<   2010年 01月 ( 8 )   > この月の画像一覧

いい歳、りょうちゃんのサチャグラハ写真術と映画「ラブリーボーン」ヽ(^o^)丿

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今週の金曜日、いつも閉店間際までトレーニングをしている大井町湯屋仲間の晴れ男さんが私よりも早く帰って行きました。翌日午前3時半に起きて、志賀高原へ行くとのこと。いつも遊んでばかりの晴れ男さんが羨ましいです。041.gif

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そして、じゃんけんぽんに立ち寄ると、岡田さん一家がおばあちゃんも一緒に来店していました。じゃんけんぽんの厨房で岡田ママさんが洗い物をしており、トントンさんが小さく見えました。
この日はお母さんに似ていない娘さんの高校受験試験が終わってひと安心したので、ご家族で食事にいらしたそうです。「桜咲く」が聞けるといいですね。
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岡田ママさん曰く、私が撮った岡田ママさんの写真は撮影角度が悪いため、顔が大きく見えてしまうと写真は正直であるということを無視した言いがかりをつけられました。そして、斜め上から撮れば、顔が大きく見えないと主張されて、指示通り撮影したのが次の写真です。037.gif

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角度を変えても、やはり写真は正直だと思います。037.gif

腕はいいけど口が悪い、大崎のイタリアンシェフの荒川さんも来店して、賑やかに夜は更けていきました。
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(The lovely bone trailer)

マハトマ(大きな魂)・ガンジーというと、誰もが「インド独立の父」、すぐれたインドの民族指導者として、あの哲学者的風貌を思い出します。
”サチャグラハ”(真理、正しいことを守る)と呼ばれる彼の無抵抗主義運動は、非暴力、非服従、非協力の三つを柱としたもので、ガンジー独特の運動として、世界にその名を知られました。

1869年、インドの西海岸ボルバンダールに生まれた彼は、イギリス留学を終えた弁護士でした。たまたま仕事で南アフリカに行き、そこで働くインド人たちが人種差別を受け、白人に牛馬のごとく使われていることに激しい怒りを覚え、ここに定着して”サチャグラハ”運動を起こし、20年の歳月をかけて、悪法を撤廃させました。

 1914年、インドに戻った彼は、今度はイギリスからの独立を呼びかけ、再び”サチャグラハ”運動を起こしました。30年近い闘争のあと、1945年、第2次大戦終了後、待望のインド独立の日がやってきました。
 ところが、ヒンズー教徒とイスラム教徒が激しく対立し、インドとパキスタンと2つに分裂して独立しました。彼はこの宗教戦争に心を痛め、余生をこの和解に捧げましたが、1948年1月30日ニューデリーで、ヒンズー至上主義の極右青年のピストルで暗殺されてしまいました。80歳でした。
 彼の遺体を葬ったジャハナー河畔ラージ・ガートには、彼を記念する”永遠の灯”が灯され、命日には毎年、盛大な祈りの集会が開かれています。004.gif
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(ラブリー・ボーン予告編)
土曜日はいつものように大井町湯屋へ行き、奥山エアロ、中国整体、大暴れアクアをやりました。中国整体の李先生は今週月曜日また自宅近くの横浜へ行き日の出を撮影されたそうです。

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李先生は写真撮影の他にも、詩を書くのが趣味であり、李先生のブログの掲載されている詩の意味を解説していただきました。026.gif

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そして、夜は今週もまた映画「ラブリー・ボーン」を観に行きました。
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1973年12月6日、14歳の少女、スージー・サーモンは学校から家に帰る途中、トウモロコシ畑で近所に住む男、ジョージ・ハーヴィに出会います。ハーヴィはスージーに面白いものを作ったから、見に来ないかと声をかけ、トウモロコシ畑に掘った穴の地下室に誘い込まれてしまいます。最初は地下室にある様々な人形に目をひかれていましたが、ハーヴィの異様な雰囲気に気が付き、地下室から逃げ出しました。一方、スージーの帰りが遅く、心配した父親がスージーの写真を片手に持ち、街へ娘を見かけなかったかと尋ねまわっていました。地下室から逃げたスージーは、その父親の姿を見かけ、「パパ!」と呼びかけますが父親には聞こえていません。

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翌日、トウモロコシ畑からスージ―が母親からもらった毛糸の帽子が発見され、大量の血液反応が検出されました。実はスージーは地下室から逃げ出すことが出来ず、ハーヴィにレイプされ、殺害されていました。地下室から逃げ出してきたのはスージーの魂だったのです。

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彷徨うスージーの前にひとりの少女が現れ、美しい場所へ案内されます。そこは現世と天国の中間の地でした。その少女は自分が死んでしまったことを受け入れて、天国へ向かうようにスージーを促しますが、自分が死んでしまったことにより、家族がバラバラになり、母親が家族から離れてしまったことや、大好きだった初恋の人レイにもう一度会いたい想い、そして何よりも自分を殺して何食わぬ顔をして平然と暮らしていることへの怒りで、まだ自分がやり残したことがあり、必ず自分で何かが出来るはずだと信じ、天国へ行くことを受け入れません。

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現実の世界では、なかなか犯人をあげられない警察に父親はいらついていました。ある時、父親はハーヴィが庭に小屋を作っているところに遭遇します。父親はハーヴィに手伝うことを申し出て、庭にある枯れた花を手に取ると、その花が手のひらの上でみるみる赤く蘇生しました。以前にスージーが撮影していた写真で赤い花の向こうに写っていたハーヴィの姿から、ハーヴィが殺人犯であると気が付きます。父親はハーヴィに「娘に何をした!」と問い詰めますが、家の中に逃げ込まれてしまいます。その夜、父親はハーヴィに復讐するため、息子のバットを持ち出し、ハーヴィを尾行します。トウモロコシ畑へと入っていくハーヴィ、それを追いかける父親。しかし、トウモロコシ畑に潜んでいた若者をハーヴィと間違えて襲いかかり、逆にやられてしまいます。

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 一方、スージーの妹リンジーはハーヴィの家の前を通るたびに愛犬が吠えるのを見て、ハーヴィが怪しいと気がつき始めます。そして、父親がハーヴィを疑っていることを知り、リンジーもまたハーヴィが犯人であると確信して行きます。
リンジーがジョギング中にハーヴィが車で出かけていくのを見かけました。リンジーはジョギング仲間に具合が悪いと言って嘘をつき、ハーヴィの家に忍び込みます。何とかハーヴィが殺人犯である証拠として姉の遺品が出てこないかと、家の中を調べまわり、2階の寝室の床の下にノートを発見しました。そのノートにはトウモロコシ畑に作った地下室の見取り図や、サーモン家までの位置取り、そしてスージーの写真の切り抜きとスージーのものと思われる髪の毛を束ねたものが貼られていました。
リンジーが家を調べている間に、出掛けたはずのハーヴィが帰ってきてしまいます。家の中に何者かが侵入したことを知ったハーヴィは2階へ駆け上がります。リンジーはノートを持って窓から脱出しますが、地面に転落。それを追いかける殺人鬼ハーヴィ。リンジーは姉と同じように捕まってしまうのか、果たしてその結末は・・・・・。
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先週のように眠くなることはありませんでしたが、どうでしょう。死後の世界へ行ってしまったスージーが現実の世界に生きる家族や犯人を見るという設定と、現実の世界で犯人に迫っていく家族と犯人との応酬がサスペンスとして描かれているとテレビCMでは宣伝されていましたが、サスペンスというには少し甘い作りだったと思います。むしろスージーが殺されてしまう残虐な場面などは一切入れてないところを見ると、作り手はサスペンスというよりも、家族のつながり、絆を強調したい作品であったと思います。

じゃんけんぽんがお休みの日はいつも映画鑑賞するのが習慣になりつつあります。
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by ryott-ryott | 2010-01-31 11:41 | movie

いい歳、りょうちゃん、映画「Dr.パルナサスの鏡」を観るヽ(^o^)丿

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今週は体調がいまひとつ良くありませんでしたが、土曜日はいつものように大井町湯屋へ出かけて、奥山エアロ、中国整体、大暴れアクアをやりました。
 中国整体の先生は今週自宅の近くへ自転車で出かけて朝日を撮影されたそうです。写真を見せていただきましたが、絞り優先でF8~F22まで変えて、朝日を撮影し、太陽がダイヤモンドのように輝いていました。
 中国では夜は闇に包まれていて、空と大地がはっきりしない状態を「天地混沌」と言い、夜明けによって空と大地がはっきりとわかり、「天地混沌」が解消すると言うようです。
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李先生が撮影した横浜の日の出058.gif
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中国整体院の李先生のブログ(中国語なので文章がわかりません。)037.gif

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江戸幕府が開かれてからまだ40年しか経っていない1654年。浅草諏訪町の大増屋十右衛門の娘おきくは、上野の花見に行って、美しい若衆(今でいうイケメンですな)を見染め、以来恋わずらいにかかり、とうとう翌年の1月16日に死んでしまいました。
おきくの両親は娘の振袖を棺にかけて、本妙寺葬りましたが、悪い奴がいて、この振袖を古着屋に売り飛ばしてしまいます。買ったのは本郷元町駒屋吉兵衛で、娘のお花の嫁入り着せるつもりでした。ところがその振袖を手にしてから、お花は病気がちになり、不思議にもおきくの命日の1月16日に亡くなりました。
このお花の死から駒屋の家運は傾き、振袖は中橋の質屋五兵衛に質入れされてしまいます。五兵衛にも娘がおり、その振袖を娘に着せてやろうとしますが、その娘も明暦3年(1657)1月16日に亡くなってしまいます。
この3人の娘たちは、偶然にも亡くなった年齢はともに16歳、亡くなった日は1月16日でした。
この奇妙な因縁を知った3軒の家族は、相談して本妙寺に集まって、法要を営み、問題の振袖を焼くことに決めました。縁起が悪いので1月16日は外して、1月18日に燃やすことにしました。
和尚が振袖に火をつけた途端に、一陣の風に舞い上がり本堂に燃え移ってしまいます。
これが江戸八百八町の大半を焼きつきした明暦の大火で、因縁の振袖に原因がありました。004.gif
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(映画「Dr.パルナサスの鏡」予告編)

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夜は映画「Dr,パルナサスの鏡」を観に行きました。主演のヒース・レジャーが薬物摂取で死亡して、映画の完成が危ぶまれていた作品ですが、ジョニー・ディップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルの3人が「鏡の中のトニー」を演じることのよって、完成にこぎつけました。
私はインターネット予約して観に行きました。インターネットでの空席状況では結構空席が少ない状態でしたが、映画館に実際に行ってみるとかなり空席が目立っていました。私が取った席の前の列はほとんど空いていなかったはずなのに、3人しかいませんでした。


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内容は次の通りです。
2007年、ロンドン。パルナサス博士が率いる旅芸人の一座が、街にやって来た。博士の出し物は、人が密かに心に隠し持つ欲望の世界を、鏡の向こうで形にして見せる「イマジナリウム」。博士の鏡をくぐりぬけると、そこにはどんな願いも叶う摩訶不思議な迷宮が待っている。

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一座は、橋で首を吊るされている青年トニー(ヒース・レジャー)を助ける。一座に加わった記憶喪失の青年トニーは、巧みな話術で客を集め、一座に収入をもたらしてくれる。博士の美しい一人娘ヴァレンティナも、トニーに心を奪われていく。

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しかし、1000歳になるという博士には、悲しい秘密があった。それは、たった一人の娘が16歳になったときに悪魔に差し出すという約束をしたこと。タイムリミットは3日後に迫った娘の誕生日。
悪魔は博士に「鏡の向こうの世界に、5人獲得したら、娘を差し出さなくてもよい。」と言ってきた。鏡の中の世界で欲望の道か節度ある道かを客に選択させて、節度ある道を選ばせた時、獲得成功となる。もともと詐欺師であったトニーは言葉巧みに女性客を鏡の世界へ誘導し、節度ある道を選ばせる。そして、最後の一人となった時、誘導に失敗してしまう。約束の期限はあとわずか、博士は、トニーは、ヴァレンティナを救うことが出来るのか。果たして、その結末は・・・・・・・・。
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テレビCMや公式サイトでなかなか面白そうな印象を持って観に行きましたが、残念ながら星はつけられません。娘を悪魔に差し出さなければならないところに行きつくまでが長すぎて、話の内容も面白くないので何度も睡魔に襲われました。また、悪魔から「5人を鏡の世界に獲得したら、娘を差し出さなくてもよい」と言ってきて、話がすり替わってしまう点など、全体のストーリーとしては面白くない作品でした。ヒース・レジャーが撮影の途中で死亡してしまったことで、作品の内容が変わってしまったのでしょうか。014.gif

じゃんけんぽんの筍焼011.gif
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ハイボール>
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白子のしゃぶしゃぶ>
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by ryott-ryott | 2010-01-24 12:06 | movie

いい歳、りょうちゃん、中丸家新年会訪問ヽ(^o^)丿

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今週の3連休は家でおとなしくしておりました。もちろん湯屋には出かけましたが。土曜日も日曜日もいい天気。11日の成人式の日はあいにくの曇り空。中国整体院の先生は月曜日がお休みなので、いつも月曜日に写真を撮りに行かれるそうです。しかしながら、11日月曜日は厚い雲が垂れこめており、雲の隙間からわずかに日の出の太陽が見えた時間は30秒だったそうです。先生は「仕事の時はいつもいい天気。」と嘆いておられました。037.gifその先生から別府の日の出の写真の構図として、手前の岩を入れて、太陽が地平線に近い方がよいとアドバイスを受けました。冒頭の写真は、そのようになっている写真を選んでみました。058.gif

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日本で最初の実測地図を作った江戸中期の地理学者で測量家の伊能忠敬は1745年1月11日に上総国山辺郡小関町(現在の九十九里町)に生まれました。
18歳の時に下総国佐原村にあった伊能家の婿養子に入りました。伊能家は代々の名主をつとめる名家で酒の醸造を営んでいましたが、負債で没落しかけていました。
忠敬は江戸に薪問屋を開き、米や雑貨の売買にまで手を広げて、その利益で酒造業も再興させます。養子としての仕事を果たすと、長男の影敬にさっさと家督を譲って。勘解由(かげゆ)と名乗り、隠居して江戸にうつりました。
そして若い時から好きであった数学、地理、天文の学問を学ぶために、幕府の天文方・高橋至時(よしとき)のい門下に入りました。このとき忠敬51歳、至時32歳です。
忠敬は西洋の暦法を学ぶ一方で自宅に新式の測量機を備えて天文測量に励み、いつしか有数の測量家として知られるようになりました。

師の至時は、忠敬の測量技術を高く評価し、幕府に推薦して、北辺防備に必要な蝦夷地の南東沿岸の測量に当らせました。忠敬55歳の時です。
その後16年間、忠敬の測量は日本全土に及びました。そして日本全土の測量が完成し、日本全図の地図の作成が行われているとき、忠敬は惜しくも完成を見ることなく文政元年(1818年)4月13日74歳でその生涯を閉じました。
至時の子・高橋景保が、門人たちと忠敬の測量をもとにして「大日本沿海輿地(よち)全図」、「輿地実測録」を完成させたのは忠敬の死後3年目のことでした。

これは日本初の科学的実測地図で現在の地図と比較しても驚くべき正確さだったと言われています。高橋至時と伊野忠敬は日本地図の父と言われています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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ピエール・オーギュスト・ルノワール(1841-1919)「船遊びをする人たちの昼食」
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今週の土曜日はいつものように奥山エアロと中国整体と大暴れアクアをやりました。そして夕方、湯屋仲間の中丸さんのお宅での鍋パーティーを兼ねた新年会にお誘いいただきました。024.gif
中丸家で用意された鍋以外にも、皆さんが持ち寄った食べ物で食卓がいっぱいになりました。

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トントンさんが持ってきたカニ011.gif
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よしこさんのお母さんが煮た海老芋011.gif
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吉田さんが持ってきたコロッケ
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ベリル・クック(1926-2008)「ロッキャー・タヴァーン」
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ラウル・デュフィ(1877-1953)「木陰の騎乗者たち」
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ジョルジュ・スーラ(1859-1891)「グランド・ジャット島の日曜日の午後」
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ピエール・オーギュスト・ルノワール(1841-1919)「陽光の中の裸婦」
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最後に記念撮影と思ったのですがいつの間にか皆さんご帰宅されていました。037.gif
エドヴァルト・ムンク「叫び」

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by ryott-ryott | 2010-01-17 14:27 | おいしい

【ダイジェスト】いい歳、りょうちゃん、別府初日の出と地獄探訪ヽ(^o^)丿

昨日に引き続き、別府の旅のダイジェスト版を掲載します。大井町湯屋仲間のエルビーさんから、ページが重すぎて見ることが出来ないとのご忠告を戴きました。歴史の話とYouTubeは省略して、写真を厳選して再掲載いたします。

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1月4日、今日東京に帰らなければなりません。4日の朝は昨日と違って、雲はほとんどなく、東側の空はくれないに染まっていました。別府は大晦日、元旦から天気が悪く、朝日を3日まで拝めることが出来ず、この4日に今年初めての日の出となりました。058.gif
 日の出を撮影するため、上人が浜へ行き、陽が昇って来るのを待ちました。東南東の方向から朝日が顔を出すと、浜を散歩している方々が今年初めての日の出に向かって手を合わせていました。
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4日の大分空港からの飛行機は満席でとることができなかったので、ソニック号で福岡・博多まで移動して福岡空港から羽田に帰ることにしていました。夕方の便なので、まだ少し時間があるため、杉乃井ホテルに出入りしている個人タクシーの阿部さんに案内してもらい、別府の写真スポットを約4時間ほどで周っていただきました。ご本人もいつもデジタルカメラを持参しており、いい風景があると仕事の合間に写真を撮って、その写真をお客さんに見せているとのことです。上人が浜も阿部さんに連れて行ってもらいました。
扇形の山。毎年4月に山焼きをするそうです。

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その麓にある天然温泉。しかし、この時期はお湯が出ていませんでした。夜はロウソクを灯して、入浴するそうです。072.gif
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明礬温泉。結構、芸能人が来ています。
昨年の夏、土曜サスペンス劇場「湯けむり殺人事件」のロケ現場で撮影があったそうです。061.gif
湯の花小屋
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貸切の温泉小屋
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十文字原展望台からの風景
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コンクリートで出来ている橋では東洋一長い陸橋

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そして、別府といえば地獄めぐり。坊主地獄、海地獄、龍巻地獄、血の池地獄と巡りました。坊主地獄は約500年前の鶴見岳の噴火で、その場所にあった延内寺が吹き飛ばされて、その跡地に出来ました。噴き出る気泡で泥状の粘土が坊主の頭のように丸くなるため、坊主地獄と名付けられました。別府には8つの地獄があり、すべて個人の持ちものだそうです。不労所得があるなんて羨ましい。037.gif
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まわりの粘土は500年間の歳月がかかって堆積したものです。
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次に海地獄に行きました。池の色は海のような碧い色をしていました。これは硫酸鉄(Ⅱ)(化学式で書くとFeSO4)が溶けているためです。たしかに実験室で見た二価の鉄イオンの色でした。
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近くに水蒸気を利用した温室があり、バナナ、蓮の花、胡蝶蘭が咲いていました。056.gif
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そのお隣に赤い池がありましたが、こちらは酸化鉄の赤い色をしていました。

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貴船城。これは昔からあったお城ではなく、お城の旅館だったそうです。別府にはお城はなく、お隣の日出町(いずちょう)の日出城か、臼杵市(うすきし)にある大友宗麟の臼杵城まえ行かないとないそうです。有名な城下(しろした)カレイは日出城の下の海から獲れることで名付けられています。004.gif

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貴船城の入り口に大きな白い蛇がホルマリン漬けになって祀られています。お参りすると金運アップとのこと。また白の中には同じ種類の生きている白い蛇が飼われており、もう厄年はとっくに過ぎてしまいましたが厄払い、金運向上、健康をお祈りして、白蛇さんにお参り、触らさせていただきました。ただし、生きている蛇の写真はご遠慮願いますとのことでした。

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貴船城から見た別府の街。
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鉄輪(かんなわ)温泉の湯けむりが見えます。「鉄輪」と書いて、「かんなわ」と読みます。

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血の池地獄へ行く前に、もうすぐ間歇泉から水蒸気が噴出するというので、「龍巻地獄」へ行きました。この間歇泉は約40分間隔で、10分ほど水蒸気が噴出します。入口の前に信号があり、赤信号が点灯していると、あと10分以内に蒸気が噴出する合図だそうです。受付で聞くとあと5分ほどで噴出がはじまるときき、中へ。
5分ほどたったころから、手前のところから湯気が立ち昇り、勢いよく水蒸気が噴出してきました。
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血の池地獄は龍巻地獄のすぐお隣にあります。この「池」は地獄の中で最も大きく、深さが最深で180 mあります。粘土が深い穴へ溜まっていき、詰まってしまうと爆発を繰り返すそうです。以前は放っておいたそうですが、爆発すると周りの樹木がすべて枯れてしまったり、何しろ危険なため、人の手で粘土が溜まらないように定期的に取り除いているそうです。
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血の池地獄の泉質は塩化物系、つまり塩酸が含まれているため、汚れた十円玉を浸すとピカピカになりました。塩酸系洗剤に十円玉を浸してピカピカになる化学実験と同じです。

戦後直後の血の池地獄の様子(昭和26年)。
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最後は鉄輪温泉街をぶらぶらと散策しました。
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上人が浜に1200年前に立ち、鶴見岳の噴火を鎮めたという一遍上人像。
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ヤング劇場。別府の芝居小屋。
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至るところから湯けむりが上がっていました。
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最後は稲尾記念館に立ち寄って、別府駅へ。
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今日一日、別府の街を案内してくれた阿部さんとお別れし、ソニック号に乗り、福岡空港へと向かいました。


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by ryott-ryott | 2010-01-08 07:11 | 旅のダイジェスト

【ダイジェスト版】いい歳、りょうちゃん、湯布院を行くヽ(^o^)丿

今日、大井町湯屋でエルビーさんから、この土曜日歳時記が「重たすぎて、見ることが出来ない」とのアドバイスを戴いたので、写真を厳選して、ダイジェスト版を掲載することにしました。確かに、私も自分の家のPCで立ち上がりに時間がかかることを感じていました。歴史とYouTubeを省略して、写真を少なくして再掲載します。このBLOGを見ていただける方にはすべての写真を見ていただきたいのが本心です。

1月2日から2泊3日で九州は別府・湯布院へ行ってきました。今回の最大の目標は別府湾に上がる朝日を撮影することです。058.gif

1月2日、東京は富士山がきれいに見える快晴の空。天気予報で九州の雲行きが怪しいことはわかっていましたが、羽田空港の電光掲示板には大分にしっかり晴れマークが付いていて、心配を吹き飛ばす幸先よい出発となりました。058.gif
驚いたことには搭乗前の出発ロビーにはほとんど人が居なくて、飛行機の中はガラガラでした。真ん中の3人掛けの座席など何列も空席でしたし、左右の窓側の座席も空席が目立ち、ほとんどが一人掛けでした。
大分空港に着いて空を見上げると、残念ながら見慣れた鈍色(にぶいろ)の曇り空が広がっていました。


湯布院トリックアート迷宮館037.gif
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魔女と美女
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すべて同じ大きさ004.gif
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見る角度から絵が変わります004.gif

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大分空港から別府へ向かい、別府の杉乃井ホテルに宿泊。このホテルには棚湯(棚田みたいな浴槽)があり、そこから別府の街が一望できました。棚湯からの風景を写真におさめることが出来ればよかったのですが、当然ながら撮影禁止。しかし、なかにはデジカメを持って入浴している人もいました。棚湯から見た空模様はだいぶ雲が少なくなった感じでした。浴場前のテレビで見た天気予報も大分県全域に晴れマーク。058.gif
ところが3日の朝の別府湾は曇っており、朝焼けも見ることができないくらいに厚い雲に覆われていました。すぐに朝日の撮影はあきらめて、この日はバスに乗って湯布院へ行きました。
湯布院は別府からバスで約40分。鶴見岳・由布岳の山道を通って行きますが、山の上では雪がちらついていました。湯布院駅前に到着した時も、止むどころか、さらに雪は強まる勢いでした。
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雪がちらつく湯布院駅前
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川に沿って金鱗湖へ

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泉酒販016.gif
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おそばやさん
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幻のどぶろく011.gif
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漬物盛り合わせ011.gif
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鴨せいろ011.gif
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それでも折角来たのだから、湯布院の散策開始。川に沿って上流の金鱗湖を目指しました。とはいっても大した距離ではありません。金鱗湖の近くに何やら雰囲気の良いお店がありました。「幻のどぶろく」とのぼりに書いてあります。何も考えずに店に入って行き、その幻のどぶろくを試飲させてもらいました。甘口と辛口二種類あり、いずれも美味しくて、即お買い上げ、宅急便で自宅へ送ってもらいました。お店の人に、「このどぶろくを呑ませてくれるお店は近くにないですか?」と尋ねると、すぐ近くの金鱗湖手前のお蕎麦屋さんでに出しているとのこと。すぐに行きました。お店はお昼時もあり、混雑していましたが、すぐに通されて、どぶろくと漬物盛り合わせと鴨せいろを頼みました。漬けものでどぶろくを一杯飲み、鴨せいろのつゆをそば湯で割って、それを肴にどぶろくをもう一杯飲みました。正月休みで家族連れが多く訪れている中、昼間からどぶろくを注文している客は私だけだったと思います。店を出ると、すでに雪はやみ、陽が差してきていました。先ほどのどぶろく屋さんに「今、飲んできましたっ」と挨拶して、金鱗湖を見て、湯布院路をぶらぶらと。070.gif

ドクターキッスフィッシュ041.gif
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きたない足でごめんなさい041.gif

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そして、もう一軒、面白い店を発見しました。店を覗くと、魚のいる水槽があり、その中に皆さん足湯をしています。ドクターキッスフィッシュ。皮膚の角質を食べてくれる魚が水層の中におり、足を入れると皮膚の表面の角質を食べに、魚が足に群がってきます。少し大きい魚はスズキの仲間、小さい魚は鯉の仲間だそうです。めずらしものづきの私は早速、ドクターキッスフィッシュを体験。水温は30 ℃、大井町湯屋のプールとほぼ同じです。足を水槽へ入れるとすぐにお魚さんたちが私の足の表面を覆って、けっこうくすぐったい感触でした。お店の人が言うには、このドクターキッスフィッシュでかなりお肌がスベスベになるのだそうです。
 ドクターキッスフィッシュの店を出るとすっかり青空が広がっていました。山頂が白く雪化粧された由布岳が青空に映えていました。
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帰りはきれいに晴れました
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来る時とは違い、天気が回復した湯布院駅前

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 帰りは久大本線「ゆふDX(デラックス)」に乗り、別府まで戻ってきました。棚湯から見た別府湾上空には星が輝いており、明日こそ朝日が見れるという期待に胸を膨らませて眠りにつきました。058.gif
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山下清原画展にも入りました
有名な「花火」(貼り絵)
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片倉館と花火(貼り絵)
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カルピス(貼り絵)
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ミゼット(貼り絵)
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またマジックで書いた絵も印象的でした
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To be continued.

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by ryott-ryott | 2010-01-08 00:12 | 旅のダイジェスト

いい歳、りょうちゃん、別府初日の出と地獄探訪ヽ(^o^)丿

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1月4日、今日東京に帰らなければなりません。4日の朝は昨日と違って、雲はほとんどなく、東側の空はくれないに染まっていました。別府は大晦日、元旦から天気が悪く、朝日を3日まで拝めることが出来ず、この4日に今年初めての日の出となりました。058.gif
 日の出を撮影するため、上人が浜へ行き、陽が昇って来るのを待ちました。東南東の方向から朝日が顔を出すと、浜を散歩している方々が今年初めての日の出に向かって手を合わせていました。
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昔から、「女は男次第」といわれますが、その典型は松井須磨子だったかもしれません。
彼女の本名は小林正子。明治19年(1886年)長野県で生まれました。17歳で姉を頼って上京、その年の暮れ、木更津の旅館の若旦那と結婚しましたが、性病をうつされて離婚。病院に通ううちに知り合った高等師範の学生と再婚しました。須磨子23歳の時です。
 夫が東京俳優学校の講師となったことから、須磨子も演劇に関心を持つようになりました。坪内逍遙、島村抱月など演劇研究所をつくり、女優を募集することを聞いて須磨子も応募しました。
 無学な須磨子でしたが、その熱心さにほだされて、別科生という補欠入所を許されました。芸に専心するため夫とも離婚しました。
 須磨子の初舞台は、明治44年(1911年)5月、帝劇の「ハムレット」、つづいて11月公演、イプセンの「人形の家」のノラ役で大評判をとりました。
 その後、数々の舞台を踏みますが、指導する抱月と須磨子の仲は急速に接近し、師弟の域を越えて、男女の関係に発展して行きました。
 やがて二人は、芸術座を結成し、大正3年(1914年)「復活」を上演。その劇中歌として歌った「カチューシャの唄」が大ヒット。須磨子は一躍大スターの座につきました。
 しかし、大正7年(1918年)、日本を襲ったスペイン風邪で、11月5日、突然抱月は亡くなりました。
 最愛の人を失った須磨子は、抱月の命日の2カ月後、大正8年(1919年)1月5日、舞台化粧のまま、牛込の芸術倶楽部で縊死(いし)を遂げました。あと追い心中です。
 須磨子は「あの人と一緒に埋めて」と遺書を残しましたが、抱月夫人の反対で、実現しませんでした。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(フランク永井/カチューシャの唄)

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4日の大分空港からの飛行機は満席でとることができなかったので、ソニック号で福岡・博多まで移動して福岡空港から羽田に帰ることにしていました。夕方の便なので、まだ少し時間があるため、杉乃井ホテルに出入りしている個人タクシーの阿部さんに案内してもらい、別府の写真スポットを約4時間ほどで周っていただきました。ご本人もいつもデジタルカメラを持参しており、いい風景があると仕事の合間に写真を撮って、その写真をお客さんに見せているとのことです。上人が浜も阿部さんに連れて行ってもらいました。
扇形の山。毎年4月に山焼きをするそうです。

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その麓にある天然温泉。しかし、この時期はお湯が出ていませんでした。夜はロウソクを灯して、入浴するそうです。072.gif
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明礬温泉。結構、芸能人が来ています。
昨年の夏、土曜サスペンス劇場「湯けむり殺人事件」のロケ現場で撮影があったそうです。061.gif
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湯の花小屋
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貸切の温泉小屋
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十文字原展望台からの風景
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立命館大学
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コンクリートで出来ている橋では東洋一長い陸橋

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そして、別府といえば地獄めぐり。坊主地獄、海地獄、龍巻地獄、血の池地獄と巡りました。坊主地獄は約500年前の鶴見岳の噴火で、その場所にあった延内寺が吹き飛ばされて、その跡地に出来ました。噴き出る気泡で泥状の粘土が坊主の頭のように丸くなるため、坊主地獄と名付けられました。別府には8つの地獄があり、すべて個人の持ちものだそうです。不労所得があるなんて羨ましい。037.gif
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まわりの粘土は500年間の歳月がかかって堆積したものです。
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池の温度は89 ℃、蒸気は120 ℃以上あります。
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次に海地獄に行きました。池の色は海のような碧い色をしていました。これは硫酸鉄(Ⅱ)(化学式で書くとFeSO4)が溶けているためです。たしかに実験室で見た二価の鉄イオンの色でした。
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近くに水蒸気を利用した温室があり、バナナ、蓮の花、胡蝶蘭が咲いていました。056.gif
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そのお隣に赤い池がありましたが、こちらは酸化鉄の赤い色をしていました。

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貴船城。これは昔からあったお城ではなく、お城の旅館だったそうです。別府にはお城はなく、お隣の日出町(いずちょう)の日出城か、臼杵市(うすきし)にある大友宗麟の臼杵城まえ行かないとないそうです。有名な城下(しろした)カレイは日出城の下の海から獲れることで名付けられています。004.gif

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貴船城の入り口に大きな白い蛇がホルマリン漬けになって祀られています。お参りすると金運アップとのこと。また白の中には同じ種類の生きている白い蛇が飼われており、もう厄年はとっくに過ぎてしまいましたが厄払い、金運向上、健康をお祈りして、白蛇さんにお参り、触らさせていただきました。ただし、生きている蛇の写真はご遠慮願いますとのことでした。

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小判。
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龍虎相博つ、龍
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今年は「虎」年
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貴船城から見た別府の街。
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鉄輪(かんなわ)温泉の湯けむりが見えます。「鉄輪」と書いて、「かんなわ」と読みます。

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血の池地獄へ行く前に、もうすぐ間歇泉から水蒸気が噴出するというので、「龍巻地獄」へ行きました。この間歇泉は約40分間隔で、10分ほど水蒸気が噴出します。入口の前に信号があり、赤信号が点灯していると、あと10分以内に蒸気が噴出する合図だそうです。受付で聞くとあと5分ほどで噴出がはじまるときき、中へ。
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5分ほどたったころから、手前のところから湯気が立ち昇り、勢いよく水蒸気が噴出してきました。
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血の池地獄は龍巻地獄のすぐお隣にあります。この「池」は地獄の中で最も大きく、深さが最深で180 mあります。粘土が深い穴へ溜まっていき、詰まってしまうと爆発を繰り返すそうです。以前は放っておいたそうですが、爆発すると周りの樹木がすべて枯れてしまったり、何しろ危険なため、人の手で粘土が溜まらないように定期的に取り除いているそうです。
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血の池地獄の泉質は塩化物系、つまり塩酸が含まれているため、汚れた十円玉を浸すとピカピカになりました。塩酸系洗剤に十円玉を浸してピカピカになる化学実験と同じです。
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戦後直後の血の池地獄の様子(昭和26年)。
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最後は鉄輪温泉街をぶらぶらと散策しました。
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上人が浜に1200年前に立ち、鶴見岳の噴火を鎮めたという一遍上人像。
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ヤング劇場。別府の芝居小屋。
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至るところから湯けむりが上がっていました。
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最後は稲尾記念館に立ち寄って、別府駅へ。
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今日一日、別府の街を案内してくれた阿部さんとお別れし、ソニック号に乗り、福岡空港へと向かいました。


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by ryott-ryott | 2010-01-06 12:05 | 一眼レフの旅

いい歳、りょうちゃん、九州へ、湯布院散策ヽ(^o^)丿

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1月2日から2泊3日で九州は別府・湯布院へ行ってきました。今回の最大の目標は別府湾に上がる朝日を撮影することです。058.gif

1月2日、東京は富士山がきれいに見える快晴の空。天気予報で九州の雲行きが怪しいことはわかっていましたが、羽田空港の電光掲示板には大分にしっかり晴れマークが付いていて、心配を吹き飛ばす幸先よい出発となりました。058.gif
驚いたことには搭乗前の出発ロビーにはほとんど人が居なくて、飛行機の中はガラガラでした。真ん中の3人掛けの座席など何列も空席でしたし、左右の窓側の座席も空席が目立ち、ほとんどが一人掛けでした。
大分空港に着いて空を見上げると、残念ながら見慣れた鈍色(にぶいろ)の曇り空が広がっていました。


湯布院トリックアート迷宮館037.gif
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魔女と美女
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首から下がありません、よその家のお嬢さん
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画面から飛び出して見えました
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すべて同じ大きさ004.gif
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見る角度から絵が変わります004.gif

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大分空港から別府へ向かい、別府の杉乃井ホテルに宿泊。このホテルには棚湯(棚田みたいな浴槽)があり、そこから別府の街が一望できました。棚湯からの風景を写真におさめることが出来ればよかったのですが、当然ながら撮影禁止。しかし、なかにはデジカメを持って入浴している人もいました。棚湯から見た空模様はだいぶ雲が少なくなった感じでした。浴場前のテレビで見た天気予報も大分県全域に晴れマーク。058.gif
ところが3日の朝の別府湾は曇っており、朝焼けも見ることができないくらいに厚い雲に覆われていました。すぐに朝日の撮影はあきらめて、この日はバスに乗って湯布院へ行きました。
湯布院は別府からバスで約40分。鶴見岳・由布岳の山道を通って行きますが、山の上では雪がちらついていました。湯布院駅前に到着した時も、止むどころか、さらに雪は強まる勢いでした。
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雪がちらつく湯布院駅前
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川に沿って金鱗湖へ

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社会主義の国と違って、自由主義国、わけても日本から他の国に亡命することはほとんどありません。それが、戦争前の昭和13年(1938年)1月3日、まだ日本の領土であった樺太(サハリン)の国境を、人気女優がその愛人と、恋の逃避行を兼ねて、ソ連に越境、亡命をはかったのですから、当時としては大変な話題を巻き起こしました。その第一報を伝えた新聞記事です。

「新派、井上正夫一座の女優岡田嘉子(38)がひょっこり厳寒の北樺太に登場。北緯50度の国境線近くで行方不明となり、関係方面で目下捜索中である。嘉子は実父が昔、樺太で事業に関係したところから、かねて雪の樺太にあこがれをもっていたが、この暮れ、出演契約中の大阪の劇場から1ヵ月の休暇をもらったので、若き愛人、新協劇団所属の演出家杉本良吉こと吉田好正君(32)と携えて樺太を訪問し、雪の異国情調を満喫すること2日、慰問袋その他を買い、国境線守備隊の警察官慰問に出かける旨を宿の者に残し、自動車で国境に向け出発した。」(「東京日日新聞」5日付)

 当時、亡命は確認されませんでしたが、戦後2人ともモスクワ放送局の日本向けアナウンサーとして手伝っていたことが明らかにされました。
 彼女はその後、モスクワ大学で演劇を学び、病死した愛人杉本良吉の遺志をついで、演出家として活躍していました。
 しかし、“望郷”の念もだしがたく、昭和48年(1973年)、35年ぶりに日本に帰ってきました。ときどきソ連に戻ったりしましたが、日本に滞在し、たまにテレビドラマに出演したりしながら日ソ親善のために尽くしました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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おそばやさん
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幻のどぶろく011.gif
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漬物盛り合わせ011.gif
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鴨せいろ011.gif
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そば湯でいっぱい011.gif

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それでも折角来たのだから、湯布院の散策開始。川に沿って上流の金鱗湖を目指しました。とはいっても大した距離ではありません。金鱗湖の近くに何やら雰囲気の良いお店がありました。「幻のどぶろく」とのぼりに書いてあります。何も考えずに店に入って行き、その幻のどぶろくを試飲させてもらいました。甘口と辛口二種類あり、いずれも美味しくて、即お買い上げ、宅急便で自宅へ送ってもらいました。お店の人に、「このどぶろくを呑ませてくれるお店は近くにないですか?」と尋ねると、すぐ近くの金鱗湖手前のお蕎麦屋さんでに出しているとのこと。すぐに行きました。お店はお昼時もあり、混雑していましたが、すぐに通されて、どぶろくと漬物盛り合わせと鴨せいろを頼みました。漬けものでどぶろくを一杯飲み、鴨せいろのつゆをそば湯で割って、それを肴にどぶろくをもう一杯飲みました。正月休みで家族連れが多く訪れている中、昼間からどぶろくを注文している客は私だけだったと思います。店を出ると、すでに雪はやみ、陽が差してきていました。先ほどのどぶろく屋さんに「今、飲んできましたっ」と挨拶して、金鱗湖を見て、湯布院路をぶらぶらと。070.gif

ドクターキッスフィッシュ041.gif
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きたない足でごめんなさい041.gif

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そして、もう一軒、面白い店を発見しました。店を覗くと、魚のいる水槽があり、その中に皆さん足湯をしています。ドクターキッスフィッシュ。皮膚の角質を食べてくれる魚が水層の中におり、足を入れると皮膚の表面の角質を食べに、魚が足に群がってきます。少し大きい魚はスズキの仲間、小さい魚は鯉の仲間だそうです。めずらしものづきの私は早速、ドクターキッスフィッシュを体験。水温は30 ℃、大井町湯屋のプールとほぼ同じです。足を水槽へ入れるとすぐにお魚さんたちが私の足の表面を覆って、けっこうくすぐったい感触でした。お店の人が言うには、このドクターキッスフィッシュでかなりお肌がスベスベになるのだそうです。
 ドクターキッスフィッシュの店を出るとすっかり青空が広がっていました。山頂が白く雪化粧された由布岳が青空に映えていました。
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帰りはきれいに晴れました
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来る時とは違い、天気が回復した湯布院駅前

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 帰りは久大本線「ゆふDX(デラックス)」に乗り、別府まで戻ってきました。棚湯から見た別府湾上空には星が輝いており、明日こそ朝日が見れるという期待に胸を膨らませて眠りにつきました。058.gif
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山下清原画展にも入りました
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有名な「花火」(貼り絵)
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片倉館と花火(貼り絵)
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カルピス(貼り絵)
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ミゼット(貼り絵)
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おにぎり(貼り絵)
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またマジックで書いた絵も印象的でした
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To be continued.

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by ryott-ryott | 2010-01-05 12:17 | 一眼レフの旅

いい歳、りょうちゃん、2010年歳神さまと月の女神との邂逅ヽ(^o^)丿

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一富士二鷹三なすび
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初日の出前、西の空に浮かぶ十六夜の月072.gif
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葛西臨海公園対岸のディズニーランドのホテルの向こう側からあがる2010年初日の出058.gif
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12月29日は湯屋の年内最終日。かねて湯屋仲間の晴れ男さんと湯屋が終わってから、もつ鍋に行く予定でしたが、どこも満席でした。私がよく前を通りかかる今年出来たばかりと思われる「もつ鍋屋」も満席。いつも通りかかるときはガラガラ状態だったのですが、この年の瀬になって大井町は大賑わいでした。ようやく「もつ鍋」とは縁がないと思われるお店に入店。いつもご多忙でご一緒できない大崎さんも駆けつけることが出来て、年の瀬の最後の忘年会を行いました。私は湯屋、じゃんけんぽん、勤め先を合わせて、実に8回目の忘年会でした。024.gif

やっと店に入ることが出来た晴れ男さん、大崎さん037.gif

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これは何の鍋でしたか041.gif
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12月31日は何とか掃除・片付けに目処を付けて、葛西臨海公園に月と夕陽を撮りに行きました。12月31日は満月の1日前、十六夜の月です。15:59月の出。16:50日の入りでした。月の出から日の入りまで約50分、まだ明るいうちに月が出るということは、素人の私にとってはそれだけ写真が撮りやすい状況でしたが、東側の空は分厚い雲が立ち込めていました。でも撮れました、十六夜の月を。そして、大晦日の夕陽も撮りました。初日の出はあんなに人が来て賑わうのに、大晦日の終い舟じゃないけれど、その年最後の太陽の日の入りを見に来る人は誰もいませんでした。風が強く、相当に寒かったこともあるかもしれませんが。日没後はやはり気温がグンと下がり、三脚をしまう手が痛かったです。

2009年大晦日の夕陽。誰も見に来る人はいませんでした。058.gif041.gif
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東の空に十六夜の月が現れました。072.gif
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(石川さゆり/火の国へ)

大正15年(1926年)12月25日、クリスマスの日の午前1時25分、かねて病気療養中の大正天皇は48歳の若さで崩御されました。
 この日の朝、「東京日日新聞」(現在の毎日新聞)は、天皇崩御を知らせるとともに、新元号が「光文」に決まったことを伝えました。
 大スクープ、大特ダネです。驚いたのは政府関係者でした。摂政であった裕仁親王が即位され、それが終わったところで新元号を発表する手はずになっていました。その秘密が漏れては政府の面子がたちません。
 あわてて緊急秘密会議を開いて、もう一つの候補であった「昭和」を選ぶことにしました。気の毒だったのは「東京日日新聞」です。せっかくの大特ダネが一瞬にして「世紀の誤報」になってしまったのです。「光文」も幻の元号で終わりました。
 当時、黒田藩編纂所に勤務していた中島利一郎が、こんな証言をしています。「新しく来るべき新天皇の時代は、“文”を主体にした文化国家でなければならない。したがって、それにふさわしい名前を考えろと言われて探したのが“光文”です。漢代の詩人皇甫蔚の『文錦賦』にある「閲披風前 光文燦然 百花互選五色相宜」からとりました。」(川辺信蔵『書かれざる特種』サンデー毎日臨時増刊号・昭和32・2・15)。
 「昭和」の典拠は『書経』の堯典にある「百姓昭明ニシテ、万邦ヲ協和ス」の一句からとったものです。「昭」は光明、「和」は平和を意味します。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(美空ひばり/真赤な太陽)

2010年1月1日。朝5:30起床。本当は目覚ましでもっと早く起きるつもりでしたが、目が覚めた時には5時半でした。初日の出を近場に観に行こうと決めていました。直前までどこに行くべきか、迷いましたが電車で行けて、三脚が使える「葛西臨海公園」に行きました。東京タワーと東京テレコムセンターは近いのですが、建屋の中であるため三脚が使えるかどうか判断できなかったため、行き慣れた「葛西臨海公園」にしました。6時5分の大井町発臨海線に乗り、新木場で乗り換えて葛西臨海公園駅に着いたのは6時26分。昨日の大晦日の夕陽と違って、大変な人出でした。橋の上は入り込む余地がなく、橋を渡ったところで撮影しようと思い、三脚を立てました。西の空を見ると、昨日見た十六夜の月がまさに沈もうとしているところでした。
 葛西臨海公園での初日の出はすこし位置取りがよくなかったと思います。ディズニーランドのホテルの向こう側からの日の出となって、ホテルの上に日の出が出てきたときには、かなり明るくなっていました。しかし太陽が顔を覗かせると、集まった人らから大きな歓声が上がっていました。初日の出とともに、その年の年神さまが現れると言います。2010年の年神さまにお参りをして、元旦の朝、帰ってきました。058.gif


年の始めの 例(ためし)とて
終(おわり)なき世の めでたさよ
松竹たてて 門(かど)ごとに
祝う今日こそ 楽しけれ


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そして、おまけです。元旦の夜は満月でした。満月は明るすぎて夜景と合わせて撮ることはほとんどできないのですが、夕方再び葛西臨海公園へ行きました。まぁ、暇なんです。041.gif
ついでに元日の夕景も撮影しました。朝見た富士山はまだ雲に隠れずに姿を見せていました。夕焼けに染まる赤い富士山もまた美しいものです。夕陽が沈み、葛西臨海公園の門も閉められると、あとは満月が出るのを待つばかり。今日の朝は、初日の出を見ようと大変な数の人出だったのに、初月の出、しかも初満月を見ようなんて人は私一人でした。月の出は昨日よりも70分ほど遅い17:10。浦安付近の建物があって、なかなか顔を見せませんでしたが、月の出から約30分ほどで黄色い満月が東北東の空に現れました。三脚を使って撮りましたが、やはり思うような写真を撮ることはできませんでした。せめて露出を落として月だけの写真を撮りました。


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2010年元日は、初日の出で年神さまを拝み、満月で月の女神に遭うことが出来ました。058.gif072.gif

明日から5回目の一眼レフの旅、別府に行ってきます。でも天気が心配です。037.gif

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by ryott-ryott | 2010-01-01 22:57 | 散歩