カテゴリ:新年山行・四阿屋山( 1 )

福寿草咲き乱れる奥秩父の岩峰・四阿屋山を行く

登山
旅行・地域
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 今年もどうぞよろしくお願いします。024.gif
 今年の大目標は日本百名山100座達成でありますが、登山を中心に健康第一で歩いていきたいと思います。当面の予定は以下のとおりです。

  1月24日(土)~25日(日) 日光・雲竜渓谷(山旅クラブ)
  1月31日(土)~2月1日(日) 八丈島(八丈富士、三原山、トラベルギャラリー)
  2月15日(日) 奥武蔵主脈縦走(関八州見晴台、山旅クラブ)
  3月 1日(日) 宇都宮アルプス(山旅クラブ)
  3月14日(土)  奥武蔵主脈縦走(カバ岳、山旅クラブ)

 1月10日(土)~11日(日)は山旅クラブの新年山行で四阿屋山に行ってきました。いつものようにいい歳、りょうちゃんが写っている写真はすべてトミーさんのブログからもらいました。
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 今回は1月10日(土)に四阿屋山に登って、その晩は両神荘で新年会を執り行い、翌朝解散という、いつもとはちがう山行になります。参加者は一昨年仏果山をガイドしていただいた木之さん、浅間隠山をご一緒したY崎さん、登山道の口車のS木さん、トミーさんご夫妻と久しぶりにお会いする方ばかりでした。いい歳、りょうちゃんも年末は登山することができずに2ヵ月以上のブランクをはさんでの登山になりました。
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 両神神社で初詣。皆さんは何をお願いしたのでしょうか。トミーさんは髪が増えるようにお祈りしたのでしょうか。いい歳、りょうちゃんはもちろん日本百名山完登です。037.gif
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 コブシの蕾が膨らみ始めていました。春の足音が聞こえます。
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 四阿屋山の山頂を目指して、出発します。
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 四阿屋山は福寿草で有名ですが、この季節はまだ早いと思っていました。ところが福寿草園には幾つか黄色い花を咲かしていました。福寿草の花言葉は「幸福」です。見られるとは思っていなかった、福寿草の花を見つけることができ、みんな幸福な気持ちになりました。056.gif
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 蝋梅(ろうばい)も咲いていました。蝋梅の黄色が青空に映えていました。
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 武甲山、秩父の山並みが見えました。
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 福寿草園の階段を登りながら、両神神社奥社へ向かいます。段差の大きい急な階段と2ヵ月以上のブランクのため、いい歳、りょうちゃんは大汗をかき、先頭集団から大きく引き離されてしまいました。それでもS木さんのおしゃべりの声は聞こえてきました。
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 四阿屋山の山頂直下は急登の岩場になります。事故が多いため最近では登山禁止になっており、巻き道のほうから登っていきました。巻き道とはいえ、鎖とトラロープが張られており、かなりの急登になります。見方次第では剱岳の別山尾根よりも危険であったと思います。写真の先頭のご婦人は、若作りのS木さん。
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 おそろしい鎖場を抜けてようやく分岐に到着。山頂はもうすぐです。
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 四阿屋山の山頂に到着し、記念撮影。いい歳、りょうちゃんはバテています。
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 山頂から見た両神山。
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 おそろしい鎖場を降っていき、四阿屋山を下山しました。
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 下山途中にこんな場所がありました。
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 今日泊まる両神荘が見えます。
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 両神荘受付に置いてあったこんにゃく芋。
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 両神荘に行き、入浴を済ませ、新年会開催となりました。驚いたことに、あんなにお酒が好きだった木之さんはお酒を1滴も飲まず、ノンアルコール飲料を持参してきていました。以前の山行で私が差し出したまんじゅうを、「甘いものは食べない。」と言って断った木之さんが、お土産に羊羹とまんじゅうを買って帰っていきました。その木之さんが持ってきたノンアルコール飲料の日本酒を飲ませていただきましたが、私たちが普段飲んでいる日本酒の味とはたいへんかけ離れていました。残りをいただいて、普段よく行く「じゃんけんぽん」のトントンさんとはるさんに飲んでもらって感想を聞きました。また桑野おじいさんも飲んだようですが、よい評価は当然ながら得られませんでした。037.gif
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 両神荘の夕飯で岩魚の骨酒をいただきました。ノンアルコール日本酒は比べ物になりません。
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 またこの新年会で山旅クラブの年間の予定が発表になりました。日本百名山完登を目指すいい歳、りょうちゃんにとって、今年の日本百名山の予定は以下のようになりそうです。

6月13日(土)~14日(日) 91座目:  蔵王連峰・熊野岳
7月18日(土)~20日(月) 92~93座目:妙高山、火打山
7月25日(土)~26日(日) 94座目:  大朝日岳
8月 8日(土)~16日(日) 95~97座目:大雪山、十勝岳、羊蹄山、その他
9月18日(土)~23日(水) 98座目:  黒部五郎岳~雲ノ平
10月10日(土)~12日(月) 99~100座目:荒島岳、白山

 女性陣の朝湯でだいぶ待たされましたが翌朝は両神荘で朝食を食べて、解散。翌朝は両神荘で朝食を食べて、解散。S木さんとレッドアロー号で東京に帰ってきました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)

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 毎年のことではありますが、元日は大田区にある東京都立城南島海浜公園に初日の出を見に行きます。今年も見に行きましたが、残念ながら、東側の空に雲がベッタリと貼り付いて、初日の出を見ることはできませんでした。空を見れば、日の出を見ることができないとわかるのですが、それでも城南島海浜公園にはたくさんの人が集まってきていました。私は空を一目見て、すぐに帰宅しビールを飲みました。
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 翌日1月2日(金)はとても良い天気に恵まれました。朝、東の空を見るとオレンジ色に染まっていたので、日の出を見ることができると判断し、城南島海浜公園に出かけました。1月2日の日の出が2015年の初日の出となりました。
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 羽田空港。
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 こんな柄の飛行機が飛んでいました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 1月3日(土)、この日も天気がよいとの予報だったので、いつもの城南島海浜公園ではなく、東海道線の根府川駅まで行ってご来光を見ました。東海道線の根府川駅のホームから駿河湾を一望できると中国整体の李先生から教えられていました。1月3日の日の出時刻は6時52分であったので、品川始発の東海道線に乗って根府川駅まで行きました。小田原駅で乗り継ぎ、根府川には6時29分に着きました。駅前には何もありません。
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 降りのホーム東京寄りから駿河湾を一望できます。この日は私以外に2名がカメラを持って来ていました。李先生によると元日は大変な人出らしいです。
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 東の空には2段重ねの雲が横たわっていましたが、雲の間からご来光を見ることができました。
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本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

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 昨年の大晦日、その年の最後の夕日を千葉県立幕張海浜公園に見に行きました。初日の出は多くの人が見に行きますが、年の瀬の最後の夕日を見に行く人はあまりいないと思っていましたが、最近は夕日を見に来る人が増えてきています。いい歳、りょうちゃんの影響でしょうか。
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 2014年12月31日の夕日は空を燃やすような赤い夕日でした。
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次回は奥武蔵の報告をします060.gif

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by ryott-ryott | 2015-01-18 15:51 | 新年山行・四阿屋山