カテゴリ:歩の会、妙義山・さくらの里( 1 )

今年3度目の桜、歩の会 妙義山・さくらの里

登山
旅行・地域

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 ブログが実態に全く追いついておりません。大洗に転勤になり1ヵ月が経過しました。月曜日から金曜日までを大洗で過ごし、週末は東京に帰ってくるという生活が定着してきました。また朝は出勤までの時間に、神磯の鳥居まで行き、ご来光を拝み、大洗磯前神社にお参りをして住まいまで帰ってくることが習慣になりました。
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 5月6日(水)は大洗に一日早く帰って、いつものように早朝の散歩をして、大洗を歩いてみました。この日の朝は晴天の連休最終日であったためか、神磯の鳥居の前には20人ほどご来光を見に来ていました。またテレビ局の取材も来ており、誰かにインタビューしていました。いい歳、りょうちゃんにインタビューしてくれたら、大洗をほめちぎってあげたのに、カメラ写りもいいんだから。テレビ局は見る目がないですね。037.gif
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 この日は日の出の太陽がダルマのようになるダルマ朝日を見ることができました。
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 ご来光を拝んだあとは神社にお参りしました。5月上旬の日の出の時刻は午前4時40分くらいですが、日の出を見終わって、神社にお参りするのはだいたい5時くらいになります。いつもお参りをしたあとに御朱印をもらおうと思うのですが、神社の氏子どもはまだ寝ているため、御朱印をもらうことができません。一旦、住まいに戻って朝食を済ませて、出直して、ようやく御朱印をもらうことができました。神社の氏子なら、日の出とともに起きてもらいたいものです。037.gif
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 神社の中には「つつじの小径」があり、ツツジが花開いていました。
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 海岸沿いに歩いて、水族館まで行きました。サーファー以外にも海の中に入っている人がいました。
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 これが有名な大洗水族館。連休中はたいへんな人出だから、やめたほうがよいとアドバイスをいただいていましたが、あまり混んでいませんでした。入場料金は大人ひとり1850円です。
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 よくテレビで放映されている大水槽。半沢直樹のロケでも使われていました。
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 アンコウ。じっとしている魚はキレイに写せます。吊し切りにされないでよかったな。011.gif
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 クラゲ。
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 マンボウが水槽の中でエサを与えられていました。
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 こちらにも動かない魚がいました。
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 オオカミウオは横を向いています、生きているのか!
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 日本で一番大きい飼育されているミズダコだそうです。35 kgあるそうです。食べがいがありそうです。011.gif
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 東京スカイツリーの水族館にもいるチンアナゴ。砂の下は何 mも埋まっているそうです。
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 サメの剥製。
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 マンボウの剥製。
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 古代サメの顎の骨格。体長13 mもあったそうです。
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 プランクトン特集でカニの幼生が展示されていました。これがカニミソになるのか!
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 水族館のあとは願入寺に行きました。願入寺から見る夕景は水戸八景と言われているほど有名だそうですが、願入寺の中からは見ることができません。願入寺の裏手にある展望台のようなところからの風景になるそうですが、木が邪魔ですね。037.gif
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 海門橋、那珂湊につながっています。
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 この日は干潮であったようで、朝見る風景とはちがい、海の中からは岩が現れて、なんと神磯の鳥居で釣りをしている人がいました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)


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 さて本論の山行ですが、4月20日(月)は休暇を取って、歩の会で妙義山さくらの里へ行ってきました。今年は東京、転勤先の大洗、そしてさくらの里と3回目の桜となりました。
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 この日はあいにくの雨であったため、駐車場からさくらの里まで桜を見ながら降りていこうかとの話もありましたが、歩の会の方々はその提案を敢然と拒否し、当初の予定通り、中之嶽神社から中間道を通って第四石門まで行き、下に降りてきました。
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 第四石門に到着。
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 大砲岩。3年前にAトラベルで中間道に来ましたが、あの時は雨量も多く、煙っていて、第四石門から大砲岩を見ることはできませんでした。
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 第四石門前で記念撮影。
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 これは第二石門。
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 その後、さくらの里でお花見になりました。ミチコさんが幻の十四代を持ってきてくれました。
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 テラスで記念撮影。
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 さくらもたっぷりと楽しみました。056.gif
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 お花見宴会のあとはゴルフ場の宿泊施設で入浴し、東京まで帰ってきました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道






本田美奈子/恋のバカンス
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ

ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえに
裸で恋をしよう
人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス

陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス


 
5月末、御巣鷹山に行ってきます060.gif

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by ryott-ryott | 2015-05-09 15:16 | 歩の会、妙義山・さくらの里 | Comments(0)