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火山群の吾妻の秘境、西吾妻山を行く

登山
旅行・地域
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もう8月も終わります。ブログがまったく実態に追いついていません。近況を話しておきますと、先週、8月23日(土)日本酒仲間の小澤さんと木曽駒ケ岳に行ってきました。日本百名山84座に到達しました。その模様は、いつになるかわかりませんが、おいおいに報告します。

 9月以降の日本百名山の旅は以下のとおりです。

  9月 6日(土)~ 7日(日) 八ヶ岳・赤岳(山旅クラブ)
  9月12日(金)~15日(月) 南アルプス・光岳(山旅クラブ)
  9月20日(土)~23日(火) 北アルプス・爺ヶ岳~鹿島槍ヶ岳(山旅クラブ)
  9月26日(金)~28日(日) 火打山・妙高山(トラベルギャラリー)
 10月 4日(土)~ 5日(日) 苗場山(山旅クラブ)
 10月11日(土)~13日(月) 燧ヶ岳、会津駒ケ岳(山旅クラブ)

予定している山をすべて登ることができたならば、日本百名山は92座までに到達します。残りは8座、蔵王、黒部五郎岳、荒島岳、白山、大朝日岳、大雪山、十勝岳、羊蹄山です。北海道の3座は来年の8月のお盆休みに行くことを決めました。100座目をどこにすべきかそろそろ決めようと考えています。
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7月26日(土)~27日(日)は西吾妻山に行ってきました。いつものようにいい歳、りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。
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土曜日は猪苗代まで行き、国民宿舎裏磐梯に前泊しました。土曜日はとてもいい天気で昨年登った磐梯山がはっきりと見えました。058.gif
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国民宿舎裏磐梯の夕飯はバイキングになっており、食べたいものを食べたいだけ食べました。山旅クラブの代表ガイドのトミーさんも、もう55なので、これからの山旅クラブは温泉宿泊と手軽な山行にシフトしていくとおっしゃっていました。55とはトミーさんの髪の毛の本数ではありません、年齢です。041.gif
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岩魚の骨酒。この国民宿舎で一番のお目当てです。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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7月27日(日)の天気予報は雨マーク。土曜日は磐梯山が見えるほど天気が良かったのに、天気予報はあたってしまいました。台風12号から変わった低気圧が通過するため、朝から雨となりました。
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予定ではロープウェイで山頂駅まで行き、そこから西吾妻山の山頂を目指す予定でしたが、ロープウェイが強風で運転見合わせになっており、運転再開するとしても1時間以上あとになるとのことでした。
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山麓駅にはロープウェイの運転再開を待っている登山者がたくさんいました。天元台スキー場のほうへ移動した人もいるようでしたが、山行をあきらめて帰っていく人もいました。
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どんな状況でも、安全に山に連れて行ってくれるところが山旅クラブのいいところです。グランデコスノーリゾートスキー場に沿って、山麓駅から山頂駅まで90分かけて歩いてから、西吾妻山の山頂を目指すことになりました。057.gif
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山頂駅に着いたのは午前10時45分でした。本来のスケジュールよりも約2時間のビハインドです。
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午前11時過ぎに登山口から登り始めました。
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登山道は木の根っこと泥の悪路が続きました。
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12時58分。西大嶺に着きました。地図には「展望が良い」と書いてありますが何も見えません。
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何も見えない道をひたすらに歩きます。
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雨足も強まり、階段状の登りも川になっています。
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 避難小屋のあたりから木道が現れます。
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 13時48分。山頂に到着しました。樹林のなかにあり、晴れていても展望はありません。いい歳、りょうちゃん、日本百名山80座目になりました。写真を撮って、とっとと下山します。
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 シナノキンバイの花畑がありました。
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 イワイチョウも咲いています。晴れていたらどんなにきれいだったことでしょう。
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 ロープウェイの最終時刻は16時ちょうどです。登ってきた悪路を必死に下りました。トミーさんはどんどんと先に行ってしまい、トレードマークの頭は見えません。最後は走って、16時5分前に山頂駅にようやく到着し、ロープウェイに間に合うことができました。国民宿舎裏磐梯に日帰り温泉に入浴しましたが、到着したのは16時50分。本来ならば日帰り入浴の受付は16時30分までとのことでしたが、やさしい従業員さんが「本日だけ、次回から16時30分までにお願いします。」と言って、入れてくれました。次回からは走らない手軽な山行を希望します。037.gif
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道





本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



 
次回は奥穂高岳の報告をします060.gif

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by ryott-ryott | 2014-08-30 11:44 | 西吾妻山 | Comments(0)