カテゴリ:南国・鹿児島の旅( 5 )

いい歳、りょうちゃん、平和を願い、只一筋に征くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 基地を発進して、約2時間30分、
 前方の水平線上に
 豆粒大の敵艦船群が姿を現す。
 隊長はサッと手を挙げ、
 「突撃!」と力強く前へ振る。
 いよいよ、愛機、爆弾もろとも敵艦も
 体当たりする瞬間がきた。

 エンジン全開で急上昇する
 隊長機に、
 隊員機も必死で後に続く。
 高度1000 mに到達すると、
 編隊は左右に散開し、
 突入態勢を整える。
 一斉に浴びせられる、敵艦船群の対空砲火。
 炸裂する高角砲弾の爆風が、
 特攻機の機体をガタガタと震わせる。
 撃たれてたまるか・・・
 必ず沈めてやる!

 空母に狙いをさだめ、無電の電鍵を素早くたたき、
 信号を送る。

 「ワレトツニュウス―――」

 歯を食いしばり、目を見開き、
 全身の血をみなぎらせて、
 一瞬、操縦桿を浮かし、グイッと前に倒す。
 レバー全開、
 エンジンがうなりを上げ、機体が急降下する。

 最後の瞬間、今までの何万倍ものスピードで、
 敵艦が目の前に迫る。
 さようなら
 さようなら
 故郷よ、友よ、母よ―――
 愛する全てのものに別れを告げて、
 ただ一筋に突入する。

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 1945年4月、戦況は悪化の一途をたどり、力と数に勝るアメリカの軍艦を沈めるためには爆弾をつんだ飛行機で飛んで行って、「体当たり」するしかほかにない、と日本軍は考えました。
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 500 kgの爆弾を飛行機に積み、片道分の燃料しか入れず、「特攻隊」(特別攻撃隊)は飛び立っていきました。
 鹿児島・知覧から飛び立ち、散って行った命は1036名。知覧特攻平和会館へ続く道には1036名全員の魂を慰めるための燈篭が建てられていました。
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 南国の旅・最終話は知覧特攻平和会館へ行きました。そこには1036名の遺影と、自分の家族に宛てた最期の手紙がありました。

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 四月二十日

 最後の基地 知覧飛行場へ参りました
 兵舎は爆撃の為に毀れて居ります
 余りのなつかしさに 私のかつて寝たと思われる所を歩きまわりました
 知覧で操縦をおぼえ知覧をとびたって終わりになろうとは
 明日はいよいよ出撃です
 花々しく戦います
 花々しく戦って必ず敵艦を屠ります

 皆さん御安心下さい
 私の心はいま日本晴です

 お母さん
 おばあさん
 お父さん
 おじいさん
 皆さま
      さようなら

 四月二十日 二十一時三十分
 (「渡辺少尉が母宛に綴った日記」より)

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明日出撃することが決まると、この三角兵舎に宿泊し、酒と最後の晩餐が用意されました。
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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 パリの歓楽街の踊り子や、娼婦たちなど、世紀末の頽廃を好んで描いた画家ロートレックは、南フランス最古の都市といわれるアルビで、1864年11月24日に生まれました。
 父は中世フランス王家の血筋をひく貴族で、母はその従妹(いとこ)でした。
 血族結婚のせいか、ロートレックは生来病弱で、よその子どものように、戸外で活発に遊ぶことなどは出来なかったようです。
 それだけに家族からは“小さな宝石”と呼ばれ可愛がられ、いつしか室内で絵筆を握るようになりました。
 そのころのノートや、教科書のスミに描いたデッサンを見ると、早くも画家としての天分を十分に発揮していることに驚きます。

 病弱に加え、少年期に左足や右足大腿骨を骨折し、体が不自由なため、本格的な絵の勉強をするため、18歳のときにパリに出ました。
 彼はモンマルトルにアトリエを持ち、ここでドガやゴッホなど、のちの巨匠たちと知り合いになりますが、同時にお金持ちの坊ちゃんとしてチヤホヤされ、毎晩、酒と女に明け暮れる生活を過ごしました。
 彼が歓楽街の踊り子や、場末の娼婦たちの中に浸っていたのは、日本でいえば永井荷風と同じように、その内側から、彼女たちの生活を通して人生を見ようとしたものと思われます。
 世紀末の頽廃といわれながらも、虚飾のない裸の人々のなかに、彼なりのやすらぎと、生きがいを感じていたのかもしれません。
 惜しいことに、その不健康な生活がたたり、わずか37歳という若さで亡くなってしまいました。
 パリで、ムーラン・ルージュあたりを散歩すると、なんとなくロートレックを思い出します。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 屋久杉でつくられた作品
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 首のところにリングを入れたこけしを作っていました
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 鹿児島のお茶畑。静岡に次いで日本第二位の生産。暖かい鹿児島でもお茶は霜に弱く、霜がたたないように扇風機を回していました。

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 知覧特攻平和会館を見たあとは、知覧の武家屋敷へ行きました。8つほど武家屋敷が観光客向けに開放されていました。そのうちの一つである「佐多直忠邸」は子孫の方が御座敷にいて、お庭の説明をしてくださいました。庭を見たときに遠山からの借景になっているのは子孫繁栄を願って作られているとのこと。そして、庭の石の裏側を見て御覧なさいとおっしゃるので、覗くと石がくり抜かれていました。遠くから運ぶため、石を少しでも重量を減らしたそうです。
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またお屋敷の壁を見るとオレンジ色の壁になっており、特定の部屋の壁がそうなっていました。出水のときと同様に当主あるいは長男だけがそのオレンジ色の壁の部屋にしか入れなかったそうです。妻、次男以下、娘は入ることを許されませんでした。
また葬儀のときの焼香の順番も、当主、長男、妻の順番になるそうです。母親である妻は常に長男の次の順位であり、現在もその当時の風習が受け継がれているそうです。

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そして最後に桜島が見えるところに行きました。白い噴煙を上げており、駐車している黒い自動車の屋根を見ると、火山灰が降り積もっていることがわかりました。桜島の前の海は澄んでいました。

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南国・鹿児島の旅  これにて完
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by ryott-ryott | 2010-12-11 19:30 | 南国・鹿児島の旅 | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、出水の鶴に会いに行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 11月22日(月)、南国の旅、3日目。この日は朝から雨、しかし西から天気は回復し、夕方には晴れ間が広がるとの予報でした。
 私に南国の旅を決意させたのは、出水に来る1万羽の鶴を見てみたいとの思いでした。私が仕事で鹿児島の出水市を訪れたのは9月。鶴はまだ1羽も飛来していませんでした。

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 出水市のホームページで現在の鶴の数を確認すると、9000羽が飛来しているとのこと。ほとんどの鶴はナベヅルであり、ロシアや中国で繁殖し、この時期に鹿児島まで渡って来て越冬します。
 鶴の居るところは柵で目隠しされており、夜間などに車のヘッドライトが鶴にあたらないようにしています。鶴を見ることが出来るという展望台へ行く途中にも、田んぼや畦道に鶴を見ることが出来ました。しかし、鶴は警戒心が強く、車や人の気配を感じるとスーッと遠ざかっていきます。
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 展望台の近くにも観察小屋があり、餌付けをしており、主に麦を与えているそうです。鶴は雑食で魚、昆虫、穀物、野菜など何でも食べるそうです。ある程度、餌付けをしないと畑の作物を食べてしまうことがあるために餌付けを行っているとのことでした。
 餌付けされた鶴は人にも慣れて、簡単に近づいてくるそうですが、私が行った時にはまだその段階にはなっていませんでした。鶴が飛来しはじめ、2ヵ月くらい経った12月ごろから、餌付けされた鶴が田んぼや畑が隣接する民家にも出没する姿も見られるそうです。
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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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アメリカのケネディ大統領というと、思い出すことが5つあります。
第一は、大統領就任のときの名演説です。
「アメリカの国民諸君!諸君は国家が諸君に何をなすかを問い給うな。諸君が国家に何をなしうるかを問い給え。人類の自由と平和のために、我々が何をなしうるかを問い給え!・・・・・」この格調高い就任演説は、リンカーンの「人民の、人民による、人民にための政治」といった、あの名演説とともに、歴史に残る感動的な演説です。

第二は、キューバ島に建設されたソ連ミサイル基地の撤退を求めた時の毅然とした態度です。さすがのフルシチョフも撤退に応じました。

第三は、あの暗殺です。たまたま、日米間にテレビの衛星中継が開始された当日だっただけに、意外な大事件の報道に、みんながびっくりしてテレビの前に釘付けになりました。
 1963年11月22日、将来を期待されていた若きアメリカ大統領ケネディは、遊説先のダラス市内で、オズワルド青年の凶弾に倒れてしまいました。享年46歳でした。
 
第四は、弟ロバート・ケネディの暗殺です。ケネディ家には、不幸な事件が多発しました。呪われた家系なのでしょうか。それともCIAの謀略だったのでしょうか。
 
第五は、ジャクリーヌ夫人の再婚です。あの悲劇の大統領夫人が、いくら優雅な生活に憧れたからといって、ギリシャの大金持ちオナシスに嫁ぐとは、日本の常識ではとても考えられないことです。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 日本一のお地蔵様
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 日本一の鈴

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 出水の武家屋敷。ここでNHK大河ドラマ「篤姫」のロケが行われました。佐々木すみ江扮する菊本が宮崎あおいの「篤姫」を追いかけるシーンがここで撮影されました。そのシーン撮影で石畳に躓いて、佐々木すみ江が転んでしまったと武家屋敷の方が説明していました。018.gif018.gif018.gif018.gif037.gif
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武家屋敷はバリアフリーではなく、部屋と部屋との敷居に10 cm程度の段差があります。武家社会では、その家の当主は絶対的な存在であり、その段差から先の部屋には当主、あるいは長男しか入ることが許されませんでした。当主の妻、次男以下、娘は段差の下までしか来ることが出来ず、当主に声をかける時は敷居の段差の下側に正座して、ご主人さまにお声かけすることをしていたそうです。いまの岡田家とは逆の完全な男性社会でした。018.gif018.gif018.gif018.gif
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鶴とお地蔵さんと鈴と武家屋敷を見て、出水の駅に戻って来ました。だいたいの所要時間は2時間半。その間、すべて観光タクシーに乗車して周りました、その代金は5000円。東北、北海道では1時間で7000円位であったことに比べると、なんて安いことでしょうか。しかも、わがままな私が「ここで写真を撮りたい」というと、ちゃんと停まってくれます。
これで晴れていたら最高だったと思います。

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出水市は鶴と武家屋敷が有名で、バスで観光客が見に来るそうですが、出水市には大きなホテルや旅館はなく、ほとんどが霧島に宿泊しているお客さんがバスに乗ってやって来て、バスに乗って霧島へ帰っていくそうです。したがって、観光客がいなければ、街の中には人は少なく寂しい佇まいでした。出水市の産業の一つに、植木の樹木の生産を行っており、特に中国などに輸出している樹木の80 %が出水で生産されたものだそうです。出水市の樹木は「イヌマキ」という樹で、神社仏閣などに好んで植えられており、先日、京都のお寺さんが樹齢300年ほどのイヌマキを8本購入されていったそうです。そのお値段、1本1000万円。京都のお寺さんでないと、できない買い物だと思いました。
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出水の駅で「みかん地蔵」を買いました。
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黒豚のとんかつ。

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新幹線「つばめ」、特急「なのはなデラックス」に乗って、指宿に戻って来ました。朝から降っていた雨もやんで、陽が差してきたので、開聞岳が見えるところに立ち寄ってもらい写真を撮りました。開聞岳の頂上付近に北側から流れてきた雲が巻きつくように周って、、南側へ消えていきました。この雲を「巻き雲」といい、このような雲の流れのときは天気が回復傾向だと地元の方がおっしゃっていました。台風が近づいているときは、雲が東側から南を通って西に流れており、地元の人は「雲」を見て的中率100 %の天気予報をしていました。
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To be continued.
南国の旅はまだまだ続きます。

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旭ガニ
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カワハギ
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ウツボ
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by ryott-ryott | 2010-12-04 21:47 | 南国・鹿児島の旅 | Comments(2)

いい歳、りょうちゃん、開聞岳周辺散策ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 南国の旅のつづきを書く前に、土曜日はじゃんけんぽんでボジョレーヌーボーの試飲会がありました。今年の解禁日は11月19日(金)でしたが、私が飛び石連休に鹿児島へ行くことを予定していたので、トントンさん、春さんが試飲会を27日(土)に延ばしてくれました。
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 今回の試飲会には皆さん、ご予定があったようであり、大井町湯屋チームは私だけでした。春さんが、第一三共製薬の世捨て人チームのテーブルに席を用意してくれました。
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 普通にしていても変顔なのに、もうすこし写真写りを考えてもらいたいものです。
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 春さんたちが通う整体の先生ご夫妻ともご一緒しました。整体の先生と聞いていたので、かなりの年配者かと思っていましたが、かなり若い方でした。私が通っている整体の先生も私よりは年下でした。しかし、私より年上に見えます。

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 世界的に権威のある「ノーベル賞」は、ダイナマイトを発明したスウェーデン人のアルフレッド・ノーベルがそのダイナマイトによって得た巨万の富を財源に、彼の遺言によって設けられた賞です。
 物理学部門、化学部門、生理学並びに医学部門、文学部門、国際親善並びに平和部門、経済学部門の6つの分野で、日本でも湯川秀樹、川端康成、佐藤栄作、朝永振一郎、福井謙一、江崎玲於奈の6人が受賞しています(その後、利根川進、大江健三郎、白川英樹、野依良治、小柴昌俊、田中耕一、下村修、南部陽一郎、鈴木章、根岸英一の10人が受賞)。
 この「ノーベル賞」が設けられた背後にはこんなエピソードがあります。
 1888年4月12日に、彼の兄ルードウィヒ・ノーベルが亡くなりました。どう間違ったのか、フランスのある新聞が、弟である彼の死亡記事をのせ、追悼文までのせました。
 ダイナマイト発見の大きな功績を称えながらも、そのダイナマイトが戦争の凶器として猛威をふるい、世界の人類はその悲しみに沈んでいる。彼はその悲しみをよそに莫大な利益を挙げた、いわば「死の商人」であった。と・・・・・・
 自分の死亡記事を読んでノーベルはびっくりしました。同時に自分のことを世間では「死の商人」とみられていることを知って、大変ショックでした。
 彼は理想主義者で、技術の進歩が平和をもたらすと信じていました。世間はそう思っていなかったのです。
 彼は1895年11月27日、63歳で亡くなるまで独身でした。財産を譲る人がなかったことも幸いし、「人類に貢献した人にこの財産をわけ与えたい」という彼の遺志で、この賞が生まれました。
 日本でも「死の商人」に近い、あこぎな金儲けをして財産を残した人はたくさんいます。彼らにもこの逸話を教えてあげたいと思うのですが・・・・・。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 11月21日(日)、開聞岳の登下山を無事に終えて、開聞岳展望台へ戻ってきたのは下山開始後2時間30分の13時30分でした。ホテルへの送迎バスは近くのゴルフ場から出ていると言われていました。近くと言っても、歩いて30分ほどかかりました。途中、とぼとぼ歩いている私を見た地元の人が道に迷ったのかと声をかけてくれました。
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 ゴルフ場に14時00分に到着。しかし、送迎バスの発車時刻は15時50分であり、まだ2時間近くありました。そう言えば、出発前にホテルからは15時50分までにゴルフ場まで戻って来てくださいと言われておりました。すぐにホテルに電話をして、送迎バスの予約をキャンセルし、ゴルフ場でタクシーを呼んで、ホテルに帰ることにしました。
折角なので運転手さんにお願いして開聞岳全景が見えるところに寄ってもらうことにしました。まずは開聞岳の麓にあるトカラ馬がいる公園に行きました。ここはかつてはレストランなどがあり、「新婚さん、いらっしゃい」の収録も行われたことがあり、たくさんの観光客が訪れていたそうですが、バブル崩壊後に経営が破たんし、建物・公園を管理するだけになっているそうです。

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 開聞岳山頂にあった御神体を祀る枚聞(ひらきき)神社。樹齢800年のクスノキがあり、その幹の分かれ目から桜の木が生えています。当然ですが、春になるとクスノキに桜の花が咲くそうです。
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 開聞岳は池田湖側から見た山容と、南側の海から見た山容を比べると、海から見た開聞岳のほうがはるかにきれいだとおっしゃっていました。開聞岳を紹介しているガイドブックに載っている写真はこのアングルで撮影している写真が多いそうです。
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 九州一の淡水湖、池田湖。
 
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 池田湖にはイッシー伝説があり、こんなウナギが生息しています。現在ではこの大ウナギは天然記念物に指定されており、捕獲が禁じられていますが、かつては取って食べていたそうです。話を聞く限りでは、おいしくないそうです。
 またイッシーの正体は大ウナギだと考えている人も多いようですが、大ウナギは夜行性であり、昼間に目撃されていることから、大ウナギ以外の巨大生物だと主張する方もいます。イッシーは騒がれた9年前には数多く目撃されましたが、その後、目撃されなくなっています。

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 最後に長崎鼻へ寄ってもらい、そこからの開聞岳も見ました。
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 夕陽も見えました。
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 ホテルに帰る途中、東の空には十六夜(いざよい)の月が昇って来ていました。

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To be continued.
つぎの南国の旅は出水の鶴を訪ねました。

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指宿駅の近くにあるお店「さつま味」を紹介してもらいました。
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きびなごの刺身
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黒豚
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白子の唐揚げ
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自然薯
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月日貝(つきひがい)
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by ryott-ryott | 2010-11-30 01:41 | 南国・鹿児島の旅 | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、開聞岳にチャレンジするヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 大井町湯屋に二股温泉のお湯が入るとの宣伝がありましたが、壁に炭酸カルシウム97 %の石が入った籠に湯を通すというものでした。私が茨城県へ出張に行くときによく利用するホテルテラスザガーデンの浴場と同じものでした。
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 今回、南国の旅で泊まった宿は指宿いわさきホテルです。大浴場のほかに砂むし温泉があり、温泉で温められている砂の上に横たわり、首から下の体全体に砂をかけてもらう蒸し風呂のようなものです。あいにく写真はありませんが、11月21日は月を見ながら室外での砂むし温泉に入りました。しかし体重は減りませんでした。
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 最初は砂場に温泉か温めた水を流しているのかと思いましたが、砂場の下から温泉が湧いており、砂が温められているとの説明を受けました。砂むし温泉の温度は刻一刻と変化しています。これは海の潮の干満に影響されるためです。潮が満ちてくると、砂の下の温泉が持ち上げられて、砂の温度が高くなります。その逆に潮が引いて行くと、温泉も降下するため砂の温度も下がります。私は潮が引いたときの砂むし温泉がちょうどよいと感じました。満潮時は熱くて、お尻が火傷するのではないかと思い、15分も入っていられませんでした。
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 大隅半島の向こう側から昇る朝陽がとてもきれいでした。

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 “一休さん”は頓知のきく小坊主として、子どもの世界でも漫画やテレビでおなじみです。
 一休の諱(いみな)は宗純といい、後小松天皇の子ともいわれますが、京都に生まれました。6歳のとき、安国寺という禅寺に入り修行しましたが、20歳のころには悟りを開くことができないのを悲観して、琵琶湖に身を投げたこともあります。

 一休はその後、華叟宗曇(かそうしゅうどん)という名僧に師事して悟りを開き、81歳のとき、勅命で、天下に名高い京都の大徳寺の第46代の住職となり、紫衣を賜りました。『自戒集』のほか、詩集『狂雲集』などの著作もあり、文明13年(1481年)11月21日、87歳で亡くなりました。

 頓知と奇行は有名ですが、彼らしい逸話があります。「一休の遺言状」です。一休和尚は臨終のとき、遺言しました。
「この遺言状は、自分が死んでもすぐに開けてはならぬ。本堂の仏壇の中に大切にしまっておき、百年二百年の後の世の中で、一山興亡という一大事が生じ、衆知を集めてもその結論がでない危急の際に限って読むがよい。そうすれば、その大事件の解決方法がたちどころにわかるだろう。」

 その後、長年にわたって遺言状は開封されずにいましたが、ついにあるとき、大徳寺本山の浮沈にかかわる大問題が起きました。山内の名僧智識が集まって鳩首協議をしましたがよい知恵がでません。
 そのときだれかが一休の遺言状を思い出し、早速開けてみました。
 「ナルヨウニナル、シンパイスルナ」これが全文です。満座は思わず、アッといいました。いかにも一休和尚らしい話です。最善を尽くせば、あとは新しい道が開けるという話です。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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南国の旅、2日目は開聞岳に挑戦しました。標高924 m。錦江湾の入り口にたたずむ開聞岳は、きれいな円錐状の山で薩摩富士とも呼ばれるとおり、富士山のように美しい山です。海外から日本に航海する船にとっては、この開聞岳がよい目印になっており、以前は「海門岳」と書かれていた時代もありました。かつてフランシスコ・ザビエルもこの開聞岳を目印に航海し、鹿児島市の祇園の洲海岸、現在、石橋記念公園があるところに上陸したと言われています。
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この日はとてもいい天気。ホテルの庭で大隅半島から昇る朝陽を拝み、朝7:20ホテルの送迎バスで開聞岳展望台のある2.5合目の登山道入り口へ向かいました。開聞岳に登山するために県外からに訪れる人も多く、とても流行っていると聞きましたが、送迎バスに乗っているのは私ひとりだけでした。
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バスに乗ること約30分、展望台の先にある登山道入り口前に到着しました。簡単なストレッチを行って、入口に置いてあった台帳に、登山開始時刻、氏名、住所を書き込み、いよいよ登山開始、午前7:50。開聞岳の登山道は頂上までカタツムリの貝のようにらせん状になっています。ホテルからの送迎バスには私ひとりしか乗っていませんでしたが、たくさんの方が登山道を往来していました。早い人は午前4時に登って、頂上でご来光を見て、下山するという登山者もいて、午前8時30分くらいに下山する数人の方とすれ違いました。
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7:50 登山道入り口 2.5合目。
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登山道に入るといきなり、こんな道。よく晴れているのに山道は薄暗かったです。
結構、岩が多いです。
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8:20 4合目を過ぎると階段がありました。
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8:40 5合目からは長崎鼻と竹山が見えました。
この前後で下山する人たちとすれ違いました。
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9:20 7合目から岩も大きく、多くなり、傾斜がきつくなりました。
   そして何人もの年配登山者に追い抜かれて行きました。041.gif
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登山道に大きな穴があり、足場に気を使いながら登りました。開聞岳が噴火した時に溶岩で洞窟がせり上がり、仙人洞と呼ばれています。昔、山伏たちがこのほら穴に入って修行したと言われています。しかし入ってしまったら、二度と出ることができないと思います。042.gif
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8合目からさらに険しくなり、9合目から枕崎方面の海岸線を眺めることができました。
時刻のチェックを忘れていました。
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そして、こんなところにハシゴとロープが。
しかし、ハシゴがかけてあったため安心して登ることが出来ました。

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このあとも頂上まで、かなりの傾斜があり、しかも岩場の山道が濡れているため、滑ります。そんな山道を、さきほど私を追い抜いて行った年配者集団がスイスイと下山して来ました。私がこんなに足場を気にしながら登っているのに、年配者たちはそんなことに気を取られるといった様子はなく、流れるように下りて行きました。滑落してもいいと思いながら下山しているのでしょうか、そんなベテランの年配登山者の方たちに「あと少しなので頑張ってください。」と声をかけられました。
山登りのよいところは、行き交う人たちと挨拶を交わしながら、時には自分と同じペースで登っている人たちと話をしながら登山することで少しホッとし、険しい道が続く苦しさが半減することではないでしょうか。
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10:30 登山開始から2時間40分。ようやく山頂に到着。三角点922 m、標高924 m。
持って行った焼き芋とたい焼きを食べながらしばしの休憩。
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北側に池田湖が見えました、そして長崎鼻、竹山。枕崎方面。桜島からの噴煙と、中国からの黄砂の影響で景色は霞んでいましたが、天空は雲ひとつない青空でした。
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30分ほど、写真を撮りながら休憩したあと、枚聞(ひらきき)神社ご神体に無事登頂できたことへのお礼と、これから無事に下山できることをお願いして、11:00に下山開始。

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急な斜面と山道が滑るため、下山は登りよりも気を使いました。写真を撮る余裕はありませんでした。下山でも何人もの人に追い抜かれて行きました。しかし、肝心なのは自分のペースを守ることだと言い聞かせながら、下山を続けました。ハシゴ、急な岩場の山道、仙人洞を通過して、7合目まで戻ってきたあたりから、安心して下山できる山道になりました。
先ほど、私を追い抜いて行った若者のひとりがペースを落とした年配者をサポートしながら下山していました。私もその二人と一緒に下山を続けました。そのおばあちゃんは「男の人ふたりと一緒に下りることが出来て、何とも心強い。」と言ってくれました。私もお二人と一緒に下山できて、安心して、楽しく、登山口まで戻って来ることが出来ました。

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13:30。登山時に記入した台帳に下山時刻を書き入れて、開聞岳挑戦は無事に完了。
 開門岳展望台のまわりには、つわぶきの花がたくさん咲いていました。

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To be continued.
南国の旅はまだまだ続きます。

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by ryott-ryott | 2010-11-28 11:27 | 南国・鹿児島の旅 | Comments(2)

南国の旅の始まりは酒蔵見学からヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 11月の飛び石連休に九州・鹿児島へ行ってきました。今回の旅の目標は2つありました。1つは出水(いずみ)の鶴を見ること、そしてもうひとつは開聞(かいもん)岳にチャレンジすることでした。4連休は22日の半日だけが雨で、その他はとてもいい天気でした。
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 鹿児島旅行記の前に、大井町湯屋仲間のてらりんさんから山登りをするためのアドバイスをいただきました。コンパスと登る山の細かい地図を持っていくことを勧められました。開聞岳の地図は手に入らなかったのですが、コンパスをお台場のアウトドアショップに買いに行きました。あんな、おもちゃみたいなものが3000円もすることに驚きました。仕方なく購入し、今回の鹿児島旅行へ持参しましたが、開聞岳のどこかで落としてしまったらしく、一度も方位を確認することなく失くしてしまいました。
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 帰りにお台場海浜公園へ立ち寄ると、年配者たちが一眼レフカメラを片手に撮影の練習をしていました。

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 鋭い皮肉と辛辣な警句を吐く爺さんとして知られる、イギリスの劇作家バーナード・ショーは、1856年7月26日、アイルランドで生まれました。
「世界で一番面白い冗談は、本当のことを言うことだ。」毒舌家でもあるショーは、はじめ新聞記者でしたが、社会主義運動家になり、音楽評論家になり、最後に劇作家になった人です。
機知と風刺のきいた作品には定評があり、1924年にはノーベル文学賞を受賞しました。1950年11月20日94歳で逝去しました。

 アメリカは好きでなかったとみえ、アメリカ旅行から帰ったとき、感想をこう述べています。
「私はみんなから皮肉の大家といわれるが、まさか、ニューヨークの港の入口に、自由の女神がたっていようとは、気がつきませんでした。」
万事こんな調子でした。その軽妙なジョークを、二つ披露しましょう。

■雑誌記者がショーの家に取材に来ました。
 「楽天主義と厭世主義の違いは?」
 「それはやさしいことだ。たとえばウィスキーが半分入っているボトルをテーブルに置いてみたま  え。“しめた、まだ半分残っているぞ!”と思う人は楽天主義者。“しまった。あと半分しか残  っていない”と思う人は厭世主義者だ。」

■ショ―の出版記念パーティーの席上、司会者がショーに質問しました。
 「先生がいままでお読みになった書物で、一番お役に立ったものはなんですか?」
  ショーは皮肉っぽい顔でこう答えました。
 「それは銀行の通帳サ・・・・・」
 (小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 以前報告しましたが鹿児島出張の仕事があり、鮮やかな桜島とおいしい食べ物に出会い、仕事ではなく、これは遊びに行かなければと思い、今回初めて鹿児島県へ旅行に行きました。
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 いつも試飲会でお世話になる西山さんが、私が鹿児島へ行くということを春さん、トントンさんからお聞きになって、それならばと、国分酒造さんを紹介してくださり、初日は宿泊先への移動の前に、霧島・国分にある「国分酒造」さんの工場見学をさせてもらいました。
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「国分酒造」さんは「蔓無源治」や「芋」の銘柄の焼酎で知られており、鹿児島空港から車で20分のところにありました。工場入口には霧島山系川原渓谷伏流水の水汲み場があり、硬度の少ないやわらかい水が絶えず湧き出していました。この水を仕込み水にしており、分析の結果、雑菌がゼロだそうです。
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 工場に着くと、インド米の稲穂の説明がありました。国分酒造ではこのお米で麹を作っています。インド米、タイ米はおいしくないという先入観がありますが、このお米はごはんとして食べると甘くてとてもおいしく、インドの王様がなかなか他の国へ出さないとおっしゃっていました。
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蔓無源治の株
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工場裏手には袋の中にお芋がたくさんあり、ベルトコンベアで運ばれて、まずは芋洗い機に入って行きます。羽根のついた棒を回転させて、泥と皮を洗い落とします。昔は人が手作業で洗っていました。
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紅隼人
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蔓無源治
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 洗った芋は選別機の方へ流れていきます。ここでは人が芋を目視で、痛んでいないかどうかを判断し、痛んでいる部分があれば、包丁で切り落とします。
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 選別して適当に切られた芋は巨大な蒸し器へ投入されま
す。1基5トンまでの芋をふかすことができ、2基10トン分の芋をふかします。付加された芋は裁断機を通して細かくし、あらかじめ作っておいた米麹と混ぜて、発酵させていきます。
 
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芋焼酎なので原料は芋だけかと考えていましたが、昔から必ず米を混ぜるそうです。現在では技術が発達して、芋だけを原料にした焼酎を作ることが出来ていますが、ふつうは芋だけでは焼酎をうまく作れないとのことでした。芋5に対して米1の割合で混ぜ、九州の芋焼酎はすべて、芋:米=5 : 1の割合で焼酎を作っています。
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 発酵が終了したものは蒸留機へ移され、蒸留して、芋焼酎が完成します。
 巨大な蒸留機。

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 蒸留の残りかすはその日のうちならば食べることができますが、日持ちしないため、堆肥にします。蒸留の残りかすがトラックのタンクに引き取られています。
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 蒸留した焼酎は70 kL(キロリットル、1 kL=約1トン)あるいは90 kLのタンクへ貯蔵され、その後瓶詰めされて出荷されていきます。
一通りの工場見学が終わった後に、工場の前にある小さな芋畑で芋掘りをさせてもらいました。焼酎を作る芋は工場から車で30分かかるところにあるため、工場の人が常日頃、畑の状態を確認することが難しいため、工場前に芋畑を作って、その芋畑を観察することにより、遠く離れた畑の状態を管理しているとおっしゃっていました。小さな畑に害虫が来れば、離れた畑にも同じ害虫が来ており、この小さな畑を通してお芋の品質管理を行っています。そしてときどき山からイノシシが下りてきて、この小さな畑のお芋を食べているそうです。とくに子どもを連れたイノシシは凶暴で、人に向かってくるそうであり、その牙に引っ掛けられたら、たいへんな怪我をするようです。

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 掘った「紅隼人」をお土産にいただき、「国分酒造」さんを後にしました。電車に乗車するまですこし時間があったので、近くの展望台に寄ってもらいました。いいお天気でしたが、桜島から噴煙が上がっており、一帯は遠くまで白く霞んでいました。
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 乗ったタクシー会社では焼き芋の販売もしているというので1袋購入(500円)して、電車の中で食べながら、宿泊先の指宿へ向かいました。

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To be continued.
鹿児島の旅はまだはじまったばかりです。

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by ryott-ryott | 2010-11-25 16:26 | 南国・鹿児島の旅 | Comments(0)