カテゴリ:「剣岳をめざせ」シリーズ( 1 )

いい歳、りょうちゃん、岩櫃山でトレーニング(^o^)丿

旅行・地域
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いよいよ「剣岳をめざせ」シリーズが始まりました。その第1ステージ、群馬県東吾妻町にある岩櫃山へ行ってきました。070.gif
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15名限定のツアーだと思いましたが、当日の参加者は21名にガイドさん4名という一大ツアーとなりました。大井町湯屋からはアクア仲間のよしこさんと私の2名が参加しました。先週の週間予報ではお天気は雨模様だったのですが、前日に雨マークがお日様マークに変わり、雨で参加をキャンセルしたよしこさんも急遽参加することになりました。
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 新宿西口安田生命ビル前(東京モード学園前)に6時50分集合。私は大井町から臨海線と山手線に乗って新宿まで行きました。空は鈍色の曇り空でしたが、岩櫃山へ移動途中、その雲も徐々に切れて行き、陽射しがこぼれて、青空が見えるようになって来ました。
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 いつものように目的地に着くまで本日のコースの説明がありました。「この人が厳しく、怖いと噂されている泉田ガイドかぁ。」平川ガイドが「泉田さんは顔が怖い。」とおっしゃっていました。説明しているところを写真に撮ろうかと思いましたが、おこられそうなのでやめました。岩櫃山のコースの説明の前に、剣岳を登るための心構えについて、お話がありました。とにかく剣岳は日本百名山の中でも別格中の別格で、常に緊張を強いられる山であり、今日、登る岩櫃山もコース自体は短いけれど、岩場に入ったら自分がどういう状況にいるかということを常に意識してほしいとのお話がありました。そして、今日身につけてほしいのは、どんな斜面でもまっすぐに立つこと(地表面に対して垂直に立つこと、重力加速度の方向に水平に立つこと)、そして足場をしっかり見ることが大切であり、岩場にしがみついたり、這いつくばったりすると、それだけでバランスを崩して、自ら危険な状況をつくり、足場も見えなくなってしまうとのことでした。とにかく、まっすぐ立って、足元をよく見る。この2点が「剣岳をめざせ」シリーズ第1ステージのポイントでした。
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 そして、もうひとかた、私が憧れる職業の「作家先生」が本業である敷島悦郎ガイドから、岩櫃山の歴史の話がありました。私は「岩櫃山」と聞いて、「ひつまぶし」の容器のような山ぐらいの発想しかできませんでしたが、「剣岳をめざせ」シリーズで岩山トレーニングに来ているのに、岩櫃山の歴史が聞けるとは思いませんでした。
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 16世紀半ば、越後を統一した上杉謙信と、信濃にも領土を拡大し、西上野(にしこうずけ)や今川氏の領国であった駿河にも進出した武田信玄とが、たびたび衝突した川中島の戦いはあまりにも有名です。甲斐の国と越後の境に位置する難攻不落の岩櫃山に構える岩櫃城は武田にも上杉にも全国統一のためには重要な拠点でした。その当時、岩櫃城は上杉方の斎藤家が約200年にわたり支配していました。そして、武田勢の後ろ楯で斎藤家と争っていたのは真田幸村で有名な真田隆幸でした。何としても、この岩櫃城を手に入れたいと考えていた真田家も、岩櫃山の堅固な守りに阻まれ、斎藤家に対する上杉勢の援護もあり、なかなか岩櫃城を攻略できないでいました。
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しかし、そんななか真田隆幸に好機が巡って来ます。斎藤家の一番の家臣である海野一族の姫君が岩櫃城の中で亡くなります。こんな山の中では満足な葬儀もあげられないため、海野氏は姫の遺体を城の外に出そうとしますが、正月であったこともあり、「正月から城の正門を遺体が通ることは不吉であり、まかりならん!」と言って、斎藤家からは許可が出ませんでした。それでも、海野氏は愛する姫の葬儀を出すため、斎藤家の言いつけに背いて、姫の遺体を城の門から出しました。そして、斎藤家に愛想が尽きた海野氏は岩櫃城を離れて行きました。
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真田隆幸はこの斎藤家の内輪もめを好機と捉え、岩櫃城に奇襲を仕掛けます。斎藤家にも謀反がおこり、追いつめられた斎藤一族はつぎつぎと崖から身を投じ、難攻不落の岩櫃城もあっさりと陥落しました。200年間にわたる岩櫃城の斎藤家支配は終焉し、1614年に岩櫃城が解体されるまで武田方の真田家が治めることになりました。
この一部始終を見ていた武田信玄は家臣にどんなにツワモノがいても主従の間に信頼関係がなければ意味がないことを悟ります。人間関係を築く基本はお互いの信頼が一番重要であるという、「人は石垣、人は城、人は掘、情けは味方、仇は敵」の言葉を残しました。

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山に登る前にこんなにも人をひきつける歴史の話をしていただき、興味深く話を聞くことができました。敷島ガイドはご自身の著作を帰りのバスの中で紹介されていました。「歴史の山をあるく」と「アウトドアですぐ役立つロープワーク」は帰ってすぐにAmazon で注文しました。
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(平原綾香/ジュピター)
ジュピター(作詞:吉元由美、作曲:G.Holst、歌:平原綾香)


Everyday I listen to my heart
ひとりじゃない
深い胸の奥で つながっている
果てしない時を越えて 輝く星が
出会えた奇跡 教えてくれる

Everyday I listen to my heart
ひとりじゃない
この宇宙の御胸に 抱かれて

私のこの両手で 何ができるの
痛みに触れさせて そっと目を閉じて
夢を失うよりも 悲しいことは
自分を信じてあげられないこと

愛を学ぶため 孤独があるなら
意味のないことなど 起こりはしない

心の静寂に 耳を澄まして

私を呼んだなら どこへでも行くわ
あなたのその涙 私のものに

今は自分を 抱きしめて
命のぬくもり 感じて

私たちは誰も ひとりじゃない
ありのままでずっと 愛されている
望むように生きて 輝く未来を
いつまでも歌うわ あなたのために 

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 謡曲『隅田川』は、同じ謡曲『班女』の後日物語で、“梅若伝説”をもとに世阿弥元清がつくった名作です。日本人好みのストーリーが喜ばれ、適当にアレンジされて、浄瑠璃、小唄、歌舞伎などに「隅田川もの」としてたくさん上演されてきました。

 物語の筋は次のようなものです。
 村上天皇の御代、京都北白川の吉田少将惟房の子、梅若丸は、5歳で父を失い、7歳で比叡山に登りましたが、その才能がねたまれ、身の危険を感じて山を下り、大津の宿に入りました。ここで知り合った悪徳商人信夫の藤太に、うまくかどわかされ、東国へ連れ去られてしまいます。しかし、梅若丸は旅の途中に病にかかり、とうとう隅田川のほとりで倒れ、死んでしまいました。

   尋ねきて 問わば答えよ 都鳥 隅田川原に 露と消えぬと

 梅若丸が詠んだ辞世の歌です。旧暦3月15日、享年12歳だったといわれます。
 里人たちはこれを哀れんで、亡骸を埋めて塚をつくり、柳の木を植えました。
 それから1年が過ぎ、里人たちの一周忌の読経の声を聞きつけて、一人の狂女がやって来ました。そしてこの狂女こそが、実は梅若丸を捜し歩いていた母であったという物語です。

 この梅若塚は、現在は東京の「都営白鬚団地」のビルの谷間になってしまった木母寺の境内に移築され、毎年4月15日に「梅若忌」が催されています。

    語り伝え謡い伝えて梅若忌  高浜虚子

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(小柳ルミ子/星の砂)

星の砂(作詞:関口宏、作曲:出門英、歌:小柳ルミ子) 060.gif


二度と出来ない恋を捨てあなた遠く
離ればなれになってゆくの 今つらいわ

嫁ぐ日岬にひとりたたずみ君住む島に
別れを告げる
凪いで凪いでまぶしいサンゴの島が
にじんで落ちて 星の砂

過ぎし日 二人は海辺に遊び
変わらぬ愛を 夕陽に祈る
いつかいつか 二人は運命にさかれ
私は遠く 石垣へ

髪にかざした ブーゲンビリア
そえぬ運命に赤く咲く
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい 星の砂

ルルル・・・・・ルルル・・・・・
ルルルル・・・・・

風よ吹け 波よ打て
それであなたにつぐなえるならば
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい この想い
届けてほしい この想い

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 ガイドさんの興味深い話を聞きながら、バスはJR郷原駅前に到着。参加者は2つの班に分けられました。私とよしこさんは、きびしい泉田ガイドと、倉持さんがよく頼んでおいてくれたという仙石ガイドの班ではなくて、作家先生の敷島ガイドと平川ガイドの班でした。いつものように不要なものはバスに置いて行く身支度を済ませ、出発前に体操をして、いよいよ岩櫃山への出陣です。070.gif
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先ほどまで陽射しもあったのに、出発するとすぐに空がにわかにかき曇り、泣き出しました。雨粒も次第に大きくなり、ガイドさんから雨具を着用するように指示が出ました。057.gif
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私はいつものようにカメラを持って、隊列の後方から進みました。最初は民家と農道を通ります。070.gif
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そして、いよいよ山道へ。30分も歩かないうちに、岩場へと入って行きました。町役場のスピーカーからでしょうか、テレビで流れる「緊急地震速報」が聞こえてきました。「緊急地震速報です、強い揺れに備えてください!」しかし大きな揺れを感じることもなく、最初のハシゴを上がりました。敷島ガイド、平川ガイドが足を置く場所を親切に教えてくれて、難なくクリア。このくらいはね。037.gif
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いよいよ最初の難関、「天狗のかけ橋」が現れます。その横に「迂回路」が示されていましたが、向こう側に見えるハシゴの位置までどのように足を運んで行けばいいのかと思うような細い迂回路で、一歩間違えれば斎藤一族のように奈落の底へ落ちてしまうのではないかと思いました。しかし、私たちは一見危険な迂回路ではなく、「天狗のかけ橋」ルートを通るとのこと。042.gif
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他の方のブログでの報告では、岩櫃山の「天狗のかけ橋」は平均台に乗るように通過している様子を見ていましたが、私たちのツアーで先輩方のわたる様子を見学すると、皆さん中腰で、手を着いて、ガイドさんの指示通りに左右の足を置くところを確認しながら渡っていました。いよいよ私の番です。かけ橋の長さは2 mくらいでしょうか。いきなり這いつくばるような姿勢で手を着き、敷島ガイドの指示通りに、左右の足を置きながら、這うように進みました。私自身は体が硬いので、ガイドさんの指示通りに足を置くのに、もたついてしまい、手の方の力を頼ろうとして、たった2 mほどのかけ橋でも少し怖く感じました。天狗のかけ橋を渡り終えて、よしこさんと「こんなことではとても剣岳には行けないね。」と早くもあきらめモード。025.gif
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更に歩を進めて、頂上へ登る手前のピークを越えるときも足の運びの悪さを露呈してしまいました。体が硬いことと、体が重たいことが原因していると思います。ガイドさんが「もっと鎖を頼って、自信を持って。」と励まされながら、引っ張ってくれました。ガイドさんがいなければ、落ちていたかもしれません。この2番目の難所ではもう写真を撮る余裕もありませんでした。
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頂上へ登るための鎖場へ到着。頂上には先方隊が登っており、しばし頂上直下で休憩。ここでも、よしこさんと「剣岳は無理かもしれないね。止めましょうか。」と弱音を吐いていると、参加者の団塊の世代の先輩方から、「技術なんか一朝一夕で身に付くものではないから、練習を重ねて慣れるのが一番。あとは体力があればいい。まだ若いから大丈夫よ。」と46歳の私と、53歳のよしこさんを叱咤激励してくれました。040.gif
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そして最後の難所。頂上へ登るための鎖場にいよいよ挑戦することになりました。2つの難所で、二人のガイドさんは私がまったくの初心者であることを見抜いたのでしょう。私の胴体に綱を巻いて輪っかをつくり、シャックルを通して、私の体を玉掛けできる状態にしてくれました。そのまったくの初心者の私から頂上に引揚げてもらうことになりました。上からは敷島ガイドが引っ張り、下からは平川ガイドが私の体を押し上げました。そして何とか上に到達し、最後のハシゴを登って頂上に到達することができました。038.gif
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私たちの班のメンバーは次々に頂上に到着、全員無事に頂上制覇。低気圧もすでに通過し、青空が広がっていました。敷島ガイドから、周囲に見える山々の解説がありました。赤城山に十二ヶ岳、妙義山。浅間山は見えませんでした。そして、みんなで記念撮影。
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登りがあれば下りがあります。ザイルを通して玉掛で上がったのは私だけだったようです。平川ガイドが「登りが怖かった人?」と問いかけ、「下りはもっと怖いです。」と続けました。「怖かった人はザイルを着けます。」とのこと。「ザイルを着ければ、落ちることはありません。一番重たい男もそれで上がって来ています。」とニコニコしながら私の方を見ておっしゃっていました。どうやら私は一番重たい男だと思われてしまったようです。間違いありませんが。
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そして、何名かの方は私と同じようにザイルを付けて鎖場を降りて行きました。朝のバスの中で泉田ガイドがどのような斜面でもまっすぐに立つことが大事だと言っていましたが、特に鎖場を降りて行くときにまっすぐに立たずに岩場に這いつくばってしまうと、足場が見えなくなることを実践的に教えてもらいました。040.gif
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下山を開始。最後のピークを越えて、天狗の蹴上げ岩を通り、岩櫃城の城址後まで降りてきました。途中、岩場の陰にカモシカを発見。どのように登ったのでしょうか。蛇もいたそうですが、蛇の写真を撮ることはできませんでした。ともちゃんに見せたかった、残念でした。037.gif037.gif037.gif037.gif037.gif
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ここまで来れば、もう安心。
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ついに無事に下山。空は雲ひとつない青空でした。青空の下、みんなでストレッチをして、ご褒美の岩櫃温泉に向かいました。
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私が風呂上がりに缶ビールを買おうとしていると、道中、私とよしこさんを叱咤激励してくれた団塊世代の先輩から、「生ビールを飲まなきゃダメよ!」と言われ、岩櫃温泉の食堂でビールを飲んでしまいました。「アミューズで、最後の温泉で生ビールがないとガッカリするのよ。でも、ここは合格!」とおっしゃっていました。068.gif068.gif068.gif068.gif068.gif
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帰りのバスの中で、私は爆睡。お隣さんも爆睡。そして、私たちを元気づけてくれたガイドのみなさんが共通しておっしゃっていたのは、山に登り、慣れること。山に行かなければ出来ないとトレーニングがあるので、是非、山に行ってくださいと強調されていました。そして、どんなに技術を身につけていても、最後は登りきる体力がなければ目的は達成できない、そのためにも山へ行ってもらいたいとおっしゃっていました。最後に平川ガイドから、登山装備の手入れの話と清掃登山の紹介がありました。アミューズでの清掃登山では、特に人がたくさん行く山を選んでいるそうです。たくさんの人の前でゴミを拾って清掃することにより、見ている人も「ゴミを捨ててはいけない」という意識が働き、効果が大きいと言います。そして周りの人から感謝され、そのねぎらの言葉は何にも替えがたいとのこと、「褒められて伸びる」タイプのいい歳、りょうちゃんにも、その気持ちは十分わかります。037.gif
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今回の岩櫃山登山は4人のガイドさんから、「登山の心構えと基本」から作家先生の「歴史の話」まで様々なお話を聞くことができ、充実した一日となりました。
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いい歳、りょうちゃんの岩櫃山登頂記、
これにて完。

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by ryott-ryott | 2011-04-18 11:49 | 「剣岳をめざせ」シリーズ