カテゴリ:あづみ野うたごえ喫茶( 6 )

歌声をクリスマスのベルにのせて♩ 第90回あづみ野うたごえ喫茶ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 今週末の3連休は浅間山および千畳敷きカールでの雪上講習へ行きます。その雪山装備を揃えるために四谷にある「山の店 デナリ」に行ってきました。「デナリ」はJR四谷駅四谷口を出て、タクシー乗り場のはす向かいにあります。
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 携帯電話で見るネットに紹介されている地図では、新宿通りを少し進んで、右手の花屋さんとその先のローソンの間に店の位置がプロットされていますが、その位置にお店はありませんのでご注意願います。私は携帯のネットの地図を見て行ったので、花屋とローソンの間を店を探してうろうろしてしまいました。上の地図は的確です。
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 店に電話をして再度、店の位置を確認して、ようやく店にたどりつくことができました。通りをはさんでタクシー乗り場の目の前にありました。
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 店に入ると、店員さんが2名いましたが、「いらっしゃいませヽ(^o^)丿」とも何も言わないので、店員さんに「はじめて冬山に行くので、必要な装備をすべて揃えたい。」と伝えました。私が話しかけた店員さんは店長の平野応典(おうすけ)さんで、山岳雑誌のPEAKSに山道具のことで記事をときどき投稿している方でした。038.gif
 平野さんは私に「山道具は何を持っているの?冬山はどこへ行くの?」と尋ねるので、ザック以外は冬装備は何も持っていないこと、今後の雪山歩きの予定をすべて伝え、アミューズでもらった装備の一覧も見せると、私を2階へ連れて行き、まずはウエアから揃えることになりました。着るものはウエア(Wear)、登山靴やクランポンなどはギア(Gear)と専門用語で言うそうです。
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 まずは肌に直接身につける肌着とチョッキを選んでもらいました。平野さんがおっしゃるには肌に直接身につけるものはぴったりしたサイズを選ぶことが重要であり、密着した肌着を着ることにより肌と肌着の間に動かない空気層が形成されて暖かさを保つことができます。大きめのサイズを着てしまうと肌と肌着の間に空間ができて、空気が動いてしまうため、暖かさを保つことができません。この動かない空気層のことをDead Airと言い、Dead Airをつくることができるサイズの肌着を選ぶことが冬山装備のウエア選びで最も重要になります。
 現在販売されているウエアの生地はほとんどほPOLARTEC(ポーラテック)という繊維が使われています。以下の写真のように細かいメッシュが切られており、溝があることによってDead Airが形成される構造になっています。
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 デナリでは最初から値段の高いものは勧められませんでした。オーバージャケットなどは10万円前後するものもざらにあり、初心者はクランポンやピッケルでウエアに穴をあけてしまうことがた多いため、最初は機能は同じで型落ちして安くなっているものを身につけておき、自分の技術があがってから、徐々によいものを替えて行けばいいとおっしゃっていました。最初から高価なウエアを揃えて、引っかけて穴をあけると「かなりへこむよ。」とおっしゃっており、コストパフォーマンスを重視して選んだほうがいいと勧めてくれました。したがって、私にも定価は69000円でしたが、型落ちして60%OFFになっているオーバージャケットを選んでいただきました。
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 ズボンに関しても考え方が同じで、肌着でDead Airをつくり、その上にオーバーパンツを履きます。その他、帽子、目出し帽、インナーグローブ、オーバーグローブを用意していただき、これでウエアは終わりです。
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 つぎにギアです。アミューズの雪山歩き教室では、ピッケルは手に持った時にシャフトの先端が自分のくるぶしの位置までに来る長さのものを選ぶようにとの指導でしたので、そのような長さのピッケルを用意したいと平野さんに話すと、平野さんは「そんなこと言う奴は頭がおかしい!」とバッサリ切り捨てられました。くるぶしまでの長さのピッケルは、長すぎて使いにくいとのことです。傾斜がきつくなればなるほど、より短いものが使いやすく、長いものは邪魔になるとおっしゃっていました。実際にくるぶしまでの長さのピッケルと、それよりも短いピッケルを持って、店の階段を上り下りしましたが、長いほうが手の位置が上に来ていることがわかりました。あまりに長いとシャフトの部分を握ってしまうことにもなるので短いものを勧められました。また滑落停止の練習では短い方が有利であるともおっしゃっていました。平野さんは身長171 cmで普段は48 cmのピッケルを使っているそうです。私の場合は身長177 cmで、くるぶしまでにすると70 cmのピッケルになりますが、平野さんの勧めで65 cmの長さのピッケルを買いました。これから冬山に何度も行くようになれば、もっと短いピッケルが欲しくなる筈だとおっしゃっていました。
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 登山靴とゲーター(ロングスパッツ)はデナリに私の足にフィットする大きいサイズがなかったため、平野さんに探していただき、神保町のさかい屋で買いました。さかい屋で登山靴とゲーターを買ってきて、デナリでその靴にあうクランポンを用意していただきました。アミューズではアルミ製の12本爪のクランポンを勧められましたが、平野さんからはアルミ製は消耗が激しいためクロムモリブデン製のものを勧めてくれました。特に私のように体重があると、雪のない岩場の上に乗ってしまった場合にアルミ製クランポンの歯は簡単に曲がってしまうので、硬いクロムモリブデン製クランポンがよいとのことです。アルミ製は本当に雪しかないような場所を歩く時に使うのがよいそうです。そして装着方法も教えていただきました。家でクランポン装着の練習をするときは、くれぐれも畳やフローリングの上では行わないように注意を受けました。クランポンの歯で畳やフローリングは簡単に切れてしまいます。装着の練習をするときは公園の砂場が一番いいそうです。
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 ハーネスは私のウエストにあうサイズがなかったので取り寄せていただきました。平野さんからはこれ以上太らないように言われました。037.gifもちろんハーネスの装着方法も教えていただきました。ハーネスは腰骨の上で固定し取り付けて、お店の天井から吊るされているザイルに安全環付きカラビラを通してハーネスと結んで、天井にぶら下がりました。どこかが痛く感じるようだと、このハーネスは合わないとのことです。
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このように私の冬山装備のほとんどを四谷の「山の店 デナリ」で揃えました。2日間にわたり、約6時間の時間をかけて、装備の使い方も親切に教えていただきながら、必要なものを用意していただきました。1日目は2回の休憩をはさんで、12時にお店に行ってから16時半までかかりました。平野さんの山道具の説明は大変わかりやすく、勉強になりました。038.gif
冒頭にデナリの店員は「いらっしゃいませ!」と言わないと書きましたが、デナリでは来店客に「いらっしゃいませ!」は言ってはいけないことにしているそうです。装備を本当に必要としているお客さんは自分から店員に尋ねてくるので、そういうお客さんに時間をかけて使い方の説明をすることを心掛けているとのことです。038.gif
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 また平野さんは「山の店」を経営しているにもかかわらず、山には全く興味がないそうです。山の店デナリを早く辞めて、マクドナルドをやりたいとおっしゃっていました。冬山用の登山靴ひとつとっても、すべてのサイズを店に揃えるとなると1つの種類に対して10足ほど仕入れておく必要があり、1足5万円とした場合、それだけで50万円になり、10種類では500万円になります。そして仕入れた商品はすべて売れるという保証がないので、博打のような商売だとおっしゃっていました。そして、今年の冬山用品を売っているこの時期から、すでに来年の冬山用品の仕入れが始まっていると話していました。
 平野さんは山にも行くそうですが、景色よりも登山者が身に付けているものに目が行ってしまい、とてもリフレッシュにはならず仕事とかわらなくなってしまうため、通常は遊びのフィールドは海の方にしているそうです。よくブリを釣りに直江津まで行くとおっしゃっていました。
 デナリで揃えた冬山装備で雪上講習へ行ってきます。038.gif038.gif038.gif
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(BELIEVE)

BELIEVE(作詞、作曲:杉本竜一)


たとえば君が 傷ついて
くじけそうになった時は
かならずぼくがそばにいて
ささえてあげるよその肩を
世界中の希望のせて
この地球はまわってる
いま未来の扉を開けるとき
悲しみや苦しみが
いつの日か喜びに変わるだろう
I believe in future 信じてる

もしも誰かが君のそばで
泣き出しそうになった時は
だまって腕をとりながら
一緒に歩いてくれるよね
世界中のやさしさで
この地球をつつみたい
いま素直な気持ちになれるなら
憧れや愛しさが
大空にはじけてひかるだろう
I believe in future 信じてる
いま未来の扉を開けるとき
I believe in future 信じてる

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 土曜日に映画「リアル・スティール」を見ました。2020年、人間同志がボクシングをする時代はすでに終わり、人間の替わりにロボット同志を戦わせて賭け試合を行うようになっていました。ヒュー・ジャックマン扮するチャーリーは元ボクサーで、ロボットボクシングの賭け試合で生計をたてていましたが、ロボットボクシングでは思うように勝利をあげることができず、手に入れたロボットは大破し、借金に追われるようになります。
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 そのチャーリーのもとにかつての恋人の間にできた息子マックスがやってきます。チャーリーは、マックスを養子として引き取りたいという叔母夫婦にマックスの親権を渡す見返りに10万ドルを要求し、その金で新しいロボット、Noisy Boyを手に入れます。しかしながら、そのNoisy Boyもロボットボクシングで強敵の前にスクラップ同然にされてしまいます。命運尽きたチャーリーはロボットの部品を調達するために、息子のマックスとともにロボットの墓場となっているゴミ捨て場に忍び込み、旧型ロボット、ATOMを拾ってきます。ATOMは戦闘用ではなくスパーリング用として造られたロボットでした。息子のマックスはATOMが人間の動きを学習するようにプログラミングされていることを知り、チャーリーにATOMにボクシングを教えてほしいと頼みます。
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 ここからチャーリーとマックスの挑戦が始まります。ボクシングの動きをおぼえたATOMは次つぎと強敵を倒していきます。ゴミ捨て場から掘り起こされた無名のロボットATOMの目覚ましい活躍ぶりは、ロボットボクシングで無敵を誇るゼウスのオーナーであるロシアの財閥ファラの耳にも入り、ATOMを20万ドルで売ってほしいと言われます。チャーリーはいずれATOMも強敵に敗れてスクラップになる前に20万ドルでファラに売ってしまいたいと考えますが、息子マックスはATOMを売ることに同意しませんでした。それどころか、無敵のゼウスに挑戦を申し込むのです。
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 誰もがATOMはゼウスの餌食になり、1Rでスクラップになることを予想しました。戦いのゴングが鳴り、ATOMとゼウスの戦いが開始されました。ゼウスの圧倒的な戦闘力になす術もなく、応戦一方のATOM。ついにはATOMの音声識別システムも破壊され、チャーリーとマックスの指示がATOMに届かなくなってしまいます。
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 しかし、ATOMには人間の動きを見て学習する能力が残っていました。マックスがチャーリーに瀕死のATOMと一緒に戦ってほしいと頼みます。元ボクサーのチャーリーはATOMに“Watch me!”と言い、ATOMの視界の中でボクシングの動きをします。ATOMはすぐにその動きを学び取り、ゼウスへの反撃が始まりました。いままで1度もダウンを奪われたことのないゼウスがATOMの攻撃に2回もダウンを取られます。そして最終第5Rへ。戦いの流れは完全にATOMに傾いていました。ゼウスはほとんど動かなくなってしまいましたが、ゼウスはダウン寸前にゴングに救われ、判定に持ち込まれます。果たして、その結末は・・・・・。
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 ほとんど内容を書いてしまいましたが、判定の結果はゼウスの勝利で終わります。判定の結果に会場からは大ブーイングの嵐でしたが、チャーリーとマックスの表情は爽快でした。
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 テレビの宣伝でタレントの中山秀行が「リアル・スティール」を見て、感動して何度も泣いたと言っていますが、正直に私はこの映画を見て感動することはありませんでした。無名のATOMがピンチを乗り越えて強敵を倒して行く場面は確かに面白いと思うのですが、ATOMが強敵を倒して行くことも、無敵のゼウスとの死闘の末、判定にまで持ち込んで、判定負けすることも見ていて予測できます。先日じゃんけんぽんで変人シェフ憲一さんは、私に映画の結末を話すなと言いましたが、憲一さんも多分がっかりされるのではないかと思います。「リアル・スティール」の映画宣伝が誇大であると私は思っています。あの宣伝を見てしまうと期待をして映画館へ足を運ぶことになりますが、期待通りではなかったというのが私の感想です。そして、この映画のどの場面に泣くほど感動したのか、タレントに聞いてみたいと思いました。これから「リアル・スティール」をご覧になる方、ごめんなさい。これは私の映画を見た感想です。040.gif

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(中島みゆき/時代)

時代(作詞、作曲:中島みゆき)


今はこんなに悲しくて
涙も枯れはてて もう二度と笑顔には
なれそうもないけど

そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで
今日の風にふかれましょう
まわるまわるよ時代はまわる
喜び悲しみくり返し
今日は別れた恋人たちも
生まれかわってめぐりあうよ

旅を続ける人々は
いつか故郷に出会う日を
たとえ今夜は倒れても
きっと信じてドアを出る
たとえ今日は果てしもなく
冷たい雨が降っていても
めぐるめぐるよ時代はめぐる
別れと出会いをくり返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれかわって歩き出すよ

まわるまわるよ時代はまわる
別れと出会いをくり返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれかわって歩き出すよ
今日は倒れた旅人たちも
生まれかわって歩き出すよ




(倍賞千恵子/下町の太陽)

下町の太陽(作詞:横井弘、作曲:江口浩司、歌:倍賞千恵子)


下町の空に輝く太陽は
喜びと悲しみを映すガラス窓
心の痛むその朝は
足音しみる橋の上
ああ太陽に呼びかける

下町の恋を育てた太陽は
縁日に二人で分けた丸い飴
口さえきけず別れては
祭りの午後のなつかしく
ああ太陽に涙ぐむ

下町の屋根を温める太陽は
貧しくも笑顔を消さぬ母の顔
悩みを夢を打ち明けて
路地にも幸の来るように
ああ太陽ときょうもまた

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 さて12月18日の日曜日は第90回あづみ野歌声喫茶へ行ってきました。いつものホワイトトークハウスでの歌声喫茶ではなく、10周年記念とクリスマスイベントということもあり、会場を穂高交流学習センター「みらい」に移して、開催されました。060.gif
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 日曜日は天気もよくて、あずさ号の車窓からは富士山や南アルプスが見えました。058.gif
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 10周年イベントに多くの人が集まり、会場前は長蛇の列ができていました。038.gif
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 オープニングはミュージックベルでクリスマスソングメドレーの演奏。038.gif
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 あづみ野歌声喫茶にテーマソングがあることをはじめて知りました。038.gif
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 歌声喫茶のメンバーの紹介とともに、1曲ずつ歌を歌いました。038.gif
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 そして、この10周年記念の歌声喫茶では3組のゲストによる歌と演奏がありました。1番手は松本の中学校で先生をされているテノール歌手の鷲沢幸毅(わしざわこうき)さんでした。オペラの「燃える心を」、「アベマリア」を披露していただき、BELIEVEをみんなで歌いました。鷲沢先生は歌声喫茶に集まった方々の元気な歌声を教えている生徒さんたちにも聞かせてあげたいとおっしゃっていました。038.gif
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 お2人目のゲストはシャンソン歌手の神谷ありこさんでした。ありこさんは高校生のときまで名古屋にお住まいだったそうですが、信州にあこがれて、信州の大学に進学され、そのまま信州の長野に住みついてしまったそうです。ご自身はシャンソン歌手ではなくて、サンソン(山村)歌手だとおっしゃっています。またあり子さんは歌声喫茶を立ち上げたお一人で、「笑点」で言えば立川談志のような方なんだそうです。037.gif038.gif
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 そのあり子さんの歌声はもちろん素晴らしいのですが、年寄り受けする軽妙なトークが面白く、さながら信州の綾小路きみまろのようでした。ありこさんは普段は病院やお寺で年配者の方に歌をきかせることが多いそうですが、私も是非ありこさんのコンサートを聞きに行ってみたいと思います。038.gif
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 3人目のゲストはいつも歌声喫茶でギターの演奏を担当している小林和彦さんが率いる「沖縄チャンプルー」というグループでした。歌声喫茶ではギターを弾いているときの小林さんしか見ることはありませんでしたが、小林さんの歌声はクリスマスにぴったりであり、私は東京に帰ってからTBSのEXILE魂を見て、EXILEのATUSHIに一歩も引けを取っていないと思いました。038.gif
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 残念ながら帰りの汽車の時刻が迫り、沖縄チャンプルーの演奏の途中で失礼することになりましたが、歌声喫茶のクリスマス一大イベントに参加することができ、楽しい時間を過ごすことができました。そのあとは歌声名曲選として私の大好きな「下町の太陽」や「銀色の道」「岬めぐり」が歌われたそうです。次回は月曜日に休暇を取って、穂高に宿泊するつもりで歌声喫茶に伺いたいと思います。038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif
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3連休は浅間山と千畳敷きカールに雪上講習に行ってきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2011-12-21 12:29 | あづみ野うたごえ喫茶 | Comments(0)

雪の山歩きに向けてヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 第89回あづみ野うたごえ喫茶の模様がYouTubeにアップされたので、いくつかの動画を記事の中に貼り付けました。いい歳、りょうちゃんも映っています。060.gif038.gif
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 また浦安湯屋のともちゃんから「くじゅう山」の記事で書いた村田英雄伝説について、よくまとまられているとお褒めの言葉を戴いたので、村田英雄伝説を再度載せました。記事はすべて友ちゃんから聞いた話を文字にしたものです。YouTubeで船村徹が歌っている動画が幾つかありますが、結構歌が上手です。038.gif
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 11月に入ったというのに、気温は一向に下がらず、暑い日が続いています。1日は仕事で九州・福岡へ出張に行きましたが、最高気温28 ℃と30 ℃に迫る暑さでした。7時20分発の飛行機であったため、羽田空港から日の出を見ました。飛行機は朝早い便であるにもかかわらず、ほぼ満席でした。
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 福岡空港と言えば、九州3座のときも立ち寄った「おでん屋さん」。いかの姿造りがあったので、頼んでしまいました。037.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう



(岩崎宏美/思秋期)

(第89回安曇野歌声喫茶/思秋期)

思秋期(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、歌:岩崎宏美)

足音もなく 行き過ぎた
季節をひとり 見送って
はらはら涙あふれる 私十八
無口だけれど あたたかい
心を持った あのひとの
別れの言葉抱きしめ やがて十九に
心ゆれる秋になって 涙もろい私
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ふとしたことで はじめての
くちづけをした あのひとは
ごめんといった それきり
声もかけない
卒業式の まえの日に
心を告げに 来たひとは
私に悩む顔見て 肩をすぼめた
誰も彼も 通り過ぎて
二度とここへ 来ない
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ひとりで紅茶 のみながら
絵葉書なんか 書いている
お元気ですか みなさん
いつか逢いましょう

無-邪-気な 春の語らいや
はなやぐ 夏のいたずらや
笑いころげたあれこれ 思う秋の日



(第89回安曇野歌声喫茶/遠い世界に)


(第89回安曇野歌声喫茶/羽田発七時五十分)
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 その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。

 一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。

浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。

 三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。

 1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。

 村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。

 歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。

(ともちゃんから聞いた「村田英雄伝説」より)038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif038.gif


(船村徹/王将)





(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(奥村チヨ/終着駅)

(第89回安曇野歌声喫茶/終着駅)

終着駅(作詞:千家和也、作曲:浜圭介、歌:奥村チヨ)


落ち葉の舞い散る 停車場は
悲しい女の 吹きだまり
だから今日もひとり 明日もひとり
涙を捨てにくる
真冬に裸足は 冷たかろう
大きな荷物は 重たかろう
なのに今日もひとり 明日もひとり
過去から逃げてくる

一度離したら 二度とつかめない
愛というなのあたたかい 心の鍵は
よくにた女が 降りてくる
そして今日もひとり 明日もひとり
過去から逃げてくる

一度離したら 二度とつかめない
愛というなのあたたかい 心の鍵は
よくにた女が 降りてくる
そして今日もひとり 明日もひとり
過去から逃げてくる

そして今日もひとり 明日もひとり
過去から逃げてくる

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(山口百恵/秋桜)

(第89回安曇野歌声喫茶/秋桜)

秋桜(作詞:さだまさし、作曲:さだまさし、歌:山口百恵)

うすべにのコスモスが秋の陽に
何気ないひだまりにゆれている
このごろ涙もろくなった母が
庭先でひとつせきをする
縁側でアルバムを開いては
わたしの幼い日の思い出を
何度も同じ話くりかえす
ひとりごとみたいに小さな声で
こんな小春日和の穏やかな日は
あなたのやさしさがしみてくる
明日嫁ぐわたしに苦労はしても
笑い話に時がかえるよ
心配いらないと笑った

あれこれと思い出をたどったら
いつの日も一人ではなかったと
今さらながらわがままな私に
くちびるかんでいます
あしたへの荷造りに手をかりて
しばらくは楽しげにいたけれど
突然涙こぼし元気でと
何度も何度もくりかえす母
有難うの言葉かみしめながら
生きて見ます私なりに
こんな小春日和の穏やかな日は
もう少しあなたの子どもで
いさせてください

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(坂本スミ子/夜が明けて)

夜が明けて(作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、歌:坂本スミ子)

夜が明けて 手さぐりをしてみた
ぬけがらのとなりには 誰もいない
目をあけて 部屋のなか見てみた
陽がもれる窓のそば 誰もいない
夢を追いかけて
ひとりふかす たばこのけむり
白い 白い

夜が明けて 夢をみたまくらに
あの人のかみの毛が ひとつのこる
テーブルの 灰皿の中には
あのひとのすいがらが ひとつのこる
あせたくちびるを
かんでひいた ルージュの赤が
つらい つらい

われた手鏡に
語りかける おんなの朝は
ひとり ひとり

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(辻さんから送ってもらった栗拾いの写真)
 
11月3日はアミューズトラベルの背戸峨廊に申し込んでいましたが、崖崩れのため催行中止になってしまいました。いい歳、りょうちゃんの今後の予定です。070.gif

11月 6日(日) 大菩薩嶺
/週間天気予報では傘マークがついています。よしこさんはキャンセルするようです。

   13日(日) 羅漢寺山

   19日(土) 大井町のじゃんけんぽんでボジョレーヌーボ試飲会
 /よしこさん、おばあさんの佐藤さん、浦安湯屋のすみお姉ちゃんとはせやんもご一緒する予定です。
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   26日(土)~27日(日) 政次郎尾根からの丹沢山縦走
 /最初は書策新道を通る予定でしたが、道が通れないそうであり、政次郎尾根に変更になりました。

12月18日(日) 第90回あづみ野うたごえ喫茶060.gif
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   23日(金) 浅間山雪上講習
 /11月12日(土)にアミューズトラベルでの雪山講習会を聞いてきます。1月から5月まで蓼科山、蔵王熊野岳、武尊山、至仏山、立山と毎月1回雪の山歩きを申し込みました。

 
11月6日、大菩薩嶺に行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2011-11-03 20:16 | あづみ野うたごえ喫茶 | Comments(0)

「ねがい」を歌にのせて、第89回あづみ野うたごえ喫茶ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 宿は安曇野アンビエントホテルに泊まりました。このホテルが常念岳の一の沢登山口に一番近いからです。あとで聞いたことですが、一の沢登山口から登るよりも、中房温泉登山口から登って、燕岳から常念岳へ向かうコースの方が人気があるそうです。
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歌声喫茶の開始時間は午後2時からのため、午前中は安曇野観光を行いました。大王わさび農場へ行きました。この農場の名前にある「大王」とはこの安曇野の地を治めていた怪力無双の首領・魏石鬼八面大王のことです。
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時代は桓武天皇(781~806年)の頃です。時代は奈良から平安へ移り変わっていく時期であり、称徳女帝が死去し、それまで権力をほしいままにしていた称徳女帝の愛人・道鏡が追放されると、それまでの天武天皇の皇統にかわって天智天皇系の白壁王が即位し光仁天皇となります。その子ども山部親王が即位し桓武天皇となりました。
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奈良時代の仏教政治の弊害から脱却するために784年に平城京から現在の京都府日向市に位置していた長岡京に遷都を決めました。しかしながら、長岡京遷都に反対する勢力の抵抗に遭い、桓武天皇の腹心で長岡京遷都を主導していた藤原種継が暗殺される事件が起こります。この事件の主犯格とされる皇太子の早良(さわら)親王(桓武天皇の弟)が処刑される一方で、桓武天皇の母親と皇后が相次いで亡くなりました。こうした不幸は早良親王の怨霊によるものとされるなか、なかなか完成しない長岡京から再度遷都が行われます。794年、新しい都は平安京と名づけられ、源頼朝が鎌倉幕府を開くまでの約400年間を平安時代と呼んでいます。
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名前は平安京ですが、桓武天皇の基盤は確固としていませんでした。とくに東北地方には中央政権に刃向う蝦夷(えみし)と呼ばれる異民族がいました。この蝦夷を制圧するため、東北では実に30数年間にわたって戦争状態が繰り返されました。
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八面大王は桓武天皇の中央政権に刃向うひとりでした。桓武天皇は八面大王一族を制圧するため、あの坂上田村麻呂を副使として大軍を送ります。怪力無双を誇る大王は安曇野の地を守るために立ち上がり、田村麻呂軍と戦いを続けます。しかし圧倒的な数を誇る田村麻呂軍に大王は後退を余儀なくされます。そして一族の女、子供も戦いに巻き込まれて犠牲になり、村は次々と焼き払われて行きました。追いつめられた大王は残された家臣と有明山の麓まで逃れ、岩屋にこもって、力の限り戦いましたが、矢に撃たれて、力尽きてしまいました。
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田村麻呂軍は、敵ながらも強すぎた八面大王が再び生き返らないように、遺体をバラバラにして各地に埋めたと言います。大王わさび農場の一角に、その八面大王の胴体が埋められていると言われており、大王神社として祀られています。
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道祖神も見に行きました。数百体の道祖神のうち、彩色されているのは2体ほどしかないそうであり、道祖神祭りのときに子どもたちが色を塗りなおします。
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水色の時道祖神。
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おひさまにでてきた道祖神。
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早春譜。060.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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(中島みゆき/宙船)

宙船(作詞、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロに進んでいるのか
流されまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこは船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

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「生まれながらの詩人は、詩的な死に導かれる」と言われますが、中原中也もその一人でしょう。 豊かな才能もむなしく、31歳で夭逝しました。

薄幸な人生であっても、その業績は永遠で、書店の店頭からその名が消えたことはありません。角川書店から「中原中也全集」全5巻と、従来の研究・評論を集大成した別巻が出されました。

友人の小林秀雄は「彼は一流の抒情詩人であった」と評していますが、彼の作品が今日なお愛好されているのは、この抒情に裏打ちされた「青春の挫折感」に共感を覚えるからでしょう。処女詩集「山羊の歌」、第二詩集「在りし日の歌」に、彼の絶唱が熱っぽくうたわれています。

 汚れちまった悲しみに
 今日も小雪の降りかかる
 汚れちまった悲しみに
 今日も風さへ吹きすぎる
      (「汚れちまった悲しみに」)

 ホラホラ、これが僕の骨だ
 生きていた時の苦労にみちた
 あのけがわらしい肉を破って、
 しらじらと雨に洗はれ
 スックと出た、骨のさき
      (「骨」より)

その他「サーカス」の詩の最後に繰り返される「ゆあーん ゆよーん ゆあゆよん」の表現がまだ耳に残っています。

昭和11年11月、3歳になった長男文也を失った彼は、急に精神に異常をきたし、昭和12年(1937年)10月23日午前0時10分に永眠しました。墓は郷里の山口市湯田温泉の経塚にあります。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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北アルプス展望台にも行って、北アルプスの山々を見ようと思いましたが、かなり雲が多く、見ることができませんでした。
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陽射しもあり、展望台は絵を描いている方がたくさんいました。
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うたごえ喫茶へ行く前に安曇野の風景を見て、お昼に穂高駅前まで戻って来ました。昨日入ったおそば屋さんにまた行って、お昼のおそばを食べました。もちろんおしきせも。037.gif
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そして、いよいよ歌声喫茶の会場のホワイトトークハウスへ。歌声喫茶は14時からですが、13時過ぎに着いてしまい、ホワイトトークハウスの中へ入っていくと、歌声メンバーの方たちが最後のリハーサルを行っているところでした。2ヵ月に1回の歌声喫茶は、歌声メンバーの方々が曲選びとその曲の練習を何度も繰り返して、実際の歌声喫茶の何倍もの時間を費やして、私たちに楽しい歌声喫茶を届けてくれていることがリハーサル風景を見て、わかりました。038.gif
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今日の歌声喫茶は「深まりつつある秋」をテーマにした歌が中心でしたが、安曇野はとても蒸し暑く、今日は秋はどこかに行ってしまったようです。058.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村

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今回の<覚えて歌ってみよう>は「りんどうの花咲けば」でした。
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お手本を歌うお父さん。038.gif
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(鳴海日出夫/りんどうの花咲けば)
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(大橋節夫/倖せはここに)
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(岩崎宏美/思秋期)
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思秋期(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、歌:岩崎宏美)

足音もなく 行き過ぎた
季節をひとり 見送って
はらはら涙あふれる 私十八
無口だけれど あたたかい
心を持った あのひとの
別れの言葉抱きしめ やがて十九に
心ゆれる秋になって 涙もろい私
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ふとしたことで はじめての
くちづけをした あのひとは
ごめんといった それきり
声もかけない
卒業式の まえの日に
心を告げに 来たひとは
私に悩む顔見て 肩をすぼめた
誰も彼も 通り過ぎて
二度とここへ 来ない
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ひとりで紅茶 のみながら
絵葉書なんか 書いている
お元気ですか みなさん
いつか逢いましょう

無-邪-気な 春の語らいや
はなやぐ 夏のいたずらや
笑いころげたあれこれ 思う秋の日

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(山口百恵/秋桜)
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 今回の歌声喫茶も、岩崎宏美の「思秋期」や山口百恵の「秋桜」などいい歌がたくさんラインナップされていましたが、なかでも広島市立大州中学校の平和学習の中で生まれた「ねがい」という曲には感動しました。このブログの最初の方に歌詞を書き写しました、どうぞ読んでみてください。私はこの詩を読み、歌を聞き、広島で聞いた悲しい物語の数々を思い出し、涙が出てきました。本当に原子爆弾を落とす必要があったのでしょうか。戦争の恐怖や飢えの苦しみはこの地球上にはまだまだ残っています。これらの禍や災害は「まがつび」のなせる業ではないのです。私たち自身が「まがつび」になってしまうこともあるのです。
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 歌声喫茶の前日に、穂高交流学習センター「みらい」に立ち寄ると、東日本大震災で被災した地域へ赴き、支援活動を続けている方々が、東北地方の惨状の写真を公開していました。その方は震災以来、何度も被災地に足を運んでいるとおっしゃっていました。そして、「被災地がもとに戻るまで、行くのをやめることはできない。」ともおっしゃっていました。「飢えで苦しんでいる人は神様に見捨てられたのではなく、私たちが見捨てているのです。」これはマザー・テレサの言葉です。私たちが手を差し伸べれば、救うことができるものはたくさんあるのです。

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さて次回は美ヶ原・霧ヶ峰に出かけてきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2011-10-27 01:11 | あづみ野うたごえ喫茶 | Comments(0)

かりんとうまんじゅうを求めて、安曇野へ出発ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 今週の日曜日は第89回あづみ野うたごえ喫茶がありました。その前に大井町のじゃんけんぽんで大井町湯屋仲間のよしこさんと、私と晴れ男さんが陰で「おばあちゃん」と呼んでいる阿部ちゃんとおしきせの会を開き、3人で豚しゃぶを食べました。
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 じつはこのおしきせの会には浦安湯屋のはせやんさんもお誘いしましたが、直前に風邪を引いてしまったということで、残念ながら参加していただけませんでした。
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 最近は巷でも「塩麹」なるものが流行っており、よしこさんも阪急百貨店で一握り1000円もする塩麹を購入されたそうです。ここじゃんけんぽんではお店で乾燥麹に塩水をくわえてつくっており、その手作り塩麹をつかって、いろいろな料理を考案されています。038.gif
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 今日出された料理のひとつは塩麹に漬けた鶏肉を焼いたものでした。麹はご承知の通り、酒をつくるときにデンプンを糖化させます。たんぱく質に対してはアミノ酸に分解し、旨みを引き出します。はるさんのお話では野菜を塩麹に漬けてもいい味が出るそうです。
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 この豚肉を豚しゃぶにして食べました。3人で3皿。しかし、いい歳、りょうちゃんが2皿、よしこさんとおばあちゃんで1皿という配分でしょうか。037.gif
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 大井町の母、よしこさん。写真を載せてもうるさいことを言いません。038.gif
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 大井町湯屋仲間の阿部ちゃん。最初は顔を隠していましたが、こんな顔をしてます。写真を載せても、「おばあちゃん」呼ばわりしても決して怒りません。038.gif038.gif
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 そして、隣の席には大井町湯屋仲間の中丸さんご夫妻がいらっしゃいました。
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 ここで皆さんにお知らせしておきたいことがあります。大井町湯屋の吉田さんに紹介してもらったお店、大井町の「由良(ゆら)」ですが、今後行くことはありません。先日、由良に5人の予約を取りたいと電話をしました。5人は予約できないが、4人ならば予約できると言われ、4人分の予約を取りました。しかも、料理の出し方についても尋ねられ、その時はアラカルトでお願いするということも決めました。しかし、翌日、由良から電話があり、別のお客さんの人数が増えたので、案内することができなくなったと言い、私たちの予約を取り消すとの連絡でした。私は「昨日、予約したのにどうして案内できないのか?」と聞きました。しかし、店側は「案内できません。予約を取り消します。」と言うだけです。再度、私は「何故、予約を受けたのか?昨日の段階で予約できないと言ってくれなかったのか?」と聞きましたが、案内できないとの一点張りで電話を切られてしまいました。謝罪の言葉は一言もありませんでした。こんなひどい話があるでしょうか。私たちの予約を受け付けた段階で、別の客の人数が増えたならば、その別の客に対して「人数を増やすことができない」と言って断るべきです。031.gif
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 こういった内容の記事をブログに書きたくはなかったのですが、大井町「由良」のあまりにもひどい仕打ちの事実を書かないわけにはいかないと思いました。折角、吉田さんに教えていただいて、皆さんにも喜んでもらっていただけに非常に残念です。浦安湯屋の方でまだ由良に行っていない方で是非行きたいとお考えの方は、今後私から皆さんをお誘いして由良に案内することはありませんので、ご自身で電話をしてご予約を取って行ってください。由良の電話番号はTEL03-6429-9165です。031.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)


もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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(中島みゆき/宙船)

宙船(作詞、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロに進んでいるのか
流されまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこは船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

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「行方定めぬ道なれば、行方定めぬ道なれば、来し方何処ならまし。
 これは一所不住(ふでい)の沙門(しゃもん)にて候。我この程は信濃の国に候ひしが、
 余りに雪深くなり候程に、 まずこの度は鎌倉に上り、春になり、
 修行に出でばやと思ひ候。・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 謡曲『鉢の木』の冒頭の一節です。
 ある旅の僧が、信濃の国から鎌倉に上る途中、上野の国の佐野(現・栃木県佐野市)で大雪にあい、困り果てて、道すがらのある一軒の家にたどりつき宿を頼みました。主人は、自分の家の貧しさゆえにいったんは断りますが、たっての頼みに承知します。夫婦は粟飯を出し、他にもてなすものがないからと、秘蔵の鉢の木を焚いて暖をとらせます。

 そのあたたかい心根に感激した旅の僧は、主人の素姓をたずねました。主人は、自分は佐野源左衛門の尉(じょう)常世という旧領主であると名のりました。もしも、鎌倉殿に一大事あれば、ただちにかけつけるために、具足、長刀一式と、馬一匹だけは用意してあると話します。

 実は、この旅の僧とは、鎌倉幕府の5代目の執権北条時頼で、執権職を時氏の子経時に譲って出家し、諸国を行脚している途中のことでした。時頼は鎌倉に帰ると、常世の言の真偽を試そうと、佐野の庄の武士たちに招集をかけてみました。

 果せるかな常世は、やせ馬に鞭打って馳せ参じました。時頼は常世の忠節をほめ、旧領を与えたほかに、鉢の木のもてなしのお礼に、3か所の領地を与えたという美談です。 出家したあとのこの回国伝説は必ずしも事実ではありません。
 
時頼は弘長3年(1263年)10月22日、37歳の若さで亡くなりました。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 金曜日、久しぶりに「じゃんけんぽん」でお昼ご飯を食べました。ビールつき。068.gif
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さて、先週末はあづみ野うたごえ喫茶へ参加するために、長野県安曇野市へ行ってきました。実は金曜日は勤め先が創立記念日でお休みで3連休だったので、当初の計画では金曜日に移動して、土曜日に日本百名山の常念岳に日帰り登山をして、日曜日にあづみ野うたごえ喫茶に参加するという計画を立てていました。その計画に浦安湯屋の森ちゃんも同行する予定でしたが、森ちゃんが仕事で同行できなくなり、鳥海山のようにたったひとりでの登山になってしまうことに不安を感じていました。
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 しかも土曜日は本格的な雨の予報です。最後まで傘マークは消えることはありませんでした。ひとりで登山してもいいのですが、鳥海山のようなこともあるので、今回の常念岳の登山は見送ることにして、歌声喫茶一本に専念することにしました。
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 歌声喫茶一本に専念するならば、日曜日当日に安曇野へ行けばよいのですが、どうしても訪ねておきたい場所があったので、前日土曜日に移動しました。
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 訪ねておきたい場所とは、「かりんとうまんじゅう」を売っている丸山菓子舗です。6月のあづみ野うたごえ喫茶に参加した時のコーヒーブレイクで出されたお菓子が「かりんとうまんじゅう」でした。もう一度食べてみたくて、ホワイトトークハウスの鳥羽さんにメールを出して、お店を教えていただきました。040.gif
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 「かりんとうまんじゅう」は名前の通り、外側はかりとうのようにカリッとして、中は上品なこしあんが入っています。ただ残念なことに製造後1~2日くらいしか日持ちしないため、次回の美ヶ原・霧ヶ峰特配ツアーに持っていくことができませんので、その日のうちに食べてしまいました。037.gif
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 ただ他のスイーツを買いましたので、楽しみにしていてください。
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 道祖神。056.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村

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そして碌山美術館にも立ち寄りました。この碌山美術館は昭和33年(1958年)に30万人の寄付によって建てられました。
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彫刻の展示室で、ちょうど学芸員による碌山の紹介が行われていました。
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彫刻家 荻原守衛(のちに碌山を名のります)は明治12年(1879年)12月1日現在の安曇野市穂高に生まれました。もともと碌山は絵画を学ぶために渡仏し、パリの美術学校へ通いますが、ロダンの「考える人」を見て強い衝撃を受けて、彫刻家になることを決心します。
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碌山は彫刻のために人体解剖図を勉強し、一時期は腕のデッサンばかりしていたと言います。その後、明治40年(1907年)28歳のときにロダンを訪ねます。そして、しばしばロダンからアトリエで教えを受けることができました。この時に製作したのが「女の胴」と「坑夫」でした。碌山は帰国に際して、留学時に製作した作品を日本に持って帰るつもりはありませんでしたが、親交のあった高村光太郎が西洋で学んだ芸術を是非日本に持ち帰るべきだと碌山に勧め、帰国後に「女の胴」「坑夫」それに帰国後に製作した「文覚(もんがく)」を第二文展に出品します。「文覚」は入選しますが、高村光太郎に勧められて持ち帰った「女の胴」と「坑夫」は評価されませんでした。その当時の美術界からは碌山の生命感溢れる作品は理解されませんでした。
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帰国後にはじめて製作した「文覚(もんがく)」。文覚は1139年~1203年8月29日、平安時代末期から鎌倉時代初期の実在の人物で真言宗の僧侶です。最初から僧侶であったわけではなく、文覚はもとは武士でした。文覚は従兄である渡辺渡の妻・袈裟御前と愛し合うようになります。二人は不倫の愛に燃えに燃えました。二人の仲が深まるにつれ、袈裟御前の夫である渡辺渡の存在が邪魔になります。二人は渡辺渡を亡き者にしようと計画します。袈裟御前は文覚に「今夜、夫と寝屋で寝ているので、この刀で夫を仕留めてください。」と言い、刀を渡します。そして「私は夫の左側に寝ています。夫は右側に寝ています。右側の夫を斬ってください。」と文覚に告げました。文覚は袈裟御前が夫と眠る寝屋へ忍び込み、渡された刀で、袈裟御前の言う通り、右側に寝ている渡辺渡を一刀両断に斬りつけました。しかし、右側に寝ていたのは渡辺渡ではなく、文覚が愛する袈裟御前でした。袈裟御前は夫がありながらも、文覚との深まる仲を心苦しく思い、愛する文覚の手でこの命を絶ってもらおうと決めたのでした。文覚は最愛の袈裟御前を自分の手で殺してしまったことを嘆き、出家して、僧侶になったと言われています。
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碌山は相馬愛蔵に嫁いだ人妻・黒光(こっこう)に想いを寄せており、文覚を自分に重ね合わせていたと言われています。碌山は一生涯、独身を通しました。
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そして明治43年(1910年)、年末から製作を続けていた「女」が3月下旬に完成します。碌山が想いを寄せていた黒光の面ざしがあると言われています。しかし、この「女」完成後、碌山は4月20日に新宿中村屋で突然吐血し、22日帰らぬ人となりました。30歳5カ月という短い人生でした。
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学芸員の方は最後に彫刻の楽しみ方を教えてくれました。絵画と違い、彫刻は3次元の立体であるため、まずは彫刻の周りを一周して見てみるそうです。たとえば、この「女」という作品は足元の下から上に見上げて行くと向いている面がらせん状に回転し、そして最後に顔が上を向いていることによって、生命感を感じることができるそうです。この「女」は碌山の最高傑作と言われ、重要文化財に指定されています。
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デスペア、女の絶望をあらわしています。
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おそば屋さんでおしきせをして、宿へ向かいました。069.gif
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いよいよ明日はあづみ野うたごえ喫茶です。060.gif

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by ryott-ryott | 2011-10-25 01:46 | あづみ野うたごえ喫茶 | Comments(0)

青空を探しに、第87回あづみ野うたごえ喫茶ヽ(^o^)丿

【レポ】6/19★第87回あづみ野うたごえ喫茶★

旅行・地域
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 6月18日(土)に日光白根山へ行ったことを前回報告しました。その翌日、6月19日(日)、新宿駅から特急あずさ号に乗り、安曇野へ行きました。松本駅からは大糸線に乗り換えて穂高駅で下車。朝8時過ぎに家を出て、穂高駅に着いたのは12時35分でした、約4時間30分の長旅です。018.gif
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 この日、安曇野の「ホワイトトークハウス」という喫茶店で、歌声喫茶が開かれます、「第87回あづみ野うたごえ喫茶」です。この模様はYouTubeで定期的に配信されており、昔の懐かしい歌をYouTubeで検索すると、「あづみ野うたごえ喫茶」の動画によくヒットします。
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(下町の太陽)
 私も倍賞千恵子の「下町の太陽」を検索すると、「あづみ野うたごえ喫茶」で「下町の太陽」が歌われている動画がヒットし、その模様を見て、今度是非行って歌ってみたいと思っていました。そして、ついに、この日曜日に実現できました。038.gif
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 穂高駅には12時35分に到着。大糸線は自分でボタンを押してドアを開閉する電車なんですね。東京は朝、雨が降っていましたが、あずさ号に乗り、あずみ野の方へ近づくにつれ、陽射しがこぼれ、青空でした。058.gif
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 ちょうどお昼時もあり、駅前でこの「元祖ソースかつ丼」ののぼりを見て、こちらのお店に迷わず入ってしまいました。037.gif
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 もちろん「元祖ソースかつ丼」を注文しました。すると隣に座っていた男性がお仲間と「あづみ野うたごえ喫茶」のことについて話をしていたので聞いてみると、今朝、群馬県からはじめてうたごえ喫茶に参加するため、やってきたということでした。その男性は私よりも幾つか年上のようであり、自動車の部品工場に勤めているサラリーマンで、3月の震災の影響で7月から休日が土日から水木へシフトになるため、是非とも今日の日曜日に「あづみ野うたごえ喫茶」へ参加するという意気込みで群馬県から駆けつけたとおっしゃっていました。その男性の方は普段は地元の群馬県で謡いの会に参加されているそうです。
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 元祖ソースかつ丼で腹ごしらえを済ませ、いよいよ「ホワイトトークハウス」を目指します。ホームページには徒歩10分と書いてありましたが、ゆっくり歩いたためか15分以上かかりました。途中、麦畑や花の写真を撮りました。

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(中島みゆき/宙船)

宙船(作詞、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロに進んでいるのか
流されまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこは船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

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 「斜陽」「人間失格」などの名作で知られる作家の太宰治が、愛人山崎富枝と武蔵野玉川上水で心中し、その死体が発見されたのは昭和23年(1948年)6月19日の朝でした。
太宰治39歳、山崎富枝29歳。二人は赤い腰紐で固く結ばれていました。

太宰のファンたちは、この日を彼の命日として、墓のある東京三鷹下連雀の禅林寺において、毎年「桜桃忌」を開いています。「桜桃忌」と名付けたのは、彼の晩年の作の「桜桃」という名作があり、死亡した季節が桜桃の熟するころであったという理由です。

太宰の死は、当然、情死もしくは心中だと思われていました。太宰の生家は、常陸宮妃とつながりがある津軽の名家であり、旧華族の津島家の一族でした。そのため、情死や心中などは不名誉の極みであり、愛人山崎富枝に殺されたと主張しています。
 
また文壇仲間でも、太宰の遺書に、彼の師事した文壇の先輩井伏鱒二を罵倒する記述があったところから、太宰治は麻薬常習者、精神錯乱者で、死ぬ意志がなかったのを、彼女に謀殺されたのだと、主張する一派がありました。
 気の毒なのは、両方から悪女にされた山崎富枝とその家族でした。彼女の日記、太宰の遺書、二人の行動、死体検証の結果などからみても、明らかに情死・心中であった反論しています。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(コブクロ/あの太陽が、この世界を照らし続けるように。)

(映画「岳」予告編)

あの太陽が、この世界を照らし続けるように。
(作詞、作曲:小渕健太郎)
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どんな悲しみにも ひとつの意味を注ぐように
世界中の夜に 朝を連れてくる太陽
ぼくは彷徨ってた 生きる意味を探して
君に出逢うまでの僕じゃ あの壁は越せない

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため
ぼくに生きる意味をくれた その微笑み

人ごみに紛れて 逃げ出すのは容易くとも
一人きりの夜に 孤独から逃げ出せない
ガラス玉のような心を抱え生きてる
落とすたびに砕け散った 涙を忘れない

転がりながら辿り着いた 今がいつも君だけの頂上
心のままに生きてゆけば 時には人はぶつかり合うけれど
その魂に刻まれた模様はきっと 美しきヒビとなる

どんな命も輝いてる
あの太陽が、この世界を照らし続けるように

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため

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ホワイトトークハウスは大糸線の線路と平行に流れる川に沿って松本方面の方へ歩いて行き、大きな道路にでると目の前に公園があるので、そこで右に曲がり、大きな図書館の前にあります。
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ホワイトトークハウスは名前の通り、真っ白でお洒落な建てもので、青空のもと陽射しを受けて白く輝いていました。
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受付を済ませて、自分の座りたい場所に着席。会場は当たり前ですがYouTube で見た通りの会場でした。この日、うたごえ喫茶には80名以上が集い、長野県外からは12名が参加しまた。私もその12名のひとりです。
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午後2時開演。うたごえメンバーの先生たちが会場に入って来ると、群馬県から来た男性はYouTubeの動画で見るよりも実物の方が「きれいだ」とおっしゃっていました。うたごえメンバーはギターとアレンジ以外はすべて女性で構成されています。司会の大森さんとアレンジの大森さんは親子なのでしょうか。
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「第87回あづみ野うたごえ喫茶」はビューティフルサンデーで開幕。唱歌から歌謡曲まで全部で20数曲を歌いました。うたごえ喫茶は4名の歌唱誘導の先生がみなさんが歌いやすいようにお手本となって指導をしてくださいます。
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<覚えて謡ってみよう>のコーナーでは安曇野出身のシンガーソングライター掘六平作詞作曲の「わさびの花の咲く頃」が紹介されていました。なかなかいい歌で、私は家に帰ってからYouTubeで検索すると掘六平「わさびの花の咲く頃」がヒットしました。


(掘六平/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村

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この歌詞の中で「うちに帰れば おしきせもある」の「おしきて」は晩酌のことを意味するそうです。広辞苑には同じ読みで「御仕着せ」はありましたが、晩酌の「おしきせ」はありませんでした。甲州のことばのようです。
 また滋賀県彦根市からやってきたうたごえグループが「押し花」を披露していました。
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コーヒーブレイクで配られていたお菓子は、外側の皮がカリッとしており、中はこしあんのおまんじゅうでとても美味しかったです。かりん糖饅頭というあずみ野の銘菓だそうです。写真を撮る前に食べてしまいました。
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そして6月19日は父の日ということもあり、お父さんたちが前に出て「別れの一本杉」、「リンゴ村から」、千昌夫の「夕焼け雲」をみんなで大合唱しました。

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(小柳ルミ子/星の砂)

星の砂(作詞:関口宏、作曲:出門英、歌:小柳ルミ子) 060.gif


二度と出来ない恋を捨てあなた遠く
離ればなれになってゆくの 今つらいわ

嫁ぐ日岬にひとりたたずみ君住む島に
別れを告げる
凪いで凪いでまぶしいサンゴの島が
にじんで落ちて 星の砂

過ぎし日 二人は海辺に遊び
変わらぬ愛を 夕陽に祈る
いつかいつか 二人は運命にさかれ
私は遠く 石垣へ

髪にかざした ブーゲンビリア
そえぬ運命に赤く咲く
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい 星の砂

ルルル・・・・・ルルル・・・・・
ルルルル・・・・・

風よ吹け 波よ打て
それであなたにつぐなえるならば
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい この想い
届けてほしい この想い

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 7月16日(日)に安曇野で加藤登紀子のコンサートが予定されており、「百万本のバラ」を歌う時に一緒に壇上で合唱してくれる人を募集していました。

(百万本のバラ)
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 中高年登山家のいい歳、りょうちゃんにふさわしい「坊がつる賛歌」、なつかしい、五木ひろしの「ふるさと」、フィナーレの「希望」、「365歩のマーチ」を歌い、エンディング「今日の日はさようなら」で「第87回あづみ野うたごえ喫茶」は閉幕となりました。

(坊がつる賛歌)


(五木ひろし/ふるさと)

(岸洋子/希望)

 あづみ野うたごえ喫茶は2ヵ月に1度開催されており、次回「第88回あづみ野うたごえ喫茶」は8月21日(日)の予定です。この日は私の47回目の誕生日でもあり、是非とも参加したいところなのですが、よくよく考えたら「北岳・間の岳」ツアーに参加することを決めていました。次回は10月、12月の秋とクリスマスの安曇野を訪れたいと思います。
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 穂高駅からは雲に煙る有明山が見えました。雲がなければ有明山の向こう側に7月16日~18日に行く予定の燕岳、燕山荘まで見ることができるそうです。

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by ryott-ryott | 2011-07-09 22:25 | あづみ野うたごえ喫茶 | Comments(0)

青空を探しに、あづみ野うたごえ喫茶ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 6月18日(土)に日光白根山へ行ったことを前回報告しました。その翌日、6月19日(日)、新宿駅から特急あずさ号に乗り、安曇野へ行きました。松本駅からは大糸線に乗り換えて穂高駅で下車。朝8時過ぎに家を出て、穂高駅に着いたのは12時35分でした、約4時間30分の長旅です。018.gif
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 この日、安曇野の「ホワイトトークハウス」という喫茶店で、歌声喫茶が開かれます、「第87回あづみ野うたごえ喫茶」です。この模様はYouTubeで定期的に配信されており、昔の懐かしい歌をYouTubeで検索すると、「あづみ野うたごえ喫茶」の動画によくヒットします。
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(下町の太陽)
 私も倍賞千恵子の「下町の太陽」を検索すると、「あづみ野うたごえ喫茶」で「下町の太陽」が歌われている動画がヒットし、その模様を見て、今度是非行って歌ってみたいと思っていました。そして、ついに、この日曜日に実現できました。038.gif
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 穂高駅には12時35分に到着。大糸線は自分でボタンを押してドアを開閉する電車なんですね。東京は朝、雨が降っていましたが、あずさ号に乗り、あずみ野の方へ近づくにつれ、陽射しがこぼれ、青空でした。058.gif
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 ちょうどお昼時もあり、駅前でこの「元祖ソースかつ丼」ののぼりを見て、こちらのお店に迷わず入ってしまいました。037.gif
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 もちろん「元祖ソースかつ丼」を注文しました。すると隣に座っていた男性がお仲間と「あづみ野うたごえ喫茶」のことについて話をしていたので聞いてみると、今朝、群馬県からはじめてうたごえ喫茶に参加するため、やってきたということでした。その男性は私よりも幾つか年上のようであり、自動車の部品工場に勤めているサラリーマンで、3月の震災の影響で7月から休日が土日から水木へシフトになるため、是非とも今日の日曜日に「あづみ野うたごえ喫茶」へ参加するという意気込みで群馬県から駆けつけたとおっしゃっていました。その男性の方は普段は地元の群馬県で謡いの会に参加されているそうです。
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 元祖ソースかつ丼で腹ごしらえを済ませ、いよいよ「ホワイトトークハウス」を目指します。ホームページには徒歩10分と書いてありましたが、ゆっくり歩いたためか15分以上かかりました。途中、麦畑や花の写真を撮りました。

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(中島みゆき/宙船)

宙船(作詞、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロに進んでいるのか
流されまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこは船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

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 「斜陽」「人間失格」などの名作で知られる作家の太宰治が、愛人山崎富枝と武蔵野玉川上水で心中し、その死体が発見されたのは昭和23年(1948年)6月19日の朝でした。
太宰治39歳、山崎富枝29歳。二人は赤い腰紐で固く結ばれていました。

太宰のファンたちは、この日を彼の命日として、墓のある東京三鷹下連雀の禅林寺において、毎年「桜桃忌」を開いています。「桜桃忌」と名付けたのは、彼の晩年の作の「桜桃」という名作があり、死亡した季節が桜桃の熟するころであったという理由です。

太宰の死は、当然、情死もしくは心中だと思われていました。太宰の生家は、常陸宮妃とつながりがある津軽の名家であり、旧華族の津島家の一族でした。そのため、情死や心中などは不名誉の極みであり、愛人山崎富枝に殺されたと主張しています。
 
また文壇仲間でも、太宰の遺書に、彼の師事した文壇の先輩井伏鱒二を罵倒する記述があったところから、太宰治は麻薬常習者、精神錯乱者で、死ぬ意志がなかったのを、彼女に謀殺されたのだと、主張する一派がありました。
 気の毒なのは、両方から悪女にされた山崎富枝とその家族でした。彼女の日記、太宰の遺書、二人の行動、死体検証の結果などからみても、明らかに情死・心中であった反論しています。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(コブクロ/あの太陽が、この世界を照らし続けるように。)

(映画「岳」予告編)

あの太陽が、この世界を照らし続けるように。
(作詞、作曲:小渕健太郎)
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どんな悲しみにも ひとつの意味を注ぐように
世界中の夜に 朝を連れてくる太陽
ぼくは彷徨ってた 生きる意味を探して
君に出逢うまでの僕じゃ あの壁は越せない

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため
ぼくに生きる意味をくれた その微笑み

人ごみに紛れて 逃げ出すのは容易くとも
一人きりの夜に 孤独から逃げ出せない
ガラス玉のような心を抱え生きてる
落とすたびに砕け散った 涙を忘れない

転がりながら辿り着いた 今がいつも君だけの頂上
心のままに生きてゆけば 時には人はぶつかり合うけれど
その魂に刻まれた模様はきっと 美しきヒビとなる

どんな命も輝いてる
あの太陽が、この世界を照らし続けるように

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため

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ホワイトトークハウスは大糸線の線路と平行に流れる川に沿って松本方面の方へ歩いて行き、大きな道路にでると目の前に公園があるので、そこで右に曲がり、大きな図書館の前にあります。
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ホワイトトークハウスは名前の通り、真っ白でお洒落な建てもので、青空のもと陽射しを受けて白く輝いていました。
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受付を済ませて、自分の座りたい場所に着席。会場は当たり前ですがYouTube で見た通りの会場でした。この日、うたごえ喫茶には80名以上が集い、長野県外からは12名が参加しまた。私もその12名のひとりです。
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午後2時開演。うたごえメンバーの先生たちが会場に入って来ると、群馬県から来た男性はYouTubeの動画で見るよりも実物の方が「きれいだ」とおっしゃっていました。うたごえメンバーはギターとアレンジ以外はすべて女性で構成されています。司会の大森さんとアレンジの大森さんは親子なのでしょうか。
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「第87回あづみ野うたごえ喫茶」はビューティフルサンデーで開幕。唱歌から歌謡曲まで全部で20数曲を歌いました。うたごえ喫茶は4名の歌唱誘導の先生がみなさんが歌いやすいようにお手本となって指導をしてくださいます。
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<覚えて謡ってみよう>のコーナーでは安曇野出身のシンガーソングライター掘六平作詞作曲の「わさびの花の咲く頃」が紹介されていました。なかなかいい歌で、私は家に帰ってからYouTubeで検索すると掘六平「わさびの花の咲く頃」がヒットしました。


(掘六平/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村

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この歌詞の中で「うちに帰れば おしきせもある」の「おしきて」は晩酌のことを意味するそうです。広辞苑には同じ読みで「御仕着せ」はありましたが、晩酌の「おしきせ」はありませんでした。甲州のことばのようです。
 また滋賀県彦根市からやってきたうたごえグループが「押し花」を披露していました。
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コーヒーブレイクで配られていたお菓子は、外側の皮がカリッとしており、中はこしあんのおまんじゅうでとても美味しかったです。かりん糖饅頭というあずみ野の銘菓だそうです。写真を撮る前に食べてしまいました。
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そして6月19日は父の日ということもあり、お父さんたちが前に出て「別れの一本杉」、「リンゴ村から」、千昌夫の「夕焼け雲」をみんなで大合唱しました。

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(小柳ルミ子/星の砂)

星の砂(作詞:関口宏、作曲:出門英、歌:小柳ルミ子) 060.gif


二度と出来ない恋を捨てあなた遠く
離ればなれになってゆくの 今つらいわ

嫁ぐ日岬にひとりたたずみ君住む島に
別れを告げる
凪いで凪いでまぶしいサンゴの島が
にじんで落ちて 星の砂

過ぎし日 二人は海辺に遊び
変わらぬ愛を 夕陽に祈る
いつかいつか 二人は運命にさかれ
私は遠く 石垣へ

髪にかざした ブーゲンビリア
そえぬ運命に赤く咲く
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい 星の砂

ルルル・・・・・ルルル・・・・・
ルルルル・・・・・

風よ吹け 波よ打て
それであなたにつぐなえるならば
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい この想い
届けてほしい この想い

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 7月16日(日)に安曇野で加藤登紀子のコンサートが予定されており、「百万本のバラ」を歌う時に一緒に壇上で合唱してくれる人を募集していました。

(百万本のバラ)
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 中高年登山家のいい歳、りょうちゃんにふさわしい「坊がつる賛歌」、なつかしい、五木ひろしの「ふるさと」、フィナーレの「希望」、「365歩のマーチ」を歌い、エンディング「今日の日はさようなら」で「第87回あづみ野うたごえ喫茶」は閉幕となりました。

(坊がつる賛歌)


(五木ひろし/ふるさと)

(岸洋子/希望)

 あづみ野うたごえ喫茶は2ヵ月に1度開催されており、次回「第88回あづみ野うたごえ喫茶」は8月21日(日)の予定です。この日は私の47回目の誕生日でもあり、是非とも参加したいところなのですが、よくよく考えたら「北岳・間の岳」ツアーに参加することを決めていました。次回は10月、12月の秋とクリスマスの安曇野を訪れたいと思います。
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 穂高駅からは雲に煙る有明山が見えました。雲がなければ有明山の向こう側に7月16日~18日に行く予定の燕岳、燕山荘まで見ることができるそうです。

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by ryott-ryott | 2011-06-25 23:41 | あづみ野うたごえ喫茶 | Comments(0)