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大井町湯屋で500日ぶり篠ちゃんエアロヽ(^o^)丿

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奥能登の旅を終えて、今日は久しぶりに土曜日の大井町湯屋へ行きました。いつものように奥山エアロ、中国整体、大暴れアクアと行くところ行くところですが、今日は特別なレッスンが組まれていました。したがって、途中の中国整体をキャンセルして、参加しました。037.gif
 毎週日曜日にヨガの指導をしてくださっている、らてこんさんこと篠ちゃんが約500日ぶりにエアロビクスのレッスンを代行で担当されました。大井町湯屋では、昨年の夏に怪我でエアロビクスを離れて以来になります。私のみならず大井町湯屋の会員さんは篠ちゃんのエアロに出ることはもうないのかなと思いながらの冴えない湯屋ライフを送っていただけに、この日の篠ちゃんのレッスンが楽しみで嬉しさをかくせませんでした。024.gif
 吉田さんご夫婦もレッスン開始前の何時間も前から大井町湯屋に来て待っていましたし、清水さんも「篠ちゃんの顔を見に来たのよ」と言って、普段一緒のレッスンに出ることのない、かつての篠ちゃんのレッスンに出ていた方との再会の場でもありました。もちろん私も気持ちだけは3日前からAスタジオの前で並んで待っていました。024.gif


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 この日の篠ちゃんのレッスンは、かつてと何も変わっていない「篠ちゃんのエアロビクス」そのものでした。リズムもテンポも組み立ても、日曜日・木曜日に受けていた、あのなつかしいエアロビクスそのものでした。まとめの音楽はセーラームーン、篠ちゃんがいい曲だと言うと、いい曲に聞こえるから不思議です。060.gifそしてエイトカウントのスクワット、腹筋と続き、久しぶりに汗を流す爽快さを思い出すことが出来ました。アクアビクスでもそうでしたが、エイトカウントスクワットで声を出しながら、スクワットを行うことにより、1回1回きちんと出来ることを今更ながら改めて認識できました。070.gif日曜日の朝、腹筋と太ももが筋肉痛ですが、とても楽しい時間を過ごすことが出来ました。篠ちゃん、またエアロのレッスンをやりに来てくださいね、3日前からスタジオ前で待っています。016.gif

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(セーラームーン/主題歌「ムーンライト伝説」)

親鸞は、京都で「お東さん」「お西さん」と呼ばれる、浄土真宗の総本山、東西両本願寺教団の開祖です。苦悩と波乱に富んだ革新的宗教家の事績と、主著「強行信証」、その語録「歎異抄」に魅かされるのか、親鸞に関する本は現在もあとをたちません。
 親鸞は、覚如の書いた「親鸞上人伝絵」によりますと、父は藤原一門、皇太后宮職をつとめた日野有範で、本来ならば、宮廷に使える殿上人(てんじょうびと)の生涯を送る人であったと言われます。
 8歳のとき父の勧めで出家し、比叡山延暦寺で修行に励みましたが飽き足らず、山を下りて、「専修念仏」を唱える、法然の門に入りました。
 当時、僧侶の妻帯は許されていませんでしたが、性に悩む若き親鸞は公然と結婚し、「破壊僧」と指さされながらも、長子善鸞をもうけました。
 やがて「専修念仏」への弾圧がはじまり、師の法然とともに流罪となり、親鸞は越後に流されます。ここで親鸞は、越後介三善為則の娘恵信と結ばれ、のちに男女6人の子どもをつくりました。恵信尼は、かなり教養のあった女性で、親鸞宛の数々の手紙が残されていますが、立派なので感心します。
 建暦元年(1211年)流罪を許され、親鸞は京都へ帰らず、親子ともども、新しい布教の地として常陸を選びました。約20年、彼は数多くの門徒、弟子を捨て、再び京都に戻りました。不服な門徒たちの要請に応え、長男善鸞を派遣しますが、この善鸞が父に背いてしまいます。
京都はまだ弾圧の余波が残り、親鸞の悩みは尽きません。しかし親鸞にも終焉の時がやってきました。弘長2年(1262年)11月28日、愛の炎をくぐり抜け、煩悩と苦渋に満ちた80年の生涯を閉じました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(吉幾三/酒よ)

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そして今日は、昼間の余韻さめやらぬまま、もうひとつお楽しみがありました。ボジョレ―ヌーボーの解禁日から約10日、じゃんけんぽんでボジョレーヌーボー試飲会がありました。069.gif中丸さんご夫婦、湯浅さん、エルビーさん、梅原さん親子、よし子さん、市川さんと私、すべて大井町湯屋のメンバーで試飲会に参加しました。湯浅さんは来年にボディービルの大会に出場予定ですが、今年いっぱいは減量する必要がないから忘年会、飲み会、禊の会は大歓迎とおっしゃっていました。そしてエルビーさんは「日本酒は苦手」なんだどうですが、ワインは大好きということで同席されました。私が見る限り、「日本酒が苦手」というのは口先だけで、じつは焼酎もワインも日本酒も何でも飲めるというのが同席された方、皆さんの一致した見解です。041.gif

アンチョビじゃがいもサラダ011.gif
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イカとタコのカルパッチョ011.gif
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トマトのおでん011.gif
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ハムカツサンド011.gif
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 お隣のテーブルに目を移すと、第一三共製薬の捨女(すてじょ)の皆さんが来ていました。工学博士のエリリンさんはお会いするたびに胴まわりが成長されているような気がしますが、最後はとてもご機嫌で、他の方から道に捨ててくると言われていました。またお馴染みの石井ちゃんも本名だけは可愛いのですが、姿を見るなり、よし子さんは森ちゃんと間違えていました。最近、石井ちゃんは湯浅さんの歯科医院に通院されているそうであり、湯浅さんならあの太い腕で麻酔をかけずに歯を抜けるのではないかと思います。041.gif

第一三共製薬の捨女のみなさん037.gif
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 そして、今日は中丸さんのご主人のお誕生日でもあり、はるさん・トントンさんから中丸さんへお酒のプレゼントがありました。ワインも全て飲み干して、プレゼントのお酒も皆さんに振舞われて、にごり酒も戴いて、定刻の終了時間を過ぎても宴は続き、賑やかな夜が更けていきました。024.gif

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by ryott-ryott | 2009-11-29 14:01 | 大井町湯屋

いい歳、りょうちゃん、青空に巡り合えましたヽ(^o^)丿

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最終日、11月23日。この日はきれいに晴れました。帰りの飛行機は15:55、能登空港発・羽田行き。しばし時間があるため、珠洲焼資料館、珪藻土資料館、蛸島酒造を見学し、鉢ケ﨑海岸をブラブラと歩き、鈴の湯に入って、帰ってきました。058.gif

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ビーチホテルの前には砂浜が広がっています。夏は海水浴場として賑わうそうですが、この奥能登の地も地球温暖化の影響が徐々に広がっているようです。この海水浴場に人喰い鮫が出没しており、海水浴客を怯えさせているそうです。いままで鮫など姿を見せなかった浜に、鮫が出没するというほど海の中の環境が変化してしまったようです。また、気温も高く、積雪量がかなり減ったようです。積雪が多かった時は、毎年、山で松茸が大量に採れたそうですが、今では数えるほどしか採れなくなりました。


(岩崎宏美/始まりの詩、あなたへ)

現在の五千円札の肖像画に使われている樋口一葉が、明治29年(1896年)11月23日に肺結核で24歳の短い生涯を閉じました。師であり、恋人でもあった半井桃水(なからいとうすい)への思慕を抱きながら、貧しくも美しい生涯でした。
 樋口一葉が、日本近代文学で高く評価されているのは、「たけくらべ」、「にごりえ」、「十三夜」、「わかれ道」、「大つごもり」という5つの名作を残しながら、死の直前まで大量の日記を残したからだと言われています。
また王朝時代の紫式部・清少納言・和泉式部の女流文学前世紀から千年後、再び女流文学を開花させた中興の祖であることも評価されています。
一葉は父を亡くした後は、母妹と裁縫の内職をしたり、下谷竜泉寺で荒物・駄菓子屋をして失敗、本郷丸山福山町へ移り住んだ明治下町情緒の哀歓が作品に映し出されており、読み手の心をひきつけると言われています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(林あさ美/能登半島)


(石原詢子/能登半島)


(島津亜矢/能登半島)


(河合奈保子/能登半島)


(坂本冬美/能登半島)


(石川さゆり/能登半島)

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宿泊先の珠洲ビーチホテルから歩くこと10分。地元の酒蔵・蛸島酒造へ行きました。入口には、これから仕込む石川米が山積みにされていました。酒蔵をたずねると、ご主人の桜田さんが中を案内してくれました。お米は業者に頼んで精米し、仕込みはさらに気温が下がる1月に行うとのこと。最近は降雪も少なく暖冬であるため、仕込みの容器のまわりには冷却水を流して発酵させるようです。
 この酒造では、桜田さんの名前にちなんで、初桜という銘柄のお酒を作っています。初桜は1級酒と2級酒、それと大慶と万葉美人の4銘柄。ビーチホテルでも、鈴の湯の食堂でも置いてありました。

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神奈川県の居酒屋さんに卸している「きさくに」
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初桜、大慶、万葉美人
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杉玉
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ラベルをお母さんが手で貼っていました。

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酒蔵でお酒を買い求めて、鉢ケ﨑海岸の砂浜をブラブラと歩いて、再びビーチホテルの方へ戻ってきました。今では北朝鮮の船の寄港を日本政府が許していないため、事件もありませんが、30年前はこの浜辺で子どもが神隠しにあうと言った事件が多発していたそうです。何年か前に時の小泉首相が北朝鮮を訪問して、拉致被害者の顔写真が公開されて、はじめて30年前の神隠しが実は北朝鮮へ拉致されていたということがわかったそうです。また北朝鮮が日本の暴力団組織に覚醒剤を売りに来て、この砂浜に覚醒剤を埋めて取引をしていました。現在のように携帯電話もないため、時として覚醒剤をどこに埋めたかわからなくなってしまい、浜を散歩している人に発見され大騒ぎになったことが何回もあると聞きました。

そんな物騒な砂浜だったとは思えないほど、青い空と碧い日本海が広がっていました。


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by ryott-ryott | 2009-11-27 01:16 | 一眼レフの旅

いい歳、りょうちゃん、輪島~珠洲、奥能登一周ヽ(^o^)丿

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11月22日、日曜日。朝、朝日、朝焼けを雲の切れ間から見ることが出来て、今日は昨日と違って好天に恵まれると期待したのですが、にわかにかき曇り、この日の空も鈍色でした。
雨が降らなかっただけでも良しとしましょうか。
昨日、禄鋼崎灯台まで案内してもらったタクシーの運転手さんに今日もお願いして、輪島まで行くことにしました。輪島まで行くまでに、恋路海岸、見附島を通って、山中を経由して、輪島へ。そして、輪島から千枚田、曽々木、仁江海岸を経て禄鋼崎灯台で再度、夕陽の撮影に挑戦して、宿泊先の珠洲ビーチホテルまで戻ってくるルートです。


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今回訪れた珠洲市は能登半島の先端、奥能登と呼ばれる地域です。同じ石川県の金沢には平成26年に北陸新幹線を開通させる計画もあるようですが、奥能登の地は鉄道は一切ありません。現在も観光地で賑わっている輪島も鉄道が廃線になって10年経過するそうです。そして、珠洲市も4年前に時の小泉首相が鉄道を廃線にすることを決めました。

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 恋路駅も廃線になった鉄道の駅の一つです。駅のホームは残っていましたが、線路はもう有りませんでした。電車が走っているときの観光客は今とは比べものにならないくらい多かったそうです。

 山中の途中、炭焼き小屋があり、炭を焼いていました。
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 輪島に着いたころには一時的に空が明るくなりました。朝市がやっており、私はえがらまんじゅうを食べました。037.gif
朝市では商店街の普通の店の前に屋台が出ており、その屋台で物を売っている方は、その後ろのお店の方です。輪島塗などの漆器類専門のお店なのですが、加賀友禅のハンカチや小物類を背広屋さんが売っていたり、時計屋さんがとろろ昆布やカラスミなどの畑違いのものを売っているのには驚きました。お店のお母さんに聞くと、もともとの店の商品だけを売っていては、商売が成り立たないため、観光客が喜びそうなものを朝市で売っているとおっしゃっていました。


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朝市の商店街の中にも能登牛の専門店がありましたが、ちょうどお昼時とあって、長蛇の列であり、残念ながら入店をあきらめました。014.gif


(美空ひばり/真赤な太陽)


(坂本冬美/能登はいらんかいね)

アメリカのケネディ大統領というと、思い出すことが5つあります。
第一は、大統領就任のときの名演説です。
「アメリカの国民諸君!諸君は国家が諸君に何をなすかを問い給うな。諸君が国家に何をなしうるかを問い給え。人類の自由と平和のために、我々が何をなしうるかを問い給え!・・・・・」この格調高い就任演説は、リンカーンの「人民の、人民による、人民にための政治」といった、あの名演説とともに、歴史に残る感動的な演説です。
第二は、キューバ島に建設されたソ連ミサイル基地の撤退を求めた時の毅然とした態度です。さすがのフルシチョフも撤退に応じました。
第三は、あの暗殺です。たまたま、日米間にテレビの衛星中継が開始された当日だっただけに、意外な大事件の報道に、みんながびっくりしてテレビの前に釘付けになりました。
 1963年11月22日、将来を期待されていた若きアメリカ大統領ケネディは、遊説先のダラス市内で、オズワルド青年の凶弾に倒れてしまいました。享年46歳でした。
 第四は、弟ロバート・ケネディの暗殺です。ケネディ家には、不幸な事件が多発しました。呪われた家系なのでしょうか。それともCIAの謀略だったのでしょうか。
 第五は、ジャクリーヌ夫人の再婚です。あの悲劇の大統領夫人が、いくら優雅な生活に憧れたからといって、ギリシャの大金持ちオナシスに嫁ぐとは、日本の常識ではとても考えられないことです。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(坂本冬美/あばれ太鼓)

そして、輪島の朝市を見た後は海岸線に沿って千枚田に向かいました。
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千枚田は田んぼが斜面に沿って段々に作られており、実際には1900ほどの田んぼがあるそうです。
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曽々木はその昔は観光地で、よく作詞・作曲家が歌を作るためにこの地を訪れたそうです。冬の日本海は風が強く、この岩の孔を通り抜けてくる風の音を聞いて、「越冬つばめ」の「ヒュルリ~ ヒュルリララ~ついておいでと啼いてます ヒュルリ~ ヒュルリララ~ききわけのない女です。」という詩が出来たそうです。
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(森昌子/越冬つばめ)

途中、漆塗り、キリ子、塩田の見学をして、いよいよ禄鋼崎へ。空は相変わらず鈍色。今日の朝と同じように、わずかに雲が切れて、その切れ間はほんのりと薄紅色でした。朝日と同じように、雲の切れ間から夕陽が見れるかもしれないと期待しつつ、禄鋼崎灯台の展望台に三脚を置き、日の入り時刻を待ちました。しかしながら、ついに夕陽を見ることはできませんでした。切れ間からも夕陽は顔を覗かせることなく、沈んで行ったようです。私が三脚とカメラを片付けていると、立派な三脚とテレビカメラを持った二人組の男性が展望台に上って来て、灯台を一生懸命に撮影していました。後で聞くと石川テレビ局の方だそうで、禄鋼崎灯台から見た夕陽を撮影するように言われて来ていたそうです。お互い、残念でした。058.gif
To be continued.

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女性の髪で作った刷毛。1本10万円するそうです。今は中国から輸入しています。怪しいですね。
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by ryott-ryott | 2009-11-25 03:02 | 一眼レフの旅

いい歳、りょうちゃん、能登半島に駈けつけるヽ(^o^)丿

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11月21日、東京は抜けるような青空で、東海道の先には富士山を眺めることが出来るほどの好天でした。しかし、私が能登空港に着いた時は、東京の好天とはうって変わっての雨模様、気温6 ℃でした。能登半島の週間天気予報でこの3連休は天気がよくないことはわかっていましたが、やはり残念な気持ちになります。
 能登空港から私が宿泊先に選んだ珠洲ビーチホテルまでは、スズ交通のふるさとタクシーに乗って行きました。なんと料金1000円。前日までに予約をしておけば、能登空港から目的地まで乗せてくれます。ほとんどの方は、個人のお宅の前まで乗っていくというのが普通のようです。ホテルについても雨はますます強くなる一方。禄鋼崎灯台で夕景を見ようと考えていましたが、夕日どころか夕焼け色でさえ見ることが出来ない絶望的な空模様。それでも折角来たので、禄鋼崎灯台に行くことにしました。ホテルのフロントに尋ねると、車で20分くらいかかるとのこと。私が歩いていけないかと聞くと、無理であると即答されました。


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すぐにカメラと三脚を持って、タクシーを呼んで、禄鋼崎灯台へ向かいました。道中、確かに歩いて行くには無理であることがわかりました。
途中、運転手さんが有名な「ランプの宿」に立ち寄ってくれました。「ランプの宿」は日本のホテル百選などにたびたび出てくる高級宿で、なかなか予約が取れない、有名人の常宿です。冷たい雨と風で、日本海の波はかなりうねっていました。
16:40の日の入り時刻を待たずして、私は三脚をたてることをあきらめました。冬の日本海を象徴するような鈍色(にぶいろ)でした。何枚か灯台の写真を撮り、すぐにタクシーに戻って、ホテルに帰りました。
22日は21日よりは天気がいいらしいとの予報だったので、次の日に期待することにし、ホテルで能登牛を食べました。



(石川さゆり/越冬つばめ)

一休さんは頓知のきく小坊主として、子どもの世界でも漫画やテレビでおなじみです。
一休の諱(いみな)は宗純といい、後小松天皇の子ともいわれますが、京都に生まれました。6歳の時、安国寺という禅寺に入り修行をしましたが、20歳の頃には悟りを開くことが出来ないのを悲観して、琵琶湖に身を投げたことをあります。
 一休はその後、華叟宗曇(かそうしゅうどん)という名僧に師事して悟りを開き、81歳のとき、勅命で、天下に名高い京都の大徳寺の第46代の住職となり、紫衣を賜りました。「自戒集」のほか、詩集「狂雲集」などの著作もあり、文明13年(1481年)11月21日、87歳で亡くなりました。
 頓知と奇行は有名ですが、彼らしい逸話があります。「一休の遺言状」です。一休和尚は臨終の時、遺言しました。「この遺言状は、自分が死んでもすぐに開けてはならぬ。本堂の仏壇の中に大切にしまっておき、百年二百年の後の世の中で、一山興亡という一大事が生じ、衆知を集めてもその結論がでない危急の際に限って読むがよい。そうすれば、その大事件の解決方法がたちどころにわかるであろう。」
 その後、長年にわたって遺言状は開封されずにいましたが、ついにあるとき、大徳寺本山の浮沈にかかわる大問題が起きました。山内の名僧智識が集まって鳩首協議をしましたがよい知恵が出ません。
 そのときだれかが一休の遺言状を思い出し、早速開けてみました。「ナルヨウニナル、シンパイスルナ」これが全文です。満座は思わず、アッと言いました。いかにも一休和尚らしい話です。最善を尽くせば、あとは新しい道が開けると言う教えです。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(石川さゆり/能登半島/作詞:阿久 悠、作曲:三木たかし)

夜明け間近 北の海は波も荒く
心細い旅の女 泣かせるよう
ほつれ髪を指に 巻いて溜息つき
通り過ぎる 景色ばかり見つめていた
十九なかばで 恋知らず
十九なかばで 恋を知り
あなた あなたたずねて行く旅は
夏から秋への 能登半島

ここにいると 旅の葉書もらったとき
胸の奥で何か急に はじけたよう
一夜だけの旅の 仕度すぐにつくり
熱い胸に とびこみたい私だった
十九なかばで 恋知らず
十九なかばで 恋を知り
すべて すべて投げ出し駈けつける
夏から秋への 能登半島

あなた あなたたずねて行く旅は
夏から秋への 能登半島
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能登牛011.gif
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11月22日、早朝。5時半に目が覚めました。東の空が薄紅色になっており、太陽2個分ぐらい、雲が切れているので、ひょっとしたら、この雲の切れ間から朝日が見れるかも知れないと思い、ホテルの前の砂浜に行きました。6時40分、水平線上の雲の切れ間から太陽が昇ってきました。それが冒頭の写真です。海に霧が出ており、朝日が照らすと日本海が紅い霧にしばし染まりました。そして、すぐにその上の雲に隠れて行きました。058.gif

22日は幸先のよいスタート、いい写真が撮れそうな予感で1日が始まりました。
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To be continued.

温泉鈴の湯
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珠洲ビーチホテル
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by ryott-ryott | 2009-11-23 23:03 | 一眼レフの旅

いい歳、りょうちゃん、鳥の足を食べるヽ(^o^)丿

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今週の土曜日は珍しいものを食べました。冒頭の写真がそれです。鳥の足です。コラーゲンのかたまり。食べるべきところはそんなにありませんが、食べているうちにお腹がいっぱいになりました。多分、何回も咀嚼するため、満腹中枢に効いたのだと思います。いつも飲むように食べてしまうため、食べ過ぎてしまいますが、よく噛めばお腹一杯になるのですね。しかし、次回は胴体のほうの身も食べたいです。037.gif

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(Judy Kuhn/I dreamed a dream.)

地中海のポートサイドから、紅海のスエズにいたる二つの海と、ヨーロッパ、アジア、アフリカを結ぶ東西交通の大動脈「スエズ運河」が開通したのは、1869年1月16日です。
それまでは、ヨーロッパから東洋への航路は、アフリカの南端ケープタウンまで回らなければならなかっただけに、この運河の開通は大きな意義を持ち、東西諸国に政治、経済的にはかりしれない恩恵をもたらしました。この世紀の大事業を成し遂げたのが、フランスの外交官であったフェルジナン・レセップスです。
 彼は技術家でもあり、同時に探検家、夢想家でもありました。古代エジプト諸王朝が数回にわたって運河計画を立てても、その実現が出来なかったことを知り、彼はそれに挑戦しました。
 さいわい、エジプト王のサイド・パシャが父の親友でもあった関係で運河開さくの許可をもらい、1854年12月から工事を開始しました。
 しかし、植民地拡大を目指していたイギリスや、自国フランスからも猛烈な反対と妨害にあい、悩まされました。でも彼は「初志貫徹」で進みます。
 とうとう、15年の歳月をかけて、見事完成させることが出来ました。64歳の時です。
地中海の水が紅海に注いでいく、その水の流れを見た瞬間の彼の気持ちはどんなだったでしょう。
 彼にとって心残りは、支援してくれたサイド・パシャ王が開通の喜びを知らずに亡くなったことです。
 スエズ運河の地中海側の入り口、ポートサイドは、サイド王の名を記念して名付けられたものです。
 彼は1881年、今度はパナマ運河の開さくに乗り出しましたが、これは失敗して、翌年ロンドンで89歳の生涯を終わりました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(Elaine Paige/I dreamed a dream.)

今週末の3連休は再び「一眼レフの旅」として能登に行って参ります。今は天気だけが気になっています。058.gif

”すべて投げ出し駈けつける 秋から冬への能登半島”
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(石川さゆり/能登半島)

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by ryott-ryott | 2009-11-15 23:13 | じゃんけんぽん

第1回忘年会 in 荏原町ヽ(^o^)丿

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先週の土曜日は会社の集会があり、いつものように大井町湯屋に行くことはできませんでしたが、今週は何事もなく大井町湯屋へ行き、エアロ、中国整体、大暴れアクアをやりました。エアロはいつものイントラさんではなく、代行でした。

そして今日は大井町湯屋のお仲間たちと荏原町のさ久さんへ行きました。先日試飲会の仲間入りを果たした湯浅さんが、大井町湯屋を退会されていたことに驚きました。湯浅さんは半年後のボディービルの大会へ出場する登録のため、ゴールドジムへ泣く泣く移籍、大井町湯屋を退会することにしたそうです。皆さんはゴールドジムと両方入ればいいのに、と口をそろえて、おっしゃっていましたが、奥さまがそれを許さなかったようです。普段、にこやかでとても優しそうな奥さまはご主人には怖くて厳しいと、晴れ男さんがおっしゃっていました。041.gif

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日本三大仇討を並べた文句に「一に富士(曽我兄弟)、二に鷹の羽のぶっちがい(忠臣蔵)、三に名を成す伊賀上野(伊賀上野)」というのがあります。
3番目がおなじみの「荒木又右衛門三十六人斬り」で有名な、伊賀越え上野の仇討です。

実際に36人も斬ったのでしょうか。
事の起こりは寛永7年(1630年)7月21日、備前岡山藩藩士河合又五郎が、同家中の渡辺源太夫を殺したことが発端です。
息子(一説に兄)の渡辺数馬は、すぐに仇討を考えますが、又五郎が江戸へ逃げ、旗本安藤治右衛門宅にかくまわれているので手出しできません。
藩主を通じ、旗本に身柄引き渡しを要求しますが、交渉がはかどらず、そのうち藩主が死に、国替えなどでうやむやになってしまいます。
 しかし、悪いことはできないもので、姉婿の荒木又右衛門が、大和郡山藩の剣術師範をしていた関係で、又五郎が伯父甚左衛門宅におり、明朝、再び江戸に発つという耳よりの情報が入ってきました。
かくして、寛永11年(1634年)11月7日、数馬と助太刀役の荒木又右衛門は、伊賀上野の鍵屋の辻で又五郎を討つべく待ち伏せをしました。又五郎主従20余人、きりかかるのは数馬と又右衛門と郎党二人。激闘数刻、ようやく又五郎をたおし、本懐を遂げることができました。
 このとき渡辺数馬27歳、荒木又右衛門30歳でした。二人はそのまま伊勢津に藩主藤堂家に預けられましたが、寛永15年(1638年)、許されて、数馬の旧主池田家に召し抱えられて一見落着となりました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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またこの日は皆さん、厄日であったようです。大崎さんはお仕事で来ることができませんでした。晴れ男さんも買い物中に車を当て逃げされてしまったそうです。しかし、宴中に当て逃げした犯人から連絡があり、無事修理していただけるようです。当て逃げでの物損事故では警察は何もしてくれないようです。
今話題のマイケル・ジャクソンの映画を晴れ男さん、エルビーさんは観に行かれたそうであり、絶賛されていました。また、小林亜星に似た方が最近大井町湯屋に入会された話など、宴での話題は多岐にわたりました。060.gif


かき011.gif
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マグロのあご焼011.gif
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さんまのお刺身011.gif
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はんぺんチーズ011.gif
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黒豚のせいろ蒸し011.gif011.gif
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さつま芋はこんなに大きい
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当て逃げされた晴れ男さん
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阿部ちゃんと奥様に頭が上がらないお二方037.gif
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理枝ちゃんと御主人に厳しい奥様(←晴れ男さんが言いました)037.gif
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最後はみんなで記念撮影024.gif
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by ryott-ryott | 2009-11-08 14:58 | 大井町湯屋

小田原では富士山が見えませんヽ(^o^)丿

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11月2日、前々から見たいと思っていた映画「カムイ外伝」を見て来ました。公開から既に1ヵ月以上経ってしまっているので、いつ終ってしまうか心配でしたがようやく見ることが出来ました。しかし、1日1回だけの上映であり、お客さんは私を含め5人しかいませんでした。

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原作者の白土三平は画業50周年だそうです。このカムイ外伝がテレビでアニメとして放映されていたのは昭和44年で私が5歳の時ですから、おそらく私が見ていた「カムイ外伝」は再放送されたものでしょう。原作が実写映画と違うところは、悪人と善良な人の顔がはっきり違うところです。そして、貧しさゆえに、生きるために伊賀の里で下忍となり、しかしながら、殺戮の日々に疑問を感じ、再び生きる道を探していく。この作品は生きるために何が大切かを教えていると思います。


(倖田來未/Alive、映画「カムイ外伝」主題歌)

貧しさゆえに忍びとなり、自由を夢見て忍びを抜けた、一人の男。その名はカムイ。
しかし、忍びを抜けた者には死んでもらう。それが忍びの掟であった。ただ生き抜くために闘い続けるしかなかった。

松山藩藩主・水谷軍兵衛の愛馬・一白を漁師の半兵衛が襲い、その右前脚を切り取り、持ち去ってしまう。カムイは偶然にも半兵衛の逃亡の手助けをするが、嵐の中、島へ向かう途中、海へ突き落されてしまう。
カムイは島の浜に打ち上げられ、半兵衛の家族たちの看護により、一命をとりとめた。半兵衛の妻、お鹿は14年前に今に自分と同じように忍びを抜け、追忍から命を狙われていたスガルであった。実は半兵衛はカムイがスガルと同じ匂いがすることを感じとり、嵐の海に突き落としたのであった。

半兵衛は馬の蹄で疑似餌を作り、カムイとともに漁に出た。そして、カムイにこのまま島で漁師となって、スガルの秘密も持って行ってくれと頼む。
しかし、その後、半兵衛は藩主の愛馬を殺した罪で捕えられてしまう。カムイとスガルは処刑寸前の半兵衛を刑場から間一髪で救い出す。

船で海に逃げたカムイと半兵衛一家はようやく島に辿り着く寸前に鮫に襲われるが、鮫を捕ることを生業とする集団に助けられる。集団の頭、不動もまた抜忍、食べ物と水を引き換えに鮫退治を島民に約束する。島民も不動を信頼し、カムイも徐々に不動を信じはじめるが、島に戻ったカムイが見たものは、毒殺された島民の死体であり、その中に半兵衛一家の姿もあった。実は不動は抜忍ではなく、スガルやカムイを消すべく放たれた追忍であった。穏やかな日々をつかの間でも過ごした半兵衛一家を失い、怒りに震えるカムイと追認・不動との死闘が始まった。果たして、その結末は・・・・・。



(水原弘/忍風 カムイ外伝)


ふらんすへ行きたし思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめてあたらしき背広をきて
きままなる旅に出でてみん。
みずいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。

詩人萩原朔太郎の有名な作品「旅上」です。

彼は明治19年(1886年)11月1日に、群馬県前橋市の開業医の長男として生まれました。学生時代は主として短歌に熱中し、大正のはじめ北原白秋、室生犀星を知ってから詩作に転じました。
大正5年(1916年)、犀星たちと詩誌「感情」を発刊し、次第に反自然主義の立場をとる、新しい抒情精神を主張して行きました。
大正6年(1917年)2月に出された。彼の代表作、処女詩集「月に吠える」は、その意味では転換期の結晶といえる作品でしょう。
森鴎外、三好達治、野口米次郎、岩野泡鳴など、当時の大家から賛辞が寄せられ、文壇からも注目を集めました。彼はバイロンの故知にならって「私は一夜にして有名詩人になった」と述懐していますが、その通りだと思います。
大正12年(1923年)1月、第二詩集「青猫」が出されましたが、これも口語自由詩の極致といわれ、特に、近代知識人の不安定で虚無的な生の倦怠を歌いあげたものとして、高い評価が与えられています。
晩年、彼は東京アマチュア・マジシャンズクラブに入会しました。
昭和17年(1942年)5月11日、56歳で亡くなりました。郷里前橋市敷島公園内に「望郷」の詩碑が建っています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(カムイ外伝 予告編)

そして、こんな映画も見て来ました。1日2本。こちらの方は劇場の3分の1くらいお客さんが入っていたでしょうか。


(「風が強く吹いている」予告編)

この映画の影響ではありませんが11月3日文化の日に小田原へ行きました。御幸の浜、明治6年に明治天皇が皇后と避暑に訪れたそうです。この日は満月。満月そのものは明るすぎて、写真におさめることが難しいのですが、月の出16:41、日の入り16:45、まだ明るいうちに月が三浦半島の方から出てくることを考えると、低い位置なら満月が撮影できるのではないかと思い、わざわざ東海道線に乗り、小田原の宿まで出かけて行きました。11月3日は快晴、川崎の多摩川の河川敷からも冠雪した富士山を車窓越しに見ることが出来ました。これなら富士山も写真撮影できると思っていたのですが、小田原の前の國府津までは見えていた富士山が、小田原に入ると手前の山に隠れて見えなくなってしまいました。小田原では富士山を見ることはできないことがはじめてわかりました。富士山はさらに三島の宿まで足を延ばさないと見ることができないようです。

冒頭の写真は御幸の浜で撮影した満月です。しかしながら、やはり満月は撮るのが難しい。

小田原城
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菊の品評会
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大島が見えました
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by ryott-ryott | 2009-11-06 00:22 | movie

デジブック作成練習1ヽ(^o^)丿

10月の3連休に行った松島の写真をデジブックにまとめました004.gif


by ryott-ryott | 2009-11-02 10:52 | 奥の細道