カテゴリ:いざ鎌倉へ( 3 )

いい歳、りょうちゃん、700年前の景色に出会うヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 今週の土曜日も大井町湯屋へ行き、大暴れアクアをやりました。プールの水を全て掻き出そうと思いましたが、それはなかなか難しいことでした。そして、ちょうど1週間後の土曜日は大井町湯屋が休館日であるため、浦安湯屋のともちゃんにお願いして、よしこさんといい歳、私の2名で浦安湯屋の大暴れアクアビクスへ遊びに行かしてもらうことになりました。よしこさんは、私が浦安湯屋で傍若無人に暴れることを大変心配していましたが、よしこさんも同世代の人に比べれば相当に動きまわる方だと思います。
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 来週の土曜日は浦安湯屋でたくさん遊んで、夜は大井町のイタリアンのお店アレグロピアットで美味しい料理をたくさん食べたいと思います。

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 1955年(昭和30年)、フランスの国籍を得、洗礼してレオナール・藤田となった藤田嗣治(つぎはる)は、マチス、ピカソなどと並んで、世界の近代洋画壇の巨匠として知られます。

 彼は明治19年(1886年)、東京・牛込の軍医の子として生まれ、東京美術学校を卒業すると、すぐに憧れのパリに渡りました。
 四つのときから非凡の画才をもち、パリ遊学を目指して早くからフランス語を勉強していたといいます。
「パリに着し、運よくモンパルナスという美術家ばかり住んでいる真中に踏み込んだのであった。あたかも1913年は、既にモンマルトルのラビニョン街を、ピカソ、ドラン、モデリアーニ、バンドンゲン等という連中は引揚げて、セーヌ左岸のモンパルナスに移り住んでおったので、たちまち、そういう人達の禍中に投じたのであった。」(藤田嗣治『腕一本』講談社)

彼は独自の画法を確立、画壇で高い評価を得て、エコールド・パリの会員、レジオン・ドヌール勲章、ベルギーのレオポルド勲章などを受けました。
 
 昭和12年(1937年)、日本に帰国したとき、彼の日本での後援者であった秋田の平野政吉の米倉で、世界最大といわれる壁画「秋田の行事」を描き上げました。
 現在、秋田市の平野政吉美術館には、この大壁画をはじめ、藤田嗣治の作品101点が展示されています。
 昭和16年(1941年)、芸術院会員、翌17年には朝日文化賞を受けています。戦時中は戦争記録画に腕を振るいました。

第2次大戦終了後の昭和24年(1949年)離日し、フランスにもどり、晩年はスイスのチューリヒで生活し、1968年(昭和43年)1月29日、そこで亡くなりました。81歳でした。 代表作は「町芸人」「巴里の黒き家」「メキシコのマデレーヌ」など。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 日曜日は鎌倉へ半年ぶりに行きました。私がお世話になっている中国整体の先生が、鎌倉でそろそろ梅が咲き始めてきているので見てきたらどうかと勧めるので、ネットで調べると鶴岡八幡宮で牡丹も見ごろになっているとのこと。北鎌倉の円覚寺から鶴岡八幡宮まで、梅と牡丹を見に行くことにしました。
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円覚寺山門。
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奥で弓の練習をしていました。
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円覚寺弁天堂からは富士山が見えました。700年前も同じ景色だったようです。
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国宝洪鐘(おおがね)。
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明月院。今はろう梅が見頃です。
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To be continued.
この続きはまた次回。

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明月院へ行く途中に葉祥明美術館があり、水平線、地平線の絵がたくさん飾られていました。
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by ryott-ryott | 2011-01-31 00:41 | いざ鎌倉へ

いい歳、りょうちゃん、いざ鎌倉へ、江の島行脚ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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今週の土曜日はいつものように中国整体に行き、先生と写真、カメラ談義。先生はただ今Nikon D700を使いこなす猛勉強中だそうです。そして大井町湯屋へ行き、大暴れアクアをやりました。071.gif
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そしてもう一つ、じゃんけんぽんの面々と久しぶりの飲み会がありました。ハルさん、少し痩せたトントンさん、妹さん、いつも豪快な岡田夫妻と娘さん、女性にいつもちょっかいを出している秀樹さん、体つきがジュゴンに似ているのでみんなから「ジュンゴ」と呼ばれている気の毒な女性、と多士済々。037.gif
この日は時々じゃんけんぽんでお手伝いさんをしているよしえちゃんの送別会でした。よしえちゃんは御子息たちがすべて独立し、東京で一人で暮らすよりはお姉さんと一緒に暮らす方が安心というので、8月から介護もしてもらうという恵まれた条件で都落ちすることに決めたとのこと。出無精のよしえちゃんの性格上、もう大井町には来ないだろうということで、川崎の仲見世の方にある魚屋一丁で、送別会をやることになったそうです。
 私も「今度会うときはお線香をあげに行くときですね」とお別れの挨拶をしました。041.gif

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しかし、残念なことにその告別式の写真が1枚もありません。帰りのJR京浜東北線の中に忘れてきたようであり、気がついた時にはデジカメがなくなっていました。今日の朝、JRの忘れもの問い合わせセンターへ電話したところ、私が失くしたデジカメは届けられていませんでした。折角、たくさんのお料理と皆さんのお写真を撮ったのに、全て、なくなってしまいました。岡田夫妻の娘さんが、お母さんに似ることなく成長している写真や、よしえちゃんが会うたびに老けこんでいく写真、自分のことを木村カエラに似ていると言っている身のほど知らずの写真、全て行方不明になってしまいました。万一見つかるようなことがあれば、その時に掲載したいと思いますが、これは「そんな写真をみんなに見せてはいけない!」という神様からの啓示かもしれません。037.gif

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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「昔、暴君ネロと呼ばれたローマ皇帝がいました。彼はコロシアムで、ライオンの檻に奴隷を入れ、その食べられるところを見物することにしました。
 しかし、奴隷がライオンに何やら耳うちすると、急にライオンが大人しくなってしまいました。
 ネロは怪しん奴隷に“お前はライオンに何をささやいたのか”と尋ねました。奴隷は“ご馳走を食べると、あとでテーブル・スピーチをさせられるゾ、と言っただけです”それと同じで私もスピーチが苦手です。今日はオメデトウとだけ申し上げて終わります。」短くて気のきいたテーブル・スピーチの傑作としてよく使われます。

 そのネロが、首都ローマを炎上焼失させたのが、64年7月19日のことでした。“ローマは一日にして成らず”という格言がありますが、“ローマは一日にして焼けず“でした。ネロは高台から大火を眺め、琴を弾きながら詩をつくったと言われます。
 焼いた理由は、ローマ市内のうす汚れた貧民街を一掃して、新都市を建設するためだったとか、その大火の責任をキリスト教徒のせいにして、虐殺をもくろんだとか、果ては、暴君の末路を自覚して、自らの王国の滅亡を目の当たりにして、あとで自殺したのだとか、諸説さまざまです。
 
 クロディウス帝の養子になった当初は、善政を布いた若き名君といわれたのですが、女性の色香に迷ってから、妻や母を殺し、次第に乱暴、淫靡、残忍な性格、非人道的行為を平気で行う暴君に変質して行きました。やがて大火後4年、反乱をおこされ、ローマ市外の一農家に逃れ、そこで自殺しました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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「いざ鎌倉」の後篇を報告します。鎌倉大仏から長谷寺まで行ったところまで前回報告しました。長谷寺へお参りした後、腹ごしらえ。ウナギを食べました。鎌倉に行ったなら、なぜシラスのかま揚げ丼を食べないのか、と中国整体の先生はおっしゃっていましたが、私はどうも好きではありません、猫の餌みたいで。シラスのかま揚げ丼よりは、ウナギの方が格段においしいと思います。そういう先生も、シラス丼は1回食べればいいとおっしゃっていました、わるい人です。037.gif
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ウナギを食べた後、江の電に乗って、次の駅の極楽寺下車。成就院でご朱印をもらい、もう紫陽花の季節は過ぎてしまいましたが、成就院の階段から湘南の海を撮影しました。紫陽花が咲く季節には、階段の両側に色とりどりの紫陽花で覆われ、その先に湘南の海岸線が見えるという景勝地の一つになっています。056.gif
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 その後、再び江の電に乗って、江の島へ。祝日もあって、ものすごい数の人。海水浴客の方でしょうか、ほとんど裸同然で闊歩している方がたくさんいらっしゃいました。
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ものすごい光032.gif
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おじさんがうさぎさんを連れてきていました。
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江の島神社、この縄の輪をくぐって、穢れを払って、お参りします。

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余りの暑さに江の島の上まで上がることをためらいましたが、折角、来たので意を決し、頂上を目指しました。途中、江の島神社にお参りしました。ところどころに「エスカー」なる文字があり、上まで楽に行けるとの振れこみ。私はロープウェイかと思いましたが、単なるエスカレーターを「エスカー」と称して、商売していました。当然、そんなものには目もくれずに、約1時間で江の島の頂上にたどり着きました。江の島の上にある白い塔は展望台だったんですね。しかもかなりの高さ、海抜119 m。この展望台のよいところは、ガラス張りお展望室だけではなく、その外に出ることができるところです。展望台の下では風はほとんど吹いていませんでしたが、展望台頂上は突風が吹き荒れており、スカートの女性はマリリン・モンロー状態でした。037.gif
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 雲が多くて、残念ながらまるい夕陽を見ることができませんでしたが、うっすらと富士山を見ることが出来ました。そして日も沈み、夕焼けに染まった富士山とオレンジ色の空と海が広がっていました。058.gif058.gif058.gif

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに


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by ryott-ryott | 2010-07-25 12:18 | いざ鎌倉へ

いい歳、りょうちゃん、いざ鎌倉へヽ(^o^)丿

旅行・地域

KICKPOPさんとの再会の宴016.gif
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3連休初日はKICKPOPさんとの楽しい再会を果たし、2日目は大井町湯屋で隈ちゃんエアロ。先週の日曜日、3ヵ月ぶりに隈ちゃんエアロに参加したっところ、重くなっているからだのせいか、終了後にはバテバテになってしまい、出るつもりでいたヨガに参加する余力がありませんでした。しかし、一度、やれば感覚がよみがえってきて、今週は隈ちゃんエアロとらてこんさんのヨガをセットで参加できました。ヨガの時間に奇声を発すると言っていた、エルビーさんはいらっしゃいませんでした。037.gif

銭洗弁天
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そして3連休最終日、海の日は「いざ鎌倉へ」行きました。江ノ島で夕景を撮影するためです。朝から青空が広がり、気温はうなぎ登り。こんな暑い日は普通ならば、家で大人しくしているのですが、鎌倉を歩きながら、有酸素運動をして、ついでに写真も撮ってしまおうという欲張りな計画です。
品川から横須賀線に乗って、いざ鎌倉へ。もう紫陽花の季節はとっくに終わっていましたが、紫陽花で有名な長谷寺を経て江ノ島を目指すことにしました。途中、銭洗弁天にも立ち寄り、持っているお金を洗って、長谷寺を目指しました。056.gif

途中、こんな可愛いものも売っていました056.gif
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この時、気温は30 ℃は悠に超えていたと思います。歩を進めるごとに、とめどなく汗が流れおち、持っていたハンカチとタオルがびしょびしょになってしまいました。これを毎日やれば、痩せること、間違いなし。
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銭洗弁天から長谷寺へ行く途中、鎌倉大仏にも立ち寄りました。こんなところに鎌倉大仏があったとは。子どもの頃、遠足で行ったはずだったのに、全く覚えておりませんでした。040.gif

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京


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鎌倉幕府を開いた源頼朝の妻「北条政子」、本来なら「源政子」と呼ばれるはずですが、このころはまだ「妻問い婚(つまどいこん)」の時代で、夫が妻の家を訪れる形式のため、妻はまだ実家の姓を名のる習慣だったといいます。現在は妻が夫の家に嫁入りする「嫁入り婚」は政子の死んだあと、鎌倉後期になってからと言われています。

政子は頼朝の死後、剃髪をして「尼将軍」と呼ばれ、前将軍夫人、新将軍の母として、幕府内の実力者として君臨しました。「北条政子」と聞いただけで、気性の強い女のイメージが浮かびます。父がすすめた結婚を嫌い、婚礼の夜、逃げ出して流人であった頼朝のもとへ駆け落ち同然で走ります。
 鎌倉幕府創立後、将軍夫人として誉高く、義経の愛妾静御前を助けた話も有名です。
夫の死後、頼家、実朝、二人の息子を将軍にたてながらも非業の死を遂げさせる原因をつくったのも政子自身でした。実朝が自分の甥によって殺された後、鎌倉幕府を倒すことを虎視眈々と狙っていた後鳥羽上皇から鎌倉幕府に与(くみ)するものは朝敵とされながらも、武者たちの前で大演説をして、承久の乱で上皇軍を打ち破ります。政子の話を聞いた武将たちは、感極まって、はらはらと落涙したと言います。そして、最後には北条家に将軍家を継がせています。波乱万丈の人生を歩んだ女性の一人でしょう。
 「吾妻鏡」には嘉永元年(1225年)7月11日、北条政子が69歳で死んだことが簡単に記されています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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そして長谷寺へ。長谷寺には可愛らしいお地蔵さまがたくさん安置されていました。観音堂にはとても立派な観音様が安置されていましが、こちらは撮影禁止。
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長谷寺の展望台から見た湘南の海
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ふれあい観音
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可愛らしいお地蔵さん058.gif
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和み地蔵
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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに


To be continued.038.gif
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by ryott-ryott | 2010-07-21 00:16 | いざ鎌倉へ