カテゴリ:富士山登頂への道( 2 )

いい歳、りょうちゃん、富士山頂上制覇ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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星期日、8月30日。星期日とは中国語で日曜日と言う意味だそうです。月曜日から土曜日までは星期一から星期六と漢数字があてはめられています。星期とは、日本語の曜日の意味になります。027.gif
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いよいよ富士山頂でご来光を見るため、午前2時に起床。山小屋での雑魚寝では十分に眠ることが出来ませんでしたが、桜が咲いている夢を見たので、少しは眠ることが出来たのでしょう。防寒対策のレインコートを着て、2時30分に山小屋の外に集合。空を見ると都会では見ることが出来ないほどの、星が空にばら撒かれていました。東京では冬の空にしか現れないオリオン座が空に浮かんでいました。072.gif
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 残念なことに、このツアーに大井町湯屋の面々を誘ってくださった吉田さんがひどい高山病にかかってしまい、嘔吐と39 ℃の発熱。一緒に山頂へ上がることができませんでした。
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 ヘッドライトを着用して、山頂への出発前に準備運動をしました。頂上までは約2時間の行程。ガイドさんからはゆっくり、小さな歩幅で登るようにとの指示がありました。しかし、やはり登りはたいへんでした。頂上に辿り着くまでに2回ほど休憩を取ったでしょうか。風もなく、防寒用に着たレインコートがすこし暑く感じました。そして、今日もただひたすらに登りました。登りながら、東側の空が赤く染まっていくのが見えました。
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 午前5時前に、ようやく念願の富士山頂に到着。山頂にはたくさんの人がご来光を今かと今かと待ち構えていました。日の出は午前5時4分。水平線上に少し雲がかかっていたので、太陽が顔を出したのはもう少し遅かったと思いますが、真っ赤な太陽が東北東の空を赤く染めながら、昇って来ました。そのご来光を見ていた私たちも赤く染まっていました。058.gif058.gif058.gif

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(岸洋子/夜明けのうた)060.gif

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 ご来光を拝んだ後、火口を一周するお鉢めぐりをしました。剣が峰を通って、西北の方にはアルプス連峰、八ヶ岳と朝陽に照らされた「影富士」を見ることが出来ました。そして、南東には河口湖、山中湖、南の方には房総半島と伊豆半島、その間に大島が浮かんでおり、さらに南西には御前崎海岸がはっきりわかりました。360度のパノラマが広がっており、全部をいっぺんに見るには目が足りませんでした。024.gif

影富士とアルプス連峰
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河口湖
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山中湖
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富士吉田口登山道、下まで人が連なっています
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伊豆半島
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伊豆大島
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御前崎
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 お鉢めぐりを終え、30分の自由時間。山頂はたくさんの人。富士吉田口の方を見ると、登山道は登って来る登山客が遥か下の方まで続いていることがわかりました。
私は富士山頂にある浅間大社でお守りを買いました。山頂でのご来光、360度パノラマを存分に楽しんで、名残惜しいですが下山を開始。その前に剣が峰の測候所跡をバックにみんなで記念撮影をしました。

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 昭和53年(1978年)8月30日、巨人軍の王選手は、この日待望の800号ホームランを達成しました。東京後楽園球場のナイターで、巨人対大洋の23回戦が行われているときでした。6回裏大洋の大川投手が投げたボールを、巨人軍の王貞治選手は、右翼中間のスタンドにホームランをたたき込みました。これが800号ホームランでした。王選手がプロ野球に入って20年目に達成した快挙です。

 王選手は、昭和34年(1959年)4月26日、早稲田実業からプロ選手になって28打席目、対国鉄線で初ヒット、初ホームランでホームランダービーのスタートをきりました。
 独特の“一本足打法”に切り替えたのは昭和37年(1962年)の7月1日に47号から、以後、驚異的なペースでホームランを打ち続け、アメリカ大リーグのハンク・アーロン選手のもつ755号大リーグ記録を破ったのは昭和51年(1976年)9月3日のことでした。

 800号が達成されたあとも打ち続け、2年間で、通算868年のホームラン記録を残しました。まさしく前人未踏のホームラン記録です。“世界のホームラン王”が誕生したのです。国民も歓声を挙げて彼に祝福を贈りました。

 時の福田首相も黙っているわけにいかなくなり、総理大臣表彰制度を急いで設定し、「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績のあった者」として、昭和59年(1984年)9月5日、国民栄誉賞第1号を王選手に授与いたしました。
 ちなみに、第2号の国民栄誉賞は、翌53年(1988年)7月に他界した作曲家古賀政男に贈られました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 私たちはもと来た御殿場口登山道を引き返し、下山を始めました。この下山が登り以上のたいへんでした。ストックを下の段にさしてから、足を下ろすという基本動作ですが、慣れないこともあって、こわごわやっていたら、登りの時と同様に先頭を行くツワモノ集団から引き離されてしまいました。ただ徐々に降り方のコツがつかめてきて、踵から足をおろすように進むと、先ほどよりは簡単に歩を進めることが出来て、先頭を行くツワモノ集団に追い付くことが出来ました。042.gif
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 赤岩八合館から頂上まで登るのに2時間もかかったのに、同じ道の下りには1時間もかかりませんでした。山小屋へ向かう途中、学生さんらしい方と一緒になり、話をしながら下りて来ました。その方は富士吉田口から登頂して、余りにも進みが遅いので、ご来光の時間に間に合わなかったそうです。私たちがこれから山小屋に戻って朝食を取ることを話すと、「山小屋に泊まるなんて、とても贅沢な登頂ですね。」と言われてしまいました。確かにカレーライスを何杯でもおかわり出来るなんて、贅沢だったかもしれません。
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 山小屋に戻ると、一緒に山頂へ行けなかった吉田さんは、体調が戻りつつあるようでした。朝食を摂った後、御殿場口新5合目まで最後の下山となりました。赤岩八合館に別れを告げて、午前10時に下山開始。まずは大砂走りの手前まで、今までどおりに歩を進めていきました。私も下山にはすっかり慣れて、先頭のツワモノ集団に並走して、つけることが出来ました。
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 そして最後の関門の大砂はしり、標高差1000 m以上続く砂地を小走りに下っていく楽しそうな下山道です。この大砂走りを下る前に、ふたたびガイドさんから下るときの注意がありました。
下山を始めると、一歩を進めると少なくとも50 cmくらいは滑り落ちるため、走り下るという感じです。下山のコツがつかめたと思っている私は、調子に乗って、ツワモノ集団と同じペースで最初の分岐点まで駆け下りて行きました。私にとっては全速力に近いスピードであったため、最近大井町湯屋をサボり気味であった私は、1回目の砂走り下山で息が切れてしまい、しかも太ももがパンパンになっていました。富士山へ行く前は、帰って来てから筋肉痛に襲われると聞いていましたが、すでに下山中に筋肉痛になり、足がパタッリと止まってしまいました。
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 厄介なことに、この砂走りは一歩足を出すと、50 cmくらいは嫌でも滑り降りてしまうため、歩は進むのだけれど、疲労困憊している足は前に進もうとしないということになり、結局、歩を進められないような状態になってしまいました。そして、またまたガイドの倉持さんにカメラ一式を持っていただいて、励まされながら、ちょっとずつ歩を進めて、ツワモノ集団が待っている場所にようやく辿り着きました。休憩場所からは、富士の裾野での自衛隊演習を見ることが出来ました。爆弾らしきものが炸裂して、噴煙が上がっていました。
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 しかしながら、見た限りでは、まだ大砂走りは3分の1以上残っていました。すでに体力の限界が近づいてきている私のカメラばかりではなく、背負っているリックサックまでも、ガイドの倉持さんに持っていただき、もう1本ストックを借りて、大砂走りでは難しい牛歩戦術で、最後の到着点である大石茶屋を目指しました。倉持さんがおっしゃるには、大事なのはペース配分を考えて進むことが重要とのこと。最初に全速力で駆け下りれば、そのあとはやはり止まってしまうとのことでした。ガイドの倉持さんは、よしこさんよりも少し年齢が上の50歳代なかばの普通のおばさまに見えますが、フルマラソンを3時間6分で走破してしまうスーパーアスリートで、時間があるたびに高尾山から陣馬山までを走りに行っているんだそうです。他のツアーでも歩けなくなってしまった人の荷物を持っていくことはざらにあるとのこと。私も荷物を持ってもらうことになった厄介な客になってしまいました。
ツワモノ集団から遅れること30分以上、カレーライスを4杯おかわりしたアキちゃんとほとんど同時に大石茶屋に着くことが出来ました。砂走り下山は、常に足の筋トレをしているような状態なので足は筋肉痛でパンパン、全身砂まみれでの到着でした。
御殿場口で待機していたバスに乗って、御殿場の温泉で砂走りの砂を洗い落として、遅めの昼食をいただきました。帰りバスの中では、皆さん、爆睡。

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 初日、2日目ともガイドの倉持さんには荷物を持っていただいての登下山で、一番、厄介な客ではなかったでしょうか。本当にお世話になりました。040.gif
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 幸いに天気にも恵まれて、普段撮れないような写真も撮れましたし、何よりも自分の目で富士山頂からのパノラマを見ることが出来て、よい旅になりました。
帰りのバスの中で、お天気がよかったのは、たくさんの強力な晴れ女が居たからで、雨男の私が運んでくる雨をどこかへやってしまったからだと、よしこさんに言われてしまいました。その通りだと思います。042.gif
私たちを乗せたバスは上野駅公園口に到着。スポーツクラブ「セントラル」の皆さん、スーパー高齢者の牧野さん、カレーライス4杯おかわりしたアキちゃん、そしてガイドの倉持さんたち、ツワモノ集団ともここでお別れ。これで2日間にわたる富士山登頂は終わりました。
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 いい歳、りょうちゃんの富士山登頂挑戦記
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(かりゆし58/オワリはじまり)060.gif

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by ryott-ryott | 2010-09-01 15:51 | 富士山登頂への道 | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、富士山へ出発ヽ(^o^)丿

旅行・地域
甲斐大月の原「富士三十六景」版元蔦谷吉蔵、安政5年(1858年)
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"「小学館の図鑑NEOぷらす くらべる図鑑」p76 山の高さ”より
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8月28日土曜日、ついに富士山へ登る日がやって来ました。大井町湯屋の方々と朝6時30分に大井町駅アトレ口で待ち合わせ、JR京浜東北線でバス乗車場所に指定されている上野駅公園口へ向かいました。
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 大井町湯屋チームは、この企画に大井町湯屋メンバーを巻き込んだ吉田さん、般若の阿部ちゃん、湯浅さんの奥様、よしこさんといい歳、私の5名。このツアーは「日本最高峰!憧れの富士山登頂」と銘打たれていました。私たちの他には、吉田さんの職場のご同僚の看護士さん、吉田さんのトライアスロン仲間、スポーツクラブ「セントラル」の方々、ガイドの方と総勢16名。いずれの方も、身体能力が相当に優れたツワモノばかり、ガイドの倉持さんもフルマラソンを3時間6分で走破してしまうほどの方。後で吉田さんから聞いたのですが、倉持さんは少し年齢が上の50歳代なかば。そんな方たちと、私が対等に行動を共にすることは難しいので、カメラマンに徹して、このツアーにマイペースで参加することにしました。037.gif
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 070.gif上野駅公園口からバスに乗り込み、一路、富士宮新5合目へ向かいました。道路の混雑もありましたが、出発地点には13:00に到着。トイレを済ませて、ストレッチを含めた準備体操を行ってから、いよいよ出発。準備体操をすることにより、ちょっとした怪我や足が吊ってしまうことを防げるそうです。富士宮口(標高2380 m)から16名の登頂が始まりました。070.gif
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 富士宮口から出発し、最初の分岐点、富士宮口登山道入り口に到着。ほとんどの登山者は、新6合目である富士宮口登山道から山頂の方へ向かいますが、私たちは別ルートの宝永山(標高2693 m)の方へ進路を進めました。このルートは2年前に浩宮様が登頂した時に通ったということで、プリンスルートと呼ばれています。004.gif
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 この宝永山は富士山の山腹にある火山で、富士山がいちばん最近に噴火した火口です、1707年(宝永4年)。その当時、江戸幕府の将軍は徳川綱吉、赤穂浪士の討ち入りから5年後のことでした。この噴火により、江戸まで火山灰が降りそそぎ、小田原の近く流れる酒匂川(さかわがわ)には土石流が発生し、甚大な被害をもたらしました。噴火の50日ほど前に、いまで言う東海・南海地震が起きており、約20万人が犠牲になったとの記録があります。詳細は司馬遼太郎の「街道をゆく」を読んでみてください。027.gif
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 その宝永山の山頂から見た景色は絶景でした。空全体に広がる雲海、ところどころ、ニョキニョキと天上に向かって伸びるソフトクリームのような雲、そして青い空。058.gif058.gif058.gif
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 宝永山で参加者16名全員の記念撮影をして、再び登頂開始。1日目の目標は、8合目にある赤岩八合館。ここからは、ただひたすらに登って行くだけです。上を見上げると、白く細長い形の山小屋が見えるのですが、なかなか辿り着きません。途中、高山病にかかってしまったのか、座り込んでいる人の姿も見かけました。私自身も、マイペースを堅持するあまり、ツワモノ集団から、かなり引き離された最後尾をガイドの倉持さんと、66歳の牧野さんと一緒に歩いていました。この牧野さん、66歳と言っても、60歳からマラソンを始めて、今やフルマラソンを容易に走ってしまうというスーパー高齢者。何度も励ましの声をかけていただきました。049.gif

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 私自身も登っているときは呼吸が速くなり、かなり辛かったので、これが高山病の症状なのかとも思いました。私が持って行ったカメラと望遠レンズ・ミニ三脚を倉持さんと牧野さんに持ってもらい、何とか途中の休憩地点まで、先行するツワモノ集団に追い付きました。というより待っていただいていたようです。休憩時に売っていたポカリスウェット500 mlを一気に飲んだら、持ち直すことが出来ました。042.gif
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途中、人に慣れた鳥が寄って来ました。倉持さんから鳥の名前を教えてもらいましたが、忘れてしまいました。また途中、西日に照らされて東側に現れた富士山の影、いわゆる「影富士」を見ることが出来ました。

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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“世紀の大冒険家”といわれた植村直己がが、最後の冒険になってしまった、極寒期の極北マッキンリーで世界初の単独登頂に成功したのは、昭和59年(1984年)2月12日です。
 偶然にもこの日は、彼の43歳の誕生日でした。
 2月16日、取材中のセスナ機のパイロットが、5200地点の雪洞の中から、元気に手を振る彼の姿を目撃したのを最後に、以後消息を絶ってしまいました。

 彼が生まれたふるさとは、兵庫県の日高町。地元の高校から明大へ入学、山岳部へ入りました。“冒険”との出会いはここから始まったのです。

 彼は‘冒険’とか“探検”とかいわず、“単なる世界放浪の旅ですよ”と謙虚に応えていますが、そのおもな壮挙を紹介してみましょう。
1966年、欧州の最高峰モンブラン(4248 m)を単独登頂をしたのを皮切りに、アフリカのキリマンジャロ(5895 m)、南米のアコンカグア(6960 m)、アジアのエベレスト(8897 m)、北米のマッキンリー(6191 m)と、世界5大陸の最高峰をことごとく登頂。この間、エベレストを除いてはすべて単独登頂です。

 1968年には、アマゾン河の源流ユリマグアスから河口まで3ヵ月間、約6000 kmのイカダ下り、1973年にはグリーンランドからアラスカまで、北極圏1万2000 kmの単独犬ゾリ旅行に成功。マッキンリー登頂成功後は、最後の夢であった、南極大陸単独横断旅行を実行に移す予定でした。
 
 日本人として、あとにも先にもこんな”世界的冒険野郎”は2度と出ないでしょう。昭和55年(1980年)4月19日、政府から国民栄誉賞が贈られました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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  到着目標時間16:00から遅れること90分以上だったでしょうか。ようやく1日目の目的地、赤岩八号館に着きました。荷物を山小屋に置いて、すぐに食事。ここ、赤岩八合館での夕食はすべてカレーライス。ただし、いくら食べてもOK。私は高山病になったら、そんなに食べられないと思っていましたが、2杯も食べてしまいました。高山病ではなかったようです。またツワモノ集団で、みんなから「あきちゃん」と呼ばれている体格にいい男性は大盛りで4杯召し上がったそうです。041.gif
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 食事も終わり、布団を引いて、そこで登山者は雑魚寝。2年前、浩宮様もここでカレーライスを食べて、雑魚寝したのでしょうか。雅子様は来なかったようですが、私が呼んだ本からは雅子様はカレーライスと雑魚寝を嫌がったのではないかと推測しています。
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山小屋は21時に消灯。寝る前に、持って行ったミニ三脚と望遠レンズを使って、山小屋の前から夜景を撮影しました。
いよいよ早朝というより深夜2時30分にご来光を拝むため、富士山頂へ出発しました。湯笹さんのご主人は銘酒「赤とんぼ」を飲み過ぎて、爆睡しているころでしょう。037.gif

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To be continued. まだまだ続きます。


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by ryott-ryott | 2010-08-30 13:08 | 富士山登頂への道 | Comments(0)