カテゴリ:佐渡島配流の旅( 3 )

いい歳、りょうちゃん、良寛さんの越後路を行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 佐渡島最終日。この日は朝から雨、しかし陽射しはあるという不思議な天気。昔話でよく言われている「きつねの嫁入り」で、縁起がよいとされていますが、やはり雨には止んでもらいたいというのが正直なところです。057.gif057.gif057.gif
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 夕陽に一番近い宿「ホテル吾妻屋」に泊まりながらも、1度も夕陽を見ることが出来ずに「ホテル吾妻屋」さんとはお別れ。新潟港へ向かうジェットホイルに乗るため、両津港へ向かいました。その途中、タクシーの運転手さんへお願いし、佐渡島を横断する国仲平野を一望できる所と両津港の近くにある日蓮上人の銅像が建っている場所へ立ち寄ってもらいました。昨日、尖閣湾から佐渡金山に案内してもらった同じ運転手さんです。040.gif
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 2日連続で御用命いただいたことに感謝されて、柿をひと箱戴きました。運転手さんのお宅でも柿を作っているそうであり、取ったばかりの柿は渋くて食べられないため、柿を逆さまにしてヘタの切り口のところに焼酎を3日くらい漬けておくと渋さが抜けて、甘い柿になることを教えてくれました。ただ柿ひと箱はいかにも多いので、少しで結構ですと申し出ると、その運転手さんは私が持っていた手提げ袋に箱に入っている柿を全部詰めてしまいました。手提げ袋を持つ手が痛いくらい重かったのですが、折角なので、お礼を申し上げ、両津港まで無事に送り届けていただきました。040.gif
 
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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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良寛は、残された詩歌、書簡、遺墨から見て、近世日本の代表的な芸術家であったことは間違いありません。越後出雲崎、土地の名主兼神職の橘屋山本家の長男として生まれました。18歳の時に名主の見習いを始めましたが、出家を志して、21歳で岡山県玉島の円通寺の住職国仙和尚のもと17年間の修行に励みました。

46歳の時に郷里に戻り、国上山の中腹に「五合庵」という草庵を作り住み着きます。そして69歳の時に山を下りて、現在の和島村にあった木村元右衛門の屋敷の中に庵を作ってもらい5年後の1831年1月6日74歳で亡くなりました。

その一生は無欲恬淡(むよくてんたん)、飄々弧(ひょうひょうこ)として、朝な夕な「雪月花」を賞(め)で、詩歌をつくり、座禅を組み、読書と書道に明け暮れる毎日だったそうです。
良寛の晩年、69歳の時に和歌の教えを乞いにきた29歳の若くて美しい尼僧・貞心尼と出会い、幸せな余生を送りました。現在残っている良寛に関する記録は、すべて貞心尼が書き留めたものだと言われています。作家の中山義秀は「40歳も年齢の違う優しい心を持った美しい女性に慕われて死んだ良寛」の死に方に美しい余韻を感じてならないと言っています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 両津港からジェットホイルに乗ること65分、新潟港へ到着。新潟港へ着いた直後はどんよりと雨がぱらつく空模様でしたが、お昼ごはんを食べているうちに、雨が止んで、雲の切れ間から青い空と陽射しがこぼれて来ました。058.gif058.gif058.gif
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 新潟は何回か仕事で行ったことはありましたが観光したことがなかったので、弥彦神社から良寛さんで有名な国上寺(こくじょうじ、地名の「国上」は「くがみ」と読みます)の五合庵、そして即身仏が安置されている西生寺(さいしょうじ)へ行きました。070.gif
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 空はすっかり青空が広がり、弥彦神社のある弥彦山がはっきりと見えていました。越後平野がどこまでも続き、ところどころで稲の刈り取りを行っていました。また新潟の町で目に付いたのはコンビニの近くに精米機が設置してあること。最初は電話ボックスかと思いましたが精米機でした。ご存知のように新潟は米どころであり、普段は精米していない「玄米」の状態で保存・保管し、食べるときに必要な分だけ精米するそうです。玄米のまま保管しておけば、古米になっても精米することで新米とかわらない味で炊きあがるとのこと。そして、新潟の人は玄米を炊いてお米を食べることをしないそうです。都会では健康ブームで玄米を食べたりする人がいますが、新潟の人から見ると「かたい玄米をなんで食べるのか?」という疑問を持っているようです。037.gif037.gif037.gif
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 弥彦神社へお参りしました。祝日ということもあってか結構な人で賑わっていました。弥彦神社に祭られている神様は、かなり嫉妬深いそうであり、男女のカップルでお参りすると神様がやきもちを焼いて、お参りしたカップルにはその後いいことはないと言われています。ひとり旅の私にはそんな心配もなく、お参りを済ませました。また弥彦神社にはうさぎの形をした落雁(らくがん)が売っており、いたずらばかりして神様を困らせていたうさぎが神様の怒りに触れてお菓子にされてしまったという言い伝えがあります。018.gif
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 弥彦神社をお参りした後は良寛さんが実際に住んでいたという「五合庵」へ行きました。五合庵のある公園の一角に良寛さんと子どもたちが遊んでいる銅像があります。良寛さんは里に托鉢に来た際には必ず子どもたちと蹴鞠などして遊んだといいます。村が貧しかったために売られていく子どものことを嘆いて、せめて自分にできることとして子どもたちと遊んであげたと言われています。027.gif018.gif
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 山形の旅から数えること4体目、西生寺に安置されている即身仏、弘智法印をお参りしました。西生寺のご住職の話では弘智法印の即身仏は貞治2年(1363年)10月2日に66歳で入定した日本最古だそうです。山形では即身仏のお寺が真言宗であり、空海の「海」の字を譲り受けているのに対して、この即身仏のお名前には「海」の字はあてられておらず、宗旨・宗派不問と書いてありました。親鸞上人に関係しているとの記録から浄土真宗かと思いましたが、真言宗智山派とありました。また山形のお寺では日本全国に即身仏は16体あるとの説明を受けましたが、ここ西生寺では24体との説明でした。宗派によって数が違うのでしょうか。そして山形の即身仏は丑年の年に衣替えをするのに対して、西生寺では子年に行うとのこと。弘智法印の衣替えのときには必ず天気が荒れて、雨が降るそうです。057.gif031.gif057.gif031.gif
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 また西生寺の宝物堂にはニホンオオカミの剥製や弘智法印等身大の木像、槍奴の首級と言って、弘智法印を槍で突いた者の懺悔の頭蓋骨が展示されていました。弘智法印が即身仏となった後に、安置されている即身仏を見た槍兵が、「死んでいるのに座っているのは、タヌキかキツネが化けているにちがいない」と言って、弘智法印の即身仏の胸を槍で突いたといことがありました。その後、その槍兵は「真の仏を突いてしまった」と言って自害しました。その頭蓋骨が安置されています。031.gif031.gif031.gif
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 天気がいいので、今日こそは日本海に沈みゆく夕陽が見ることができるのではないかと、小針浜へ向かいましたが、沈む直前に雲が出てきて、夕陽を見ることができませんでした。あと20分持ちこたえてくれていたら、見ることができたと思います。しかし南側には三日月が夕月として空に浮かんでいました。072.gif072.gif072.gif

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佐渡島配流の旅、これにて完
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by ryott-ryott | 2010-10-23 23:55 | 佐渡島配流の旅 | Comments(0)

佐渡金山世界遺産暫定登録ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 058.gif佐渡島は東京23区の1.5倍、伊豆大島の10倍の面積を持つ、沖縄本島の次に大きな島です。沖合は暖流の対馬海流が流れており、冬は暖かく、夏は涼しい気候で、私が訪れた3日間も防寒着は不要で、暑いくらいの陽気でした。058.gif058.gif058.gif
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 058.gif佐渡島2日目の朝は昨日まで降っていた雨が嘘のように上がっていました。テレビの天気予報では降水確率50 %で雨の予報。佐渡島には標高1000 mほどの山があり、天気が良ければ、佐渡島最高峰の金北山へ行く予定でした。しかし佐渡へ出発する前から東京で佐渡の天気が悪いことがわかっていたので、トレッキングの用意はしていませんでした。この日は晴れてはいるものの、前日の雨もあり、金北山は霧がかかって、その姿を見ることもできませんでした。058.gif058.gif058.gif
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 そこで尖閣湾から順徳上皇が火葬された真野御陵と日蓮上人が流されてきた妙宣寺へ行き、その後、世界遺産のリストに仮登録された佐渡金山へ行きました。070.gif070.gif070.gif

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 日蓮宗の開祖日蓮は、安房(千葉県)小湊の漁師の子に生まれました。

15歳で出家して仏教を学びますが、同じ仏陀(釈迦)の教えなのに、天台宗、真言宗、浄土宗、浄土真宗、禅宗など、各宗派に分かれて競い合うのか疑問を感じたといいます。

日蓮は、そのため鎌倉、京都、奈良の各寺を巡訪し、七千余巻の教典を調べ、結論として、「法華経」だけを唱和すれば、それが一番正しいと悟ります。
「南無阿弥陀仏」の念仏と同じく、「南妙法蓮華経」のお題目を唱えれば救われる-これを教義としました。手法は浄土宗と同じです。

ただ、鎌倉仏教としては、最後になったとせいか、日蓮宗(法華宗)以外の宗派は、ことごとく邪教として徹底的に闘いました。各宗派を全部敵にまわしたのですから、再三捕えられ、打ち首寸前、流罪に処せられたり数多くの法難に遭いました。

佐渡島の流罪から赦免された日蓮は、甲斐(山梨)の身延山に道場を建て隠棲しました。
これがのちの日蓮宗総本山久遠寺です。弘安五年(1282年)10月13日、旅先の武蔵国池上(東京都、現在の池上本門寺)で61歳の生涯を閉じました。

日蓮宗は、日蓮の死後弟子たちの力で隆々発展し、数多い分立各派(門流と呼びます)が誕生します。富士山麓に創建された大石寺が、富士門流の一つで、現在の創価学会の本拠になっていることはご存知の通りです。

日蓮は元の襲来を予言し、それを退散させ、今日の福岡市を護ったということで、福岡市の県庁脇の小公園に、大きな日蓮の立像が建っています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)
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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 まずは尖閣湾へ行きました。姫津から揚島まで5つの湾から成り、北欧ノルウェイのハンダルゲル湾の景観に似た海岸美として昭和7年に尖閣湾と名付けられました。船底がグラスファイバーの窓が付いている海中透視船に乗り、尖閣湾を一周。この尖閣湾には昔吊り橋だった別名「マチ子橋」という遊船橋がかかっており、「君の名は」のロケが行われたそうです。061.gif
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 そして尖閣湾のあとは、佐渡島に流された順徳上皇が火葬されたという真野御陵と、同じく日蓮上人が最初に流されてきた妙宣寺に行きました。027.gif
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真野御陵に向かう途中、運転手さんから、この家が拉致被害者の曽我ひとみさんの家だと教えられました。そして夫のジェンキスンスさんは佐渡記念館で通訳として働いているそうです。拉致された当時、曽我ひとみさんは母親と一緒に近所のタバコ屋に買い物へ行き、その帰りに北朝鮮にさらわれました。そのタバコ屋さんも、家から目と鼻の先、100 mもないところです。1978年のことだったそうです。少し昔までは、佐渡にも北朝鮮の船がうろついており、突然に小学生の子どもがいなくなってしまうという事件が度々あったそうです。いなくなってしまった当時は、どうしていなくなってしまったのか、誰もわからずに行方不明ということで片付けられていたそうです。近年になって拉致被害者の顔写真が公表されて、はじめて、あのときに北朝鮮にさらわれたということがわかりました。031.gif

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そして、つい先日10月6日に世界遺産のリストに暫定登録された佐渡金山へ行きました。佐渡金山は相川から車で約20分の場所にあります。宗太夫抗(そうだゆうこう)と道遊抗の2つの見学コース以外に、世界遺産登録申請中の「大立竪抗」「道遊の割戸」「金銀浮遊選鉱場跡」などをマイクロバスで周る産業遺産散策コースがあり、私は産業遺産散策コースを見ました。070.gif070.gif070.gif
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佐渡金山は江戸時代1601年に山師により発見されて以来、平成元年(1989年)まで388年間にわたり、掘り続けられ、金78トン、銀2300トンを生産したと言われています。その間に掘った鉱石の重さは1500万トンに及び、坑道の距離は400 kmに達し、佐渡から東京までを直線で結んだ距離に匹敵します。佐渡金山は、平成15年に鹿児島県の菱刈金山に生産量を抜かされるまでは日本一を誇っていました。ついでに、鹿児島県の菱刈金山は衛星探査により発見され、埋蔵量128トンと推定されています。現在は衛星探査で金鉱脈を発見できることに驚きました。005.gif

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 私は佐渡金山は江戸時代だけ掘られて、明治以降は掘っていないのかと思い込んでいましたが、明治2年(1869年)、佐渡鉱山は主要鉱山として官営化されて、ドイツ人技術者が指導して「大立竪抗」が開削されたそうです。竪抗巻揚室にはエレベーターの巻揚機、空気圧縮機が残されており、巻揚機のそばにネクタイを締め、スーツを着用した男性が立っている写真が資料館に展示してありました。005.gif
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 道遊抗の出口から、山の方へ向かうと。佐渡金山の第2次近代化に貢献した大島高任(たかとう)を祀った高任神社があり、その先に「道遊の割戸」があります。1601年に発見されてから主要な鉱脈として開発された「道遊脈」があり、採掘で山が二つに割れてしまっています。また割戸の下も大規模な採掘がおこなわれ、たくさんの坑道の穴が開いているのがわかりました。018.gif
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 そこからマイクロバスに乗って、北沢地区青化精錬所・浮遊選鉱場跡へ向かいました。昭和18年まで使われており、月間7万トンの鉱石を処理できる東洋一の精錬所でした。その向かい側に「シックナ―」という、精錬で出る泥状鉱物を洗って、鉱物を分離する施設があります。018.gif
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 精錬にはたくさんの電気が必要になるため、明治40年(1907年)に佐渡で最初の石炭火力発電所、北沢火力発電所が建設されました。その跡の建物です。
 現在は、この浮遊選鉱場跡地はときどきコンサート会場として利用されているそうです。018.gif
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 佐渡金山というと、水戸黄門などの時代劇で罪人が働かされているイメージがありましたが、江戸時代のころから鉱脈を掘っていたのは全て技術者であり、罪人が働いていたというのは時代劇のつくり話です。ただ無宿人という人たちが働いていましたが、この無宿人は鉱脈を掘る仕事には付くことができませんでした。主な仕事は坑道の中に湧き出てくる地下水を外に汲み出す仕事をしていたそうです。
 江戸時代は家出をして家族の戸籍を抜くということをしていました。なぜなら、その家出人がよそで罪を犯した場合は、本人だけではなく、その家族、その家族が住む集落全員が同罪に処せられてしまうため、家出した者の家族は他の人に迷惑がかからないように、泣く泣く家出した者を戸籍から抜きました。この戸籍を持たない人を無宿人と呼んでいました。無宿人になってしまうと関所も通ることが出来ないし、真っ当な仕事に就くこともできない不自由な身になってしまいます。そこで幕府は無宿人に対して佐渡金山で水汲みの仕事を10年間果たしたら、戸籍をもとに戻すという御触れを出しました。無宿人の水汲みの仕事は過酷だったそうですが、私たちが考えるほど無宿人の佐渡での生活は酷くなかったといいます。働いていれば、寝る場所、食べるものが提供され、働くことにより収入も得られるといった具合で、10年間の期間を過ぎても佐渡で働き続けた無宿人は結構いたそうです。018.gif

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佐渡島の旅はまだ続きます・・・To be continued.
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by ryott-ryott | 2010-10-21 15:41 | 佐渡島配流の旅 | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、佐渡島へ配流されるヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 10月9日からの3連休は、その昔、流人の島として長く有名だった「佐渡島」へ行ってきました。佐渡島には、まず東京から新潟まで新幹線「Maxとき」で行き、そこからバスで新潟港へ、ジェットホイル高速船に乗り1時間5分で佐渡島の両津港に着きます。070.gif070.gif070.gif
 057.gif057.gif057.gifこの日は朝から雨、出発した東京も雨、新潟も雨、そして佐渡島も雨でした。中国整体の先生は、「あなたが出掛けるところはいつも雨だから、霧の写真を撮ればいい。」と、ひどいことをおっしゃっていました。057.gif031.gif057.gif031.gif

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その前に、前の週の日曜日はじゃんけんぽんのトントンさんと春さんに大森のモツ焼き屋「芝浦食堂」へ連れて行ってもらいました。011.gif

肉刺し
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ユッケ
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ハンバーグの値段はサービス期間中29円
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モツ焼き、最初はキャベツの中に隠れています

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 そして、その翌日は生涯2回目のもんじゃ焼き屋さんへ行きました。お店の名前は忘れてしまいましたが、「夏木マリスペシャル」(1500円)というメニューがありました。このお店に、夏木マリが時々来店して頼んだもんじゃ焼きがこのメニューになったそうです。018.gif

もんじゃ焼きの作り方

    ①鉄板に油を引く。034.gif
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    ②液体以外の具材だけを鉄板の上に乗せ、クタクタになるまで炒めます。045.gif
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    ③炒め終わった具材で丸く土手を作ります。029.gif
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    ④その中へ液体を投入。
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    ⑤鉄板全体に広げて、火が通ったら出来上がりです。038.gif011.gif

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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船に乗るまで少し時間があったので、新潟市立美術館で「ブリューゲル展」を駆け足で見ました。070.gif
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「佐渡おけさ」で知られる佐渡島は、今は新潟港からジェットホイルで1時間で行ける観光の島になりましたが、その昔は、日本海に浮かぶ絶海の孤島、「流人の島」でした。

この島が重罪人を配流する遠流(おんる)の地に定められたのは神亀元年(724年)で、以来、明治を迎えるまで1144年間、たくさんの人が流されてきました。
 日蓮、日野資朝、世阿弥などが、その代表的人物です。江戸時代だけでも、その記録によると257人の流人の名が見えます。流人のなかの皇族はただ一人順徳上皇だけでした。

上皇は、後鳥羽天皇の第三皇子で正治2年(1200年)、土御門天皇の皇太弟となり、承元4年に即位し、承久3年(1221年)5月、長男の仲恭天皇に譲位して上皇になりました。
 父の後鳥羽上皇時代、一緒に政権を幕府から奪い返そうとしましたが失敗しました。世に言う、承久の乱です。結果は首謀者の後鳥羽上皇は隠岐の島に、順徳上皇は佐渡島に配流となりました。時に上皇まだ24歳の若さでした。

 上皇は歌人として著名であり、在島中「八雲御抄」6巻を訂正増補したり、「順徳院御集」「順徳院百首」「四十香歌合」など歌集を出し、京都への還幸を期待していましたが、鎌倉幕府はそれを許しませんでした。

 そのうち、父上皇も、長男の仲恭天皇も亡くなり、世をはかなんだ上皇は、都への帰還はすっかりあきらめ、「存命無益」と称して絶食、仁治3年(1242年)9月12日、自らの命を絶ちました。在島22年、46歳の生涯でした。

島のあちこちに、在りし日の遺跡が点在し、観光客の涙を誘っています。004.gif
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 佐渡島の西側の相川地区にある“夕陽にいちばん近い宿”「ホテル吾妻」に泊まりました。
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 この相川地区も両津港からバスで1時間ほど。ホテルの人からバス停「佐渡会館」で降りて、連絡をしてくれれば迎いに行くと言われましたが、いつまで経っても「佐渡会館」というバス停はなく、ついに終点の「平根崎」まで行ってしまいました。どうやら乗るべきバスが違っていたようです。バスの運転手さんに「佐渡会館」は通過しましたか?と尋ねると、とうに過ぎたとのこと。バスの運転手さんが「これから回送で来た道を帰るから、「佐渡会館」で降ろします。」と言ってくれました。「佐渡会館」で降ろしてもらい、そこでホテルへ電話して、迎いに来てもらいました。雨の降る中、すっかり日も暮れて、暗い中、ホテルに着きました。

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 057.gif天気予報では翌日も雨、降水確率50 %の予報。お天気が良ければ、佐渡島の金北山へ行くことにしていましたが、東京で天気がよくないとの情報を得ていたのでトレッキングの用意はしていませんでした。とりあえずは、先日、世界遺産のリストに仮登録された「佐渡金山」へ行くことにしました。018.gif


つづく・・・・・To be continued.
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その晩、ホテルのロビーで「佐渡おけさ」の実演がありました071.gif
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by ryott-ryott | 2010-10-17 11:30 | 佐渡島配流の旅 | Comments(0)