カテゴリ:鬼怒川温泉道中記( 1 )

36年ぶりの日光移動教室、鬼怒川温泉道中記ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 昨日の土曜日、2月11日健康記念日はアミューズトラベルの特配で千葉県房総のある石射太郎山、高宕山に行ってきました。その模様はまた後日報告します。058.gif
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 今日は1月21日~22日に大井町湯屋仲間の晴れ男さん夫妻、おばあちゃんの般若の阿部ちゃんと鬼怒川温泉に遊びに行きましたので、その模様を報告します。

 温泉へ行くことは昨年末から晴れ男さんたちと検討をしていましたが、当初は由布院に行き、由布岳に登り、温泉に入って来る予定になっていました。ところが由布岳に登るといういい歳、りょうちゃんの提案が嫌われて、鬼怒川に行くことに決まってしまいました。要するに、皆さん、山歩きのアクティビティーがお好きではないようです。037.gif

 大井町駅前で待ち合わせをして、晴れ男さんのリムジンカーで鬼怒川温泉あさやへ向かいますが、おばあちゃんが約束の時間になっても来ていません。私以外の面々は時間にはおおらかで遅れてくるのはいつものことですが、この日、1月21日はJR京浜東北線で沿線火災があり、あとで知ったのですが7時間ほど不通になっていたそうです。
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 仕方なく、おばあちゃんが住んでいる大森まで迎えに行き、そこから鬼怒川へ向けて改めて出発となりました。この日の天候は曇りでしたが、鬼怒川が近づくにつれて、雪模様になって行きました。写真は羽入SA。
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 羽入サービスエリアでいがまんじゅうが売っていました。まんじゅうに赤飯が巻いてあります。埼玉県人はまんじゅうに赤飯を巻いて食べる習慣があり、見た目は驚きますが、味は悪くはりません。
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 日光は雪模様、そして3時間足らずで鬼怒川あさやホテルに着いてしまいました。チェックインは15時なので、それまで近くの龍王峡へ行きました。
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 ここ龍王峡は太古海底にあり、2200万年前の火山活動で隆起した火山岩台地が鬼怒川によって浸食を受けて、このような巨岩と清流の景観になったそうです。
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 龍王峡の橋の上で記念撮影。この鬼怒川の名前の由来は、鬼が怒っているような荒々しい流れであることから来ています。しかし、この龍王峡を流れる「鬼怒川」は流れているのかどうかわからないくらいの静かな水面でした。そして、普段は鬼のような顔のおばあちゃんも、京浜東北線に乗れずに遅刻して疲れてしまったのか、穏やかな表情でした。037.gif
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 龍王峡は1周すると2時間要するそうです。晴れ男さんが「1周してみようか?」というと、おばあちゃんと奥様から強硬に反対されました。雪も降っていたため、橋の上で記念撮影後、早々と宿に戻って温泉に入ることにしました。ホテルへ戻る途中、川治ダムに立ち寄りましたが、雪で真っ白で何も見えませんでした。
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 あさやホテルに着いて、取りあえず入浴し、夕飯ということになりました。晴れ男さんの奥様は、無類の温泉好きらしく、普段、大井町の「王様の湯」でも3時間入浴するそうです。この日も夕飯直前まで3時間入浴し、夕飯後もお風呂に入りに行きました。いい歳、りょうちゃんは長湯すると倒れてしまうので、さっと入って、部屋で晴れ男さんとビールを飲みました。おばあちゃんもお風呂は短めです。037.gif
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 夕飯はあさや名物のバイキングでした。晴れ男さんは最初からチキンピラフやビーフシチューなどを食べて、お腹がすぐにいっぱいになってしまったようです。晴れ男さんの奥様と、いい歳、りょうちゃんはカニばかり食べていました。驚いたのはおばあちゃんの食欲です。一緒に飲みに行った時はいつもほとんど食べないのに、この日はおばあちゃんにしては結構召し上がっており、こんなに食べているおばあちゃんを始めて見ました。038.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 『播州平野』『伸子』『道標』など、プロレタリア女流作家として、近代文学史上に残る数々の名作を書いた宮本百合子は、昭和26年(1951年)1月21日に亡くなりました。

 旧制中条百合子。父は高名な建築家、当時の上流階級に属していました。4歳のとき父の留学に伴われ、4年間をロンドンで過ごしました。
 祖父の中条政恒は、旧米沢藩士で、明治政府の国営開拓事業「安積開拓」の指導者として郡山に移り住み、その大事業を完成させた郡山市の恩人です。百合子は少女時代、学校が休みになると祖父母のいる郡山に遊びにきて、開拓事業に参加した悲惨な農民の生活を知りました。

 18歳のとき、これを素材に、「中央公論」に発表したのが『貧しき人々の群』でした。彼女はこの処女作で文学の道へ入りました。昭和2年(1927年)から昭和5年(1930年)までソ連に遊学、帰国後はプロレタリア作家同盟に加わり、当時思想弾圧を受けていた日本共産党にも入党しました。

 昭和7年(1932年)、宮本顕治(日本共産党前委員長)と結婚しましたが、その直後に検挙、つづいて顕治も検挙されました。彼女はその後何回かの検挙、釈放をくりかえし、執筆禁止処分を受けながらも、それにくじけず抵抗運動を進めてきました。

 終戦で解放されるまで12年間、厳寒の北海道網走刑務所にいた夫宮本顕治との愛の往復書簡は、今読んでも心をうたれます。

 百合子の文学碑は、郡山市開成山公園に建てられ、『貧しき人々の群れ』の一節が刻まれています。
「どうぞ憎まないでおくれ。私はきっと何かを捕える。どんなに小さいものでも、お互いに喜ぶことの出来るものを見つける。・・・・・」

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 一夜明けて、またもやあさや名物のバイキングの朝食を食べて、一風呂浴びて、出発です。最初、日光江戸村へ行こうかということにしていましたが、日光江戸村の入場料はひとり4800円であることがわかったので、江戸村はやめて、華厳の滝と日光東照宮の修学旅行コースを通って東京へ帰ることにしました。
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 雪が降って、いろは坂は凍結しているため、慎重な運転でいろは坂を登って行きました。坂の途中にチェーンが落ちていました。はずれてしまった車はどうなったことでしょうか。
 いろは坂を登ると、すぐ目の前に日本百名山の男体山がそびえています。この男体山もいずれ来なければなりません。038.gif
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 まず華厳の滝の見学です。エレベータで100 m下がってゆき、華厳の滝展望台に出ます。華厳の滝に来たのは小学校6年生の時の日光移動教室以来です。実に36年ぶりです。エレベータも展望台へ続く通路もこんなにきれいだったか、全く記憶にありません。あのときは華厳の滝の大きさにただただ驚いていたことだけを覚えています。そして、華厳の滝に目をやると左側に滝壺が目立たないほど大きな土砂がありました。昨年の東日本大震災の時に土砂が崩れて、滝が少し埋まってしまったという話を聞いたことがあります。おそらくその土砂でしょうか。
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 そして華厳の滝でも記念撮影。小学生の時は3人で写真を写すと、真中の人が早く亡くなるというウワサがありましたね。今回、晴れ男さんとりょうちゃんが真中に写っています。037.gif
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 華厳の滝の見学後、男体山を背景にまたもや記念撮影。
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 そして、歩いてすぐの中禅寺湖を見に行きました。歩道は30 cm以上積雪していました。
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 カエルの雪だるま。
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 おばあちゃん、無理して雪の上を歩いています。037.gif038.gif
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 華厳の滝エレベータの前の喫茶店で、親子連れが「カレイパン」を買っており、とてもおいしそうに見えたので、私たちも騙されて買ってしまいました。見た目は美味しそうなのですが、空腹で耐えられない時は美味しいと思うかもしれません。あさやホテルでたくさん食べていたおばあちゃんもカレイパンを残していました。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(坂本スミ子/夜が明けて)

夜が明けて(作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、歌:坂本スミ子)

夜が明けて 手さぐりをしてみた
ぬけがらのとなりには 誰もいない
目をあけて 部屋のなか見てみた
陽がもれる窓のそば 誰もいない
夢を追いかけて
ひとりふかす たばこのけむり
白い 白い
夜が明けて 夢をみたまくらに
あの人のかみの毛が ひとつのこる
テーブルの 灰皿の中には
あのひとのすいがらが ひとつのこる
あせたくちびるを
かんでひいた ルージュの赤が
つらい つらい

われた手鏡に
語りかける おんなの朝は
ひとり ひとり

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 「カレイパン」でお腹がいっぱいになってしまった私たちは再びいろは坂を慎重に下り、日光東照宮へ向かいました。いい歳、りょうちゃんは日光東照宮も36年ぶりでした。写真では雨が降っているように見えますが、雨ではなく、高い杉の木に積もった雪が溶けて、その雪解け水が降って来ていました。
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 東照宮に手を合わす修験者の方たち。
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 五重塔。
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 有名な「見ざる、言わざる、聞かざる」。猿の彫刻はこの「見ざる、言わざる、聞かざる」だけではなく、シリーズになっており、人生をあらわしているそうです。
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 奥にあるのは陽明門。
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 左甚五郎の「眠り猫」を見た後、200段の階段を登って、徳川家康の墓に辿り着きます。この家康の墓はつい最近公開されたものであり、それ以前は見ることができなかったそうです。私も36年前、家康の墓を見た記憶はありませんでした。
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 そして、36年前の日光東照宮で覚えているのは「泣き龍」が泣かなかったことです。「泣き龍」は写真撮影禁止。そして手を叩くことも禁止されていました。小学生の時に「泣き龍」の下で手を叩いても天井の龍がうんともすんとも言わず、みんなでがっかりしたことを覚えています。36年ぶりに「泣き龍」を見に来て、あの時、泣き龍が泣かなかった理由がわかりました。昔は天井の龍の下で勝手に手を叩いて通っていましたが、今は順番に「泣き龍」の間に通されて、坊さんが一通りの法話を聞かせた後に、その坊さんが大きな拍子木を「泣き龍」の下で思いっきり叩くと、拍子木の音が響くのがわかりました。この音の響きこそが龍の泣き声だったのです。小学生の小さい手で手を叩いたくらいの音では、音は響かずに、龍は泣かないのです。36年経ってようやくこのつまらないカラクリがわかりました。坊さんは龍の泣き声を聞かせた後、「泣き龍」と同じ泣き声の音がするという鈴を1つ1000円で売っていました。私たち一行は、その鈴は買わずに、日光東照宮を後にしました。
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 東武日光駅の前で蒸かしている湯葉まんじゅうを買って、食べながら晴れ男さんのリムジンで東京へ帰って来ました。次は西伊豆にでも行こうかと相談しています。038.gif
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次回は石射太郎・高宕山特配を報告します。060.gif

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by ryott-ryott | 2012-02-12 16:13 | 鬼怒川温泉道中記 | Comments(4)