カテゴリ:即身仏( 1 )

いい歳、りょうちゃん、即身仏ご上人との邂逅ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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月山・湯殿山の山越えを終えて、湯殿山神社のバス停から湯の浜へ帰りました。バスの車窓から西側の空が赤く染まっていくのがわかりました。あいにく、帰りのバスの中からは山の陰になって夕陽が見えませんでした。058.gif
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山形県の旅3日目、朝の散歩をしていると、宿の近くで朝市をやっていました。そこで試食させてもらったメロンは甘くて、とてもおいしかったです。024.gif

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 3日目は昨年、山形を案内してもらったタクシー運転手の佐藤さんに再びお願いして、山形のおもだったところを案内してもらうことにしました。
 前日に湯殿山神社の行人塚で即身仏を見たという話を佐藤さんにしたところ、酒田市の海向寺には2体の即身仏が安置されており、興味があるならば、そこから行きましょうとの話になり、まずは海向寺から行くことになりました。

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 日本全国では16体の即身仏が確認されており、そのうち8体が山形県内に安置されています。末世まで人々の苦しみを救い、願い事をかなえるため、木食(もくじき)修行と五穀・十穀断ちを行って、修行を重ねた僧だけが即身仏へ姿を変えていきました。

 海向寺の受付で拝観料をおさめて、即身仏堂へ通されました。もちろん写真撮影は禁止。ここにはお二人の即身仏が祀られています。ひとりは海向寺中興1代目住職の忠海上人、この方は鶴岡市に生まれ、もとは武家の出身。1755年2月21日に入寂、58歳でした。もうひとりは海向寺9代目住職の円明海上人。山形県東田川郡栄村の出身で1822年5月8日に入寂、55歳でした。
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 説明をしてくれたのは海向寺の住職、女性でした。即身仏になるためには厳しい木食修行を終え、体の水分、脂肪分を落として、即身仏に近い状態まで体を作り上げなければなりません。お医者さんに即身仏の健康診断をお願いしたところ、即身仏の重さは4 kg台であり、即身仏になる直前の体重は50 kgに満たなかったと言われています。

そして木食修行を終えると、地下3 mのたて穴の中に木製の棺を入れ、その中に入って、鐘を鳴らしながらお経を唱え続けます。そのお経の音が途絶えたとき、即身仏になった瞬間であり、一度掘り起こします。体が崩れていたら、結跏趺坐の姿勢に正して、棺の中に入れなおし再び土をかぶせます。その後3年3ヵ月後に掘り起こして即身仏の体が残ります。

 確認されている8体の即身仏は片目をくりぬかれているそうです。これは当時、栄養状態が悪いこともあり、トラコーマという眼病を患い、失目した目を自らくり抜いて、人々の苦しみを救うための祈願を行ったといいます
。 
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 前日に月山を超えて湯殿山神社へお参りに行ったこと、行人塚にガラスケースの中に即身仏が祀られていることを御住職にお話ししたところ、行人塚に祀られているのは木製のレプリカであることを教えられました。あの行人塚に即身仏の作り物を置くことには賛否両論あったそうですが、湯殿山神社と即身仏との関係をひろく知ってもらうために置くことになったようです。

 そして、御住職から湯殿山を歩いているとき、どんな感じがしましたかと質問され、私は「過去に踏破できなかった人の替わりに偶然にも歩かされている感じがしました」と言うと、それは偶然ではなく必然の出来事であったと、「オーラの泉」でよく聞いたことをおっしゃっていました。
 また先日、たまたま家族連れで海向寺へお参りに来た男性が、その後に、夢の中に円明海上人が現れて、「書きなさい」と言われ、それから何でもメモをとる習慣をつけたところ、仕事もプライベートもうまく行き始めたと言って、ふたたびお礼にお参りに来たとおっしゃっていました。私はまだ夢に出てきてもらっていません。

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 最後に海向寺でお守りと2体のご上人の写真を買いました。写真は撮影禁止なのですが、訪れる人のほとんどが写真撮影を希望されるため、2枚1組500円でご上人の写真を売ることにしたそうです。昔は即身仏はガラスケースには入っておらず、お参りした際に触ることが出来たそうですが、身に纏っている衣や皮膚をお守り代わりに剥ぎ取っていく方が多いため、全身にニスを塗り、ガラスケースに安置しているとのこと。身に纏っている着物は結構ま新しい感じであったので、御住職に尋ねると、丑年の昨年に衣替えをしたばかりだとおっしゃっていました。湯殿山が開かれた年が丑年であったため、12年に1度、丑年に衣替えをします。石のように硬い即身仏に、どうやって着物を着せるのか、大変な作業ではないのかと聞くと、袖さえ通ってしまえば、簡単に着せることが出来るそうです。
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 御住職から「何故、山形に来たのか」と尋ねられ、私は「夕陽の写真を撮りに来たが、前日、月山、湯殿山へ行って、夕陽を撮るチャンスを逸してしまった」と答えると、「また山形へ来るようにとのお告げです。」と言われました。
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毛沢東は「魯迅は偉大な文学者、思想家、革命家である」「魯迅の示す方向こそ、新生中華人民共和国の文化の方向である」と、彼を称賛しています。
 
魯迅というのはペンネーム。本名は周樹人。1881年9月25日、中国淅江省紹興で生まれました。紹興酒で知られるところです。
当時中国は、1840年のアヘン戦争以来、帝国主義国家による侵略が続いていました。
彼は祖国解放を胸に秘めて日本に留学し、仙台の医学専門学校(現在の東北大学医学部)に入学しました。
2年生の時、たまたま日露戦争の記録のスライドを見せられて、中国人がロシアのスパイ容疑で日本軍に虐殺される場面に強いショックを受け、中国の民衆を救うためには、医学より言論活動だと決意して、北京へ戻り、文芸活動に入りました。
中国近代文学の先駆をなす処女作「狂人日記」、世界的名作と言われる「阿Q正伝」などは、この時代に発表されたものです。

1926年、北洋軍閥の文化弾圧と激突した学生運動3・18事件に北京を脱出、アモイ大学、中山大学(広州)で教鞭をとりながら、翌年上海に潜入。次第にマルキシズムに傾き、左翼作家連盟の指導者として頭角をあらわしてきました。

そして1936年、抗日戦争突入の前年、民族統一戦争の半ば、惜しくも上海の寓居で亡くなりました。
現代中国では、魯迅について毛沢東や周恩来などの革命指導者の師としての待遇を受け、生地紹興をはじめ、ゆかりの地北京と上海にそれぞれ魯迅博物館が建てられています。
最近は、上海虹口公園にある魯迅の墓は、日本人観光客が参拝する名所の一つになっています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)




(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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海向寺で即身仏のお参りをした後、十六羅漢を観に行きました。遥か西の日本海には昨年行った飛島が板のように浮かんで見えました。
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その後、鳥海山八合目まで行き、庄内平野を一望。鳥海山八合目はかなり冷え込んでいました。
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そして、玉簾の滝を見て、「眺海の森さんさん」へ向かいました。

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最終日は「眺海の森さんさん」に泊まることにしました。決して大きな宿ではありませんが、部屋もきれいであり、また部屋からは蛇行した最上川を見ることが出来て、「一眼レフの旅」の中で最もいい宿であったと思います。
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そして天気は回復傾向であり青空も広がっていましたが、残念ながら赤いルビーのような夕陽を見ることはできませんでした。北の方から次々と流れてくる歯磨き粉のような雲に太陽は隠されてしまい、展望台に夕陽を見に来ている人が何人かいましたが、あきらめて帰って行きました。何しろ夕陽を見ることが出来る確率は12分の1なので、前日夕陽が見えたということは、向こう10日間は見ることが出来ないということになります。海向寺のご住職がおっしゃったように、また山形へ来るようにとのお告げなのでしょうか。016.gif

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山形の旅はまだまだ続きます。To be continued.
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by ryott-ryott | 2010-10-06 02:11 | 即身仏 | Comments(0)