カテゴリ:同窓会( 2 )

いい歳、りょうちゃんの「いいこと」との邂逅ヽ(^o^)丿

旅行・地域

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らてこんさんから、この場所はパワースポットであることを指摘されました。072.gif

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最近は火曜日の大井町湯屋でインストラクターの高島梓さんと世間話をするのが習慣化しています。高島さんは、おばあさんと親子三代で洗足池の近くに住まわれているそうです。洗足池の近くにある環七と中原街道の交差している場所は戦時中、戦争で命を落とした人の亡骸を並べており、今もなお、その場所には幽敵が彷徨っているので、おばあさんから行ってはいけないと教えてもらっているというお話を聞きました。夏になると、このような話題が増えますね。045.gif
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川崎のビルから見た景色
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そして今週はたくさんの再会、集いがありました。まずは日曜日。私がお世話になった大学院の先生が今年3月に定年退職され、そのお祝いの同窓会がありました。先生は私が卒業して1年後に他の大学へ移られたため、研究室の同窓会ははじめて開かれました。研究室の方々との再会は18年ぶり、先生は18年前とほとんどお変わりないのですが、その当時、学生だった方たちは明らかに年相応の風貌へシフトしていました。男性は、頭の黒い部分が減り、白と肌色の部分が大分広がっていました。037.gifしかし、そこにはまぎれもなく18年前の研究室で一緒に学生生活を送った仲間が集っていました。

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琴を愛好するする人なら、宮城道雄の名前を知らない人はいないでしょう。
盲目の邦楽家、宮城流筝曲の家元として、作曲に演奏に、幅広い活躍をされていました。
しかし、“盲目でも人手をかけない”の主義が災いし、昭和31年(1956年)6月25日、演奏旅行途中の夜行列車から誤って転落し、不慮の死を遂げました。享年62歳でした。
 『春の海』『秋の調べ』『水の変態』『越天楽(えてんらく)変奏曲』など、彼の作曲した名曲の数々は、今や古典として永遠に残されていくでしょう。
 宮城道雄は、明治27年(1894年)、神戸に生まれました。2歳で母と死別、祖母に育てられましたが、7歳のときに失明し、8歳で二代目中島検校に預けられ、筝曲の指導を受けました。
 13歳になると、祖母に連れられ、病気になった父のいる朝鮮の仁川にわたり、そこで琴と尺八を教えて一家の生活を支えました。ここでの大きな収穫は、軍楽隊と仲良くなり、外国のレコード、演奏を通じて洋楽の勉強が出来たことです。
大正6年(1917年)、帰国した彼は、すぐさま上京し、洋楽と邦楽を融合させた“新日本音楽”の運動を興しました。
 自らも創作活動に力を入れ、注目を浴びる幾多の名曲を生み出していきました。
 昭和12年(1937年)、東京音楽学校邦楽科の教授に迎えられましたが、前後、芸大と名称、組織が変わったときに、ほかの官学出身の教授たちから、学歴のない盲人の教授はおかしいとクレームがつけられ、この偉大な音楽家も講師に格下げされました。
 日本の芸術家の心のせまさの典型です。芸術の世界における派閥、官尊民卑の多いのは、日本だけでしょうか。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに


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そして、6月25日金曜日は、普段、大井町湯屋でヨガの指導にあたられている、スピリチュアル・ヨガインストラクターのらてこんさんとお食事する席に同席することが出来ました。大井町湯屋仲間の吉田さん夫妻がらてこんさんをお食事に御招待し、その席に私も呼んでいただきました。場所はゼームス坂にある鉄板料理屋の「八天(はってん)」というお店。最初に吉田さんの奥さんからゼームス坂のお店を予約したと聞いた時には、「そんな、こきたない店にらてこんさんを連れて行っていいの?」と心配しましたが、とてもゼームス坂にあるお店とは思えないほど、スタイリッシュでお洒落なお店でした。ゼームス坂というだけで「お洒落な店は存在しない」という偏見を持ってはいけませんね。041.gif
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4月以降、日曜日は休日出勤が多くて、なかなか、らてんこさんのレッスンに参加できていなかったので、らてこんさんにお目にかかるのは実に2ヵ月ぶりでした。らてこんさんは相変わらず、おきれいで、熊野古道へ参詣してからは益々運気が巡っているとのことです。
 私が青森の旅で撮影した写真をらてこんさんに見ていただくと、円覚寺の写真にはたくさんの精霊(オーブ)が写っており、そのような場所は今話題のパワースポットであるとおっしゃっていました。らてこんさんから、近いうちに私の身に「いいこと」があるとおしゃっていただきました。
そして、吉田さんの奥様から8月の最終土曜日と日曜日に富士登山をしようとのお誘いが唐突にあり、何故か私も行くことになってしまったようです。行動の早い吉田さんの奥様はすでに申し込みをされたとの連絡が翌朝ありました。富士山頂の酸素濃度は13 %、通常、酸素濃度が18 %未満の職場を酸欠職場といって危険であることを考えると、富士登山はとても「いいこと」とは思えません。断るべきだったでしょうか。
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 今週の土曜日は、大井町湯屋は風呂だけにして、毎年6月最終土曜日に開催されるゲンダマ会に行きました。ゲンダマ会とは私が出た大学の分析化学研究室の同窓会名です。昔は今と違って任天堂DSやiPadなどは当然なくて、けん玉がゲームとして流行しており、指導教官の佐藤弦先生の名前と合わせて、ゲンダマ会と名付けられたと聞きました。
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 何年か前にゲンダマ会に参加した時は、理工学部が組織改編で化学科という名称がなくなってしまうというお話を聞き、そのことに涙を流している方がいたのを覚えています。その新生・理工学部のビルを同じ大学構内に建築し、2010年に完成するということでしたが、いろいろな思惑があって、ストップしてしまっているそうです。有明の方に理工学部を移すという案も上がっているとのことですが、理工学部の大部分の方は四谷を離れることに反対しているそうです。
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 もうひとつ驚いたことは、私が大学を卒業したころ、そして、しばらくの間は研究室に所属する学生数は毎年10数名でしたが、現在、分析化学研究室は30名以上であり、その半数が女学生であることです。私から見れば羨ましい限りですが、今の男子学生からすると女性の権力が絶大で閉口気味なんだそうです。
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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん)060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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by ryott-ryott | 2010-06-27 02:35 | 同窓会

ゲンダマ会

6月27日、上智大学に行ってきました。

りりこ、赤くなりました。056.gif
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四ツ谷駅。すっかりきれいになりました。
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大学の中に立派なビルが建っています。中にはコンビニもあるそうです。私が学生の時とは違います。その前にはやはり様変わりしたイグナチオ教会。
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土手から見た風景。大学グラウンド。
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土手から見た迎賓館。
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野球やってました。
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大学の中には昔の古い建物も建っています。いずれ建て直す計画だそうです。
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すまじきものは宮仕え

今週、大井町湯屋で久しぶりに晴れ男さんに会いました。お休みを取って、沖縄に行ってきたそうです。晴れ男さんに「休んでばかりでいいですね」と言ったら、「そっちこそ遊びほうけているくせに」と反論されてしまいました。自由が利かない宮仕えもつらいものなんですよ、晴れ男さん。週末ぐらい、遊ばせてくださいな。041.gif

そして、いつもの土曜日は湯屋に行き、裕太郎エアロとトレーニングをやりました。インストラクターの裕太郎さんは会うたびにスマートになっていきます。帰りがけの裕太郎さんと話をしたら、3月1日から間食をやめたら、この6月までに16~17 kgもの減量ができたそうです。私は、この「間食(かんしょく)」を「豚足(とんそく)」と聞き間違えて、豚足を食べてことをやめれば、痩せるだろうと思いましたが、ポリスマンさんの奥さんから『 「豚足」じゃなくて、「間食」だよ 』と教えられ、「羨ましいでしょ」と体重がなかなか減らない私に苦言を浴びせて行きました。

今日はアクアビクスはやらずに、湯屋から帰宅し、上智大学に向かいました。


(まんが日本昔ばなし/耳なし芳一)

ラフカディオ・ハーン。日本に帰化して小泉八雲と名乗りましたが、この人ぐらい異国人でありながら、日本を愛し、日本の思想、風俗、歴史、伝統芸能に精通し、それを明治時代に世界へ紹介してくれた人は、他にいなかったように思います。
「知られざる日本の面影」「日本雑記」などの評論の他、「骨董」「怪談」など、すぐれた短編小説を海外で発表し、大変な反響を呼びました。
特に「怪談」のなかの一遍“耳なし芳一のはなし”は有名で、戦前の国語の教科書に載りましたし、戦後は映画にもなりました。
ハーンは1850年6月27日、ギリシャで生まれました。父はアイルランド系英国人、母はギリシャ人でした。
父母が離婚したので、単身アメリカに渡り、新聞記者をしながら東洋の研究、特に日本について勉強しました。
明治23年、彼が40歳のとき来日しました。ニューオリンズの万国博覧会で知り合った文部省事務官服部一三の世話で、松江市の旧制中学、師範学校の英語教師として、松江に赴任したのが、彼の生涯を決定づけました。
 この土地で、松江藩士の娘、小泉節子と結婚しました。妻の姓と、出雲の故事が気に入って「小泉八雲」と姓名をかえ、日本に帰化したのです。
その後、五高(熊本)、東大、早稲田大学で教鞭をとりながら。作品を書き続け、明治37年9月26日、東京の自宅で亡くなりました。54歳でした。
彼の功績は、日本を海外に紹介しただけではなく、逆に欧米の文学を日本に紹介した点も見逃すことはできません。
松江市には、彼が新婚時代を過ごした武家屋敷が、そのまま記念館として保存されています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


ゲンさんと池内先生。
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この日、6月の最終土曜日に毎年開かれている「ゲンダマ会」に行ってきました。「ゲンダマ会」とは化学科の分析化学研究室の同窓会で、その当時に教授の佐藤弦(さとうげん)先生のお名前から付けられました。

昨年も思いましたが、女性の学生さんの数がかなり多く、半分以上占めていることには驚きました。私が学生の時の分析化学研究室には同級生10人中、一人しかいなかったことを考えると劇的に増えています。
それから、これだけ世の中が不景気で宮仕えの私なんか賞与が先送りになっているのに、研究室の学生さんはみなさん就職を決められて、前途洋洋。若いって羨ましい。
私が勤める会社にも毎年、学生さんが何人か就職活動でやってきますが、特に女性のほとんどが「水処理」を希望する人が多いです。「水処理」にきれいなイメージを持っている方が多いようですが、実際は汚い泥水を取り扱わなければならないことにガッカリされる方も多いようです。


(いきものがかり/青春ライン)

そして、1年ぶりの懐かしい再会。佐藤弦先生は今年79歳。私が学生の時から全くその風貌は変わってなく、スター・ウォーズのヨーダとあだ名されていました。先生に「まったく変わりませんね」と言ったら、先生は「あなたが年を取っただけだよ」とおっしゃいました。何年か前にお会いした時は、「カラスの鳴き声が気になって、大学を辞めてから家でカラスの鳴き真似をしている」とおっしゃったときには、皆さんが心配しておられましたが、今回は「電荷が電場の中を進むときに電荷のまわりに磁場が発生するが、その電荷と一緒に進むと磁場が自分の目にどう映るか気になっている」と誰も思い浮かばない発想のお話をされていました。026.gif

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清水先生は髪がいっそう白くなった感じでしたが、定年しても清水節は健在でした。先生は大学に勤めていたときは自分の専門以外には目が向かなかったが、定年してやることがなくなり、かえって世の中のいろいろな出来事に目が向くようになったそうです。そして、いかに新聞やマスコミが言っている科学の話はデタラメが多いこと、エコという名前を偽って金儲けしようとしている連中がいること、経済評論家がウソつきであることが、長年の化学フィールドの経験から手に取るようにわかるとおっしゃっていました。

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定年退官以来、5年ぶりに池内先生にお会いすることができました。私に会うなり、「ちゃんとやってる?腰を落ち着けてやる気になった!」と叱られているような感じでした。会社の仕事がつまらなくて、先生に相談したこともありました。私が会社に入ってからも、いろいろとご心配をおかけした、やさしい先生です。実は今も「なんて面白い仕事だろうか」という代物に出会ったことはありませんが、この年齢になると諦め半分、割り切り半分でやるしかありません。先生はいまや悠々自適の生活、毎日お宅で好きなことをやっているそうです。出席者の名簿に私の名前があり、私に会うことを楽しみにしていたと言っていただきました。001.gif

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私が学生の時の先生は皆さん退官されて、もう一人もいらっしゃらないそうです。「ゲンダマ会」も若い人がたくさん入って、若返っており、3人の先生が退官された後も、継続されて、科学の進歩とともに「ゲンダマ会」も進歩していることがわかり、嬉しい一日でした。003.gif


(森田公一とトップギャラン/青春時代)

大井町に8時半過ぎに戻ってきました。じゃんけんぽんによったら、これからモツ焼き屋さんの「しげ」に行くことになりました。春さん、トントンさんから日曜日の宝塚記念競走の馬券を買ってもらえないかと、買い目を渡されて、頼まれました。私は前回日本ダービーが的中したので、もう二匹目のドジョウはいないと思っていますが、春の天皇賞馬(①マイネルキッツ)から遊んでみましょうかね。

刺し盛り011.gif
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串焼き011.gif
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しげの前で3回目の記念撮影011.gif
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by ryott-ryott | 2009-06-28 13:23 | 同窓会