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いい歳、りょうちゃん、麻布十番へ行くヽ(^o^)丿

グルメ

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黒いマクドナルド
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「あべちゃん」店頭
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土曜日の夕方は、大井町湯屋仲間の中丸さんご夫婦とトントンさん、春さんと、麻布十番にある「あべちゃん」という串焼き屋さんへ連れて行ってもらいました。024.gif

浜松町で大江戸線「大門駅」に乗り換え、2駅目麻布十番「4番出口」下車。階段を上がりきった出口の右側の通りをまっすぐ行った角にお店がありました。お店は15:00から営業。人気のお店とあって、かなり賑わっていました。

煮込み011.gif
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レバ011.gif
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つくね011.gif
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店頭ではお持ち帰り用の串を3代目が焼いており、お店に入るとすぐ右手に戦後(太平洋戦争)から継ぎ足しで使われ続けられているというタレの入った甕がありました。
私は見ることができませんでしたが、先日のテレビで、先祖代々受け継いでいるその店秘伝のタレに、本当に初代の成分が入っているかどうかを検証する番組があり、継ぎ足しで使っていると約30年で入れ替わってしまうということを報告していたそうです。トントンが無粋な番組だと言っていました。「あべちゃん」の甕を見る限り、初代の最初の成分はしっかり残っていると思います。004.gif

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肝心の串は、どれもおいしく、しかも大きいため、結構お腹がいっぱいになりました。
時計を見ると、まだ6時前。そとは明るく、早速、2次会へ。大門駅の近くにある「よござんす」へ行きました。
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15世紀のフランスは、イギリスと「百年戦争」を繰り返していました。
パリとブルジュの中間にオルレアンの町では、数千のイギリス軍に囲まれ、フランス軍は壊滅寸前の状態にありました。
 ここが落ちれば、フランスはイギリスに降伏するしかありません。

 そのとき、祖国フランスを救う、勇敢な19歳の少女が突如として現れました。
 彼女の夢枕に大天使ミカエルが立って「オルレアンに行け!そしてフランスを救え、フランスはお前を待っている!」と告げたからです。彼女は単身、シノン城に乗り込み、王子を訪ね、神のお告げと自分の使命を申し告げました。
 燃えるような愛国心に感動した王子は、200人の兵士を彼女に与えました。
 彼女は王子から贈られた甲冑に身をかため、軍旗を片手に白馬にまたがり、先頭に立って突撃して行きました。イギリス軍はついに退却です。

 だらしないことに、フランスはたった一人の少女によって救われたのです。その少女の名は、ジャンヌ・ダルク。しかしジャンヌは、その後最後の戦いで不幸にも捕えられ、イギリスの手によって宗教裁判にかけられ、異端者として火あぶりの刑に処せられました。
1431年5月30日のことです。彼女は最後までイエスの名を呼び続けて息絶えたといいます。

 それにしても、なぜフランスが、こんな無名の一少女によって救われなければいけなかったのか。いまだにそのことは謎に包まれています。
 パリの街角に彼女の銅像が建っていますが、一説では、彼女は精神異常者であったともいわれています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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今日、気が付きましたが、この歳時記ブログも開始して1年経ちました。ちょうど1年前は日本ダービーの予想を書きました。今日の日本ダービーの優勝馬はどの馬になるでしょうか。
昨年は1番ロジユニヴァースが1着、2着は12番リーチザクラウン。1番→12番。
今年の日本ダービーは国際化競走になり、JpnⅠからGⅠに変化しました。1983年、グレード制が導入される前年の日本ダービーは12番ミスターシービーが勝ち、2着は1番のメジロモンスニー。12番→1番。
その翌年、1984年4枠10番のシンボリルドルフが優勝、2着8枠19番。10番→19番。

1983年GⅠでない日本ダービー 12番→ 1番。
2009年GⅠでない日本ダービー  1番→12番。

1984年GⅠになった日本ダービー 10番→ 19番。
2010年GⅠになった日本ダービー  ?番→ ?番。

18頭立てなので19番というゼッケンはなく、しかも18番が出走取消。19番目ということに拘れば、1枠1番か2番が優勝し、2着は10番トーセンアレスということになります。しかし、あまりにも非常識な決着。全くわからないので、外(17番)から数えて10番目の8番ローズキングダムを今年の私のダービー馬にします。4枠であることもいいし、同枠に昨年の1着馬とほとんど同じローテーションの1番人気の馬が入ったこともよいか。8番の単勝。
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(あずみ野うたごえ喫茶/Believe)

「よござんす」は一軒家を改造したつくりの居酒屋さん。階段を上がったところにはシャンデリアがありました。

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そして3件目、ベルギービールの店「CHIMAY」へ(なんと発音するのでしょうか)。
十分飲んで、食べていたので、ビールはどうかとも思いましたが、私たちの予測を裏切った甘くておいしいビールでした。1杯のつもりが、3杯も頼んでしまい、燻製の盛り合わせも頼み、最後の最後までしっかり食べた一日になりました。
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by ryott-ryott | 2010-05-30 12:46 | おいしい

いい歳、りょうちゃん、肉のまえかわへ行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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今日の日曜日は7週間ぶりに天気が崩れ、久しぶりの雨の日曜日でした。しかしながら、今週の日曜も休日出勤でした。014.gif
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最近、休日は1週間のうち1日しかなく、その1日のお休みは大井町湯屋へ行き、大暴れアクアをやりました。インストラクターの方はいつもと違う人、代行でした。しかし、この代行の方のアクア、結構、きつく、アクアで体の芯が熱くなったのは久しぶりでした。毎週同じ人の同じ動きだと体が慣れてしまうのでしょうか、たまには違う動きをした方がよい刺激になるのだと思います。大暴れアクアが終わってから、代行の方に「疲れませんでしたか?」と聞かれて、正直に「とても疲れました。」と答えました。水の負荷を最大限に取り入れているため、私自身、少々バテ気味で大暴れになっていなかったと思います。037.gif
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そして夜はじゃんけんぽんのトントンさん、春さんに誘われて、大井町の「肉のまえかわ」に行きました。
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すずらん通りの入ったところ、和菓子屋さんの隣にある、お肉屋さん兼立ち飲み屋さん。現地集合で、少し早く着いてしまったので、焼き鳥を焼いているお嬢さんに「生ビール1杯ください。」と言ったら、冷蔵庫を指さされ、ビールは缶ビールしかないことを教えられました。焼き鳥を何本か頼み、缶ビールを冷蔵庫から出して、その場でお勘定。あとは勝手に飲むだけです。こきたない店ですが、焼き鳥に、牛刺し、レバ刺し、串カツ、メンチカツ、カツ、コロッケなどが揃っており、結構な人気です。人が入れ替わり立ち替わり来店し、常に賑わっていました。
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(並木路子/リンゴの唄、今日5月23日は作詞家サトウハチローの誕生日です。)060.gif

 福井の永平寺は、曹洞宗の大本山です。ここでは毎年5月23日から6月12日まで「眼蔵会」が開かれます。開祖道元禅師の書かれた『正法眼蔵』(しょうほうげんぞう)を講讃する法会です。
 開祖道元は正治2年(1200年)4月2日に生まれました。道元の父は、内大臣久我通親(くがみちちか)、母は関白藤原基房(もとふさ)の娘です。道元3歳のとき父を、8歳のときに母を失いました。この母の死が、幼な心にも出家を決意させたのでしょう。道元はこう述べています。
「即ち高雄寺にて香烟の上るのを見て、生滅無常を悟り、それより発心す。」(『伝承録』)

両親を失った道元は、13歳のとき伯父の養家先を出、比叡山にいた良顕法眼のもとに走り、その世話で般若谷の千光房に入山します。臨済宗の開祖になった栄西禅師の指導を受けましたが、道元は天台教学にあきたりず、24歳の春、仲間数人とともに中国に渡ります。
 中国では長翁山の如浄禅師について、臨済宗の本義を学びます。やがて日本に帰り、有名な『正法眼蔵』を書き上げ、“禅”の修行に励みます。

 「仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己をわするるなり。自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるというは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり・・・・・」(『正法眼蔵』より)
“身心脱落”それが禅であり、その修業が座禅です。“只管打坐”(しかんたざ)ともいいます。
 道元は率先垂範“只管打坐”に徹し、建長5年(1253年)8月28日、53歳で遷化しました。仏性伝東国師、承陽大師号を下賜されました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)
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(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif
あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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「肉のまえかわ」は揚げもの、牛刺し、レバ刺し、串焼きがなくなると、お客さんも少なくなり、午後8時には閉店の様子。
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まだ早いので、やはり立ち飲み屋さんの「BEE」に行きました。カウンターには爬虫類を漬け込んだお酒が並んでおり、私はハブ酒を飲みました。
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BEEの金券、1000円で1100円分もらえます。071.gif
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先週の日曜日、月曜日、金曜日は貴重な夕陽を見ることが出来ました。日曜日の夕陽は先週、報告しました。平日の夕陽は、会社帰りにお台場へ行き、お台場海浜公園から写真を撮りました。今まではよく葛西臨海公園へ行っていましたが、お台場でもきれいな夕焼けを見ることが出来ると聞き、ぶらりと立ち寄りました。
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大井町から臨海副都心線で8分、東京テレポート駅で降り、フジテレビ局の前を過ぎて、お台場海浜公園へ。林立するビルの間へ太陽が沈んで行きました。空を見上げると、夕月が出ていました。会社帰りに撮った夕景の方が、秋田で撮影したものよりもよく撮れていると思いました。

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(倍賞千恵子/下町の太陽)

下町の太陽(作詞:横井弘、作曲:江口弘志、歌:倍賞千恵子)
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下町の空に かがやく太陽は
よろこびと 悲しみ写す ガラス窓
心のいたむ その朝は
足音しみる 橋の上
あゝ太陽に 呼びかける

下町の恋を 育てた太陽は
縁日に 二人で分けた 丸いあめ
口さえきけず 別れては
祭りの午後の なつかしく
あゝ太陽に 涙ぐむ

下町の屋根を 温める太陽は
貧しくも 笑顔を消さぬ 母の顔
悩みを夢を うちあけて
路地にも幸の くるように
あゝ太陽と 今日もまた


(あずみ野うたごえ喫茶/下町の太陽)
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by ryott-ryott | 2010-05-23 22:24 | おいしい

いい歳、りょうちゃん、休日出勤前夜の鯨飲馬食ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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今週の日曜日も晴れて、6週間連続の晴天になりました。私は今週の日曜日もまた会社へ出勤で、5週間連続で日曜日の大井町湯屋へ行くことができませんでした。休日出勤はいつまで続くのでしょうか。014.gif
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 土曜日の夜は中丸家に御招待されました。中丸さんは大井町湯屋仲間であり、飲み仲間でもあります。お料理を用意していただきましたが、食べること、飲むこと、話すことに夢中になり、写真を撮り忘れてしまいました。037.gif
 3人でお酒をどのくらい飲んだでしょうか。かなりの量のお酒を戴きました。
 食前酒として持参した獺祭のにごり酒は、中丸さんの御主人が栓を開けた途端、お酒が勢いよく噴き出して半分くらいに減ってしまいましたが、その後、お正月に持って行った久保田紅寿がまだ手つかずで取ってあり、3人でその一升を平らげ、さらにお土産に差し上げた角館のお酒もほとんど、なくなってしまいました。
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 お酒をたくさん飲んだので、何を話したかよく覚えていませんが、どうやら中丸さんは私が雨男であると勘違いしているようです。

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昔の大師橋
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 国立公園十和田湖は、いまでこそ風光明媚な景勝地、奥入瀬の渓流と美しい紅葉、神秘な湖とヒメマスの養殖で知られますが、明治38年(1905年)の秋までは、魚一匹棲まない“魔の湖”でした。その十和田湖にヒメマスを放し、湖のほとりでに旅館をたて、道路を改修して交通の便をはかり、案内書をつくって全国に配布し、国立公園指定の働きかけをするなど、生涯をこの十和田湖開発に尽くした恩人とも呼ぶべき功労者がいました。和井内貞行(わいないさだゆき)という人です。
 彼は安政5年(1858年)、秋田県毛馬内町に生まれました。26歳の時、小坂鉱山から十和田鉱山へ転勤になったのが、この湖との出会いでした。

“こんなきれいな湖に、どうして魚がいないのだろう”と疑問を抱き、明治17年(1884年)の秋、自分の月給をさいて、600匹のコイを放流したのが最初の魚との取り組みでした。
 明治17年(1884年)から21年間に、コイ5万匹、マス159万匹、サケ5万匹、フナ、イワナ3000匹という膨大な量の稚魚を放しましたが、思うように魚が育ちません。
 退職金は使い果たし、借金をしながら最後の望みを北海道の“カバチョッポ”に託しました。“カバチョッポ”とはアイヌ語のヒメマスのことです。

 明治38年(1905年)9月、放流3年目にして、ついにヒメマスが大きく育ってもどってきました。彼の伝記の標題『われ幻の魚をみたり』は、このときの感激を表したものだと思います。
 これに自信を得て積極的に十和田湖開発に乗り出したのです。
 大正11年(1922年)5月16日、65歳で亡くなりましたが、その遺骨は十和田湖の神社に祀られ、昭和8年(1933年)、社号は和井内神社と改修されました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)
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(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif
あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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5月29日(土)は麻布十番にある串焼き屋さん『あべちゃん』に行ってきます。024.gif
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今日の日曜日も湯屋に行けませんでしたが、帰宅途中、大師橋から夕焼けを見ることが出来ました。太陽は地平線の雲に隠れてしまい、最後の沈むところまでは見ることはできませんでしたが、夕陽を関東で見るのは久しぶりでした。日曜日は連続6週間の晴天だったそうですが、夕方には雲が垂れこめてきて、夕陽らしい夕陽を見ることができなかったと思います。
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陽が沈むと、西の空に光る三日月が現れました。したがって、今日は旧暦では4月3日です。新月から数えて3日目なので、三日月になります。昔は月を見るだけで日にちがわかるので、太陰暦の方が便利だったかもしれません。

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by ryott-ryott | 2010-05-17 00:15 | おいしい

いい歳、りょうちゃん、藤の花に酔うヽ(^o^)丿

旅行・地域
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秋田から帰って、土曜日は久しぶりに大井町湯屋に行きました。土曜日の朝一時限目のエアロはかなり人が減っていました。そして2週間ぶりに中国整体へ行きました。田沢湖では毎日雨だったことをこの歳時記で知っていた先生は、「あなたは龍(辰年生まれ)だから、水(雨)を連れていく。」と言われてしまいました。たしかに辰子姫にしても、八郎潟の八郎にしても、水はつきものです。先生は来週また河口湖に大井町湯屋の方たちと行かれるそうです。すでに桜は散ってしまっているので、今度は河口湖近くの新緑を撮影するそうです。

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中国整体施術が終わってから、近くの食堂「木洩れ日」さんに行くと、昔、湯屋でローリング療法をやっていた臼井さんに偶然にもお会いしました。休憩時間に木洩れ日さんに昼食を食べに来たとのこと。三又通りの整体院で週2回、ローリング療法をやり来ているとのことでした。臼井さんは出産と育児に専念するため、湯屋をやめていましたが、1年くらい前から湯屋近くの整体院で働くことにしたそうです。臼井さんのお宅は神奈川県の相鉄線で行かなければならないところで、結構、遠いのですが、長年通った大井町が好きなんだそうです。双子のお子さんもかなり大きくなったようです。
 木洩れ日さんで遅めの昼食を摂った後は、水を求めに湯屋で大暴れアクアをやりました。037.gif

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(Funky Monkey Babys/ヒーロー)

英雄ナポレオンが危篤に陥ったのは1812年5月4日の夕暮れでした。死の前日です。
絶海の孤島セントヘレナに幽閉され、病気になっていたナポレオンには、彼の伝記と大戦の記録をとるために、年若い軍医がいつも枕辺におりました。
「皇帝、あなたの生い立ち、軍事、愛情にいたるまで、必要なことはすべてお聞きしました。だが、一つだけ聞きたいことがあります。宗教観です。」
ナポレオンは、こう言いました。「宗教は偏見と幻影に満ちた、人間を堕落させる毒物である。余は生を受けて以来、いかなる神もあがめず、いかなる宗教も信じた記憶がない。」

 しかし、危篤を知って、典獄と神父が入ってきたときです。
 神父はナポレオンの枕辺に立って、最後の祈りを求めました。ナポレオンはしばらく黙っていましたが、突然哀願するようにこう言いました。
「神父よ。余が息を引き取るとき、枕辺に聖体を安置してほしい。そして余の肉体が棺桶の底に沈みきるまで、祈りを続けてほしい。」
 先ほど否定したばかりの宗教を今さらと、若い軍医がいぶかしげに英雄の顔を見ました。彼は力なく、「かまわぬ、笑ってくれ、人間は誰でも、所詮笑われるような生き方しか出来ぬのだ。」これは、ナポレオンの逸話集に載っている話です。

 人間は誰しも強がりを言ったり、虚勢を張って生きていますが、いざ死に直面すると弱いものです。
“苦しいときの神頼み”は英雄といえども同じでした。
 キリスト教であれ、仏教であれ、宗教というものは、天地自然への畏れ、それに対する感謝の心を培養するものと考えたらいいと思いますが。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif
あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに


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 落ちかかる 石を抱えて 藤の花  正岡子規
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5月4日は湯屋へ行きトレーニングをし、連休最終日5月5日は湯屋はお休みのため、藤の花を見に、亀戸天神ではなく、埼玉県の藤の牛島まで行きました。臨海線で大宮まで行き、東武野田線乗り換えて25分、春日部の次の駅です。
そこから歩いて10分くらいでしょうか、樹齢1200年になる天然記念物の藤の木があります。連休最終日とあって、多くの人が藤の花を楽しんでいました。藤の花の花ことばは「あなたの愛に酔う」「至福のとき」なんだそうです。
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4泊5日の秋田県の旅では、前半は天気に恵まれませんでしたが、3回、朝陽と夕陽を撮ることができ、地酒と満開の桜との遭遇があり、地元の人の優しさに酔った、至福の時でした。

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by ryott-ryott | 2010-05-15 12:47 | 散歩

秋田県の旅・最終話、桜の角館へヽ(^o^)丿

旅行・地域
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5月3日(祝・月)憲法記念日。秋田の旅・最終日。
この日の朝もホテルサンルーラルの屋上で朝日を待ちました。午前4:30に受付へ行き、当直の方に屋上を開けてもらいました。昨日とは違い、東の空には厚い雲はなく、朝日を見ることが出来そうです。
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ホテルサンルーラル大潟の屋上で朝陽を撮った後、ひと風呂浴びてから朝食。最終日はどこへ行くべきか、考えあぐねていました。秋田駅から奥羽本線に乗って1時間ほどの象潟(きさかた)へ行き、九十九島でも見ようかと考えていましたが、前日、第一タクシーの中西さんからこの時期に行っても田んぼに水を張っていないので仕方がないとのアドバイスを受けました。
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 5月に入ってから晴天が続いたため、角館の枝垂れ桜が見ごろになっているとの情報を得ました。1回の旅で同じ場所に3回も行くのは初めてでしたが、折角なので、再々度、桜を求めて角館へと足を延ばしました。
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(兵庫ケンイチ/わすれない~約束~)


「憲法は、革命うあクーデターの決算書である」
 こんな言葉がありますが、たしかにいずれの国でも、一国の政治的支配体制が変革をすると、新しい支配体制の意向を受けた、法的総括として憲法がつくられます。
 明治憲法も、明治維新を成し遂げた明治政府の意向を入れた憲法です。
 戦後の「平和憲法」と称される現行日本国憲法も、昭和22年(1947年)5月3日に施工されました。
 当時の吉田茂首相は「われわれ国民の自由な総意によって確定された・・・・」と談話の中で強調していますが、それはタテマエ論であって、実際は新しい政治体制の支配者、アメリカ占領軍の意向を尊重してつくられたものです。
 現在、憲法“第9条”が問題になっていますが、マッカーサー司令部が最初に示した草案は、次のようなものでした。

  国家主権の発動として戦争は廃止される。日本は、紛争解決の手段としての戦争のみならず、自国の安全を維持する手段としての戦争をも放棄する。日本は、その防衛と保全とを、今や世界を動かしつつある崇高なる理想を委ねる。
 日本が陸・海・空軍を維持する機能は将来共に許可されることがなく、日本軍に交戦権が与えられることもない。

この起草者が、実はチャールズ・ケーディス陸軍大佐でした。彼は昭和3年(1928年)に批准されたパリの不戦条約をモデルに、理想的な“第9条”を書きあげたのです。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif
あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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秋田駅から新幹線に乗って、角館へ40分。途中の大曲駅で新幹線の進行方向が逆になるのですね。九州の日豊本線の小倉みたいです。
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5月3日は連休真っ只中。気温も今までの寒さが嘘のように20 ℃を超える陽気。そして、角館は大変な人で賑わっていました。角館の枝垂れ桜は見ごろの予報、それから桧木内川のソメイヨシノは3分咲き。しかし、4月29日の状態に比べたら、桜並木は満開に近い咲きっぷりでした。056.gif
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 角館は大変な人出で、食事するところはどこも満席であり長蛇の列でした。空いているなぁと思うと、すでに食べ物は完売状態でした。私は再度、駅前の地酒屋さん「地酒のふじた」さんで試飲をしました。私のお隣に腰かけた方は盛岡から来たという方で、この角館にはよく来るとのこと。桜の咲く時期よりも、9月7~9日の角館のお祭りの方がずっと人が多いとのことでした。人口15000人の角館に40万人の人が押し寄せ、3日3晩お祭り騒ぎが続くと言います。このお祭りの見どころは、自分たちの町の山車を他の町の山車とぶつけ合い、闘うというかなり激しいお祭りだそうです。そして、その間の角館の宿泊施設は2~3年前から予約で一杯であり、なかなか取れないとのことでした。

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 そして秋田まで戻り、秋田駅前で一杯やってから、秋田空港へ向かいました。
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今回は4泊5日の秋田県の旅でした。前半は悪天候と低温でどうなってしまうのかと思いましたが、5月に入ってようやく晴れて、桜とお日様を見ることができました。
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by ryott-ryott | 2010-05-10 00:36 | 秋田県の旅

秋田県の旅・第4話 男鹿半島に空のパレットを観ましたヽ(^o^)丿

旅行・地域
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5月2日(日)の日の出の時刻は、東京では4:40くらいであったと記憶しています。ホテルサンルーラル大潟は屋上を開放しており、屋上での写真撮影はOKとのこと。しかし開放時間は9:00~18:00であり、日の出も日の入りも時刻が外れているため、ホテルの従業員の方に朝4:30に開けてほしいとお願いしたところ、快く承知してくれました。朝4:30にロビーの受付へ行き、当直の方に屋上を開けていただきました。ただ、この日は東側に厚い雲があり、日の出は撮影できませんでした。072.gif
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朝食後、ホテル周辺を散歩しました。朝陽の中、菜の花がどこまでも続いていました。056.gif
今日はいよいよ男鹿半島へ行って、夕景を撮る予定です。空を見上げると陽射しはあるのですが、遠く海の方は白く霞んでいました。

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男鹿半島は男鹿線で男鹿駅までしか鉄道が通っていないため、ホテルから地元大潟村の第一タクシーをチャーターして、男鹿半島一周と最後夕方に入道崎に行ってもらうことにしました。大潟村のタクシー会社は第一タクシーしかなく、第一タクシーの社長・中西さんが案内してくれました。
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最初は寒風山(標高355 m)へ向かいました。寒風山は遠くから見るとなだらかな丘に見えますが、火山であり、火山岩がごろごろしているため樹木は生えておらず、枯れ芝が広がっています。1年に1度、山焼きをして枯れ芝を焼き払うそうですが、今年は天気が悪く、山焼きは出来なかったとのこと。そして、枯れ芝の中には山菜が自生しており、地元の方が山菜を取りによく入っているそうです。ただし、山の中にはマムシも多くいるため、むやみに入らないほうがよいと言われました。

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(まんが日本史主題歌/サーカス「風のメルヘン」)

パリのルーブル美術館へ行くと日本人観光客で賑わう場所があります。ひとつはミロの「ビーナス」像、もう一つはレオナルド・ダ・ビンチの「モナ・リザ」の絵です。
この二つの作品は、戦後日仏文化交流運動の行事として、別々に日本にやってきました。会場の東京国立博物館の混雑はものずごく、多くの怪我人がでる騒ぎも起きました。

「モナ・リザ」のモナは貴婦人の意味があり、リザは女性の名前です。最近ではイエスの情婦である説がありますが、昔はダ・ビンチの友人フランチェスコ・デル・ジョコンドのリザ夫人であったといわれています。
しかし、研究者たちは、この肖像画のモデルは、当時のフィレンツェの支配者ジュリアーノ・デ・メディッチの愛人フランカビラ公妃か、マントバ侯妃のイザベラ・デステのどちらかであると発表しています。

ダ・ビンチはルネッサンスを代表する画家で「モナ・リザ」、「最後の晩餐」、「受胎告知」など、すぐれた作品を残しています。驚いたことに、彼は単なる画家だけでは終わらずに、彫刻家、建築家、音楽家、詩人、哲学者、生物学者、数学者、軍事技術家としても一流の業績を残しており、多彩な顔を持っています。

彼は1452年、イタリアのフィレンツェの西、ビンチ村に生まれ、幼くして天才の名をほしいままにし、数学・物理などの学問、音楽、特に絵画に秀でていました。
青年期は主にフィレンツェやミラノの諸都市で活躍し、晩年はフランソワ1世の保護を受けて、フランスのアンボワーズのクルー館で余生を過ごし、1519年5月2日、67歳でこの世を去りました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif
あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに


真山(しんざん)神社
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お薬師如来様
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お神輿、右は正徳4年(1714年)に作られたものです
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鬼がひっくり返したという「逆さ杉」
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男鹿半島と言えば、なまはげが有名です。なまはげは動物と同じように1匹、2匹と数えるそうです。そして、伝説ではなくて、本当にいたという説もあります。昔、ロシアの難破船が漂着して、毛むくじゃらのロシア人が日本の山中に住み、その土地の日本人から鬼として恐れられていたという話もありました。027.gif
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このなまはげ像は博多人形だそうです。
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今日の最終目標は夕刻に海岸で夕景を写真に撮ることです。タクシーの中西さんがおっしゃるには、やはり入道崎灯台の下の海岸で撮影するのが一番よいとのことでした。入道﨑で夕景を撮るべく、海岸に降りて、どこでお日様を撮ろうかとしばし散策しました。入道崎灯台がある丘から、海岸へ降りて行くには3つほど階段がありますが、かなり勇気が必要でした。071.gif
それでも、何とか写真を撮り場所のあたりをつけておき、再び、灯台のある丘へ昇って戻りました。

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そして、男鹿半島にある水族館GAOにも寄りました。水族館“GAO”の名称は男鹿(OGA)を逆さに読んでGAOとしたそうです。なんとも簡潔なネーミング。連休中とあってGAOの中はかなりの人で賑わっていました。最初は入るつもりはなかったのですが、夕刻まで時間があるため、駆け足で水族館の中をまわりました。
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この水槽は40 cmの厚みのアクリル板で出来ています。
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鰰(ハタハタ)の標本。
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白クマの豪太くん、白クマというよりもドロクマです。037.gif
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男鹿温泉郷の近くを通り、ゴジラ岩を観に行きました。ゴジラ岩の近くではたくさんの釣り人が海の波と格闘しながら釣りをしていました。数回に1度は大きな波が岩の上まで押し寄せてくるため、釣り人は釣り道具を波にさらわれないように配慮しながら釣りをしなければならないそうです。私の目の前でも波をかぶっている釣り人がいました。私には、恐ろしくて、とても真似ができません。
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ゴジラ岩、ここで夕景を撮影する方もいらっしゃるようです。
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寒風山、なまはげ館、GAO、ゴジラ岩を経由して、夕方、17:30、最終目的地の入道崎に再びやって来ました。東京での日の入りは18:23くらいでしたが、入道崎のお店で聞くと、日の入り時刻は18:35とのこと、約10分遅くなっていました。さきほどまで西側の空には何やら怪しい雲が垂れこめて来ましたが、その雲も徐々に薄くなっていき、この調子ならば、何とか夕陽を撮ることが出来そうでした。昼間、あたりをつけておいた撮影場所にカメラと三脚を持って再び降りて行きました。そこには青い空と雲と夕陽があり、空のパレットが広がっているようでした。058.gif058.gif058.gif
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一通り、太陽が見えなくなるまで写真を撮って、灯台のある丘に上がって来ました。太陽が沈むと、気温が一気に下がったことがわかりました。夕闇の中、入道崎に別れを告げて、ホテルサンルーラル大潟へと戻って来ました。
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朝の10:00から19:40過ぎまで案内してくれたタクシーの中西さんとも、ここでお別れ。今日、周ったもらったところ以外にも男鹿半島には見てないところがまだまだたくさんあること、それから五能線で海岸沿いに北上するのも風景がよく、写真を撮るには最高であることを教えてもらいました。五能線での旅を是非検討してみたいと思います。
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To be continued.

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by ryott-ryott | 2010-05-09 10:32 | 秋田県の旅

秋田県の旅・第3話 秋田千秋公園と八郎潟桜並木をゆくヽ(^o^)丿

旅行・地域
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秋田の旅・第3話。このシリーズは第5話まで報告します。
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5月1日(土)の朝も田沢湖は雨でした。しかも昨夜は稲光を伴なう激しい雷雨でした。湖から龍が現れるのではないかと思うほどでした。
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この日で田沢湖には別れを告げて、第2の本拠地である八郎潟へと向かいました。田沢湖から終点・秋田まで秋田新幹線で向かいました。田沢湖では悪天候でしたが、秋田へ近づくにつれて雲が薄くなり、日差しと雲の間から青空が顔を覗かせる空模様でした。

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秋田から奥羽本線で八郎潟へと向かう予定ですが、秋田駅で寄り道をしました。秋田の千秋公園は4月29日(祝・木)の時点で桜が満開との情報。千秋美術館へ立ち寄った後に、満開の桜の千秋公園へ行きました。

やはり秋田の千秋公園も例年に比べると桜の開花は遅れており、桜が満開であるにもかかわらず、桜祭りは終わっていました。しかしながら、千秋公園の桜は見事なもので、桜の下にはたくさんの花見客で賑わっていました。


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(まんが日本昔話「五郎兵衛淵」)

5月1日は労働者の祭典、メーデーです。
メーデーの起こりはは、1886年5月1日、アメリカのシカゴで、53万人の労働者が団結し、ゼネストを実施して8時間労働を勝ち取ったことが発端です。
そして、この勝利はヨーロッパの労働者にも刺激を与え、それから3年後の1889年、パリで開かれた国際社会党大会で、この日を記念し、世界的な労働者の連帯をはかるため、毎年5月1日、世界各地でメーデーを開くことが決められました。
 日本でメーデーがはじめて行われたのは、大正9年(1920年)です。5月1日が土曜日だったので5月2日の日曜に実施されました。上野公園に5000人の労働者が集まったと記録されています。
 戦前のメーデーは昭和11年(1936年)の第13回メーデーを最後に、戦争のため中断。戦後は昭和21年(1946年)に11年ぶりに復活して今日に及んでいます。
 ところで、メーデーを扱った文学作品はいくつかありますが、代表的なものは、昭和27年(1952年)5月1日、皇居前広場で”血のメーデー”といわれた、第23回のメーデーを描写した阿部知二の『日月の窓』ではないでしょうか。デモ隊6000人、警官5000人が大乱闘の末、2人が射殺された事件です。
 阿部知二は、明治36年(1903年)岡山県に生まれ、姫路中、八高、東大英文科を卒業した小説家、評論家、英文学者として知られた人です。
 彼は戦後、従来の自由主義的立場から、次第に革新陣営に近づき、進歩的知識人として、種々の社会活動に参加して活躍しました。
 昭和48年(1973年)4月、70歳で亡くなりました。『阿部知二作品集』全5巻(河出書房)、『阿部知二全集』全13巻(河出書房新社)があります。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif
あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに


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千秋公園で満開の桜を見た後、奥羽本線に乗り、八郎潟駅へ。第2の本拠地、ホテルサンルーラル大潟へ向かいました。駅から車で約20分のところ、大潟村にあります。男鹿半島での夕景を写真に撮影したくて男鹿半島の宿泊先を探していたのですが、すべて満室であり、唯一、空室があったのがサンルーラル大潟でした。しかし、この日のサンルーラル大潟も連休中とあって、満室だったそうです。
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八郎潟のほぼ真ん中を突っ切って、10 kmにも及ぶ桜並木・菜の花ロードには圧倒されました。地元の方の話では、今年は気温が低いため、桜も菜の花も花の粒が小さいとおっしゃっていました。しかし、はじめて見る私にとっては、とても感動的な風景でした。
千秋公園でも、八郎潟の桜並木・菜の花ロードでも感じたことは、桜には香りがあるということです。東京での花見の時にはわかりませんでしたが、満開の桜の下、桜にはあの独特な香りがあることがわかりました。桜餅や桜湯の匂いです。あの香りは人工的につくられたものかと思っていましたが、実は桜そのものの香りでした。

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田沢湖での悪天候が嘘のように、八郎潟では晴天に恵まれました。そして、夕方、ホテルの近くの宮沢海岸へ夕陽を撮りに行きました。晴天といっても、風は強くて、結構、砂まみれになってしまいましたが、今回の旅ではじめて夕陽を撮ることが出来ました。
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ホテルに戻って夕飯後、温泉に入りました。大潟村から出る温泉は海藻が堆積した地層から湧き出ており、茶色いお湯でした。関節部の痛みや美肌に効果があることが、大学の研究者によって立証されたそうです。

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さて、次回、秋田の旅第4話は男鹿半島の周遊記を報告します。

To be continued.

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by ryott-ryott | 2010-05-08 03:26 | 秋田県の旅

美の守護神、辰子姫伝説との邂逅ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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4月30日(金)の夜のニュースで、東京・銀座にある歌舞伎座が老朽化で改修工事に入るため、4月の公演を最後にして「閉場式」が行われている報道がありました。リニューアルは3年後。その「閉場式」で200人の歌舞伎役者が「お手を拝借」の掛け声で1本締めを行っていました。柏手1回ではなく、「タタタン タタタン タタタンタン」の3クラップ 3クラップ 4クラップでした。なぜ、1クラップだけの偽物1本締めが、さも本物の1本締めかのようにまかり通っているのか、不思議です。大井町湯屋にいる差配師がニセ1本締めをするのはあの男に教養がないので構わないのですが、それを他の人に強要する姿勢は恥を知るべきです。
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田沢湖畔に辰子姫像が立っています。伝説の辰子姫を祀った御座石神社から5 km湖沿いに行ったところ、ちょうど神社の対岸にあたります。御座石神社のすぐ前は急に深くなっているため、辰子姫像は対岸に建てられたそうです。004.gif
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 絶世の美女であった辰子姫はその美貌を永遠のものにするため、観音様に百日参りしました。ついに百日間のお参りを成し遂げた後に観音さまから「湧きでる泉の水を飲めば、その美しさは永遠に自分のものになる。」とのお告げを受けます。そして、急いでその泉に行き、水を飲みましたが、激しいのどの渇きにおそわれて、飲んでも飲んでものどの渇きが癒えません。気が付くと、美しいかった辰子姫は巨大な龍へと身を変えていました。辰子姫はそのまま田沢湖の主になったという伝説です。

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4月30日(金)旅の2日は、田沢湖畔の辰子姫を祀っている御座石神社をお参りし、そして辰子姫像との邂逅。八津のカタクリの花を観に行きました。
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カタクリの花は栗の木の下に自生しています。栗のいがが地面に落ちて、それがカタクリのよい栄養になるようです。そして、この八津の「西木村」という名前は名産の「栗」を2つに分解して「西」と「木」で「西木村」にしたと教えてもらいました。027.gif
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天気が悪かったのでカタクリの花もうなだれていました。日差しがあるとカタクリの花は上を見て、自生している地面が全面、鮮やかな紫色になるそうです。056.gif



(まんが日本昔話「八郎潟の八郎」)

一世の美人達子姫は、其の昔院内に住んでいたが、長者の寵愛に、己が美貌をいつまでも保ち不老不死の祈願を観音さまにこめた。

百日の満願の日に、遂に龍身と化して、田沢湖に永遠の湖神となったと伝えられているが、其の辰子姫がまだ湖の主にならない頃は、親孝行なとても働らき娘であった。
 山へよく青物など取りに行き、院内岳を越えて遠く御座石の辺りに来た。そして相内潟には自然石だが、鏡にように磨かれた不思議な岩が立っている。そこへ毎日のように来た。
 鏡など無い時代のこと、辰子姫はその唯一の鏡岩に向かって髪を結い自分の容姿を整え、ねんごろに化粧をした。
 また潟頭にはこんこんと湧くきれいな泉があって、そこにはおいしい雑魚が棲んでいたから、それを昼食のかてとしたと伝えられる。

 龍神になる位の辰子姫であるからそれは普通の姫ではなかったであろう。その鏡石には或は辰子姫でなければ写らなかったかもしれない。
 神秘をこめた鏡石、今尚古色蒼然苔蒸したまま、辰子姫の美しい容貌を秘める如く、湖畔の辺り、相内潟の山中に遺っているのである。
(御座石神社「辰子姫伝記」より)



(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif
あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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カタクリの花を見た後、秋田内陸線にでも乗ってみようかと思っていましたが、内陸線は約2~3時間に1本しか運行しておらず、ちょうど行ってしまったところでした。再び、角館へ。今日は武家屋敷ではなく、商人の通りの方へ行ってみました。
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味噌醸造を行っている安藤家。この安藤家では約150年間、味噌、醤油、漬物を作っています。蔵座敷には5月人形が飾ってあり、漬物の試食、味噌汁・出汁の試飲では一杯やりたくなりました。037.gif
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この日の角館も雨が降ったかと思うと、陽が差し込んできたり、猫の目のようなお天気でした。そして、昨日に比べると桜は若干開いた気がします。もう少しです。056.gif

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本拠地である田沢湖への帰り路、まだ時間があったので地酒屋さんで試飲させていただきました。この試飲は1杯200円~300円のお勘定をお支払いするのですが、1合の杯に半分はゆうに入れてくれるのです。そして、余りのおいしさに5杯も飲んでしまいました。今まで呑んだことのない銘柄が多く、お店の方が言うには、なかなか東京には出周っていないとのことでした。こちらのお店に電話かFAXすれば、いつでも注文を受け付けるとのことです。
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行く先々で新しいお酒に出会うため、キリがありませんでした。
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To be continued.

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by ryott-ryott | 2010-05-06 00:32 | 秋田県の旅

いい歳、りょうちゃん、雨の角館散策ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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秋田新幹線「こまち号」に乗って出発
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雨の角館、桜も泣いています。
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4月29日(祝・木)秋田県の天気予報は雨でした。東京は晴れ、秋田・角館は果たして桜は咲いているだろうか。朝陽・夕陽を拝めるだろうか。天気予報がはずれてくれればという思いを抱いて、秋田・角館へ出発しました。
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今回の旅の出発は珍しく新幹線に乗りました。角館へは東京から3時間16分。途中、仙台までは日差しはあったのですが、盛岡から雨。ここ盛岡で、後ろの車両を切り離して、秋田へと向かいます。空は分厚い雲に覆われて、雨足はますます強まるばかり。山の中を「こまち号」が進んでいきますが、ところどころに残雪がありました。

西宮家
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目的地・角館に着いた時には、かなりの雨量。風も強く、観光客のほとんどは駅舎内で雨宿り。角館駅のコインロッカーもすでに一つも空きはなく、駅前のホテルで荷物を預かってもらい、雨の角館散策を開始しました。



(ロッテ Fits CM秋田・奈良編)

 昭和天皇裕仁は、明治34年(1901年)4月29日に誕生されました。
 昭和64年(1989年)で88歳、歴代天皇では最長の在位記録を持ちます。神武天皇の建国から数えますと124代目の天皇になりますが、激動の昭和史を生きてきた主人公として、その感慨はひとしおものでしょう。
 「天皇誕生日」に行われる皇居での一般参賀も、年々増加の傾向にありました。
 陛下に対する国民の親近感、またご高齢にもかかわらず、国事に精励されているお姿を見て、そのご労苦に対する感謝の気持ちが参賀客の増加につながっていたかもしれません。
 
終戦直後、陛下は日本占領の連合国総司令官マッカーサー元帥のところを訪ねられたことがありました。元帥は『回想録』でこう書いています。
「・・・・・『私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたと代表する諸国の裁決にゆだねるためにおたずねしました。』
 私は大きい感動にゆさぶられた。死をともなうほどの責任。それも私の知り尽くしている諸事情に照らしても、明らかに天皇に帰すべきでない責任を引受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした。
 私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じた。」

 マッカーサー元帥は、この会談の印象がよほど強烈だったのでしょう。ただちにトルーマン大統領と米国政府に対し、天皇を戦争犯罪人から除外することを提言し、事実その通りになりました。
 天皇の人柄を表すひとつのエピソードです。
(「小学館一日一話人物歳時記」より)



(五木ひろし/契り/映画「大日本帝国」)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif
あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに


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こんな枝垂れ桜を観たかった、絵葉書です。037.gif
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 雨が降っているにもかかわらず、角館はかなりの人出でした。かなり前からこの連休を目がけて、来ているのでしょう。その時点では天気を知るよしもないから、仕方がありません。そして枝垂れ桜は3分咲き。ソメイヨシノはまだまだの状態でした。昨年の4月29日時点では桜はすべて散っていたそうですが、今年は一転して、開花はかなり遅れていました。
 毎年、こぶしの花が咲くのを見てから、畑の種まき、田植えの準備などを始めるそうですが、今年はまだ、そのこぶしの花が咲いていないとのこと。角館で4月末にまだ桜が咲いていないのは30年ぶりの珍事であり、日照時間は例年の約3分の2以下。駒が岳のような高い山に雪が残っているのは普通ですが、里の山(まわりの低い山)にまで雪が残っているのも見たことがないとおっしゃっていました。


ステンレス鋼アート
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 私はすぐに武家屋敷の方へ向かいましたが、枝垂れ桜の花はまだ固い蕾がほとんどでした。桧木内川のソメイヨシノは全く咲いていませんでした。仕方がないので、西宮家で桜の角館の絵ハガキを買ってしまいました。037.gif

『解体新書』
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佐藤一斎先生の『言志録』
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 川のそばの地酒屋で試飲をいくつかして、樺細工の伝承館へ行くころに幸いに雨が上がり、陽が差してきました。
 有名な青柳家・石黒家などの武家屋敷を見学しました。平賀源内に師事した小田野直武が描いた『解体新書』の挿絵や安藤広重の東海道五十三次の浮世絵を見たあと、桜が咲いていなかったので、刺巻湿原のミズバショウを見て、今回の第一本拠地の田沢湖レイクサイドホテルへと向かいました。
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 ホテルのすぐ目の前は紺碧の田沢湖が広がっていました。晴れた日にはホテルの前から田沢湖畔に沈む夕陽を見ることが出来るそうです。しかし、今回の旅では田沢湖では1回も朝陽も夕陽も見ることはできませんでした。そして、かなり寒く、ホテル内ではガスストーブを焚いていました。角館に比べると気温は3 ℃は低く、当然ながら桜はまだまだ咲いていませんでした。田沢湖も雨、しかし雲の流れが速く、ときどき日差しが差してきて、その時を見計らって外へ行くとまた雨が降ってくるという猫の目のような空模様でした

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この空模様を見る限り、今日の夕景、明朝の朝陽の撮影は断念せざるを得ませんでした。明日、晴れることを祈って、お神酒を一杯やりました。最近はお天気を祈ることばかりです。058.gif037.gif

To be continued.

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by ryott-ryott | 2010-05-05 09:35 | 秋田県の旅