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日本酒試飲会と即身仏の写真の話ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 072.gif072.gif072.gif10月23日(土)は満月でした。久しぶりに晴れたので、東京湾フェリーに乗って夕陽、夕焼けを見に久里浜まで行きました。16:15久里浜港を出て、千葉の金谷港までの往復90分間の航海。昼間、あんなに陽射しがあったのに、夕方になるとまたしても憎っくき歯磨き粉軍団が現れて、夕陽を隠してしまいました。031.gif031.gif031.gif
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 日曜日は日本酒の試飲会が川崎でありました。大井町湯屋仲間の湯浅さんとご一緒しました。069.gif
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 山形県の庄内地区から鯉川酒造さんも出品しており、先日、山形の庄内へ行って来たという話をすると、鯉川酒造さんは私が泊まった「眺海の森さんさん」の余目(あまるめ)に会社があるとおっしゃっていました。
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そして、面白い話を聞くことが出来ました。私が酒田の海向寺で即身仏をお参りした際に即身仏の写真を海向寺で買った話をすると、即身仏の写真を撮ることは禁じられており、国と県から許可をもらって撮影した写真家がたった一人だけいるとのこと、その人こそ、あの土門拳だったそうです。海向寺で売られている即身仏の写真はおそらく土門拳が撮ったものだろうとおっしゃっていました。山形県には8体の即身仏がありますが、そのうち5体が庄内地区内にあるのだそうです。そして、酒造の社長さんも子どものころから即身仏を観に行ったことがあるそうですが、写真を撮ると不幸に襲われるとの話を聞かされてきており、山形では誰も写真を撮ろうとする人はいないそうです。018.gif018.gif018.gif

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 慶応3年(1867年)10月14日、徳川15代将軍慶喜は「大政奉還」を申し出て、10月24日、将軍職を辞任しました。この徳川最後の将軍になった慶喜についての評価はさまざまですが、一般的には芳しくありません。なまじ才人であっただけに、策が多すぎました。
第二次長州征伐に際しても、自ら三軍を率いて先頭に立つと強硬論を吐きながら、幕府軍の敗報がとどくと、腰砕けになってしまいます。

鳥羽・伏見の戦いにおいても、彼が主戦論を強く主張するので、会津・桑名の両藩も出撃しました。ところがこれも、前線から悲報がとどくと、京都守護職の松平容保に警護を命じ、寵妃を連れて、大坂から船で江戸に脱出してしまいました。部下を置き去りにした指揮官の敵前逃亡です。
「大君(将軍)ノ義、一心大切」という家訓のために、誠心忠勤を尽くした会津藩主松平容保は、最初から最後まで、この将軍に裏切られ通しでした。

彼は明治維新後、なお45年の歳月を生き、正室のほか側室二人に一〇男一〇女を生ませ、自らは公爵として優雅な生活を過ごし、大正2年(1913年)11月22日、77歳の生涯を終わりました。

 とりわけて いふべきふしはあらねども ただ おもしろく けふもくらしつ

 慶喜晩年の心境を示す歌ですが、いい気なものです。
 色紙を求められると、よく「善游者溺 善騎者墜」(善く游ぐ者は溺る、善く騎る者は墜つ)と書いたそうです。
 “策士は策に溺る”という苦い体験を反省したせいなのでしょうか。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 この日本酒試飲会で今までになかった趣向の催しがありました。名前は忘れてしまいましたが、川崎在住の姉妹3人組の歌手の歌謡ショウがありました。この季節には不似合いな浴衣姿で、決して流行するとは思えない歌を披露していました。060.gif037.gif060.gif037.gif060.gif
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アルコールがまわって、頭におちょこをのせて、手拍子する人もいました。041.gif041.gif041.gif
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by ryott-ryott | 2010-10-25 21:39 | 日本酒試飲会

いい歳、りょうちゃん、良寛さんの越後路を行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 佐渡島最終日。この日は朝から雨、しかし陽射しはあるという不思議な天気。昔話でよく言われている「きつねの嫁入り」で、縁起がよいとされていますが、やはり雨には止んでもらいたいというのが正直なところです。057.gif057.gif057.gif
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 夕陽に一番近い宿「ホテル吾妻屋」に泊まりながらも、1度も夕陽を見ることが出来ずに「ホテル吾妻屋」さんとはお別れ。新潟港へ向かうジェットホイルに乗るため、両津港へ向かいました。その途中、タクシーの運転手さんへお願いし、佐渡島を横断する国仲平野を一望できる所と両津港の近くにある日蓮上人の銅像が建っている場所へ立ち寄ってもらいました。昨日、尖閣湾から佐渡金山に案内してもらった同じ運転手さんです。040.gif
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 2日連続で御用命いただいたことに感謝されて、柿をひと箱戴きました。運転手さんのお宅でも柿を作っているそうであり、取ったばかりの柿は渋くて食べられないため、柿を逆さまにしてヘタの切り口のところに焼酎を3日くらい漬けておくと渋さが抜けて、甘い柿になることを教えてくれました。ただ柿ひと箱はいかにも多いので、少しで結構ですと申し出ると、その運転手さんは私が持っていた手提げ袋に箱に入っている柿を全部詰めてしまいました。手提げ袋を持つ手が痛いくらい重かったのですが、折角なので、お礼を申し上げ、両津港まで無事に送り届けていただきました。040.gif
 
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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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良寛は、残された詩歌、書簡、遺墨から見て、近世日本の代表的な芸術家であったことは間違いありません。越後出雲崎、土地の名主兼神職の橘屋山本家の長男として生まれました。18歳の時に名主の見習いを始めましたが、出家を志して、21歳で岡山県玉島の円通寺の住職国仙和尚のもと17年間の修行に励みました。

46歳の時に郷里に戻り、国上山の中腹に「五合庵」という草庵を作り住み着きます。そして69歳の時に山を下りて、現在の和島村にあった木村元右衛門の屋敷の中に庵を作ってもらい5年後の1831年1月6日74歳で亡くなりました。

その一生は無欲恬淡(むよくてんたん)、飄々弧(ひょうひょうこ)として、朝な夕な「雪月花」を賞(め)で、詩歌をつくり、座禅を組み、読書と書道に明け暮れる毎日だったそうです。
良寛の晩年、69歳の時に和歌の教えを乞いにきた29歳の若くて美しい尼僧・貞心尼と出会い、幸せな余生を送りました。現在残っている良寛に関する記録は、すべて貞心尼が書き留めたものだと言われています。作家の中山義秀は「40歳も年齢の違う優しい心を持った美しい女性に慕われて死んだ良寛」の死に方に美しい余韻を感じてならないと言っています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 両津港からジェットホイルに乗ること65分、新潟港へ到着。新潟港へ着いた直後はどんよりと雨がぱらつく空模様でしたが、お昼ごはんを食べているうちに、雨が止んで、雲の切れ間から青い空と陽射しがこぼれて来ました。058.gif058.gif058.gif
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 新潟は何回か仕事で行ったことはありましたが観光したことがなかったので、弥彦神社から良寛さんで有名な国上寺(こくじょうじ、地名の「国上」は「くがみ」と読みます)の五合庵、そして即身仏が安置されている西生寺(さいしょうじ)へ行きました。070.gif
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 空はすっかり青空が広がり、弥彦神社のある弥彦山がはっきりと見えていました。越後平野がどこまでも続き、ところどころで稲の刈り取りを行っていました。また新潟の町で目に付いたのはコンビニの近くに精米機が設置してあること。最初は電話ボックスかと思いましたが精米機でした。ご存知のように新潟は米どころであり、普段は精米していない「玄米」の状態で保存・保管し、食べるときに必要な分だけ精米するそうです。玄米のまま保管しておけば、古米になっても精米することで新米とかわらない味で炊きあがるとのこと。そして、新潟の人は玄米を炊いてお米を食べることをしないそうです。都会では健康ブームで玄米を食べたりする人がいますが、新潟の人から見ると「かたい玄米をなんで食べるのか?」という疑問を持っているようです。037.gif037.gif037.gif
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 弥彦神社へお参りしました。祝日ということもあってか結構な人で賑わっていました。弥彦神社に祭られている神様は、かなり嫉妬深いそうであり、男女のカップルでお参りすると神様がやきもちを焼いて、お参りしたカップルにはその後いいことはないと言われています。ひとり旅の私にはそんな心配もなく、お参りを済ませました。また弥彦神社にはうさぎの形をした落雁(らくがん)が売っており、いたずらばかりして神様を困らせていたうさぎが神様の怒りに触れてお菓子にされてしまったという言い伝えがあります。018.gif
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 弥彦神社をお参りした後は良寛さんが実際に住んでいたという「五合庵」へ行きました。五合庵のある公園の一角に良寛さんと子どもたちが遊んでいる銅像があります。良寛さんは里に托鉢に来た際には必ず子どもたちと蹴鞠などして遊んだといいます。村が貧しかったために売られていく子どものことを嘆いて、せめて自分にできることとして子どもたちと遊んであげたと言われています。027.gif018.gif
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 山形の旅から数えること4体目、西生寺に安置されている即身仏、弘智法印をお参りしました。西生寺のご住職の話では弘智法印の即身仏は貞治2年(1363年)10月2日に66歳で入定した日本最古だそうです。山形では即身仏のお寺が真言宗であり、空海の「海」の字を譲り受けているのに対して、この即身仏のお名前には「海」の字はあてられておらず、宗旨・宗派不問と書いてありました。親鸞上人に関係しているとの記録から浄土真宗かと思いましたが、真言宗智山派とありました。また山形のお寺では日本全国に即身仏は16体あるとの説明を受けましたが、ここ西生寺では24体との説明でした。宗派によって数が違うのでしょうか。そして山形の即身仏は丑年の年に衣替えをするのに対して、西生寺では子年に行うとのこと。弘智法印の衣替えのときには必ず天気が荒れて、雨が降るそうです。057.gif031.gif057.gif031.gif
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 また西生寺の宝物堂にはニホンオオカミの剥製や弘智法印等身大の木像、槍奴の首級と言って、弘智法印を槍で突いた者の懺悔の頭蓋骨が展示されていました。弘智法印が即身仏となった後に、安置されている即身仏を見た槍兵が、「死んでいるのに座っているのは、タヌキかキツネが化けているにちがいない」と言って、弘智法印の即身仏の胸を槍で突いたといことがありました。その後、その槍兵は「真の仏を突いてしまった」と言って自害しました。その頭蓋骨が安置されています。031.gif031.gif031.gif
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 天気がいいので、今日こそは日本海に沈みゆく夕陽が見ることができるのではないかと、小針浜へ向かいましたが、沈む直前に雲が出てきて、夕陽を見ることができませんでした。あと20分持ちこたえてくれていたら、見ることができたと思います。しかし南側には三日月が夕月として空に浮かんでいました。072.gif072.gif072.gif

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佐渡島配流の旅、これにて完
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by ryott-ryott | 2010-10-23 23:55 | 佐渡島配流の旅

佐渡金山世界遺産暫定登録ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 058.gif佐渡島は東京23区の1.5倍、伊豆大島の10倍の面積を持つ、沖縄本島の次に大きな島です。沖合は暖流の対馬海流が流れており、冬は暖かく、夏は涼しい気候で、私が訪れた3日間も防寒着は不要で、暑いくらいの陽気でした。058.gif058.gif058.gif
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 058.gif佐渡島2日目の朝は昨日まで降っていた雨が嘘のように上がっていました。テレビの天気予報では降水確率50 %で雨の予報。佐渡島には標高1000 mほどの山があり、天気が良ければ、佐渡島最高峰の金北山へ行く予定でした。しかし佐渡へ出発する前から東京で佐渡の天気が悪いことがわかっていたので、トレッキングの用意はしていませんでした。この日は晴れてはいるものの、前日の雨もあり、金北山は霧がかかって、その姿を見ることもできませんでした。058.gif058.gif058.gif
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 そこで尖閣湾から順徳上皇が火葬された真野御陵と日蓮上人が流されてきた妙宣寺へ行き、その後、世界遺産のリストに仮登録された佐渡金山へ行きました。070.gif070.gif070.gif

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 日蓮宗の開祖日蓮は、安房(千葉県)小湊の漁師の子に生まれました。

15歳で出家して仏教を学びますが、同じ仏陀(釈迦)の教えなのに、天台宗、真言宗、浄土宗、浄土真宗、禅宗など、各宗派に分かれて競い合うのか疑問を感じたといいます。

日蓮は、そのため鎌倉、京都、奈良の各寺を巡訪し、七千余巻の教典を調べ、結論として、「法華経」だけを唱和すれば、それが一番正しいと悟ります。
「南無阿弥陀仏」の念仏と同じく、「南妙法蓮華経」のお題目を唱えれば救われる-これを教義としました。手法は浄土宗と同じです。

ただ、鎌倉仏教としては、最後になったとせいか、日蓮宗(法華宗)以外の宗派は、ことごとく邪教として徹底的に闘いました。各宗派を全部敵にまわしたのですから、再三捕えられ、打ち首寸前、流罪に処せられたり数多くの法難に遭いました。

佐渡島の流罪から赦免された日蓮は、甲斐(山梨)の身延山に道場を建て隠棲しました。
これがのちの日蓮宗総本山久遠寺です。弘安五年(1282年)10月13日、旅先の武蔵国池上(東京都、現在の池上本門寺)で61歳の生涯を閉じました。

日蓮宗は、日蓮の死後弟子たちの力で隆々発展し、数多い分立各派(門流と呼びます)が誕生します。富士山麓に創建された大石寺が、富士門流の一つで、現在の創価学会の本拠になっていることはご存知の通りです。

日蓮は元の襲来を予言し、それを退散させ、今日の福岡市を護ったということで、福岡市の県庁脇の小公園に、大きな日蓮の立像が建っています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)
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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 まずは尖閣湾へ行きました。姫津から揚島まで5つの湾から成り、北欧ノルウェイのハンダルゲル湾の景観に似た海岸美として昭和7年に尖閣湾と名付けられました。船底がグラスファイバーの窓が付いている海中透視船に乗り、尖閣湾を一周。この尖閣湾には昔吊り橋だった別名「マチ子橋」という遊船橋がかかっており、「君の名は」のロケが行われたそうです。061.gif
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 そして尖閣湾のあとは、佐渡島に流された順徳上皇が火葬されたという真野御陵と、同じく日蓮上人が最初に流されてきた妙宣寺に行きました。027.gif
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真野御陵に向かう途中、運転手さんから、この家が拉致被害者の曽我ひとみさんの家だと教えられました。そして夫のジェンキスンスさんは佐渡記念館で通訳として働いているそうです。拉致された当時、曽我ひとみさんは母親と一緒に近所のタバコ屋に買い物へ行き、その帰りに北朝鮮にさらわれました。そのタバコ屋さんも、家から目と鼻の先、100 mもないところです。1978年のことだったそうです。少し昔までは、佐渡にも北朝鮮の船がうろついており、突然に小学生の子どもがいなくなってしまうという事件が度々あったそうです。いなくなってしまった当時は、どうしていなくなってしまったのか、誰もわからずに行方不明ということで片付けられていたそうです。近年になって拉致被害者の顔写真が公表されて、はじめて、あのときに北朝鮮にさらわれたということがわかりました。031.gif

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そして、つい先日10月6日に世界遺産のリストに暫定登録された佐渡金山へ行きました。佐渡金山は相川から車で約20分の場所にあります。宗太夫抗(そうだゆうこう)と道遊抗の2つの見学コース以外に、世界遺産登録申請中の「大立竪抗」「道遊の割戸」「金銀浮遊選鉱場跡」などをマイクロバスで周る産業遺産散策コースがあり、私は産業遺産散策コースを見ました。070.gif070.gif070.gif
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佐渡金山は江戸時代1601年に山師により発見されて以来、平成元年(1989年)まで388年間にわたり、掘り続けられ、金78トン、銀2300トンを生産したと言われています。その間に掘った鉱石の重さは1500万トンに及び、坑道の距離は400 kmに達し、佐渡から東京までを直線で結んだ距離に匹敵します。佐渡金山は、平成15年に鹿児島県の菱刈金山に生産量を抜かされるまでは日本一を誇っていました。ついでに、鹿児島県の菱刈金山は衛星探査により発見され、埋蔵量128トンと推定されています。現在は衛星探査で金鉱脈を発見できることに驚きました。005.gif

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 私は佐渡金山は江戸時代だけ掘られて、明治以降は掘っていないのかと思い込んでいましたが、明治2年(1869年)、佐渡鉱山は主要鉱山として官営化されて、ドイツ人技術者が指導して「大立竪抗」が開削されたそうです。竪抗巻揚室にはエレベーターの巻揚機、空気圧縮機が残されており、巻揚機のそばにネクタイを締め、スーツを着用した男性が立っている写真が資料館に展示してありました。005.gif
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 道遊抗の出口から、山の方へ向かうと。佐渡金山の第2次近代化に貢献した大島高任(たかとう)を祀った高任神社があり、その先に「道遊の割戸」があります。1601年に発見されてから主要な鉱脈として開発された「道遊脈」があり、採掘で山が二つに割れてしまっています。また割戸の下も大規模な採掘がおこなわれ、たくさんの坑道の穴が開いているのがわかりました。018.gif
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 そこからマイクロバスに乗って、北沢地区青化精錬所・浮遊選鉱場跡へ向かいました。昭和18年まで使われており、月間7万トンの鉱石を処理できる東洋一の精錬所でした。その向かい側に「シックナ―」という、精錬で出る泥状鉱物を洗って、鉱物を分離する施設があります。018.gif
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 精錬にはたくさんの電気が必要になるため、明治40年(1907年)に佐渡で最初の石炭火力発電所、北沢火力発電所が建設されました。その跡の建物です。
 現在は、この浮遊選鉱場跡地はときどきコンサート会場として利用されているそうです。018.gif
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 佐渡金山というと、水戸黄門などの時代劇で罪人が働かされているイメージがありましたが、江戸時代のころから鉱脈を掘っていたのは全て技術者であり、罪人が働いていたというのは時代劇のつくり話です。ただ無宿人という人たちが働いていましたが、この無宿人は鉱脈を掘る仕事には付くことができませんでした。主な仕事は坑道の中に湧き出てくる地下水を外に汲み出す仕事をしていたそうです。
 江戸時代は家出をして家族の戸籍を抜くということをしていました。なぜなら、その家出人がよそで罪を犯した場合は、本人だけではなく、その家族、その家族が住む集落全員が同罪に処せられてしまうため、家出した者の家族は他の人に迷惑がかからないように、泣く泣く家出した者を戸籍から抜きました。この戸籍を持たない人を無宿人と呼んでいました。無宿人になってしまうと関所も通ることが出来ないし、真っ当な仕事に就くこともできない不自由な身になってしまいます。そこで幕府は無宿人に対して佐渡金山で水汲みの仕事を10年間果たしたら、戸籍をもとに戻すという御触れを出しました。無宿人の水汲みの仕事は過酷だったそうですが、私たちが考えるほど無宿人の佐渡での生活は酷くなかったといいます。働いていれば、寝る場所、食べるものが提供され、働くことにより収入も得られるといった具合で、10年間の期間を過ぎても佐渡で働き続けた無宿人は結構いたそうです。018.gif

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佐渡島の旅はまだ続きます・・・To be continued.
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by ryott-ryott | 2010-10-21 15:41 | 佐渡島配流の旅

富士登山成功打ち上げ@アレグロ・ピアットヽ(^o^)丿

旅行・地域
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024.gif佐渡島のつづきの前に、今週の16日土曜日は8月の富士登山成功の打ち上げを遅ればせながら、大井町のお店「アレグロ・ピアット」(愉快な皿と言う意味があるようです)で行いました。大井町湯屋仲間のよしこさん、般若の阿部ちゃん、湯浅さんご夫妻、吉田さんご夫妻が集まってくれました。024.gif
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 富士登山のあとは、よしこさんは那須岳へ、私は出羽三山へ、吉田さんのご同僚のナースの方は屋久島へ行くなど、登山・トレッキングがちょっと流行っています。018.gif
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 よしこさんは次回の登山を決めているようであり、東京・奥多摩にある「雲取山」へ1泊で登山して、その山小屋でクリスマスパーティーを行う企画が倉持さんの会社で計画されているそうであり、皆さんをお誘いしていました。
 私の方は登山ではありませんが、11月の勤労感謝の日の飛び石連休に鹿児島へ行く予定です。鹿児島は9月に仕事で出張し、空の青さと桜島ともう一度見てみたいと思ったからです。また「出水(いずみ)」はロシアと中国から1万羽以上の鶴が飛来します。その光景を写真に収めたいと考えています。061.gif

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 秘蔵800年といわれる、藤原俊成、定家、為家など、当時の宮廷歌壇で活躍した人々の書や典籍、古文書類を、ゆかりの冷泉家が公開し、その貴重な文化財を保存するために、「冷泉家時雨亭文庫」が設立されたのは、昭和55年(1980年)4月1日です。
 冷泉家は「御子左家(みこさけ)」といわれる和歌宗家の流れをくみます。御子左家とは、醍醐天皇の皇子兼明親王が、皇子として左大臣になったとき、御子左と称しました。その親王の旧宅に、関白藤原道長の子長家が入り、和歌の指導をつとめたことから、和歌宗家を御子左家というようになりました。

 為家のとき、鎌倉幕府の将軍、歌人で知られる源実朝から、歌の指導のお礼に播磨国細川荘を与えられました。
 為家は最初この土地を長子為氏に相続することを決めました。ところが後妻に入った阿仏尼との間に、為相(ためすけ)、為守(ためもり)の二人が生まれました。為家55歳のときの子です。為家は約束を破って細川荘の土地を為相に譲ることを決めて亡くなりました。
 当然、相続争いが起こります。阿仏尼は、鎌倉幕府に決着をつけてもらうべく、弘安2年(1279年)10月16日、都を旅立ちました。このときの東下りを旅日記にしたのが、出発の日にちなんでつけた、有名な『十六夜(いざよい)日記』です。なかなかの名文です。

 彼女は鎌倉に4年滞在しましたが、折悪しく「元寇」の騒ぎにぶつかり、むなしく京都にもどり、間もなく亡くなりました。そのため為家のあとは、二条家(為氏)、京極家(為教)、冷泉家(為相)と3つに分かれ、対立を深めますが、正和2年(1313年)、幕府が為相に相続を認めます。
 かくて冷泉家が隆盛になり、「歌の家」として歴史が受け継がれて今日にいたったわけです。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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アレグロ・ピアット
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前菜
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グリーンサラダ
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ピッツァ
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パスタ
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前沢牛のリゾット
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プディング

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by ryott-ryott | 2010-10-17 15:15 | 富士登山打ち上げ

いい歳、りょうちゃん、佐渡島へ配流されるヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 10月9日からの3連休は、その昔、流人の島として長く有名だった「佐渡島」へ行ってきました。佐渡島には、まず東京から新潟まで新幹線「Maxとき」で行き、そこからバスで新潟港へ、ジェットホイル高速船に乗り1時間5分で佐渡島の両津港に着きます。070.gif070.gif070.gif
 057.gif057.gif057.gifこの日は朝から雨、出発した東京も雨、新潟も雨、そして佐渡島も雨でした。中国整体の先生は、「あなたが出掛けるところはいつも雨だから、霧の写真を撮ればいい。」と、ひどいことをおっしゃっていました。057.gif031.gif057.gif031.gif

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その前に、前の週の日曜日はじゃんけんぽんのトントンさんと春さんに大森のモツ焼き屋「芝浦食堂」へ連れて行ってもらいました。011.gif

肉刺し
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ユッケ
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ハンバーグの値段はサービス期間中29円
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モツ焼き、最初はキャベツの中に隠れています

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 そして、その翌日は生涯2回目のもんじゃ焼き屋さんへ行きました。お店の名前は忘れてしまいましたが、「夏木マリスペシャル」(1500円)というメニューがありました。このお店に、夏木マリが時々来店して頼んだもんじゃ焼きがこのメニューになったそうです。018.gif

もんじゃ焼きの作り方

    ①鉄板に油を引く。034.gif
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    ②液体以外の具材だけを鉄板の上に乗せ、クタクタになるまで炒めます。045.gif
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    ③炒め終わった具材で丸く土手を作ります。029.gif
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    ④その中へ液体を投入。
017.gif
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    ⑤鉄板全体に広げて、火が通ったら出来上がりです。038.gif011.gif

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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船に乗るまで少し時間があったので、新潟市立美術館で「ブリューゲル展」を駆け足で見ました。070.gif
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「佐渡おけさ」で知られる佐渡島は、今は新潟港からジェットホイルで1時間で行ける観光の島になりましたが、その昔は、日本海に浮かぶ絶海の孤島、「流人の島」でした。

この島が重罪人を配流する遠流(おんる)の地に定められたのは神亀元年(724年)で、以来、明治を迎えるまで1144年間、たくさんの人が流されてきました。
 日蓮、日野資朝、世阿弥などが、その代表的人物です。江戸時代だけでも、その記録によると257人の流人の名が見えます。流人のなかの皇族はただ一人順徳上皇だけでした。

上皇は、後鳥羽天皇の第三皇子で正治2年(1200年)、土御門天皇の皇太弟となり、承元4年に即位し、承久3年(1221年)5月、長男の仲恭天皇に譲位して上皇になりました。
 父の後鳥羽上皇時代、一緒に政権を幕府から奪い返そうとしましたが失敗しました。世に言う、承久の乱です。結果は首謀者の後鳥羽上皇は隠岐の島に、順徳上皇は佐渡島に配流となりました。時に上皇まだ24歳の若さでした。

 上皇は歌人として著名であり、在島中「八雲御抄」6巻を訂正増補したり、「順徳院御集」「順徳院百首」「四十香歌合」など歌集を出し、京都への還幸を期待していましたが、鎌倉幕府はそれを許しませんでした。

 そのうち、父上皇も、長男の仲恭天皇も亡くなり、世をはかなんだ上皇は、都への帰還はすっかりあきらめ、「存命無益」と称して絶食、仁治3年(1242年)9月12日、自らの命を絶ちました。在島22年、46歳の生涯でした。

島のあちこちに、在りし日の遺跡が点在し、観光客の涙を誘っています。004.gif
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 佐渡島の西側の相川地区にある“夕陽にいちばん近い宿”「ホテル吾妻」に泊まりました。
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 この相川地区も両津港からバスで1時間ほど。ホテルの人からバス停「佐渡会館」で降りて、連絡をしてくれれば迎いに行くと言われましたが、いつまで経っても「佐渡会館」というバス停はなく、ついに終点の「平根崎」まで行ってしまいました。どうやら乗るべきバスが違っていたようです。バスの運転手さんに「佐渡会館」は通過しましたか?と尋ねると、とうに過ぎたとのこと。バスの運転手さんが「これから回送で来た道を帰るから、「佐渡会館」で降ろします。」と言ってくれました。「佐渡会館」で降ろしてもらい、そこでホテルへ電話して、迎いに来てもらいました。雨の降る中、すっかり日も暮れて、暗い中、ホテルに着きました。

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 057.gif天気予報では翌日も雨、降水確率50 %の予報。お天気が良ければ、佐渡島の金北山へ行くことにしていましたが、東京で天気がよくないとの情報を得ていたのでトレッキングの用意はしていませんでした。とりあえずは、先日、世界遺産のリストに仮登録された「佐渡金山」へ行くことにしました。018.gif


つづく・・・・・To be continued.
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その晩、ホテルのロビーで「佐渡おけさ」の実演がありました071.gif
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by ryott-ryott | 2010-10-17 11:30 | 佐渡島配流の旅

いい歳、りょうちゃん、出羽三山を完全登拝するヽ(^o^)丿

旅行・地域
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「眺海の森さんさん」からの眺めは本当に素晴らしかったです。蛇行する最上川が流れる庄内平野は、四季の移り変わりで、変幻自在に姿を変えていきます。私が見たのは秋色の最上川でした。056.gif058.gif056.gif058.gif
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朝7時に食堂に行くと、宿泊客40名分の朝食を男性従業員ひとりで用意しており、とても忙しそうでした。今日は鶴東高校の吹奏楽部員も宿泊しており、「眺海の森さんさん」は大賑わいでした。吹奏楽の大会でもあるのでしょうか。060.gif
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飛び石連休最終日は最上川を船で下り、出羽三山の羽黒山へお参りし、鶴岡市内の南岳寺で鉄龍海上人の即身仏をお参りして来ました。本日もタクシー運転手の佐藤さんに案内を頼みました。

 五月雨を あつめて早し 最上川 松尾芭蕉

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 最上川の船下り は、戸澤村にある戸澤藩船番所から最上川リバーポートまで川に沿って約12 kmを約60分かけて下っていきます。JR陸羽西線に沿って、最上川の上流の方へ移動し、戸澤藩船番所で船に乗り込みます。私が乗った船は午前10:50発の57名乗りの大きな船で、ほぼ満席でした。船頭さんは全員で20名いるそうであり、私が載った船は「笑顔No.1」の斎藤静夫船頭と船尾に「生真面目No.1」の皆川裕貴船頭の案内でした。この最上川芭蕉ライン船下りは年中無休、冬の雪が降るときは船の中にコタツが設置されます。
私は水しぶきをかぶりながらの船下りを予想していましたが、流れはゆっくりとおだやかな川を下って行きました。

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 船頭さんの山形弁での説明は楽しく、船内はいつも大爆笑。川は緑に濁っていますが、もう少し澄んでいれば、今の季節は最上川を登って来る鮭を見ることが出来るそうです。目を凝らしてみましたが見えませんでした。027.gif
 川沿いには48の滝があり、すべてに名前が付いています。そして大雨が降ると、48ある滝が100以上に増えるのだそうです。057.gif
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 いかにも伝説であると思ったのは「駒形の滝」。滝の下に半円形の穴が幾つも空いており、それが馬の蹄のあとに見えるので、この名前がつけられたそうです。昔、弁慶が頼朝の追っ手から逃れる際に馬でこの滝の下から駆け上がったときに蹄のあとがついたためと言われています。しかし、この滝を馬で駆け上がることも出来ないと思いますし、蹄のあとにしては穴が大きすぎます。象でもこんな大きな足跡はつけられないと思いました。031.gif
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途中、ふるさと村というところに停泊して、5分ほどの休憩をとりましたが、そこでバレーボールをやっている人がいました。そのすぐ裏は山が迫っており、この人たちはどこから来たのか不思議に思いましたが、向こう岸もある程度のところまでは車で行くことが出来、そこから歩いて来たのだろうと佐藤さんはおっしゃっていました。しかし、この裏山にはツキノワグマがたくさん棲息しているそうです。今年の猛暑でクマの餌になるアケビ、山ブドウ、栗、きのこなどが不作で、食べ物を求めてクマが人里まで出てくることが多いとおっしゃっていました。栗はイガだけ付けて、中身がないとのことでした。この山には、ウサギ、テン、タヌキも棲息しており、夜になると現れるそうです。071.gif071.gif071.gif

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 最上川の川下りは河口から40 kmのところであり、下流にあたるのでゆっくりしたものでしたが、いくつか浅瀬や川幅が狭くなったところは流れが早くなっていました。昔は船に米俵を積んで、酒田港まで最上川を下って行ったそうです。雨などで水かさが増し、流れが早くなった浅瀬では、船がバラバラになって、米俵がすべて川底へ消えていったといいます
 この川下りは昭和27年から行っているそうですが、当初はお客さんが年間で100ぐらいしかいなかったそうです。そして、畑仕事の合間に、川を下りたいお客さんがやって来て、船に乗せたといいます。

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 船頭さんの話と唄を聞きながら、最上川リバーポートに到着。そこから出羽三山の最後の山、羽黒山へ向かいました。
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 出羽三山は月山、羽黒山、湯殿山の総称であり、月山から湯殿山へ行ったことは既に報告しました。そして出羽三山の月山は過去を、湯殿山は未来を、羽黒山は現在を表しているといわれています。羽黒山の開山は約1400年前、第32代崇峻天皇の皇子の蜂子皇子が三本足の烏に導かれて、羽黒山に登拝し、羽黒権現を感得、山頂に祠(ほこら)を創建したのが始まりとされています。皇子はさらに月山権現、湯殿山権現を感得し、三山の開祖になりました。

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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1974年8月26日、ハワイでひっそりと一人の老人が亡くなりました。
かつて、大西洋単独無着陸飛行の快挙を成し遂げて、一躍世界の英雄となった、アメリカの飛行家のリンドバーグでした。

リンドバーグが愛機「スピリット・オブ・セントルイス」号でニューヨークとパリの間を33時間半かけて、大西洋横断に成功したのは1927年5月21日のことでした。
当時は宇宙飛行士が生還したのと同じくらい画期的な出来事でした。
 彼の自伝も映画化されて、「翼よ、あれがパリの灯だ!」と題されて、世界的に大ヒットしたそうです。
 名声と富を手に入れたリンドバーグは世界の有名人として社交界の花形として君臨します。日本にも1932年(昭和7年)にやってきて大歓迎を受けました。

しかし、20年の年月が流れると、リンドバーグを知る人も次第に少なくなり、さらに10年経つと、紹介されてもうなづきもしなくなったそうです。
そして、さらに10年が経つと、この老人があの時の人かという顔つきで人々は彼に接するようになりました。それから先は、リンバーグは一切のパーティに出席しなくなりました。いつの間にかリンドバーグは死んだものと考えられるようになってしまったそうです。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 山頂までは来るまで行くことができます。山形から帰ってから、湯屋仲間の中村さんから登ることが重要だとお小言を言われました。まぁ、いいじゃないですか。山頂の羽黒山神社にお参りして、段数2446段、全長1.7 kmあるといわれる表参道杉並木を下って行きました。前々日の月山・湯殿山の登下山で大腿部が筋肉痛になっており、下りといえども、かなりしんどく感じました。
参道の両側には樹齢350~500年の杉並木が続き、そのうち400本が特別天然記念物に指定されています。参道の終わり近くには樹齢1000以上と言われる天然記念物の「爺杉(じじすぎ)」がありました。昔は「婆杉(ばばすぎ)」もあったそうですが、台風で折れてしまったそうです。

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 また特別天然記念物である国宝の五重塔が建っています。高さ29.6 m。東北最古の五重塔であり、平安時代920年代に平将門によって創建されたと伝えられています。その後、約600年ほど前、庄内領主・羽黒山別当であった武藤政が大修復を行ったと記録されています。
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 最後に弁慶が粕汁を一気に飲み干したといわれる鍋が祀らている黄金堂、鉄龍海上人の即身仏が祀られている南岳寺、やはり五重塔があう善賽寺に行きました。最終日は一日、天気にも恵まれ、青空のもと山形庄内の旅を続けることが出来ました。
 午後3時過ぎに庄内空港に到着。ここで2日間にわたって、庄内を案内してもらった佐藤さんともお別れ。飛行機に乗って帰って来ました。

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 今回の旅はなりゆきの部分も多かったとおもいます。月山、湯殿山、羽黒山の神社を参拝し、さらに3人の即身仏ご上人をお参りして、自分の過去世に出来なかったことなのか、あるいは同じ道を辿って行ったのか、はっきりはしませんが、一区切り出来たような不思議な旅でもありました。

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山形・庄内、出羽三山の旅 これにて完
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by ryott-ryott | 2010-10-08 17:19 | 出羽三山

いい歳、りょうちゃん、即身仏ご上人との邂逅ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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月山・湯殿山の山越えを終えて、湯殿山神社のバス停から湯の浜へ帰りました。バスの車窓から西側の空が赤く染まっていくのがわかりました。あいにく、帰りのバスの中からは山の陰になって夕陽が見えませんでした。058.gif
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山形県の旅3日目、朝の散歩をしていると、宿の近くで朝市をやっていました。そこで試食させてもらったメロンは甘くて、とてもおいしかったです。024.gif

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 3日目は昨年、山形を案内してもらったタクシー運転手の佐藤さんに再びお願いして、山形のおもだったところを案内してもらうことにしました。
 前日に湯殿山神社の行人塚で即身仏を見たという話を佐藤さんにしたところ、酒田市の海向寺には2体の即身仏が安置されており、興味があるならば、そこから行きましょうとの話になり、まずは海向寺から行くことになりました。

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 日本全国では16体の即身仏が確認されており、そのうち8体が山形県内に安置されています。末世まで人々の苦しみを救い、願い事をかなえるため、木食(もくじき)修行と五穀・十穀断ちを行って、修行を重ねた僧だけが即身仏へ姿を変えていきました。

 海向寺の受付で拝観料をおさめて、即身仏堂へ通されました。もちろん写真撮影は禁止。ここにはお二人の即身仏が祀られています。ひとりは海向寺中興1代目住職の忠海上人、この方は鶴岡市に生まれ、もとは武家の出身。1755年2月21日に入寂、58歳でした。もうひとりは海向寺9代目住職の円明海上人。山形県東田川郡栄村の出身で1822年5月8日に入寂、55歳でした。
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 説明をしてくれたのは海向寺の住職、女性でした。即身仏になるためには厳しい木食修行を終え、体の水分、脂肪分を落として、即身仏に近い状態まで体を作り上げなければなりません。お医者さんに即身仏の健康診断をお願いしたところ、即身仏の重さは4 kg台であり、即身仏になる直前の体重は50 kgに満たなかったと言われています。

そして木食修行を終えると、地下3 mのたて穴の中に木製の棺を入れ、その中に入って、鐘を鳴らしながらお経を唱え続けます。そのお経の音が途絶えたとき、即身仏になった瞬間であり、一度掘り起こします。体が崩れていたら、結跏趺坐の姿勢に正して、棺の中に入れなおし再び土をかぶせます。その後3年3ヵ月後に掘り起こして即身仏の体が残ります。

 確認されている8体の即身仏は片目をくりぬかれているそうです。これは当時、栄養状態が悪いこともあり、トラコーマという眼病を患い、失目した目を自らくり抜いて、人々の苦しみを救うための祈願を行ったといいます
。 
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 前日に月山を超えて湯殿山神社へお参りに行ったこと、行人塚にガラスケースの中に即身仏が祀られていることを御住職にお話ししたところ、行人塚に祀られているのは木製のレプリカであることを教えられました。あの行人塚に即身仏の作り物を置くことには賛否両論あったそうですが、湯殿山神社と即身仏との関係をひろく知ってもらうために置くことになったようです。

 そして、御住職から湯殿山を歩いているとき、どんな感じがしましたかと質問され、私は「過去に踏破できなかった人の替わりに偶然にも歩かされている感じがしました」と言うと、それは偶然ではなく必然の出来事であったと、「オーラの泉」でよく聞いたことをおっしゃっていました。
 また先日、たまたま家族連れで海向寺へお参りに来た男性が、その後に、夢の中に円明海上人が現れて、「書きなさい」と言われ、それから何でもメモをとる習慣をつけたところ、仕事もプライベートもうまく行き始めたと言って、ふたたびお礼にお参りに来たとおっしゃっていました。私はまだ夢に出てきてもらっていません。

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 最後に海向寺でお守りと2体のご上人の写真を買いました。写真は撮影禁止なのですが、訪れる人のほとんどが写真撮影を希望されるため、2枚1組500円でご上人の写真を売ることにしたそうです。昔は即身仏はガラスケースには入っておらず、お参りした際に触ることが出来たそうですが、身に纏っている衣や皮膚をお守り代わりに剥ぎ取っていく方が多いため、全身にニスを塗り、ガラスケースに安置しているとのこと。身に纏っている着物は結構ま新しい感じであったので、御住職に尋ねると、丑年の昨年に衣替えをしたばかりだとおっしゃっていました。湯殿山が開かれた年が丑年であったため、12年に1度、丑年に衣替えをします。石のように硬い即身仏に、どうやって着物を着せるのか、大変な作業ではないのかと聞くと、袖さえ通ってしまえば、簡単に着せることが出来るそうです。
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 御住職から「何故、山形に来たのか」と尋ねられ、私は「夕陽の写真を撮りに来たが、前日、月山、湯殿山へ行って、夕陽を撮るチャンスを逸してしまった」と答えると、「また山形へ来るようにとのお告げです。」と言われました。
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毛沢東は「魯迅は偉大な文学者、思想家、革命家である」「魯迅の示す方向こそ、新生中華人民共和国の文化の方向である」と、彼を称賛しています。
 
魯迅というのはペンネーム。本名は周樹人。1881年9月25日、中国淅江省紹興で生まれました。紹興酒で知られるところです。
当時中国は、1840年のアヘン戦争以来、帝国主義国家による侵略が続いていました。
彼は祖国解放を胸に秘めて日本に留学し、仙台の医学専門学校(現在の東北大学医学部)に入学しました。
2年生の時、たまたま日露戦争の記録のスライドを見せられて、中国人がロシアのスパイ容疑で日本軍に虐殺される場面に強いショックを受け、中国の民衆を救うためには、医学より言論活動だと決意して、北京へ戻り、文芸活動に入りました。
中国近代文学の先駆をなす処女作「狂人日記」、世界的名作と言われる「阿Q正伝」などは、この時代に発表されたものです。

1926年、北洋軍閥の文化弾圧と激突した学生運動3・18事件に北京を脱出、アモイ大学、中山大学(広州)で教鞭をとりながら、翌年上海に潜入。次第にマルキシズムに傾き、左翼作家連盟の指導者として頭角をあらわしてきました。

そして1936年、抗日戦争突入の前年、民族統一戦争の半ば、惜しくも上海の寓居で亡くなりました。
現代中国では、魯迅について毛沢東や周恩来などの革命指導者の師としての待遇を受け、生地紹興をはじめ、ゆかりの地北京と上海にそれぞれ魯迅博物館が建てられています。
最近は、上海虹口公園にある魯迅の墓は、日本人観光客が参拝する名所の一つになっています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)




(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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海向寺で即身仏のお参りをした後、十六羅漢を観に行きました。遥か西の日本海には昨年行った飛島が板のように浮かんで見えました。
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その後、鳥海山八合目まで行き、庄内平野を一望。鳥海山八合目はかなり冷え込んでいました。
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そして、玉簾の滝を見て、「眺海の森さんさん」へ向かいました。

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最終日は「眺海の森さんさん」に泊まることにしました。決して大きな宿ではありませんが、部屋もきれいであり、また部屋からは蛇行した最上川を見ることが出来て、「一眼レフの旅」の中で最もいい宿であったと思います。
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そして天気は回復傾向であり青空も広がっていましたが、残念ながら赤いルビーのような夕陽を見ることはできませんでした。北の方から次々と流れてくる歯磨き粉のような雲に太陽は隠されてしまい、展望台に夕陽を見に来ている人が何人かいましたが、あきらめて帰って行きました。何しろ夕陽を見ることが出来る確率は12分の1なので、前日夕陽が見えたということは、向こう10日間は見ることが出来ないということになります。海向寺のご住職がおっしゃったように、また山形へ来るようにとのお告げなのでしょうか。016.gif

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山形の旅はまだまだ続きます。To be continued.
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by ryott-ryott | 2010-10-06 02:11 | 即身仏

いい歳、りょうちゃん、月山から湯殿山神社へ参拝登山ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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雨から始まった山形県の旅。2日目は月山へ行くことにしました。今回の旅の中で、月山へ行くことを密かに考えていましたが、前日の雨であきらめかけていました。057.gif
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 朝起きると、前日の雨はすっかりあがって、西側の空には秋分の日の満月が浮かんでいました。これが太陽だったら、どんなに美しい夕景になるでしょう。私には太陽より月がお似合いといったところなんでしょうか。夕日の名所と知られる湯の浜でも、太陽が水平線にきれいに沈むのは年間30日程度しかないそうです。確立12分の1、10日に1回もないことになります。058.gif
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 天気が回復傾向であるため、2日目は月山へ行くことにしました。標高1984 m。8合目まではバスを乗り継いで行き、そこから登山開始。もちろん富士山に比較すれば、かなり登りやすく、高齢者でも容易に踏破できるということは聞かされていました。ガイドブックなどには8合目から月山頂上まで所要時間2時間30分から3時間と書いてあります。
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 朝6時過ぎに旅館を出発。7時2分に鶴岡駅前からまずは羽黒山頂上へ行き、そこから月山8合目まで行くことになります。羽黒山頂上でバスを乗り換えるのかと思ったら、月山8合目へ行くバスも同じバスであり、羽黒山頂上で休憩したかたちになっていました。
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 車1つ分の幅の山道をバスに揺られて、月山8合目へ向かいました。バスの運転手さんは対向車にはかなり気を使っており、無線で向こう側から車が来ないかどうかを多分終着点と確認しながら運転していました。終点月山8合目には9時前に到着。結構、気温が低く、富士登山のときに持って行ったレインコート上下を駐車場で来て、9:00にいよいよ登山を開始しました。
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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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「少にして学べば、則ち壮にして為す有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず、
則ち死して朽ちず。」(佐藤一斎「言志四録」より)
(少年の時に勉強をすれば、壮年になった時に何事かをなすだろう。壮年の時に勉強をすれば、老年になっても気力が充実して、頭がボケるようなことはない。老いてなお勉強を心がける人は、寿命も長く、社会に役立ち、みんなから尊敬を受けて、その名声は消えることはない)

「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛(つつし)む」
(人間はとかく自分には甘く、人には厳しくあたる人が多いが、本当によい人間関係を作るためには、春風のようななごやかな心で人に接し、秋霜のような厳しさで自分を律することが大事である)

幕末の儒学者 佐藤一斎の語録「言志四録」にある言葉です。佐藤一斎は、安永元年(1772年)に生まれて、幼時より学に志し、はじめの岩村藩の儒臣として勤めていましたが、天保の改革の時に老中水野忠邦によって、幕府の大学校「昌平黌(しょうへいこう)」の教授として登用され、朱子学、陽明学を教えました。門下生は、諸大名をはじめ3000人。佐久間象山、吉田松陰のような学者、勝海舟、坂本竜馬、伊藤博文、西郷隆盛など、明治維新に活躍した逸材を輩出しています。

佐藤一斎は、その言葉の通り、「老いて衰えず」、安政6年(1859年)9月24日、87歳で亡くなりました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 月山の登山道は途中まで板が敷いてあり、その後は石の多い道になります。富士山のような砂利道とは違い、大きい石で登山道が敷かれていました。かなり登りやすい登山道だったと思います。ただ頂上に近づくにつれて、なだらかな斜面から、急な登り道の数も増えていました。042.gif042.gif042.gif

 やはり坂道を登っていくため、スタート地点ではかなり寒く感じていましたが、登るうちに汗が滲み、レインコートをリックサックの中にしまって、カメラ片手に登山を続けました。空は快晴ではなく薄曇りでしたが、遠く鳥海山、庄内平野、日本海を望むことができました。

 登山スタートからちょうど3時間、12:00ごろに山頂に到着。月山神社にお参りし、持ってきたおまんじゅうとお茶で約30分ほど休憩しました。

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 12:30下山を開始。月山の登山客のほとんどは登ってきた道を引き返していきます。そして、2番目に多いのは反対側の姥ヶ岳まで行って、そこからリフトで麓まで下りていくルートをたどります。
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 私は登ってきた道も引き返さず、姥ヶ岳からのリフトでの下山も選ばず、湯殿山へ行くことにしました。ガイドブックには湯殿山の方へ下山に要する時間は2時間30分ほどと書いてあったことと、地図を見るとその道のりがとても短く見えたからです。ところが、その安易な気持ちが災いしました。下山して、湯殿山と記されている方向の道を進み、「金姥」というところから、今まで歩いて来た道とは一転して、うっそうとした木々が生い茂る、クマがどこかから出て来そうな道でした。
 この「金姥」から地図の上で「鉄のハシゴ」と書かれている場所に辿り着くまでかなりの時間を要しました。本当にこの道で合っているのだろうか、違う道に入ってしまったのではないか、という不安にさいなまれながら、道を進みました。そして、ようやく「鉄のハシゴ」と書かれている場所に到着。そこから見下ろすと、50~60 度はあるだろうと思われる傾斜の崖に、5 mくらいあると思われる、まさに「鉄のハシゴ」が立て掛けてあり、下山するには「鉄のハシゴ」を下っていくしかありませんでした。一段一段ハシゴに足をかけて、5 mの「鉄のハシゴ」をクリア。しかし、またもや同じ「鉄のハシゴ」が出現。なんと同じ長さはあると思われる「鉄のハシゴ」が5本ありました。短いものも含めれば6本分はあったと思います。この「鉄のハシゴ」を抜けるのに約30分かかりました。やっと「鉄のハシゴ」が終わったと思ったら、今度は急な石段が続きます。しかも前日の雨で川になっていました。しかし、もう引き返す時間はありません。川になった下り道を下って行きました。1回、足をとられて尻もちをついてしまい、パンツがビショビショになってしまったかとも思いましたが、まったく濡れることはなく、トレッキングシューズもズボンも水を通さないことに驚きました。そして第二の関門の川の下り道も何とか突破、ここも30分はかかってしまいました。

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 川の道を抜け、しばらく歩き、最終目的地の湯殿山神社に着きました。ガイドブックにある所要時間の2時間30分を大きく超えていました。月山の登山では、登る人も降りてくる人もたくさんいたのですが、湯殿神社からの登って来る人も降りて行く人も誰もいなかったのがわかりました。
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語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな 松尾芭蕉
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 昔の人はこのようにして山を越えて、湯殿山神社へお参りしたんだなと思うと同時に、昔は「鉄のハシゴ」なんてなかった筈だから登るのも降りるのも相当大変だったに違いありません。
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 湯殿山神社では本宮に入る前に素足になって、お祓いを受けなければ、中に入ることが出来ません。お祓い場でお守りと人形(ひとがた)を受け取り、わが身の穢れを人形へ移して、最後に息を吹きかけて、渓流に流します。中にはいると「岩供養」といわれる大きな岩があり、その上からはお湯が湧き出ています。この大きな岩は女性自身をかたどっており、ここをお参りすることにより「生まれ変わり」を約束されるそうです。
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 最後は本宮の中でお参りして、出口のところで足湯を使い、出て来ました。032.gif032.gif032.gif
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 湯殿山神社の大鳥居の横に「行人塚」があり、即身仏として入定する場所だったようです。「行人塚」の真ん中にガラスケースの中に何と「即身仏」が祀られていました。しかし、後日、酒田の海向寺で木製のレプリカであることを教えてもらいました。031.gif
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 月山・湯殿山から夕闇せまる中、湯の浜へ戻って行きました。

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山形の旅はまだまだ続きます。To be continued.


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by ryott-ryott | 2010-10-04 00:26 | 月山・湯殿山

いい歳、りょうちゃん、雨の庄内平野へ行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 9月23日からの飛び石連休は、山形県へ行きました。昨年のシルバーウィーク以来、2回目です。今回は夕日の名所、湯の浜と「眺海の森さんさん」に泊まる予定です。
「夕陽を撮ることが出来れば、いいなぁ」という気持ちで旅に出ましたが、初日の23日秋分の日は東京は朝から雨、庄内空港についても雨でした。057.gif

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 実は飛び石連休の山形旅行から帰った後、すぐに鹿児島へ出張しましたが、秋分の日に庄内空港には鹿児島から多くの方が山形を訪れていました。鹿児島と庄内は姉妹都市の関係にあるそうです。戊辰戦争のときに、庄内藩は東北の諸藩と奥羽列藩同盟を組み、倒幕軍と戦いましたが敗戦。しかしながら、西郷隆盛の寛大な措置に寄り、大きなお咎めはなかったといいます。その隆盛に対して、庄内は恩義を感じ、西郷の教えを請いに鹿児島まで何度も訪れて、その交流が今日まで続いているのでそうです。現在では、鹿児島の子どもたちが、山形へスキーを教わりに来たり、山形の人たちが鹿児島へ行き、西郷さんのお墓をきれいに掃除するといったことが行われているとのことでした。004.gif

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 明治維新の三傑といわれるのは、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の3人です。
 なかでも西郷の維新に果たした功績は、例の勝海舟との江戸城無血開城の談判など、民衆に広く知れわたり、その名声、人気は抜群で、明治2年(1869年)の論功行賞でも、それを反映するかのように、最高の賞典禄を下賜されています。
 しかし、隆盛は晩年、「幕末の功臣、維新の賊臣」と称されるように、征韓論で敗れ、西南の役で敗れ、ついに明治10年(1877年)9月24日、敗戦の責任をとって自刃しました。
 昔から西郷隆盛の人物評には二説あります。ひとつは、日本的リーダーの魅力とされる、無口、豪放磊落(ごうほうらいらく)、人情味を備えた、軍事的指揮官として名将ぶりを強調する説。
 もうひとつは、彼の風貌人柄にごま化されるが、所詮は軍事的指揮官に過ぎず、平時の行政能力、国際感覚などの先見性はゼロ、彼を買いかぶり過ぎているという説と二つあります。
 朝敵の汚名をきたまま悲劇的な死を遂げても、義経に対する“判官(ほうがん)びいき”と同じく、国民の隆盛に対する人気は一向に衰えをみせません。
 明治政府は明治22年(1889年)、西郷に貼り付けた「賊」の名を除き、剥奪していた正三位を改めて追贈しました。
 折柄の軍国主義熱に便乗し、隆盛を「征韓論の英雄」に復活させ、朝鮮半島侵略のムードづくりに利用するためです。
 明治31年(1898年)12月18日には、上野公園に西郷隆盛の銅像を建て、朝野の名士を招き盛大な除幕式を行いました。
 この日隆盛の夫人が招かれましたが、除幕した銅像の顔を見て「うちの人、こげん顔していません」と漏らし、関係者をあわてさせたという秘話が伝わっています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)




(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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致道博物館(ちどうはくぶちかん)。
民具のコレクションや、縄文時代の土器などの展示がありました。昨年行った飛島の洞窟内の人骨もありました。

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 折角、夕陽の名所に来たにもかかわらず、この雨では夕日も月も見ることはできません。この秋分の日は満月でもありました。庄内空港から湯の浜の宿に向かい、とりあえず荷物を置いて、雨の中、鶴岡へ行きました。鶴岡公園は北川景子が主演した「花のあと」のロケ地だったようです。お濠があって、かつて鶴岡城があったそうですが、山形県内のお城は明治以降ほとんどが取り壊され、残っておりません。そのお堀の内側に、今年の4月にオープンしたばかりの藤沢周平記念館があり、先ほど庄内空港にいた鹿児島の人たちが見学中でした。070.gif070.gif070.gif
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 果たして明日からの天気が気になるところです。058.gif058.gif058.gif

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 庄内平野の旅はまだまだ続きます。To be continued.
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by ryott-ryott | 2010-10-03 14:38 | 奥の細道

いい歳、りょうちゃんの善光寺参りヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 水曜日、久しぶりに大井町湯屋へ行きました。いいのでしょうか!入籍したばかりの新婚の晴れ男さんが、きれいな女性の後を追って、Aスタジオで仲良くマーシャルアーツ。そのあとも、トレーニングの個人レッスン。理枝ちゃんには内緒にしておきます。晴れ男さんは善光寺に懺悔のお参りをした方がいいと思います。037.gif037.gif037.gif
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 白馬スキージャンピングスタジアムとオリンピック記念館を見た後は、長野駅の方へ向かいました。長野駅は白馬からバスでもタクシーでも約1時間で行くことが出来ます。黒部もそうでしたが、長野県内では至る所に「おやき」が売っていました。「おやき」で村興しというところもあるようです。もともと山間部の多い長野では、お米があまりとれなかったため、そば粉などで皮をつくり、その中に季節の野菜を入れて焼いて食べていたとのこと。春は野沢菜、夏は茄子、秋はきのこといった具合です。004.gif
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そして3連休最終日後半は、「遠くとも一度は詣れ善光寺」へ行きました。070.gif070.gif070.gif

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 残念ながら善光寺の本堂をはじめとする建物の中はすべて撮影禁止。仕方がないのでガイドブックの写真をスキャンしました。061.gif
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おびんずる様 撫仏といわれ、自らの患部と同じところを撫でると、神通力で治るといわれています。
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五百羅漢。
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釈迦涅槃像。
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御本尊。
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  「雨にも負けず 風にも負けず」

 詩人である宮沢賢治は、実は様々な顔を持っています。児童文学者、農村指導者、地学者、化学者、法華経信者、求道者(ぐどうしゃ;仏教で正しい道を求める者)・・・。
その宮沢賢治は昭和8年9月21日、急性肺炎で亡くなりました。37歳でした。
 賢治の故郷、岩手県花巻市郊外に高村光太郎とともに、宮沢賢治の立派な記念館が建っています。

 宮沢賢治は農民に対して大変同情的な詩を残していますが、同情だけでは農村問題は解決できない、所詮は大金持ちの息子の域からは出ていないとか、生涯独身で通したことに、実は実家には当時もっとも恐れられていたハンセン病の血が混じっていたために、独身であったなど、そんな見方もされていました。

 最近は「銀河鉄道」のアニメ化で宇宙的広がりをもつ詩人として、「賢治再発見」が行われています。宮沢賢治自身が楽器を弾き、作詞、作曲、指揮までやって、当時の東北地方では代表的な音楽愛好家であったことはほとんど知られておりません。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 善光寺の内々陣床下に戒律を受けるための場所である「お戒壇」巡りがあります。一筋の光もなく、目を開けていても、目を閉じていることと同じです。壁を手探りで進み、ご本尊が安置されている真下に「極楽の錠前」を探し当てることが出来ました。この御本尊の分身ともいわれる錠前に触れることによって、極楽往生が約束されるそうです。
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 ガイドブックすべてにあるものを見るには至りませんでしたが、本堂の御本尊をお参りし、「お戒壇」巡りを行い、輪廻塔で輪廻車を回して、仏足跡を見てきました。
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 開帳や 杏の中の 善光寺   丸山晩霞
 
 二番草 過ぎて善光寺 参りかな 小林一茶

 月影や 四門四宋も 只一ツ   松尾芭蕉

 元旦の 旅の序や 善光寺    高浜虚子

六地蔵尊
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延命地蔵尊
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1400年の歴史を刻んできた善光寺をあとに、長野新幹線で帰って来ました。072.gif072.gif072.gif

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長野県の旅 完

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むじな地蔵
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念ずれば花ひらく地蔵

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by ryott-ryott | 2010-10-02 19:19 | 善光寺