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いい歳、りょうちゃん、スカイツリー、桜、そしてエアロ送別会ヽ(^o^)丿

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今日3月30日のブルームーンを撮影しました。072.gif

1ヵ月の間に2回の満月がめぐって来る時、その満月をブルームーンというそうです。今月は3月1日に続いて、3月2回目の満月です。このブルームーンはとても縁起の良いもので、いろいろとお願い事が叶うようであります。詳しくはゆったりゆっくりゴロゴロとアセンションへ(らてこんさんのブログ)で。004.gif

このブルームーンは今夜、大井町湯屋から帰ってから私の部屋から望遠で撮りました。004.gif
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大井町湯屋で晴れ男さんの視線の先には小粋な若い女性(マハ)の姿が必ずあります。そして、今日30日は人気インストラクターの最後のレッスンでした。
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晴れ男さん、私は実は会社を休んでしまいました。041.gif会社に出社しても、夜の最後のレッスンには出れると思いましたが、予期せぬことも起こりうるので、1週間前に休暇の届けを出して、昨日の月曜日に許可がおりました。037.gif
休暇を取って、大井町湯屋のレッスンに参加したのは、らてこんさんの木曜日のレッスン以来でした。

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最後のレッスンには、いつもは顔を見せない方も数多くいらっしゃっており、mistyさんにも久しぶりに会いました。晴れ男さんも仕事の合間にレッスンに参加しに来ていらっしゃいました。人気インストラクターさん(名前を明かしてもいいでしょう、本橋さん)は大井町湯屋でエアロビクス、ステップの指導にあたられて、13年間の歳月を過ごしたそうです。エアロビクスのあとには、プッシュアップをいつもより多い25回行って、フィニッシュ。最後は花束贈呈で、本橋さんの13年間の湯屋でのレッスンは幕が降ろされました。しかし、本橋さんはまだ大井町湯屋に登録はされているとのこと、祝日などにレッスンに来るかもしれないとおっしゃっていました。長い間、お世話になりました。024.gif
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レッスン終了後にエルビーさんに写真を撮っていただきました。本当は、湯屋で写真撮影してはいけないそうですね。しかし、皆さん、気にせずに撮っていたように思います037.gif
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「着衣のマハ」
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スペインの生んだ画壇の巨匠として知られるゴヤの生誕は、1746年3月30日です。
 彼は画家を志望し、若くしてマドリードに出て、30歳のとき王宮付属つづれ織り工場の下絵制作に従事しました。
 彼はこの仕事がきっかけでで、マドリードの上流階級の人々に近づくようになり、彼の絵の天分も認められ、特に社交界の花形である王妃、貴婦人に引き立てられました。そのお陰もあって50歳で、カルロス4世の首席宮廷画家の地位につきました。
 彼の作品は、ベラスケスとともに、マドリードのプラド美術館の目玉になっています。
 ゴヤの作品は、宮廷画家として仕えた『カルロス4世とその家族』、ナポレオンのスペイン侵入を記録した『1808年5月2日の変』など、たくさん展示されています。しかし、話題はなんといっても彼の描いた『裸体のマハ』と『着衣のマハ』の2点です。

 マハとは伊達女という意味ですが、それだけに、このモデルがだれで、なぜ同一人物の裸体と着衣の同じポーズの絵を描いたのか、興味があるでしょう。
 この作品のモデルは、その豊かな黒髪、豊満な肉体、奔放な気性の顔だちから、当時スペイン貴族の筆頭であったアルバ公爵夫人と噂されました。
 ゴヤとアルバ公爵夫人との関係は、わずか7年の付き合いでしたが、いろいろ憶測されました。
 アルバ公爵家では、この噂を気にしたとみえて、夫人が亡くなったあと40年も過ぎた1845年、夫人の棺をあけ、その骨格や、胴と足のプロポーションの違いを示し、モデルは彼女ではないと否定したりしました。
 ですから、なおさらこの絵に興味が集まるのです。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


「裸体のマハ」

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(奥華子/契)

30日はお休みをとったので、昼間は隅田川へ行き、東京スカイツリーと桜を見て来ました。056.gif
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平日にもかかわらず、私のような不心得者がたくさんいるようで、東京スカイツリーの周辺はカメラ片手に撮影する方で賑わっていました。東京スカイツリーは昨日3月29日に、高さ338 mに到達し、東京タワーの333 mを追い抜いたという報道がされていました。
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最初に見たときは、意外に大きくないなというのが第一印象でした。
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近くで見ると迫力があります。
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寄り道、米沢豚のとんかつという振れ込みを見て、思わず店に入ってしまいました。
やわらかくて、とてもおいしかったです。今夜は夕飯を食べなければいいのです。037.gif
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隅田川周辺から見た東京スカイツリー、完成が楽しみです。060.gif
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桜も咲いていました。056.gif
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牛島神社。
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アサヒビールのビルに東京スカイツリーが写っています。058.gif
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戸越公園の桜。
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今日は、東京スカイツリー、隅田川の桜、戸越公園の桜を見て、本橋さんの最後のレッスンに出て、帰宅してブルームーンを拝んで、充実した一日でした。
晴れ男さんは今頃、お仕事なんですね。037.gif


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by ryott-ryott | 2010-03-31 01:47 | 散歩 | Comments(2)

いい歳、りょうちゃん、映画「シャーロック・ホームズ」を観るヽ(^o^)丿

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3月もあと数日で終わってしまいます。勤め先では退職される方、異動される方がいて、送別会が行われました。大井町湯屋でも長年学生アルバイトとして来ていたスタッフさんも学校を卒業して、社会人として就職することとなり、湯屋を去ることになった方がいらっしゃいました。

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そして、土曜日はいつものように奥山エアロ、中国整体、大暴れアクアをやりました。この半年間、土曜日の朝を担当されていた奥山さんは今期をもって去ることになりました。また2年間の長きにわたり、土曜日のアクアビクスを担当されていた岩澤さんは日曜日へ変更になり、土曜日のアクアからは外れることになりました。皆さん、お疲れ様でした。


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来週の4月4日(日)と5日(月)は中国整体の先生とともに御殿場へ桜を撮影に行くことになりました。御殿場から高速バスで40分行ったところに山中湖があり、そちらにも足を運ぶことになりそうです。その報告はまた来週以降、この歳時記の中で紹介します。

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不朽不滅の名探偵といわれる“シャーロック・ホームズ”を創ったイギリスの作家コナン・ドイルは、1859年5月22日、スコットランドのエジンバラで生まれました。

推理小説を愛好されている方なら、彼の『赤毛連盟』『まだらの紐』『ボヘミア王国の醜聞』など、いくつかの作品は既に読まれたことと思います。
ロンドンを舞台に繰り広げられる、ホームズの痛快無比な活躍、とくに科学的に真相を解明していく説得力、手法には、ただただ感心させられるばかりです。

彼は出身が医者であり、開業するまで船医として多く見聞したことが、小説の構想をより面白くさせているのではないでしょうか。
 エジンバラ大学医学部在学中の主任教授ジョセフ・ベルに大きな影響を受け、ホームズの人間像は、この人がモデルといわれています。
 また、この物語の語り手として登場するジョン・H・ワトソンは、彼の友人ポーツマス文芸科学協会の指導者ジェームス・ワトソン博士であることも、よく知られています。

 とにかく、コナン・ドイルが死んで50余年過ぎた今でも世界各国の人々に愛読され、名探偵”シャーロック・ホームズ”は生きています。
 ロンドンには、”シャーロック・ホームズ”という有名なパブがあります。これはロンドン市民より、観光客用につくられた楽しい店です。2階には資料室もあり、各国のファンが集まって談笑しています。

 ”シャーロック・ホームズ”は、本来小説の主人公にしか過ぎませんが、ロンドンでは、まるで実在の人物であったかのように、れっきとした彼の伝記まで出版されているのには驚かされます。イギリス人らしいユーモアかもしれません。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(映画「シャーロック・ホームズ」予告編)

(シャーロック・ホームズ特別映像)
今日は湯屋から帰ってから、映画「シャーロック・ホームズ」を観に行きました。
内容は以下の通りです。


シャーロック・ホームズは相棒のワトソン医師とともに、怪しい儀式が行われている館へと潜入するところから始まります。
儀式をとり行う黒マントの男を取り押さえ、若い女性を助け出し、男をロンドン警視庁へ引き渡します。実はこの男こそ、邪悪な黒魔術で、若い女性5人を次々と殺していた連続殺人事件の犯人、ブラックウッド卿でした。
 ホームズは見事に事件を解決したのですが、一人部屋に引きこもっていました。相棒のワトソンはメアリーとの結婚を決意し、ホームズと一緒に住んでいた部屋も引き払って、コンビも解消するつもりでいたからです。

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 捕まっていたブラッドウッド卿は死刑を宣告され、死刑当日にホームズとの面会を希望し、「自分は復活して、あと3人が殺される。己の無力さを知ることになる。」と言い残して、処刑されました。

 ある日、ホームズが目を覚ますと、自分の部屋にひとりの女性がいました。この女は世界の財宝を狙う犯罪者であり、ホームズを唯一打ち負かしたことがある女、アイリーンでした。アイリーンはホームズに失踪したある男の捜索を依頼します。怪しいと考えたホームズはアイリーンを尾行して行くと、アイリーンの雇い主はホームズの宿敵となるモリアーティー教授であることを知ります。

 そんな中、ホームズのもとに、ブラックウッド卿が生き返ったという信じがたい知らせが届きます。墓地に駆けつけたホームズとワトソンは棺の中に死体はブラックウッド卿とは別人であることを確認します。この死体の男を、アイリーンは探していたのでした。

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 再び事件の捜索に乗り出したホームズは、イギリスの首席裁判官で、テンプル第4修道会の会長のトマス卿に呼び出されます。そしてホームズはトマス卿の面相から、ブラックウッド卿とトマス卿が親子であることを指摘します。ブラックウッド卿は、トマス卿が儀式で交わった女性との間に生まれた子どもだったのです。そのトマス卿も入浴中に、ブラックウッド卿の手で殺害されてしまいました。
一方で、アメリカ大使のスタンディッシュ議員は、テンプル第4修道会で他のメンバーからブラックウッド卿が、この修道会の指導者になることを告げられます。そのことに反対したスタンディッシュは、ブラックウッド卿に銃口を向け、射殺しようとし、銃を発砲した瞬間に炎に包まれて死んでしまいました。

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 死から復活したブラックウッド卿は、儀式として公言通りに3人を殺しました。それぞれの殺人で「人間の頭」「雄牛の尾」「鷹の翼」を示しており、スフィンクスの構成要素であることにホームズは気がつきます。そして、スフィンクスの構成要素には4番目が存在しており、「ライオンの足」が示されていました。この「ライオンの足」が意味するところは国会議事堂であり、ブラックウッド卿は化学兵器で国会議員を皆殺しにして、世界転覆を図ろうとしていたのだった。
国会議事堂へ向かうホームズ、ワトソン、アイリーン。3人はブラックウッド卿の野望を阻止することが出来るのか、果たして、その結末は・・・・・・・。


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この映画で描かれているホームズとワトソンは、私たちが昔、NHKで見ていたシャーロック・ホームズのドラマに登場する人物像とはかなり違っています。ホームズにはロバート・ダウニー、ワトソンにはジュウド・ロウの配役、そして全編にアクションシーンが繰り広げられており、科学的な解明よりも、格闘により事実を掘り当てていくという特徴があり、これはこれで面白いのかなと思いました。この映画の中では姿を一切見せなかったホームズの宿敵モリアーティー教授の存在があり、続編が期待されるつくりになっていました。
 子どもの時に観たテレビドラマでの、ホームズとモリアーティーが格闘の末に瀧の中へ消えていく場面は、続編でどのように描かれるか楽しみです。


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by ryott-ryott | 2010-03-28 12:16 | movie | Comments(2)

いい歳、りょうちゃん、出雲大社そして日御碕へヽ(^o^)丿

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3月20日(土)~22日(月)の3連休、2日目はパワースポットとして有名な出雲大社へ行きました。前日の20日の最高気温が27 ℃を記録し、7月の陽気だった土曜日でありましたが、21日の日曜日は一転して冬に逆戻り、最高気温は9 ℃でした。その差は18 ℃、気温差に翻弄された2日間でした。
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21日(日)は朝から分厚い雲が立ち込めた鈍色の空に覆われていました。この空模様では昨日に引き続き、とても夕景は撮影できないのではないかと半ば諦めていました。折角、島根県まで来たのだから、天気に関係なく、出雲へ足を運びました。本拠地の米子から出雲市までは電車で約50分、さらに出雲市駅からバスで30分行ったところに出雲大社がありました。
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3連休の中日とあってか、このパワースポットはたくさんの人で賑わっていました。

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 1年のうち昼と夜の長さが等しくなる「春分の日」は「春彼岸」の中日にあたります。
 この日は、同時に最澄と並ぶ平安仏教の一人、“大師さま”と呼ばれて親しまれている弘法大師空海が亡くなった忌日でもあります。
 承和2年(835年)3月21日、61歳で遷化(せんげ)しました。

 四国路では、この日あたりから“同行二人”と書いた、つまり弘法大師と二人で一緒にお参りするという意味をこめた菅笠や、白木の金剛杖、白の手甲脚絆、白地の衣に身を固めたお遍路さんが、四国八十八か所霊場巡りに歩く姿が見かけられます。
 四国遍路の振り出しは、徳島県(阿波路)鳴門の霊山寺が一番の札所です。
 ここから高知県(土佐路)、愛媛県(伊予路)をまわって香川県(讃岐路)の大窪寺が八十八番目の札所で結願寺となっています。

 空海はこの讃岐、今の善通寺市で生まれました。遣唐使として長安に入り、主として密教を学んで帰国しました。
 弘仁7年(816年)、嵯峨天皇から高野山を賜り、弘仁14年(823年)淳和天皇のときに金剛峯寺を建て、真言宗を開きました。
 真言宗は教義の解釈で宗派が多く、関西中心の古義派には東寺真言宗、高野山真言宗、そのほか御室(みむろ)派、醍醐派、大覚寺派、泉涌寺(せんにゅうじ)派、善通寺派、山階(やましな)派と分かれています。
 新義派は主として関東に強く、豊山派、智山派、紀州根来(ねごろ)寺の新義真言宗と分かれます。

 空海は博学多才で、書道では日本三筆の一人と称せられ、また“いろは歌”の作者ともいわれています。
 全国各地、空海にまつわる霊水、霊泉(温泉)の伝説の多いのにびっくりします。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(坂本冬美/また君に恋してる)
また君に恋してる(歌:坂本冬美、作詞:松井五郎、作曲:森正明)060.gif


朝露が招く 光を浴びて はじめてのように ふれる頬
てのひらに伝う 君の寝息に 過ぎてきた時が報われる
いつか風が散らした花も 季節巡り 色をつけるよ
また君に恋している今までよりも深く
まだ君を好きになれる 心から

若かっただけで 許された罪 残った傷にも陽が滲む
幸せの意味に戸惑うときも ふたりは気持ちをつないでた
いつか雨に失くした空も 涙ふけば虹も架かるよ
また君に恋している今までよりも深く
まだ君を好きになれる 心から

また君に恋している今までよりも深く
まだ君を好きになれる 心から

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厚い雲に覆われていた空も徐々に青空が広がり、午後にはすっかり日差しが戻り、夕景の写真撮影は行けるという手ごたえを感じて来ました。071.gif
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私が宿泊しているホテルの店のご主人も写真が趣味で、よく撮影に出掛けているというお話を聞かせいただき、宍道湖の夕景も美しいが、日御碕(ひのみさき)の夕陽もまたいいものだということを教えていただき、宍道湖へは戻らずに、出雲大社からさらにバスで20分行ったところにある日御碕へ出かけました。058.gif
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途中、旧暦10月10日に神迎え神事を行う「稲佐の浜」があり、日御碕までの道のり、バスの窓から見た風景はパノラマそのものでした。072.gif
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日御碕に着き、日没まではまだ時間があったので、日御碕神社にお参りし、日御碕灯台まで足を運びました。この日の最高気温は9 ℃、前日の暑さが嘘のようであり、風も強く、海のしぶきが風に乗って吹き付けていました。
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ウミネコの生息地である経島(ふみしま)の先に沈む夕陽を撮影することが出来ました。日本海側での夕陽を撮影できたのは、一眼レフの旅に出掛けるようになって、はじめてでした。058.gif


To be continued.
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by ryott-ryott | 2010-03-26 02:08 | 一眼レフの旅 | Comments(2)

いい歳、りょうちゃん、山陰へ、松江・宍道湖に行くヽ(^o^)丿

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今日3月23日火曜日は大井町湯屋であと2回となってしまった人気インストラクターのレッスンを受けました。レッスン終了後に、人気インストラクターさんは4月からの後任の方を紹介されていました。後任の若いインストラクターを見て、マドモアゼル・エルビーさんはすでに心変わりしているようです。041.gif

3月20日(土)~22日(月)の3連休は島根県の松江・出雲・石見銀山へ行ってきました。目的は宍道湖の夕景を写真に撮るためです。058.gif

飛行機で羽田から米子空港へ。土曜日はあいにくの曇り空でしたが、飛行機で飛び立つと当たり前ですが雲の上は青い空が広がっていました。飛行機の窓から眼下に雪化粧をした富士山と日本アルプスがはっきりと見えました。デジカメで写真を撮っていると、私の隣に座っていた高校生くらいの若い女子二人からデジカメを渡されて、「撮ってください。」と頼まれたので、そのデジカメで窓の外の風景を撮ってあげたら、困り顔をして「私たち二人を撮ってください。」とのお願いでした。改めて、若い女子二人を撮ってあげました。若い女子二人は鳥取砂丘を観に行かれるとのことでした。037.gif

飛行機の窓から見た富士山
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日本アルプスかな
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秀吉には有名な二人の軍師がいました。一人は若くして病死した竹中半兵衛。もう一人は“黒田節”で知られる筑前福岡52万石の城主・黒田官兵衛孝高(如水と号しました)です。
彼は“知・仁・勇”をあわせもち、“出所進退”を心得た、数少ない戦国の名将です。
 当初、播磨国姫路城主職隆(のりたか)に使え、天正5年(1577年)、秀吉が信長の命令で播州を攻略した時の協力し、それ以来、秀吉の配下の武将、軍師として活躍しました。
 荒木村重謀反のとき、説得にいった官兵衛が捕えられ、満一年も土牢に幽閉され、戦後救出された時は足腰の立たない無惨な姿になっていました。
 さすがの信長も、彼を疑ったことを深く詫びたといいます。
 秀吉と半兵衛と彼は、三人で相談した作戦でしたが、官兵衛は最後までその信義・節操を貫いて生還したのです。
 本能寺の変の悲報はとどいたとき、落胆する秀吉を励まし、“今こそ天下をとる好機です”と進言して、急遽、高松城の和平交渉を締結し、反転して光秀討伐に向かわせたのも、官兵衛の策でした。
 それだけに秀吉は、側近に「おれが死んだら天下をとるのはだれだと思う」という質問に、家康や三成の名前が挙がっても、秀吉はまじめな顔をして、“あの官兵衛だよ”と答えたといいます。
 この話を耳にした官兵衛は、秀吉の猜疑心をおそれ、朝鮮の役が終わって帰国するやすぐに剃髪して如水を名乗り、さっさと九州の城に戻りました。
 関ヶ原の戦いでは家康に味方し、家康からも軍師として招かれましたが固辞し、悠々自適の生活を送り、慶長9年(1604年)3月20日、68歳で逝去しました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(いきものがかり/ふたり)

米子と境港を結ぶJR
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車両には猫娘が描かれていました。

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羽田を飛び立って、約70分。鳥取県米子空港に着きました。天候は晴れ、気温は22 ℃。暑いくらいです。あとでわかったことですが、島根県の最高気温は27 ℃で7月の気温と同じだったそうです。宍道湖畔を歩いているときは暑くて、暑くて、大汗をかいてしまいました。
この3日間とも宿泊先は米子の皆生(かいけ)ホテル、ここを拠点に松江・宍道湖、出雲大社、そして石見銀山へと出掛けて行きました。

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松江城
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 初日の20日は松江へ出かけて、暑い中、まず松江城へ足を運びました。翌日の日曜日にマラソンの大会があるらしく、スタート地点の大きな立て看板があり、中には練習で走りこんでいる人の姿も見受けられました。
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松江城から見た風景
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 そして、陽が傾きかけたころに、目的の宍道湖へ。島根県立美術館の近くの地蔵像があるところが夕景のスポットであることはあまりにも有名です。しかし、昼間は気温も高く、日差しもあったのですが、水平線・地平線上には厚い雲が居座っており、太陽は雲の中へと消えてしまい、オレンジ色に染まる宍道湖の夕景を撮影することはできませんでした。
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宍道湖

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天気予報では、土曜夜半から日曜にかけて、発達した低気圧で荒れ模様との予測で、翌日の日曜日も夕景撮影は絶望的な予感にさいなまれながら、皆生ホテルで夕飯をとりました。夜9時くらいだったでしょうか、稲光を伴う激しい雷雨。日本海側に旅に来る時はいつも悪天候。女性を覗き見しながらトレーニングをしている晴れ男さんにまた「雨男」と揶揄されてしまうんだろうなと、食べ物めぐりの旅に切り替えることを考えながら、夜を過ごしました。

To be continued.

地蔵像のところから嫁島を見た、20日の風景。
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本当なら、次のような写真を撮るはずでした。絵葉書をスキャンしました。

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by ryott-ryott | 2010-03-25 09:00 | 一眼レフの旅 | Comments(2)

いい歳、りょうちゃん、墨廼江酒造、酒蔵見学ヽ(^o^)丿

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「悩みのない人間はいません。語らいましょう。ひとりで悩んでいるより、
語らっているうちに何かが見つかるかもしれません。」


(パーソナリティ:市川森一、回答者:マドモアゼル・愛)
http://zoome.jp/game-tv/diary/446/


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タクシーの運転手をしている35歳男性からの相談。今まで全く女性と付き合ったことがなく、性的な体験はすべて風俗で経験してきたという相談者。そして、今、自分が通っている風俗店で働く21歳の女性に恋をしてしまったが、どうしたらいいかという、どうしようもない相談で、回答者のマドモアゼル・愛先生も困りながらも、そのアドバイスは男女の法則についての名回答だったと言ってもいいのではないかと思います。

相手の風俗嬢に電話番号やメールアドレスを教えても何の返事もないという相談者に対して、これから何十回行っても状況は変わらないと言い放つ愛先生。相手に対して本気でそう思っているならば、正直に自分の気持ちを伝えるべきであり、相談者の本当の気持ち、真剣な姿が見えた時に、相手の心を動かすことがあるかもしれないという。真剣なコミュニケーションを自分から持っていかなければ、相談者もまた他の客と同じであり、そういう姿を見せてもダメだったときにスッパリと諦めるのがスッキリする。男女の仲は風俗であれ、何であれ、出会いであり、男女は出会うものがなければ出会えない。そして、何かに真剣に取り組んでいるものがなければ、出会いはないという。

たとえば、相談者は野球が好きで巨人軍が好きだとして、巨人軍のことならば何でも知っているという状況で、一方で阪神好きの女がいて、相談者と口喧嘩を始めたならば、それは出会うものがあったと愛先生は言う。そういう出会うことがあったところから、「あいつは嫌な女だ」「あいつはふざけた男だ」といいながらも、お互いが認識されて、物語が始まっていく。ただ日々何もないまま、つまらないと言って生きているだけの人では出会いはないという。だから真剣に生きていれば、男女はいつか嫌でも出会うものである。人生に対するまじめさがあれば、まじめに共に生きていこうとする相棒が現れるというのが男女の法則である。そして最後は嘘でない優しさが女性にとって嬉しいことだとも付け加えています。女性として見ることよりも、ひとりの人間として優しい気持ちで接すれば、恋人は出来るはずであり、いままでの見方がおかしかったのではないかと説いています。
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(西野カナ/Best Friends)

 マルクスは、近世最大の思想家、革命指導者として知られています。
 没後100年を過ぎましたが、この間、マルクスの書いた『共産党宣言』や『資本論』に影響され、世界の3分の1の国々は、その理想とする共産主義国家を目指して、次々と革命による新国家を樹立していきました。ソ連を中心とした東欧諸国、中国、北朝鮮、アジア、アフリカの発展途上国に多く見られます。

 マルクス理論の実験の結果はどうだったでしょう。マルクスはその名著『資本論』のなかで、資本主義経済は、弁証法的唯物史観に基づくと、貧富の差が激しく、あらゆる矛盾がふき出して恐慌が起こり、たくさんの失業者が町に溢れ、その歴史的必然から、百年後は自然崩壊すると述べました。

 しかし、不思議なことに、資本主義経済を基調とする自由主義国家は、その後ますます経済が発展し、社会福祉も次第に向上の一途をたどっています。
 それはマルクスに刺激され、資本主義経済の欠点を補正しながら、一方では社会主義のいい点を政策のなかに組み入れているのですから、そう簡単には崩壊しそうにありません。
 同じように、中国をみえとわかりの通り、社会主義を標榜する国も、最近は積極的に資本主義の長所を取り入れています。

 マルクスは1883年3月14日、亡命先のロンドンで65歳の生涯を閉じました。
 ロンドンのハイゲート墓地には、ブロンズの巨大なマルクスの顔をのせた大きな墓が建っています。
 西欧諸国のなかでは、英国は一番共産党の勢力が弱いお国柄のせいか、マルクスに対する関心は薄く、墓地を訪れる人もごくわずかと伝えられています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(五木ひろし/契り)

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3月14日ホワイトデーは仙台・石巻市にある墨廼江酒造さんへ酒蔵見学に行きました。日曜日は快晴で、冒頭の写真は大井町の東の空に昇る朝陽です。058.gif

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朝5時前に起床し、大井町で朝陽の写真を撮ってから、7:16東京発の東北新幹線で仙台へ。この酒蔵見学は川崎の西山酒造さんの企画であり、新幹線に乗っていく見学は始めてだったそうです。じゃんけんぽんチームは、トントンさん、春さん、トントンさんの妹さん、そのお友達と私の5名と、他の参加者が更に5名と、西山さんの11名の陣容でみちのく路へと向かいました。

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 目的地の石巻は仙台から仙石線に乗り換えて約60分ほどです。いい天気でしたが、風が強く、結構、寒かったです。
 墨廼江酒造は、石巻駅から徒歩10分もしないところにあります。見学の前に、石巻で一番立派なホテルで蔵元の澤口さんから説明のお話がありました。社長の澤口さんは、もともとは杜氏ではなく、学校卒業後に東京で働いていたそうですが、突然に親御さんの後を継ぐことになったとのこと。酒蔵出身の身でありながら、酒造りのことは何も知らなかったため、広島にある試験場で酒造りの基本を勉強に行き、今の酒蔵に戻ってからは杜氏さんからOJT(On Job Training)で酒造りを身につけて行ったそうです。
 墨廼江酒造では、もっともいい酒は綺麗な酒であり、見ると照りがあると言います。そして、みんなが呑んでくれる酒こそがいい酒だとおっしゃっていました。

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 石巻のホテルで澤口さんのお話を聞いてから、いよいよ墨廼江酒造さんへ。ホテルから目と鼻の先にありました。明日、仕込むという洗浄した酒米が入口に置いてあり、酒蔵の中からは日本酒独特のよい香りがしていました。

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 発酵しているタンクから、柄杓でお酒を汲んでもらって飲みましたが、仕込んで間もない若い酒と、十分に製品に使い酒と、そしてタンクの上(あらばしり)、中、下の酒はそれぞれ違った味わいで、酒は生き物であることを実感できました。

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 酒蔵見学を一通り終えた後は、再び石巻のホテルへ戻って、墨廼江酒造さんのお酒を試飲しました。蔵の華、中汲み、八反錦、吟星四十。西山さんが素人の私に乾杯の音頭をとるように振られました。急な話に戸惑いながらも、乾杯をして、墨廼江さんのお酒を存分に戴きました。だから、帰りの仙石線、新幹線の中ではほとんど寝ていたと思います。041.gif

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 酒蔵見学を終え、石巻を後にし、仙台で牛タンを戴きました。目の前で牛タンを炭で焼いて行く光景は、何ともいいものでした。どうせならば代金を足して、極厚の牛タンを頼めばよかったかなぁとも思いました。焼き過ぎてしまった牛タンは炭の中に入れて、灰にしてしまうんですね。焦げていても構わないので、出してほしかったです。
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仙台駅で記念撮影
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by ryott-ryott | 2010-03-20 00:57 | 旅のダイジェスト | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、映画「花のあと」を観るヽ(^o^)丿

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 大井町湯屋を3月いっぱいでお辞めになってしまう火曜日の人気インストラクターからレッスン終了後にご挨拶がありました。辞めることは1年前からお考えだったそうです。今後は、インストラクターというよりはトレーナーの道を行くとのこと。大井町湯屋には平成10年からレッスンを始めたそうです。私もたまに会社を休んで水曜日の午前のステップを受けに行ったことがあります。長い間、お疲れ様でした。024.gif

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そして、土曜日はいつものように奥山エアロ、中国整体、大暴れアクアをやりました。中国整体の李先生は仕事の合間を縫って、モクレンの花を撮影に行かれたそうです。4月4日(日)~5日(月)の御殿場での桜撮影の構図をいろいろと検討されているそうであり、私に宿を予約するように指示がありました。041.gif

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大井町湯屋から帰って、夜は映画「花のあと」を観に行きました。071.gif

 満開の桜が咲く城の濠。花見客で賑わう城の二の丸に、寺井甚左衛門の娘、以登(いと)もまた下女のおふさを伴って足を運んでいた。帰りかけようとする以登に後ろから声をかけるひとりの侍がいた。粗末な身なりのその侍は羽賀道場の高弟、江口孫四郎であった。男に劣らぬ剣の使い手である以登に手合わせを孫四郎の方から申し込む。

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 数日後、父の立会いの下、以登は孫四郎と真摯に竹刀を交える。孫四郎もまた以登を女と侮(あなど)ることなく手を緩めない。激しい打ち合いの後、一瞬のすきをついて、孫四郎が以登の右小手を打ち据えた。崩れる以登を抱きかかえる孫四郎。間近で孫四郎と目を合わせた瞬間に以登に特別な感情が芽生える。しかし、以登には家同士が決めた許嫁、才助という男がおり、孫四郎を見送る以登に、父は「そなたには婿となる男が決まった身、江口孫四郎とは二度と会ってはならない。」と告げられる。
 その後、孫四郎も内藤家の加世のところへ婿入りし、奏者見習いとして、藤井勘解由のもとで城勤めを果たしていた。

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 そんな中、以登は父から、孫四郎がお役目で失態を冒して、自害したことを告げられる。孫四郎の死に疑問をもった以登は、才助に孫四郎が自害した本当の理由を調べるように頼む。実は加世は婚前から藤井勘解由と密通しており、それを知らないものはいなかった。そして、孫四郎自身もまた自分の妻と勘解由との仲には気が付いており、いずれ孫四郎は勘解由とは決着をつけなくてはならなかった。羽賀道場の一番の使い手である孫四郎を相手に勝つことが出来ないと悟った勘解由は、孫四郎を平侍から奏者見習いにとり立てて、江戸でのお役目で嘘を教えて、罠にかけたのであった。

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 そのことを知った以登は、勘解由へ筆をとり、孫四郎の仇をとることを決意する。霧の中、川原で勘解由を待つ以登。手下3人を伴って、卑怯な手を使う勘解由。激闘の末、手下3人を倒したものの、腕に傷を負ってしまう以登。以登に迫る憎い勘解由。果たしてその結末は・・・・・・。

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 女優・北川景子がこの以登を演じており、武家の娘の佇まいを上手に出していると思います。自分と真摯に向き合ってくれた孫四郎に対する以登の想い、そこからドラマがはじまっていく、このことが「想いを懸ける」ということであると教えてくれる映画です。
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(映画「花のあと」/予告編)

昭和20年(1945年)3月10日は、太平洋戦争末期、米軍のB29による本格的「東京大空襲」のあった日です。
 そのときの模様を、作家の加賀乙彦が『帰らざる夏』で、こう書いています。
「さて3月10日だ。これはおそらく帝都が今までに受けた最大の空襲であろう。被害も甚大だ。気象条件が悪かったところへ、敵の戦術が巧妙だった。北の裂風中に一機ずつが超低空で飛来し、風上へ風上へと投弾していった。浅草、本所、深川、向島、城東の大半が烏有に帰した。日本橋、下谷、京橋、本郷、神田の3分の一乃半分以上は焼かれた。麹町、牛込、荒川、麻布、芝にも損害がある。
 父は保険会社にいる関係上、被災者数の概算をしているが焼失戸数26万戸、被災者数百万と推定される。まさに関東大震災の時と同じ規模の大火災だ。・・・・・・・」

たしかに、広島、長崎に投下された原爆の災禍以前では、最大の大空襲だったと思います。
 加賀乙彦は、名古屋の幼年学校在学中に終戦を迎えた人で、おそらくそのころの体験が『帰らざる夏』(谷崎潤一郎賞)の素材になったのでしょう。
 彼は本名小木貞孝。昭和28年に東大医学部を卒業した精神科医です。3年間フランスに留学、パリで辻邦生を知って影響を受け、作家に転向、その後上智大学教授もつとめています。
 短編が得意で『加賀乙彦短編小説全集』(全5巻・潮出版)が出ています。
 大空襲のこの日、現在の江東区砂町に住んでいた俳句の石田波郷が戦災に遭っています。彼の作品の中に『三月十日』と題する句があります。

   降る雪や傘にあまりて供華の枝  石田波郷

(小学館「一日一話人物歳時記」より)004.gif



(一青窈/花のあと)

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 花のあと/作詞・一青窈/作曲・式部聡志060.gif

 私ひとりを残して 風の便り流れていく
 あんまり早くに 幸せがゆかぬように
 次つぎと咲くつぼみを 映してはゆれる由良川
 いちばん遠くへ 連れてってねお願い
 
 あなたにあなたに あとからあとから涙
 なごり惜しむこの心がいざようばかり
 ゆめゆめ結んで 誰にも言えない恋を
 はぐれ離れ抱きながら嬉し涙 花のあと

 ひとめふために会えたら 何度でも生まれ変わるの
 一度の恋なら尚更に乙女枕
 言いかけてやめたことが なんとなくわかるあなたの
 いちばん近くで 散ってゆけたらいいな

 あなたにあなたに あとからあとから涙
 霞がかかるその姿がいざよう前に
 ゆめゆめ結んで 誰にも負けない愛に
 いよいよ気づけた春なら嬉し涙 花のあと

 あなたにあなたに あとからあとから涙
 なごり惜しむこの心がいざようばかり
 ゆめゆめ結んで 誰にも言えない恋を
 はぐれ離れ抱きながら嬉し涙 
 また生まれた 花のあと


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by ryott-ryott | 2010-03-14 00:28 | movie | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、焼き肉屋「ごぞうろっぷ」に行くヽ(^o^)丿

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 土曜日はいつものように大井町湯屋に行き、奥山エアロ、中国整体、大暴れアクアをやりました。湯屋の廊下に人だかりがしており、見ると4月以降の大井町湯屋のプログラムが掲載されていました。レッスンの名称がかなり変わっていました。そして、私が参加しているプログラムにも大きな変更がありました。特に火曜日夜の人気インストラクターの名前はなく、エアロコンボⅡ45という45分間のレッスンになっていました。私が大井町湯屋に入ってから12年間、火曜日のイントラさんはずっと何かのレッスンを担当されていたと記憶していますが、ついに辞めてしまうのですね。4月からのプログラムを見て、火曜日のレッスンがなくなってしまうことに動揺されている方もいらっしゃいました。長い間、ご苦労様でした。024.gif

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そして、夜は今週は映画ではなく、じゃんけんぽんのトントンさんと春さんに大森の焼き肉屋さん「ごぞうろっぷ」に連れて行ってもらいました。トントンさんの絶妙な焼き加減もありますが、レバーは抜群のおいしさでした。


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(一青窈/花のあと)

 東京・渋谷駅の広場に「忠犬ハチ公」の銅像が立っています。そのハチ公の命日は3月8日です。
 ハチ公は、明治・大正時代に活躍した、農学博士上野英三郎の飼犬で、純粋な秋田犬でした。
上野博士が帝大農学部に出勤するため、毎朝松濤の自宅から渋谷駅まで、ハチ公を連れて見送らせ、夕方は駅まで迎えに出させるほど可愛がっていました。
 ところが、上野家にきてから1年5カ月ほどたった大正14年(1925年)5月21日、ご主人の上野博士が教授会で倒れ、不帰の客になりました。
 ハチ公は知るはずもありません。翌朝から毎日、渋谷駅に出掛けて行きます。
 上野家でも見かねて浅草の親戚の家に預けましたが、逃げ出して、また渋谷駅で空しく主人を待ち続けるのです。雨の日も風の日も、丸10年の歳月でした。
 この美談が新聞に報じられましたから、ハチ公が死んで、お葬式の日は大変でした。
 青山墓地の上野博士の墓地に埋められましたが、「花輪25、生花200、手紙・電報180余通、短冊15枚、色紙3枚、書6枚、学童の綴方30点、清酒4斗樽1本、4日間に御賽銭200余円」と、当時の新聞は大きく伝えています。
 このハチ公の銅像は、最初は犬好きの彫刻家安藤照が『忠犬ハチ公』として帝展に出品したのが話題を呼び、これが縁で駅前に建設されたものです。
 昭和9年(1934年)4月21日、有志の手で建設されましたが、戦時中、供出のため取りはらわれ、戦後「忠犬ハチ公」の像を懐かしむ声が多く、昭和34年(1959年)4月21日、再び建立されました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)
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(映画「花のあと」/予告編)

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子どもの虐待に関する相談がありました。子どもを虐待している親は、過去に自分の親からも理不尽な虐待を受けている場合が多いと言います。虐待は悪いことだと自分の経験から身をもって理解しているはずなのに、自分が親になったときにそれを繰り返してしまう。子どものときに受けた虐待は、それだけ、その人をおかしくしてしまう、今回の相談はその典型例だと思います。

「貴方の人生の物語を聞かせてください。
 正直に話すことで悩みが解決する力が生まれます。
 それは絶望が希望に変わるときです。」


(パーソナリティ:加藤諦三、回答者:マドモアゼル・愛)
http://zoome.jp/game-tv/diary/315/


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専門医から9歳の長男が発達障害であるとの診断をされた母親(31歳)からの相談。
この長男に対してイラついて、顔、頭、体を押さえつけて叩くなど、行きすぎた虐待を加えていた。長男が2歳のときに離婚し、5歳になるまで一人で育てたが、その後再婚し、今の主人とは「前よりは家族になれた」と話す相談者。しかし、心身ともに満たされていれば、子どもに対する虐待は考えにくいと指摘する加藤先生。母親は「この長男とは性が合わず、全く正反対の性格である。」と虐待を正当化する言い訳をする。加藤先生から、相談者とその父母との関係を聞かれると、現在50歳過ぎで、父親が違う兄がおり、5歳のときに発熱が原因で知的障害者になってしまったと話す。自分の実の母親と再婚した実の父親が、その兄をひどく嫌っており、いじめと暴力を繰り返していたという。そして、そのとき子どもであった相談者は、父親の兄に対する暴力をとても辛く感じ、母親も泣かしていた父親が嫌いであった。
相談者が虐待は9歳の長男と性格が違うためと言っているが、その嫌いな父親からの愛情が本当は欲しかったこと、そしてそれを得られなかった心の葛藤が今だに相談者にはあり、それが虐待の原因であると加藤先生は読む。自分の母親と父親との問題を、相談者がきっちり見つめておらず、様々なことを相談者が自覚していないことが長男に対するイライラにつながっているという。虐待は自分の心が原因であるのに、長男が原因であるとして、心を晴らしているだけである。発達障害であると診断された長男に対する対応を間違えるととんでもないことになると警告する。そしてセカンドオピニオンとしてもう一人の専門医にも、自分の心が原因で虐待をして、発達障害であると診断されたことを話して、意見を求めるべきであると説く。


基本的に虐待の場合は母親の立場に立って、虐待が酷くならないように母親を追い詰めないでケアするのが一般的であるが、『変な人が支配権をもって、それに誰も抵抗できない家に病理が生ずる』という考え方を話す愛先生。
 
 相談者の家では変な人は相談者、相談者が育った家では変な人は相談者の父親、しかも誰もその変な人に挑戦する人はいなかった、そうなると、みんなは人間に対する不信感を抱いて生きていかなければならなくなるという。悪魔に心を売り渡した相談者は、本当は純粋で、優しい兄をいじめる父親がおかしいと思ったに違いない。しかし、自分の安心・保全として、その父親を認めざるを得ない時、人間を信じられないということを、心の奥底で学んだはずである。そして、その兄を助けてあげられなかった負い目もある。そして今また、自分が長男に対して父親がやってきたことを再現している。相談者の心は、それほど傷ついておかしくなっており、自分が最低であることをわかっているはずであり、このままいくと、相談者の人生はだめになると警告する。夫の前でも虐待をしてしまう相談者に対して、『何で私を止めてくれないの、とめてよ、わたしを』とお願いしなさいという。長男を叩いている苦しさが夫に伝わったときに、この家は変わる可能性はあると説く。

 この優しい長男が叩かれることで、相談者のまだ解決していない問題をあからさまに見せてあげあげており、母親を助けようとしていることを、愛先生が涙ながらに訴えています。そして、長男の虐待を見ている二番目の子の姿は昔の相談者の姿であり、その子の人生も壊している、だから止めなければならないと説いています。


今まで話してきた環境の中で生きてきた自分をすごいと思うことにより、自分に対する怒りが消える、そして長男に対する怒りも消えるはずであると、加藤先生が相談者を諭します。

『悩みは自分の心が原因なのに、外に原因があると思っている人がいます』と最後に加藤先生が締めくくっています。


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by ryott-ryott | 2010-03-07 11:15 | おいしい | Comments(0)