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七夕前夜、織姫伝説の巻機山を行く

登山
旅行・地域
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 40日ぶりのブログの更新になります。前回の甲武信ヶ岳の2週間後に蔵王へ行く予定でしたが、急きょ行くことができなくなり、日本百名山77座目は次の巻機山にゆずることになりました。7月5日(土)~6日(日)、甲武信ヶ岳登頂から1ヵ月後、巻機山へ行ってきました。
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 ふもとの南魚沼市が、養蚕・機織りが盛んだったことから、機織りの神様が祀られた山ということで巻機山という名前がついています。巻機山の山中で機を織っている美女を見かけたという伝説もあります。しかしながら、今回の山行では織姫のような美女に巡り合うことはありませんでした。
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 7月5日(土)は前泊で、越後湯沢駅に乗り心地抜群の国産高級リムジンカーでトミーさんが迎えに来てくれました。いつものようにいい歳、りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。
まだ梅雨が明けておらず、東京は土砂降りの雨でしたが新潟の南魚沼市は青空が広がっていました。
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 本日の宿、泉屋さん。ただし、ペットボトルの自販機はありません。約100 m離れた別の店の前まで翌日の飲み物を買いに行かなければなりませんでした。
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 泉屋さんの夕飯。
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 生卵をかけて食べました。
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 泉屋さんの食堂に飾られたツキノワグマの毛皮。
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 翌日7月6日(日)、いよいよ巻機山に登ります。登山口のある桜坂駐車場は多くの登山者が集まっていました。午前5時50分、登山口を出発しました。本日は一般的な井戸尾根コースを登ります。
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 5合目から見た風景。沢筋にはまだ雪渓が残っています。
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 一昨年の秋に登った大源太山がきれいに見えました。
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 巻機山の井戸尾根はとても長く、急登に次ぐ急登。足取り重く、すっかりバテています。
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 先を歩くトミーさんはあんなに遠くなり、頭に髪の毛があるのかどうか、もうわかりません。041.gif
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 この階段を登りきり、ようやく対面に巻機山の山頂が見えました。
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 ここは9合目で、山頂ではありません。ニセ巻機山と言われています。標高1861 mです。
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 9合目からは木道が敷かれ、草原状の山道が続いていきます。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 9合目から避難小屋の間にはワタスゲがたくさん咲いていました。
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 イワカガミもたくさん咲いていました。
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 尾根道の脇には雪渓が残っています。絶対に歩きたくないところです。037.gif
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 巻機山避難小屋。
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 避難後方面から見たニセ巻機山。
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 ここからもうひと頑張りで山頂へと向かいます。
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 池塘が点在していました。
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 なだらかに見えますが、疲れた体には相当に応えます。
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 青息吐息でようやく山頂に到着かと思いましたが、この標識があるところはまだ最高点ではありません。トミーさんは環境省の職員が最高点にまで標識を運ぶのが面倒で、ここに立ててしまったのだろうとおっしゃっていましたが、「鳥瞰図でみる日本百名山」には「信仰上山頂としてきた」と記述されています。
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 信仰上の山頂から約10分ほど歩いたところに、巻機山の最高点があり、ケルンが立っています。標高1967 m。いい歳、りょうちゃん、日本百名山77座目になりました。奇しくも、この日は七夕の前日で、77座目を達成できました。
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 牛ヶ岳方面から歩いてくる人もいました。
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 見える湖は奥利根湖、人造湖です。
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 スミレ。
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 シャクナゲが咲いていました。
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 ニセ巻機山からみた巻機山の稜線。登山者が歩いています。
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 奥に円錐形の割引山(ワレメキ山)が見えます。
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 下山は登ってきた道をひたすらに下っていきました。歩いても歩いても登山口につかず、15時47分、ようやく登山口に着きました。約10時間の山行でした。やはり山登りは2週間に1度は出かけていないとダメですね。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(NHK日本名曲アルバム/銀色の道)


(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 前回、ノラ猫の親子がいい歳、りょうちゃんの家を訪ねてくることを書きましたが、うちの年寄りが少なくとも母猫は上野そろばん塾の飼い猫であることを突き止めたと言っていました。
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 飼い猫にしてはあまりにも汚いし、いい歳、りょうちゃんが与えた貴重な魚肉ソーセージを遠慮なく食べます。おそらく、そろばん塾のばあさんがエサを与えず放し飼いにしているのでしょう。
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 クロとミケが夢中で魚肉ソーセージを食べているところを捕まえて、お湯につけてジャブジャブと洗ってしまいました。ミケはおとなしくしていましたが、クロは暴れまくり、りょうちゃんの手をスキあらば噛み付こうとしていました。折角、キレイにしてあげているのに、わからないのでしょうか。恩知らずの猫です。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



 
次回は平ヶ岳の報告をします。

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by ryott-ryott | 2014-07-23 14:17 | 巻機山