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いい歳、りょうちゃん、酒田に還幸、そして雨降る眺海の森へ行くヽ(^o^)丿

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山形・酒田の旅はまだ続きます。

飛島に行き、一泊しました。初日、島の散策を終えて、旅館で午後6時に食事。普段、大井町湯屋帰りに10~11時に夕食をとっている私としてはかなり早い時間帯です。しかもお酒はビールしかありません。午後7時前に夕食終了し、テレビで天気予報を見て、自分の部屋に戻りました。旅館のおばさんが、「お風呂は空いていれば、いつ入ってもいいよ」というので、風呂場へ行くと誰もいない様子。普通のお宅の風呂で一人しか入れないスペースでした。すぐに風呂に入って、長い長い夜は旅館のテレビを見て過ごしました。なにしろ、島には飲みに行くお店も、当然ながらコンビニエンス・ストアもありません。旅館で過ごすしかないのです。こんなに長い時間テレビを見て過ごしたのは、小学生の時以来でしょうか。日テレ系でロボットコンテストの特番を見て、そのあと午後9時から山形放送で映画「おくりびと」を放送していました。きのう訪れた、あの場所の場面。いまや観光スポットとして賑わっていましたが、映画で見るとひとけのない寂しい場所に見えます。
それと気がついたことは普通のCMが放映されていませんでした。すべてショップ・ジャパンの通販と地元のパチンコ屋や宿泊施設、飲食店の宣伝の放送で、番組と番組の隙間を埋められていました。


翌朝、晴れていれば飛島中学校の前まで行き、昇る朝日を撮影しようと考えていましたが、朝5時から激しい雨。朝日撮影は断念、というよりも船の出発時間13:30までの島の散策も断念。途中何度か、小雨になったのですが、間断なく雨が降り続きました。結局、長い夜に続き、長い朝も過ごさなければならない羽目に。昨晩と同様、テレビ番組の隙間は通販番組の放送があり、ショップ・ジャパンでパワージューサーが売っており、便利そうなので買ってしまいました。飛島まで行って、ジューサーを買うとは考えていませんでした。037.gif

ナイフのセットもついてきました。037.gif
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毛沢東は「魯迅は偉大な文学者、思想家、革命家である」「魯迅の示す方向こそ、新生中華人民共和国の文化の方向である」と、彼を称賛しています。
 
魯迅というのはペンネーム。本名は周樹人。1881年9月25日、中国淅江省紹興で生まれました。紹興酒で知られるところです。
当時中国は、1840年のアヘン戦争以来、帝国主義国家による侵略が続いていました。
彼は祖国解放を胸に秘めて日本に留学し、仙台の医学専門学校(現在の東北大学医学部)に入学しました。
2年生の時、たまたま日露戦争の記録のスライドを見せられて、中国人がロシアのスパイ容疑で日本軍に虐殺される場面に強いショックを受け、中国の民衆を救うためには、医学より言論活動だと決意して、北京へ戻り、文芸活動に入りました。
中国近代文学の先駆をなす処女作「狂人日記」、世界的名作と言われる「阿Q正伝」などは、この時代に発表されたものです。

1926年、北洋軍閥の文化弾圧と激突した学生運動3・18事件に北京を脱出、アモイ大学、中山大学(広州)で教鞭をとりながら、翌年上海に潜入。次第にマルキシズムに傾き、左翼作家連盟の指導者として頭角をあらわしてきました。

そして1936年、抗日戦争突入の前年、民族統一戦争の半ば、惜しくも上海の寓居で亡くなりました。
現代中国では、魯迅について毛沢東や周恩来などの革命指導者の師としての待遇を受け、生地紹興をはじめ、ゆかりの地北京と上海にそれぞれ魯迅博物館が建てられています。
最近は、上海虹口公園にある魯迅の墓は、日本人観光客が参拝する名所の一つになっています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


飛鳥神社。774年に建てられました。
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飛鳥神社の仁王像
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058.gifほぼ一日、散策もせず旅館で過ごしました。お昼ごろに漸く雨も上がり、日も差して、ほっとひと安心。旅館のおばさんに挨拶して、港へ向かいました。はやく本土に帰りたい気持ちでいっぱいでしたが、帰りの船便も結構満席に近い状態でした。あんなに雨が降っていたのに、船の出発時刻には青空が広がっていました。しかし、雨の影響か、海の波が高いということで、帰りの船便では甲板には出ることができませんでした。

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酒田の港が見えた時には「やっと帰ってきた」という嬉しい気持ちになりました。後で聞いたのですが、雨が降って、風があると、船が欠航してしまうことがよくあるのだそうです。とにかく無事に内地酒田へ還幸しました。019.gif

酒田の空はどんより曇っていました。この日、先日湯の浜に案内してくれたタクシーの運転手さんに、眺海(ちょうかい)の森に案内してもらい、そこから最上川の夕景を撮影する予定でした。しかし、この曇り空、しかも今にも泣きだしそうな空模様。とても夕日はもちろんのこと夕焼けすらも駄目だろうという感じでしたが、折角、酒田まで来たのだから、とにかく眺海の森へ行くことにしました。市内は曇り空でしたが、山の方にある眺海の森は雨模様でした。057.gif展望台で日没時間まで待ちましたが、雨は止まず、霧が出て、霞がかかって、思うような写真を撮ることはできませんでした。しかし、途中、總光寺の天然記念物に指定されているきのこ杉や飛鳥神社の仁王像を撮影することが出来ました。

總光寺のきのこ杉。天然記念物です。056.gif
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眺海の森からの眺めです。晴れていたら、比べ物にならないくらい美しいと思います。058.gif
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街の灯がつきはじめました。
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眺海の森展望台から最上川の写真を撮って、日曜日に入れなかったお店「七つ半」に行きました。お勧めの料理を女将さんに聞いて、私がいつものように幾つも注文をすると、「そんなに食べられないから、まずはお刺身とかぶと焼きにしておきましょう。それでお腹に余裕があれば次を頼みましょう。」と言ってくださいました。そして、次に私がてんぷらとイカのみそ焼きを頼んだところ、「てんぷらか、みそ焼きはどちらか一つにしましょう。」と言われました。私はてんぷらを選びました。お刺身もそうだったのですが、てんぷらもかなりの量で、食欲に自信のある私もてんぷらを食べ終わった時点で満腹になりました。しかも、値段は女将さんが計算を間違えているのではないかと思ってしまうほどの安さ。このボリュームでこの安さ、酒田へ移住したいと思いました。041.gif

To be continued

鯛のお刺身011.gif
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鯛の兜焼き011.gif
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鯛の天ぷら011.gif
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地酒「なまいき」044.gif
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山芋の天ぷら011.gif
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by ryott-ryott | 2009-09-30 00:37 | 散歩

荏原町「ちゃんこ晴海」へ行きましたヽ(^o^)丿

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今日は酒田日記を離れて、いつもの土曜日の報告です。056.gif
土曜日はいつものように裕太郎エアロ、中国整体、大暴れアクアビクスをやりました。そして26日の土曜日は裕太郎さんのエアロが最後でした。多分、現在ある大井町湯屋のレッスンの中で一番強度が高い有酸素運動だったと思います。このレッスンに参加するといつもグッタリしてしまいます。でも、このレッスンに出ているおかげで他のレッスンがとても楽にできました。また裕太郎さんの追っかけの方も多く、ルール違反ですがトイレで着替えて、いち早く場所取りをされる女性の方がいたり、噂では裕太郎さんの住んでいる家の近くに引っ越してきた女の子もいると聞くくらいの人気ぶりでした。
 来週からはこの人気レッスンがなくなると少しは静かになるのでしょうか。071.gif


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(ゆうひが丘の総理大臣/中村雅俊/時代遅れの恋人たち)

小野小町は平安初期(9世紀ごろ)の女流歌人で、「六歌仙」の一人として「古今集」をはじめ、数多くの勅撰歌集に秀歌をのこしています。生没年ともに不詳、そして絶世の美女だったと言われています。

小野小町に関する伝説、お墓は全国に点在しており、福島県に生地といわれる小野町があります。これは同じ小野一族で、浄瑠璃節の祖と言われた小野お通が、小町を主人公にした歌物語、恋物語、人生落魄(らくはく)の物語に仕立てて諸国をまわった影響とみられています。能の世界でも「小町もの」の人気は高く、さまざまな小野小町の生きざまを描いています。

才色兼備の絶世の美女、小野小町に憧れる男性は多く、中でも深草の少将の「通小町(かよいこまち)」は有名です。深草の少将が小野小町に「私のもとに、なんとしても嫁に来ていただきたい」と言い寄るところ、小町は「ならば百夜(ももよ)通ってください、そうすればあなた様のもとに参りましょう」と返事をします。「百夜通え」とは百日間欠かさず来ることを要求しました、しかし部屋に入れてくれるわけではありません。小町の住むところまで通ってきて、その外で歌などを詠んで帰っていくという繰り返しです。深草の少将はやりました。99日通い、あと一日で百夜だというところで、病を得て、とうとう焦れ死にをしてしまいました。
小町に仕えていた女中衆が、小町にそのことを知らせると、表情も変えずに脇に置いてあった「ほれ帳」と書かれてあった手帳を開き、イロハの順の「フ」の部に書いてあった深草の少将の名前に棒を引いてあっさりと消してしまったという話です。
実は小野小町は女性としての機能がなく、男性を受け入れることが出来ない体であったと言われています。それなのに「百夜通え」というのはイカサマじゃないかと、後に川柳を詠む江戸っ子たちは小野小町のことを「穴なし小町」と言うようになりました。
 裁縫に使う、穴のない針のことを「待ち針」と言いますが、もともとは「小町針」と言われており、「小」がとれて「町針」になり、「待ち針」となりました。

 小野小町は「俳句歳時記」では観音様の化身と言われており、その縁日である3月18日を「小町忌」としています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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大井町湯屋の小野小町、湯屋小町。な~んて、うそです。041.gif
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この日は兼ねてから皆さんから行きたいと要望があった荏原町の「ちゃんこ晴海」に行くことが出来ました。実はこのお店は大変な人気でなかなか予約が取れません。前回などは予約の電話を入れた時は2ヵ月先でも予約が取れませんでしたし、芸能人の常連客も多数いるようです。そして、今回は約1ヵ月前に予約の電話を入れて、幸運にも9月26日に予約を取れました。

大井町湯屋仲間の晴れ男さん、エルビーさん、湯浅さんご夫妻、理枝ちゃん、阿部ちゃんといい歳、わたくしの7名で「ちゃんこ晴海」を訪れました。いつもながら、晴れ男さんは約束の時刻から遅れて待ち合わせ場所に到着、最年長の方が「遅い!」と言って鬼みたいな顔で怒ってましたよ。
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ピーマンに挽肉を入れて揚げたもの011.gif
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つくねの天ぷら011.gif
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なんだかんだと言いながらも、7時前にはお店に着くことができました。地元のエルビーさんは既に到着していました。
大井町湯屋もお姉さん方から「ちゃんこ晴海」に行ったら、ピーマンにつくねを入れた揚げものを頼むべきだとアドバイスを受けていたので、もちろんオーダーしたのですが、頼んだお料理はどれも美味しかったです。お店は瞬く間に満席に。しかも若い店員さんが元気で、お店に活気がありました。この味でこの人気なら、なかなか予約を取れないのも納得できました。
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そしてエルビーさんお勧めの海老フライも頼みました。もの凄いボリュームで、衣の量が少なく、中はほとんどが海老でした。これには皆さん大喜びでした。060.gif

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ちゃんこ鍋の写メを撮る、奥様062.gif
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もちろん、ちゃんこ鍋も戴きました。味は塩、醤油、味噌、キムチの4種類。塩と醤油をそれぞれ1つずつ頼みました。これもまた美味しい一品でした。お店のご主人は昔、相撲部屋にいたそうであり、その時の味がベースになっているとのこと。こんなに美味しい「ちゃんこ鍋」を毎日鱈腹食べていれば、体重がgainすることは間違いないと思います。041.gif

「ちゃんこ晴海」での夜は賑やかに更けていきました。032.gif

晴れ男さん、途中シャバーサナ037.gif
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店内で記念撮影061.gif
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店頭で記念撮影061.gif
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by ryott-ryott | 2009-09-27 12:26 | おいしい

いい歳、りょうちゃん、飛島へ配流されるヽ(^o^)丿

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9月21日(月)敬老の日。この日は、ついに山形県庄内港の沖合36 kmのところに浮かぶ「飛島」へ行くことになりました。飛島への船便は、今は一日一往復しか運行されていません。往路は朝9:30に庄内港を出発して飛島に11:00着。復路は13:30に飛島を出発して庄内港に15:00に到着します。だから飛島へ日帰りで行った場合には島内を2時間半しか散策できないことになります。040.gif059.gif

船の窓から見た波しぶき
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定期船「さんらいなぁ」
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飛島港
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私は当初は日帰りのつもりでしたが、酒田観光協会の方がとても2時間で島内を散策するのは忙しく、泊まることをお勧めしますと言われたので、それならば宿泊先を探してくださいとお願いしたところ、すぐに旅館の予約を取ってくれました。連休で空室などないのではないかと思っていましたので、すぐに予約が取れたのは意外でした。ということで飛島へ1泊することになりました。

円福院
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テキ穴。平安時代の人骨が発見され、鶴岡市の博物館に保存されています。
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酒田市立飛島中学校。ここからは朝日が見れるそうでしたが、
翌日は朝から雨で見ることはできませんでした。057.gif
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高森山の灯台
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なぎさの鐘060.gif
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朝9時に酒田の宿を出て庄内港に着くと、飛島へ行く観光客の長蛇の列。こんなにたくさん船に乗ることが出来るのかと思われるくらい混雑していました。切符を買うために並んでいるお客さんの中には、「もう行くの、やめたっ」と言い、帰ってしまう方もいらっしゃいました。スキューバダイビングや釣り、あるいはバードウォッチングに行くお客さんが多いようです。しかし、何とかかんとかで切符を買い求めることが出来て、無事に乗船しました。024.gif

庄内港を出発して、船が湾を出るとスピードが一気に加速。日本海の外海の波と、船のスピードで、船内は立っているのが難しいくらいの揺れで、船酔いするお客さんも多数いました。020.gif

私の方は幸いにして船酔いすることなく、無事に飛島に到着しました。026.gif


鼻戸崎展望台から見た鳥海山
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「少にして学べば、則ち壮にして為す有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず、
則ち死して朽ちず。」(佐藤一斎「言志四録」より)
(少年の時に勉強をすれば、壮年になった時に何事かをなすだろう。壮年の時に勉強をすれば、老年になっても気力が充実して、頭がボケるようなことはない。老いてなお勉強を心がける人は、寿命も長く、社会に役立ち、みんなから尊敬を受けて、その名声は消えることはない)

「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛(つつし)む」
(人間はとかく自分には甘く、人には厳しくあたる人が多いが、本当によい人間関係を作るためには、春風のようななごやかな心で人に接し、秋霜のような厳しさで自分を律することが大事である)

幕末の儒学者 佐藤一斎の語録「言志四録」にある言葉です。佐藤一斎は、安永元年(1772年)に生まれて、幼時より学に志し、はじめの岩村藩の儒臣として勤めていましたが、天保の改革の時に老中水野忠邦によって、幕府の大学校「昌平黌(しょうへいこう)」の教授として登用され、朱子学、陽明学を教えました。門下生は、諸大名をはじめ3000人。佐久間象山、吉田松陰のような学者、勝海舟、坂本竜馬、伊藤博文、西郷隆盛など、明治維新に活躍した逸材を輩出しています。

佐藤一斎は、その言葉の通り、「老いて衰えず」、安政6年(1859年)9月24日、87歳で亡くなりました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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島に着くと、旅館と民宿の女将さんたちが旗を持って待っていました。自動車に荷物を乗せてもらいましたが、宿泊客は港に止めてある観光用自転車に乗って宿まで行くように指示されました。車の後を追って、自転車で宿まで辿り着いたら、もうお昼時。お昼ごはんを宿で用意してあると聞いたので、何を食べさせてもらえるのか、とても楽しみでした。旅館のおばちゃんが「何が食べたいですか?」と尋ねるので、当然、お刺身定食か海鮮どんぶりだろうと考えていましたが、「お勧めは何ですか?」と逆に質問すると、そのおばちゃんは「カレーとラーメン」という信じられない回答が返ってきました。そして、この二品しかメニューはないと聞いて、さらに驚きました。折角、立派なお刺身か海鮮どんぶりが出てきたら、カメラに納めようとデジカメを出して用意していましたが、カメラをカバンに片づけてしまいました。037.gif

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仕方なく普通の特に美味しいわけでもないカレーを食べて、いよいよ島の散策へ。この日は青空が広がるいい天気。旅館の普通のカレーにはガッカリしましたが、展望台から見た鳥海山はとてもきれいな自然のごちそうでした。004.gif

To be continued

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飛島の海から見た夕日も水平線上に雲がかかっており、まん丸の夕日を見ることができませんでした。058.gif
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しかし、この風景を撮影した場所は島の山の上で、水平線上に雲がなかったら、真っ暗の中、
山を降りなければならず、海に転落していたかもしれません。058.gif
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by ryott-ryott | 2009-09-25 01:53 | 散歩

いい歳、りょうちゃん、酒田を散歩ヽ(^o^)丿

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五月雨をあつめて早し最上川 松尾芭蕉

今週日曜日、20日は大井町湯屋がお休みでした。そこで再び写真を撮るために今回は山形県酒田市まで足を延ばしました。

羽田空港からちょうど1時間で庄内空港に着きました。そこから約40分バスに乗り、最上川を渡ったところが酒田市内です。日曜日はとてもいい天気で、「これは日本海に沈む夕日を撮れるかもしれない。」と期待を膨らませながら、酒田市内をぶらぶらと散歩しました。

酒田市と言えば、映画「おくりびと」の舞台になったところです。酒田駅から結構近いところに、あの「NKエージェント」があり、観光客で賑わっていました。


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日和山公園にある北米船の模型
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(おくりびと/予告編)

記録によると東軍7万5000に対して、西軍8万2000、地の利もあって、西軍有利の態勢でしたが、やはり総指揮官の統率力に違いがあったようです。
家康は実戦経験豊富な言わば武人、それに対して石田三成は秀吉に側近内務として仕えた文官武将言わば文人です。しかも三成は人望がなく、豊臣恩顧の大名の多くは家康につきました。

敗れた三成は捕えられ、六条河原で斬られる寸前に、警護の者が干し柿を与えようとしました。三成は「からだに悪い」と言って断りました。警護の者は「すぐに首をはねられるのに」と笑ったそうです。
三成は「大義を志す者は、死の直前まで命を惜しみ、何とか本意を達したいと思うものよ」
と答えたといいます。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


映画「おくりびと」のロケ現場
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おくりびとの撮影現場のすぐ傍に日和山公園があり、日本海を望めます。日差しがあって、この分だと多分夕日を拝むことが出来るのではないかと思い、地元の酒田第一タクシーの佐藤さんに湯の浜まで乗せてもらいました。しかしながら、上空には雲はないのですが、水平線上には厚い雲が立ち込めており、水平線上に沈みゆく夕日の撮影は絶望的でした。わずかに切れている雲の合間から夕日が見えてくれればいいなぁと祈りつつ、砂浜に三脚を立てました。
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日没は17時39分。日没時間の前後5分間が夕日と夕焼けを撮影できるチャンスでしたが、残念ながらそのチャンスは訪れませんでした。わずかに切れた雲の合間から夕日の4分の1くらいを見ることが出来ましたが、この雲が消えてくれればと祈りつつも、そうはならず、失意のうちに湯の浜を立ち去りました。ちょっと大袈裟。041.gif

ライトアップされた山居倉庫
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夜は酒田市中町のお店に行きました。実は宿泊先の近所の店に行こうと思ったのですが、いずれも満席。このシルバーウィークで訪れた観光客でどこも貸し切り状態。ようやく4件目で店に入ることが出来ました。「井筒」さん、なかなかきれいなお店で、息子さんが六本木ヒルズで同じ名前で店を開いているそうです。私が腰かけたお隣に地元酒田のおばあさんが一人で食べに来ており、「あんたは酒田で一番いい店に来たよ」と言われました。ちょうど、NHK「天地人」で関ヶ原の戦いを放送していましたが、そのおばあさんは歴史が好きでないとおっしゃっていました。そして、私が次の日に「飛島」へ行くことを話すと、酒田の人間でもなかなか飛島に行く人はいないと言って、私を不安にさせていました。041.gif

To be continued


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柳の舞。メバルの仲間。011.gif
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日本酒、くどき上手。薄紅色をしています。011.gif
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by ryott-ryott | 2009-09-24 00:05 | 奥の細道

山形・飛島・出発前夜ヽ(^o^)丿

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土曜日はいつもながらに大井町湯屋に行き、裕太郎エアロ、中国整体、大暴れアクアビクスをやり、夜はじゃんけんぽんへ行きました。

そのじゃんけんぽんで珍しいお客さんを発見。トントンさんの妹さんと、横浜の花火でご一緒した岡田さんご夫妻にお会いできました。意外にも岡田さんの奥様はあったかいところが大好きだそうです。一見、暑さに弱そうに見えますが、違うのですね。041.gif

岡田さんのお嬢さん、それからいつも市川海老蔵のように女性にちょっかいを出している秀樹さんもやって来て、みんなでハムカツを夜遅くまで食べました。

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「雨にも負けず 風にも負けず」

詩人である宮沢賢治は、実は様々な顔を持っています。児童文学者、農村指導者、地学者、化学者、法華経信者、求道者(ぐどうしゃ;仏教で正しい道を求める者)・・・。
その宮沢賢治は昭和8年9月21日、急性肺炎で亡くなりました。37歳でした。
 賢治の故郷、岩手県花巻市郊外に高村光太郎とともに、宮沢賢治の立派な記念館が建っています。

宮沢賢治は農民に対して大変同情的な詩を残していますが、同情だけでは農村問題は解決できない、所詮は大金持ちの息子の域からは出ていないとか、生涯独身で通したことに、実は実家には当時もっとも恐れられていたハンセン病の血が混じっていたために、独身であったなど、そんな見方もされていました。

 最近は「銀河鉄道」のアニメ化で宇宙的広がりをもつ詩人として、「賢治再発見」が行われています。宮沢賢治自身が楽器を弾き、作詞、作曲、指揮までやって、当時の東北地方では代表的な音楽愛好家であったことはほとんど知られておりません。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


(銀河鉄道999)

実は今日日曜日は湯屋がお休みということもあり、山形へ写真を撮りに行ってきます。詳細は後日、この土曜日歳時記で写真付きで報告します。

そのため、300 mmの望遠レンズを買いました。それから庄内港から約90分船に乗って、「飛島」へ行く予定です。当初、飛島は日帰りの予定でしたが、一日一往復しか便がなく、日帰りでいくと2時間くらいしか散策できないため、泊まることにしました。日帰りで飛島へ行く方はほとんどいないそうです。037.gif

とにかく、行って参ります。
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食欲旺盛な岡田さんご夫妻041.gif
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岡田さんのお嬢さんも店に来ました。お母様に似ないように育ってくださいね。041.gif
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せせり011.gif
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つけ麺。私も卵をいただきました。011.gif
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ハムカツ。みんなで昭和初期へタイムスリップ。011.gif041.gif
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by ryott-ryott | 2009-09-20 10:11 | じゃんけんぽん

誰でも楽しめるのがフィットネス~日本酒試飲会~ヽ(^o^)丿

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先週、紹介しきれなかった銚子の風景写真を載せます。

満月が光ってしまって、なかなかうまく撮影できなかったことを前回書きましたが、写真の本に「満月の明るさは太陽と同じであり、暗い夜景と一緒におさめるには輝度があまりにも違いすぎて、カメラの露出の範囲に収まりきらない」とありました。月と風景を一緒に写すことが出来るのは、満月の1~2日前あるいはその1~2日後の月の出か月の入りだけだそうです。004.gif
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割合、よく写っているこの満月は明け方の満月です。
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雲の間から太陽の光の柱が差し込んでいます。専門用語でSunpillar(太陽柱)と言うそうです。058.gif
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「地球の丸く見える」展望台から見た銚子の風景。
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風力発電の風車。1基4億円。
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国木田独歩の碑。
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竹久夢二の碑。
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犬吠埼の岩。東映映画のオープニングに使われている岩に打ち寄せる波しぶきのシーンは犬吠埼で昭和28年に撮影されたそうです。犬吠埼灯台の裏は断崖絶壁。柵があるのですが、その柵をのり越えて、写真を撮りました。正直言って、大変怖かったのですが、その断崖絶壁のまさに崖っぷちにカメラを据えて、海を撮影している方がいました。私にはとても真似はできません。転落してしまったら、おそらく助からないでしょう。また犬吠埼は自殺の名所だそうです。タクシーの運転手さんに教えていただきました。032.gif
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(東映映画「人生劇場飛車角」オープニング)

「佐渡おけさ」で知られる佐渡島は、今は新潟港からジェットホイルで1時間で行ける観光の島になりましたが、その昔は、日本海に浮かぶ絶海の孤島、「流人の島」でした。

この島が重罪人を配流する遠流(おんる)の地に定められたのは神亀元年(724年)で、以来、明治を迎えるまで1144年間、たくさんの人が流されてきました。
 日蓮、日野資朝、世阿弥などが、その代表的人物です。江戸時代だけでも、その記録によると257人の流人の名が見えます。流人のなかの皇族はただ一人順徳上皇だけでした。

上皇は、後鳥羽天皇の第三皇子で正治2年(1200年)、土御門天皇の皇太弟となり、承元4年に即位し、承久3年(1221年)5月、長男の仲恭天皇に譲位して上皇になりました。
 父の後鳥羽上皇時代、一緒に政権を幕府から奪い返そうとしましたが失敗しました。世に言う、承久の乱です。結果は首謀者の後鳥羽上皇は隠岐の島に、順徳上皇は佐渡島に配流となりました。時に上皇まだ24歳の若さでした。

 上皇は歌人として著名であり、在島中「八雲御抄」6巻を訂正増補したり、「順徳院御集」「順徳院百首」「四十香歌合」など歌集を出し、京都への還幸を期待していましたが、鎌倉幕府はそれを許しませんでした。

 そのうち、父上皇も、長男の仲恭天皇も亡くなり、世をはかなんだ上皇は、都への帰還はすっかりあきらめ、「存命無益」と称して絶食、仁治3年(1242年)9月12日、自らの命を絶ちました。在島22年、46歳の生涯でした。

島のあちこちに、在りし日の遺跡が点在し、観光客の涙を誘っています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(月面から見た地球/NHK)

今日の日曜日は会社へ出勤でした。今週の日曜日は大井町湯屋へ行こうと思っていたのですが、これで4週間連続、日曜日に行けませんでした。来週の日曜日も湯屋は休館日なので、5週連続で日曜日行かないことになります。

その前日の土曜日はいつものように裕太郎エアロ、トレーニング、大暴れアクアをやりました。裕太郎さんのエアロは10月から他の方へ変更になり、大井町湯屋でのレッスンは1つもなくなってしまいます。一番運動量を必要とするレッスンであっただけにとても残念です。しかしながら、三木田さんの時もそうでしたが、ご本人はサバサバしていました。

湯屋の途中、中国整体に行きました。先生はこの秋、京都へ紅葉を観に行くことを計画しているようです。


そして、この日の夕方はじゃんけんぽんで今年3回目の日本酒の試飲会がありました。湯屋仲間の湯浅さんと一緒に店に行き、中丸さんご夫妻、プールの佐藤さんも試飲会に参加しました。また佐藤さんのお友達の梅原さんとそのご子息夫妻もご一緒しました。

 午後6時から試飲会開始、男山、開運、赤とんぼ、初亀、羽根屋、雁木、天吹、秋櫻の8種類の日本酒が用意されていました。お店には全員で20名ほどのお客さんが来店していました。大変な賑わいでした。赤とんぼと雁木は人気ですぐになくなってしまったように思います。


佐藤さんは相変わらずお元気で、10月にはモナコへ行かれるそうです。私は店に来る前に湯屋で大暴れアクアをやってきましたが、佐藤さんとは何年も前から日曜日の2時からのアクアに一緒に参加しており、思う存分、水を巻き上げさせてもらっていました。最初はあの“らてこん”さんのアクアから参加し始めて、日曜日2時のアクアにかなり長い間参加していたと思います。そして、時間の経過とともに私の足が上がらなくなり、今では週1回、おとなしくアクアに参加しています。佐藤さんとは、その時の思い出話に花が咲きました。何か年寄りになってしまった感じですが、こういうときは年寄りに合わせないといけません。041.gif

そして、湯屋会員の梅原さんとは初めてお会いしました。ご子息夫妻はときどき土曜日のお昼のエアロビクスに参加されているそうです。その時間は片山さんというインストラクターさんが担当されており、初心者の方は片山さんのレッスンからエアロビクスを始めて、ステップアップして行きます。私もそうでした。片山さんは多分、私とそんなに年齢が変わらないと思いますが、今でも現役で、大学へダンスを教えに行ったりしています。片山さんが、「フィットネスは若いものからお年寄りまで全世代が楽しむことのできるスポーツですよ。だから、初級から上級までいろいろなレベルが用意されており、自分にあったレッスンを、誰もが楽しめるようにできているのよ。」とおっしゃっていたことを今でも覚えています。

 同じフィットネスクラブに通っていながら、今回初めて、梅原さんとご子息夫妻に会うことができて、そして同じフィットネスを楽しんでいることを知り、あの時の片山さんの言葉を思い出した試飲会でした。


日本酒8種類。069.gif
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お料理の数々。でもハムカツは出なかったな。011.gif
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プールの佐藤さん。遺影に使えます。037.gif
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中丸さん夫妻。ご主人は写真撮影のプロ。やはり満月と夜景を一緒に撮影することは無理だとおっしゃっていました。普通は、別々に撮って、合成するのだそうです。004.gif
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佐藤さんと湯浅さん。祖母と孫くらいの年齢差。お二人とも10月18日の川崎での日本酒試飲会に参加されることを表明。晴れ男さん、エルビーさんも「日本酒は苦手だ」なんて言わず、ご一緒しましょう。041.gif
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梅原さんと佐藤さん。068.gif
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梅原さんご子息夫妻と三共第一製薬勤務の石川さん。石川さんは薬の闇のルートに通じた方です。これ以上は書けません。041.gif
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銚子の満願寺
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屏風ヶ浦
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by ryott-ryott | 2009-09-14 02:09 | 大井町湯屋

源義経伝説と十七夜の月巡りの旅ヽ(^o^)丿

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まてど暮らせど来ぬ人は 宵待ち草のやるせなさ
今宵は 月も出ぬさうな

竹久夢二


9月5日土曜日は大井町湯屋が休館日でお休みでした。そして、この日の夜は一七夜の満月が出ます。この満月を撮るために、千葉県の銚子にまで出かけて来ました。

残念ながら、水平線上に浮かぶ満月は厚い雲に覆われて見ることはできませんでしたが、月の出から約30分経ったころに、雲の間から満月が顔を出してくれました。この季節はやはり雲が多いため、なかなか水平線上に浮かぶ月を拝むことはできないそうです。月を見るには、1月から2月が空も澄みわたり、水平線上から月が昇り、海が月の明かりに照らされて、光の道の先に月が浮かんでいるように見えるそうです。その季節まで、水平線上に浮かぶお月さまを楽しみに待つことにします。072.gif

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銚子マリーナの近くにある犬岩。岩の2つの突起がまるで犬の耳のよう、犬の顔に見えることから名付けられています。実は、源九郎判官義経の伝説があります。ご存知の通り、義経は兄の頼朝とうまく行かず、追われる身になっていました。頼朝の追ってから逃げる途中に、銚子の地に立ち寄ったという説があり、その時に義経が可愛がっていた犬を、この銚子の地に逃がしたといいます。しかし、犬は主人の姿を追い求め、悲しみにあまり鳴きました。その鳴き声が遠く離れて、岬まで聞こえたといいます。その岬が犬吠埼で、その時の犬が「犬岩」になったと言われています。004.gif

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千騎ヶ岩。義経の家来が、この岩に立てこもって、頼朝の追ってと戦ったと言われています。
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地球の丸く見える丘展望台。
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銚子電鉄。
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終点「外川(とかわ)駅」。NHKの澪つくしのロケが行われていたそうです。
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屏風ヶ浦に沈む夕日。058.gif
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朝の満月。072.gif
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雲の合間から、ほんの一瞬、顔をのぞかせた朝日。058.gif
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銚子電鉄「海鹿駅」近くの「あしか寿司」。だて巻きはプリンのようになめらかでデザートのようでした。昔、TBSの進藤晶子アナウンサーが取材に来たそうです。011.gif
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ヤマサ醤油工場入口。敷地は東京ドーム4つ分あるそうです。
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お醤油のソフトクリーム。醤油の香りのソフトクリームです。011.gif
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by ryott-ryott | 2009-09-06 22:10 | 散歩

映画「20世紀少年」-最終章-ぼくらの旗ヽ(^o^)丿

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今回の衆議院議員選挙ではついに自民党が負けて、民主党政権が誕生することになりました。民主党が掲げた政策が絵に描いた餅にならないことを祈るばかりです。004.gif

日曜日は投票に行き、まだ時間があったので、映画「20世紀少年―最終章―ぼくらの旗」を見て来ました。公開2日目の日曜日で混雑しているのかと思いましたが、やはり映画館は空いていました。私が小中学生の時に観に行った「未知との遭遇」や「スター・ウォーズ」は立ち見なるほど大盛況だったのに、今は映画は娯楽としての地位はすっかり地に落ちてしまったのかなと思いました。044.gif

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「20世紀少年」の第1章も2章も見ていませんでしたが、ダイジェスト版やテレビの情報番組で大体はわかっていました。最終章の内容の概略は以下の通りです。

2017年、ともだち歴3年。世界は「世界大統領」になった「ともだち」に支配されていた。

東京は高い城壁に囲まれて外界とは隔離されていた。城壁の中の東京は昭和30年代を思わせる木造住宅の街並み。市民に貧しい暮らしを強いる一方で、「ともだち」は巨大タワーで生活していた。

そんな中、「ともだち」は8月20日、宇宙人の襲来により人類は滅亡することを予言する。しかし、それは「ともだち」が殺人ウィルスと中性子爆弾による人類滅亡の計画であった。
かつての仲間であったオッチョ、ユキジ、ヨシツネ、そしてケンヂとカンナは「ともだち」の人類滅亡計画を果たして阻止することが出来るのか。「ともだち」の正体は一体、誰なのか。

この映画のエンドロール終了後に、「ともだち」が誰であったのか、そして、どうしてこのような事態に至ったのかという原因を、ケンヂ自ら過去へ立ち戻って顧みる場面があります。わずか10分のシーンですが、この最後の場面では、人を助けて活かすことも、見殺しにすることも同じ人であること、そして、一歩間違えれば、誰もがそのような状況を作り出してしまうことを教えていると思います。「ともだち」はその象徴として描かれているのでしょう。
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(20世紀少年―最終章―ぼくらの旗/予告編)

詩の天職こそ偉大である。陽気なものにせよ、悲しげなるものにせよ、常に詩は自らのうちに、理想を追う神の如き性格を持っている。

詩は事実に異をたてることを止めない。
さもなくば亡びるのは他にないのだ。牢獄で、詩は暴動となる。病院の窓辺で、詩は平癒の燃ゆる希望だ。いたんだ屋根裏の部屋で、詩は仙女のように、豪奢に優雅に身を飾る。

詩はたんに確認するだけでない。たてなおすのだ。どこでも詩は不正の否定となる。
(『ピエール・デュポン詩歌集』への序)
この序文を書いたシャルル・ボードレールは、フランス象徴派の詩人、近代叙情詩の開祖といわれる人です。

1821年に生まれました。実父の遺産を受け継ぎ、若くして反抗的な放縦(ほうじゅう)の生活を過ごし、ついに刺激を求めて阿片を常用して、感性を荒ませ、悪の中から美を抽き出す意図で、36歳のとき詩集「悪の華」を出しました。

しかし、この詩集は当時、風俗を乱すとして発禁処分になりました。そのために彼の悪魔主義的思想が新鮮なものとして世の注目を集めました。

彼はその後、自分の行為に対して絶えず良心の呵責に悩みながら、次第に非感動的な、斬新な、音楽的な叙情詩の世界に没入して、1867年8月31日、46歳の生涯を閉じました。

病的な天才詩人の一人だったのでしょう。「悪の華」のほか、「パリの憂鬱」、散文の「若き魅惑者」「ラ・ファンファルロ」が有名です。彼は詩人としての才能はもちろん、美術批評家としても一流の評価を与えられています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(20世紀少年―最終章―ぼくらの旗/予告編2)

冒頭の写真は9月3日、自宅から見た「十五夜」の月です。今日4日に「十六夜(いざよい)」、そして明日土曜日は「十七夜」で満月になります。普通ならば土曜日は大井町湯屋へ行き、いつものメニューをこなすところなのですが、明日5日は湯屋はお休みです。

そこで思い切って、満月の写真を撮りに行くことにしました。水平線から昇る満月を撮影するために、海に行ってきます。しかし、天気が心配。雨が降らなくても、曇りでも満月は見られません。「十五夜」の月は、どんより曇った東京の空の雲の合間から、わずかに見えたところを写真に撮りました。明日、雲がないことを祈るばかりです。032.gif058.gif

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by ryott-ryott | 2009-09-05 01:09 | movie