カテゴリ:関東百名山女子会・大野山( 1 )

関東百名山女子会・大野山を行く

登山
旅行・地域
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 1月24日に更新して以来、まったくブログを書いておりません。その後の近況は、2月6日(土)に関東百名山の大野山に女子会メンバーの方々と一緒に行ってきました。その翌週、倉持さんにお誘いいただいた草津白根山スノーシューハイクに行く予定でしたが、富山県に3週間ほど出張が入ってしまい、行くことができませんでした。例年ですと2月には酒蔵見学もありますが、出張のためお断りいたしました。
 写真は神通川越しに見た後立山連峰です。2月の関東は晴天率が日本一高いのですが、日本海側の富山はほとんどが雪か雨で1週間のうち半日くらいしか青空を見ることができなかったと思います。ただし街は降った雪が積もらないように道路から水が流れており、除雪は行き届いていました。もちろん、食事は魚が豊富でおいしいのですが、地場産の魚を出す店では天候が悪いと漁に出ることができないので目玉の魚が店にないということがしばしばありました。
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 3月は歩の会で茨城県の宝筐山に行く予定でしたが、休暇が取れず行くことができませんでした。このように、2月と3月は予定していた行事はことごとく消滅していきました。日本百名山が終了して、これからは歩の会に力を入れようと思っておりましたが、歩の会も今年からは毎月第3木曜日に行くということになってしまいました。大洗に転勤している身としては、間の日(火水木)では休暇を取って東京に戻ってくることができないため、なんとか月曜日か金曜日にしていただきたい旨をお願いして、一度は了解していただきましたが、月曜日と金曜日は皆さんたいへんご多忙とのことで第3木曜日に行くことが本決まりになってしまいました。一応、お情けで5月と11月は月曜日と金曜日にやっていただけることになりました。また4月以降は諸事情で収入が減ってしまうため、折角お誘いいただいていた山旅クラブの弥彦山・角田山に参加することも自重しました。しばらくは山旅クラブの高価で贅沢な山行には経済的に行くことができないと思います。お地蔵トミーさんのブログを拝見して、行ったつもりで、過ごします。
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 この4月で大洗に暮らすようになって1年が経ちました。相変わらず、平日は大洗で過ごし、週末・休日は東京に戻ってくる生活を続けています。大洗では日の出の景勝地、大洗磯前神社神磯の鳥居に行き、ご来光を拝んでいます。今年正月にケーヨーD2で19800円の自転車を購入して、自転車で日の出を見に行っています。先日は金曜日の夜に東京に帰ってくることができず、久しぶりに土曜日の朝に日の出を見に行きましたが、天気がよかったこともあり平日とは比べものにならないくらいの人がご来光を拝みに来ていました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 いつもこの欄では小学館「一日一話人物歳時記」から引用していますが、今日はこれまで何回か掲載した「村田英雄伝説」を載せます。この村田英雄伝説は2012年10月に九州の日本百名山に行ったときに浦安湯屋のともちゃんから聞いた話を文字に起こしたものです。年末に勇才さんに行ったときに、隣に座っていた年配の女性と歌謡曲の話になり、私が話した「村田英雄伝説」に大変な興味と感動を示して下さいました。再度、村田英雄伝説を掲載します。

 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

 浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(浦安湯屋ともちゃんの「村田英雄伝説」より)
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 さて本論の山行ですが、2月6日(土)に関東百名山女子会で大野山に行きました。もう2ヵ月以上も前のことなので、ほとんど覚えておりません。JR東海道線で国府津まで行き、御殿場線に乗り換えて谷峨駅まで行きました。
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 谷峨駅から田畑の間を歩いて、大野山ハイキングコースに入っていきました。
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 途中途中に木彫りの動物やお地蔵さんが置いてありました。
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 休憩所には農産物が置いてあり、お金を箱に入れて買うことができます。ホームページには梅ジュースが売っていることが載っていたので、いい歳りょうちゃんとしてはめずらしくサーモスにお湯を入れていき、梅ジュースをお湯で割って飲もうかと思っておりましたが、梅ジュースは残念ながら売っていませんでした。
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 この休憩所から、寄り道はしましたが、坊主のような山道を登って、山頂へと向かいました。
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 この山頂への途中で、天気がよければ富士山を眺めることができるようですが、この日は雲が多くて、富士山を眺めることができませんでした。
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 歩き始めて、3時間弱で山頂に到着しました。昼食後、いつものように山頂で記念撮影。
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 その後、登りとは反対側を下り、山北駅まで歩いてきました。
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 関東百名山女子会のいつもながらのお決まりごとは、下山後におしきせの会をやることです。15時前におしきせをやる予定の北谷峨駅についてしまい、営業している店を探すことになってしまいましたが、近くの豊丸水産が開いており、予定通りおしきせの会を夜のとばりが降りるまで続けました。
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(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(ダーク・ダックス/銀色の道)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス、ザ・ピーナッツ)


遠い 遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

続く 続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道

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 3月26日(土)浦安湯屋のメンバーと勇才さんでの日本酒試飲会に行きました。勇才さんは昨年いっぱいで大井町での店をたたんで、荏原町へと移転しました。大井町の再開発でお店の区域に29階建てのビルが建つ計画があり、2月24日に荏原町で新しい店を開店しました。
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 この日は新潟青木酒造の鶴齢の試飲会をお店でやるというので、お菊さん、森ちゃん、長谷やんと行ってきました。
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 最後はお店でじゃんけん大会があり、私たちのグループは何かしらの商品をもらうことができました。以前の日本酒試飲会では誰も買わない勇才Tシャツが当たってしまい、タンスの肥やしになっています。
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5月は高尾山と歩の会に行く予定です

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by ryott-ryott | 2016-04-24 11:47 | 関東百名山女子会・大野山 | Comments(2)