カテゴリ:「網走番外地」道東編( 4 )

阿寒湖マリモの旅 、いい歳、りょうちゃんの「網走番外地 道東編」完結編ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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北海道では小麦を刈り取った後の畑に、向日葵やキカラシの種をまき、花が咲き、種子がなる寸前にトラクターで踏みつぶして、土と混ぜて、次回の肥料にするのだそうです。これから9月にかけて、刈り取られた小麦畑は向日葵とキカラシの黄色い花で埋め尽くされるとのこと。向日葵はわかると思いますが、キカラシの花って、どんな花かわかりませんでしたが、実物を見せられて、わかりました。北海道では菜の花のことをキカラシの花というのですね。056.gif
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ジャガイモの花は、花弁がすべて、つながって1枚になっています。これもはじめて知りました。
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こちらはアスパラガスの木。アスパラガスを刈り取った後、放置しておくと、このように細い葉っぱの高さ1 mくらいの木になります。来春に、また木を刈り取り、出てきた芽をアスパラガスとして収穫します。004.gif
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小麦。今、北海道はまさに小麦の収穫期。短い夏の間に、晴天の日に収穫するそうです。雨に打たれて、濡れた状態で収穫すると、芽が出てしまい、引き取り価格が10分の1になってしまうそうです。農家も大変です。
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あるアイヌ・コタンの酋長にはセトナという娘がいました。酋長にとって、セトナは目に入れても痛くないほどの可愛い娘でした。そのセトナも16歳となり、美しく成長していました。セトナの婿となるべき男をコタンの掟に従って、決めなければならない時がやって来ました。セトナの婿に選ばれたのは、副酋長のメカニという男でした。メカニは村きってのならず者で、悪人でした。当然、セトナはメカニのところへ嫁ぐことを拒みます。
そして、そのセトナは下僕のマニペに心魅かれていました。
 そのことを知ったメカニは、マニペを亡きものにしようと殺害を企てます。しかし、マニペを殺そうとしたメカニは、勇敢なマニペに逆にやられてしまい、命を落としてしまいました。副酋長であるメカニを殺してしまった罪を悔い、マニペは湖に身投げをし、マニペもまた死んでしまいました。
 マニペの死を悲しんだセトナは、ひとり湖に向かい、その後、誰もセトナの姿を見ることはありませんでした。
 湖畔に漂うマリモを見て、セトナとマニペはマリモに身を変えて一緒になったと伝えられています。004.gif

 これが阿寒湖に伝えられているマリモ伝説です。こんな悲しい伝説だとは知りませんでした。マリモは男女が幸せに一緒になるお守りとして、売られていました。


しかし、売られているマリモはあくまでもお土産用の養殖マリモです。天然のマリモは天然記念物に指定されており、養殖用とは全く違います。天然の方が深い緑色をしており、養殖用は明るい緑色です。



 (まりもの唄/まきのめぐみ)


ある日、サハラ砂漠のまんまんなかに不時着した飛行機が、不思議な子どもに出会いました。その子は小さな星にひとりで住んでいる星の王子様でした。
 星の王子様は飛行機の修繕に夢中になっている飛行士に、いろいろ面白い星の世界を教えてくれます。
 たとえば、王子様の星には繁殖力の強い木があって、たえず手入れをしていないと、星じゅうが木になってしまうとか、火山が三つあって、毎日火口の煤払いをしないと、爆発して星が吹き飛んでしまうとか、まわりの小さい星の生態を話してくれました。
 やがて1週間、ようやく飛行機の修繕が出来ると、王子様も砂漠から姿を消してしまうのです。

 このメルヘンを書いた人は、アントワーヌ・サン・テグジュペリというフランスの作家です。1900年6月29日、リオンに生まれ、1944年7月31日、第二次大戦に参加、フランスの飛行隊長(空軍大尉)として、コルシカ島の沖合を偵察中に、戦死したといわれています。

 彼は20歳ごろから飛行機に異常な興味を持ち、飛行士としても第一級の腕前を持っていました。
 この作品は1935年暮れ、アフリカのリビア砂漠に不時着し、生死の間をさまよったときの経験が背景にあります。1946年、彼の死後に出版されたものですが、またたく間に世界中の人たちに読まれるようになりました。
 
子ども向きの童話となっていますが、実際は大人の読む童話になっています。
 「星の王子様」の口を借りて、少年時代の純粋さが、成長とともに失われていく、みにくい現代社会を物語になっています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)




(まりもの唄/芹洋子)
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いい歳、りょうちゃんの「網走番外地 道東編」も7月31日(土)最終日。この日は朝から曇り空、朝陽は拝めませんでした。最終日は刑事被告人で有名な鈴木宗雄とその片棒を担いでいる松山千春で有名な足寄町にあるオンネトー、湯の滝、マリモで有名な阿寒湖へ行きました。朝は空全面が鈍色でしたが、移動するにつれ、雲が薄くなり、オンネトーに着いた時にはすっかり青空が広がっていました。058.gif
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その前に、この「網走番外地 道東編」を案内してくれたのは、最後まで同じ運転手さんにお願いしました。お名前は横関さん。最終日、目的地に向かう前に横関さんの自宅に立ち寄ってくれて、大きなメロンをお土産に戴きました。記念写真を撮りましょうと、進言しましたが、恥ずかしがって、撮らせてもらえませんでした。037.gif
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オンネトーに着いた時には、雲ひとつない青空が広がり、雌阿寒岳(1499 m)と阿寒富士(1476 m)を映し出したオンネトーの水の色は青、緑、紫と変幻自在に変わっていました。オンネトーの先にバス停の終点があり、そこから山道があります。そこにはまたもや「ヒグマ注意」の看板がありました。行程1.5 km、約30分歩いたところに「湯の滝」がありました。湯の滝は40 ℃ほどのお湯が流れており、冬でも凍結しないことから、その池には熱帯魚のテラピアが生息していました。肉眼で見るとはっきりわかるのですが、あまり綺麗な滝ではありません。滝が流れている岩肌は黒カビが生えているのではないかと思うほど黒ずんでいました。実はこの黒い物質は黒カビではなく、乾電池などに入っているマンガン化合物の二酸化マンガンです。二酸化マンガンが岩肌に付着して、黒ずんでいました。湯の滝で二酸化マンガンを採集することは禁じられています027.gif
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元来た道を引き返し、バス停終点の駐車場へ戻りました。湯の滝までの往復1時間の行程で、ヒグマには遭遇しませんでしたが、もっと恐ろしい生き物に何度も遭遇、威嚇されました。人の親指の第一関節くらいの大きさはあると思われるハチです。知床でもいましたが、この湯の滝への往復の間と、オンネトー周辺には、ハチの巣があるのでしょうか。刺されはしなかったものの、耳元をブーンという羽音を立てて、かすめていきます。オンネトーの周辺では何度も巨大ハチに追われ、絶景ポイントの写真を取り損ねたと思っています。ハチさえいなければ、夏山は楽しいと思うのですが、どうにかならないものでしょうか。042.gif
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オンネトーの水の色はさまざまに変化します。これはオンネトーの湖底に黄色の鉄の化合物が堆積しており、オンネトーに差し込む光が黄色い鉄化合物から反射することによって、様々な色に変化するそうです。水の色自体は無色透明です。
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左手が雌阿寒岳、右が阿寒富士。
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オンネトーをバックに、旅に来ている人達と写真の交換撮影をしました041.gif

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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ハチに追われたオンネトーをあとにして、マリモで有名な阿寒湖へ行きました。阿寒湖の遊覧船に乗り、阿寒湖の中にあるチュールイ島には天然のマリモが展示されています。この天然のマリモは夏の間だけ展示され、冬になるとまた阿寒湖畔に戻されるそうです。この大きなマリモは阿寒湖だけにしか生息していないとのこと。阿寒湖は一番深いところでも44 mしかなく、全体的に浅く、太陽光線が湖底まで届くため、植物であるマリモは光合成により、湖底を転がりながら成長するため、まるく大きなマリモになるそうです。004.gif
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直径25 cmの巨大マリモ。
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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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遊覧船を降りた後は、近くにボッケなるものがあると言うので観に行きました。別府で見た坊主地獄の規模を小さくしたようなものでした。
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そして阿寒湖畔にはアイヌ・コタンがあります。アイヌ人の血を引く人たちが木彫りの民芸品を売っているお土産物屋さんを経営しています。この地域は、アイヌの血を引いていないと住むことが出来ないそうです。そして、アイヌ人は彫刻が得意なため、木彫りの民芸品をつくるのは朝飯前なんだそうです。
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最後に夏の間は展望台になっているスキー場へ行き、阿寒湖全体を一望しました。結構急な斜面でした。私はスキーはやりませんが、こんな急な斜面で滑ったら、ただでは済みそうもありません。そして、ここにも大きなハチがいました。

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猫が酔ってしまうマタタビの木、はじめてみました。
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これでいい歳、りょうちゃんの「網走番外地 道東編」の旅は終わりです。女満別空港まで送ってもらい、ここで4日間案内をしてくれた横関さんともお別れ。天気予報はよくない予測でしたが、意外と晴れ間にも遭遇し、旅としては上出来だったと思います。058.gif
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最後は女満別空港前で夕陽にお目にかかることが出来ました。
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058.gif058.gifいい歳、りょうちゃんの「網走番外地 道東編」 058.gif058.gif
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by ryott-ryott | 2010-08-07 11:04 | 「網走番外地」道東編

いい歳、りょうちゃんの知床旅情ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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いい歳、りょうちゃんの「網走番外地 道東編」3日目。7月30日(木)、ようやく青空が広がった感じです。058.gifただし、天気予報によると15時くらいから、網走は雨が降る模様。057.gif

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この日は能取湖畔に昇る朝陽を拝むため朝4時に起床しました。残念なことに、地平線上は雲がかかっており、雲の上に太陽が顔を出した時にはかなり光が強くて、目いっぱい絞って、やっと放射状の太陽が撮れました。058.gif
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しかしながら、能取湖の湖面は鏡のように、空の雲と太陽が写しこみ、気持ちの良い朝となりました。
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この日は知床まで行き、ウトロの港から知床観光船オーロラ号に乗り、知床岬の突端まで行って、またウトロまで引き返してくる、全行程3時間45分の船旅。運が良ければ、船からはクジラやヒグマ、イルカの群れを見ることができるそうです。「かがり屋」さんの泊まっていたお客さんが、3日前にオーロラ号に乗って、クジラとヒグマを見ることが出来たと伺いました。果たして、本日はどうでしょうか。070.gif
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(映画「網走番外地」予告編)

網走番外地(歌:高倉健、作詞:伊藤一、作曲:山田榮一)060.gif

春に 春に追われし 花も散る
酒(きす) 引け 酒(きす) 引け 酒(きす) 暮れて
どうせ俺らの行く先は
その名も網走番外地

キラリ キラリ光った流れ星
燃えるこの身は北の果て
姓は誰々 名は誰々
その名も 網走番外地

遥か 遥か彼方にゃ オホーツク
赤い真っ紅な ハマナスが
海を見てます 泣いてます
その名も 網走番外地

追われ 追われこの身を故郷で
かばってくれた 可愛い娘
かけてやりたや 優(やさ)言葉
今の俺らじゃ ままならぬ

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正岡子規の後継者として「アララギ」短歌の主宰者であった伊藤左千夫は、千葉県九十九里浜の波の遠鳴りの聞こえる成東町の農家に生まれました。24歳のとき、独立して東京芽場町で牧場と牛乳搾取業を経営し、そのかたわら、友人のすすめで短歌の道に入りました。

牛飼が歌詠むときに世の中の 新しき歌大いにおこる

「左千夫歌集」の扉にある代表的な歌の一つです。
彼は大正2年7月30日、脳溢血により48歳で亡くなりましたが、その短い生涯の中で3000の短歌、300編の歌論、50編の小説、その他随想、紀行文を残しました。

 左千夫門下から島木赤彦、斎藤茂吉、土屋文明、釈迢空(しゃくちょうくう)など大正・昭和歌壇を代表する作家を輩出しています。
 歌人として有名な人でもありますが、一般には「野菊の墓」の作者としてのほうが知られているかもしれません。
 「野菊の墓」は明治39年1月の「ホトトギス」新年号に掲載されたものですが、それを読んで夏目漱石は絶賛したと伝えられています。
 時は明治、舞台は千葉県松戸市の「矢切りの渡し」のあるかいわい。主人公の政夫が、少年時代、病気がちの母の手伝いに来ていた、親戚筋の17歳の娘、民(たみ)に抱いた初恋を回想する形式で書かれています。
 「矢切りの渡し」が望める小高い小公園の中に、「野菊の墓」の文学碑が建っています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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オーロラ号のウトロ港出向は10:00。「かがり屋」さんを7:30に余裕を持ってハイヤーで出ました。オーロラ号の予約は、すでに自分の家でホームページから取っていましたが、ほぼ満室状態。知床が世界遺産になってから、訪問客が増え、4月から10月までの半年間で、60万人が来るそうです。
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オーロラ号に乗る前に、北浜駅、小清水原生花園、オシンコシンの滝に寄ってもらいました。
北浜駅は無人駅。そこにオホーツク海を一望できる展望台があり、景勝地の一つになっているそうです。カメラ片手に観光客がこの北浜駅に立ち寄り、オホーツク海を撮影して行きました。
 小清水原生花園という駅があり、季節ごとに花が楽しめるようになっています。6月が最盛期であり、私が訪れた7月末ではハマナスの花が終わりに差しかかっていました。056.gif
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 オシンコシンの滝はガイドブックに必ず載っていて、私も名前だけは知っていましたが、意外と大きな滝でした。本当は真正面から滝を見ることが出来るそうですが、滝の前が崖崩れで落石のために正面からは見ることができませんでした。
そのオシンコシンの滝の近くにたくさんの鹿が囲われている場所がありました。今、知床、特に羅臼ではエゾシカが増えすぎてしまい、たいへん困っているようです。鹿を捕獲して、なんと「モミジ肉」として食用にしているとのことです。私は今回の旅では「モミジ肉」を食べることはありませんでした。



(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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家のプリンターで打ち出してきた予約票と引き換えに、乗船券を購入(6500円)、オーロラ号に乗船しました。オーロラ号は1階と2階に客室があり、その上は甲板の展望デッキになっています。私が乗り込んだ時には2階はほぼ満席。1階は冷房を入れてないのでしょうか、もの凄い暑さのため、やめました。写真を撮りには甲板の方が都合がいいので、そこの空席に座りました。ただし、ここも太陽が照りつけて、決して涼しいとは言えませんでした。それでも港を出て、船が走り始めると、風は心地よかったです。
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 出帆したオーロラ号からは、今現在どこを通っているかのアナウンスが流れて来ますが、そのたびにカメラや携帯、ムービーを持った客が景色をぱちぱちと撮っていました。
 3時間45分の長旅なので、その間、すべて荒天候というわけではなく、空が雲に覆われて、5回ほど雨が降りました。3回目の雨は雨粒が大きかったので船内に避難しましたが、あとは霧雨程度だったでしょうか。

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プレぺの滝
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クンネポール
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硫黄山
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カムイワッカの滝
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たこ岩
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知床岬
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 ウトロ港を出て、羅臼岳、プュニ岬、プレぺの滝、クンネポール、硫黄山、カムイワッカの滝、たこ岩、知床岬と進んでいきます。水平線上に雲が無ければ、知床岬のところで国後島を見ることが出来るようですが、この日はあいにく見ることができませんでした。またクジラもヒグマの姿もなく、いるのは人が食べているお弁当を虎視眈々と狙っている意地汚いカモメだけでした。空気銃を持っていけばよかったですね。037.gif
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オーロラ号は知床岬まで来ると、折り返して今まで進んできた航路を逆に引き返して行きます。不思議なことに、行きはあんなに皆さん写真を撮っていたのに、知床岬で折り返して引き返す時には、写真を撮っている人は少なくなっていました。帰りの方が雲が切れて、青空が広がり、景色としては最高だったと思うのですが、日本人という民族は飽きやすいのでしょうか。037.gif
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 ウトロ港に着く、ほんの寸前にオホーツク海側をイシイルカが泳いでいるところを見ることが出来ました。写真では分かりにくいですが、肉眼でははっきりとわかりました。やはりカメラのレンズより、自分のレンズの方が信頼できますね。

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに


遠くから見るとウミガメに似ています
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ウトロ港に帰還し、本当は羅臼岳の展望台へ行く予定でしたが、羅臼は霧が立ち込めているとの情報があり、急遽、知床五湖へ行くことになりました。その名の通り、湖が5つあります。
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実際に見ることができたのは一湖と二湖だけです。三湖、四湖、五湖はヒグマ出没中のため、立ち入り禁止。団体客を引き連れているガイドさんが、ヒグマに出会ったときの注意事項を話していらっしゃいました。1つ、大声で叫ばない。大声で叫ぶと、クマが驚いて逃げるのではなく、襲ってくるそうです。そして、よくペットの犬を同伴されているお客さんも来るそうですが、同伴は危険とのこと。犬がクマに向かって吠えると、またクマは逃げることなく襲ってくるとのこと。そして、知床の森の中を歩くときは、ここに自分たち人間がいることをクマに知らせるため、鈴を鳴らしながら歩くことにより、クマは近づいてこないそうです。結構、お土産物屋さんの鈴が売れていました。ひょっとして、お土産物屋とガイドとの癒着があるかもしれません。037.gif
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 それから、クマに出会った時には、背中を向けて逃げてはいけないとのことでした。背を向けて逃げると、クマは追ってくるそうです。その速度は70 km/h。あっという間に追いつかれて、餌食になってしまいます。ヒクマに殴られると、馬の首が飛んでしまうほどの破壊力なんだそうです、ちょっと大袈裟だと思いますが。
 まとめると、クマに出会ったときは、声を出さず、背を向けずに、クマを見つめたまま、静かに後ずさりして、クマが立ち去るのを待つしかないようです。
 でも知床五湖にはクマよりも、もっと恐ろしい生き物が生息していました。いつもお話している大きなハチです。このハチに関しては、次回の記事でまた紹介いたします。042.gif
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 そして、この日の知床は猛暑の陽射し。しかし二湖は鏡のように知床の山々を映し出し、暑さを忘れるほどのよい景色でした。024.gif
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 知床はとてもいい天気だったのに、本拠地の網走に帰ると大雨でした。天気予報って、意外とあたるものなんですね。
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ホッケの煮つけ。ホッケは焼いて食べるものだという先入観がありました。結構、おいしかったです。011.gif
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網走牛。
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昨日に引き続き、シマエビの沖漬。私がリクエストしたので出してくれました。これはシマエビを生きたまま、醤油、みりん、お酒と秘伝のかくし味で作ったタレにすぐ漬けて作るそうです。秘伝のたれの中身は教えてくれませんでした。

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To be continued. まだまだ続きます。

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by ryott-ryott | 2010-08-04 15:16 | 「網走番外地」道東編

いい歳、りょうちゃん、アムールトラのココアを訪問ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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7月29日(木)の朝の能取湖畔
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朝の屈斜路湖畔、霧で向こうが見えません。057.gif
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帰りに美幌峠の途中から見た屈斜路湖。
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もうすぐそこまで霧が来ています。

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いい歳、りょうちゃんの「網走番外地 道東編」2日目は、網走から約190 km離れた釧路への旅。本拠地「かがり屋」さんを朝7時40分に出発し、釧路湿原、塘路から東釧路までノロッコ号に乗って、釧路の和商市場を見て、全国的に有名になった釧路動物園のアムールトラのココアに会って来ました。
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この日は朝から曇り空、雨は降っていなかったものの、霧が深く、行楽日和とは行きませんでした。
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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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釧路といえば、「霧」と「釧路湿原」と「丹頂鶴」で有名です。ノロッコ号で行く列車の中から釧路湿原を眺望する前に、サルボ展望台と細岡展望台に行き、シラルトロ湖、塘路湖、達古武湖を一望しました。この日も細岡展望台の近くでキタキツネに遭遇しました。しかも、子キツネを連れていました。016.gif
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サルボ展望台から見たシラルトロ湖。この展望台に上るのに、かなり息が切れてしまい、8月末に予定されている富士登山が心配になりました。この件に関してはまた日を改めて報告します。029.gif
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細岡展望台から見た湿原。
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キタキツネの親子。2日連続でキタキツネに会えるとは思いませんでした。

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(映画「網走番外地 北海編」予告編)

オランダのアムステルダムに、「炎の画家」と言われたファン・ゴッホの美術館があります。昔から「天才と狂人は紙一重」と言いますが、ゴッホもその一人です。
1853年3月30日、ゴッホはオランダの北ブラバンド地方の牧師の子として生まれました。父と同じく牧師を志しましたが、その異常な性格と行動が禍して、牧師の資格を取り上げられ、その後、転々と職を変えましたが、全てうまくいきません。
弟のテオに励まされて、画家として生きることを決意して絵の勉強をはじめ、みるみるうちに才能を発揮していきました。
代表作「馬鈴薯を食べる人」はこのころの作品です。女性関係も複雑でした。子どものある寡婦のケイに求婚し、拒絶されると、ランプの炎で自分の手を焼き、気絶する一幕もありました。
1886年、33歳のとき、ゴッホはパリに移りました。モネ、ドガ、ピサロなど印象派の画家の影響を受け、オランダ時代に見られない、明るい大胆な色彩が使われるようになりました。
1888年、パリの生活に疲れたゴッホは、南フランスのアルルに移りました。南の太陽は彼を喜ばせ、ゴッホの絵はここで完成します。
彼は病気であった友人のゴーガンをパリから招き、共同生活を始めましたが2カ月で失敗し、ゴーガンを殺そうとしますが果たさず、逆に自分の耳を切落としてゴーガンに送りました。
精神病院で一年を過ごしましたが、1890年5月にパリ近郊のオーベールに移り、7月29日、「苦しみは生きているものだ」という言葉を残して、ピストル自殺しました。37歳でした。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(映画「続・網走番外地」予告編)
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2つの展望台から湿原を見た後、塘路の駅に向かい、ノロッコ号に乗りこみました。夏休みとあってか、かなりの人出。ノロッコ号の車窓から釧路湿原の様子を撮りました。
塘路から釧路までは約1時間の行程、そのうち湿原を見ることが出来るのは約20分ほどだったでしょうか。川と最も接近するところと、洪水対策で建てた水門が見えるところで、ノロッコ号はスピードダウンして風景を楽しませてくれます。洪水対策で建てられた水門は、建てられてからまだ1度も開門されたことがないそうです。また釧路湿原は洪水が多いため、蛇行した川を人工的に直線にするといった工事を施工してきましたが、これが湿原の生態系に大打撃を与え、昔から生息してきた生物たちが次々と姿を消していったと言われています。最近では、直線にした川を再び元の蛇行した形に戻す工事も行っており、姿を消した生物がまた戻ってきているとのことです。
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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京


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ノロッコ号を終点の釧路ではなく、ひとつ前の東釧路で降りて、再びハイヤーに乗って、夕陽で有名な幣舞橋(ぬさまいばし)の春夏秋冬の女性の裸体彫刻を見ました。この日は霧が深く、夕陽を見ることはできそうもありませんでした。
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その後、釧路にある和商市場へ行き、ご飯を買って、好きな魚の具材をのせて作る「勝手丼」を食べました。ここには網走監獄記念館とは違って、ビールが売っていました。068.gif
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勝手丼を食べた後、外に出るとついに霧から雨へと変わり、空が泣きだしました。

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釧路まで来た目的は、実はもう一つありました。世界では約450頭しか生息しておらず、世界中の動物園でも500頭ぐらいしか飼育されていない、世界一からだが大きいアムールトラが釧路市動物園にいます。釧路市動物園のアムールトラは、メスの名前がチョコ、オスの名前はリング、そのチョコとリングの間に、2頭の子どもが生まれました。ただ母親のチョコには子どもを育てる気配はなく、2頭の子どもを床に産みっぱなしにしており、早く人間の手で引き上げないと命の灯が消えてしまう状況でした。母親のチョコが出て行ったすきに、2頭の子を取り上げて、人の手の中で2頭は息を吹き返しました。オス、メス1頭ずつ、オスはタイガ、メスはココアと名付けられました。しかしながら、2頭の子どもとも、後ろ脚に障害を持っていました。おそらく、この2頭は自然では生きていけない。人間が命を助けた以上は、その責任は人間にある。山口園長は、その当時の釧路市長に面会し、命をつなぐことをお願いしたそうです。そして、市長から「しっかり育ててください」とのお墨付きをもらい、「どのくらい生きるかわからないけれど、この子たちを、全力を尽くして支えよう」と決心出来たそうです。詳細は「タイガとココア 障害をもつアムールトラの命の記録」(朝日新聞出版 1400円 ISBN978-4-02-250662-7、この本の売り上げの一部は釧路市動物園に寄付されます)を読んでみてください。愛くるしいタイガとココアの写真が満載されています。
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タイガはすでにこの世にはいませんが、ココアは足を引きずりながらも、元気に運動場の中を走り回っていました。そして、飼育員さんが近づくと、そのあとを追いかけて、甘えていました。
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To be continued.まだまだ旅は続きます。

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しまえびの沖漬
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知床牛
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by ryott-ryott | 2010-08-03 10:48 | 「網走番外地」道東編

いい歳、りょうちゃんの「網走番外地」ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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「網走番外地」はいい映画でした。私は劇場では直接見たことはないけれど、土日昼間のテレビの映画番組でよく放送されており、子ども心ながら、「カッコいいなぁ」と思ったものです。今になって、「男気」とは、映画「網走番外地」の中で高倉健が演じていた立花の生き方そのものだったのではないでしょうか。004.gif
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 今週は3日間、勤め先の夏休みをもらって、以前から計画していた「道東」網走の旅へ出かけました。071.gif
7月28日(水)、8時5分羽田発の飛行機に乗って、9時40分過ぎに着いたでしょうか。飛行機は5月の段階で満席でした。女満別空港前の温度計が示していた数字は「34.7 ℃」。本当にそれだけ高かったかは疑問ですが、北海道らしからぬ、かなり暑さでした。
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今回の旅の本拠地は、能取湖畔に佇む能取の荘「かがり屋」さん。能取湖畔はサンゴ草(別名、アッケシ草)で有名であり、9月いっぱい、紅のサンゴ草を見ることが出来ます。ただ、夏の今は緑色でした。056.gif


(映画「網走番外地 望郷篇」予告編)

千姫は、徳川家康の孫娘、2代将軍秀忠の長女として生まれました。
寛文6年(1666年)2月7日、70歳で江戸城中で亡くなりましたが、薄幸名の女性でした。

千姫は2歳のときに、秀吉の要請で無理やり、8歳の秀頼と婚約をさせられました。
秀吉没し、関ヶ原の戦いが終わって、天下の実権が家康の手に移ったところで、家康は約束通り、慶長8年(1603年)7月28日、孫娘の千姫を秀頼に嫁がせました。
 しかし、家康は大坂冬の陣、夏の陣を起こして、豊臣家を滅亡させてしまいます。
大坂城が落城する寸前、家康の命令で千姫を救出したのが坂崎出羽守でした。坂崎出羽守はその恩賞として千姫を貰い受けたいと希望しますが、千姫は、伊勢桑名城主本多忠政の子忠刻を見染め、この申し入れを断りました。

 元和3年(1617年)千姫は第二の夫本多忠刻と結婚、姫路城主に転封を機に姫路に落ち着きました。
結婚生活11年、第二の夫忠刻も31歳で病死してしまいました。世継ぎがなかったため本多家は断絶、千姫は再び江戸城に帰ってきました。このとき千姫29歳でした。

江戸城内東丸竹橋に住み、落飾して天寿院となり、後半世は主として仏道修行に専念しました。
 秀頼との間の養女(天秀尼)の入寺した鎌倉東慶寺や、徳川領満徳治の復興など、二人の夫の菩提を弔いながら、今でいう社会福祉のために力を尽くしたといいます。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(映画「網走番外地 悪への挑戦」予告編)

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女満別空港からタクシーでまっすぐ、「かがり屋」さんへ向かい、荷物を置き、能取岬へ行きました。遥かオホーツク海の向こうは空と海の間に水平線が広がり、東側には斜里岳をはじめとする知床連山をうっすらと見ることが出来ました。

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 その後、網走を一望できる名勝「天都山」へ行き、オホーツク流氷館で流氷が保存されている部屋でぬれたタオルが凍ってしまうのを体験し、妖精に似ているとされる巻貝の仲間であるクリオネを見ました。クリオネを飼っている水槽の水温は常に3 ℃に保っているそうです。そして、可愛らしい姿とは考えにくく、同じ巻貝の仲間のリマキナを食べてしまいます。しかし、クリオネは1年に1~2回しか、捕食をしないそうです。
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展望台から見た網走市全貌
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流氷館の流氷展示室
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ぬれたタオルが凍ってしましました
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展望台から見た現在の「網走刑務所」。よく観光客が本物の刑務所の近くに行って、写真を撮って、刑務所の看守に怒鳴られているそうです。現在の刑務所は冷暖房完備で、薬物中毒関係者が多く収監されているとのこと。居心地がよくて、出所しても、また再犯を繰り返して刑務所に戻って来る人がたくさんいるようです。027.gif
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途中、道にキタキツネが寝そべっていました。ハイヤーの運転手さんがおっしゃるには、キタキツネを見ることが出来るなんて、たいへんにラッキーなんだそうです。というのも、何年か前にキツネから人間にエキノコックスという伝染病が蔓延したことがあり、その時にキタキツネをだいぶ殺処分したので、その姿を見ることが出来なくなるくらい数が激減したそうです。キタキツネも受難を受けた動物でした。

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(映画「網走番外地 決闘零下30度」予告編)

そして、博物館「網走監獄」へ行きました。明治23年(1890年)に、網走の人口が631人しかいないときに、囚人1200人と看守173人が「網走監獄」に送り込まれてきました。
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面会風景
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 明治時代のはじめには、政治犯が増えて、全国的に拘禁が過剰状態になり、その当時の政府が、この状況を解決するために北海道につくったのが「網走監獄」でした。
しかし、実は網走と旭川を結ぶ北海道の大動脈である中央道路工事に囚人たちを従事させる目論見がありました。政府は囚人など、死んでも構わないという考えだったそうです。過酷な労働に囚人211人が犠牲になり、彼らの亡骸は開拓されていった道路の脇に捨てるように埋められていったそうです。その中央道路開拓から76年も経った昭和40年代に、工事の犠牲になった囚人の遺骨を掘り起こして、手厚く葬りました。彼らが供養されている塚をつくり、「鎖塚」と呼ばれています。網走監獄の歴史には悲しい歴史がありました。


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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに


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囚人がつくったとされる木彫り人形の「ニポポ」。彫るときに彫刻刀をしようするため、「模範囚」しかつくらせてもらえませんでした。

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「監獄食」食べてみました。写真のものは700円。600円と700円の2種類があり、600円がさんま焼き、700円がホッケ焼きになっています。注文をされている方は、ほとんどいらっしゃいませんでした。「監獄食」しか売っていません、ビールを飲みながらなんてことは出来ませんでした。037.gif
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こちらは囚人の食事の風景。
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お正月の監獄食、すこし豪華です。068.gif
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囚人は傘をかぶされています。これは顔を見られないここと、囚人もま道路工事へ出向くときに周りの景色を見ることが出来ず、脱獄逃走を防ぐためだったそうです。

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網走監獄での入浴風景
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考えたら、今回の旅では網走市内をまったく見ませんでした。博物館「網走監獄」を見た後は本拠地の「かがり屋」さんへ戻り、夕飯をいただきました。011.gif

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驚いたことに、私が泊まった部屋には木の湯船で出来たお風呂がありました。大浴場より、この部屋の方のお風呂の方がとっても入りやすく、3泊4日、ほとんど部屋風呂を利用しました。

To be continued.まだまだ旅は続きます。
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by ryott-ryott | 2010-08-01 17:48 | 「網走番外地」道東編