<   2010年 04月 ( 8 )   > この月の画像一覧

いい歳、りょうちゃん、仕事の日はいつもいい天気ヽ(^o^)丿

健康と美容
b0190242_11699.jpg

空は真っ蒼。雲ひとつありません。058.gif
b0190242_123495.jpg

今日は澄み渡るような青空が広がり、まさにどこかへ出かけたくなるような1日でした。しかし、今日はあいにく会社へ出勤でした。李先生の名言058.gif「仕事の日はいつもいい天気。」058.gifを思い出しました。041.gif

b0190242_132959.jpg


b0190242_135823.jpg

書店の歴史コーナーをまわると、意外に「新撰組」に関する本の多いのにびっくりさせられます。
「新撰組」については、子母沢寛の『新撰組始末記』という名著がありますが、それ以外でも「新撰組」に関する顚末記、覚え書、興亡史、紀行文、秘話、それに隊員の近藤勇、土方歳三、沖田総司など、人物の伝記にいたるまで、いろいろな視点から、たくさんの本が出されています。
 映画やテレビドラマの時代劇にもふさわしいでしょう。今でもよく取り上げられています。
 現代の若者にとっては、「新撰組」の活動は、西部劇の殺し屋集団、あるいは特別機動隊のように、カッコよく見えるかもしれません。
 その「新撰組」のなかでも、花形はなんといっても隊長の近藤勇でしょう。彼は天保5年(1834年)武蔵多摩郡石原村に生まれました。本名は宮川昌宜。剣を近藤周助の門に学び、見こまれて養子となり、近藤勇に名をかえました。
 文久3年(1863年)、幕府の浪士募集に応じて京都に上り、壬生村にたむろし、芹沢鴨らと「新撰組」を組織し、隊長におさまりました。
 京都守護職松平容保(かたもり)(会津藩主)の下で尊攘派を弾圧、薩長土肥の各藩の志士を厳しく取り締まり、“池田屋騒動”など、その活躍ぶりは京都市中で恐怖の的となりました。
 しかし、近藤勇も鳥羽、伏見の戦いで敗れ、京都から江戸に逃れ、再び甲斐鎮撫隊を組織して甲斐勝山で奮戦しましたが敗れ、捕らわれの身となって、板橋で処刑されました。
 明治元年(1868年)4月25日、享年35歳でした。郷里の日野市高幡不動尊境内には、松平容保の手によって建てられた顕彰碑があります。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)
004.gif


(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif
あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

b0190242_1647.jpg


b0190242_163439.jpg


b0190242_164974.jpg


b0190242_175882.jpg

勤務が終了したのは夕方5時をまわってからでした。これでは大井町湯屋の隈ちゃんエアロとヨガには間に合わないことは必定。折角のいい天気なので、会社から駅まで歩いて、まだ日が高いので、071.gif多摩川の土手を少し歩きました。071.gif最近、有酸素運動が減っているので。037.gif
羽田空港、多摩川に架かる橋(名前を忘れてしまいました)、お月さまなど写真に撮りました。
夕陽も撮れるだろうと思いましたが、ちょうど陽が沈む方向に分厚い雲があり、その中にお日様は隠れてしまいました。058.gif一時間ほど歩いて、産業道路の駅から電車に乗って帰ってきました。

b0190242_191789.jpg


b0190242_194288.jpg


b0190242_1124526.jpg

いよいよ来週は田沢湖・角館・八郎潟・男鹿半島の秋田へ。今日のような青空であることを祈ります。024.gif058.gif024.gif058.gif

b0190242_1115538.jpg


b0190242_1121530.jpg


b0190242_1152364.jpg


にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ
にほんブログ村 写真ブログ 朝焼け・夕焼け写真へ
にほんブログ村

by ryott-ryott | 2010-04-26 01:17 | 散歩 | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、皐月の秋田へ出発準備ヽ(^o^)丿

旅行・地域
b0190242_23415721.jpg


b0190242_2342579.jpg


来週の29日(木)から秋田県へ一眼レフの旅に出掛けます。今日はまたもや大井町湯屋の1時限目はスキップしてしまいました。ポリスマンさんたちはすでにもう参加しないことを決めたとのこと。私はすすんで参加しようとも思いませんが、参加をやめてしまうと、運動量が減ってしまうので、とりあえずは参加することにしました。しかし、今日は旅支度をしなければならないのでお休みにしました。037.gif
058.gif
b0190242_23433443.jpg

058.gif
b0190242_23435043.jpg

058.gif
b0190242_2344116.jpg


今日は朝、病院へ行って、旅の間に服用する薬をもらって、午後は中国整体と大暴れアクアをやりました。整体院では先生から、先日晴れた日に行ってきたという御殿場、河口湖の写真を見せていただきました。先生曰く、御殿場で見た富士山は丸くて大きくて、全部見るには「目が足りない」とおっしゃっていました。4月20日も河口湖に行き、桜が満開だったそうです。今度、USBに入れて写真を下さるとのこと、この歳時記ブログに載せてほしいとおっしゃっていました。その時まで、乞うご期待。
056.gif

b0190242_23453275.jpg



(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに


b0190242_23461955.jpg


b0190242_2346374.jpg


沖の暗いのに白帆が見える
あれは紀の国みかん船・・・・・・

この歌で知られる紀伊国屋文左衛門が、荒天続きの海をおそれず、紀州から江戸まで、正月用のみかん船を漕ぎ出し、莫大な利益を挙げた男であることはご存知の通りです。
 彼は、そのみかん船で得た利益を資本にして、江戸で材木屋を開業しました。“火事と喧嘩は江戸の華”といわれた時代です。火災のあとの材木の需要は推して知るべしです。たちまちのうちに巨万の富を築き、“紀文”の名は江戸市中に広まりました。
 商売人としての天性の資質を持っていたのでしょう。読みといい、度胸といい、すぐれた商才の持ち主でした。上役にとりいる術も心得ていました。
 将軍綱吉のお気に入りの老中柳沢吉保にも可愛がられ、いつの間にか幕府の御用商人になりました。
 元禄10年(1697年)、上野寛永寺の造営工事の権利を手にし、当時これで50万両は儲けたろうと噂されました。
 新井白石などは『折たく柴の記』のなかで、悪徳御用商人として、彼を避難しています。
「紀文大尽」といわれ、不夜城を誇る吉原を買い切ったり、あるいは節分の豆まきには、豆のかわりに小判をまいて、」みんなに拾わせたりという伝説のたぐいは、たくさんあります。
 だが、このような政商をたどる宿命はいつの世にも同じです。老中柳沢吉保の失脚とともに、彼の事業は裏目、裏目に回転し、一代で築いた財産は、一代で築いた財産は、一代で失う結果になってしまいました。
 零落の一途をたどった彼は、享保19年(1734年)4月24日、深川八幡の小さな家で、ひっそりと66歳の生涯を閉じたといいます。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


b0190242_23471513.jpg

「カメラマン」5月号(モーターマガジン社)に5月中旬にPENTAXから4000万画素の一眼レフ645Dが発売され、CanonのEOS-1Ds MarkⅢとの画像比較が載っていました。PENTAXの645Dの方が、あのCanonのEOS-1Ds MarkⅢよりも、はるかに解像度が上であることがわかります。4000万画素(PENTAX 645D)と2110万画素(Canon EOS-1Ds MarkⅢ)はかなり違うということが強調されていました。645Dの本体価格は85万円。EOS-1Ds MarkⅢが79万5000円、ライカのほぼ同解像度のカメラが300万円(レンズが含まれます)に比較しても、安い価格になっています。もちろん、すぐに買えるような値段ではありませんが。李先生曰く、PENTAXが4000万画素仕様のカメラを発売することで、CanonもNikonも4000万画素レベルの商品を用意してくるはずであり、そうなると現在売られているプロ機はかなり値崩れするのではないかと見ていらっしゃいました。004.gif
b0190242_23473937.jpg

大暴れアクアのあとは3回目の歯の治療に歯医者さんへ行きました。2週間ほど前に突然歯が痛くなり、歯医者さんで見てもらったところ、虫歯でかなり炎症しているとのこと。すぐに麻酔をして、歯の神経を抜く治療をしてもらっています。麻酔をすると、歯のまわりの感覚がなくなり、家に帰ってからも口がうまく動かず、お茶を飲むと、お茶が口からこぼれてしまいます。
3回目の治療で何とか秋田県への旅へ行くことが出来そうです。041.gif
b0190242_23482712.jpg


b0190242_2348411.jpg

明日は日曜日なのに会社へ出勤。夕方、湯屋に行けるか難しそうです。最近、休みの日の出勤が増えています。
031.gif044.gif
b0190242_2349349.jpg

にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ
にほんブログ村 写真ブログ 朝焼け・夕焼け写真へ
にほんブログ村

by ryott-ryott | 2010-04-25 00:01 | 大井町湯屋 | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、吉祥寺へ行くヽ(^o^)丿

グルメ
b0190242_0192693.jpg

今日の大井町湯屋のレッスンは、高島梓インストラクターのエアロでした。ご本人はレッスン前に何度もコリオを確認していました。先週は会社の業務で参加できませんでしたが、3週目の今日の参加者は20名程度。初回に比べるとだいぶ人数が減っていましたが、なかなか考えを凝らしていることを感じました。今後の成長が楽しみです。
そして、レッスン前に参加者へインフォメーションがありました。明日4月21日(水)「銀座プランタン」でセールがあり、10 %ほど商品の値引きがあるそうです。あの有名な田中小夜子さんも販売員としてお店に出ているとのこと。田中小夜子さんほど有名なインストラクターでさえ、販売員をしなければならないということを聞いて少し驚きました。それほど日本の経済状態は疲弊しているのでしょうか。

b0190242_0211254.jpg


b0190242_0214671.jpg

いつもの土曜日ですが、今週は会社の業務があり、午前中の大井町湯屋のレッスンには参加できませんでした。会社の業務は、半年に1回、上層部の方の話を聞くというものであり、その後、懇親会がありました。会社に限った事ではありませんが、懇親会の最後に「三本締め」がありました。「タタタン タタタン タタタンタン」を3回手打ちするというものです。実はその前日に、私が所属している会社の部門の懇親会があり、その最後に「一本締め」がありました。その「一本締め」は「タンッ」と手を1回だけクラップするというものでした。三本締めが「タタタン タタタン タタタンタン」を3回手打ちするのだから、一本締めは「タタタン タタタン タタタンタン」を1回手打ちするのが正しいのではないかと思うのですが、何故か、「タンッ」と1回だけクラップするのが定着してしまっています。一本締めは「タンッ」と1回クラップするのではなく、「タタタン タタタン タタタンタン」を1回手打ちするのが正しいのです。
 そう言えば、3月まで火曜日のレッスンを担当していた人気インストラクターの最後のレッスンで、差配師の様な男が前にしゃしゃり出てきて、「一本締め」と称して、ワンクラップする偽物の「一本締め」をしていました。最近の大井町湯屋では無教養な連中が幅を利かせています。

b0190242_0225282.jpg

太平洋戦争当初の連合艦隊司令長官山本五十六元帥は、昭和18年(1943年)4月18日、南太平洋上で敵戦闘機に撃墜され、名誉の戦死を遂げました。55歳でした。

アメリカ軍は、このころすでに日本海軍の暗号電報を解読していましたから、簡単に迎撃できました。山本五十六は気の毒な提督でした。自分の志とはいつも異なる方向に物事が決まってしまいました。

日独同盟も、日米開戦にも反対し、海軍の大艦巨砲主義から航空決戦の時代への移行を主張しても受け容れられず、真珠湾攻撃成功後にすぐに和平提案すべきであることを進言しましたが、これも聞き入れられませんでした。その意味では悲運の提督でしたが、戦後の世界海軍史の中では日本を代表する名提督として、彼の識見、戦略に高い評価が与えられています。

「ヤッテミセ イッテキカセ サセテミテ ホメテヤラネバ 人ハ動カジ」
山本五十六流の人間操縦術は見事だったそうです。

偉くなってからも宴会は賑やかで、酔うと佐世保の町をチャップリンの真似をして歩いたり、芸者をおぶって駈け出したり、茶目っけたっぷりでした。
賭けごとは頭の体操だと言って何でもやりました。「海軍をやめたら、モナコへ行ってバクチ打ちになるんだ」と常々、よく冗談を言っていたそうです。
連合艦隊司令長官室で、平気で好きな芸者に手紙を書いていたのも語り草です。
部下思いも人一倍で、着艦に失敗してオーバーランする飛行機を見て、艦長自ら走り出して止めようと尾翼にしがみついたエピソードなど、枚挙にいとまがありません。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

b0190242_0241071.jpg


b0190242_0242446.jpg

日曜日は焼酎の試飲会で吉祥寺へ出かけました。昨年までは渋谷の駒場エミナースの会場で行われていましたが、駒場エミナースが会場として使用できなくなってしまったため、今年は吉祥寺の東急インで行われました。
b0190242_0252131.jpg

 会場に向かうため、京浜東北線に乗ると何処からともなく、「りょうちゃん。」との呼び声。同じ車両に春さん、トントンさん、よしえちゃんが乗っていました。そのまま、4名で吉祥寺へと向かいました。
b0190242_0261312.jpg

 吉祥寺に着いて、昼食に「麻辣商人(マーラーショウニン)」で坦々麺を食べました。辛いのが足りない場合は、カウンターに置いてあるラー油や山椒をかけて食べます。この山椒はとても香りがよいのですが、舌が痺れるような辛さでした。
 試飲会会場の東急インのエレベーターの中にいた人が、山椒で舌が痺れたという話をしており、この人たちも麻辣商人で山椒をかけて坦々麺を食べたんだなということがわかりました。

b0190242_0264698.jpg

麻辣商人の店頭
b0190242_027630.jpg

坦々麺011.gif
b0190242_0273982.jpg

かき混ぜると辛いタレが絡みます。山椒かけ過ぎは注意、舌が痺れます。
037.gif
b0190242_028718.jpg

 試飲会会場は大勢の人で賑わっていました。すべてで32の酒蔵さんが出品していました。端から順番に行こうと思ったのですが、人気の酒蔵はたいへんな人だかり。空いている場所を探して、周って行きました。「不二才」の佐多宗二商店、銀座で飲むと1杯5000円は下らない「佐藤」の佐藤酒造、本来は日本酒が有名な八海山、いつも飲む順番を指導してくれる「春雨」の宮里酒造所、「百年の孤独」「中々」の黒木本店、私が好きな「宝山蒸撰綾紫」の西酒造、「もぐら」「黒さそり」のさつま無双、「道中」の常徳屋、「やきいも黒瀬」の鹿児島酒造などなど。枚挙にいとまがありませんでした。070.gif
b0190242_0292429.jpg

西山さん親子と記念撮影。056.gif
b0190242_0295329.jpg

酔っ払いの方々と。037.gif
b0190242_0302110.jpg

最後は記念撮影ですが、アルコールがまわって、ピンボケになりました。
041.gif
b0190242_0305398.jpg

八海山の焼酎は、酒粕300 kgを蒸留して、50 Lの「宜有千萬(よろしく千萬あるべし)」をつくっているそうです。また国分酒造の「蔓無源氏」はさつまいもの昔の品種の名前で、わざわざ、その芋を復活させて焼酎をつくっているという話を聞きました。試飲をしながら、酒蔵の人から聞く話がまた勉強になり、いいものです。004.gif

しかし、あっという間に終了時間の16:00になってしまいました。外はまだ日も高く、吉祥寺で有名なハーモニカ横町へ行きました、そして井の頭公園の近くにある有名な焼き鳥屋「いせや」にも行きました。
いせやで焼き鳥をひとしきり食べて、井の頭公園で大道芸を見て、帰ってきました。024.gif

b0190242_031497.jpg

ハーモニカ横町

b0190242_0322270.jpg


b0190242_0325170.jpg


b0190242_033169.jpg

いせや068.gif
b0190242_034237.jpg


b0190242_034534.jpg


b0190242_0351280.jpg


b0190242_0354080.jpg

井の頭公園072.gif
b0190242_037432.jpg


b0190242_0373714.jpg


b0190242_0375418.jpg


b0190242_038820.jpg


にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ
にほんブログ村 写真ブログ 朝焼け・夕焼け写真へ
にほんブログ村

by ryott-ryott | 2010-04-21 00:43 | おいしい | Comments(0)

【ダイジェスト】七福神巡り、桜めぐり。いい歳、りょうちゃん、川越散策ヽ(^o^)丿

旅行・地域
b0190242_943107.jpg


先週月曜日に休暇をとって、雨の御殿場へ行ったことを前回報告しましたが、10日土曜日の朝、8:40頃、李先生から突然電話がありました。先生は今、御殿場にいるとのこと。どうやら、土曜日の朝、天気がいいのを見て、御殿場に行ってしまったようです。したがって、本日の施術はキャンセル。他のお客さんにも電話をかけてキャンセルしたのでしょうか。しかし、先生は電話口で「とてもいい写真が撮れた。景色もきれいだ。」とおっしゃっていました。 058.gif041.gif
b0190242_9441849.jpg

 056.gif日曜日に休日出勤を申しつけられていたこともあり、土曜日、湯屋に行くことをやめて、カメラ片手に桜を撮りに、川越に行ってみました。やはり晴れた日の桜が最高です。056.gif

知る人ぞ知る川越は大井町から臨海線快速で67分、終点の駅です。大宮を過ぎたあたりから、車窓から見る景色には春の花々が散りばめられており、これからの川越散策に期待が膨らむばかりでした。
070.gif
b0190242_9453433.jpg

 さて、どこからまわろうか。私の目に入ってきたのは、川越の七福神巡り。全長6 km。私の健脚なら1時間で周ることができるな、直感的に思いました。考えてみれば、昨年の今頃は突然に発症した坐骨神経痛に苦しんでいましたが、いまではすっかり平癒して、ダッシュして電車への駆け込み乗車が出来るまで回復した今ならば、6 kmの道のりなど取るに足らない距離なのです。037.gif
 七福神巡りは順番があるようであり、川越駅の東南の位置にある妙善寺からほぼ反時計回りに、妙善寺の毘沙門天、天然寺の寿老人、喜多院の大黒天、成田山の恵比寿天、連馨寺(れんけいじ)の福禄寿、見立寺(けんりゅうじ)の布袋尊、妙昌寺の弁財天を巡っていく行程でした。
070.gif


(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif
あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

b0190242_9462619.jpg

昭和21年(1946年)4月10日は「婦人の日」、わが国ではじめて婦人参政権が行使された記念の日にあたります。
 婦人の参政権は、外国の例をみてもわかるように、フィンランド、ノルウェーなどは1905年から、イギリス、ドイツなどでは1918年から、かなり早い時期に行使されています。
 日本でも、大正14年(1925年)、男子普通選挙法が成立した前後から、婦人参政権獲得運動が繰り
が繰り広げられましたが、終戦まではその実現をみることができませんでした。
 戦後、占領軍の指導で新憲法が生まれ、男女平等の原則が認められて選挙法が改正され、ようやく第1回の婦人参政権が行使できるようになったのです。
 このときの選挙で、一挙に婦人議員39人が誕生して話題を呼びました。ここにいたるまで戦前から長い間、婦人参政権の獲得、婦人の地位向上のための婦人運動を推進してきた指導者を忘れるわけにはいかないでしょう。その人の名は市川房枝です。
 彼女は明治26年(1893年)、愛知県中島郡明地村(現・尾西市)に生まれました。
 大正7年(1918年)、名古屋新聞(現・中日新聞)の記者をやめて上京。婦人運動の創始者ともいえる平塚らいてうの提唱する“新しい女”の運動に参加して、婦人の参政権獲得に奔走してきました。
 戦後、婦人有権者同盟を組織し昭和28年(1953年)の参議院選挙に初当選、以後連続3回当選。昭和49年の参院選全国区では第2位当選、昭和55年(1980年)の選挙では見事第1位当選を果たしました。
 一生を独身で通し、生涯を婦人運動に捧げ、昭和56年(1981年)2月11日、88歳の米寿のお祝いを目前に、87歳9カ月の生涯を閉じました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

b0190242_1023226.jpg

七福神巡りの1番手は毘沙門天の妙善寺。お寺はとても静かな様子でした。お守り売場でご朱印をもらおうと思いましたが人影はなし。境内の中のお宅を訪ねて、ご朱印をもらいました。妙善寺のお母さんが言うには、縁日のある正月1日~7日までと、毎月1日以外はあまり七福神巡りをする人はいないそうです。
 七福神のすべての訪印が押されている色紙と毘沙門天のご朱印を妙善寺で買って、毘沙門天さんとさつまいも地蔵尊にお参りしました。


妙善寺・毘沙門天
b0190242_9482331.jpg

さつまいも地蔵尊。川越はさつまいもが有名で、さつまいもを使ったお菓子がたくさん売られていました。お地蔵さまは手にさつまいもを持っています。

b0190242_9485456.jpg

2番手は天然寺・寿老人。ここもお守り売場に人影なし。お宅の呼び鈴を鳴らして、お寺の人を呼び出して、ご朱印をもらいました。寿老人像はガラス張りの小屋におさめられていました。光が反射して、写真を撮ることができませんでしたが、天然寺の桜は見事なものでした。056.gif

b0190242_9494813.jpg

056.gif天然寺の桜056.gif
b0190242_9502443.jpg

喜多院の大黒天に行く前に中院に立ち寄りました。


そして喜多院へ。喜多院が川越で最も大きい寺院ではないでしょうか。境内の中は出店が多数連なっており、あちこちでお花見が催されておりました。喜多院では、徳川家光公生誕の間があり、展示もありましたが、あと4人の神様を周らなければならないため、先を急ぎました。

b0190242_9524647.jpg

4人目は成田山・恵比寿天。成田山ではお釈迦様の花まつりも行われていました。お釈迦様像に甘茶をかけました。
b0190242_954977.jpg

そして5人目は連馨寺・福禄寿。5枚目のご朱印をもらって、本殿のほぼ中央わきに、真赤な銅像「おびんづる様」が安置されていました。おびんづる様は病人を助け、悪人を懲らしめて、心に悩みを持つ人に教えを説いて、多くの人を救った十六羅漢のひとり。この「おびんづる様」をさわってなでると悪いところがすぐに治るとのこと、私もなでさせていただきました。004.gif
b0190242_9554451.jpg

さきを急ぎます。6人目、見立寺(けんりゅうじ)・布袋尊。ここもお寺の中のお宅の呼び鈴を鳴らして、ご朱印を戴きました。布袋様はガラス張りの小さな小屋に安置されていましたが、その前に布袋様の石像が建っていました。
b0190242_9564085.jpg

そして、いよいよ最後は妙昌寺・弁財天。見立寺から地図を頼りに、妙昌寺まで20分以上歩いたでしょうか。何処にあるのか少し迷ってしまいましたが、ついに辿り着きました。弁天様にお参りし、7枚目のご朱印をもらいました。時計を見ると16:30。カメラで写真を撮りながらの散策でしたので、約2時間30分かかりました。
037.gif
まだ日はたかかったので、蔵造りの街並みを見ました。しかし、040.gifこの通りは自動車の通行量も多いです。040.gif
b0190242_959082.jpg

最後は新河岸川沿いの桜を見て、氷川神社に立ち寄って来ました。
今回は短い時間で駆け足で七福神巡りをしたため、見るべきところをかなり省いてしまいました。次回はゆっくり周ってみたいと思います。
070.gif

氷川神社。
b0190242_101137.jpg

024.gifたまたま結婚式が行われていました。024.gif
b0190242_1013494.jpg

056.gif川沿いの桜056.gif
b0190242_1021183.jpg


b0190242_1025679.jpg

時の鐘。夕方、6時に暮れ六つの鐘が鳴りました。

b0190242_1034282.jpg

にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ
にほんブログ村 写真ブログ 朝焼け・夕焼け写真へ
にほんブログ村

by ryott-ryott | 2010-04-13 00:08 | 散歩 | Comments(0)

七福神巡り、桜めぐり。いい歳、りょうちゃん、川越散策ヽ(^o^)丿

旅行・地域
b0190242_943107.jpg


b0190242_9432581.jpg

先週月曜日に休暇をとって、雨の御殿場へ行ったことを前回報告しましたが、10日土曜日の朝、8:40頃、李先生から突然電話がありました。先生は今、御殿場にいるとのこと。どうやら、土曜日の朝、天気がいいのを見て、御殿場に行ってしまったようです。したがって、本日の施術はキャンセル。他のお客さんにも電話をかけてキャンセルしたのでしょうか。しかし、先生は電話口で「とてもいい写真が撮れた。景色もきれいだ。」とおっしゃっていました。 058.gif041.gif
b0190242_9441849.jpg

 056.gif日曜日に休日出勤を申しつけられていたこともあり、土曜日、湯屋に行くことをやめて、カメラ片手に桜を撮りに、川越に行ってみました。やはり晴れた日の桜が最高です。056.gif
b0190242_944545.jpg

知る人ぞ知る川越は大井町から臨海線快速で67分、終点の駅です。大宮を過ぎたあたりから、車窓から見る景色には春の花々が散りばめられており、これからの川越散策に期待が膨らむばかりでした。
070.gif
b0190242_9453433.jpg

 さて、どこからまわろうか。私の目に入ってきたのは、川越の七福神巡り。全長6 km。私の健脚なら1時間で周ることができるな、直感的に思いました。考えてみれば、昨年の今頃は突然に発症した坐骨神経痛に苦しんでいましたが、いまではすっかり平癒して、ダッシュして電車への駆け込み乗車が出来るまで回復した今ならば、6 kmの道のりなど取るに足らない距離なのです。037.gif
 七福神巡りは順番があるようであり、川越駅の東南の位置にある妙善寺からほぼ反時計回りに、妙善寺の毘沙門天、天然寺の寿老人、喜多院の大黒天、成田山の恵比寿天、連馨寺(れんけいじ)の福禄寿、見立寺(けんりゅうじ)の布袋尊、妙昌寺の弁財天を巡っていく行程でした。
070.gif


(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif
あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

b0190242_9462619.jpg

昭和21年(1946年)4月10日は「婦人の日」、わが国ではじめて婦人参政権が行使された記念の日にあたります。
 婦人の参政権は、外国の例をみてもわかるように、フィンランド、ノルウェーなどは1905年から、イギリス、ドイツなどでは1918年から、かなり早い時期に行使されています。
 日本でも、大正14年(1925年)、男子普通選挙法が成立した前後から、婦人参政権獲得運動が繰り
が繰り広げられましたが、終戦まではその実現をみることができませんでした。
 戦後、占領軍の指導で新憲法が生まれ、男女平等の原則が認められて選挙法が改正され、ようやく第1回の婦人参政権が行使できるようになったのです。
 このときの選挙で、一挙に婦人議員39人が誕生して話題を呼びました。ここにいたるまで戦前から長い間、婦人参政権の獲得、婦人の地位向上のための婦人運動を推進してきた指導者を忘れるわけにはいかないでしょう。その人の名は市川房枝です。
 彼女は明治26年(1893年)、愛知県中島郡明地村(現・尾西市)に生まれました。
 大正7年(1918年)、名古屋新聞(現・中日新聞)の記者をやめて上京。婦人運動の創始者ともいえる平塚らいてうの提唱する“新しい女”の運動に参加して、婦人の参政権獲得に奔走してきました。
 戦後、婦人有権者同盟を組織し昭和28年(1953年)の参議院選挙に初当選、以後連続3回当選。昭和49年の参院選全国区では第2位当選、昭和55年(1980年)の選挙では見事第1位当選を果たしました。
 一生を独身で通し、生涯を婦人運動に捧げ、昭和56年(1981年)2月11日、88歳の米寿のお祝いを目前に、87歳9カ月の生涯を閉じました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

b0190242_9472057.jpg

七福神巡りの1番手は毘沙門天の妙善寺。お寺はとても静かな様子でした。お守り売場でご朱印をもらおうと思いましたが人影はなし。境内の中のお宅を訪ねて、ご朱印をもらいました。妙善寺のお母さんが言うには、縁日のある正月1日~7日までと、毎月1日以外はあまり七福神巡りをする人はいないそうです。
 七福神のすべての訪印が押されている色紙と毘沙門天のご朱印を妙善寺で買って、毘沙門天さんとさつまいも地蔵尊にお参りしました。

b0190242_948225.jpg

妙善寺・毘沙門天
b0190242_9482331.jpg

さつまいも地蔵尊。川越はさつまいもが有名で、さつまいもを使ったお菓子がたくさん売られていました。お地蔵さまは手にさつまいもを持っています。

b0190242_9485456.jpg

2番手は天然寺・寿老人。ここもお守り売場に人影なし。お宅の呼び鈴を鳴らして、お寺の人を呼び出して、ご朱印をもらいました。寿老人像はガラス張りの小屋におさめられていました。光が反射して、写真を撮ることができませんでしたが、天然寺の桜は見事なものでした。056.gif
b0190242_9505244.jpg


b0190242_9494813.jpg

056.gif天然寺の桜056.gif
b0190242_9502443.jpg

喜多院の大黒天に行く前に中院に立ち寄りました。

b0190242_9512944.jpg

そして喜多院へ。喜多院が川越で最も大きい寺院ではないでしょうか。境内の中は出店が多数連なっており、あちこちでお花見が催されておりました。喜多院では、徳川家光公生誕の間があり、展示もありましたが、あと4人の神様を周らなければならないため、先を急ぎました。
b0190242_9521870.jpg

喜多院・大黒天
b0190242_9524647.jpg

4人目は成田山・恵比寿天。成田山ではお釈迦様の花まつりも行われていました。お釈迦様像に甘茶をかけました。

b0190242_9531797.jpg


b0190242_9534675.jpg


b0190242_954977.jpg

そして5人目は連馨寺・福禄寿。5枚目のご朱印をもらって、本殿のほぼ中央わきに、真赤な銅像「おびんづる様」が安置されていました。おびんづる様は病人を助け、悪人を懲らしめて、心に悩みを持つ人に教えを説いて、多くの人を救った十六羅漢のひとり。この「おびんづる様」をさわってなでると悪いところがすぐに治るとのこと、私もなでさせていただきました。004.gif
b0190242_9544348.jpg


b0190242_955632.jpg


b0190242_9554451.jpg

さきを急ぎます。6人目、見立寺(けんりゅうじ)・布袋尊。ここもお寺の中のお宅の呼び鈴を鳴らして、ご朱印を戴きました。布袋様はガラス張りの小さな小屋に安置されていましたが、その前に布袋様の石像が建っていました。
b0190242_9561652.jpg


b0190242_9564085.jpg

そして、いよいよ最後は妙昌寺・弁財天。見立寺から地図を頼りに、妙昌寺まで20分以上歩いたでしょうか。何処にあるのか少し迷ってしまいましたが、ついに辿り着きました。弁天様にお参りし、7枚目のご朱印をもらいました。時計を見ると16:30。カメラで写真を撮りながらの散策でしたので、約2時間30分かかりました。
037.gif
b0190242_9571298.jpg


b0190242_9575879.jpg

まだ日はたかかったので、蔵造りの街並みを見ました。しかし、040.gifこの通りは自動車の通行量も多いです。040.gif
b0190242_959082.jpg

最後は新河岸川沿いの桜を見て、氷川神社に立ち寄って来ました。
今回は短い時間で駆け足で七福神巡りをしたため、見るべきところをかなり省いてしまいました。次回はゆっくり周ってみたいと思います。
070.gif
b0190242_100432.jpg


b0190242_1003663.jpg

氷川神社。
b0190242_101137.jpg

024.gifたまたま結婚式が行われていました。024.gif
b0190242_1013494.jpg

056.gif川沿いの桜056.gif
b0190242_1021183.jpg


b0190242_1023226.jpg


b0190242_1025679.jpg

時の鐘。夕方、6時に暮れ六つの鐘が鳴りました。

b0190242_1034282.jpg

にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ
にほんブログ村 写真ブログ 朝焼け・夕焼け写真へ
にほんブログ村

by ryott-ryott | 2010-04-12 10:06 | 散歩 | Comments(2)

いい歳、りょうちゃん、雨の御殿場をゆくヽ(^o^)丿

旅行・地域
b0190242_0201372.jpg


晴れていたら、こんな富士山が見れたのかな。
横山大観「山に因む十題のうち 霊峰四趣 秋」
b0190242_0204471.jpg

杉山寧「岑(しん)」
b0190242_021475.jpg

平山郁夫「スクワットの月(パキスタン)」

b0190242_0213464.jpg

御殿場では時之栖(ときのすみか)に宿泊しました。日曜日で翌日が月曜日なのに結構混んでいました。春休みということもあるのでしょう。私の場合は、5日(月)は休暇をとりました。というのは、李先生の整体院は月曜日がお休みのため、私が月曜日に休暇をとって、併せました。037.gif
b0190242_0222263.jpg


b0190242_0231176.jpg


b0190242_0235831.jpg


先生があんなに晴れると主張していた月曜日の朝は、やはり雨でした。しかも時間とともに雨足は強まるばかりでした。先生は午前5時に起床されて、時之栖のまわりを散策されたそうです。070.gif
b0190242_0252220.jpg


お地蔵さま、雨が降っているのがわかります。
057.gif
b0190242_0255076.jpg


b0190242_0264011.jpg


雨なので、当然、富士山は見えません。折角来たので、まずは時之栖のまわりの桜を雨の中撮影しました。ホテルの裏側には瀧があり、その上にはお地蔵さまが1300体祀られている「ありがた山」がありました。晴れているときには「ありがた山」から眺める富士山は富士見百景に選ばれているそうです。
b0190242_0275886.jpg

 日本が敗戦で無条件降伏をしたとき、連合国のなかでいちばん日本のために、あたたかな戦後処理に尽力をしてくれたのは、中国国民政府総統であった蒋介石でした。
 彼は日本語を勉強し、日本の陸軍士官学校を卒業し、日本のことをよく知っていました。
 戦後の日本占領政策については、連合国のなかでもソ連は、東西ドイツ、北朝鮮と韓国の例と同じく、日本の場合も北海道はソ連、本州は米国、四国と九州は中国が統治する分割案を強く主張しました。

 しかし、この提案に断固反対したのが蒋介石総統でした。天皇戦犯説も出ましたが、天皇制の存廃については、日本国民の選択にまかせる措置を講じてくれたのも蒋介石でした。
 それだけではありません。あれほど中国全土を侵略され、大きな犠牲をはらったのにもかかわらず、一切の賠償請求を放棄してくれました。
 日本軍の武装解除も階級章をつけたまま、軍人の礼節を重んじた、引き揚げを命じました。戦犯処刑者も一人も出しておりません。
 ソ連のシベリア抑留、北方領土の占拠など、不法な仕打ちと比較すれば、いかに戦勝国としては寛大な行為であったかがわかります。

 蒋介石は、怨に報ゆるに徳を以てする“以徳報怨”の精神をそのまま実行したのです。日本の戦後の繁栄はこのことを忘れては語れません。
 蒋介石総統は不幸にして内戦に敗れ、台湾に移りましたが、1975年4月5日、89歳で亡くなりました。一説には2年前の11月14日に死亡していたともいわれます。
 台北には、蒋介石を祀る立派な中正紀念堂ができて、観光名所の一つになっています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)
004.gif


(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)この歌、結構、気に入っています。

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに


岡田三郎助「あやめの女」
b0190242_0283672.jpg

小山正太郎「濁醪療渇黄葉村店(だくろうりょうかつこうようそんてん)」
b0190242_0291295.jpg

黒田清輝「野辺」

b0190242_0293697.jpg

さて、雨の一日、どのように過ごそうか。私の場合は、旅先で天気に恵まれなかったときはほとんど美術館に行くことにしています。しかも、御殿場で箱根が近いとあれば、美術館がないわけがありません。「ポーラ美術館に行き、そのあと秩父宮記念公園へ行こうと考えている。」ことを先生に話したところ、先生は「御殿場アウトレット」で買い物がしたいとのこと。結構、ミーハーな先生。041.gif
雨が降ってしまったため、写真撮影の楽しさも半減してしまったこともあり、2日目は別々に自由行動をとることにしました。

b0190242_031171.jpg


b0190242_0314319.jpg

杉山寧「水」
b0190242_0321247.jpg

東山魁夷「緑の湖畔」
b0190242_032343.jpg

山本丘人「春閑」

b0190242_0325841.jpg

 御殿場駅で先生と分かれて、私はバスに乗って、ポーラ美術館に行きました。ポーラ美術館は御殿場駅からバスで約30分。
ポーラ美術館では日本画展が開かれていました。杉山寧(やすし)の絵画の特集や、川合玉堂、横山大観などそうそうたる顔ぶれ。常設展の絵も目を見張るものばかりでした。024.gif

b0190242_0345449.jpg


ポーラ美術館は展示数がとても多く、あっという間に2時間経ってしまいました。その後は、秩父宮記念公園に行きました。雨ながらも、藁ぶき屋根の記念館の前に佇む枝垂れ桜はとても美しかったです。056.gif
 秩父宮記念公園の桜を見た後は、御殿場駅へ。御殿場線に乗り込み、御殿場に別れを告げました。夕方18時に品川駅に着いたときには、すでに雨が上がっていました。今度は、晴れた時に行ってみたいと思います。
058.gif

b0190242_037208.jpg


b0190242_0391691.jpg


b0190242_040162.jpg


b0190242_0421144.jpg

ラウル・デュフィ「食道楽」

b0190242_0363159.jpg


にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ
にほんブログ村 写真ブログ 朝焼け・夕焼け写真へ
にほんブログ村

by ryott-ryott | 2010-04-09 00:46 | 一眼レフの旅 | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、桜を求めて山中湖へヽ(^o^)丿

旅行・地域
b0190242_1212694.jpg


b0190242_1215373.jpg

今日、4月6日(火)は火曜日の人気インストラクターが大井町湯屋を去って、最初の火曜日でした。後任の方は隈ちゃんと同世代。人気インストラクターのレッスンを引き継ぐとあって、参加者は先週とほとんど変わらず、そのままスライドした感じです。エルビーさんもすでに若いインストラクターに心変わりしているようでした。037.gif
 スキルのほどは、もう少し時間がかかるでしょうか。まあ、誰も最初から上手に教えられる方はそうそう居ません。これから、会員とともに伸びって行ってもらいたいと思います。

b0190242_123731.jpg

4月4日(日)~5日(月)は御殿場へ桜の写真を撮影に行きました。私が毎週、坐骨神経痛の治療に通っている中国整体院の李先生は写真撮影が趣味ということで、一度、一緒にカメラ片手に撮影に出掛けましょうということになり、御殿場へ行くことになりました。061.gif
 李先生の頭の中にはすでに撮影する予定の写真の構図が出来上がっており、富士山を背景にして桜と湖あるいは河を一枚の画面の中におさめるというものでした。
056.gif
b0190242_1244345.jpg

 天気予報は、4日(日)は晴れ、5日(月)は雨の予測でした。しかし、4日(日)の空は鈍色の分厚い雲に覆われており、富士山はおろか、夕景も撮影できない生憎の天気でした。それでも、李先生の整体院で待ち合わせて、東海道線に乗りこみ、品川から国府津へ行き、御殿場線に乗り換えて、御殿場駅へ向かいました。所要時間約2時間30分。
b0190242_126787.jpg

 天気は良くなるどころか、今にも泣き出しそうな空模様。御殿場について、すぐさま、バスに乗って山中湖に向かいました。バスがゆく山道は深い霧が立ち込めていました。
もちろん、富士山は見えるわけがありません。気温は5 ℃。桜の木も蕾すら付けていない真冬の季節でした。
014.gif
b0190242_1272416.jpg


b0190242_1275296.jpg

結構、楽天家の李先生。041.gif
b0190242_1282685.jpg

国府津駅前の浜070.gif
b0190242_1292347.jpg

御殿場線
b0190242_129593.jpg

御殿場駅

b0190242_1303477.jpg

山中湖は冬でした
湖畔を散策、神社に土俵がありました。
070.gif
b0190242_1312366.jpg


b0190242_1315676.jpg


b0190242_1322078.jpg


「昭和3年4月4日、農山漁村の名が全部あてはまるような、瀬戸内海べりの一寒村へ若い若い女の先生が赴任してきた。・・・」
「海も空も地の上も、戦火から解放された終戦翌年の4月4日。モンペをはいた大石先生は、小学校六年生になった長男大吉の伝馬船に乗って、再び、岬の分校にやってきた。・・・」

壺井栄の名作「二十四の瞳」は、島の分教場の女教師と、当時一年生であった12人の子供たちとの交流を、戦争をはさんで繰り広げられた人生模様を感動的に謳いあげたものです。
「二十四の瞳」の舞台となった香川県小豆島は作者 壺井栄のふるさとです。
昭和27年2月から7月まで、無名の宗教雑誌「ニューエイジ」に連載していた「二十四の瞳」に木下恵介監督が目をつけ、昭和29年に松竹で映画化、空前の「二十四の瞳」ブームを起こしました。

この年に封切られた日本映画370本の中のベストワンに選ばれ、映画館はいつも満員。観客は感動の涙を流したと言われています。
小豆島の土圧港埠頭には、主演高峰秀子さんと12人の子供たちのブロンズ像が建てられ、観光の名所になっています。

作者 壺井栄は昭和42年(1967年)6月23日に67歳で亡くなりました。その文学碑は、坂手湾を見下ろす生家近くの丘に建っています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)
004.gif


(坂本冬美/また君に恋してる)

また君に恋してる(歌:坂本冬美、作詞:松井五郎、作曲:森正明)060.gif

朝露が招く 光を浴びて はじめてのように ふれる頬
てのひらに伝う 君の寝息に 過ぎてきた時が報われる
いつか風が散らした花も 季節巡り 色をつけるよ
また君に恋している今までよりも深く
まだ君を好きになれる 心から

若かっただけで 許された罪 残った傷にも陽が滲む
幸せの意味に戸惑うときも ふたりは気持ちをつないでた
いつか雨に失くした空も 涙ふけば虹も架かるよ
また君に恋している今までよりも深く
まだ君を好きになれる 心から

また君に恋している今までよりも深く
まだ君を好きになれる 心から


b0190242_1341480.jpg


b0190242_1345387.jpg


b0190242_1351823.jpg


桜も富士山もない山中湖、しかもかなりの寒さ。これ以上の散策は体に良くないとの判断で、バスで御殿場駅まで引き返しました。そして、予約をとっているホテルへ行き、少し早目の夕飯を食べて、庭に咲いている桜を撮影しました。056.gif

b0190242_1362071.jpg


 撮影している間についに空が泣きだしました。李先生曰く、天気予報では日曜が晴れて、月曜日が雨の予報だったのだから、今、日曜日の夜に雨が降りだしたのだから、明日の月曜日は必ず晴れると何とも前向きなお考えでした。
058.gif

b0190242_1371975.jpg


その言葉を信じて、温泉に入って、朝を待つことにしました。071.gif

b0190242_1382362.jpg


b0190242_1391581.jpg


b0190242_1401088.jpg


b0190242_1404729.jpg


To be continued.


にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ
にほんブログ村 写真ブログ 朝焼け・夕焼け写真へ
にほんブログ村

by ryott-ryott | 2010-04-07 01:45 | 一眼レフの旅 | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、世界遺産「石見銀山」探訪ヽ(^o^)丿

自然

b0190242_23533663.jpg


b0190242_23541917.jpg


b0190242_2355474.jpg


4月に入って、最初の土曜日。いつものように大井町湯屋に出掛け、いつものようにエアロと中国整体と大暴れアクアをやりましたが、今期からエアロ、アクアともにインストラクタ―が変更、二人とも男性です。
エアロの方は見るからにステッパーの出で立ちで、最初に自己紹介があり、長野県出身で善光寺の近くの呉服屋の出であり、日本舞踊をやっていたとのこと。「この業界は5人に3人は同性愛者だが、自分は違います。」とおっしゃっていました。声のトーンはNHKのBSエアロに出てくる方のような感じでしたが、インストラクターさん自身が何度も間違えており、「今度、間違えたら、土下座する。」と言っていました。本当に土下座していたら、多分時間がなくなっていたと思います。
エアロを終えて、ポリスマンさんと「来週は人、減っちゃうね。」なんて、こっそり話しながら引き揚げて来ましたが、普段、箸にも棒にも引っかからないくらいの連中が、「私なんか、やりながら寝ちゃったわよ。」とインストラクターさんに聞こえるくらいの大きな声で毒づいているのを聞いて、インストラクターさんはとても辛かったのではないでしょうか。あんな連中に侮辱されたくなければ、私からは「研鑽してください」としか言いようがないですね。大井町湯屋の4月はいきなり曲曲しい始まりではありました。


日御碕神社
b0190242_23561857.jpg


b0190242_2357785.jpg


b0190242_2358173.jpg


今日は3月3連休での山陰の旅の続きを報告します。004.gif

b0190242_23594721.jpg


b0190242_021948.jpg


前回は出雲大社から日御碕での夕景を撮影したところまで報告しました。
日御碕で夕陽をひとしきり撮影した後、カメラを鞄にしまって時計を見ると18:13でした。たしか出雲市駅へ向かうバスは18:29が最終だった筈で、急いで経島が見える坂を駆け下りて、日御碕神社の裏にあるバス停まで戻ってきました。まぁ、間に合わなければタクシーを呼べばいいのですが、何とかバスに間に合いました。空を見上げると、夕闇の中、上弦の月が浮かんでいました。058.gif072.gif
しかし、寒かった。この日の最高気温は9 ℃の予想だったので、実際の気温はさらに低かったと思います。


b0190242_032230.jpg


b0190242_035312.jpg


出雲市駅から山陰本線に揺られて、本拠地の米子に戻ってきました。夕飯は皆生ホテルに入っているお店のなかむらやさんのご主人に勧めで、近くにある寿司屋の「なるみ」さんに行きました。
なかむらやさんのご主人も、店が終わってからいつも「なるみ」さんに立ち寄っているとのこと。実は2日目の日曜日、宍道湖に戻らずに、日御碕での夕景を撮影したのは、なかむらやさんのご主人の勧めでもありました。ご主人自身もカメラが趣味で、暇を見ては撮影に行かれているそうです。そして、私も購入している毎月20日発売のモターマガジン社の月刊誌『カメラマン』を買ってきて、見せてくれました。


b0190242_061654.jpg


b0190242_071239.jpg


b0190242_073538.jpg


b0190242_075528.jpg


彼岸後の3月22日ころから、比叡山では「回峰行」がはじまります。「回峰」の名のごとく、比叡山三塔十六谷、260の札所を、白装束の修行僧たちがお経を唱えながら足早に歩いて行く姿が目にとまります。
比叡山延暦寺は、伝教大師最澄が開いた天台密教の聖地ですが、この「回峰行」は約一千年前、相応によってつくられました。

「百日回峰」と「千日回峰」の2種類あります。「千日回峰」は、千日の文字から千日間、約3年間も続けて行われる修行かと思っていましたら、そうではありません。”死”を賭けた荒行です。
 一年目、二年目、三年目は、毎年百日間、四年目と五年目は二百日、六年目は百日、最後の七年目が二百日。延べ7年、千日間の歳月をかけた修行です。

 修行中の1日の睡眠時間は約3時間、毎日40 kmの山中を8時間で歩きます。七百日目には、不動明王堂に9日間こもり、断食断水不眠不臥の”堂入り”の業をつとめます。
さらに、千日が終わったところで、同じ9日間、再び断食断水不眠不臥、俗に”生き葬式”といわれる10万枚の大護摩修行が行われます。まさに超人的荒行といっていいでしょう。

 この「千日回峰行」を満行した行者を”阿闍梨(あじゃり)”と呼びます。梵語で他人を導くことが出来る高僧の意味です。
 ”阿闍梨”は、昭和に入ってから、まだ10人しか出ていません。いかに苦しい修行かがわかります。

 3月に入ると、比叡山にもたくさんの観光客が訪れます。しかし、同じ山中で、このような超人的荒行「千日回峰行」が行われていることを知る人は少ないでしょう。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに


b0190242_092630.jpg


b0190242_094235.jpg


3連休最終日、22日(月)は皆生ホテルに別れを告げて、再び山陰本線に乗りこみ、出雲市駅でスーパーおき号に乗り換えて、大田市駅まで足を運びました。大田市駅は出雲市駅から1駅目ですが、所要時間約40分、車窓の外は荒々しい日本海が続いていました。この日の目的は石見銀山をぶらりすること。大田市駅からバスで20分行ったところに、世界遺産に登録された石見銀山がありました。
b0190242_0104495.jpg


b0190242_01139.jpg

 大森代官所から出発して、龍源寺間歩までの片道2.3 kmを歩きました。070.gif
 この大森代官所跡から龍源寺間部までの間には観光客に石見銀山の歴史を語りながら案内してくれるガイドさんや、やはり間部まで道のりを三輪車に乗せてくれて、スポット毎に説明してくれるVeloタクシーという乗り物が走っていました。


勝源寺
b0190242_011351.jpg

056.gif花が咲いていました056.gif
b0190242_012086.jpg


b0190242_0122427.jpg


b0190242_0125364.jpg

街並み
b0190242_0134068.jpg


b0190242_0135821.jpg

龍源寺間部入口
b0190242_0143062.jpg


b0190242_0145994.jpg


b0190242_015201.jpg

昔はこのように働いていました。
働かされているのはすべて罪人であり、休み時間はありませんでした。004.gif

b0190242_0162970.jpg


b0190242_0165619.gif

岩見銀山を駆け足で見て、再び大田市駅から出雲市駅へ戻りました。
出雲市駅からはタクシーで出雲空港へ向かいました。
私を乗せてくれたタクシーの運転手さんはまだ東京に行ったことがないとおっしゃっていました。私自身も、山陰路は初めてであり、次回、出雲に来る時は奥出雲に行った方がよいとアドバイスを戴きました。奥出雲では、島根牛を食べることが出来るそうです。次回は是非とも島根牛を食べに、奥出雲へ馳せ参じたいと心に決めて、出雲をあとにしました。024.gif


b0190242_0173828.jpg


b0190242_01979.jpg


b0190242_0193866.jpg


b0190242_020910.jpg


にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ
にほんブログ村 写真ブログ 朝焼け・夕焼け写真へ
にほんブログ村

by ryott-ryott | 2010-04-04 00:27 | 一眼レフの旅 | Comments(0)