カテゴリ:東北太平洋沖地震( 1 )

避難経路と変人シェフの店(^o^)丿

旅行・地域
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 3月11日(金)午後2時45分、大きな地震がありました。その時、私は執務室にいました。、何やら建物全体が揺れている様子。その揺れは、徐々に大きくなり、大きな横揺れに変わっていきました。1分以上は揺れていたのではないでしょうか。積み上げられている書類が崩れ、机の引き出しが飛び出すなど、今までに経験をしたことにない地震の揺れでした。
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 私が子どもの頃は、震度4程度の地震は関東でもけっこう頻繁に起こっており、その当時、大正12年(1923年)の関東大震災から50年以上経っているので、周期的に考えるとそろそろ関東に大きな地震、しかも直下型大地震に見まわれる日も遠くないと言われてきました。 関西に住む親戚から「東京は地震が多いから、こっちへ引っ越しておいでよ。」とよく言われたものです。しかし、関東よりも早く、関西地方で阪神淡路大震災が起こったのは記憶に新しいところです。
私の家の近所の道路を整備して、大井埠頭までの避難道路を通す計画があり、40年経った現在、ようやく少しずつ避難道路が通りつつある状況です。
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 大きな横揺れがおさまってから、執務室から窓の外を見ると、その方角から火災によると思われる黒煙がもくもくとビルの裏から上がっていました。そして、最初の揺れから30分近く経った午後3時11分、再び大きな縦揺れがありました。あとで報道番組で確認したところ、長野県を震源とした地震であり、最初の地震とは違う地震だったようです。
 しばらくして職場から「帰ることが出来る人は、帰ってもよい。」との指示がありました。ただし、東京メトロもJRも私鉄各線も全線不通になっているとのことでした。
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 私は職場の月島から大井町湯屋のある大井町まで歩いたら2時間ほどで家まで辿り着けるだろうと考え、16:00に職場を出ました。エレベーターは停止していたため、非常階段を降り、外へ出ました。外の様子はいつもと全く変わりませんでしたが、勝鬨橋前に来ると、やはり東京メトロでは帰ることが出来ず、電車で帰ることをあきらめた多くの人が、銀座・有楽町方面へ向かって歩いていました。070.gif
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 16:30銀座のITOCIAが見える交番のある交差点まで来ました。そろそろ電車も動き出すのではと考えていましたが、交番のお巡りさんからのアナウンスでしょうか、スピーカーから「現在、東京メトロ、JR全線、私鉄各線は全線不通です。新橋駅から各方面へ向かうバスが出ています。」とのお知らせがありました。もともと家まで歩くつもりでいたので、覚悟を決めて、大井町を目指して再び歩き出しました。070.gif
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17:00新橋駅に到着。当然ながらまだ電車は動いていません。バス停はありましたが、バスの姿はなく、バスを待つ人の長蛇の列。SL広場では多くの人が競輪車券売り場のターフビジョンに映し出されている地震ニュースの模様を固唾をのんで見ていました。
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17:30大門浜松町駅前に到着。すでに歩道は歩いて家路に向かう人で溢れんばかりで、中には車道の脇を歩いている人もいました。070.gif
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17:45 田町に到着。ちょうど日の入りの時刻くらいで、徐々に薄暗くなり始めています。058.gif
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18:00 芝4丁目交差点の交番前、品川駅まであと3 kmの表示。この時点で職場を出て2時間が経ってしまいました。大井町までまだまだかかりそうです。

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18:20 京急泉岳寺駅前を通ってようやく品川駅前に。ここでもバス停にはたくさんの人がバスを待っていました。私はさらに南の方へ進み、五反田方面へ。ここで役に立ったのは「震災時帰宅支援マップ」(旺文社)でした。五反田まで行かずに、途中で左折して大崎駅の方へ向かいました。大崎駅から自宅まではよく歩いて行ったことがあり、20分ほどで帰ることが出来ることがわかっていたからです。ここまで来るとほとんど人は歩いていませんでした。
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18:57 目黒川の橋を渡って、大崎駅に到着。まだ電車は動いていませんでした。駅のアナウンスでは、東北新幹線については、この日はもう運行しないことを伝えていました。
大崎駅と言えば、あの「変人シェフ」が勤めているイタリアンのお店「OTTO」があるではありませんか。私の中で急にいたずら心が湧き、OTTOを覗いてみると、普通に営業していました。ホールの方が「今日はどうしたんですか?」と聞くので、「職場から歩いてきて、ここに辿り着きました。」と答えました。店は地震の騒ぎがなかったかのように、ほぼ満席で通常の営業がされていました。
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ホールの人から「職場が月島なら、お台場まで行って、そこから大井町へ向かうバスに乗れば、もっと早く家に帰ることが出来たのに、そんなにあの男に会いたかったんですか?」と言われました。あの男とは変人シェフのことです。呼ばなくてもいいのに、ホールの人が厨房から変人シェフを呼んで来てくれました。変人シェフは相変わらず愛想がなく「どうしたの?歩いて来たの?あっそう!」と言って、またそそくさと厨房へ引っ込んでしまいました。ホールの人が「お客さんなんだから、もっと愛想良くして。」と言うのが聞こえました。037.gif
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私は炊き出しのカレーでも食べようかと思いましたが、カレーはもう売り切れてしまったとのこと。適当におつまみと、ビール、ワインを飲み、炊き出しのラザニアを食べました。
19:30過ぎに変人シェフの店を出ました。ホールの人に「もう帰ってしまうんですか?」と言われましたが、約3時間大崎まで歩いてきて、歩くこと自体は何ともないのですが、その間、スギ花粉にさらされ続け、私の目、鼻、皮膚はかなりしんどい状態でした。
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20:00ちょっと前に自宅に到着。OTTOへの寄り道を抜かせば、3時間半の歩いての帰宅でした。本棚から何冊か本がこぼれ落ちていました。それ以外は大きな異変もなく、ガスの遮断を元に戻して、風呂を入れました。

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(銀色の道/うたごえ喫茶)

(銀色の道/ダーク・ダックス)
銀色の道(作詞:塚田茂、作曲:宮川泰、歌:ダーク・ダックス)


遠い遠い はるかな道は
冬の 嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとりひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが 頑張ろう
苦しい坂も 止まれば下がる
続く続く 明日も続く
銀色のはるかな道

続く続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
二人の星よ 照らしておくれ
近い近い 夜明けは近い
銀色のはるかな道
はるかな道
はるかな道

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昭和20年(1945年)3月10日は、太平洋戦争末期、米軍のB29による本格的「東京大空襲」のあった日です。

 そのときの模様を、作家の加賀乙彦が『帰らざる夏』で、こう書いています。
「さて3月10日だ。これはおそらく帝都が今までに受けた最大の空襲であろう。被害も甚大だ。気象条件が悪かったところへ、敵の戦術が巧妙だった。北の裂風中に一機ずつが超低空で飛来し、風上へ風上へと投弾していった。浅草、本所、深川、向島、城東の大半が烏有に帰した。日本橋、下谷、京橋、本郷、神田の3分の一乃半分以上は焼かれた。麹町、牛込、荒川、麻布、芝にも損害がある。
 父は保険会社にいる関係上、被災者数の概算をしているが焼失戸数26万戸、被災者数百万と推定される。まさに関東大震災の時と同じ規模の大火災だ。・・・・・・・」

たしかに、広島、長崎に投下された原爆の災禍以前では、最大の大空襲だったと思います。加賀乙彦は、名古屋の幼年学校在学中に終戦を迎えた人で、おそらくそのころの体験が『帰らざる夏』(谷崎潤一郎賞)の素材になったのでしょう。

 彼は本名小木貞孝。昭和28年に東大医学部を卒業した精神科医です。3年間フランスに留学、パリで辻邦生を知って影響を受け、作家に転向、その後上智大学教授もつとめています。
 短編が得意で『加賀乙彦短編小説全集』(全5巻・潮出版)が出ています。
 大空襲のこの日、現在の江東区砂町に住んでいた俳句の石田波郷が戦災に遭っています。彼の作品の中に『三月十日』と題する句があります。

        降る雪や傘にあまりて供華の枝  石田波郷

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(中島みゆき/一期一会)

一期一会(作詞、作曲、歌:中島みゆき) 060.gif

見たこともない空の色 見たこともない海の色
見たこともない野を越えて 見たこともない人に会う
急いで道を行く人もあり
泣き泣き 道を行く人も
忘れないよ遠く離れても 短い日々も 浅い縁も
忘れいで私のことより あなたの笑顔を 忘れないで

見たこともない月の下 見たこともない枝の下
見たこともない軒の下 見たこともない酒を汲む
人間好きになりたいために
旅を続けて行くのでしょう
忘れないよ遠く離れても 短い日々も 浅い縁も
忘れいで私のことより あなたの笑顔を 忘れないで

一期一会の はかなさつらさ
人恋しさをつのらせる
忘れないよ遠く離れても 短い日々も 浅い縁も
忘れいで私のことより あなたの笑顔を 忘れないで
忘れないよ遠く離れても 短い日々も 浅い縁も
忘れいで私のことより あなたの笑顔を 忘れないで
あなたの笑顔を 忘れないで

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 今週は東北地方でおおきな地震があり、東京は大きな被害はなかったようですが、皆さん、帰宅の足を奪われて、かなり大変だったようです。最近よく登山をご一緒する大井町湯屋仲間のよしこさんから土曜日の朝に電話があり、土曜日の朝5時30分に帰ってきたそうです。東京の方では停電はありませんでしたが、神奈川県は停電があり、夜10時半まで電気がつかなかったそうです。
 よしこさんと後で大井町湯屋での大暴れアクアで会いましょうとの約束をしましたが、地震の影響か大井町湯屋は休館になってしまいました。大井町湯屋だけではなく、アトレ全館がお休みでした。地震の影響で臨時休業するとのこと、しかも再開の目処もたっていないとの記述もありました。お隣のイトーヨーカ堂は平常の営業をしているのに、大井町湯屋はどうなってしまうのでしょうか。
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 この日は夕方から川崎にある西山さんのお店で1960年代のワインの試飲がありました。じゃんけんぽんのトントンさん、春さんと川崎で待ち合わせて、南武線の矢向(やこう)まで行きました。川崎、尻手、矢向で川崎から3番目です。
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当初、アトレでおつまみを買って行こうかと考えていましたが、アトレは臨時休館。それならば川崎のラゾーナあたりで調達しようと考え、少し早めに出かけましたが、なんとラゾーナも臨時休業、おとなりのBEもMORESも臨時休業でした。先日、仙台物産展を開催していた「さいか屋」は営業していましたが、ショーケースの中はほとんど何も入っていない状態。テレビニュースで映し出されるロシアや北朝鮮の店のように、品物がありませんでした。しかたなく、何とか売っているものだけをかき集めるように買い、西山さんのお店へ向きました。
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西山さんのお店「西山屋」は矢向駅を降り、踏切を渡って、さらにその方向へ10分ほど歩いたところでしょうか。すっかり日も落ちていたのではっきりと記憶していませんが、体が覚えていると思うので、次回は一人でも行けるでしょう。
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本日、用意されているワインは、個人で保有していものを、その方の御好意で提供していただいたものです。全て1960年代で6種類、トントンさんと春さんの実年齢よりは少し若いワインです。ラベルも古く、コルクは現在のものよりは長いのですが、結構、崩れていました。色は先日の熟成古酒同様にアミノカルボニル反応のためか褐色。肝心の味は、6種類それぞれ違いましたが、甘みのある紹興酒の味が基調としてあり、ワインの香りと酸味も残っています。

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帰りに大森の鳥城で焼き鳥を食べました。あのぼろぼろの暖簾はきれいになっていました。
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by ryott-ryott | 2011-03-13 13:29 | 東北太平洋沖地震