カテゴリ:遠く、屋久島へ( 5 )

いい歳、りょうちゃん、愛子岳の正体を見た(^o^)丿

旅行・地域
b0190242_1056860.jpg

 今日は5月2日(月)。明日、東京に帰ることを考えると、実質、今日が屋久島の旅最終日です。最終日はどこへ行くべきか、いろいろと考えましたが、晴天に恵まれたこともあり、当初の予定通りに『愛子岳』へ行くことにしました。058.gif
b0190242_147587.jpg

 屋久島空港を降り立ったときに、右手に見えるきれいな三角形の頂上を持つ山です。屋久島で環境のシンポジウムが開かれたときに、皇太子さまが出席されて、やはり屋久島空港から見えた愛子岳の姿を見て、「あの山の名前は何と言うのですか?」とお尋ねになったそうです。そして、愛子岳という名前であることを知り、そのあとに雅子様との間に愛子様が生まれたことを知った屋久島の人たちは愛子様の名前は屋久島の愛子岳から取ったと考えている方が多いようです。愛子様の名前は愛子岳から取ったという話を私はタクシーに乗るたびに聞かされていました。
そして、有名な「三岳」という焼酎を出している三岳酒造が「愛子」という焼酎も出しており、愛子様が生まれるや、売れ行きがよくなかった焼酎「愛子」はあっという間に売り切れてしまい、」今では予約してから10ヵ月待ちの人気なんだそうです。
018.gif
b0190242_1485492.jpg

 この日、いつものように朝ごはんと昼ごはんのおにぎり弁当をホテルのフロントで受け取りました。東の空には水平線上の雲が磨りガラスの役割を果たして、真白な朝陽のシルエットを見ることができました。058.gif
b0190242_149225.jpg

 島津さんから愛子岳は休み時間も入れて8時間くらいで登って帰って来られると聞いていたので、私は朝6時30分にタクシーでホテルを出発し、小瀬田(こせだ)にある愛子岳の登山口に向かいました。愛子様の名前は愛子岳から取ったのだという話をまた聞かされると思い、私の方から運転手さんに聞いてみました。すると運転手さんは皇族の人がこんな哀しい名前を自分の子供につけるはずがないとおっしゃっていました。愛子岳の登山口へ着くまで、愛子岳の名前の由来である「愛子岳伝説」を聞かせてもらいました。018.gif
b0190242_1494683.jpg

 小瀬田には2つの川が流れています。ひとつは「女川」、もう一つは「男川」です。そして、その間に島の集落がありました。その村には愛子と言う名前の、それは美しい女性が住んでいました。愛子は姿が美しいだけではなく、誰からも愛される優しい心の持ち主でした。大井町湯屋にはいないタイプです。
 ある日、愛子が女川のそばを通りかかると、1匹の猿が溺れかけていました。今にも川の流れの中に呑みこまれようとしている、その猿に愛子はそばに落ちていた木の枝を手を伸ばして差し出しました。猿は愛子が差し出してくれた木の枝に何とかつかまることができ、命を救ってもらいました。猿は何度も愛子にお礼を言って、山に帰って行きました。
b0190242_1501119.jpg

 翌日、愛子が家の外に出ると、家の前には山の木の実や山菜がたくさん積まれていました。昨日助けた猿がお礼に持って来てくれたのです。それだけではありませんでした。助けてもらった猿は愛子に一目ぼれをしてしまいました。それから来る日も来る日も、猿は愛子の家まで山で採った食べ物を運び、愛子に自分のところに嫁に来てほしいと迫ります。
愛子は「あなたのところへ嫁ぐことはできません。」と断りますが、それでも猿はあきらめずに毎日、愛子の家までやって来ました。今でいうストーカーです。それに愛子には結婚を約束した村の青年がいました。このままではいけないと思った愛子は、いつものようにやって来た猿に持ってきた贈り物を突き返して、031.gif
b0190242_1504189.jpg

 「私には夫婦になることを約束した人がいます。もう来ないでください。」ときっぱりと言いました。すると猿の顔は見る見るうちに赤くなり、毛は逆立ち、恐ろしい姿へと変貌して行きました。その猿は山の神の化身だったのです。山の神は愛子の腕をつかみ、連れ去ろうとします。恐ろしさの余り、泣き叫ぶ愛子。「やめてー。誰か助けてー。」山の神は愛子の体を軽々と抱え上げ、そのまま山へ連れて行ってしまいました。それ以来、愛子の姿を二度と見ることはありませんでした。031.gif
b0190242_1511753.jpg

 愛子と結婚の約束をしていた青年は愛子を失った悲しみのあまり、男川に身投げをして死んでしまいました。そして、今でも女川には愛子の波が、男川には愛子の許嫁(いいなずけ)の涙が流れていると言われています。いつしか、愛子が連れ去られた山を人々は『愛子岳』と呼びようになりました。
018.gif
b0190242_1522659.jpg

 これが愛子岳伝説です。私を愛子岳登山口まで連れて行ってくれたタクシーの運転手さんは、こんな哀しい神隠し伝説がある愛子岳の名前を、皇太子さまが自分の娘につけるはずがないと言うのです。愛子様の名前は愛子岳に愛子ではないと言うのが運転手さんの考えです。私はこの運転手さんの説を支持します。
040.gif
b0190242_153596.jpg


(中島美嘉/Dear)


(映画「八日目の蝉」予告編)

Dear (作詞・作曲・編曲:杉山勝彦、歌:中島美嘉)060.gif

どうして私がこんな思いをするの
あなたにぶつけた すごく寂しかったから

それでも私が風邪を引いた夜には
朝日が昇るまでそばにいてくれたね

愛することを教えてくれたのは
あの日のあなたでした

あなたに名前を呼んでほしくて
はじめて声を上げ泣いたよ
あなたにもらった全てのものが
愛だと気づいたから

手と手繋いであなたと歩いた道
二人の笑顔がふいに浮かんで消える

夕日に染まる空 凪いだ海の水面も
あなたの隣ならもっと綺麗なのにね

全てのものを照らしてくれたのは
いつもあなたでした

ごめんね ありがとう 言えないままに
言葉はかすれ涙になる
あなたに会いたい 会って言いたい
誰より愛していると

知りたくも無い真実でさえ
時に知ってしまうけど
心の中にあなたがいれば
歩き続けていける

あなたに名前を呼んでほしくて
はじめて声を上げ泣いたよ
あなたにもらった全てのものが
愛だと気づいたから

ごめんね ありがとう 言えないままに
言葉は涙へ変わって
命がめぐってまた会う日まで
あなたがくれた愛を
永遠に抱き続ける

b0190242_1535028.jpg

 
パリのルーブル美術館へ行くと日本人観光客で賑わう場所があります。ひとつはミロの「ビーナス」像、もう一つはレオナルド・ダ・ビンチの「モナ・リザ」の絵です。
この二つの作品は、戦後日仏文化交流運動の行事として、別々に日本にやってきました。会場の東京国立博物館の混雑はものずごく、多くの怪我人がでる騒ぎも起きました。

「モナ・リザ」のモナは貴婦人の意味があり、リザは女性の名前です。最近ではイエスの情婦である説がありますが、昔はダ・ビンチの友人フランチェスコ・デル・ジョコンドのリザ夫人であったといわれています。しかし、研究者たちは、この肖像画のモデルは、当時のフィレンツェの支配者ジュリアーノ・デ・メディッチの愛人フランカビラ公妃か、マントバ侯妃のイザベラ・デステのどちらかであると発表しています。

ダ・ビンチはルネッサンスを代表する画家で「モナ・リザ」、「最後の晩餐」、「受胎告知」など、すぐれた作品を残しています。驚いたことに、彼は単なる画家だけでは終わらずに、彫刻家、建築家、音楽家、詩人、哲学者、生物学者、数学者、軍事技術家としても一流の業績を残しており、多彩な顔を持っています。

彼は1452年、イタリアのフィレンツェの西、ビンチ村に生まれ、幼くして天才の名をほしいままにし、数学・物理などの学問、音楽、特に絵画に秀でていました。
青年期は主にフィレンツェやミラノの諸都市で活躍し、晩年はフランソワ1世の保護を受けて、フランスのアンボワーズのクルー館で余生を過ごし、1519年5月2日、67歳でこの世を去りました。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

b0190242_1541248.jpg


(コブクロ/あの太陽が、この世界を照らし続けるように。)

(映画「岳」予告編)

あの太陽が、この世界を照らし続けるように。
(作詞、作曲:小渕健太郎)
060.gif


どんな悲しみにも ひとつの意味を注ぐように
世界中の夜に 朝を連れてくる太陽
ぼくは彷徨ってた 生きる意味を探して
君に出逢うまでの僕じゃ あの壁は越せない

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため
ぼくに生きる意味をくれた その微笑み

人ごみに紛れて 逃げ出すのは容易くとも
一人きりの夜に 孤独から逃げ出せない
ガラス玉のような心を抱え生きてる
落とすたびに砕け散った 涙を忘れない

転がりながら辿り着いた 今がいつも君だけの頂上
心のままに生きてゆけば 時には人はぶつかり合うけれど
その魂に刻まれた模様はきっと 美しきヒビとなる

どんな命も輝いてる
あの太陽が、この世界を照らし続けるように

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため

b0190242_1543192.jpg

 愛子岳伝説を聞きながら、愛子岳登山口に到着しました。愛子岳登山口にはバイクが1台置いてあり、すでに登山を始めている方がいるようです。運転手さんに15時くらい下山する予定なので、登山口に迎いに来てくれるようにお願いしました。
b0190242_155526.jpg

 運転手さんは私に、「右側の舗装された道ではなくて、左側の山道を登って行くんだよ。」と、教えてくれました。右側の道をいくら進んでも愛子岳には辿りつけないそうです。私はいつものようにストレッチをして、いよいよ愛子岳登山を開始しました。6時48分。070.gif
b0190242_1551787.jpg

 私は自分が小栗旬になったような気持ちで山道を歩きました。愛子岳登山口の標高は約200 mであり、頂上の標高1235 mまで約1000 mの標高差を登って行きます。 山頂が周囲の山々に比べると低いため、照葉樹林帯の山道が続きます。単調な登り道です。070.gif
b0190242_1553796.jpg

  山道には印となるペイントやヒモが木に巻きつけられていますが、愛子岳の山道はその目印が見つけづらい場所もあり、下りのときに2回ほど山道を外れそうになりました。
b0190242_1561816.jpg

 とにかく単調な登りが延々と続きます。標高700 mを過ぎたあたりから、山道に岩や石が多くなってきました。標高600 m地点、8時8分、標高800 m地点8時40分。そして標高900 mあたりまで登ると、向こうから下山してくる、江口洋介似の青年がいました。登山口にバイクを置いていた方です。若い江口洋介と、年を取った小栗旬とがすれ違いました。年とった小栗旬が「頂上に何人くらいいますか?」と尋ねると、若い江口洋介は「誰もいませんよ。宮之浦もよく見えるし、ひとり占めですよ。」と答え、下山して行きました。ここから標高1000 mまで結構急な山道が続きます。9時17分。登山開始をして2時間29分が経過していました。予定通りです。038.gif
b0190242_1565768.jpg

 標高1000 mを越えると、しばらく平坦な道が続きます。そして樹々の間から愛子岳の本当の姿が現れました。名前は愛子だけど、その姿は岩肌をあらわにした男のような顔をしています。じゃんけんぽんに来る女性客にこういうタイプの人が結構います。あの人です。本当にあの山を登ることができるのでしょうか。
b0190242_1572276.jpg

 ここから愛子岳の本当の登りが始まりました。急な岩場を登っていくと、長いロープが現れます。ロープを頼りに何とか登ります。038.gif
b0190242_15756100.jpg
b0190242_1583085.jpg

 中継点、さらに急峻な登り。ロープが下がっているがどこに足をかければいいのでしょうか。そしてようやく標高1200 mへ到着。10時30分。頂上の1235 mまであと少し。
b0190242_1585080.jpg
b0190242_1592870.jpg

b0190242_1594633.jpg
b0190242_20815.jpg

 しかし、ここからはロープがありません。頼りにしていたロープが途切れてしまい、岩場の石、岩、でっぱりを見つけながら、手と足をかけて登って行きました。一見、大きくて動きそうにない石も手をかけてよく確認しなければ、ゴロゴロと動きます。ここで落ちたら大袈裟と思われるかもしれませんが死んでしまうでしょう。もう写真を撮る余裕はありません。自分が小栗旬になったつもりでいることもすっかり忘れてしまっていました。037.gif
b0190242_203456.jpg
b0190242_205559.jpg

 そして、何度も心が折れそうになりながらも、ついに愛子岳の頂上に辿り着きました。10時44分。登山を開始してから3時間58分が経過していました。青い空と青い海、屋久島の山々が年をとった小栗旬を出迎えてくれました。あの若い江口洋介似の青年が言っていたように、頂上には私ひとりしかいませんでした。058.gif
b0190242_212813.jpg

 石に上にカメラを置いて、タイマーで写真を撮りました。とても疲れた顔をしています。
b0190242_215530.jpg

 頂上で持ってきたおにぎり弁当を食べて、周りの景色を写真に撮りました。
 頂上から見た宮之浦岳方面。
b0190242_222846.jpg
b0190242_225365.jpg

 頂上から見た荒川ダム方面。
b0190242_231831.jpg
b0190242_233523.jpg

 祠に無事に登ることができたお礼とこれからの下山の無事を祈ります。
b0190242_246100.jpg

 頂上にどのくらいいたでしょうか。ひとりの若者と50歳前後の夫婦が登って来ました。その若者は登山口から約2時間で頂上に着いたと話していました。私の半分の時間じゃないかと思いましたが、自分は自分のペースで行くだけです。だいぶ休憩も取ったので、そろそろ降りようと考えていましたが、この岩場の下りは登り以上に気を使います。私は何度も「もう大丈夫か!」と心の中で自問自答しました。11時30分に下山を開始。
b0190242_245873.jpg

 一歩づつ、足場を確認しながら、岩場を降りて行きました。その途中、4人の登山者とすれ違いました。私の前にひとり下山しているので、今日の愛子岳登山者数は自分を入れて9名と言うことになります。
b0190242_252262.jpg

 そのうちの3名は70歳前後のおばあさんと二人の夫婦でした。おばあさんはステッキを持っていたので、私がしまった方がいいですよと言うと、そのおばあさんは「何回も来て、慣れているから大丈夫なの。」と言って、おこられてしまいました。私も何とか一番最初のロープの位置まで戻って来ることができました。12時55分。下山を開始して1時間25分、登山を開始して6時間7分の経過。037.gif
b0190242_254788.jpg

 標高1000 mの平坦な道を進み、そして登ってきた単調な登り道を今度は下って行きます。ここまできたらほとんど降りてきたも同然と思いながら、登山道を下って行きました。
b0190242_262716.jpg

 登りのときも感じましたが愛子岳は登山道の目印が少なく、一歩間違ったら迷ってしまうことです。登山道の目印になるマーカーや紐を確認しながら進んでいきますが、樹林帯の木にピンク色のテープで数字が記載されていました。登山道の目印もピンク色の紐であったので、樹に貼り付けてある数字を登山道の目印と勘違いして、2回ほど登山道から外れそうになり、この道は見覚えがないなぁと思い、引き返すと違う方向に登山道の印がありました。こういう時は自分の記憶と勘だけが頼りです。
b0190242_27516.jpg

 結局、登山道を外れそうになったこともあり、私の後から登ってきた7人の登山者全員に追い抜かれてしまいました。一番最後の人は、私に追いついた時に私が怪我をしたのではないかと思ったそうです。その最後の人と一緒に登山口まで何事もなく戻って来ました。やはり、他の登山者の方と一緒になると安心します。15時57分。登山を開始して9時間9分。島津さんがおっしゃっていた休み時間を入れて8時間というコースタイムを約1時間オーバー。しかし、年をとった小栗旬はとても満足していました。
b0190242_273417.jpg

 登山口に着いたら、愛子岳伝説を教えてくれた運転手さんに電話をしようと思っていましたが、すでに迎えに来ていただいていました。私が朝登るときに15時くらいに降りてくると言っていたので、14時から待っていてくれたそうです。約2時間お待たせしてしまいました。

b0190242_275523.jpg

 ホテルに戻り、愛子岳踏破を祝して三岳で乾杯しました。068.gif
b0190242_284432.jpg
b0190242_29744.jpg

 これで、いい歳、りょうちゃんの屋久島の旅は終わりです。屋久島の全てを見るためには4泊5日では足りません。また屋久島に来ることを心の中で誓って、東京に戻って来ました。

b0190242_295095.jpg




(小柳ルミ子/星の砂)

星の砂(作詞:関口宏、作曲:出門英、歌:小柳ルミ子) 060.gif


二度と出来ない恋を捨てあなた遠く
離ればなれになってゆくの 今つらいわ

嫁ぐ日岬にひとりたたずみ君住む島に
別れを告げる
凪いで凪いでまぶしいサンゴの島が
にじんで落ちて 星の砂

過ぎし日 二人は海辺に遊び
変わらぬ愛を 夕陽に祈る
いつかいつか 二人は運命にさかれ
私は遠く 石垣へ

髪にかざした ブーゲンビリア
そえぬ運命に赤く咲く
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい 星の砂

ルルル・・・・・ルルル・・・・・
ルルルル・・・・・

風よ吹け 波よ打て
それであなたにつぐなえるならば
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい この想い
届けてほしい この想い


さて、ハードボイルド、いい歳、りょうちゃん、次の活躍は

「いい歳、りょうちゃん、瑞牆の頂から富士を見る」お楽しみに。

にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ
にほんブログ村 写真ブログ 朝焼け・夕焼け写真へ
にほんブログ村
b0190242_210278.jpg

b0190242_2104884.jpg

b0190242_211207.jpg

b0190242_2114095.jpg

b0190242_2115829.jpg

b0190242_2122117.jpg

by ryott-ryott | 2011-05-13 02:17 | 遠く、屋久島へ | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、縦断・種子島(^o^)丿

旅行・地域
b0190242_1056860.jpg

 宮之浦岳登頂を無事に終え、普通ならば縄文杉を見に行くところですが、種子島へトッピーで行きました。5月1日は朝から大雨が降っていました。そう言えば、昨日ホテルの風呂でお会いしたお父さんは親子3人で午前4時に出発して縄文杉を見に行くと言っていましたが、どうしたものかと気にかかるほど、風もあり、台風が来たのではないかと思うような悪天候です。
 今日は種子島へ渡って、タクシー貸切で種子島を縦断して写真を撮ろうと考えていたので、自動車の中にいる限り雨には濡れないと思い、予定通り種子島へ行きました。午前6時30分にホテルを出発、午前7時ちょうど安房港発のトッピーに乗り、おおよそ50分で種子島に到着しました。屋久島の安房港と種子島のトッピーの往復料金は6400円です。
018.gif
b0190242_7404678.jpg
b0190242_7405743.jpg

b0190242_741147.jpg

 安房港を出発するとあれほど降っていた雨が止んで、時折青空が顔をのぞかせ、幸先のよい縦断・種子島を予感させていました。種子島に降り立つと、観光客は私ひとりのようです。タクシー乗り場にはタクシーが1台だけ停まっていましたが運転手さんの姿はなく、バス停も時刻表がなく、いつバスが来て出発するのか全くわからない状態です。すると売店の中からタクシーの運転手さんらしい方が出てきて、タクシーに乗ったので、タクシー乗り場へ行き、タクシーに乗せてもらいました。運転手さんに17:30の屋久島へ帰るトッピーに乗るまで、種子島の中を観光したいと言うと、終日貸切の観光タクシーは25000円だと言うのですぐに手を打ちました。038.gif
b0190242_7412732.jpg

 種子島は、屋久島とは違い、土壌が堆積してできた島であるため急峻な山はなく、最高で282 mの低山であり、全体的に平坦な島です。円形の屋久島に対して、南北57 km、東西12 kmの南北に長い形状をしています。南北での気候の違いはほとんどないと言いますが、南種子は屋久島に近い分、北種子に比べると雨量が若干多いようです。057.gif
 また種子島には市があり、北から西之表市、中種子町、南種子町の3つの市町から成っています。基幹産業は意外にも建築業だということですが、近年は仕事も減少しているため、最盛期では4万人を越えていた人口も3万人にまで減ったそうです。特に若い人は高校を卒業すると、就職のためにほとんど島を出て行ってしまうとのことでした。
018.gif
b0190242_7414593.jpg

 まずは戦艦大和が沈んだ海域を一望できる丘へ行きました。
b0190242_74247.jpg
b0190242_7423017.jpg

b0190242_7424046.jpg

 屋久島は隆起した島であり海が海岸から急に深くなっているのに対して、種子島の砂浜は遠浅であるために海水浴に適しており、夏には多くの海水浴客が訪れます。先ほどまで雨が降っていたため、海の水は少し濁っていましたが砂浜の砂が美しく、小さな貝殻がたくさんありました。写真は浦田海岸の浜です。
b0190242_7432925.jpg
b0190242_7434287.jpg

b0190242_7435183.jpg

 博物館の種子島開発総合センター・種子島博物館では種子島の成り立ち、歴史と鉄砲伝来、鉄砲製造について聞きました。古来より戦(いくさ)のスタイルは鎧兜を纏い、槍や刀で相見え、ときには騎馬にまたがりなぎがた薙ぎ刀を振りかざすといったものでしたが、ポルトガル人が漂着したことをきっかけに一変します。それが鉄砲です。1543年10月5日、2人のポルトガル人を乗せた中国船が種子島に漂着します。日本にやってきた最初のヨーロッパ人でした。彼らは、後に種子島銃と呼ばれるようになった、口径16 mm、銃身718 mmの火縄銃2丁を、時の種子島島主の種子島時堯(ときたか、1528~1578年)が2000両という大金で買い求めました。貨幣価値は変動しますが大体1両は現在の10万円と言われています。
b0190242_747756.jpg
 
 時堯は火縄銃を買い求めただけではなく、家臣に火縄銃の使用法と製造法を学ばせました。その一人が伝説の鋳物師・八坂金兵衛(やさかきんべい)でした。当時、火縄銃は銃口から火薬と弾を詰める装填方法であったため、銃の内部に火薬が溜まっていき、暴発することがありました。その暴発を防ぐため、溜まった火薬を取り出せるように銃の後ろの部分にねじが切られていました。しかし、伝説の鋳物師といえども金兵衛はねじを見たことがありませんでした。オスねじについては形状を見ながら何とかつくりことができましたが、メスねじを切るという技術がわかりませんでした。メスねじを切るという技術をポルトガル人に教えてもらうため、金兵衛は自分の美しい娘・若狭(わかさ)を人身御供として船長のポルトガル人に嫁がせます。その後、日本とポルトガルの間で貿易が開始され、毎年のようにポルトガル人が九州の諸港に来航するようになり、ついに念願のねじの切り方の技術も日本に伝わり、日本全国に鉄砲が広まっていきました。
 この鉄砲にいち早く目をつけた織田信長が、鉄砲鍛冶を勢力下におさめ、鉄砲隊を組織したことにより、戦いに次つぎと勝利し、全国統一に大きく前進して行ったのは有名です。

b0190242_746375.jpg

 種子島に伝わった鉄砲の製造法は独自の進化を遂げ、短筒や大砲まで製造できるようになります。また種子島では砂鉄が多く採取でき、良質の鉄を容易に手に入れることができたことも鉄砲の製造に大きく貢献しました。現在では、その鋳物技術は種ばさみや種子島焼きの陶器づくりに受け継がれています。
b0190242_745207.jpg

 博物館はポルトガル船をイメージして建てられたそうです。
b0190242_7445456.jpg

 鉄砲のレプリカ。
b0190242_7441323.jpg

 種子島に労働力として東南アジアから連れて来られたウシウマ。現在は絶滅してしまいました。
b0190242_7453733.jpg
b0190242_7454866.jpg

 種子島家の武家屋敷・月窓亭。

b0190242_7461189.jpg

 生き人形・山の井様。大奥の女中だった女性がモデルとなっており、徳川家から島津家に譲られました。春の花見や磯遊びの際には、家人と一緒に外へ連れ出され、とても大切にされていました。月窓亭のご主人に写真撮影してもよいかと尋ねると、今は魂を抜いているので撮影は構わないとのことでした。私がどのように魂を抜いたのですかと聞くと、しかるべき人(霊能者)に頼んで魂を抜いたとのことです。
b0190242_7473061.jpg

 月窓亭では「年中行事を彩る道具展」が行われていました。
b0190242_7474651.jpg
b0190242_7475629.jpg

 戦後直後あたりはアルミニウムのお弁当箱が使われ始めましたが、アルミニウムの純度が低かったため、梅干しなどを入れると梅干しの酸でアルミニウムのお弁当箱が黒く腐食してしまい、最後には穴があいてしまったそうです。年配者の方なら覚えがあると思います。現在では梅干しでアルミに穴があくといったことはありません。
b0190242_7481070.jpg
b0190242_7482036.jpg

 出水や知覧の武家屋敷でも同じでしたが、その家の当主の部屋の壁は色が付いており、当主以外のものは上がることができませんでした。
b0190242_7483674.jpg

種子島ではツアブキの新芽をおひたしにして食べます。

b0190242_7491181.jpg
b0190242_7493251.jpg

b0190242_7494814.jpg


(コブクロ/あの太陽が、この世界を照らし続けるように。)

(映画「岳」予告編)

あの太陽が、この世界を照らし続けるように。
(作詞、作曲:小渕健太郎)
060.gif


どんな悲しみにも ひとつの意味を注ぐように
世界中の夜に 朝を連れてくる太陽
ぼくは彷徨ってた 生きる意味を探して
君に出逢うまでの僕じゃ あの壁は越せない

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため
ぼくに生きる意味をくれた その微笑み

人ごみに紛れて 逃げ出すのは容易くとも
一人きりの夜に 孤独から逃げ出せない
ガラス玉のような心を抱え生きてる
落とすたびに砕け散った 涙を忘れない

転がりながら辿り着いた 今がいつも君だけの頂上
心のままに生きてゆけば 時には人はぶつかり合うけれど
その魂に刻まれた模様はきっと 美しきヒビとなる

どんな命も輝いてる
あの太陽が、この世界を照らし続けるように

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため

b0190242_7502735.jpg

 
5月1日は労働者の祭典、メーデーです。メーデーの起こりは、1886年5月1日、アメリカのシカゴで、53万人の労働者が団結し、ゼネストを実施して8時間労働を勝ち取ったことが発端です。そして、この勝利はヨーロッパの労働者にも刺激を与え、それから3年後の1889年、パリで開かれた国際社会党大会で、この日を記念し、世界的な労働者の連帯をはかるため、毎年5月1日、世界各地でメーデーを開くことが決められました。
 
日本でメーデーがはじめて行われたのは、大正9年(1920年)です。5月1日が土曜日だったので5月2日の日曜に実施されました。上野公園に5000人の労働者が集まったと記録されています。戦前のメーデーは昭和11年(1936年)の第13回メーデーを最後に、戦争のため中断。戦後は昭和21年(1946年)に11年ぶりに復活して今日に及んでいます。
 
ところで、メーデーを扱った文学作品はいくつかありますが、代表的なものは、昭和27年(1952年)5月1日、皇居前広場で”血のメーデー”といわれた、第23回のメーデーを描写した阿部知二の『日月の窓』ではないでしょうか。デモ隊6000人、警官5000人が大乱闘の末、2人が射殺された事件です。
 阿部知二は、明治36年(1903年)岡山県に生まれ、姫路中、八高、東大英文科を卒業した小説家、評論家、英文学者として知られた人です。彼は戦後、従来の自由主義的立場から、次第に革新陣営に近づき、進歩的知識人として、種々の社会活動に参加して活躍しました。
 昭和48年(1973年)4月、70歳で亡くなりました。『阿部知二作品集』全5巻(河出書房)、『阿部知二全集』全13巻(河出書房新社)があります。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

b0190242_7504924.jpg
b0190242_7511055.jpg

b0190242_7513096.jpg




(小柳ルミ子/星の砂)

星の砂(作詞:関口宏、作曲:出門英、歌:小柳ルミ子) 060.gif


二度と出来ない恋を捨てあなた遠く
離ればなれになってゆくの 今つらいわ

嫁ぐ日岬にひとりたたずみ君住む島に
別れを告げる
凪いで凪いでまぶしいサンゴの島が
にじんで落ちて 星の砂

過ぎし日 二人は海辺に遊び
変わらぬ愛を 夕陽に祈る
いつかいつか 二人は運命にさかれ
私は遠く 石垣へ

髪にかざした ブーゲンビリア
そえぬ運命に赤く咲く
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい 星の砂

ルルル・・・・・ルルル・・・・・
ルルルル・・・・・

風よ吹け 波よ打て
それであなたにつぐなえるならば
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい この想い
届けてほしい この想い

b0190242_7521937.jpg

 千座の岩屋(ちくらのいわや)。
b0190242_753116.jpg
b0190242_753186.jpg
b0190242_7534481.jpg
b0190242_754377.jpg
b0190242_7542046.jpg
b0190242_7544491.jpg
b0190242_75546.jpg

 ガジュマル。
b0190242_7554034.jpg
b0190242_756416.jpg

 ガジュマルの実。
b0190242_758360.jpg

 ガジュマルの幼少期は黄緑色の若葉の可愛い木です。しかし成長するにつれて周りの木に絡みつき枯らしてしまう閉め殺しの木として知られています。
b0190242_7583342.jpg

 この黄色い花を食べた牛は死んでしまいます。毒草です。042.gif
b0190242_7585563.jpg

 この薄桃色の花は屋久島の道端にもたくさん咲いていました。シュウメイ菊というそうです。056.gif
b0190242_80036.jpg

 種子島宇宙開発センター。ロケット打ち上げ時にはたくさんの人が種子島を訪れます。
b0190242_802269.jpg
b0190242_81083.jpg

 宝満神社と宝満池。秋に赤米が奉納されます。
b0190242_811724.jpg
b0190242_813424.jpg

b0190242_814948.jpg
b0190242_82728.jpg

b0190242_822284.jpg

 種子島最南端の門倉岬。ここにポルトガル人が漂着しました。
b0190242_825266.jpg
b0190242_831269.jpg

b0190242_832882.jpg
b0190242_834521.jpg
b0190242_845677.jpg

 七色観望台から見た風景。
b0190242_841824.jpg
b0190242_844430.jpg

 最後に八坂金兵衛の銅像を見て、トッピーで屋久島に戻りました。

b0190242_852136.jpg
b0190242_85337.jpg

b0190242_855232.jpg

 さて、ハードボイルド、いい歳、りょうちゃん、次の活躍は

「いい歳、りょうちゃん、愛子岳の正体を見た」お楽しみに。
038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif
にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ
にほんブログ村 写真ブログ 朝焼け・夕焼け写真へ
にほんブログ村
b0190242_862338.jpg

b0190242_864335.jpg

b0190242_865894.jpg

b0190242_871458.jpg

b0190242_873071.jpg

b0190242_875637.jpg

b0190242_881365.jpg

b0190242_883670.jpg

b0190242_885096.jpg

b0190242_89531.jpg

b0190242_892297.jpg

b0190242_894212.jpg

b0190242_895836.jpg

b0190242_8101335.jpg

038.gif032.gif037.gif041.gif016.gif024.gif056.gif072.gif058.gif040.gif049.gif

by ryott-ryott | 2011-05-08 08:14 | 遠く、屋久島へ | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、百名山、百番目の頂に立つ(^o^)丿後編

旅行・地域
b0190242_1056860.jpg

「いい歳、りょうちゃん、百名山、百番目の頂に立つ(^o^)丿」の後篇です。
  頂上から下山し翁岳、栗生岳を通過し、宮之浦岳の方を振り返るとあんなに天候が良かったのに雲が流れて、徐々に霞んできていました。
 この宮之浦岳の神様は天照大神(アマテラスノオオミカミ)の子ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの間にできた「山幸彦」です。この宮之浦岳の近くにどうして翁岳があるのかについて、再び、島津さんの博覧強記を伺いました。
 山幸彦は海幸彦の弟です。山幸彦は山で狩りをし、海幸彦は海で魚を釣って暮らしていました。ある日、山幸彦は魚を釣ってみたくなり、兄の海幸彦にお互いの道具を取りかえることを提案します。しかし、海幸彦は「この釣針は特別なものだから取りかえることはできない。」と言って首を縦に振りません。弟の山幸彦は兄の海幸彦に「今日一日だけでいいから取りかえてください。」と泣いて頼みました。
 山幸彦に泣いてせがまれると、海幸彦は仕方なく自分の釣針と弟の弓矢を今日一日だけ取りかえることにしました。釣り針を手にした山幸彦は嬉しくて仕方がありません。早速、魚釣りを始めますが、海幸彦のように魚を釣ることができません。そして、挙句の果てには、海幸彦が大事にしている釣り針を海の中に失くしてしまいました。
b0190242_1949682.jpg

 海幸彦は烈火のごとく怒り、山幸彦のことを許すことができません。困った山幸彦は自分の持っている剣をつぶして、1000個の釣針をつくって海幸彦に渡しても見向きもしてくれませんでした。
 なくなってしまった釣針を探すこともできず、海辺で茫然としている山幸彦の前に知恵の神様である翁が現れて、山幸彦に竜宮城へ行くことを勧めます。そこで海の神の娘トヨタマヒメに見染められ、山幸彦はトヨタマヒメと結婚することになりました。しかしながら、山幸彦は海幸彦との確執についてトヨタマヒメに話すと、海にすむ魚たちを集めてもらい、釣針がのどに刺さって苦しんでいる鯛がいることがわかります。その鯛ののどから海幸彦の大事な釣針を取り出して、無事に海幸彦に返すことができたという伝説があり、山幸彦の宮之浦岳のそばに知恵を授けた翁の翁岳があるそうです。

 
b0190242_19494448.jpg

 投げ石平を通過したころから、にわかに空がかき曇り、雨が降り出しました。島津さんの指示で雨具を着用し、下山を続けました。そして雨の花之江河まで戻って来ました。ここからは少しのアップダウンはあるものの下って行くだけです。13時13分。
b0190242_19511887.jpg
b0190242_1953757.jpg


b0190242_19463254.jpg

 ショウジョウバカマ
b0190242_19465482.jpg

 アクシバモドキ
b0190242_19472051.jpg

 マンネンスギ
b0190242_19474031.jpg

 石楠花の赤ちゃん
b0190242_19475697.jpg

 龍の顔に見えます。

b0190242_19481442.jpg

 しかし、ここからが長く感じました。登山口から花之江河まで登って来た時は、トントン拍子で上がって来ることができたような気がしましたが、疲れてきたのでしょうか、やっとの思いで淀川小屋に着きました。14時35分。
ここで飲んでしまった水を補給し、少し休憩。私のリックサックを持った島津さんが、「こんなに重たいの?」と聞くので、「朝に比べたら、お弁当二つ分と、500 mlのペットボトル1本分は軽くなっています。」と言うと、私の最後のペースダウンを見兼ねてか、朝よりは軽くなっているはずのリックサックを持ってもらい、最後の下山を開始しました。ガイドさんに荷物を持ってもらうことがどうも定着してしまったようです。今度はほぼ手ぶらの私が島津さんの前を進み、アップダウンの登りでは島津さんが私の腰を押してくれました。
037.gif
b0190242_19515486.jpg
b0190242_19521737.jpg

 最後は島津さんにリックサックを持ってもらう手助けもあり、ほぼ予定通りのコースタイムで淀川登山口まで戻って来ることができました。15時20分。登山を開始してから9時間58分が経過していました。登山口に辿り着き、島津さんとガッチリ握手を交わし、近くにいる人に島津さんとの記念写真を撮ってもらいました。先ほどまで降っていた雨も上がっていました。
038.gif024.gif038.gif024.gif038.gif
b0190242_19534293.jpg

 ホテルに引き揚げる途中、紀元杉を見ました。これで縄文杉を見に行く必要なしと判断しました。
037.gif
b0190242_1954919.jpg


(コブクロ/あの太陽が、この世界を照らし続けるように。)

(映画「岳」予告編)

あの太陽が、この世界を照らし続けるように。
(作詞、作曲:小渕健太郎)
060.gif


どんな悲しみにも ひとつの意味を注ぐように
世界中の夜に 朝を連れてくる太陽
ぼくは彷徨ってた 生きる意味を探して
君に出逢うまでの僕じゃ あの壁は越せない

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため
ぼくに生きる意味をくれた その微笑み

人ごみに紛れて 逃げ出すのは容易くとも
一人きりの夜に 孤独から逃げ出せない
ガラス玉のような心を抱え生きてる
落とすたびに砕け散った 涙を忘れない

転がりながら辿り着いた 今がいつも君だけの頂上
心のままに生きてゆけば 時には人はぶつかり合うけれど
その魂に刻まれた模様はきっと 美しきヒビとなる

どんな命も輝いてる
あの太陽が、この世界を照らし続けるように

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため

b0190242_19414852.jpg

 
唐招提寺を建立したのは、唐から来た鑑真和上です。鑑真が日本にやって来るには、想像を絶する苦難がありました。

鑑真は唐の揚州江南県に生まれた唐の高僧の一人でした。第10回遣唐使に随行した日本の留学僧、普照と栄叡の懇願を受けて、日本仏教に戒律を授けるために渡航を決意しました。鑑真和上55歳の時です。
以来、渡航を企てること6回、ある時は暴風雨にあい、ある時は密出国でつかまり、船を作り直して、12年、6度目にしてようやく日本の土を踏むことができました。
天平勝宝6年(745年)、鑑真が日本に着いたときには心労のため失明していました。

鑑真は東大寺戒壇院に居を賜り、天皇、皇后など400人に授戒し、仏教本来の道を教示しました。鑑真がもたらしたのはそれだけではありませんでした。一緒に連れてきた、仏像彫刻、医学、薬学、音楽などの工人、技術者たちの活躍です。彼らの技術指導の素晴らしさは、あの唐招提寺の美しさがよくあらわしています。

鑑真はやがて、天平宝字3年(759年)、唐招提寺の建立とともにそこに住み、天平宝字7年(764年)5月6日、結跏趺坐(けっかふざ)し、西の方角を向いて静かに入寂したといわれています。滞日わずか9年、76歳の生涯でした。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

b0190242_19421331.jpg




(小柳ルミ子/星の砂)

星の砂(作詞:関口宏、作曲:出門英、歌:小柳ルミ子) 060.gif


二度と出来ない恋を捨てあなた遠く
離ればなれになってゆくの 今つらいわ

嫁ぐ日岬にひとりたたずみ君住む島に
別れを告げる
凪いで凪いでまぶしいサンゴの島が
にじんで落ちて 星の砂

過ぎし日 二人は海辺に遊び
変わらぬ愛を 夕陽に祈る
いつかいつか 二人は運命にさかれ
私は遠く 石垣へ

髪にかざした ブーゲンビリア
そえぬ運命に赤く咲く
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい 星の砂

ルルル・・・・・ルルル・・・・・
ルルルル・・・・・

風よ吹け 波よ打て
それであなたにつぐなえるならば
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい この想い
届けてほしい この想い

b0190242_10162416.jpg
 
 まだ続きがあります。屋久島にやって来た日に栗生まで夕陽を見に行きましたが、その前日に栗生浜にウミガメが2頭、産卵に来たことをタクシーの運転手さんから聞いており、そのことを宮之浦岳の登山途中に島津さんに話していました。018.gif
b0190242_10173189.jpg

 島津さんは登山ガイドの他にも修学旅行の体験ツアーや講演・講習会を企画しています。そして、今晩は夜の屋久島を巡るナイトツアーへ出かけると言うので、急遽、そのナイトツアーに参加させてもらうことにしました。070.gif
b0190242_1018971.jpg

 ホテルで夕飯を済ませ、夜8時にまたまた島津さんの自動車がお出迎い。そのツアーには大阪からやってきたという20歳代後半の若者5名も参加。40歳代後半のいい歳、りょうちゃんも若者と一緒にナイトツアーに出発しました。
b0190242_10183772.jpg

 まずは闇夜の安房の海岸へ行きました。宮之浦岳登山ではまったく使わなかったヘッドランプをつけて、夜の海岸線を歩きます。そばには川の河口もあり、浅く小さな川ですが、直径10 cmほどの大ウナギが棲んでいるといいます。海岸の岩の潮だまりには小さな魚や牡蠣の赤ちゃんがいました。すべて食べることができます。018.gif
b0190242_10191572.jpg

 そして、私が栗生にウミガメが来ていたことを島津さんに話していたこともあり、もしかしたら今夜、ウミガメを見ることができるかもしれないということになり、栗生の浜に行くことになりました。残念ながら、この日はウミガメの上陸はありませんでしたが、栗生浜でウミガメの産卵場の管理をしている職員の方のお話を聞くことができました。018.gif
b0190242_10194594.jpg

屋久島では、この栗生浜と永田浜に毎年5月中旬からウミガメが産卵するために上陸します。ただし水温が21 ℃を越えないとウミガメは上陸しません。そして少しでも人の気配を感じると上陸せずに海に戻ってしまいます。したがって、浜での懐中電灯など光の出る機器の使用は禁止です。警戒心の強いウミガメも浜に上がって卵を産み始めると、産み終わるまで動くことはありません。その甲羅の上に乗っても平気のようです。ただし可愛く見えるウミガメも結構凶暴であり、産卵でウミガメ同志とニヤミスしたときに他のウミガメに咬みつくことがあるといいます。永田浜ではウミガメの専門家の職員が、浜に上陸しているウミガメに気づかずに、その前を歩いて、脚に咬みつかれて大けがすることがありました。ウミガメに鼻先に手をかざすのは厳禁であり、人の手の指など食いちぎられてしまうそうです。042.gif
日本に来るウミガメにはアカウミガメ、アオウミガメ、タイマイの3種類がいて、そのうちアカウミガメとアオウミガメが屋久島にやってくるそうです。そして砂浜に付いたウミガメの足跡を見れば、アカウミガメかアオウミガメかを知ることができるとのことです。足跡が左右交互に前に進んでいるのがアカウミガメ、左右同時に進んでいるのがアオウミガメだそうです。また産み落とされた卵は約2~3ヵ月で孵化しますが、砂の温度が34 ℃未満では全てオス、34 ℃以上になれば全てメスが生まれてくるそうです。この4月末に産み落とされた卵はまだ砂の温度が高くないので、全てオスになるそうです。栗生浜でも永田浜でも産み落とされた卵は職員の手のよってすぐに回収され、安全な場所に埋め戻されます。今ではウミガメの卵を取ることは法律で禁止されていますが、昔はよく食べられたと言います。その栄養価は高く、ウミガメの卵1個は鶏卵30個分と考えられています。ウミガメの卵はゆで卵にしても、白身の部分は固まることがなく、黄身だけを食べたそうですが、独特の臭みがあり、決して美味しいものではなかったそうです。またウミガメの卵を食べて、運動などをして汗をかくと、黄色い汗が出てシャツが黄色くなってしまうため、ウミガメの卵をたべたことが周りの人にすぐわかってしまったとお話されていました。018.gif
b0190242_10205153.jpg

そして4月28日に栗生浜に産み落とされ、孵化場に埋め戻されたウミガメの卵を見せていただきました。まさに形はピンポン玉で、ピンポン玉のようには硬くはありません。この卵はアカウミガメのもので7月20日前後に孵化するだろうとのことでした。現在は人の手によって、ウミガメの産卵、孵化、海への放流を手助けしていますが、生まれたばかりのウミガメは他の生き物の絶好の食べ物であり、海へ到達するまでに空からは鳥が、陸上では猫が、浜辺ではカニがウミガメの子どもを狙っています。海に入っても安心はできず、魚たちの餌食になってしまい、立派に親ガメに成長するのは5000匹に1匹というわずかな確率です。しかし、ウミガメの子どもに砂浜を歩かせることは大切であり、砂浜を歩かせることにより、30年後に生まれた浜に産卵するために再び戻って来ます。日本で生まれたウミガメは太平洋を渡り、遠くメキシコの方まで回遊し、親ガメへと成長します。現在、栗生浜に産卵に来ているウミガメは30年前、栗生浜で生まれ、太平洋を渡ってカルフォルニアやメキシコ沖で成長し、5000分の1の確率を生き抜いてきたウミガメだということです。
b0190242_1021949.jpg

 栗生浜でウミガメの話を聞き、卵まで見学させていただいた後は、夜の大川の滝へ行きました。島津さんのお話では、この大川の滝でも大ウナギが生息しているそうです。大雨が降ったときはかなり増水し、私たちが見学で立っている場所も水没してしまうとのことです。018.gif
b0190242_10215780.jpg

また島津さんは岩に付いている白いシミのような模様を指さし、説明をしてくれました。このシミのようなものは地衣類という苔の仲間であり、この地衣類は空気がきれいである指標となる生きものと言うことでした。都会のように空気中にSOxやNOxのような硫黄あ窒素の酸化物が少しでもあると枯れてしまい、汚染された環境では育つことがありません。この地衣類が生きることができる屋久島は空気がきれいな証拠であるということを教えてくれました。018.gif
b0190242_10224138.jpg
b0190242_1023748.jpg

最後に大川の滝の前で記念撮影をして、大川の滝の湧水を飲んで、ナイトツアー終了となりました。若者たちを各宿泊先へ送り届け、私も屋久島グリーンホテルまで送っていただき、宮之浦岳登山からナイトツアーまで今日一日お世話になった島津さんともここでお別れ。島津さんから屋久杉でつくったというお箸をいただきました。島津さんの博覧強記ぶりには最後の最後まで感心し、今後もメールで情報交換することを約束し、屋久島にまた来た時は必ず島津さんにガイドをやってほしいとお願いしました。
040.gif
b0190242_10233277.jpg
b0190242_10235573.jpg

b0190242_10241268.jpg
b0190242_10244291.jpg

 「いい歳、りょうちゃんの百名山、百番目の頂に立つ。」はこれにてお終い。屋久島の旅はまだまだ続きます。
038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif
さて、ハードボイルド、いい歳、りょうちゃん、次の活躍は

「いい歳、りょうちゃん、縦断・種子島」お楽しみに。

にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ
にほんブログ村 写真ブログ 朝焼け・夕焼け写真へ
にほんブログ村
b0190242_1959233.jpg

b0190242_19592879.jpg

b0190242_19595061.jpg

b0190242_2002688.jpg

b0190242_10251113.jpg

b0190242_10252529.jpg

b0190242_1026297.jpg

b0190242_10262031.jpg

b0190242_1027154.jpg

b0190242_10272289.jpg

b0190242_10275262.jpg

b0190242_10282639.jpg

072.gif056.gif016.gif037.gif024.gif038.gif058.gif

by ryott-ryott | 2011-05-06 10:32 | 遠く、屋久島へ | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、百名山、百番目の頂に立つ(^o^)丿前編

旅行・地域
b0190242_1056860.jpg

 4月30日(土)、今日はいよいよ九州最高峰の宮之浦岳(1936 m)に挑戦します。挑戦するにあたって、皆さんからのアドバイスもあり、地元のガイドさんに案内をお願いしました。私が案内をお願いしたガイドさんは体験教育社ヤクシマーズ代表・島津さんです。こちらの島津さんは日本百名山を48日間かけて連続で全て登頂したという記録を持ち、屋久島で知らない人はいないほどの有名人です。こんな偉い人に初心者相手のガイドをやってもらえるのだろうかと思いつつも、島津さんへ電話をかけてガイドをお願いするとあっさりと快諾していただきました。2月22日のことでした。040.gif
b0190242_19572541.jpg

 屋久島空港から屋久島グリーンホテルに到着し、島津さんと連絡をやり取りし、朝4時30分にホテルのロビーに迎いに来てくれることになりました。私はホテルのロビーで朝と昼のお弁当を予約しました。登山前日は、お酒は舐める程度に控えて、翌日の登山に備えました。037.gif
b0190242_19251141.jpg

 早くに寝たためか翌朝3時30分に目が覚めてしまい、外はまだ暗闇の中でした。持ち物をチェックし、4時30分に予約したお弁当をフロントで受取り、リックへ入れると、島津さんが自動車で到着。ヤクシマーズのHPで拝見していた通り、私の体の幅の半分くらいのアスリート体型で、昔読売巨人軍の投手をしていた定岡選手に顔の感じが似た方でした。
自己紹介の挨拶を交わした後、早速、島津さんの自動車に乗せてもらい、淀川登山口へ向かいました。
b0190242_19564976.jpg

 途中、縄文杉へ行く荒川登山口へ向かう分岐点を通過しましたが、バスが3台ほど並んでおり、その前はたいへんな人で溢れていました。しかし、今年は東日本大震災の影響で人数が減っており、例年のおよそ3分の2の人出になっているそうです。しかしながら、それでもこの人数、最近は縄文杉を訪れる人が増えており、荒川登山口まではバスか専用のタクシーでしか行くことができず、乗り入れ規制をしています。
b0190242_19561117.jpg

 島津さんは普段から屋久島の環境問題や、修学旅行などで屋久島の文化を体験するツアーなどにも取り組んでいるためか、世界のエネルギー事情やエネルギー開発研究の最新トピックスに明るく、宮之浦岳のお話よりもむしろエネルギー関係の話のボリュームが多いと言った具合です。今回の登山では、宮之浦岳の雄大な景色にも感動すると同時に、島津さんの博覧強記ぶりには驚くばかりでした。018.gif
b0190242_19582042.jpg

 その島津さんは当然ながら原子力反対派です。今回の東日本大震災での原子力発電所が被災して、これから気温の上昇に伴い節電を余儀なくされることに対して、ある疑念を抱いていました。
その屋久島では水力発電により発電を行い、現状は電力が余っており、離島であるため送電することができず、余った電力を捨てています。余った電力を何とか備蓄出来ないかということで、水を電気分解して水素燃料として蓄えることが検討されたこともあるそうです。それにもかかわらず、東日本大震災の後に屋久島に節電の要求があったと言うのです。この要求には屋久島の人たちは大変に怒りました。電気があり余り捨てているにもかかわらず、節電要求してきた裏には、現在、国と東京電力が計画している無計画停電は、本当は電力が足りているにもかかわらず、原子力発電を今後も拡張して行く国策にストップをかけさせないための言わば狂言だと言うのです。「日本は原子力発電がなければ、停電になって、大変なことになるぞ。」という脅しのために無計画停電を行っているとの考えです。
 そして今回の震災での賠償として東京電力が保有している送電線をその一部として国民のものとすれば、一般道を通行するのと同じように、送電線を無料で使うことができ、現在電力会社に支払っている電力料金をもっと安くすることができる試算をしている人もいるというお話を聞きました。
 私は原子力という技術フィールドで仕事を現在も続けているだけに、このような考え方、意見を耳にすることはほとんどありませんでしたが、今日聞いたことは事実だと思えるし、送電線を国有化すれば電気代がかなり安くなるという考えには大賛成です。
こんな話をやり取りしながら、宮之浦岳の道中を進んで行きました。
018.gif
b0190242_1926286.jpg

 淀川登山口には午前5時過ぎに到着し、自動車の中で朝のお弁当を食べ、トイレを済ませ、いつものようにストレッチを行い、淀川登山口を島津さんと出発しました。午前5時22分です。山頂前までの間、トイレは淀川登山口と淀川小屋の2か所と携帯トイレブースが翁岳と栗生岳の間に1か所あるだけです。携帯トイレブースはヘリコプターで運搬可能であり、お土産を持ち帰るために山を汚すこともなく、島津さんたちは携帯トイレの普及にも尽力されています。
b0190242_19264513.jpg

 淀川登山口の標高は1300 m、縄文杉がある場所と同じ標高であり、登山を始めてすぐに大きな杉の木が現れ始めます。標高1300 mは照葉樹林帯ではなく、針葉樹と広葉樹が混ざった領域の高度であり、針広混林帯といいます。島津さんから山登りのコツは息が上がらない程度のペース、よその人から見ると「この人はやる気がないな。」と思わせる程度のペースで進み、脚を上げきらずに、段差が大きい場合には時には膝に手をあててケアするように登ることが大切だと教えていただきました。登りはじめて約1時間ほどで淀川小屋に着きました。午前6時33分。
b0190242_1927122.jpg
b0190242_19272863.jpg

b0190242_19274083.jpg

 淀川小屋の傍を流れる小川の水は冷たくて、そのまま飲むことができました。生水を飲んだのははじめてでした。屋久島の水は飲めるほどきれいです。069.gif
b0190242_19275246.jpg

 道中での島津さんの博覧強記ぶりはまだまだ続きます。私自身は化学屋なので、「その話はどうかなぁ。」と思う部分もありましたが、島津さんのお話はとどまるところを知りません。高度を上げるにつれて、高かった木も徐々に背が低くなります。そして樹の成長もぐんと遅くなり、直径わずか20 cmくらいで樹齢300年から500年の高齢樹になります。人間の肌の色は紫外線にさらされると黒く日焼けしますが、樹は白くなっていきます。018.gif
b0190242_19282745.jpg
b0190242_1928389.jpg

 標高が高くなるに伴い、石楠花の葉も小さく丸みをおびて、肉厚になります。また寒さに耐えられるように葉に糖分を蓄えるようになります。056.gif
b0190242_19285499.jpg
b0190242_19291192.jpg

 屋久島は火山島ではなく、海底にあった花崗岩にマグマが入りこんで、約1400万年前に隆起した島です。その屋久島は岩のかたまりであり、多くの奇岩が存在しますが、玉ねぎのように球状に風化して行く岩と、縦に亀裂が入っていく2種類の風化が観察されます。縦に亀裂が入っていく風化の代表例が高盤岳(標高1711 m)山頂にある豆腐岩でしょう。
b0190242_19292728.jpg
b0190242_19293948.jpg

豆腐岩の上に登っている人が、幅40 cmほどの風化した亀裂を飛び越えていました。038.gif
b0190242_19295989.jpg
b0190242_2052354.jpg

 小花之江河を通過し、有名な花之江河(はなのえごう)に到着。午前7時59分。登り始めて約2時間30分が経過。島津さんのお話を聞きながら進んできたため、2時間30分も歩いた実感はなく、あっという間にもう花之江河に着いてしまったという感じです。水辺には屋久島ウシガエルのオタマジャクシが泳いでおり、ヤクシカも来ていました。屋久島ウシガエルは30 cmほどの大きさにまで成長するそうです。
b0190242_19302492.jpg
b0190242_19303442.jpg
b0190242_1930431.jpg

 私たちは花之江河にある祠にこれからの登山の無事を祈り、手を合わせました。
b0190242_193142.jpg

 花之江河を過ぎると、投げ石平まで比較的急な山道が続きます。樹の背丈もさらに低くなり、馬酔木(あせび)が咲き、一見笹に見える屋久島竹の道が続きます。
b0190242_19314613.jpg
b0190242_1932105.jpg

b0190242_19323497.jpg
b0190242_1934916.jpg

 投げ石平でしばし休憩。午前8時43分。この場所は強風のときの風よけになるそうです。
b0190242_1933477.jpg
b0190242_19333497.jpg

b0190242_19334912.jpg


(コブクロ/あの太陽が、この世界を照らし続けるように。)

(映画「岳」予告編)

あの太陽が、この世界を照らし続けるように。
(作詞、作曲:小渕健太郎)
060.gif


どんな悲しみにも ひとつの意味を注ぐように
世界中の夜に 朝を連れてくる太陽
ぼくは彷徨ってた 生きる意味を探して
君に出逢うまでの僕じゃ あの壁は越せない

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため
ぼくに生きる意味をくれた その微笑み

人ごみに紛れて 逃げ出すのは容易くとも
一人きりの夜に 孤独から逃げ出せない
ガラス玉のような心を抱え生きてる
落とすたびに砕け散った 涙を忘れない

転がりながら辿り着いた 今がいつも君だけの頂上
心のままに生きてゆけば 時には人はぶつかり合うけれど
その魂に刻まれた模様はきっと 美しきヒビとなる

どんな命も輝いてる
あの太陽が、この世界を照らし続けるように

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため

b0190242_19414852.jpg

 
ヒトラーは1889年、北オースリアで生まれ、第1次世界大戦に参加し伍長に昇進し、鉄十字章を受けた平凡で真面目な兵士に過ぎませんでした。
1919年、ドイツ労働党(ナチス)に入党してから頭角をあらわし、その党首になりました。1923年には、ミュンヘンで革命を企てましたが失敗し、5年の禁固刑を受けています。このときに、獄中で書いたのが、有名な「わが闘争」です。

1933年、この年の選挙でヒトラーが率いるナチスが大勝して第一党となり、ヒトラーは総統としてファッショの道を歩み始めました。彼は、ナポレオンと同じく、ヨーロッパ征服の野望に燃え、同じファシズムを歩むイタリアと、軍閥独裁の日本と、三国軍事同盟を結び、第二次世界大戦をひき起こす結果となりました。

ナチスはもともと「ドイツ人のドイツをつくる」をスローガンとする極端な国粋主義政党でで、思想的に共産主義を嫌い、民族としてはユダヤ民族を敵視し大量虐殺を行いました。1945年5月、ベルリンは陥落しナチス・ドイツは降伏、続いて8月には日本も降伏して、第二次世界大戦は終わりを告げました。
ヒトラーは、ベルリン陥落の前夜、4月30日、妻のエバとともに総統官邸地下室でピストル自殺を遂げました。享年56歳でした。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

b0190242_19421331.jpg




(小柳ルミ子/星の砂)

星の砂(作詞:関口宏、作曲:出門英、歌:小柳ルミ子) 060.gif


二度と出来ない恋を捨てあなた遠く
離ればなれになってゆくの 今つらいわ

嫁ぐ日岬にひとりたたずみ君住む島に
別れを告げる
凪いで凪いでまぶしいサンゴの島が
にじんで落ちて 星の砂

過ぎし日 二人は海辺に遊び
変わらぬ愛を 夕陽に祈る
いつかいつか 二人は運命にさかれ
私は遠く 石垣へ

髪にかざした ブーゲンビリア
そえぬ運命に赤く咲く
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい 星の砂

ルルル・・・・・ルルル・・・・・
ルルルル・・・・・

風よ吹け 波よ打て
それであなたにつぐなえるならば
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい この想い
届けてほしい この想い

 投げ石平からさらに進むと、屋久島竹とむき出しの花崗岩が目立ちます。背の低い木々は盆栽林とも言われ、植木屋さんがこの景色を参考に見に来て、一言「負けた。」とおっしゃっていたそうです。この景色はプロの植木屋よりも腕がいいということでしょうか。
b0190242_19352636.jpg

 翁岳。
b0190242_19355864.jpg

 翁岳のモアイ象と鬼面岩。
b0190242_19373946.jpg
b0190242_1938731.jpg

b0190242_19382699.jpg

 クジラ岩。
b0190242_19383874.jpg

 座禅岩。

b0190242_19393033.jpg

 そして九州3番目の標高の栗生岳(標高1867 m)に着きました。午前9時58分。栗生岳の岩の間に祠がありました。宮之浦岳頂上まであと少しです。

b0190242_1940745.jpg
b0190242_19402519.jpg

b0190242_19404876.jpg
b0190242_1941777.jpg

b0190242_19423749.jpg

 栗生岳から約20分、午前10時15分に遂に宮之浦岳の頂上に到達しました。淀川登山口を出発して4時間53分でした。
038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif
b0190242_19425670.jpg
b0190242_19431172.jpg

b0190242_19433372.jpg

 宮之浦岳頂上からはお隣の九州No.2の永田岳が見えました。頂上で少し早めのお昼ごはんを島津さんと一緒に食べました。島津さんがお湯を沸かして、味噌汁を飲ませてくれました。ここでまた島津さんから興味深いお話を聞くことができました。広島と長崎で原爆が落とされて、たくさんの人が亡くなり、助かった人も放射能による障害に長年苦しめられてきましたが、その当時、一人の医師の指導で味噌汁やカリウムを多く含んだ食事を摂ることによってガンになることを防ぐことができたという事例があるそうです。そして、福島の原子力発電所から飛散した放射能で汚染された小学校の校庭のニュースを見て、その小学校に通う子どもたちにその食事のことを教えてあげたいとおっしゃっていました。
b0190242_19444238.jpg

 そして、屋久島の宮之浦に、ムラサキウコンのガジュツを主成分とする「恵命我神散(けいめいがしんさん)」という胃腸薬があるそうです。二日酔いに効く、あのウコンには何種類かあり、そのうちの春ウコンにはガンを治癒する効能があるらしいのです。島津さんによると、山形大学の副学長さんが、ご自身が末期ガンに侵されていることを知り、藁をもすがる思いで春ウコンを飲み続けたら、その末期ガンが消失し治癒してしまったと言うのです。その方は現在、春ウコン研究会の会長をされている松井良業さんです。松井さんは春ウコンのガンに対する効能をさらに確かめたいと思い、医師から見放された末期ガン患者35名にお願いして、春ウコンを飲み続けてもらいました。すると34名のガンが完治しました。残りのおひとりは春ウコンを飲み続けて、症状が改善された段階で、春ウコンの服用をやめてしまったために、ガンが再発して亡くなりました。このように服用を中断することによって、症状が悪化することを専門用語で「リバウンド」と言うそうです。
b0190242_19452154.jpg

 松井さんは春ウコンの効能をたくさんの研究者に検証してもらいたいという願いから、「春ウコン研究会」のホームページを立ち上げて、松井さんの研究成果の全文「ガンは癌にあらず」(定価5250円)を公開しています。松井さんの考えでは、ガンもウィルスの一種であるウイロイドによる感染症の一種であり、春ウコンを服用することによって体の免疫力が高まり、ガンが治癒するのではないかということです。

b0190242_19455125.jpg
 
 そして、下山を開始、午前10時58分。登って来た道を同じ景色を再確認しながら下って行きました。
b0190242_19463254.jpg

 「いい歳、りょうちゃんの百名山、百番目の頂に立つ。」は後篇に続きます。
にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ
にほんブログ村 写真ブログ 朝焼け・夕焼け写真へ
にほんブログ村

by ryott-ryott | 2011-05-05 20:20 | 遠く、屋久島へ | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、遠く、屋久島へ行く(^o^)丿

旅行・地域
b0190242_1056860.jpg

 待ちに待ったGW(Golden Week)が始まりました。私は5月2日(月)と6日(金)も休みにして10連休にしました。そして、昨年8月に偶然にも富士登山から始まった百名山めぐりとして、100番目の百名山、屋久島の宮之浦岳(1936 m)へ行くことにしました。070.gif
b0190242_14263061.jpg
b0190242_14265444.jpg

b0190242_1427741.jpg

 屋久島へ行くには鹿児島から飛行機を乗り継ぎ屋久島空港へ向かうルートと、鹿児島港から高速艇「トッピー」に乗船するルートがあります。私は飛行機の方を選びました。ただし、2ヵ月前に予約を取った時には鹿児島経由は既に満席になっており、今年の3月から就航した福岡空港経由で行くことにしました。
b0190242_14272859.jpg
b0190242_14274137.jpg

 福岡空港で約1時間ほどの乗り継ぎ時間がありましたが、福岡空港では1度到着ロビーに出て、一番端の別建屋の1番ターミナルまで移動しなければならず、意外と時間がありませんでした。福岡経由を利用される場合はご注意ください。018.gif
b0190242_14283659.jpg

 屋久島はひと月に35日も雨が降ると言われるくらい、雨が多い島として知られています。この「ひと月に35日間、雨が降る。」という言葉は放浪記で有名な作家の林芙美子が小説「浮雲」の中で書かれており、屋久島の気候風土をぴたりと言い当てていることからよく使われるようになりました。しかし、私が屋久島に降り立った4月29日は抜けるような青空が広がっており、この日ばかりは林芙美子の言葉は当てはまることはありませんでした。
058.gif058.gif058.gif058.gif058.gif
b0190242_14284985.jpg
b0190242_1429477.jpg

b0190242_14292399.jpg

 今日から4泊5日の旅程で屋久島に滞在します。4泊もするのは宮之浦岳登山を予定している日が荒天になった場合を考えてのことです。当初の心配も杞憂に終わりそうな空模様です。屋久島空港の前は青い海、屋久島空港越しに洋上アルプスの山々がはっきりと見えました。
b0190242_14302220.jpg

b0190242_14303412.jpg

 屋久島空港からタクシーで約8分、安房(あんぼう)の屋久島グリーンホテルに向かいました。ホテルには14:00に到着。チェックインは15:00だと言うので、荷物を預けて、カメラだけ持って、ホテル周辺の散歩へ出かけました。
070.gif070.gif070.gif070.gif070.gif
b0190242_14304873.jpg
b0190242_14314488.jpg

 ホテルの庭を通り抜け、海岸の方向へ歩いて行くと、木の幹に大嫌いな蜂の大群が。滅多なことでは人を刺さない蜜蜂のようですが、それでも立ち止まって写真を撮る気には慣れませんでした。042.gif042.gif042.gif
b0190242_14321283.jpg
b0190242_14351792.jpg

 道には都会では見たことのない花が咲いていました。通りすがりの人に、「この花の名前を知っていますか?」と聞いても、「雑草だからわからない。」と言われてしまいました。037.gif037.gif037.gif
b0190242_14354626.jpg
b0190242_1436199.jpg

 そして岩場の海岸に着き、青い海を眺めていました。シュノーケルを持ってウェットスーツを着た方から声をかけられ、私が「これから潜るんですか?」と尋ねると、その方は「この付近はウミガメやエイが泳いでいるの。」と言って海に入って行きました。

b0190242_14365830.jpg
b0190242_14373346.jpg


(コブクロ/あの太陽が、この世界を照らし続けるように。)

(映画「岳」予告編)

あの太陽が、この世界を照らし続けるように。
(作詞、作曲:小渕健太郎)
060.gif


どんな悲しみにも ひとつの意味を注ぐように
世界中の夜に 朝を連れてくる太陽
ぼくは彷徨ってた 生きる意味を探して
君に出逢うまでの僕じゃ あの壁は越せない

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため
ぼくに生きる意味をくれた その微笑み

人ごみに紛れて 逃げ出すのは容易くとも
一人きりの夜に 孤独から逃げ出せない
ガラス玉のような心を抱え生きてる
落とすたびに砕け散った 涙を忘れない

転がりながら辿り着いた 今がいつも君だけの頂上
心のままに生きてゆけば 時には人はぶつかり合うけれど
その魂に刻まれた模様はきっと 美しきヒビとなる

どんな命も輝いてる
あの太陽が、この世界を照らし続けるように

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため

b0190242_1438261.jpg

 
昭和天皇裕仁は、明治34年(1901年)4月29日に誕生されました。
 昭和64年(1989年)で88歳、歴代天皇では最長の在位記録を持ちます。神武天皇の建国から数えますと124代目の天皇になりますが、激動の昭和史を生きてきた主人公として、その感慨はひとしおものでしょう。
 「天皇誕生日」に行われる皇居での一般参賀も、年々増加の傾向にありました。
 陛下に対する国民の親近感、またご高齢にもかかわらず、国事に精励されているお姿を見て、そのご労苦に対する感謝の気持ちが参賀客の増加につながっていたかもしれません。
 
終戦直後、陛下は日本占領の連合国総司令官マッカーサー元帥のところを訪ねられたことがありました。元帥は『回想録』でこう書いています。
「・・・・・『私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたと代表する諸国の裁決にゆだねるためにおたずねしました。』
 私は大きい感動にゆさぶられた。死をともなうほどの責任。それも私の知り尽くしている諸事情に照らしても、明らかに天皇に帰すべきでない責任を引受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした。
 私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じた。」

 マッカーサー元帥は、この会談の印象がよほど強烈だったのでしょう。ただちにトルーマン大統領と米国政府に対し、天皇を戦争犯罪人から除外することを提言し、事実その通りになりました。天皇の人柄を表すひとつのエピソードです。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

b0190242_14384321.jpg




(小柳ルミ子/星の砂)

星の砂(作詞:関口宏、作曲:出門英、歌:小柳ルミ子) 060.gif


二度と出来ない恋を捨てあなた遠く
離ればなれになってゆくの 今つらいわ

嫁ぐ日岬にひとりたたずみ君住む島に
別れを告げる
凪いで凪いでまぶしいサンゴの島が
にじんで落ちて 星の砂

過ぎし日 二人は海辺に遊び
変わらぬ愛を 夕陽に祈る
いつかいつか 二人は運命にさかれ
私は遠く 石垣へ

髪にかざした ブーゲンビリア
そえぬ運命に赤く咲く
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい 星の砂

ルルル・・・・・ルルル・・・・・
ルルルル・・・・・

風よ吹け 波よ打て
それであなたにつぐなえるならば
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい この想い
届けてほしい この想い

b0190242_14391362.jpg
b0190242_1440418.jpg

 もうそろそろチェックインできる時刻になったことを確かめ、ホテルで教えてもらった道を歩き、安房川の方を「如竹通り」を通ってホテルに戻って来ました。途中、翌日に宮之浦岳のガイドをお願いしている島津さんから電話があり、4:30にホテルに迎いに来てくれるとのことでした。
b0190242_1439379.jpg
b0190242_1440262.jpg

b0190242_14402116.jpg

 こんなにいい天気ならば、島の西側に行けば夕陽を見ることができると思い、急遽、栗生(くりお)に行くことにしました。丸い形をした屋久島を時計の文字盤に見立てると、7時の方向から11時の方向の間であれば、どこへ行っても夕陽を見ることができるとのこと。7時の方向が栗生であり、11時の方向が永田浜であり、いずれも5月中旬からウミガメが産卵に来ることで有名です。屋久島グリーンホテルから最も近い栗生へ行きました。もちろんタクシーで。
058.gif058.gif058.gif058.gif058.gif
b0190242_1441281.jpg

 私は屋久島はきっと暑いのだろうと考えていましたが、夕方にもなるとむしろ涼しいくらいでした。今年の屋久島は暑い日がなく、自生しているバナナやパパイヤが枯れているとのことでした。018.gif
b0190242_1442291.jpg

 栗生へ行く途中、千尋(せんぴろ)の滝に寄ってもらいました。その途中に本富岳(モッチョム岳)への登山口があります。モッチョム岳の正面は大きな岩壁になっており、プロのロッククライマーが1年に何回か登りに来るそうです。
b0190242_14421745.jpg
b0190242_14424192.jpg

千尋の滝は、日本の滝百選の100番目に選ばれていましたが、お隣の大川(おうこ)の滝が滝百選に選ばれると同時に、千尋の滝は百選から外されてしまいました。018.gif
b0190242_1443818.jpg
b0190242_1443355.jpg

そして赤く色づき始めた太陽を追って、栗生までやって来ました。道にはヤクシカ、山肌の木々にはヤクザルがいました。058.gif072.gif058.gif072.gif058.gif
b0190242_1444844.jpg
b0190242_14442747.jpg
b0190242_14451471.jpg
b0190242_1515671.jpg

太陽は水平線ではなく雲の中に沈んで行きました。

058.gif072.gif058.gif072.gif058.gif
b0190242_14454228.jpg
b0190242_14461592.jpg

b0190242_14465419.jpg
b0190242_14472631.jpg

 ホテルへ戻る途中、新たに日本の滝百選に選ばれた「大川の滝」を見て、帰りました。ホテルのフロントで朝と昼のお弁当を注文して夕飯を食べました。さて、いよいよ明日は宮之浦岳登山に挑戦します。したがって、この日はあまり飲まないようにしました。037.gif037.gif037.gif037.gif037.gif
b0190242_14474792.jpg
b0190242_14482580.jpg

いい歳、りょうちゃん、次の活躍は、今度こそ、


「いい歳、りょうちゃん、
百名山、百番目の頂に立つ」
お楽しみに。

038.gif037.gif037.gif038.gif038.gif
にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ
にほんブログ村 写真ブログ 朝焼け・夕焼け写真へ
にほんブログ村
きびなごの刺身
b0190242_1449596.jpg

黒豚角煮
b0190242_14492456.jpg

トビウオ唐揚げ、あまり食べるところありません
b0190242_145044100.jpg

b0190242_1451663.jpg

b0190242_14515556.jpg

b0190242_14522794.jpg

b0190242_14525596.jpg

b0190242_14531998.jpg

058.gif056.gif032.gif024.gif016.gif038.gif037.gif041.gif

by ryott-ryott | 2011-05-04 15:02 | 遠く、屋久島へ | Comments(2)