの島々を一望できる四大観があります。富山(とみやま)、大高森、扇谷、多門山。その中でも大高森は裏松島で外海に面しており、朝焼けも夕景もどちらも眺めることが出来る唯一の場所です。車で松島から約20分。そこから展望台までは山道を登ります。標高106 m、大したことはない高さですが、意外ときつい。昇ること15分。そこは東側は外海の太平洋を、西側に松島湾を眺めることが出来ました。058.gif

To be continued

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by ryott-ryott | 2009-10-14 10:34 | 奥の細道

いい歳、りょうちゃん、酒田を散歩ヽ(^o^)丿

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五月雨をあつめて早し最上川 松尾芭蕉

今週日曜日、20日は大井町湯屋がお休みでした。そこで再び写真を撮るために今回は山形県酒田市まで足を延ばしました。

羽田空港からちょうど1時間で庄内空港に着きました。そこから約40分バスに乗り、最上川を渡ったところが酒田市内です。日曜日はとてもいい天気で、「これは日本海に沈む夕日を撮れるかもしれない。」と期待を膨らませながら、酒田市内をぶらぶらと散歩しました。

酒田市と言えば、映画「おくりびと」の舞台になったところです。酒田駅から結構近いところに、あの「NKエージェント」があり、観光客で賑わっていました。


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日和山公園にある北米船の模型
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(おくりびと/予告編)

記録によると東軍7万5000に対して、西軍8万2000、地の利もあって、西軍有利の態勢でしたが、やはり総指揮官の統率力に違いがあったようです。
家康は実戦経験豊富な言わば武人、それに対して石田三成は秀吉に側近内務として仕えた文官武将言わば文人です。しかも三成は人望がなく、豊臣恩顧の大名の多くは家康につきました。

敗れた三成は捕えられ、六条河原で斬られる寸前に、警護の者が干し柿を与えようとしました。三成は「からだに悪い」と言って断りました。警護の者は「すぐに首をはねられるのに」と笑ったそうです。
三成は「大義を志す者は、死の直前まで命を惜しみ、何とか本意を達したいと思うものよ」
と答えたといいます。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


映画「おくりびと」のロケ現場
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おくりびとの撮影現場のすぐ傍に日和山公園があり、日本海を望めます。日差しがあって、この分だと多分夕日を拝むことが出来るのではないかと思い、地元の酒田第一タクシーの佐藤さんに湯の浜まで乗せてもらいました。しかしながら、上空には雲はないのですが、水平線上には厚い雲が立ち込めており、水平線上に沈みゆく夕日の撮影は絶望的でした。わずかに切れている雲の合間から夕日が見えてくれればいいなぁと祈りつつ、砂浜に三脚を立てました。
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日没は17時39分。日没時間の前後5分間が夕日と夕焼けを撮影できるチャンスでしたが、残念ながらそのチャンスは訪れませんでした。わずかに切れた雲の合間から夕日の4分の1くらいを見ることが出来ましたが、この雲が消えてくれればと祈りつつも、そうはならず、失意のうちに湯の浜を立ち去りました。ちょっと大袈裟。041.gif

ライトアップされた山居倉庫
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夜は酒田市中町のお店に行きました。実は宿泊先の近所の店に行こうと思ったのですが、いずれも満席。このシルバーウィークで訪れた観光客でどこも貸し切り状態。ようやく4件目で店に入ることが出来ました。「井筒」さん、なかなかきれいなお店で、息子さんが六本木ヒルズで同じ名前で店を開いているそうです。私が腰かけたお隣に地元酒田のおばあさんが一人で食べに来ており、「あんたは酒田で一番いい店に来たよ」と言われました。ちょうど、NHK「天地人」で関ヶ原の戦いを放送していましたが、そのおばあさんは歴史が好きでないとおっしゃっていました。そして、私が次の日に「飛島」へ行くことを話すと、酒田の人間でもなかなか飛島に行く人はいないと言って、私を不安にさせていました。041.gif

To be continued


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柳の舞。メバルの仲間。011.gif
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日本酒、くどき上手。薄紅色をしています。011.gif
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by ryott-ryott | 2009-09-24 00:05 | 奥の細道