カテゴリ:甲武信ヶ岳( 1 )

再始動、日本百名山の旅、新緑と石楠花の甲武信ヶ岳を行く

登山
旅行・地域
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 6月4日(水)、パルシステムで買ったスズメウリに水をやろうとしたら、プランターのそばで猫の親子が寝ていました。最初は猫の死骸が転がっているのかと驚きました。いい歳、りょうちゃんが、山で食べようと買っておいた魚肉ソーセージを投げ与えると、親子でたいらげてしまいました。
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 子猫は黒と、白と、三毛の3匹でした。三毛はまだ魚肉シーセージを食べることができないくらいの小ささで、母猫のおっぱいを飲んでいました。
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 こんな小さいくせに、りょうちゃんが手を出して触ろうとすると、「シャッー」と鳴いて威嚇してきます。誰が魚肉ソーセージをあげているのかわからないのでしょうか。恩知らずの猫です。
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 猫のその後ですが、甲武信ヶ岳から帰ってきた夕方は母猫が庭に来ていました。そして翌日も母猫しか現れませんでした。あんなに母猫にまとわりついていた子猫3匹の姿はありませんでした。週末の大雨で命を落としていなければいいのですが。何しろ、先週末の雨は6月1ヵ月分の雨量だったそうです。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(NHK日本名曲アルバム/銀色の道)


(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 昨年末から山行を含めた旅行を控えていましたが、年寄りも目を離せるようになってきましたので、6月7日(土)~8日(日)、久しぶりに山旅クラブの山行に参加しました。トミーさんに会うのは昨年10月末の両神山以来です。今回は日本百名山の甲武信ヶ岳です。いつものように、いい歳、りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。
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 5月22日に歩の会で赤城山・鈴ヶ岳に参加したものの、日本百名山は昨年12月2日に開聞岳を登って以来なので、実質的に6ヵ月以上のブランクをはさんでの今回の甲武信ヶ岳であったので、登りも降りもバテバテで、しかも普段ならば降りは得意なのですが、大腿四頭筋(前の太もも)がパンパンになり、降りで足を出すのもやっとの状態でした。やはり山は普段からコンスタントに登っておかなければならないと痛感しました。
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 6月7日(土)は東京は朝から土砂降りの雨で、こんな雨でも山行をやるのかと思いながら、特急あずさ号で塩山駅に向かいました。大雨でも新宿駅の特急あずさの乗客は結構いました。
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 特急あずさの車窓からの風景です。
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 塩山駅で7ヵ月ぶりにトミーさんと再会、いつもの高級リムジンカーで登山口まで行きました。登山口の駐車場では、山旅クラブの常連客のA柳さんと再会、まったくお変わりありません。Aさんは売店で草餅を購入されていました。
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 林道を歩き、登山口へと向かいます。予定では初日は近丸新道から登る予定でしたが、大雨の影響で渡渉しなければならない箇所もある可能性があり、危険なため、徳ちゃん新道のピストンに変更になりました。
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 午前10時26分。登山口は標高1100 m、甲武信ヶ岳の山頂は2475 m、標高差1375 m。しかも6ヵ月ぶりの山行で、予測通り厳しい山登りになりました。
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 13時02分。近丸新道と徳ちゃん新道の合流点、戸渡尾根の入口、標高1869 mまで約2時間30分。
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 戸渡尾根からしばらくシャクナゲロードが続きます。
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 シャクナゲはつぼみのほうが色は鮮やかです。
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 シャクナゲロードを抜けると、急登につぐ急登です。いい歳、りょうちゃんはもう前をいくトミーさんとA柳さんには大きく置かれる形になりました。写真を撮る猶予もなく、ほとんど撮っていません。
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 写真は途中に咲いていたハクサンコザクラですが、トミーさんのブログからもらいました。りょうちゃんはハクサンコザクラを撮る気力がありませんでした。しかし、この写真は花の写真としては、今ひとつです。037.gif
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 山頂が近づくにつれて、残雪も目につくようになりました。この木賊山(とくさやま)を越えて、甲武信小屋に着きました。16時06分。
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 この雨でほかの登山者にも抜かれることはなかったので、山小屋はガラガラで貸切状態ではないかと予測していましたが、ほぼ満室で混雑していました。クラブツーリズムの団体さんが50名ほど来ていました。
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 甲武信小屋の夕飯はカレーライスです。しかしNever Second、おかわりできません。よそってもらうときに、「大盛り」とか「普通」と言って、ご飯の量を申請します。夕飯後に、トミーさんと一杯飲んで、20時くらいに寝てしまいました。
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 翌朝、5時に朝食を済ませて、6時すぎに甲武信小屋を出発しました。甲武信小屋のご主人と一緒に記念撮影。
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 甲武信小屋の裏側から山頂に向かいます。約20分ほどで山頂に到着。いい歳、りょうちゃん、日本百名山76座目になりました。038.gif
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 山頂直下に咲いていたイワカガミ。
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 甲武信ヶ岳の直下から見た霞んだ木賊山。
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 木賊山の巻道を通って、昨日登ってきた道を降って行きます。
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 この急登、登るのも大変ですが、降るのも大変でした。
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 シャクナゲロードももう一度通ります。よく見ると登山道から少し中に入ったところも結構咲いていました。
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 シャクナゲの戸渡尾根を過ぎると、徳ちゃん新道に入ります。途中、鹿の死体がありました。気持ち悪くて、写真は撮りませんでした。
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 昨日は見えなかった広瀬湖が見えました。
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 普段は降りのほうが断然に得意なのですが、徳ちゃん新道あたりから太ももの前がパンパンになって、降りの斜面で足が前に踏み出せませんでした。またもや前を行くトミーさんとA柳さんがどんどんと遠ざかっていました。トミーさんのハゲ頭を目印に必死に追跡しましたが、ついには見えなくなってしまいました。041.gif
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 12時前に何とか林道にたどり着きました。6ヵ月山登りしないと、ここまで衰えてしまうものなのかと思い知らされました。この半年の間、自分としては1日1万歩を目安になるべく歩くことを心がけてきましたが、トミーさんは平坦の道をいくら歩いても意味はなく、山登りは山登りでしか鍛えられないとおっしゃっていました。
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 帰りは笛吹の湯で汗を流して、特急かいじで東京に戻ってきました。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



 
次回は蔵王に行ってきます060.gif

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by ryott-ryott | 2014-06-09 20:55 | 甲武信ヶ岳 | Comments(2)