カテゴリ:雪山・蓼科山( 1 )

女神が住む山、雪の蓼科山に挑戦ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 さて先々週から大井町湯屋でパーソナルトレーナーの高岸さんの指導によるトレーニングを2ヵ月ぶりに再開しました。ほぼ毎週、山登りをしているものの、普段、勤務帰りに大井町湯屋へ行けないことも多く、だいぶweight gainになりました。トレーナーの高岸さんとは、その後、Facebookで友達になりました。
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 最近はよしこさんのお友達のおじさまからは「山登りをしていて、どうして太るんだ!」とのお叱りを受け、さら大井町湯屋メンバーで私に山登りのアドバイスをしてくれるてらりんさんからも、「塔の岳でカレーライス3杯はあり得ない!」との厳しいご指摘を受けました。てらりんさんは、私のブログを見て、山登りのあとの「おしきせの会」がよろしくないとおっしゃっていました。要するに、山登りをした以上に私が食べ過ぎているとのご指摘です。皆さんのアドバイスに真摯に耳を傾け、これからはおしきせの会もほどほどにして、普段から有酸素運動を多く取り入れて行こうと思います。
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 1月7日、8日はアミューズのツアーで雪山の蓼科山へ行ってきました。12月の3連休で雪上講習を受けて、はじめての雪山デビューです。そして、私にとって蓼科山は日本百名山30座目になりました。
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 今回は朝7時ではなく夕方17時に新宿をバスで出発し、蓼科高原の民宿に1泊し、翌朝、女神茶屋の登山口から山頂を目指して登り始めました。
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 前日のバスの中では雪があまりなくて、登りにくいとのお話でしたが、比較的雪は積もっていたと思います。
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 最初はいつものように最後尾からついて行きましたが、今日のガイドさんは泉田さんで、しかも雪山経験者のツアーということもあり、写真を撮って遅れをとるとなかなか追いつくのがたいへんになってしまったため、仙石さんから、「泉田さんのすぐ後ろを歩いてください。」と言われ、先頭で歩くことになりました。
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 蓼科山は平坦な部分はほんの少しで、ほとんどは直登の急登でした。泉田ガイドに懸命について行くものの、最初はアイゼンを付けなかったため、急登では岩に積もった雪の上に足をのせると体重の重みで下に滑ります。私の場合は重い体重を支えながら、下に滑らないように踏ん張るので、それだけで体力を消耗しました。
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 ようやくアイゼン装着の指示が出て、少しは楽になるだろうと思いましたが、急斜面の直登はそれを許してくれませんでした。北岳の八本歯のコルを登った時以来のきつい登山となり、息も絶え絶えになりました。もう少しで頂上というところにきて、あまりにも私が疲弊しているので、泉田さんから「息を整えてから、仙石さんと一緒に来てください。」と言われ、置いてかれてしまいました。そして、頂上直下は雪が深いところもあって、千畳敷カールの時と同じように一歩足を踏み出すと膝上まで雪に埋まってしまい、さらにペースダウンしてしまいましたが、仙石さんに励まされながら何とか頂上に辿り着くことができました。
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 蓼科山には「女の神山(めのかみやま)」という別名があり、古来から女神が住む山とされてきました。蓼科に住む女神は麓に流れる川で人々を潤してきた水の神でもあり、農耕の神様としても崇められてきたと言います。やさしい女神が住んでいると言われている割には、蓼科はとても厳しい山でした。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 昭和39年(1964年)10月、東京オリンピックのマラソンで銅メダル(3位)を獲得、久しぶりに日の丸の旗を掲げたのは、福島県須賀川市出身の円谷(つぶらや)幸吉選手でした
 それから4年、メキシコ・オリンピックが開かれる年の正月です。東京オリンピックのマラソンで優勝したエチオピアのアベベ選手が、「今年のマラソンの優勝は、日本の円谷になるだろう」と予言したことから、新聞、テレビなど、マスコミはその談話を大きく取り上げ、円谷への期待を盛り上げました。

 しかし、自衛隊体育学校に籍をおく円谷は、思いがけない足と腰の故障で十分練習ができません。日増しに高まる期待感の重圧に耐えかねて、悶々の日々を過ごしていました。
 そして、ついに正月、故郷に帰った昭和43年(1968年)の1月8日、枕元に遺書を残して自殺しました。
「父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。干し柿、モチも美味しゅうございました。
 敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました。(中略)
 父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。
 気が安まることもなく、ご苦労、ご心配をお掛けいたし申し訳ありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。・・・・・・・」

 この遺書が公表されたとき、ノーベル賞作家の川端康成は、千万言をもってもつくせぬ哀切であると言って、次のように感想を述べています。「“美味しゅうございました”という、ありきたりの言葉が、じつに純ないのちを生きている。そして遺書全文の韻律をなしている。美しく、まことで、かなしいひびきだ。」

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 1月8日の蓼科山山頂は快晴で、あとで聞いたら気温はマイナス10 ℃だったそうです。しかし、風はなく、360度見渡すことができました。きびしい登山ではありましたが、頂上からの眺めは、女神からの贈り物だったと思います。
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 南アルプス。
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 槍・穂高。
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 八ヶ岳、横岳。
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 蓼科山頂ヒュッテから日光方面。
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 浅間山、噴煙が出ています。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(坂本スミ子/夜が明けて)

夜が明けて(作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、歌:坂本スミ子)

夜が明けて 手さぐりをしてみた
ぬけがらのとなりには 誰もいない
目をあけて 部屋のなか見てみた
陽がもれる窓のそば 誰もいない
夢を追いかけて
ひとりふかす たばこのけむり
白い 白い
夜が明けて 夢をみたまくらに
あの人のかみの毛が ひとつのこる
テーブルの 灰皿の中には
あのひとのすいがらが ひとつのこる
あせたくちびるを
かんでひいた ルージュの赤が
つらい つらい

われた手鏡に
語りかける おんなの朝は
ひとり ひとり

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 そして、山頂で集合写真、めいめいの記念撮影と眺めを楽しみ、体が冷えないうちに、下山を開始。ふたたび私は泉田さんの後ろに着いて行くようにとの指示があり、急登を下って行きました。普段の山登りでは、自分は下りに慣れて来て、最近は下りの方が得意だと思っていましたが、登りの疲労で足の太ももがパンパンになっていることがわかりました。
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 今回、はじめての雪山でハイペースの泉田ガイドの後ろを必死に歩いたため、途中で写真を撮影する猶予がなく、写真の枚数はかなり少ないです。そして、急斜面を降りて行くうえで、ダブルストックはかなり役に立ちました。私の重たい体重を支えながら、斜面でブレーキをかけて、降りるのに、ダブルストックは不可欠だと思いました。
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 下山後、仙石さんと記念撮影。下山は予定よりもかなり早く、13時前には温泉に入っていました。
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 温泉施設の前の風景。14時30分にはバスに乗って、新宿に向かい、18時前には新宿に帰って来ることができました。それにしても今回の雪山の蓼科は厳しいものでした。数多く雪山を経験して、慣れることが一番の近道だと思いました。
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次回は淡路島・小豆島の登山を報告します。060.gif

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by ryott-ryott | 2012-01-23 00:57 | 雪山・蓼科山 | Comments(2)