カテゴリ:一眼レフの旅( 11 )

いい歳、りょうちゃん、雨の御殿場をゆくヽ(^o^)丿

旅行・地域
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晴れていたら、こんな富士山が見れたのかな。
横山大観「山に因む十題のうち 霊峰四趣 秋」
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杉山寧「岑(しん)」
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平山郁夫「スクワットの月(パキスタン)」

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御殿場では時之栖(ときのすみか)に宿泊しました。日曜日で翌日が月曜日なのに結構混んでいました。春休みということもあるのでしょう。私の場合は、5日(月)は休暇をとりました。というのは、李先生の整体院は月曜日がお休みのため、私が月曜日に休暇をとって、併せました。037.gif
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先生があんなに晴れると主張していた月曜日の朝は、やはり雨でした。しかも時間とともに雨足は強まるばかりでした。先生は午前5時に起床されて、時之栖のまわりを散策されたそうです。070.gif
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お地蔵さま、雨が降っているのがわかります。
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雨なので、当然、富士山は見えません。折角来たので、まずは時之栖のまわりの桜を雨の中撮影しました。ホテルの裏側には瀧があり、その上にはお地蔵さまが1300体祀られている「ありがた山」がありました。晴れているときには「ありがた山」から眺める富士山は富士見百景に選ばれているそうです。
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 日本が敗戦で無条件降伏をしたとき、連合国のなかでいちばん日本のために、あたたかな戦後処理に尽力をしてくれたのは、中国国民政府総統であった蒋介石でした。
 彼は日本語を勉強し、日本の陸軍士官学校を卒業し、日本のことをよく知っていました。
 戦後の日本占領政策については、連合国のなかでもソ連は、東西ドイツ、北朝鮮と韓国の例と同じく、日本の場合も北海道はソ連、本州は米国、四国と九州は中国が統治する分割案を強く主張しました。

 しかし、この提案に断固反対したのが蒋介石総統でした。天皇戦犯説も出ましたが、天皇制の存廃については、日本国民の選択にまかせる措置を講じてくれたのも蒋介石でした。
 それだけではありません。あれほど中国全土を侵略され、大きな犠牲をはらったのにもかかわらず、一切の賠償請求を放棄してくれました。
 日本軍の武装解除も階級章をつけたまま、軍人の礼節を重んじた、引き揚げを命じました。戦犯処刑者も一人も出しておりません。
 ソ連のシベリア抑留、北方領土の占拠など、不法な仕打ちと比較すれば、いかに戦勝国としては寛大な行為であったかがわかります。

 蒋介石は、怨に報ゆるに徳を以てする“以徳報怨”の精神をそのまま実行したのです。日本の戦後の繁栄はこのことを忘れては語れません。
 蒋介石総統は不幸にして内戦に敗れ、台湾に移りましたが、1975年4月5日、89歳で亡くなりました。一説には2年前の11月14日に死亡していたともいわれます。
 台北には、蒋介石を祀る立派な中正紀念堂ができて、観光名所の一つになっています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)
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(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)この歌、結構、気に入っています。

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに


岡田三郎助「あやめの女」
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小山正太郎「濁醪療渇黄葉村店(だくろうりょうかつこうようそんてん)」
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黒田清輝「野辺」

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さて、雨の一日、どのように過ごそうか。私の場合は、旅先で天気に恵まれなかったときはほとんど美術館に行くことにしています。しかも、御殿場で箱根が近いとあれば、美術館がないわけがありません。「ポーラ美術館に行き、そのあと秩父宮記念公園へ行こうと考えている。」ことを先生に話したところ、先生は「御殿場アウトレット」で買い物がしたいとのこと。結構、ミーハーな先生。041.gif
雨が降ってしまったため、写真撮影の楽しさも半減してしまったこともあり、2日目は別々に自由行動をとることにしました。

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杉山寧「水」
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東山魁夷「緑の湖畔」
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山本丘人「春閑」

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 御殿場駅で先生と分かれて、私はバスに乗って、ポーラ美術館に行きました。ポーラ美術館は御殿場駅からバスで約30分。
ポーラ美術館では日本画展が開かれていました。杉山寧(やすし)の絵画の特集や、川合玉堂、横山大観などそうそうたる顔ぶれ。常設展の絵も目を見張るものばかりでした。024.gif

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ポーラ美術館は展示数がとても多く、あっという間に2時間経ってしまいました。その後は、秩父宮記念公園に行きました。雨ながらも、藁ぶき屋根の記念館の前に佇む枝垂れ桜はとても美しかったです。056.gif
 秩父宮記念公園の桜を見た後は、御殿場駅へ。御殿場線に乗り込み、御殿場に別れを告げました。夕方18時に品川駅に着いたときには、すでに雨が上がっていました。今度は、晴れた時に行ってみたいと思います。
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ラウル・デュフィ「食道楽」

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by ryott-ryott | 2010-04-09 00:46 | 一眼レフの旅 | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、桜を求めて山中湖へヽ(^o^)丿

旅行・地域
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今日、4月6日(火)は火曜日の人気インストラクターが大井町湯屋を去って、最初の火曜日でした。後任の方は隈ちゃんと同世代。人気インストラクターのレッスンを引き継ぐとあって、参加者は先週とほとんど変わらず、そのままスライドした感じです。エルビーさんもすでに若いインストラクターに心変わりしているようでした。037.gif
 スキルのほどは、もう少し時間がかかるでしょうか。まあ、誰も最初から上手に教えられる方はそうそう居ません。これから、会員とともに伸びって行ってもらいたいと思います。

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4月4日(日)~5日(月)は御殿場へ桜の写真を撮影に行きました。私が毎週、坐骨神経痛の治療に通っている中国整体院の李先生は写真撮影が趣味ということで、一度、一緒にカメラ片手に撮影に出掛けましょうということになり、御殿場へ行くことになりました。061.gif
 李先生の頭の中にはすでに撮影する予定の写真の構図が出来上がっており、富士山を背景にして桜と湖あるいは河を一枚の画面の中におさめるというものでした。
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 天気予報は、4日(日)は晴れ、5日(月)は雨の予測でした。しかし、4日(日)の空は鈍色の分厚い雲に覆われており、富士山はおろか、夕景も撮影できない生憎の天気でした。それでも、李先生の整体院で待ち合わせて、東海道線に乗りこみ、品川から国府津へ行き、御殿場線に乗り換えて、御殿場駅へ向かいました。所要時間約2時間30分。
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 天気は良くなるどころか、今にも泣き出しそうな空模様。御殿場について、すぐさま、バスに乗って山中湖に向かいました。バスがゆく山道は深い霧が立ち込めていました。
もちろん、富士山は見えるわけがありません。気温は5 ℃。桜の木も蕾すら付けていない真冬の季節でした。
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結構、楽天家の李先生。041.gif
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国府津駅前の浜070.gif
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御殿場線
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御殿場駅

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山中湖は冬でした
湖畔を散策、神社に土俵がありました。
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「昭和3年4月4日、農山漁村の名が全部あてはまるような、瀬戸内海べりの一寒村へ若い若い女の先生が赴任してきた。・・・」
「海も空も地の上も、戦火から解放された終戦翌年の4月4日。モンペをはいた大石先生は、小学校六年生になった長男大吉の伝馬船に乗って、再び、岬の分校にやってきた。・・・」

壺井栄の名作「二十四の瞳」は、島の分教場の女教師と、当時一年生であった12人の子供たちとの交流を、戦争をはさんで繰り広げられた人生模様を感動的に謳いあげたものです。
「二十四の瞳」の舞台となった香川県小豆島は作者 壺井栄のふるさとです。
昭和27年2月から7月まで、無名の宗教雑誌「ニューエイジ」に連載していた「二十四の瞳」に木下恵介監督が目をつけ、昭和29年に松竹で映画化、空前の「二十四の瞳」ブームを起こしました。

この年に封切られた日本映画370本の中のベストワンに選ばれ、映画館はいつも満員。観客は感動の涙を流したと言われています。
小豆島の土圧港埠頭には、主演高峰秀子さんと12人の子供たちのブロンズ像が建てられ、観光の名所になっています。

作者 壺井栄は昭和42年(1967年)6月23日に67歳で亡くなりました。その文学碑は、坂手湾を見下ろす生家近くの丘に建っています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)
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(坂本冬美/また君に恋してる)

また君に恋してる(歌:坂本冬美、作詞:松井五郎、作曲:森正明)060.gif

朝露が招く 光を浴びて はじめてのように ふれる頬
てのひらに伝う 君の寝息に 過ぎてきた時が報われる
いつか風が散らした花も 季節巡り 色をつけるよ
また君に恋している今までよりも深く
まだ君を好きになれる 心から

若かっただけで 許された罪 残った傷にも陽が滲む
幸せの意味に戸惑うときも ふたりは気持ちをつないでた
いつか雨に失くした空も 涙ふけば虹も架かるよ
また君に恋している今までよりも深く
まだ君を好きになれる 心から

また君に恋している今までよりも深く
まだ君を好きになれる 心から


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桜も富士山もない山中湖、しかもかなりの寒さ。これ以上の散策は体に良くないとの判断で、バスで御殿場駅まで引き返しました。そして、予約をとっているホテルへ行き、少し早目の夕飯を食べて、庭に咲いている桜を撮影しました。056.gif

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 撮影している間についに空が泣きだしました。李先生曰く、天気予報では日曜が晴れて、月曜日が雨の予報だったのだから、今、日曜日の夜に雨が降りだしたのだから、明日の月曜日は必ず晴れると何とも前向きなお考えでした。
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その言葉を信じて、温泉に入って、朝を待つことにしました。071.gif

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To be continued.


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by ryott-ryott | 2010-04-07 01:45 | 一眼レフの旅 | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、世界遺産「石見銀山」探訪ヽ(^o^)丿

自然

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4月に入って、最初の土曜日。いつものように大井町湯屋に出掛け、いつものようにエアロと中国整体と大暴れアクアをやりましたが、今期からエアロ、アクアともにインストラクタ―が変更、二人とも男性です。
エアロの方は見るからにステッパーの出で立ちで、最初に自己紹介があり、長野県出身で善光寺の近くの呉服屋の出であり、日本舞踊をやっていたとのこと。「この業界は5人に3人は同性愛者だが、自分は違います。」とおっしゃっていました。声のトーンはNHKのBSエアロに出てくる方のような感じでしたが、インストラクターさん自身が何度も間違えており、「今度、間違えたら、土下座する。」と言っていました。本当に土下座していたら、多分時間がなくなっていたと思います。
エアロを終えて、ポリスマンさんと「来週は人、減っちゃうね。」なんて、こっそり話しながら引き揚げて来ましたが、普段、箸にも棒にも引っかからないくらいの連中が、「私なんか、やりながら寝ちゃったわよ。」とインストラクターさんに聞こえるくらいの大きな声で毒づいているのを聞いて、インストラクターさんはとても辛かったのではないでしょうか。あんな連中に侮辱されたくなければ、私からは「研鑽してください」としか言いようがないですね。大井町湯屋の4月はいきなり曲曲しい始まりではありました。


日御碕神社
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今日は3月3連休での山陰の旅の続きを報告します。004.gif

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前回は出雲大社から日御碕での夕景を撮影したところまで報告しました。
日御碕で夕陽をひとしきり撮影した後、カメラを鞄にしまって時計を見ると18:13でした。たしか出雲市駅へ向かうバスは18:29が最終だった筈で、急いで経島が見える坂を駆け下りて、日御碕神社の裏にあるバス停まで戻ってきました。まぁ、間に合わなければタクシーを呼べばいいのですが、何とかバスに間に合いました。空を見上げると、夕闇の中、上弦の月が浮かんでいました。058.gif072.gif
しかし、寒かった。この日の最高気温は9 ℃の予想だったので、実際の気温はさらに低かったと思います。


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出雲市駅から山陰本線に揺られて、本拠地の米子に戻ってきました。夕飯は皆生ホテルに入っているお店のなかむらやさんのご主人に勧めで、近くにある寿司屋の「なるみ」さんに行きました。
なかむらやさんのご主人も、店が終わってからいつも「なるみ」さんに立ち寄っているとのこと。実は2日目の日曜日、宍道湖に戻らずに、日御碕での夕景を撮影したのは、なかむらやさんのご主人の勧めでもありました。ご主人自身もカメラが趣味で、暇を見ては撮影に行かれているそうです。そして、私も購入している毎月20日発売のモターマガジン社の月刊誌『カメラマン』を買ってきて、見せてくれました。


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彼岸後の3月22日ころから、比叡山では「回峰行」がはじまります。「回峰」の名のごとく、比叡山三塔十六谷、260の札所を、白装束の修行僧たちがお経を唱えながら足早に歩いて行く姿が目にとまります。
比叡山延暦寺は、伝教大師最澄が開いた天台密教の聖地ですが、この「回峰行」は約一千年前、相応によってつくられました。

「百日回峰」と「千日回峰」の2種類あります。「千日回峰」は、千日の文字から千日間、約3年間も続けて行われる修行かと思っていましたら、そうではありません。”死”を賭けた荒行です。
 一年目、二年目、三年目は、毎年百日間、四年目と五年目は二百日、六年目は百日、最後の七年目が二百日。延べ7年、千日間の歳月をかけた修行です。

 修行中の1日の睡眠時間は約3時間、毎日40 kmの山中を8時間で歩きます。七百日目には、不動明王堂に9日間こもり、断食断水不眠不臥の”堂入り”の業をつとめます。
さらに、千日が終わったところで、同じ9日間、再び断食断水不眠不臥、俗に”生き葬式”といわれる10万枚の大護摩修行が行われます。まさに超人的荒行といっていいでしょう。

 この「千日回峰行」を満行した行者を”阿闍梨(あじゃり)”と呼びます。梵語で他人を導くことが出来る高僧の意味です。
 ”阿闍梨”は、昭和に入ってから、まだ10人しか出ていません。いかに苦しい修行かがわかります。

 3月に入ると、比叡山にもたくさんの観光客が訪れます。しかし、同じ山中で、このような超人的荒行「千日回峰行」が行われていることを知る人は少ないでしょう。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに


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3連休最終日、22日(月)は皆生ホテルに別れを告げて、再び山陰本線に乗りこみ、出雲市駅でスーパーおき号に乗り換えて、大田市駅まで足を運びました。大田市駅は出雲市駅から1駅目ですが、所要時間約40分、車窓の外は荒々しい日本海が続いていました。この日の目的は石見銀山をぶらりすること。大田市駅からバスで20分行ったところに、世界遺産に登録された石見銀山がありました。
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 大森代官所から出発して、龍源寺間歩までの片道2.3 kmを歩きました。070.gif
 この大森代官所跡から龍源寺間部までの間には観光客に石見銀山の歴史を語りながら案内してくれるガイドさんや、やはり間部まで道のりを三輪車に乗せてくれて、スポット毎に説明してくれるVeloタクシーという乗り物が走っていました。


勝源寺
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056.gif花が咲いていました056.gif
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街並み
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龍源寺間部入口
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昔はこのように働いていました。
働かされているのはすべて罪人であり、休み時間はありませんでした。004.gif

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岩見銀山を駆け足で見て、再び大田市駅から出雲市駅へ戻りました。
出雲市駅からはタクシーで出雲空港へ向かいました。
私を乗せてくれたタクシーの運転手さんはまだ東京に行ったことがないとおっしゃっていました。私自身も、山陰路は初めてであり、次回、出雲に来る時は奥出雲に行った方がよいとアドバイスを戴きました。奥出雲では、島根牛を食べることが出来るそうです。次回は是非とも島根牛を食べに、奥出雲へ馳せ参じたいと心に決めて、出雲をあとにしました。024.gif


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by ryott-ryott | 2010-04-04 00:27 | 一眼レフの旅 | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、出雲大社そして日御碕へヽ(^o^)丿

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3月20日(土)~22日(月)の3連休、2日目はパワースポットとして有名な出雲大社へ行きました。前日の20日の最高気温が27 ℃を記録し、7月の陽気だった土曜日でありましたが、21日の日曜日は一転して冬に逆戻り、最高気温は9 ℃でした。その差は18 ℃、気温差に翻弄された2日間でした。
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21日(日)は朝から分厚い雲が立ち込めた鈍色の空に覆われていました。この空模様では昨日に引き続き、とても夕景は撮影できないのではないかと半ば諦めていました。折角、島根県まで来たのだから、天気に関係なく、出雲へ足を運びました。本拠地の米子から出雲市までは電車で約50分、さらに出雲市駅からバスで30分行ったところに出雲大社がありました。
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3連休の中日とあってか、このパワースポットはたくさんの人で賑わっていました。

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 1年のうち昼と夜の長さが等しくなる「春分の日」は「春彼岸」の中日にあたります。
 この日は、同時に最澄と並ぶ平安仏教の一人、“大師さま”と呼ばれて親しまれている弘法大師空海が亡くなった忌日でもあります。
 承和2年(835年)3月21日、61歳で遷化(せんげ)しました。

 四国路では、この日あたりから“同行二人”と書いた、つまり弘法大師と二人で一緒にお参りするという意味をこめた菅笠や、白木の金剛杖、白の手甲脚絆、白地の衣に身を固めたお遍路さんが、四国八十八か所霊場巡りに歩く姿が見かけられます。
 四国遍路の振り出しは、徳島県(阿波路)鳴門の霊山寺が一番の札所です。
 ここから高知県(土佐路)、愛媛県(伊予路)をまわって香川県(讃岐路)の大窪寺が八十八番目の札所で結願寺となっています。

 空海はこの讃岐、今の善通寺市で生まれました。遣唐使として長安に入り、主として密教を学んで帰国しました。
 弘仁7年(816年)、嵯峨天皇から高野山を賜り、弘仁14年(823年)淳和天皇のときに金剛峯寺を建て、真言宗を開きました。
 真言宗は教義の解釈で宗派が多く、関西中心の古義派には東寺真言宗、高野山真言宗、そのほか御室(みむろ)派、醍醐派、大覚寺派、泉涌寺(せんにゅうじ)派、善通寺派、山階(やましな)派と分かれています。
 新義派は主として関東に強く、豊山派、智山派、紀州根来(ねごろ)寺の新義真言宗と分かれます。

 空海は博学多才で、書道では日本三筆の一人と称せられ、また“いろは歌”の作者ともいわれています。
 全国各地、空海にまつわる霊水、霊泉(温泉)の伝説の多いのにびっくりします。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(坂本冬美/また君に恋してる)
また君に恋してる(歌:坂本冬美、作詞:松井五郎、作曲:森正明)060.gif


朝露が招く 光を浴びて はじめてのように ふれる頬
てのひらに伝う 君の寝息に 過ぎてきた時が報われる
いつか風が散らした花も 季節巡り 色をつけるよ
また君に恋している今までよりも深く
まだ君を好きになれる 心から

若かっただけで 許された罪 残った傷にも陽が滲む
幸せの意味に戸惑うときも ふたりは気持ちをつないでた
いつか雨に失くした空も 涙ふけば虹も架かるよ
また君に恋している今までよりも深く
まだ君を好きになれる 心から

また君に恋している今までよりも深く
まだ君を好きになれる 心から

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厚い雲に覆われていた空も徐々に青空が広がり、午後にはすっかり日差しが戻り、夕景の写真撮影は行けるという手ごたえを感じて来ました。071.gif
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私が宿泊しているホテルの店のご主人も写真が趣味で、よく撮影に出掛けているというお話を聞かせいただき、宍道湖の夕景も美しいが、日御碕(ひのみさき)の夕陽もまたいいものだということを教えていただき、宍道湖へは戻らずに、出雲大社からさらにバスで20分行ったところにある日御碕へ出かけました。058.gif
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途中、旧暦10月10日に神迎え神事を行う「稲佐の浜」があり、日御碕までの道のり、バスの窓から見た風景はパノラマそのものでした。072.gif
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日御碕に着き、日没まではまだ時間があったので、日御碕神社にお参りし、日御碕灯台まで足を運びました。この日の最高気温は9 ℃、前日の暑さが嘘のようであり、風も強く、海のしぶきが風に乗って吹き付けていました。
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ウミネコの生息地である経島(ふみしま)の先に沈む夕陽を撮影することが出来ました。日本海側での夕陽を撮影できたのは、一眼レフの旅に出掛けるようになって、はじめてでした。058.gif


To be continued.
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by ryott-ryott | 2010-03-26 02:08 | 一眼レフの旅 | Comments(2)

いい歳、りょうちゃん、山陰へ、松江・宍道湖に行くヽ(^o^)丿

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今日3月23日火曜日は大井町湯屋であと2回となってしまった人気インストラクターのレッスンを受けました。レッスン終了後に、人気インストラクターさんは4月からの後任の方を紹介されていました。後任の若いインストラクターを見て、マドモアゼル・エルビーさんはすでに心変わりしているようです。041.gif

3月20日(土)~22日(月)の3連休は島根県の松江・出雲・石見銀山へ行ってきました。目的は宍道湖の夕景を写真に撮るためです。058.gif

飛行機で羽田から米子空港へ。土曜日はあいにくの曇り空でしたが、飛行機で飛び立つと当たり前ですが雲の上は青い空が広がっていました。飛行機の窓から眼下に雪化粧をした富士山と日本アルプスがはっきりと見えました。デジカメで写真を撮っていると、私の隣に座っていた高校生くらいの若い女子二人からデジカメを渡されて、「撮ってください。」と頼まれたので、そのデジカメで窓の外の風景を撮ってあげたら、困り顔をして「私たち二人を撮ってください。」とのお願いでした。改めて、若い女子二人を撮ってあげました。若い女子二人は鳥取砂丘を観に行かれるとのことでした。037.gif

飛行機の窓から見た富士山
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日本アルプスかな
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秀吉には有名な二人の軍師がいました。一人は若くして病死した竹中半兵衛。もう一人は“黒田節”で知られる筑前福岡52万石の城主・黒田官兵衛孝高(如水と号しました)です。
彼は“知・仁・勇”をあわせもち、“出所進退”を心得た、数少ない戦国の名将です。
 当初、播磨国姫路城主職隆(のりたか)に使え、天正5年(1577年)、秀吉が信長の命令で播州を攻略した時の協力し、それ以来、秀吉の配下の武将、軍師として活躍しました。
 荒木村重謀反のとき、説得にいった官兵衛が捕えられ、満一年も土牢に幽閉され、戦後救出された時は足腰の立たない無惨な姿になっていました。
 さすがの信長も、彼を疑ったことを深く詫びたといいます。
 秀吉と半兵衛と彼は、三人で相談した作戦でしたが、官兵衛は最後までその信義・節操を貫いて生還したのです。
 本能寺の変の悲報はとどいたとき、落胆する秀吉を励まし、“今こそ天下をとる好機です”と進言して、急遽、高松城の和平交渉を締結し、反転して光秀討伐に向かわせたのも、官兵衛の策でした。
 それだけに秀吉は、側近に「おれが死んだら天下をとるのはだれだと思う」という質問に、家康や三成の名前が挙がっても、秀吉はまじめな顔をして、“あの官兵衛だよ”と答えたといいます。
 この話を耳にした官兵衛は、秀吉の猜疑心をおそれ、朝鮮の役が終わって帰国するやすぐに剃髪して如水を名乗り、さっさと九州の城に戻りました。
 関ヶ原の戦いでは家康に味方し、家康からも軍師として招かれましたが固辞し、悠々自適の生活を送り、慶長9年(1604年)3月20日、68歳で逝去しました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(いきものがかり/ふたり)

米子と境港を結ぶJR
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車両には猫娘が描かれていました。

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羽田を飛び立って、約70分。鳥取県米子空港に着きました。天候は晴れ、気温は22 ℃。暑いくらいです。あとでわかったことですが、島根県の最高気温は27 ℃で7月の気温と同じだったそうです。宍道湖畔を歩いているときは暑くて、暑くて、大汗をかいてしまいました。
この3日間とも宿泊先は米子の皆生(かいけ)ホテル、ここを拠点に松江・宍道湖、出雲大社、そして石見銀山へと出掛けて行きました。

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松江城
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 初日の20日は松江へ出かけて、暑い中、まず松江城へ足を運びました。翌日の日曜日にマラソンの大会があるらしく、スタート地点の大きな立て看板があり、中には練習で走りこんでいる人の姿も見受けられました。
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松江城から見た風景
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 そして、陽が傾きかけたころに、目的の宍道湖へ。島根県立美術館の近くの地蔵像があるところが夕景のスポットであることはあまりにも有名です。しかし、昼間は気温も高く、日差しもあったのですが、水平線・地平線上には厚い雲が居座っており、太陽は雲の中へと消えてしまい、オレンジ色に染まる宍道湖の夕景を撮影することはできませんでした。
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宍道湖

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天気予報では、土曜夜半から日曜にかけて、発達した低気圧で荒れ模様との予測で、翌日の日曜日も夕景撮影は絶望的な予感にさいなまれながら、皆生ホテルで夕飯をとりました。夜9時くらいだったでしょうか、稲光を伴う激しい雷雨。日本海側に旅に来る時はいつも悪天候。女性を覗き見しながらトレーニングをしている晴れ男さんにまた「雨男」と揶揄されてしまうんだろうなと、食べ物めぐりの旅に切り替えることを考えながら、夜を過ごしました。

To be continued.

地蔵像のところから嫁島を見た、20日の風景。
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本当なら、次のような写真を撮るはずでした。絵葉書をスキャンしました。

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by ryott-ryott | 2010-03-25 09:00 | 一眼レフの旅 | Comments(2)

いい歳、りょうちゃん、別府初日の出と地獄探訪ヽ(^o^)丿

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1月4日、今日東京に帰らなければなりません。4日の朝は昨日と違って、雲はほとんどなく、東側の空はくれないに染まっていました。別府は大晦日、元旦から天気が悪く、朝日を3日まで拝めることが出来ず、この4日に今年初めての日の出となりました。058.gif
 日の出を撮影するため、上人が浜へ行き、陽が昇って来るのを待ちました。東南東の方向から朝日が顔を出すと、浜を散歩している方々が今年初めての日の出に向かって手を合わせていました。
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昔から、「女は男次第」といわれますが、その典型は松井須磨子だったかもしれません。
彼女の本名は小林正子。明治19年(1886年)長野県で生まれました。17歳で姉を頼って上京、その年の暮れ、木更津の旅館の若旦那と結婚しましたが、性病をうつされて離婚。病院に通ううちに知り合った高等師範の学生と再婚しました。須磨子23歳の時です。
 夫が東京俳優学校の講師となったことから、須磨子も演劇に関心を持つようになりました。坪内逍遙、島村抱月など演劇研究所をつくり、女優を募集することを聞いて須磨子も応募しました。
 無学な須磨子でしたが、その熱心さにほだされて、別科生という補欠入所を許されました。芸に専心するため夫とも離婚しました。
 須磨子の初舞台は、明治44年(1911年)5月、帝劇の「ハムレット」、つづいて11月公演、イプセンの「人形の家」のノラ役で大評判をとりました。
 その後、数々の舞台を踏みますが、指導する抱月と須磨子の仲は急速に接近し、師弟の域を越えて、男女の関係に発展して行きました。
 やがて二人は、芸術座を結成し、大正3年(1914年)「復活」を上演。その劇中歌として歌った「カチューシャの唄」が大ヒット。須磨子は一躍大スターの座につきました。
 しかし、大正7年(1918年)、日本を襲ったスペイン風邪で、11月5日、突然抱月は亡くなりました。
 最愛の人を失った須磨子は、抱月の命日の2カ月後、大正8年(1919年)1月5日、舞台化粧のまま、牛込の芸術倶楽部で縊死(いし)を遂げました。あと追い心中です。
 須磨子は「あの人と一緒に埋めて」と遺書を残しましたが、抱月夫人の反対で、実現しませんでした。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(フランク永井/カチューシャの唄)

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4日の大分空港からの飛行機は満席でとることができなかったので、ソニック号で福岡・博多まで移動して福岡空港から羽田に帰ることにしていました。夕方の便なので、まだ少し時間があるため、杉乃井ホテルに出入りしている個人タクシーの阿部さんに案内してもらい、別府の写真スポットを約4時間ほどで周っていただきました。ご本人もいつもデジタルカメラを持参しており、いい風景があると仕事の合間に写真を撮って、その写真をお客さんに見せているとのことです。上人が浜も阿部さんに連れて行ってもらいました。
扇形の山。毎年4月に山焼きをするそうです。

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その麓にある天然温泉。しかし、この時期はお湯が出ていませんでした。夜はロウソクを灯して、入浴するそうです。072.gif
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明礬温泉。結構、芸能人が来ています。
昨年の夏、土曜サスペンス劇場「湯けむり殺人事件」のロケ現場で撮影があったそうです。061.gif
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湯の花小屋
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貸切の温泉小屋
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十文字原展望台からの風景
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立命館大学
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コンクリートで出来ている橋では東洋一長い陸橋

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そして、別府といえば地獄めぐり。坊主地獄、海地獄、龍巻地獄、血の池地獄と巡りました。坊主地獄は約500年前の鶴見岳の噴火で、その場所にあった延内寺が吹き飛ばされて、その跡地に出来ました。噴き出る気泡で泥状の粘土が坊主の頭のように丸くなるため、坊主地獄と名付けられました。別府には8つの地獄があり、すべて個人の持ちものだそうです。不労所得があるなんて羨ましい。037.gif
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まわりの粘土は500年間の歳月がかかって堆積したものです。
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池の温度は89 ℃、蒸気は120 ℃以上あります。
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次に海地獄に行きました。池の色は海のような碧い色をしていました。これは硫酸鉄(Ⅱ)(化学式で書くとFeSO4)が溶けているためです。たしかに実験室で見た二価の鉄イオンの色でした。
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近くに水蒸気を利用した温室があり、バナナ、蓮の花、胡蝶蘭が咲いていました。056.gif
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そのお隣に赤い池がありましたが、こちらは酸化鉄の赤い色をしていました。

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貴船城。これは昔からあったお城ではなく、お城の旅館だったそうです。別府にはお城はなく、お隣の日出町(いずちょう)の日出城か、臼杵市(うすきし)にある大友宗麟の臼杵城まえ行かないとないそうです。有名な城下(しろした)カレイは日出城の下の海から獲れることで名付けられています。004.gif

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貴船城の入り口に大きな白い蛇がホルマリン漬けになって祀られています。お参りすると金運アップとのこと。また白の中には同じ種類の生きている白い蛇が飼われており、もう厄年はとっくに過ぎてしまいましたが厄払い、金運向上、健康をお祈りして、白蛇さんにお参り、触らさせていただきました。ただし、生きている蛇の写真はご遠慮願いますとのことでした。

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小判。
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龍虎相博つ、龍
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今年は「虎」年
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貴船城から見た別府の街。
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鉄輪(かんなわ)温泉の湯けむりが見えます。「鉄輪」と書いて、「かんなわ」と読みます。

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血の池地獄へ行く前に、もうすぐ間歇泉から水蒸気が噴出するというので、「龍巻地獄」へ行きました。この間歇泉は約40分間隔で、10分ほど水蒸気が噴出します。入口の前に信号があり、赤信号が点灯していると、あと10分以内に蒸気が噴出する合図だそうです。受付で聞くとあと5分ほどで噴出がはじまるときき、中へ。
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5分ほどたったころから、手前のところから湯気が立ち昇り、勢いよく水蒸気が噴出してきました。
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血の池地獄は龍巻地獄のすぐお隣にあります。この「池」は地獄の中で最も大きく、深さが最深で180 mあります。粘土が深い穴へ溜まっていき、詰まってしまうと爆発を繰り返すそうです。以前は放っておいたそうですが、爆発すると周りの樹木がすべて枯れてしまったり、何しろ危険なため、人の手で粘土が溜まらないように定期的に取り除いているそうです。
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血の池地獄の泉質は塩化物系、つまり塩酸が含まれているため、汚れた十円玉を浸すとピカピカになりました。塩酸系洗剤に十円玉を浸してピカピカになる化学実験と同じです。
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戦後直後の血の池地獄の様子(昭和26年)。
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最後は鉄輪温泉街をぶらぶらと散策しました。
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上人が浜に1200年前に立ち、鶴見岳の噴火を鎮めたという一遍上人像。
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ヤング劇場。別府の芝居小屋。
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至るところから湯けむりが上がっていました。
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最後は稲尾記念館に立ち寄って、別府駅へ。
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今日一日、別府の街を案内してくれた阿部さんとお別れし、ソニック号に乗り、福岡空港へと向かいました。


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by ryott-ryott | 2010-01-06 12:05 | 一眼レフの旅 | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、九州へ、湯布院散策ヽ(^o^)丿

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1月2日から2泊3日で九州は別府・湯布院へ行ってきました。今回の最大の目標は別府湾に上がる朝日を撮影することです。058.gif

1月2日、東京は富士山がきれいに見える快晴の空。天気予報で九州の雲行きが怪しいことはわかっていましたが、羽田空港の電光掲示板には大分にしっかり晴れマークが付いていて、心配を吹き飛ばす幸先よい出発となりました。058.gif
驚いたことには搭乗前の出発ロビーにはほとんど人が居なくて、飛行機の中はガラガラでした。真ん中の3人掛けの座席など何列も空席でしたし、左右の窓側の座席も空席が目立ち、ほとんどが一人掛けでした。
大分空港に着いて空を見上げると、残念ながら見慣れた鈍色(にぶいろ)の曇り空が広がっていました。


湯布院トリックアート迷宮館037.gif
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魔女と美女
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首から下がありません、よその家のお嬢さん
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画面から飛び出して見えました
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すべて同じ大きさ004.gif
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見る角度から絵が変わります004.gif

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大分空港から別府へ向かい、別府の杉乃井ホテルに宿泊。このホテルには棚湯(棚田みたいな浴槽)があり、そこから別府の街が一望できました。棚湯からの風景を写真におさめることが出来ればよかったのですが、当然ながら撮影禁止。しかし、なかにはデジカメを持って入浴している人もいました。棚湯から見た空模様はだいぶ雲が少なくなった感じでした。浴場前のテレビで見た天気予報も大分県全域に晴れマーク。058.gif
ところが3日の朝の別府湾は曇っており、朝焼けも見ることができないくらいに厚い雲に覆われていました。すぐに朝日の撮影はあきらめて、この日はバスに乗って湯布院へ行きました。
湯布院は別府からバスで約40分。鶴見岳・由布岳の山道を通って行きますが、山の上では雪がちらついていました。湯布院駅前に到着した時も、止むどころか、さらに雪は強まる勢いでした。
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雪がちらつく湯布院駅前
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川に沿って金鱗湖へ

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社会主義の国と違って、自由主義国、わけても日本から他の国に亡命することはほとんどありません。それが、戦争前の昭和13年(1938年)1月3日、まだ日本の領土であった樺太(サハリン)の国境を、人気女優がその愛人と、恋の逃避行を兼ねて、ソ連に越境、亡命をはかったのですから、当時としては大変な話題を巻き起こしました。その第一報を伝えた新聞記事です。

「新派、井上正夫一座の女優岡田嘉子(38)がひょっこり厳寒の北樺太に登場。北緯50度の国境線近くで行方不明となり、関係方面で目下捜索中である。嘉子は実父が昔、樺太で事業に関係したところから、かねて雪の樺太にあこがれをもっていたが、この暮れ、出演契約中の大阪の劇場から1ヵ月の休暇をもらったので、若き愛人、新協劇団所属の演出家杉本良吉こと吉田好正君(32)と携えて樺太を訪問し、雪の異国情調を満喫すること2日、慰問袋その他を買い、国境線守備隊の警察官慰問に出かける旨を宿の者に残し、自動車で国境に向け出発した。」(「東京日日新聞」5日付)

 当時、亡命は確認されませんでしたが、戦後2人ともモスクワ放送局の日本向けアナウンサーとして手伝っていたことが明らかにされました。
 彼女はその後、モスクワ大学で演劇を学び、病死した愛人杉本良吉の遺志をついで、演出家として活躍していました。
 しかし、“望郷”の念もだしがたく、昭和48年(1973年)、35年ぶりに日本に帰ってきました。ときどきソ連に戻ったりしましたが、日本に滞在し、たまにテレビドラマに出演したりしながら日ソ親善のために尽くしました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


泉酒販016.gif
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おそばやさん
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幻のどぶろく011.gif
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漬物盛り合わせ011.gif
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鴨せいろ011.gif
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そば湯でいっぱい011.gif

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それでも折角来たのだから、湯布院の散策開始。川に沿って上流の金鱗湖を目指しました。とはいっても大した距離ではありません。金鱗湖の近くに何やら雰囲気の良いお店がありました。「幻のどぶろく」とのぼりに書いてあります。何も考えずに店に入って行き、その幻のどぶろくを試飲させてもらいました。甘口と辛口二種類あり、いずれも美味しくて、即お買い上げ、宅急便で自宅へ送ってもらいました。お店の人に、「このどぶろくを呑ませてくれるお店は近くにないですか?」と尋ねると、すぐ近くの金鱗湖手前のお蕎麦屋さんでに出しているとのこと。すぐに行きました。お店はお昼時もあり、混雑していましたが、すぐに通されて、どぶろくと漬物盛り合わせと鴨せいろを頼みました。漬けものでどぶろくを一杯飲み、鴨せいろのつゆをそば湯で割って、それを肴にどぶろくをもう一杯飲みました。正月休みで家族連れが多く訪れている中、昼間からどぶろくを注文している客は私だけだったと思います。店を出ると、すでに雪はやみ、陽が差してきていました。先ほどのどぶろく屋さんに「今、飲んできましたっ」と挨拶して、金鱗湖を見て、湯布院路をぶらぶらと。070.gif

ドクターキッスフィッシュ041.gif
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きたない足でごめんなさい041.gif

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そして、もう一軒、面白い店を発見しました。店を覗くと、魚のいる水槽があり、その中に皆さん足湯をしています。ドクターキッスフィッシュ。皮膚の角質を食べてくれる魚が水層の中におり、足を入れると皮膚の表面の角質を食べに、魚が足に群がってきます。少し大きい魚はスズキの仲間、小さい魚は鯉の仲間だそうです。めずらしものづきの私は早速、ドクターキッスフィッシュを体験。水温は30 ℃、大井町湯屋のプールとほぼ同じです。足を水槽へ入れるとすぐにお魚さんたちが私の足の表面を覆って、けっこうくすぐったい感触でした。お店の人が言うには、このドクターキッスフィッシュでかなりお肌がスベスベになるのだそうです。
 ドクターキッスフィッシュの店を出るとすっかり青空が広がっていました。山頂が白く雪化粧された由布岳が青空に映えていました。
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帰りはきれいに晴れました
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来る時とは違い、天気が回復した湯布院駅前

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 帰りは久大本線「ゆふDX(デラックス)」に乗り、別府まで戻ってきました。棚湯から見た別府湾上空には星が輝いており、明日こそ朝日が見れるという期待に胸を膨らませて眠りにつきました。058.gif
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山下清原画展にも入りました
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有名な「花火」(貼り絵)
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片倉館と花火(貼り絵)
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カルピス(貼り絵)
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ミゼット(貼り絵)
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おにぎり(貼り絵)
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またマジックで書いた絵も印象的でした
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To be continued.

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by ryott-ryott | 2010-01-05 12:17 | 一眼レフの旅 | Comments(2)

いい歳、りょうちゃん、ダイヤモンド富士を見るヽ(^o^)丿

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今週の土曜日はいつものように奥山エアロ、中国整体、大暴れアクアをやりました。そして夜は、荏原町のさ久さんに行きました。湯屋仲間の吉田さんからのお誘いがあり、さ久さんで飲むことになりました。中村さん、てらりんさん、と4人で飲むはずだったのですが、私を誘ってくれた肝心の吉田さんは来ませんでした。どうしたのでしょうか?

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アジフライ011.gif
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生がき011.gif
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せいろ蒸し011.gif
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 てらりんさんや中村さんと飲んだのは12カ月以上も前で久しぶりでした。湯屋仲間のてらりんさんは、最近、足底筋膜炎を発症してしまい、足の裏に痛みを伴うため、大好きなエアロを出来ない毎日が続いているようです。早く平癒して、また湯屋の異常者たちを蹴散らしてください。041.gif
 そして日曜日は、高尾山へ「ダイヤモンド富士」を観に行ってきました。


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(JIN最終話予告編)

天和3年(1683年)、江戸日本橋駿河町に開店した呉服店越後屋は、その開店披露の引札(宣伝チラ)に、こんな文句を書きました。(現代語訳)

「私ども越後屋は、このたびの開店にあたり、店内の品物は、すべて格安で奉仕をいたします。一銭たりとも値引きはいたしません。掛け売り、配達もいたしませんので、どうぞご来店の上、現金にてお買い求め願います。
                                   越後屋 三井八郎右衛門高利」

現在では当たり前のことですが、当時としては革命的な商法でした。呉服屋は大きな風呂敷に品物を包んで、大名屋敷や商家に売り歩き、値段は相手の顔色を見て適当に決め、そのかわり支払いも、盆、暮れ2回にされていたころの話です。

 江戸市中で大評判になり、店は大繁昌、たちまち江戸一番の呉服屋にのし上がってしまいました。やがて越後屋は三井呉服店と名を改めて、さらに明治37年(1904年)12月20日には、三井呉服店の「三」と、越後屋の「越」をとって「三越」と名のり、わが国初のデパートに生まれ変わりました。

 1852年、パリで開店したボン・マルシェが世界最初の近代的百貨店と言われますが、わが国では、約50年おくれて近代的百貨店「三越」が誕生したわけです。
 初代三井八郎右衛門高利の先祖は、近江の三井越後守で、織田信長に敗れて武将をやめ、伊勢松坂に逃れ、その子高俊が酒屋越後屋を開いたのがそもそものはじまりと伝えられています。
高利は、高俊の四男で、江戸で開業した時は52歳になっていました。三越はもとより、三井グループ、三井財閥の祖にあたる人です。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(MISIA/逢いたくていま)

12月20日の東京での日没は16:30ですが、「ダイヤモンド富士」は富士山の山頂へ太陽が沈んでいくため、16:10ごろから山頂にかかり、約2分間ほどで隠れてしまいます。
12月20日は快晴。058.gif中央線の車窓からもはっきりと富士山を見ることができ、はじめての「ダイヤモンド富士」に期待に胸を膨らませて、高尾山山頂へと向かいました。


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11:55東京発高尾行き中央線快速に乗り、高尾駅で京王線に乗り換えて一駅、高尾山口駅に13:20くらいに到着。高尾山は標高599 m。途中の470 mまではケーブルカーが往復しています。ケーブルカーに乗らずに山頂へと思ったのですが、発車するところだったので乗ってしまいました。傾斜32度の日本一急こう配のケーブルカーだそうです。

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 ケーブルカーを降りると、普通は40分くらいで山頂に着くようです。私はのんびりと風景を見ながら山頂へと向かいました。約70分で山頂に到着、14:40。山頂は「ダイヤモンド富士」を一目見ようという人たちで大賑わい。テレビ局のカメラと思われる機材を持って来ている人たちもいました。展望台の向こうには真っ白な富士山がそびえていました。ダイヤモンド富士がはじまる直前には多分、集まった人は多分100名以上はいたと思われます。私も何とかシャッターを切りましたが、太陽が富士山山頂にかかると、あっという間に沈んでしまいました。ダイヤモンド富士のきれいな写真は撮れませんでしたが、自分の肉眼で「ダイヤモンド富士」をはっきりと見ることができて、感無量の一日でした。058.gif072.gif
 太陽が沈んでしまったあとの夕焼けに染まる富士山も美しく、西の空高くに月齢3.6の月を見ることが出来ました。しかし、日が暮れた後の山頂は寒かった。私が言うのだから、間違いなく寒いです。
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by ryott-ryott | 2009-12-21 00:48 | 一眼レフの旅 | Comments(2)

いい歳、りょうちゃん、青空に巡り合えましたヽ(^o^)丿

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最終日、11月23日。この日はきれいに晴れました。帰りの飛行機は15:55、能登空港発・羽田行き。しばし時間があるため、珠洲焼資料館、珪藻土資料館、蛸島酒造を見学し、鉢ケ﨑海岸をブラブラと歩き、鈴の湯に入って、帰ってきました。058.gif

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ビーチホテルの前には砂浜が広がっています。夏は海水浴場として賑わうそうですが、この奥能登の地も地球温暖化の影響が徐々に広がっているようです。この海水浴場に人喰い鮫が出没しており、海水浴客を怯えさせているそうです。いままで鮫など姿を見せなかった浜に、鮫が出没するというほど海の中の環境が変化してしまったようです。また、気温も高く、積雪量がかなり減ったようです。積雪が多かった時は、毎年、山で松茸が大量に採れたそうですが、今では数えるほどしか採れなくなりました。


(岩崎宏美/始まりの詩、あなたへ)

現在の五千円札の肖像画に使われている樋口一葉が、明治29年(1896年)11月23日に肺結核で24歳の短い生涯を閉じました。師であり、恋人でもあった半井桃水(なからいとうすい)への思慕を抱きながら、貧しくも美しい生涯でした。
 樋口一葉が、日本近代文学で高く評価されているのは、「たけくらべ」、「にごりえ」、「十三夜」、「わかれ道」、「大つごもり」という5つの名作を残しながら、死の直前まで大量の日記を残したからだと言われています。
また王朝時代の紫式部・清少納言・和泉式部の女流文学前世紀から千年後、再び女流文学を開花させた中興の祖であることも評価されています。
一葉は父を亡くした後は、母妹と裁縫の内職をしたり、下谷竜泉寺で荒物・駄菓子屋をして失敗、本郷丸山福山町へ移り住んだ明治下町情緒の哀歓が作品に映し出されており、読み手の心をひきつけると言われています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(林あさ美/能登半島)


(石原詢子/能登半島)


(島津亜矢/能登半島)


(河合奈保子/能登半島)


(坂本冬美/能登半島)


(石川さゆり/能登半島)

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宿泊先の珠洲ビーチホテルから歩くこと10分。地元の酒蔵・蛸島酒造へ行きました。入口には、これから仕込む石川米が山積みにされていました。酒蔵をたずねると、ご主人の桜田さんが中を案内してくれました。お米は業者に頼んで精米し、仕込みはさらに気温が下がる1月に行うとのこと。最近は降雪も少なく暖冬であるため、仕込みの容器のまわりには冷却水を流して発酵させるようです。
 この酒造では、桜田さんの名前にちなんで、初桜という銘柄のお酒を作っています。初桜は1級酒と2級酒、それと大慶と万葉美人の4銘柄。ビーチホテルでも、鈴の湯の食堂でも置いてありました。

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神奈川県の居酒屋さんに卸している「きさくに」
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初桜、大慶、万葉美人
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杉玉
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ラベルをお母さんが手で貼っていました。

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酒蔵でお酒を買い求めて、鉢ケ﨑海岸の砂浜をブラブラと歩いて、再びビーチホテルの方へ戻ってきました。今では北朝鮮の船の寄港を日本政府が許していないため、事件もありませんが、30年前はこの浜辺で子どもが神隠しにあうと言った事件が多発していたそうです。何年か前に時の小泉首相が北朝鮮を訪問して、拉致被害者の顔写真が公開されて、はじめて30年前の神隠しが実は北朝鮮へ拉致されていたということがわかったそうです。また北朝鮮が日本の暴力団組織に覚醒剤を売りに来て、この砂浜に覚醒剤を埋めて取引をしていました。現在のように携帯電話もないため、時として覚醒剤をどこに埋めたかわからなくなってしまい、浜を散歩している人に発見され大騒ぎになったことが何回もあると聞きました。

そんな物騒な砂浜だったとは思えないほど、青い空と碧い日本海が広がっていました。


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by ryott-ryott | 2009-11-27 01:16 | 一眼レフの旅 | Comments(2)

いい歳、りょうちゃん、輪島~珠洲、奥能登一周ヽ(^o^)丿

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11月22日、日曜日。朝、朝日、朝焼けを雲の切れ間から見ることが出来て、今日は昨日と違って好天に恵まれると期待したのですが、にわかにかき曇り、この日の空も鈍色でした。
雨が降らなかっただけでも良しとしましょうか。
昨日、禄鋼崎灯台まで案内してもらったタクシーの運転手さんに今日もお願いして、輪島まで行くことにしました。輪島まで行くまでに、恋路海岸、見附島を通って、山中を経由して、輪島へ。そして、輪島から千枚田、曽々木、仁江海岸を経て禄鋼崎灯台で再度、夕陽の撮影に挑戦して、宿泊先の珠洲ビーチホテルまで戻ってくるルートです。


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今回訪れた珠洲市は能登半島の先端、奥能登と呼ばれる地域です。同じ石川県の金沢には平成26年に北陸新幹線を開通させる計画もあるようですが、奥能登の地は鉄道は一切ありません。現在も観光地で賑わっている輪島も鉄道が廃線になって10年経過するそうです。そして、珠洲市も4年前に時の小泉首相が鉄道を廃線にすることを決めました。

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 恋路駅も廃線になった鉄道の駅の一つです。駅のホームは残っていましたが、線路はもう有りませんでした。電車が走っているときの観光客は今とは比べものにならないくらい多かったそうです。

 山中の途中、炭焼き小屋があり、炭を焼いていました。
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 輪島に着いたころには一時的に空が明るくなりました。朝市がやっており、私はえがらまんじゅうを食べました。037.gif
朝市では商店街の普通の店の前に屋台が出ており、その屋台で物を売っている方は、その後ろのお店の方です。輪島塗などの漆器類専門のお店なのですが、加賀友禅のハンカチや小物類を背広屋さんが売っていたり、時計屋さんがとろろ昆布やカラスミなどの畑違いのものを売っているのには驚きました。お店のお母さんに聞くと、もともとの店の商品だけを売っていては、商売が成り立たないため、観光客が喜びそうなものを朝市で売っているとおっしゃっていました。


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朝市の商店街の中にも能登牛の専門店がありましたが、ちょうどお昼時とあって、長蛇の列であり、残念ながら入店をあきらめました。014.gif


(美空ひばり/真赤な太陽)


(坂本冬美/能登はいらんかいね)

アメリカのケネディ大統領というと、思い出すことが5つあります。
第一は、大統領就任のときの名演説です。
「アメリカの国民諸君!諸君は国家が諸君に何をなすかを問い給うな。諸君が国家に何をなしうるかを問い給え。人類の自由と平和のために、我々が何をなしうるかを問い給え!・・・・・」この格調高い就任演説は、リンカーンの「人民の、人民による、人民にための政治」といった、あの名演説とともに、歴史に残る感動的な演説です。
第二は、キューバ島に建設されたソ連ミサイル基地の撤退を求めた時の毅然とした態度です。さすがのフルシチョフも撤退に応じました。
第三は、あの暗殺です。たまたま、日米間にテレビの衛星中継が開始された当日だっただけに、意外な大事件の報道に、みんながびっくりしてテレビの前に釘付けになりました。
 1963年11月22日、将来を期待されていた若きアメリカ大統領ケネディは、遊説先のダラス市内で、オズワルド青年の凶弾に倒れてしまいました。享年46歳でした。
 第四は、弟ロバート・ケネディの暗殺です。ケネディ家には、不幸な事件が多発しました。呪われた家系なのでしょうか。それともCIAの謀略だったのでしょうか。
 第五は、ジャクリーヌ夫人の再婚です。あの悲劇の大統領夫人が、いくら優雅な生活に憧れたからといって、ギリシャの大金持ちオナシスに嫁ぐとは、日本の常識ではとても考えられないことです。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(坂本冬美/あばれ太鼓)

そして、輪島の朝市を見た後は海岸線に沿って千枚田に向かいました。
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千枚田は田んぼが斜面に沿って段々に作られており、実際には1900ほどの田んぼがあるそうです。
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曽々木はその昔は観光地で、よく作詞・作曲家が歌を作るためにこの地を訪れたそうです。冬の日本海は風が強く、この岩の孔を通り抜けてくる風の音を聞いて、「越冬つばめ」の「ヒュルリ~ ヒュルリララ~ついておいでと啼いてます ヒュルリ~ ヒュルリララ~ききわけのない女です。」という詩が出来たそうです。
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(森昌子/越冬つばめ)

途中、漆塗り、キリ子、塩田の見学をして、いよいよ禄鋼崎へ。空は相変わらず鈍色。今日の朝と同じように、わずかに雲が切れて、その切れ間はほんのりと薄紅色でした。朝日と同じように、雲の切れ間から夕陽が見れるかもしれないと期待しつつ、禄鋼崎灯台の展望台に三脚を置き、日の入り時刻を待ちました。しかしながら、ついに夕陽を見ることはできませんでした。切れ間からも夕陽は顔を覗かせることなく、沈んで行ったようです。私が三脚とカメラを片付けていると、立派な三脚とテレビカメラを持った二人組の男性が展望台に上って来て、灯台を一生懸命に撮影していました。後で聞くと石川テレビ局の方だそうで、禄鋼崎灯台から見た夕陽を撮影するように言われて来ていたそうです。お互い、残念でした。058.gif
To be continued.

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女性の髪で作った刷毛。1本10万円するそうです。今は中国から輸入しています。怪しいですね。
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by ryott-ryott | 2009-11-25 03:02 | 一眼レフの旅 | Comments(0)