カテゴリ:丹沢主脈縦走( 2 )

戦国に散った姫の歩いた道を行く、丹沢主脈縦走ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 丹沢2日目に行く前に、今週11月30日(水)は銀座のドイツ風居酒屋「ローレライ」に行く予定だったのですが、いい歳、りょうちゃんは急な仕事が入ってしまい、行くことが出来ませんでした。森ちゃん、折角企画していただいたのにごめんなさいね。とても盛り上がったそうであり、この日は婚活パーティーもあったそうで、みうらっちは将来の嫁候補を見つけることができたのでしょうか?おしきせの会のときにでも、その模様を聞かせてください。060.gif
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そして12月28日土曜日に計画している忘年おしきせの会は、倉持さんにも多くの方に声をかけていただき、現在のところ23名参加予定です。あきちゃん、あやちゃん、倉持さん、じゅんやさん、すみちゃん、中島さん夫妻、はせやん夫妻、ハニー羽入さん、原田さん、かずさん、ともちゃん、よしこさん、森ちゃん夫妻、金子さん夫妻、宮崎さん、スネオ君、安藤さん、平野さん、いい歳、りょうちゃんです。みなさん、是非楽しい忘年おしきせの会にしましょう。060.gif068.gif
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 さて丹沢2日目です。昨晩はカレーライスを3杯半たっぷり食べて、21時には床に着き、たっぷり睡眠をとったいい歳、りょうちゃんは午前3時過ぎに目が覚めました。食堂・売店のある1階に降りて行くと、丹沢ミー君がストーブの前で寝ていました。037.gif
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 尊仏山荘の朝ご飯は午前5時からで、おでんが定番になっています。038.gif
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 午前5時50分に尊仏山荘の前で、吹きすさぶ風の中でオレンジ色の朝焼けを見ながら準備体操を行って出発しました。070.gif
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 東側に朝焼けに染まる駿河湾、西側に日本の盟主・富士山を眺めながらの山歩きです。そして、尊仏山荘から姫次まで常に富士山を見ながらの贅沢な山歩きになりました。038.gif
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太陽が登って来ると、富士山が薄紅色に染まって来ました。058.gif
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 尊仏山荘を出発して1時間ちょっとで丹沢山に到着しました。標高1567 m。いい歳、りょうちゃんは日本百名山29座目踏破です。ここで集合写真を撮るところですが、清水さんが会社から持参して来たデジカメが動作しなくなってしまったため、集合写真は神奈川県で最も標高が高い蛭ヶ岳で撮ることになりました。写真は富士山を背景に大井町の母、よしこさん。038.gif
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 いい歳、りょうちゃんも富士山を背景に記念撮影。
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 みやま山荘。昨晩、ここに泊まった方が1つの布団に二人だったとおっしゃっていました。みやま山荘は大混雑だったようです。
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丹沢山頂から見た富士山、東側に愛鷹山(あしたかやま)、天城山が見えます。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう



(岩崎宏美/思秋期)

(第89回安曇野歌声喫茶/思秋期)

思秋期(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、歌:岩崎宏美)

足音もなく 行き過ぎた
季節をひとり 見送って
はらはら涙あふれる 私十八
無口だけれど あたたかい
心を持った あのひとの
別れの言葉抱きしめ やがて十九に
心ゆれる秋になって 涙もろい私
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ふとしたことで はじめての
くちづけをした あのひとは
ごめんといった それきり
声もかけない
卒業式の まえの日に
心を告げに 来たひとは
私に悩む顔見て 肩をすぼめた
誰も彼も 通り過ぎて
二度とここへ 来ない
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ひとりで紅茶 のみながら
絵葉書なんか 書いている
お元気ですか みなさん
いつか逢いましょう

無-邪-気な 春の語らいや
はなやぐ 夏のいたずらや
笑いころげたあれこれ 思う秋の日

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 世界的に権威のある「ノーベル賞」は、ダイナマイトを発明した、スウェーデン人のアルフレッド・ノーベルが、そのダイナマイトによって得た巨万の富を財源に、彼の遺言によって設けられた賞です。
 
 物理学部門、化学部門、生理学並びに医学部門、文学部門、国際親善並びに平和部門、経済学部門の6つの分野で、日本でも湯川秀樹、川端康成、佐藤栄作、朝永振一郎、福井謙一、江崎玲於奈の6人が受賞しています。(その後、利根川進、大江健三郎、白川英樹、野依良治、小柴昌俊、田中耕一、小林誠、益川敏英、下村修、鈴木章、根岸英一の11人が受賞)。

 この「ノーベル賞」が設けられた背後にはこんなエピソードがあります。1888年4月12日に、彼の兄ルードウィヒ・ノーベルが亡くなりました。どう間違ったのか、フランスのある新聞が、弟である彼の死亡記事をのせ、追悼文までのせました。

 ダイナマイト発見の大きな功績を称えながらも、そのダイナマイトが戦争の凶器として猛威をふるい、世界の人類はその悲しみに沈んでいる。彼はその悲しみをよそに莫大な利益をあげた、いわば「死の商人」であった。と・・・・・

 自分の死亡記事を読んでノーベルはびっくりしました。同時に自分のことを世間では「死の商人」とみられていることを知って、大変ショックでした。

 彼は理想主義者で、技術の進歩が平和をもたらすと信じていました。世間はそう思っていなかったのです。
 
 彼は1895年11月27日、63歳で亡くなるまで独身でした。財産を譲る人がなかったことも幸いし、「人類に貢献した人にこの財産をわけ与えたい」という彼の遺志で、この賞が生まれました。

 日本にも「死の商人」に近い、あこぎな金儲けをして財産を残した人はたくさんいます。彼らにもこの逸話を教えてあげたい」と思うのですが・・・・・・。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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丹沢山を後にした私たちは、次は神奈川県最高峰の蛭ヶ岳に向かいました。山の上に見えるのは蛭ヶ岳山荘です。
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丹沢縦走はアップダウンの繰り返し。今回の山歩きで最大の難所と思われる岩場を下って行きました。泉田さんからストックをしまうようにとの指示がありました。しかし金ヶ岳に比べたら、たいしたことはありません。
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そして再び登り道を上がり、午前9時10分、歩き始めて2時間で神奈川県最高峰の蛭ヶ岳に到着しました。標高1673 m。
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蛭ヶ岳山頂で集合写真を撮りました。女性12名、男性3名、ガイドの泉田さん。写真は清水さんがいい歳、りょうちゃんのカメラを使って富士山を背景に撮りました。
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蛭ヶ岳山頂の展望台からは富士山はもちろん、甲斐駒ケ岳、北岳、間の岳、農鳥岳の南アルプス、その先には北アルプス。そして東側に視線を向ければ、愛鷹山から天城山、北側に目を向ければ日光の山々を見ることができました。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(坂本スミ子/夜が明けて)

夜が明けて(作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、歌:坂本スミ子)

夜が明けて 手さぐりをしてみた
ぬけがらのとなりには 誰もいない
目をあけて 部屋のなか見てみた
陽がもれる窓のそば 誰もいない
夢を追いかけて
ひとりふかす たばこのけむり
白い 白い
夜が明けて 夢をみたまくらに
あの人のかみの毛が ひとつのこる
テーブルの 灰皿の中には
あのひとのすいがらが ひとつのこる
あせたくちびるを
かんでひいた ルージュの赤が
つらい つらい

われた手鏡に
語りかける おんなの朝は
ひとり ひとり

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姫次の手前は少し登りましたが、蛭ヶ岳からはあとはほとんど下り道です。先ほどまで吹いていた風もおさまり、気温も少し上がったような気がします。
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尊仏山荘にいた外人さん。ここで私たちを追い越して行きました。
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姫次の前でお昼ご飯。鈍色だった空も徐々に雲が薄くなってきました。058.gif
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今回は常に富士山が見えていましたが、決してすっきりとした青空ではありませんでした。鈍色の空を背景に富士山が見えており、強い風で吹いていたため、雲を流して富士山がはっきりと見えていたと思います。
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姫次という地名の由来は戦後時代にまで遡ります。武田信玄亡き後、息子の武田勝頼は長篠の合戦で織田信長率いる鉄砲隊になす術もなく破れ去ります。武田軍の参謀であった真田昌幸は勝頼に岩殿山にいる小山田を頼って逃げるように助言します。しかし、勝頼は小山田信茂に裏切られ、天目山で自害します。織田信長は、かねてから武田信玄が帰依していた恵林寺住職・快川和尚を自分の師として迎えようとしますが、これを断り、武田家の残党や近江の六角氏など信長の敵を寺にかくまいました。このことを知った、ともちゃんのように気性の激しい信長は、恵林寺の焼き打ちを命じます。紅蓮の炎が和尚たちに迫ると、少しもあわてずに杜筍鶴(としゅんかく)の詩を唱えました。

 三伏 門を閉ざして一衲(いちのお)を披す
 兼ねて松竹の房廊を蔭う無し
 安禅は必ずしも山水を須(もち)いず
 心頭を滅却すれば火も自ら涼し

 和尚は寺の僧侶たちとともに猛火に焼かれて死んで行きました。天正10年(1582年)4月3日のことでした。一方で、武田家を裏切った小山田信茂は何とか織田信長に取り入ろうとしますが、甲府の織田信長の本陣に引き出されて、不忠者として処刑されてしまいます。この主の信茂処刑の報は岩殿山にいた小山田行村のもとにも届きます。追手が迫って来ると察した行村は、一人娘の折花姫だけでも助けたいと考え、翁と姥に姫を託して逃がします。折花姫を従者の翁と姥に引き渡したのが「姫次」と言われています。その後、行村は敵の矢に倒れ、姥は自ら囮となって時間稼ぎをしますが、翁と姫は慣れない丹沢山塊を登るさなか、翁の背中に敵の矢が突き刺さります。翁は折花姫を必死に逃がし、追手と戦いますが力尽きて息を引き取りました。すぐに姫も追手に捕らえられ、持っていた短刀で喉を突いて自害しました。姫次は哀しい物語がある場所です。倉持さん、白砂さん、12月17~18日の丹沢ツアーで、皆さんに姫次の話をしてあげてください。
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 尊仏山荘からずっと見てきた富士山も、この悲しい物語のある姫次で見おさめです。038.gif
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 ここからは青野に向かってただひたすらに下山してゆきます。そして林道に出て、私たちの丹沢縦走は終わりました。最後は温泉に入り、新宿へ。丹沢は近いからでしょうか、新宿には夕方6時半に到着しました。
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これで2011年のいい歳、りょうちゃんの山歩きは終了です。今年は震災もあり、どうなることかと思いましたが、日本百名山には25座登り、全部で29座になりました。百名山以外の山も7座行きました。60歳までに100座登攀を目指します。038.gif
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18日は第90回あづみ野歌声喫茶に行ってきます。060.gif060.gif

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by ryott-ryott | 2011-12-03 13:46 | 丹沢主脈縦走

今年最後の百名山、丹沢山を目指してヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 さて11月26日(土)~27日(日)はアミューズトラベルのツアーで「政次郎尾根からの丹沢主脈縦走」へ行ってきました。ガイドはアミューズで一番厳しいと言われている泉田さんと、先々週昇仙峡の羅漢寺山でご一緒した清水さんでした。このツアーは最初は書策(かいさく)新道から登ることになっていましたが、書策新道は崩落がいちじるしく、丹沢観光協会が立ち入りを禁止したため、大倉尾根(通称バカ尾根)と行者岳につながる表尾根の間にある「政次郎尾根」から登ることになりました。
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 立ち入り禁止になった「書策新道」の書策(かいさく)というのはこの登山道を切り開いた人の名前です。泉田さんは、この書策さんに何度もお会いしたことがあるといいます。書策さんは書策新道を登りきったところに「書策小屋」を建て、5年前まで住んでいたそうです。書策小屋は基礎もなく、地面にただ柱を立てた、所謂、掘立小屋だったそうです。書策さんは80歳過ぎまで書策小屋で頑張っていましたが、ついに自分の力では下山できなくなりヘリコプターで山を降りたのが5年間になります。主を失った書策小屋は傷みもひどくなり、2年前に撤去されました。

 初日は戸沢駐車場から登山口に入り、政次郎尾根を登ってゆき、書策小屋の跡地、新大日小屋、木ノ又小屋を通過し、塔の岳(標高1490 m)の尊仏山荘を目指します。
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 新宿安田生命ビル前に集合。バスは、バスの下に荷物を入れる場所のない小さなマイクロバスでした。登山口のある戸沢駐車場まで行くには、道が狭くて中型以上の車両は通ることができないためです。私が新宿に着いた時には、よしこさんはもうバスに乗っていました。参加者は15名(うち男性は3名)で、またもや、りょうちゃんが最年少でした。道路は最初は少し渋滞しましたが、予定通り10時前に目的地に着き、準備体操をして、出発しました。
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 準備体操は駐車場で行いました。車の出入りがあるので、泉田さんが皆さんに「車に注意してください。」と言う声を聞いた清水さんは、わざと車が通る方へおどけて行くと、「お前なんかひかれちまえ!」という泉田節がいきなり清水さんに炸裂しました。041.gif038.gif037.gif
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 登山口前に小さな渡渉。泉田さんから「滑るから気を付けてください!」との注意喚起がありましたが、モタモタしている年配者に「だから滑るって、言ってんだろ!」との泉田節が再び炸裂。りょうちゃんはいつものように最後方にいたので、炸裂はまぬがれました。037.gif038.gif
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 ここからはひたすらに登ります。清水さんが泉田さんに「結構暑い。」と言うと、「だから着るものは涼しいくらいにしろと言ってんだ!」と再び清水さんに炸裂。038.gif037.gif
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上に行くに従い、空の色は青色から鈍色に変わっていきました。登っているときは結構暑くて、いつものように半袖でしたが、風邪もあったため休憩で立ち止まると暑がりのりょうちゃんも寒いと感じるくらいの気温でした。037.gif
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向うに見えるのは行者ヶ岳。急斜面の鎖場を人が降りているのが見えました。038.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう



(岩崎宏美/思秋期)

(第89回安曇野歌声喫茶/思秋期)

思秋期(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、歌:岩崎宏美)

足音もなく 行き過ぎた
季節をひとり 見送って
はらはら涙あふれる 私十八
無口だけれど あたたかい
心を持った あのひとの
別れの言葉抱きしめ やがて十九に
心ゆれる秋になって 涙もろい私
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ふとしたことで はじめての
くちづけをした あのひとは
ごめんといった それきり
声もかけない
卒業式の まえの日に
心を告げに 来たひとは
私に悩む顔見て 肩をすぼめた
誰も彼も 通り過ぎて
二度とここへ 来ない
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ひとりで紅茶 のみながら
絵葉書なんか 書いている
お元気ですか みなさん
いつか逢いましょう

無-邪-気な 春の語らいや
はなやぐ 夏のいたずらや
笑いころげたあれこれ 思う秋の日

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 エジプトの秘宝、ツタンカーメン王の“黄金のマスク”が発見されたのは、1922年11月26日の夕刻でした。発見者は、学術調査のスポンサーになったイギリス貴族のカナーボン卿と、その発掘作業を指揮した、同じイギリスの考古学者カーターの二人です。王家の谷と呼ばれる諸王の墳墓のなかで、5年前に発掘を中止したラムセス6世の墓の近くを、再び掘り進んで、この快挙となったものです。

 ツタンカーメン王は、今から3200年前、エジプト第一八王朝期に18歳で亡くなった幼帝でした。したがって、王墓としては一級品ではありませんが、その王のミイラを入れた“黄金のマスク”をはじめ、約5000点に及ぶ、家具調度品、宝石、ガラスの装身具類は、ほぼ完全な形で発見されたのですから、世界の専門家がビックリしたのも当然でした。

 墓の入り口に、「王者を騒がすものには、死の翼がはためく」と文字が書いてあったためか、発掘の関係者が次々と死んでいきました。
 まず、スポンサーであったカナーボン卿が、原因不明の熱病で発掘後間もなく亡くなり、その6ヵ月後には、その弟が、そして引き続いて、カナーボン卿の看護婦が変死しました。 そのほか、カーターの秘書が死亡し、埋葬室の壁に穴をあけた考古学者アーサ・メイスも死にました。ミイラのレントゲン写真をとったエジプト政府の学者をはじめ、ミイラに直接手を触れた学者が15人も変死したといいます。

 ツタンカーメンの墓所には、現代の科学では解明できないある種の毒物が塗りこめられていたのではないかという説もあったりしましたが、このミステリーについてはわからず、今日にいたっています。
 
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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ひとまず2年前まで書策小屋があった跡地まで登って来ました。12時26分。登山開始して約2時間30分経過。ここでひとまずお昼ご飯を食べることになりました。しかし、ここから風は強まる一方で、本当に寒く感じました。寒いので、皆さん、食べ物を飲み込むようにしてさっさと食べて、12時40分過ぎには寒さに耐えきれず、塔の岳山頂を目指して歩きだしました。
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今、登って来た政次郎尾根。
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これから行く塔の岳方面。
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アップダウンが少しあります。
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新大日を過ぎるとあきらかに崩落したと思われる所がありました。
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尊仏山荘までもう少し。070.gif
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13時44分。尊仏山荘の前に着きました。尊仏山荘の前は寒さにもかかわらずたくさんの人が集まっていました。私たちも集合写真をさっさと撮影して、山小屋の中へ避難しました。
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この時は空は雲におおわれていて、富士山は見えませんでした。
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山荘の外には角の立派な雄鹿が来ており、「中村君」と呼ばれていました。先代に「太郎君」という鹿もいたそうです。
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ストーブの前にずんぐりしたネコちゃんが気持ちよく寝ていました。本名は「丹沢ミー君」と言うそうです。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(坂本スミ子/夜が明けて)

夜が明けて(作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、歌:坂本スミ子)

夜が明けて 手さぐりをしてみた
ぬけがらのとなりには 誰もいない
目をあけて 部屋のなか見てみた
陽がもれる窓のそば 誰もいない
夢を追いかけて
ひとりふかす たばこのけむり
白い 白い
夜が明けて 夢をみたまくらに
あの人のかみの毛が ひとつのこる
テーブルの 灰皿の中には
あのひとのすいがらが ひとつのこる
あせたくちびるを
かんでひいた ルージュの赤が
つらい つらい

われた手鏡に
語りかける おんなの朝は
ひとり ひとり

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 尊仏山荘前から富士山がバッチリと見えるそうですが、すっかり空は鈍色の雲におおわれて、丹沢初日は富士山はお預けかと思いましたが、私たちの願いが天に通じ、雲の中から富士山が頭を出してくれました。058.gif038.gif
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ダイヤモンドと富士山。058.gif
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日の入りは16時30分くらい。16時を過ぎると、太陽がオレンジ色に焼けてきました。雲がなければ、もっと赤くなったと思います。12月17日は雲のない赤い富士山を見れるように祈っています。058.gif
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尊仏山荘の夕飯は17時ちょうどから。席に限りがあるので、席がいっぱいになったところで締め切られて、前のグループが食べ終わってから、次のグループと入れ換わります。アミューズは運よく初回から食べることができました。メニューはカレーライスです。おかわりは自由です。食べることができる量を、山荘の人に申告して、おかわりをします。隣に座ったよしこさんが、「こんなに食べることができない。」と言って、カレーの半分を私の皿に入れてしまいました。他のみなさんは「私はごはん3分の1でお願いします。」「私はごはん少しだけお願いします。」と申し訳なさそうに言っている中、いい歳、りょうちゃんはカレーを2回、ふつう盛りでおかわりし、よしこさんのもらった半分も入れて3杯と半分食べました。あきちゃんなら7杯、倉持さんなら5杯は食べることができると思います。そのくらいにおいしいカレーライスでした。038.gif038.gif
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尊仏山荘の消灯は20時30分です。夕飯後、食堂の前の部屋で泉田さん、清水さんを囲んで売店で売っている酒を買って飲みました。日本酒1合、ビール350 mlはそれぞれ500円、ペットボトルの水500 mlは400円、ポカリスウェット500 ml 1本500円です。たくさん飲む方は持って行った方がいいかもしれません。売っているワンカップの日本酒は頼めば熱燗にしてくれます。りょうちゃんの目の前に座っていた外人さんは熱燗を頼んで“Very Nice!”と言っていました。038.gif
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 尊仏山荘からの夜景も素晴らしく、まさに「地上の星」という感じです。りょうちゃんは三脚を持っていかなかったので撮影できませんでした。小さな三脚でも持って行けばよかったです。それから尊仏山荘の宿泊は2階ですが、とても寒いです。北岳の白根御池小屋に泊まった時は布団もかぶらずに寝ましたが、11月末の尊仏山荘は凍えるような寒さでした。12月17日丹沢特配に参加される方は寝るときのために1枚着るものを持って行った方がいいと思います。
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丹沢2日目は素晴らしい富士山を見ることができました。038.gif
このつづきはまた次回、お楽しみに。1枚だけ載せます。
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丹沢主脈縦走はまだまだ続きます。060.gif

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by ryott-ryott | 2011-11-28 17:44 | 丹沢主脈縦走