カテゴリ:ヤマトタケル伝説・武尊山を行く( 1 )

ヤマトタケル伝説、雪山の武尊山は手強い山でしたヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 3月31日土曜日、今週の土曜日も雨でした。しかも春の嵐を思わせるような大雨です。この日、アミューズのツアーで雪山の武尊山(ほたかやま)へ行ってきました。
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 あまりにもひどい雨だったので、電車が遅れるのではないかと思い、早めに集合場所へ向かいました。集合は16:55、いつもの新宿安田生命ビル前です。私は30分以上も早めに着いてしまいました。集合場所にはまだ誰も来ていません。057.gif
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 この日、登山口から約1時間のところのペンションに前泊して、翌日の日曜日に武尊山を目指します。
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 武尊山と書いて、「ほたかやま」と読みます。その名前の通り、日本武尊命(ヤマトタケルノミコト)の東征伝説に由来すると言われています。ヤマトタケルは実在の人物ですが、ヤマトタケルにまつわる話はほとんどが伝説です。
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 ヤマトタケルは第12代景行(けいこう)天皇の第2皇子として生まれました。気性が荒く、力も見強かったため、天皇はヤマトタケルを恐れていました。そしてその当時、危険であると恐れられていた九州熊襲の征伐をヤマトタケルに命じます。
 熊襲の首領は川上梟帥(カワカミノタケル)で、まともに戦ったのでは勝てないと考えたヤマトタケルは美しい少女の姿に変装し、熊襲の宴会に紛れこみました。その少女の美しい姿をたいそう気に行った川上梟帥は少女に変装したヤマトタケルを引き寄せ、酒を楽しむうちに泥酔してしまいました。この機をうかがっていたヤマトタケルは持っていた刀で川上梟帥を刺し殺しました。絶命する前に川上梟帥はヤマトタケルの勇敢さに感銘して、「今後は日本武尊と名乗りたまえ」と言ったといいます。
ヤマトタケルは見事に熊襲を討ち果たして大和に凱旋してきました。
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 古代王権としての天皇に当時は刃向う者が多く、なかなか政権は安定しなかったようです。そのなかでも天皇と東国の蝦夷との闘いは有名で、景行天皇の時も蝦夷に苦しめられていました。ヤマトタケルが九州を平定して、数年が過ぎたころ、東国で蝦夷による不穏な動きがあり、景行天皇はヤマトタケルに蝦夷を討つように命じます。この時に授けられたのが草薙の剣です。草薙の剣とは、スサノオノミコトが八岐大蛇を退治した時に大蛇の尻尾から出てきたという天叢雲(あめのむらくも)の剣と呼ばれていましたが、ヤマトタケルが賊に焼き殺されそうになったときに周囲の草を薙ぎ払い、逆に賊を焼き滅ぼしたことで「草薙の剣」と呼ばれるようになりました。その後、ヤマトタケルは見事討ち果たし蝦夷を平定することに成功します。この途中に立ち寄ったのが武尊山と言われています。

 しかし、武尊山は簡単に立ち寄れるような山ではありませんでした。



(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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 4月1日は「エイプリル・フール」です。17世紀ごろからの西欧の風習ですが、日本では「4月馬鹿」と訳され、この日だけは、罪のないいたずらや、嘘を言っても天下ご免の日です。いわれは諸説説があってはっきりしません。

 4月に入ると春もたけなわ。“春眠暁を覚えず”という猛浩然の詩(『春暁』)や、“春宵一刻価千金”の蘇軾(そしょく)(蘇東坡(そとうば))の詩が思い出されます。

 また、この詩で思い出すのは、歌舞伎『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』の名場面。天下の怪盗石川五右衛門の吐く名セリフです。
 千日かつらの大きな髪、太い眉、赤い隈取り、黄金造りの太刀に豪華な衣装。煙管(きせる)を片手に、京都南禅寺の山門でのひとりごと。

   絶景かな、絶景かな。春の眺めは価千金とは、小せい、小せい。
この五右衛門の目から見りゃ、価万両、万々両。最早日も西に傾き、
まことに春の夕暮れの桜は、取りわけひとしお、ひとしお。
ハテ、うららかな、眺めじゃなあ・・・・・・

 この石川五右衛門。フィクションの人物かと思われますが、NHK「歴史への招待」によりますと、実在の人物であるといいます。文禄3年(1594年)8月23日、京都三条河原で、“釜煎り”(釜ゆで)の刑に処せられています。

 石川や浜の真砂は尽くるとも 世に盗人の種は尽きまじ

 彼の辞世といわれますが、後年の作でしょう。当時のエープリル・フールの作かもしれません。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 前置きが長くなりましたが、武尊山にはヤマトタケル伝説がある山です。頂上にはヤマトタケルの銅像が立っているそうです。
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 前日の土曜日は春の嵐であったのに、翌日の日曜日は青空が広がる絶好の登山日和です。ペンションの前で撮った朝陽の中での影法師。058.gif
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 7時30分に宿を出発し、川場スキー場へ向かいます。スキー場のリフトを2本乗り継いで、武尊山の登山口へ向かいます。しかしながら、リフトが動き出す8:30になってもリフトが動きません。リフト乗り場の前には、リフトが動き出すのを今かと待っている人たちで溢れかえっていました。
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 ようやく9時過ぎにリフトが動き出しました。1本目のリフトに乗りこみます。写真はリフトの上から撮りました。
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 しかし、2本目のリフトが動いておらず、離れた場所のリフトに歩いて移動。2本目のリフトに乗り、降りた場所から本来の目的地にまたもや歩いて行きました。
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 写真の真中のピークが目指す武尊山です。
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 リフトが動いていないため、ここにはまだスキー客、スノボ客は来ていません。ここでアイゼンを装着しました。
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 いきなり急登から始まります。滑落しないように斜面にロープを張り、そのロープにスリングと安全環を通して、登っていきます。時刻は10時30分を回っていました。予定時刻を2時間近く遅れて出発です。
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 前の晩に宿で安全環をかける練習をしていましたが、グローブをつけて、斜面の上での作業は難しいです。
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 約30分で急登を登り切りました。しかし、道中まだまだ難所が控えています。
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 目指す武尊山はあの剣が峰を越えていかなければなりません。
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 他のグループが私たちを抜かして剣が峰を越えていきました。この剣が峰を越えたところに長さ10 mほどの幅1 mの痩せ尾根があり、さらに尾の先にはほぼ垂直の下りが控えていると言います。確かに難所はありましたが、着いて行くのが精一杯で、写真を撮る余裕はありませんでした。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(中島みゆき/荒野より)

荒野より(作詞:中島みゆき、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

夜が
望みは何かと訊かれたら君がこの星に居てくれることだ
力は何かと訊かれたら君を想えば立ち直れることだ

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

朝陽の昇らぬ日は来ても君の声を疑う日はないだろう
誓いは嵐にちぎれても君の声を忘れる日はないだろう

僕は歌っているだろう君と歌っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は生きているだろう君と生きているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

僕は走っているだろう君と走っているだろう
あいだにどんな距離があっても
僕は笑っているだろう君と笑っているだろう
あいだにどんな時が流れても

荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない
荒野より君に告ぐ僕の為に立ち停まるな
荒野より君を呼ぶ後悔など何もない

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 アップダウンはまだ続きました。登り3 mくらいなのですが、雪が深い場所があり、登っても登っても上に行くことで出来ません。いわゆる、斜面のラッセルです。いい歳、りょうちゃんはズブズブと雪に沈んで行ってしまいます。後ろの人たちに先に行ってもらい、雪が固まったところでようやく登ることができました。このラッセルで疲労困ぱい、時刻はすでに12時30分を回っていました。
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 写真の右側のピークが目指す武尊山です。しかしながら、現在の場所から武尊山ピークまで片道1時間以上かかり、帰りももと来た道を戻っていくのに同じくらいの時間を要します。リフトの最終時刻15時45分までにはとても戻ることができないとの判断から、登頂断念の判断が下されました。
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 武尊山のピークが見えるところで集合写真を撮り、お昼の休憩を挟んで再びもと来た道を帰ってきます。
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 私がラッセルで疲労困ぱいし、ふらついていたからでしょうか、川上ガイドにザックを持ってもらい、峰岸ガイドのすぐ後ろに、私をロープでつないだ泉田ガイドが着き、帰り道を戻っていきます。下りでは私が先に歩き、その後ろにロープで私をつないだ泉田ガイドの順番で降りていきます。道中は、ピッケルを持つ位置、アイゼンを効かせるようにしっかり歩くことなど、泉田さんに怒られっぱなしで降りてきました。
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 朝はあんなにきれいに晴れていたのに、帰りは雪でちらついて、視界がほとんど効きません。これをホワイトアウトというそうです。たぶん一人ではとても戻ることはできません。雪でトレースが消えてしまい、迷っているうちに雪庇から落ちてしまうことがあるそうです。
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 何とか、ガイドさん3人に助けていただき、登山口まで戻って来ることができました。
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 帰りの温泉。私はけんちんそばを食べました。
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次週は石裂山に行ってきます。060.gif





by ryott-ryott | 2012-04-04 00:05 | ヤマトタケル伝説・武尊山を行く | Comments(3)