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いい歳、りょうちゃんの「いいこと」との邂逅ヽ(^o^)丿

旅行・地域

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らてこんさんから、この場所はパワースポットであることを指摘されました。072.gif

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最近は火曜日の大井町湯屋でインストラクターの高島梓さんと世間話をするのが習慣化しています。高島さんは、おばあさんと親子三代で洗足池の近くに住まわれているそうです。洗足池の近くにある環七と中原街道の交差している場所は戦時中、戦争で命を落とした人の亡骸を並べており、今もなお、その場所には幽敵が彷徨っているので、おばあさんから行ってはいけないと教えてもらっているというお話を聞きました。夏になると、このような話題が増えますね。045.gif
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川崎のビルから見た景色
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そして今週はたくさんの再会、集いがありました。まずは日曜日。私がお世話になった大学院の先生が今年3月に定年退職され、そのお祝いの同窓会がありました。先生は私が卒業して1年後に他の大学へ移られたため、研究室の同窓会ははじめて開かれました。研究室の方々との再会は18年ぶり、先生は18年前とほとんどお変わりないのですが、その当時、学生だった方たちは明らかに年相応の風貌へシフトしていました。男性は、頭の黒い部分が減り、白と肌色の部分が大分広がっていました。037.gifしかし、そこにはまぎれもなく18年前の研究室で一緒に学生生活を送った仲間が集っていました。

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琴を愛好するする人なら、宮城道雄の名前を知らない人はいないでしょう。
盲目の邦楽家、宮城流筝曲の家元として、作曲に演奏に、幅広い活躍をされていました。
しかし、“盲目でも人手をかけない”の主義が災いし、昭和31年(1956年)6月25日、演奏旅行途中の夜行列車から誤って転落し、不慮の死を遂げました。享年62歳でした。
 『春の海』『秋の調べ』『水の変態』『越天楽(えてんらく)変奏曲』など、彼の作曲した名曲の数々は、今や古典として永遠に残されていくでしょう。
 宮城道雄は、明治27年(1894年)、神戸に生まれました。2歳で母と死別、祖母に育てられましたが、7歳のときに失明し、8歳で二代目中島検校に預けられ、筝曲の指導を受けました。
 13歳になると、祖母に連れられ、病気になった父のいる朝鮮の仁川にわたり、そこで琴と尺八を教えて一家の生活を支えました。ここでの大きな収穫は、軍楽隊と仲良くなり、外国のレコード、演奏を通じて洋楽の勉強が出来たことです。
大正6年(1917年)、帰国した彼は、すぐさま上京し、洋楽と邦楽を融合させた“新日本音楽”の運動を興しました。
 自らも創作活動に力を入れ、注目を浴びる幾多の名曲を生み出していきました。
 昭和12年(1937年)、東京音楽学校邦楽科の教授に迎えられましたが、前後、芸大と名称、組織が変わったときに、ほかの官学出身の教授たちから、学歴のない盲人の教授はおかしいとクレームがつけられ、この偉大な音楽家も講師に格下げされました。
 日本の芸術家の心のせまさの典型です。芸術の世界における派閥、官尊民卑の多いのは、日本だけでしょうか。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに


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そして、6月25日金曜日は、普段、大井町湯屋でヨガの指導にあたられている、スピリチュアル・ヨガインストラクターのらてこんさんとお食事する席に同席することが出来ました。大井町湯屋仲間の吉田さん夫妻がらてこんさんをお食事に御招待し、その席に私も呼んでいただきました。場所はゼームス坂にある鉄板料理屋の「八天(はってん)」というお店。最初に吉田さんの奥さんからゼームス坂のお店を予約したと聞いた時には、「そんな、こきたない店にらてこんさんを連れて行っていいの?」と心配しましたが、とてもゼームス坂にあるお店とは思えないほど、スタイリッシュでお洒落なお店でした。ゼームス坂というだけで「お洒落な店は存在しない」という偏見を持ってはいけませんね。041.gif
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4月以降、日曜日は休日出勤が多くて、なかなか、らてんこさんのレッスンに参加できていなかったので、らてこんさんにお目にかかるのは実に2ヵ月ぶりでした。らてこんさんは相変わらず、おきれいで、熊野古道へ参詣してからは益々運気が巡っているとのことです。
 私が青森の旅で撮影した写真をらてこんさんに見ていただくと、円覚寺の写真にはたくさんの精霊(オーブ)が写っており、そのような場所は今話題のパワースポットであるとおっしゃっていました。らてこんさんから、近いうちに私の身に「いいこと」があるとおしゃっていただきました。
そして、吉田さんの奥様から8月の最終土曜日と日曜日に富士登山をしようとのお誘いが唐突にあり、何故か私も行くことになってしまったようです。行動の早い吉田さんの奥様はすでに申し込みをされたとの連絡が翌朝ありました。富士山頂の酸素濃度は13 %、通常、酸素濃度が18 %未満の職場を酸欠職場といって危険であることを考えると、富士登山はとても「いいこと」とは思えません。断るべきだったでしょうか。
042.gif
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 今週の土曜日は、大井町湯屋は風呂だけにして、毎年6月最終土曜日に開催されるゲンダマ会に行きました。ゲンダマ会とは私が出た大学の分析化学研究室の同窓会名です。昔は今と違って任天堂DSやiPadなどは当然なくて、けん玉がゲームとして流行しており、指導教官の佐藤弦先生の名前と合わせて、ゲンダマ会と名付けられたと聞きました。
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 何年か前にゲンダマ会に参加した時は、理工学部が組織改編で化学科という名称がなくなってしまうというお話を聞き、そのことに涙を流している方がいたのを覚えています。その新生・理工学部のビルを同じ大学構内に建築し、2010年に完成するということでしたが、いろいろな思惑があって、ストップしてしまっているそうです。有明の方に理工学部を移すという案も上がっているとのことですが、理工学部の大部分の方は四谷を離れることに反対しているそうです。
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 もうひとつ驚いたことは、私が大学を卒業したころ、そして、しばらくの間は研究室に所属する学生数は毎年10数名でしたが、現在、分析化学研究室は30名以上であり、その半数が女学生であることです。私から見れば羨ましい限りですが、今の男子学生からすると女性の権力が絶大で閉口気味なんだそうです。
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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん)060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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by ryott-ryott | 2010-06-27 02:35 | 同窓会

新緑の車窓と新緑の弘前城、青森の旅最終日ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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青森の旅を終えて、今週の東京は毎日、蒸し暑い日が続いています。水曜日、木曜日は気温30 ℃を超える猛暑。まだ6月なのに。5月にストーブを焚いていた秋田の田沢湖がなつかしいです。042.gif
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 さて青森の旅の続きです。6月13日、日曜日は弘前へ行きました。070.gif

鯵ヶ沢に別れを告げて、再び五能線に乗り、弘前へ、1時間22分。移動時間を考えると意外と時間がありません。弘前城とねぶた村へ行くことを決めましたが、その前に腹ごしらえ。068.gif029.gif
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料金100円の循環バスで弘前城へ向かう途中、下土手町で下車。かくみ小路(こうじ)にある「常寿し」さんへ行きました。常寿しさんの手前には「万茶ん」(“まんちょん”と言っていたと思います)があり、太宰治が学生の時によく通っていたそうです。店の奥には和服を着た、いかにも太宰治の風貌を装った男性が座っていました。お店の人でしょうか。
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 常寿しさんの名物はネタが12種類入った太巻き。ウニ、イクラ、アナゴ、ホタテ、マグロ、などが入っています。「豊盃(ほうはい)」で一杯やりながら、いただきました。011.gif
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 かくみ小路には昔の映画の広告看板が掲げられていました。

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「斜陽」「人間失格」などの名作で知られる作家の太宰治が、愛人山崎富枝と武蔵野玉川上水で心中し、その死体が発見されたのは昭和23年(1948年)6月19日の朝でした。
太宰治39歳、山崎富枝29歳。二人は赤い腰紐で固く結ばれていました。

太宰のファンたちは、この日を彼の命日として、墓のある東京三鷹下連雀の禅林寺において、毎年「桜桃忌」を開いています。
「桜桃忌」と名付けたのは、彼の晩年の作の「桜桃」という名作があり、死亡した季節が桜桃の熟するころであったという理由です。
太宰の死は、当然、情死もしくは心中だと思われていました。太宰の生家は、常陸宮妃とつながりがある津軽の名家であり、旧華族の津島家の一族でした。そのため、情死や心中などは不名誉の極みであり、愛人山崎富枝に殺されたと主張しています。
 また文壇仲間でも、太宰の遺書に、彼の師事した文壇の先輩井伏鱒二を罵倒する記述があったところから、太宰治は麻薬常習者、精神錯乱者で、死ぬ意志がなかったのを、彼女に謀殺されたのだと、主張する一派がありました。
 気の毒なのは、両方から悪女にされた山崎富枝とその家族でした。
彼女の日記、太宰の遺書、二人の行動、死体検証の結果などからみても、明らかに情死・心中であった反論しています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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「常寿し」さんで昼食を摂ったあと、弘前城へ出発。気温28 ℃、結構暑いです。すでに桜から新緑へと姿を変え、緑につつまれた弘前城がありました。鮮やかな緑の弘前もいいものですね。024.gif
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 本丸・天守閣は他のお城に比べると、少し小さいですが、岩木山を背後に控えた弘前城は暑さも忘れるほど、こころの水やりになりました。041.gif

弘前城の公園の中には植物園もあり、季節の花が咲いています。私がベンセ湿原へ見に行ったニッコウキスゲや、バラの花が咲いていました。弘前城と植物園にかなり長居してしまったため、残念ながら津軽藩ねぶた村に行く時間がなくなってしまいました。ねぶた村には次回弘前を訪れたときに行くことにしましょう。072.gif
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弘前からバスで青森空港へ行き、飛行機で東京へ帰って来ました。その翌日から東京は梅雨入り。青森の旅は梅雨入り前の新緑の旅でした。

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん)060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京


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by ryott-ryott | 2010-06-19 21:38 | 五能線の旅

青い日本海 青い空 青森の旅、深浦町を行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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千畳敷海岸
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 今週の火曜日は青森でだいぶ自分を甘やかしてしまったので、大井町湯屋へ行き、高島梓さんのエアロに参加しました。高島さんは毎回、早めに来て、スタジオ前で熱心にエアロの練習をされています。私が待っている間に見ていた「東京 消えた街角」という写真集を高島さんに見せてあげたら、たいへん興味深く写真を見入っていらっしゃいました。昔の大井町駅は平屋で地下をくぐってホームに出たこと、きゅりあんがある場所は平屋の品川公会堂があり、その前の空き地に大道芸人がインド象を連れて来ていたこと、などを話してあげると、信じがたいという顔で驚いていました。また大井町線の大岡山駅の昔の写真を見て、びっくりされていました。何しろ、高島さんは昭和63年生まれの21歳なんだそうであり、私とふた干支まわりも違っていました。しかし同じ昭和生まれであることはかわりありません。037.gif
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さて青森の旅の続きです。071.gif
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 今回の旅の大目標であるニッコウキスゲを見た後、西の方向へ戻り、千畳敷海岸、深浦に行きました。深浦は昔、安東浦とも呼ばれており、地元の酒に「安東水軍」というお酒がたくさん売られておりました。青森といえば「豊盃」や「田酒」が有名だと思うのですが、五能線沿線には見当たりませんでした。
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太宰治が食べていた食事
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 夕方まで五能線が来ないので深浦でしばし散策。歴史民俗資料館・美術館、ふかうら文学館、円覚寺までぶらつきました。070.gif
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 千畳敷海岸には結構な観光客がいましたが、驚いたことに深浦では誰ひとりとして歩いている人はいませんでした。夕陽海岸で漁師らしき人が船の方へ歩いて行きました。明らかに不審者を見る目で私の方を見ていました。土曜日でもあったので、各観光スポットにもう少し人がいてもいいかなぁ、と思いましたが、静かな町でした。

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東海道きっての大親分、山本長五郎こと「清水の次郎長」と言えば、子分の大政、小政、森の石松とともに、講談、浪曲、映画、テレビドラマなどで活躍する、おなじみの人物です。明治維新になって、ヤクザ稼業から足を洗った次郎長について、彼の養子になった天田愚庵は、「東海遊侠伝」でこう書いています。

「次郎長は改心すると、力を農業に注ぎ、富士の裾野で原野数十町歩を開発して殖産に努めた。この開墾事業には、懲役囚数十人を使った。静岡県当局は囚人に鎖をつけて働かせたが、次郎長は願い出て鎖を外し、自由にさせて働かせた。囚人たちはその寛大な度量に感激し、一人として逃亡するものはいなかった。みんな次郎長をほめたたえた。」
 新政府の逓信大臣になった榎本武揚などは、その人使いのコツを、わざわざ習いに次郎長のところにやってきたと言われています。

しかし、足を洗った親分の実像はいささか違っていました。富士の裾野の土地払い下げには、暴力を使って土地の農民を追い出して自分のものにしてしまいました。

明治17年2月、全国一斉に行われた博徒の検挙には、次郎長も引っかかって、懲役7年、罰金7円の実刑で、静岡監獄に投獄されました。たまたま運よく、翌明治18年、監獄のそばの土砂崩れで、次郎長は建物の下敷きになり大怪我をしたため特赦され、実家に帰ることが許されました。

そこで清水港で料理屋兼船宿を開業しました。それから8年、明治26年6月12日、74歳の生涯を閉じました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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深浦町に着いたのはお昼時だったので、駅の近くで食事をして、海岸沿いの道路を円覚寺の方へ向かって歩きました。歴史民俗資料館・美術館で、水彩画を見て、夕陽公園の前を通過して、太宰治の小説「津軽」に出てくる旅館を改築した「ふかうら文学館」を見ました。太宰治が宿泊していたときに出されたという食事の見本がありました。結構、贅沢なものを食べています。
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 北前船の3分の1の模型がある「風待ち館」にも行きました。最大の船絵馬が飾ってありましたが、この後に行った円覚寺で同じ船絵馬があり、円覚寺の僧侶は「風待ち館」にある船絵馬はレプリカであり、円覚寺にある船絵馬が本物であるとおっしゃっていました。
円覚寺には航行の無事を祈願するために描かれた船絵馬、漁師が自分の髷(まげ)を切り落として、嵐が鎮まることを祈り、無事に帰還できたときに、切り落とした自分の髷を絵馬に貼り付けて奉納したという「まげ額」、先々代の住職が弟子の髪の毛でつくった刺繍がありました。いずれも写真撮影禁止です。061.gif
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 この写真ではわかりにくいのですが、船の舳先に横たわった人がくくりつけられている姿が描かれていました。その当時は舳先にくくりつけられている人を海に沈めて、嵐がおさまるように祈ったようです。
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 何かお土産はないものか。深浦駅の案内所でお姉さんに聞くと、駅を出たすぐ左に「・・・」という店があり、深浦認定品の「ふかうらのいいもの」が売っているとのこと。早速行きましたが、残念ながらチラシに載っているようなものは売っていませんでした。037.gif
しかし、その斜め前の八百屋さんでしょうか、すごいものを見つけました。写真を見てください。早速、トントンさんにクール宅急便で送ってあげました。029.gif
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そして、リゾートしらかみ号「橅」に乗って、鯵ヶ沢へ戻って来ました。夕飯後、津軽三味線の演奏がありました。老いも若きも、若きはいませんでしたが、三味線の音色に合わせての手拍子が鳴り響いていました。
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青森県の旅、最終日は果たしてどこへ行きましょうか。

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To be continued.


(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに


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by ryott-ryott | 2010-06-17 19:48 | 五能線の旅

白い太陽、紅い太陽、黄色い花、五能線で行く旅ヽ(^o^)丿

旅行・地域

スーパー白鳥号
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リゾートしらかみ号「くまげら」
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リゾートしらかみ号「橅」
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五能線

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6月11日(金)、カレンダー上は平日ですが、私の勤め先はスポーツ奨励の日として休日でした。また日曜日の出勤もなかったため、3連休となり、青森県の鯵ヶ沢、深浦、そして弘前に行ってきました。
 今回の旅の目標はベンセ湿原に咲くニッコウキスゲを観に行くことでした。6月11日は雨の特異日であり、この日から梅雨入りになるのですが、天気予報はお日様マーク。実際、私が出掛ける旅としてはめずらしくいい天気でした。058.gif037.gif

 6月11日の朝、東京駅から東北新幹線「はやて」で八戸まで行き、そこから青森まで「スーパー白鳥号」に乗りました。スーパー白鳥号は海底を通って、函館まで行く列車です。青森から「リゾートしらかみ号」に乗って、鯵ヶ沢まで行きました。鯵ヶ沢の宿、ホテルグランメール山海荘に着いた時は夕方16:30でした。

 この日は朝からいろんな方からメールが届き、13日の日曜日に大井町湯屋仲間の湯浅さんがボディービルの大会に出るので、応援に行かないかとの打診が般若さんから有りましたが、13日は夕方までまだ青森にいるので丁重にお断りしました。湯浅さん、大会の結果はどうだったのでしょうか。般若さんには、「湯浅さんの替わりに、おいしいものをたくさん食べてくるからと、湯浅さんに伝えておいて」と返信してしまいました。037.gif
 そして、リゾートしらかみ号の中でビールを飲んでいたら、POPさんから2年ぶりの再会のメールが届き、エルビーさんとすぐさまメール連絡を取って、再会の日を確定しました。


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6月11日、日本ではこの日から梅雨入り(入梅)ですが、常夏の国ハワイでは“カメハメハ・デー”のお祭りが催されます。
 ハワイ諸島が発見されたのは、1778年、これを航海日誌に記録して世界に紹介したのが、有名なキャプテン・クックです。
 彼はイギリスの海軍少佐でしたが、オーストラリア大陸、南太平洋の探検家として知られます。
 彼がこの島を発見した当時、ハワイ諸島は4人の大酋長が支配し、勢力争いの最中でした。彼はせっかく上陸はしたものの、その巻きぞえをくらって非業の死を遂げてしまいました。
 それから17年後の1795年、ヌアヌ・パリでオアフ軍を破り、ようやくハワイ全島の統一をはかったのが、初代ハワイ王になったカメハメハです。
 6月11日の“カメハメハ・デー”は、彼の誕生日とも、全島統一記念日ともいわれますが、はっきりはしていません。
 ホノルルのイオラニ宮殿の正門前には、右手の手のひらを上にして高くさしのべ、左手には槍を持ち、美しい金色のヘルメットとケープ(実際にはいずれも羽毛製)をまとった、精悍な顔つきをしたカメハメハ大王の立像が建っています。
 この像は、1878年、第7代カラカウア王の時代に、クックのハワイ諸島発見100年を記念してイタリアに発注したものでしたが、オリジナルの方は運搬途中で船火事で沈没。新しくコピーとしてつくられたものです。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


白い太陽058.gif
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紅い太陽058.gif
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五能線は弘前と秋田の東能代までを結んでいます。各駅停車では約4時間の行程。全席指定のリゾートしらかみ号は赤い「くまげら」、ブルーの「青池」、グリーンの「橅」の3車種あります。今回の旅ではリゾートしらかみ号に3回乗車しましたが、「くまげら」2回、「橅」1回乗りました。青森から東能代まで2日間のパスで5000円、乗り降り自由、乗り放題、リゾートしらかみ号に乗るときの指定席特急券も無料、ただし1日の本数が少ないので青森-秋田間を行ったり来たりということはできませんが、車窓から眺める景色は素晴らしかったです。

 まずは本拠地の鯵ヶ沢から東の方向、木造で下車、ベンセ湿原へ行きました。この時期、ベンセ湿原には黄色いニッコウキスゲが咲き、湿原は黄色い花で埋め尽くされていました。056.gif
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To be continued.



(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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by ryott-ryott | 2010-06-14 01:25 | 五能線の旅

PONPEI展&岡本太郎美術館ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 横浜美術館で開かれているポンペイ展に行ってきました。ポンペイは西暦79年8月にベスヴィオ火山の噴火によって、一瞬して火山灰に埋まってしまった町です。しかし、そのことによって当時の生活がそのまま保存されたと言われています。
 ポンペイ展は6月13日(日)までの開催、ずっと行きたいと思っていましたが、ついに行くことが出来ました。当時の住民が使っていた物、建物、庭園、大理石の浴槽、フレスコ画から伺える当時の食事などを見て、現代よりもずっと豊かな生活であったと感じました。004.gif

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 ポンペイ展を見た後は、ついでに登戸まで出向き、岡本太郎美術館へ行きました。母の塔が印象的でした。近くの日本民家園にはハチがいるようです。


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母の塔
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(一青窈/ハナミズキ)

嘉永6年(1853年)6月3日、アメリカ海軍提督ペリーの率いる東インド艦隊(蒸気船2隻と帆船2隻)は突然伊豆半島に姿を現し、午後3時には浦賀に停泊しました。
 黒塗りでいかめしい威容を誇る軍艦からは、もくもくと黒い煙を吐き、見ればたくさんの大砲を積んであります。
沿岸の人々の驚きは大変でした。戦争になると考え、女子どもを避難させ、敵の上陸に備えて、街道に柵を作り、兵糧を集める騒ぎです。
浦賀奉行戸田氏栄は、早馬で江戸幕府に急を知らせました。鎖国を楯に泰平安逸をむさぼっていた幕府にとっても大混乱です。
ペリーは日本に開国通商を求め、アメリカ大統領の親書を携えてやってきたのです。交渉次第では武力行使もやむなしと強硬姿勢を示します。
幕府もてんやわんやの騒ぎの結果、浦賀奉行の戸田氏栄が久里浜でペリーと会見して親書を受け取り、来年の回答を返事しました。

泰平のねむりをさます上喜撰 たった四はいで夜も眠れず

上喜撰は上等なお茶、四はいは四隻の黒船を指しています。
親書を渡したペリーは江戸湾に黒船を進めてデモストレーションをし、沿岸の人々を驚かせて引き揚げました。

翌年安永元年(1854年)正月、再びペリーが約束通りに日本に現れ、その時初めて日米和親条約を結ぶことに成功しました。この日、明治維新への動乱の始まりになりました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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(映画「座頭市The Last」/予告編)

 市(香取慎吾)は妻タネ(石原さとみ)と最後の約束をしていた。それはこの闘いを終えたら、刀を置くということだった。追手との死闘が終わったかに思えた、その瞬間、最愛の妻タネは追手の天道一家の跡取・虎治の刃の犠牲になってしまう。
失意に暮れる市であったが、タネとの約束を守るために故郷に帰り、そこで百姓として静かに暮らすため、刀を置くのであった。しかし、故郷の村では極悪非道な天道一家が悪の限りを尽くしていた。百姓になることを決意した市に、村人たちが助けを求めるが、ただ耐えるしかなかった。
 ところが天道一家の横暴はおさまることはない。旧友の柳司(反町隆史)に頭を下げられ、市は再び刀を手にし、賭場に殴り込みをかける。逆上した天道一家は百姓の家を襲撃し、殺戮、放火を繰り返す。
 ついに天道一家悪事に耐えかねた村人たちは嘆願書を作成。役人に届けるために、嘆願書を市に託した。教えられた路を急ぐ市、それを追う天道一家。市と天道一家との壮絶な死闘が始まった。果たして、その結末は・・・・・・。


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今回の座頭市を演じるのはSMAPの香取慎吾。かつては勝新太郎、ビートたけしが演じてきた役。私は市の演技よりも、柳司の母親ミツ(倍賞千恵子)がこれから闘いに行こうとする市に「弱いから辛抱してんじゃねぇぞ」「強いものはいつも命を粗末にする。命を粗末にすんじゃねぇぞ。」と涙ながらに送り出す場面が、一番光っていると思いました。004.gif

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに


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by ryott-ryott | 2010-06-10 00:55 | museum

まぼろしの巨大魚を求めて、三浦海岸地引網漁ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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今週の木曜日、久しぶりにエアロに参加。そして、寺澤さんにやっと秋田のお土産を渡すことが出来ました。秋田の旅が終わってから、1ヵ月、経っていました。

6月5日土曜日、大井町湯屋は休館日。この日は三共第一製薬の皆さんが企画した三浦海岸での地曳網漁に出掛けました。
 
 朝7時55分に品川駅でトントンさん、春さんと待ち合わせ。しかし、じゃんけんぽんファミリーの姿はなく、どこに行ってしまったのか。たぶん、もう電車に乗っているのだろうと思い、私も電車に乗っていましたが、姿は見えず。トントンさんに電話したところ、中央改札口の連絡口にいるとのこと。三浦海岸は京浜急行で行くのでありました。
 三浦半島の方に行く乗り物はすべて「東海道線」だという固定観念があり、東海道線のホームで待っていたのです。

 あわてて京浜急行のホームへ行きましたが、乗るはずの電車はすでに発車。トントンさんが待っていてくれました。トントンさんと二人で後発車に乗り、「三浦海岸」駅へ行きました。042.gif

「三浦海岸」駅のホームで春さん、トントンさんの妹さん、龍平ちゃんが待っていてくれました。東海道線では三浦海岸へは行けないのですね。皆さんに笑われてしまいました。

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元和元年(1864年)の6月5日、京都は名物の祇園祭の宵宮で賑わっていました。
三条通り河原町の旅館池田屋には、尊王攘夷派の志士たち約20余人が、各自変装をしながらぞくぞくと集まって来ました。仲間の一人が新撰組につかまったので、その対策を練るためでした。
 しかし、その密議の情報はすでに洩れ、新撰組の隊長近藤勇は彼らの一網打尽を狙っていました。

 集まる志士の人数が多いので、京都守護職と所司代に応援隊を要請しましたが、その応援隊は約束の夜8時になってもやって来ません。
 腹を立てた近藤隊長は、新撰組30人を引き連れて、夜10時に、池田屋を襲撃しました。
 池田屋の2階では、密議も終わり、酒宴の最中でした。そこへ突然の襲撃です。
 敵味方入り交っての激闘1時間、結局志士たちのなかで長州藩士吉田稔麿(としまろ)、肥後藩士宮部鼎蔵(ていぞう)ら、指導者7人が殺され、残りもほとんど捕えられました。

 のちに明治の元勲として知られる木戸孝允(たかよし)も、当時は志士の一人桂小五郎として列席していましたが、芸者幾松(のちの妻)の機転で間一髪のところで助かりました。京都木屋町御池の旅館「幾松」は、彼が当時ひそんでいた旅館です。
 小五郎は、この事件の翌年、藩命によって木戸貫治と改姓。のちに孝允と称しました。

 彼は独裁専制を排した「君臣同治」の憲法の制定を建議したり、参議・文部卿として文明開化の思想を普及したり、西郷、大久保と並んで維新の三傑、元勲の一人に数えられます。
 明治10年(1877年)5月26日、西南戦争の最中に、44歳の若さで病死しました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)
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(2010年 第77回日本ダービー)

先週、第77回日本ダービーの「私のダービー馬」は8番ローズキングダムとしましたが、残念ながら首差の2着。勝ったのは1番エイシンフラッシュでした。「19番目に拘れば、1番か2番が優勝する」なんて書いたら、1番が優勝してしまいました。私は8番の単勝と、8番から2番、3番、4番、5番、6番、7番、11番、13番を買いましたが、1番は買っておりませんでした。「19番目」と「私のダービー馬」を合わせていたら、当たっていたのに。お金は簡単に得られるものではありませんね。
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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と 契りますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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これは買ってきた魚です
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 駅から歩くこと10分、海が広がっており、1カ月後の海開きに備えて、あちらこちらで海の家が建設中でした。

 そして、いよいよ地曳網漁が始まりました。果たして、どんな魚が獲れるのか。トントンさんは獲れた魚をさばくために包丁を持参。
 左右に分かれて、参加者全員で網を引きました。この網は結構重たい、私はすぐに引くのをやめて、写真撮影に徹することにしました。061.gif
徐々に網が引き上げられて、網の先端がわかるほどになり、どんな魚が中にいるのか。刺身の船盛りを頭の中に浮かべながら、見守っていました。ところが、引き揚げられた網の中でのたうち回る巨大魚の姿はなく、網の目のところどころに小魚が絡まっているだけでした。

 毎年、この地曳網漁に参加している方に聞くと、これでも昨年に比べたら大漁とのこと。のたうち回る巨大魚なんか、獲れるわけがないと、一笑されてしまいました。トントンさんの折角の包丁も活躍する場はなく、浜辺でバーベキュー。

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三共第一製薬の石井ちゃんのパートナーもほとんど寝ており、巨大魚4になっていました。037.gif
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 朝はかなり雲が多かったのですが、徐々に陽射しが回復。水着を着た子どもたちが、海辺で一足早い海水浴をしていました。6月なのに、浜辺の砂は陽射しで結構熱かったです。7月8月は砂が熱くて素足では歩けないそうです。
アルコールも入って、朝早かったこともあり、皆さん、浜辺で熟睡。私も赤く日焼けをしてしまいました。068.gif

地引網の中には巨大魚はかかりませんでしたが、浜にはアルコールを飲んだ巨大魚がたくさん寝ていました。
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ポカリスエットを作っている大塚製薬の方々と記念撮影
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帰りに駅前で一杯やりました068.gif
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by ryott-ryott | 2010-06-06 10:20 | 三浦海岸地引網漁