カテゴリ:茅ヶ岳・金ヶ岳( 1 )

101番目の日本百名山、茅ヶ岳と金ヶ岳を行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 昨日、大井町の名店「じゃんけんぽん」で思いがけない方に会うことができました。憲一さんのご両親です。そう、変人シェフのご両親です。変人シェフの名前が憲一さんということもはじめて知りました。トントンさんもはじめて聞いたとおっしゃっていました。はるさんは知っていたそうです。憲一さんのご両親は青物横丁の近くでお米屋さんを営んでおり、今日は大井町駅近辺の銭湯に来た帰りにじゃんけんぽんに立ち寄ったとおっしゃっていました。
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 これから師走にかけて、お米屋さんではお正月用のお供え餅やのし餅の準備に追われ、たいへんに忙しい生活が待っているそうです。お供え餅もただつけばいいものではなく、もち米の粒が残るようにつかないとお供え餅特有の形状にならず、誰かさんの体のように自重でだらりと広がってしまうとのことです。お供え餅をつくることは結構難しい作業であるとおっしゃっていました。また直径30 cmのお供え餅は伊勢エビや昆布で飾り付けをしたものは50万円もするそうです。お餅は古くから保存食として食べられていたそうですが、緑色のカビは生えないように水に漬けて水餅にするようになったのは江戸時代からのようです。現在ではカビが生えないように「わさび」の成分を塗ったシートが販売されており、そのシートに包むとカビが生えないと教えてくれました。その他にもお米の入れる袋の変遷や一番おいしいお米は新潟の魚沼産で、この米に勝てる味の米はないなど、いろいろなことを話してくれました。038.gif038.gif038.gif
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 とてもあの無愛想な変人シェフのご両親とは思えないくらい気さくな方でした。お父さんのお話が面白くて、写真を撮らせてもらうのを忘れてしまいました。次回、お会いした時は憲一さんのご両親の写真を撮らせてもらうことにします。037.gif038.gif037.gif038.gif037.gif


(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう



(岩崎宏美/思秋期)

(第89回安曇野歌声喫茶/思秋期)

思秋期(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、歌:岩崎宏美)

足音もなく 行き過ぎた
季節をひとり 見送って
はらはら涙あふれる 私十八
無口だけれど あたたかい
心を持った あのひとの
別れの言葉抱きしめ やがて十九に
心ゆれる秋になって 涙もろい私
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ふとしたことで はじめての
くちづけをした あのひとは
ごめんといった それきり
声もかけない
卒業式の まえの日に
心を告げに 来たひとは
私に悩む顔見て 肩をすぼめた
誰も彼も 通り過ぎて
二度とここへ 来ない
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ひとりで紅茶 のみながら
絵葉書なんか 書いている
お元気ですか みなさん
いつか逢いましょう

無-邪-気な 春の語らいや
はなやぐ 夏のいたずらや
笑いころげたあれこれ 思う秋の日

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 明治の女流作家として知られる樋口一葉は、明治29年(1896年)11月23日、師であり恋人でもあった半井(なからい)桃水への思慕を抱きながら、貧しくも美しい、24歳の短い生涯を閉じました。

 一葉の遺言とも思われる、手控帳に書かれた一節を読みますと、しみじみとあわれを感じます。

 「身はもと江湖の一扁船、みずから一葉となのって、
芦の葉のあやふきをしるといへども、
波静かにしては釣魚自然のたのしみを
わすするゝあたわず。
よしや海龍王のいかりにふれて、
狂らん、たちまち、それも何かは、
さりとはの浮世は三分五里霧中」
(和田芳恵『樋口一葉』講談社親書)

 樋口一葉が、日本の近代文学のなかでも、高い位置づけをされているのは、『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』『わかれ道』『大つもごり』など5つの名作を書き、また、数え年の16歳から市の直前まで、大量の日記を残したからだといわれています。

 人によっては、樋口一葉の文学的功績は、王朝時代の紫式部・清少納言・和泉式部の女流文学最盛期から約1000年後、再び女流文学を開花させた中興の祖であると絶賛をしております。

 いずれにせよ、一葉の作品は、父を失ったあと、母妹と一緒に裁縫の内職をしたり、下谷竜泉寺で荒物・駄菓子屋をして失敗、本郷丸山福山町に移り住んだ明治の下町情緒の哀歓が、生き生きと写しだされているところが、読む人の心を魅きつけてはなしません。
 新派のお芝居に、一葉の名作がしばしば上演されるのもむべなるかなです。
 竜泉寺町には一葉の記念館が、丸山福山町には一葉の文学碑が建っています。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 11月23日の勤労感謝の日は日本百名山を選んだ深田久弥終焉の地・茅ヶ岳と金ヶ岳に特配で行ってきました。
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 小説家であり登山家でもあった深田久弥は1903年3月11日、石川県大聖寺町、現在の加賀市で生まれました。すでに少年時代から登山をはじめていましたが、一高から東大文学部時代も山に親しみながら、在学中に出版社の編集部員になります。このころに『オロッコの娘』『あすならう』を発表したとありますが駄作だったとの評価でした。
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 その後、大学を中退、出版社もやめて、本格的な作家生活に入ります。日本山岳会に入ったのは1935年32歳のときでした。その後、同棲を続けていた北畠八穂と入籍しますが、初恋の女性・木庭志げ子と再会し、不倫の関係になります。逢引きを繰り返すうちに、不倫相手の志げ子との間の子ができ、八穂にも不倫がばれてしまいます。八穂はこのとき脊椎カリエスで寝たきりの体だったそうです。時代は日本が戦争へと突き進んでいた最中であり、深田久弥はこの不倫騒動から逃げるように中国へと出兵して行きます。
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 終戦後、日本に復員してきた深田久弥は本妻の八穂の元には帰らずに、志げ子と再婚します。この時に以前深田久弥が書いたものとして発表した作品は実は八穂が書いたものであることを、怒り心頭の八穂に暴かれてしまいます。作家としての信用を失った深田久弥は、このころから登山の文章だけを書くようになったと言われています。

 有名な「日本百名山」は戦前から山岳雑誌に連載されていましたが、戦争により中断されており、戦後、山岳雑誌『山と高原』に連載が再開されました。1号につき2山づつ掲載され、50回にわたって連載されました。100山すべての連載が終わったのは昭和38年(1968年)4月号のときで深田久弥は60歳になっていました。この連載を単行本にまとめたものが『日本百名山』です。深田久弥はこの1冊で人気作家に返り咲き、昭和39年(1964年)に読売文学賞を受賞、昭和43年(1968年)に日本山岳会副会長に就任、昭和44年に山渓賞を受賞します。

 深田久弥は「日本百名山を選ぶ以上は、その数倍の山に登らなければならない。」と言っており、日本百名山を含め、1000に及ぶ数の山に登頂したと言われています。
日本百名山の選定基準としては「誰が見ても立派な山だと感嘆するもの」すなわち「山の品格」、「昔から人間と深いかかわりを持つ山」つまり「歴史を持つ山」、そして「その山だけが具えている独自のもの」である「山の個性」を重要視し、その他に「ある程度の高さ」が必要だとして1500 m以上という条件を付け加えた。しかし、1500 m以下の山は5座選ばれています。筑波山(877 m)、開聞岳(924 m)、伊吹山(1377 m)、天城山(1406 m)、雌阿寒岳(1499 m)。

 そして深田久弥は昭和46年(1971年)3月21日、友人たちと茅ヶ岳に登山中に脳卒中で倒れ、帰らぬ人になりました。68歳でした。深田の死後、日本山岳会は「日本三百名山」を選び、さらに深田久弥を敬愛する人たちで組織された深田クラブは百名山に100山足して「日本二百名山」を選んでいます。
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 茅ヶ岳登山口に深田記念公園があり、「百の頂に 百の喜びあり 深田久弥」という自筆の文字が刻まれています。
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 渋滞もなく、茅ヶ岳の登山口まで辿り着き、空は雲ひとつない快晴。まさに登山日和です。058.gif
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 いつものように準備体操。凄い柔軟性をこれでもかと見せつける倉持さん。038.gif
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 青空のもとなだらかな山道を進みます。070.gif
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 ヤブムラサキ。056.gif
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 女岩の前で休憩。
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 大菩薩に引き続き、じゅんやさん夫妻と一緒になりました(許可を戴いて掲載しています。第3者はつべこべ言わないでください)。じゅんやさん夫妻とは12月23日(金・祝)の浅間山雪上講習でもご一緒します。038.gif
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 道は徐々に険しくなっていきました。
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 深田久弥終焉の地、ここで倒れて亡くなりました。
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 そばの展望台から瑞牆山、金峰山が見えました。
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 登山を開始し、約3時間、茅ヶ岳の頂上に着きました。いつものように倉持さんと記念撮影。茅ヶ岳は101番目の百名山と言っていいでしょう。038.gif
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 森ちゃん、今日は奥様不参加でなんだか元気があるみたい。037.gif
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 服の色もあでやかな往年の山ガールの皆さん。037.gif
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 集合写真撮影後、今日は珍しく山頂でお弁当を食べることができました。038.gif
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 これから向かう金ヶ岳。左側には八ヶ岳が見えます。058.gif
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 富士山はかすかにうっすらとしか見えませんでした。
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 茅ヶ岳の山頂ダイヤモンド。058.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(坂本スミ子/夜が明けて)

夜が明けて(作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、歌:坂本スミ子)

夜が明けて 手さぐりをしてみた
ぬけがらのとなりには 誰もいない
目をあけて 部屋のなか見てみた
陽がもれる窓のそば 誰もいない
夢を追いかけて
ひとりふかす たばこのけむり
白い 白い
夜が明けて 夢をみたまくらに
あの人のかみの毛が ひとつのこる
テーブルの 灰皿の中には
あのひとのすいがらが ひとつのこる
あせたくちびるを
かんでひいた ルージュの赤が
つらい つらい

われた手鏡に
語りかける おんなの朝は
ひとり ひとり

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 折角、茅ヶ岳に登ったのに、金ヶ岳へ向かうため、100 mほど下り、また200 m近く登ります。結構、岩場のアップダウンが続き、あきちゃんもりょうちゃんも息も絶え絶えでした。
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 ようやく金ヶ岳の山頂に到着、先ほどまできれいに晴れていましたが、下を見ると怪しげな雲が広がって来ていました。金ヶ岳山頂からのダイヤモンド。058.gif
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金子さんとハニー羽入さん、ここまで来ると帰りの車中でのおしきせだけが楽しみです。037.gif
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りょうちゃんといつも後方で最下位を争っているライバル・あきちゃん。038.gif
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 金ヶ岳山頂からはもう下るだけです。最近は下りの方が得意になってきたと思っていましたが、金ヶ岳の下りは斜めの岩場が多く、しかも片側が切り立っている場所もあり、慎重に降りなければなりません。いつもの下りに比べると、難度はかなり上で、写真を撮る余裕がありませんでした。こんなことでひるんでいては大目標の剱岳は厳しいですね。
 この写真は危険な個所を過ぎたところの下り道です。枯れ葉が多く、滑りやすいので、ここも慎重に降りました。
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 16時前に予定通りのコースタイムで全員無事に下山することができました。
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 今日の温泉はこちらの「明野ふるさと太陽館 茅の湯」です。温泉入浴後、楽しみにしていた車中でのおしきせの会で大騒ぎしながら上野まで帰って来ました。その模様は掲載に絶えないので載せないことにします。つべこべ言わないでください。037.gif041.gif037.gif038.gif
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さて今週末は今年最後の山歩きになります。
土日に丹沢山に行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2011-11-25 22:17 | 茅ヶ岳・金ヶ岳 | Comments(0)