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いい歳、りょうちゃん、開聞岳周辺散策ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 南国の旅のつづきを書く前に、土曜日はじゃんけんぽんでボジョレーヌーボーの試飲会がありました。今年の解禁日は11月19日(金)でしたが、私が飛び石連休に鹿児島へ行くことを予定していたので、トントンさん、春さんが試飲会を27日(土)に延ばしてくれました。
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 今回の試飲会には皆さん、ご予定があったようであり、大井町湯屋チームは私だけでした。春さんが、第一三共製薬の世捨て人チームのテーブルに席を用意してくれました。
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 普通にしていても変顔なのに、もうすこし写真写りを考えてもらいたいものです。
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 春さんたちが通う整体の先生ご夫妻ともご一緒しました。整体の先生と聞いていたので、かなりの年配者かと思っていましたが、かなり若い方でした。私が通っている整体の先生も私よりは年下でした。しかし、私より年上に見えます。

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 世界的に権威のある「ノーベル賞」は、ダイナマイトを発明したスウェーデン人のアルフレッド・ノーベルがそのダイナマイトによって得た巨万の富を財源に、彼の遺言によって設けられた賞です。
 物理学部門、化学部門、生理学並びに医学部門、文学部門、国際親善並びに平和部門、経済学部門の6つの分野で、日本でも湯川秀樹、川端康成、佐藤栄作、朝永振一郎、福井謙一、江崎玲於奈の6人が受賞しています(その後、利根川進、大江健三郎、白川英樹、野依良治、小柴昌俊、田中耕一、下村修、南部陽一郎、鈴木章、根岸英一の10人が受賞)。
 この「ノーベル賞」が設けられた背後にはこんなエピソードがあります。
 1888年4月12日に、彼の兄ルードウィヒ・ノーベルが亡くなりました。どう間違ったのか、フランスのある新聞が、弟である彼の死亡記事をのせ、追悼文までのせました。
 ダイナマイト発見の大きな功績を称えながらも、そのダイナマイトが戦争の凶器として猛威をふるい、世界の人類はその悲しみに沈んでいる。彼はその悲しみをよそに莫大な利益を挙げた、いわば「死の商人」であった。と・・・・・・
 自分の死亡記事を読んでノーベルはびっくりしました。同時に自分のことを世間では「死の商人」とみられていることを知って、大変ショックでした。
 彼は理想主義者で、技術の進歩が平和をもたらすと信じていました。世間はそう思っていなかったのです。
 彼は1895年11月27日、63歳で亡くなるまで独身でした。財産を譲る人がなかったことも幸いし、「人類に貢献した人にこの財産をわけ与えたい」という彼の遺志で、この賞が生まれました。
 日本でも「死の商人」に近い、あこぎな金儲けをして財産を残した人はたくさんいます。彼らにもこの逸話を教えてあげたいと思うのですが・・・・・。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 11月21日(日)、開聞岳の登下山を無事に終えて、開聞岳展望台へ戻ってきたのは下山開始後2時間30分の13時30分でした。ホテルへの送迎バスは近くのゴルフ場から出ていると言われていました。近くと言っても、歩いて30分ほどかかりました。途中、とぼとぼ歩いている私を見た地元の人が道に迷ったのかと声をかけてくれました。
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 ゴルフ場に14時00分に到着。しかし、送迎バスの発車時刻は15時50分であり、まだ2時間近くありました。そう言えば、出発前にホテルからは15時50分までにゴルフ場まで戻って来てくださいと言われておりました。すぐにホテルに電話をして、送迎バスの予約をキャンセルし、ゴルフ場でタクシーを呼んで、ホテルに帰ることにしました。
折角なので運転手さんにお願いして開聞岳全景が見えるところに寄ってもらうことにしました。まずは開聞岳の麓にあるトカラ馬がいる公園に行きました。ここはかつてはレストランなどがあり、「新婚さん、いらっしゃい」の収録も行われたことがあり、たくさんの観光客が訪れていたそうですが、バブル崩壊後に経営が破たんし、建物・公園を管理するだけになっているそうです。

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 開聞岳山頂にあった御神体を祀る枚聞(ひらきき)神社。樹齢800年のクスノキがあり、その幹の分かれ目から桜の木が生えています。当然ですが、春になるとクスノキに桜の花が咲くそうです。
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 開聞岳は池田湖側から見た山容と、南側の海から見た山容を比べると、海から見た開聞岳のほうがはるかにきれいだとおっしゃっていました。開聞岳を紹介しているガイドブックに載っている写真はこのアングルで撮影している写真が多いそうです。
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 九州一の淡水湖、池田湖。
 
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 池田湖にはイッシー伝説があり、こんなウナギが生息しています。現在ではこの大ウナギは天然記念物に指定されており、捕獲が禁じられていますが、かつては取って食べていたそうです。話を聞く限りでは、おいしくないそうです。
 またイッシーの正体は大ウナギだと考えている人も多いようですが、大ウナギは夜行性であり、昼間に目撃されていることから、大ウナギ以外の巨大生物だと主張する方もいます。イッシーは騒がれた9年前には数多く目撃されましたが、その後、目撃されなくなっています。

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 最後に長崎鼻へ寄ってもらい、そこからの開聞岳も見ました。
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 夕陽も見えました。
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 ホテルに帰る途中、東の空には十六夜(いざよい)の月が昇って来ていました。

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To be continued.
つぎの南国の旅は出水の鶴を訪ねました。

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指宿駅の近くにあるお店「さつま味」を紹介してもらいました。
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きびなごの刺身
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黒豚
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白子の唐揚げ
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自然薯
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月日貝(つきひがい)
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by ryott-ryott | 2010-11-30 01:41 | 南国・鹿児島の旅

いい歳、りょうちゃん、開聞岳にチャレンジするヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 大井町湯屋に二股温泉のお湯が入るとの宣伝がありましたが、壁に炭酸カルシウム97 %の石が入った籠に湯を通すというものでした。私が茨城県へ出張に行くときによく利用するホテルテラスザガーデンの浴場と同じものでした。
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 今回、南国の旅で泊まった宿は指宿いわさきホテルです。大浴場のほかに砂むし温泉があり、温泉で温められている砂の上に横たわり、首から下の体全体に砂をかけてもらう蒸し風呂のようなものです。あいにく写真はありませんが、11月21日は月を見ながら室外での砂むし温泉に入りました。しかし体重は減りませんでした。
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 最初は砂場に温泉か温めた水を流しているのかと思いましたが、砂場の下から温泉が湧いており、砂が温められているとの説明を受けました。砂むし温泉の温度は刻一刻と変化しています。これは海の潮の干満に影響されるためです。潮が満ちてくると、砂の下の温泉が持ち上げられて、砂の温度が高くなります。その逆に潮が引いて行くと、温泉も降下するため砂の温度も下がります。私は潮が引いたときの砂むし温泉がちょうどよいと感じました。満潮時は熱くて、お尻が火傷するのではないかと思い、15分も入っていられませんでした。
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 大隅半島の向こう側から昇る朝陽がとてもきれいでした。

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 “一休さん”は頓知のきく小坊主として、子どもの世界でも漫画やテレビでおなじみです。
 一休の諱(いみな)は宗純といい、後小松天皇の子ともいわれますが、京都に生まれました。6歳のとき、安国寺という禅寺に入り修行しましたが、20歳のころには悟りを開くことができないのを悲観して、琵琶湖に身を投げたこともあります。

 一休はその後、華叟宗曇(かそうしゅうどん)という名僧に師事して悟りを開き、81歳のとき、勅命で、天下に名高い京都の大徳寺の第46代の住職となり、紫衣を賜りました。『自戒集』のほか、詩集『狂雲集』などの著作もあり、文明13年(1481年)11月21日、87歳で亡くなりました。

 頓知と奇行は有名ですが、彼らしい逸話があります。「一休の遺言状」です。一休和尚は臨終のとき、遺言しました。
「この遺言状は、自分が死んでもすぐに開けてはならぬ。本堂の仏壇の中に大切にしまっておき、百年二百年の後の世の中で、一山興亡という一大事が生じ、衆知を集めてもその結論がでない危急の際に限って読むがよい。そうすれば、その大事件の解決方法がたちどころにわかるだろう。」

 その後、長年にわたって遺言状は開封されずにいましたが、ついにあるとき、大徳寺本山の浮沈にかかわる大問題が起きました。山内の名僧智識が集まって鳩首協議をしましたがよい知恵がでません。
 そのときだれかが一休の遺言状を思い出し、早速開けてみました。
 「ナルヨウニナル、シンパイスルナ」これが全文です。満座は思わず、アッといいました。いかにも一休和尚らしい話です。最善を尽くせば、あとは新しい道が開けるという話です。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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南国の旅、2日目は開聞岳に挑戦しました。標高924 m。錦江湾の入り口にたたずむ開聞岳は、きれいな円錐状の山で薩摩富士とも呼ばれるとおり、富士山のように美しい山です。海外から日本に航海する船にとっては、この開聞岳がよい目印になっており、以前は「海門岳」と書かれていた時代もありました。かつてフランシスコ・ザビエルもこの開聞岳を目印に航海し、鹿児島市の祇園の洲海岸、現在、石橋記念公園があるところに上陸したと言われています。
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この日はとてもいい天気。ホテルの庭で大隅半島から昇る朝陽を拝み、朝7:20ホテルの送迎バスで開聞岳展望台のある2.5合目の登山道入り口へ向かいました。開聞岳に登山するために県外からに訪れる人も多く、とても流行っていると聞きましたが、送迎バスに乗っているのは私ひとりだけでした。
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バスに乗ること約30分、展望台の先にある登山道入り口前に到着しました。簡単なストレッチを行って、入口に置いてあった台帳に、登山開始時刻、氏名、住所を書き込み、いよいよ登山開始、午前7:50。開聞岳の登山道は頂上までカタツムリの貝のようにらせん状になっています。ホテルからの送迎バスには私ひとりしか乗っていませんでしたが、たくさんの方が登山道を往来していました。早い人は午前4時に登って、頂上でご来光を見て、下山するという登山者もいて、午前8時30分くらいに下山する数人の方とすれ違いました。
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7:50 登山道入り口 2.5合目。
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登山道に入るといきなり、こんな道。よく晴れているのに山道は薄暗かったです。
結構、岩が多いです。
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8:20 4合目を過ぎると階段がありました。
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8:40 5合目からは長崎鼻と竹山が見えました。
この前後で下山する人たちとすれ違いました。
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9:20 7合目から岩も大きく、多くなり、傾斜がきつくなりました。
   そして何人もの年配登山者に追い抜かれて行きました。041.gif
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登山道に大きな穴があり、足場に気を使いながら登りました。開聞岳が噴火した時に溶岩で洞窟がせり上がり、仙人洞と呼ばれています。昔、山伏たちがこのほら穴に入って修行したと言われています。しかし入ってしまったら、二度と出ることができないと思います。042.gif
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8合目からさらに険しくなり、9合目から枕崎方面の海岸線を眺めることができました。
時刻のチェックを忘れていました。
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そして、こんなところにハシゴとロープが。
しかし、ハシゴがかけてあったため安心して登ることが出来ました。

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このあとも頂上まで、かなりの傾斜があり、しかも岩場の山道が濡れているため、滑ります。そんな山道を、さきほど私を追い抜いて行った年配者集団がスイスイと下山して来ました。私がこんなに足場を気にしながら登っているのに、年配者たちはそんなことに気を取られるといった様子はなく、流れるように下りて行きました。滑落してもいいと思いながら下山しているのでしょうか、そんなベテランの年配登山者の方たちに「あと少しなので頑張ってください。」と声をかけられました。
山登りのよいところは、行き交う人たちと挨拶を交わしながら、時には自分と同じペースで登っている人たちと話をしながら登山することで少しホッとし、険しい道が続く苦しさが半減することではないでしょうか。
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10:30 登山開始から2時間40分。ようやく山頂に到着。三角点922 m、標高924 m。
持って行った焼き芋とたい焼きを食べながらしばしの休憩。
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北側に池田湖が見えました、そして長崎鼻、竹山。枕崎方面。桜島からの噴煙と、中国からの黄砂の影響で景色は霞んでいましたが、天空は雲ひとつない青空でした。
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30分ほど、写真を撮りながら休憩したあと、枚聞(ひらきき)神社ご神体に無事登頂できたことへのお礼と、これから無事に下山できることをお願いして、11:00に下山開始。

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急な斜面と山道が滑るため、下山は登りよりも気を使いました。写真を撮る余裕はありませんでした。下山でも何人もの人に追い抜かれて行きました。しかし、肝心なのは自分のペースを守ることだと言い聞かせながら、下山を続けました。ハシゴ、急な岩場の山道、仙人洞を通過して、7合目まで戻ってきたあたりから、安心して下山できる山道になりました。
先ほど、私を追い抜いて行った若者のひとりがペースを落とした年配者をサポートしながら下山していました。私もその二人と一緒に下山を続けました。そのおばあちゃんは「男の人ふたりと一緒に下りることが出来て、何とも心強い。」と言ってくれました。私もお二人と一緒に下山できて、安心して、楽しく、登山口まで戻って来ることが出来ました。

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13:30。登山時に記入した台帳に下山時刻を書き入れて、開聞岳挑戦は無事に完了。
 開門岳展望台のまわりには、つわぶきの花がたくさん咲いていました。

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To be continued.
南国の旅はまだまだ続きます。

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by ryott-ryott | 2010-11-28 11:27 | 南国・鹿児島の旅

南国の旅の始まりは酒蔵見学からヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 11月の飛び石連休に九州・鹿児島へ行ってきました。今回の旅の目標は2つありました。1つは出水(いずみ)の鶴を見ること、そしてもうひとつは開聞(かいもん)岳にチャレンジすることでした。4連休は22日の半日だけが雨で、その他はとてもいい天気でした。
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 鹿児島旅行記の前に、大井町湯屋仲間のてらりんさんから山登りをするためのアドバイスをいただきました。コンパスと登る山の細かい地図を持っていくことを勧められました。開聞岳の地図は手に入らなかったのですが、コンパスをお台場のアウトドアショップに買いに行きました。あんな、おもちゃみたいなものが3000円もすることに驚きました。仕方なく購入し、今回の鹿児島旅行へ持参しましたが、開聞岳のどこかで落としてしまったらしく、一度も方位を確認することなく失くしてしまいました。
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 帰りにお台場海浜公園へ立ち寄ると、年配者たちが一眼レフカメラを片手に撮影の練習をしていました。

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 鋭い皮肉と辛辣な警句を吐く爺さんとして知られる、イギリスの劇作家バーナード・ショーは、1856年7月26日、アイルランドで生まれました。
「世界で一番面白い冗談は、本当のことを言うことだ。」毒舌家でもあるショーは、はじめ新聞記者でしたが、社会主義運動家になり、音楽評論家になり、最後に劇作家になった人です。
機知と風刺のきいた作品には定評があり、1924年にはノーベル文学賞を受賞しました。1950年11月20日94歳で逝去しました。

 アメリカは好きでなかったとみえ、アメリカ旅行から帰ったとき、感想をこう述べています。
「私はみんなから皮肉の大家といわれるが、まさか、ニューヨークの港の入口に、自由の女神がたっていようとは、気がつきませんでした。」
万事こんな調子でした。その軽妙なジョークを、二つ披露しましょう。

■雑誌記者がショーの家に取材に来ました。
 「楽天主義と厭世主義の違いは?」
 「それはやさしいことだ。たとえばウィスキーが半分入っているボトルをテーブルに置いてみたま  え。“しめた、まだ半分残っているぞ!”と思う人は楽天主義者。“しまった。あと半分しか残  っていない”と思う人は厭世主義者だ。」

■ショ―の出版記念パーティーの席上、司会者がショーに質問しました。
 「先生がいままでお読みになった書物で、一番お役に立ったものはなんですか?」
  ショーは皮肉っぽい顔でこう答えました。
 「それは銀行の通帳サ・・・・・」
 (小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 以前報告しましたが鹿児島出張の仕事があり、鮮やかな桜島とおいしい食べ物に出会い、仕事ではなく、これは遊びに行かなければと思い、今回初めて鹿児島県へ旅行に行きました。
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 いつも試飲会でお世話になる西山さんが、私が鹿児島へ行くということを春さん、トントンさんからお聞きになって、それならばと、国分酒造さんを紹介してくださり、初日は宿泊先への移動の前に、霧島・国分にある「国分酒造」さんの工場見学をさせてもらいました。
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「国分酒造」さんは「蔓無源治」や「芋」の銘柄の焼酎で知られており、鹿児島空港から車で20分のところにありました。工場入口には霧島山系川原渓谷伏流水の水汲み場があり、硬度の少ないやわらかい水が絶えず湧き出していました。この水を仕込み水にしており、分析の結果、雑菌がゼロだそうです。
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 工場に着くと、インド米の稲穂の説明がありました。国分酒造ではこのお米で麹を作っています。インド米、タイ米はおいしくないという先入観がありますが、このお米はごはんとして食べると甘くてとてもおいしく、インドの王様がなかなか他の国へ出さないとおっしゃっていました。
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蔓無源治の株
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工場裏手には袋の中にお芋がたくさんあり、ベルトコンベアで運ばれて、まずは芋洗い機に入って行きます。羽根のついた棒を回転させて、泥と皮を洗い落とします。昔は人が手作業で洗っていました。
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紅隼人
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蔓無源治
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 洗った芋は選別機の方へ流れていきます。ここでは人が芋を目視で、痛んでいないかどうかを判断し、痛んでいる部分があれば、包丁で切り落とします。
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 選別して適当に切られた芋は巨大な蒸し器へ投入されま
す。1基5トンまでの芋をふかすことができ、2基10トン分の芋をふかします。付加された芋は裁断機を通して細かくし、あらかじめ作っておいた米麹と混ぜて、発酵させていきます。
 
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芋焼酎なので原料は芋だけかと考えていましたが、昔から必ず米を混ぜるそうです。現在では技術が発達して、芋だけを原料にした焼酎を作ることが出来ていますが、ふつうは芋だけでは焼酎をうまく作れないとのことでした。芋5に対して米1の割合で混ぜ、九州の芋焼酎はすべて、芋:米=5 : 1の割合で焼酎を作っています。
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 発酵が終了したものは蒸留機へ移され、蒸留して、芋焼酎が完成します。
 巨大な蒸留機。

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 蒸留の残りかすはその日のうちならば食べることができますが、日持ちしないため、堆肥にします。蒸留の残りかすがトラックのタンクに引き取られています。
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 蒸留した焼酎は70 kL(キロリットル、1 kL=約1トン)あるいは90 kLのタンクへ貯蔵され、その後瓶詰めされて出荷されていきます。
一通りの工場見学が終わった後に、工場の前にある小さな芋畑で芋掘りをさせてもらいました。焼酎を作る芋は工場から車で30分かかるところにあるため、工場の人が常日頃、畑の状態を確認することが難しいため、工場前に芋畑を作って、その芋畑を観察することにより、遠く離れた畑の状態を管理しているとおっしゃっていました。小さな畑に害虫が来れば、離れた畑にも同じ害虫が来ており、この小さな畑を通してお芋の品質管理を行っています。そしてときどき山からイノシシが下りてきて、この小さな畑のお芋を食べているそうです。とくに子どもを連れたイノシシは凶暴で、人に向かってくるそうであり、その牙に引っ掛けられたら、たいへんな怪我をするようです。

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 掘った「紅隼人」をお土産にいただき、「国分酒造」さんを後にしました。電車に乗車するまですこし時間があったので、近くの展望台に寄ってもらいました。いいお天気でしたが、桜島から噴煙が上がっており、一帯は遠くまで白く霞んでいました。
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 乗ったタクシー会社では焼き芋の販売もしているというので1袋購入(500円)して、電車の中で食べながら、宿泊先の指宿へ向かいました。

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To be continued.
鹿児島の旅はまだはじまったばかりです。

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by ryott-ryott | 2010-11-25 16:26 | 南国・鹿児島の旅

いい歳、りょうちゃん、都会の紅葉と靖國参拝ヽ(^o^)丿

旅行・地域058.gif058.gif058.gif
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大間窪小学校のお別れ会へ行った後、都会の紅葉を見に、靖国神社へ行くため東西線九段下まで行きました。靖国神社はもともと日清・日露戦争で亡くなっていた英霊たちを祀った神社でしたが、太平洋戦争後に戦犯も一緒に祀ってしまったため、靖国神社参拝でおかしな議論が絶えなくなってしまいました。018.gif018.gif018.gif

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 靖国神社前には右翼の車がずらりと並んでおり、体格のいい男たちが鳥居の下に集結していました。肝心の銀杏並木はまだまだ秋の色には程遠い感じでした。やはり今年は猛暑の影響で色づきが遅れているようです。
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 靖国神社の「遊就館」には海軍零式艦上戦闘機、ゼロ戦が展示されていました。

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 南北朝時代を描いた『太平記』に出てくる話です。鎌倉幕府打倒を計画した後醍醐天皇は、失敗して隠岐の島に流されることになりました。
 これを聞いた備前の国の武士児島三郎高徳は、天皇を奪って再び挙兵しようと、道中院の庄に入れられた行在所にかけつけました。ところが警戒厳重で天皇に近づくことができません。やむを得ず庭に忍び込み、桜の大樹を削り、十字の詩を書きつけました。

    天莫空勾踐(天勾踐(てんこうせん)を空しうするなかれ)
    時非無范蠡(時に范蠡(はんれい)なきにしもあらず)

 翌朝この詩を見た天皇は、深くうなずきました。中国の越王勾踐と、その中心范蠡の故事を知っていたからです。
 
その故事を簡単に説明しましょう。前五世紀中国の春秋時代、揚子江の南には、呉と越の二大強国が対立していました。(仲の悪い者同士が一緒になるのを「呉越同舟」といいます。)
 越王勾踐と戦って父を失った呉王夫差(ふさ)は、薪の上に寝て、その痛みを覚えると、父の仇討を忘れないように心がけ、ついに三年後、越を破り、勾踐を会稽山に追いつめて捕虜にしました。
 囚われの身になった勾踐を助け出したのが忠臣范蠡でした。彼は賄賂を用いて“九死に一生を得る”大脱出を成功させました。
 敗れた勾踐は、雪辱を果たすため、苦い胆を毎日なめて、復讐を誓い、ついに前473年11月18日、呉を滅ぼすことが出来ました。
 この両方の話から「臥薪嘗胆」という言葉が生まれました。そして雪辱を果たすことを「会稽の恥をそそぐ」と言うようになりました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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北の丸記念公園の紅葉
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前回も報告しましたが、次週の飛び石連休は鹿児島へ行ってきます。最大の目的は出水へナベヅルを見に行くことです。出水市のホームページで調べたら、現在、マナヅルは9000羽を超しているようです。とても楽しみです。040.gif040.gif040.gif 
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 そして、天気がよければ開聞岳(922 m)にチャレンジます。アミューズトラベルの倉持さんによると、山頂直下は梯子とロープで登らなければならないそうです。9月に行った湯殿山とどちらが厳しいのか、そう考えると、3泊4日でも時間の足らない旅になりそうです。024.gif024.gif024.gif

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by ryott-ryott | 2010-11-18 13:04 | 靖國神社の紅葉

いい歳、りょうちゃん、校舎にお別れするヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 今週の土曜日は中国整体と大暴れアクアをお休みして、大学院の同窓会へ伺いました。同窓会は毎年、先生のお宅で行われる芋煮会を兼ねており、卒業生の皆さんがお酒や食べ物を持ち寄ります。全員、40歳を超えており、お子さんが高校受験を控えている人、二度目の結婚を考えている人、頭が白い人、頭が肌色の人と、人生いろいろでした。018.gif
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 特に今回の同窓会では、来年計画されている3つの研究室合同の同窓会についてどうすればよいかを、そのうちの一つの研究室の先生にご意見をいただくための使命を負った参加でしたが、先生はみんなと相談していいようにやってくださいと即答で、すぐにビールを戴きました。037.gif
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 芋煮会同窓会はお昼から開始し、芋煮はもちろんのこと、焼き肉、さんま焼き、ローストビーフまで、そして充実し過ぎたスウィーツの数々、何日間か食べなくてもいいのではないかというくらいに常に食べていました。024.gif

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 先生が庭でつくった「アピオス」。インディアンのスタミナ食で、これから闘いに行くときに食べていたようです。027.gif
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頭が白い人、芋煮の責任者。041.gif
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ダイエットに失敗した人、二度目の結婚を考えているそうです。041.gif
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同窓生の奥様がつくった、ふあふあのシフォンケーキ。私も何度か挑戦しましたが、ヘチマみたいなシフォンケーキになってしまいます。041.gif
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巨大なケーキ。これを頬張っている人はかなり苦しそうでした。041.gif
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ローストビーフ、これは本当においしかった!!038.gif038.gif038.gif
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頭が肌色の人、この人が毎年、同窓会の永世幹事です。038.gif
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先生ご夫妻を囲んで記念撮影。先生だけはまったく歳を取りません。周りの人がだんだん先生に近づいているような気がします。また先生は最近、宗教の研究をされているそうであり、「禅と悟り」というホームページを立ち上げていらっしゃいます。YahooやGoogleで調べると、一番に出て来ます。
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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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『おかあさん』(詩集)の詩人として知られたサトウ・ハチローは、昭和48年(1973年)11月13日、79歳で亡くなりました。
 父は詩人・小説家であった佐藤紅緑で、直木賞作家の佐藤愛子は実妹です。
 詩人福士幸次郎、西条八十の弟子として、童謡、叙情詩、歌謡の分野で幅広い活躍をしました。
 歌謡曲では『もずが枯木で』『目ン無い千鳥』、戦後の『リンゴの唄』『夢淡き東京』『長崎の鐘』など、多数のヒット曲があります。
 雑学の大家でもあり、ユーモラスな人柄と相まって、NHK「話の泉」のレギュラーとして、一時期茶の間の人気を集めました。
 しかし、彼の後半生は、主として童謡復興に力を尽くし、わけても昭和33年(1955年)以来、TBSテレビのタイトル詩『おかあさん』の好評え、『おかあさん』の詩人といわれるようになりました。
 彼は、母をうたった詩についてこう言っています。

 「おかあさんの詩を書く人が実に多い。びっくりするほど多い。詩の専門家ばかりではない。アマチュアの大人、子供―――誰も彼もが、お母さんの詩を書く。つくる。発表する。おかあさん―――詩材として取り上げるのは楽だ。と思うからやるのだろうが、これくらいむずかしいものはない。(中略)
 母という字のむずかしさ、かなしさ、やさしさ、なつかしさ この詩のように、おかあさんはうたいやすくて、うたいにくいものである。」(『ハチロー当世置きぜりふ』文化出版局)

 このタイプの詩人はしばらく出てこないでしょう。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 11月14日(日)は先週少し紹介しました「大間窪校舎お別れ会」が大間窪小学校で行われました。小中一貫の平成25年4月開校「豊葉の杜学園」へ統合されるため、平成23年3月を以って校舎が翌4月に取り壊されることになっています。受付の人に聞くと、大間窪小学校だけでなく、目の前の荏原第三中学校(三中)も同様に統廃合されるとのことです。三中は実は私が卒業した中学校であり、卒業する年に放火で職員室が焼けて、中学3年生のときの通知表が焼失してしまいました。その日の朝、NHKのニュースで三中の火事のことが報道されていたことを覚えています。今から30年以上も前のことです。018.gif
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 大間窪小学校の校舎を先に解体・工事して、ある程度の生徒を受け入れられるようになってから、三中の解体・工事に取り掛かるとの話です。現在、大井町駅前で阪急がやっている工事と同じです。
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大間窪小学校の屋上から見た新幹線のマッチレース!070.gif
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体育館では昔のアルバムを閲覧できるようにしていました。父親が子どもに昔の写真はカラーでなかったと説明していました。
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来週は鹿児島へ行ってきます。ひとつは出水の鶴を見に行く予定です。そして、天気がよければ開聞岳にチャレンジします、天気が良ければの話です。出かける度に天気には恵まれないので、最近はインドアの予定も考えなければなりません。031.gif070.gif057.gif058.gif037.gif
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by ryott-ryott | 2010-11-15 00:04 | 大間窪校舎お別れ会

いい歳、りょうちゃん、伊豆峠越えヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 土曜日はいつものように中国整体へ行き、その後に「木洩れ日」さんで昼ごはんを食べようと思いましたが、満席で断念。アドマチック天国で紹介された余波がまだ続いているようです。中国整体の先生は日曜日の夜から勝田へ行き、常陸牛を食べて、その翌日は袋田の滝へ行かれるとおっしゃっていました。018.gif
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 今年の10月は晴れの日は数えるほどしかなく、曇りや雨の多い1ヵ月でした。11月に入ってからは、今のところ、結構晴れ間が広がる日が続いています。058.gif
 近所の大間窪小学校が来年の3月をもって廃校になることが決まり、11月14日(日)にそのお別れ会が行われるとのお知らせがありました。私は大間窪小学校の卒業ではないのですが、通っていた戸越小学校よりは大間窪小学校の方が近く、中学は大間窪の前の三中であったため、なくなってしまうのはとてもさびしく思います。

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 土曜日はいい天気で、大間窪小学校の近くのお医者さんへ行ったので、その途中に校舎の写真を撮りました。14日(日)も小学校の屋上へ入れてくれるとのことなので、カメラ片手に行こうと思います。016.gif
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 そして、私が1ヵ月に1度通っているお医者さんにとても珍しいものが置いてあったので、その写真を撮らせてもらいました。それはスズメバチの巣です。看護士さんに聞くと、患者さんが山登りをした際に見つけて、病院へ持って来てくれたそうです。30 cm以上はあるでしょうか。この中にあの恐ろしいスズメバチがうごめいていたことを想像すると、山登りが躊躇されます。看護士さんも山登りのときに、ハチに頭を刺された経験があるそうで、頭に石が刺さったような痛みだとおっしゃっていました。031.gif

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 慶長18年(1613年)9月、伊達政宗は仙台藩で建造した大型帆船で、家臣支倉常長(はせくらつねなが)を代表に遣欧使節団を送りました。
 この時代、一つの藩がこのような大胆な外交プロジェクトを組むことは、幕府に対しても、かなりの実力がなければできません。
 政宗は、なぜこれを計画したのでしょう。
 直接の理由は、伊達の江戸屋敷の侍女が、マニラからきた宣教師ルイス・ソテロによって病気を治してもらったことが縁で政宗と親しくなり、仙台に行って政宗に諸外国との通商をすすめ、そのためには一度ローマの法皇庁へ使節派遣をしてはどうかと提案したのが、そのきっかけになったといいます。
 支倉使節団の一行は、ソテロを道案内として、まず太平洋を渡ってメキシコのアカプルコに到着しました。続いて大西洋を横断してスペインのセビリアに上陸、陸路ローマに入りました。
 元和元年(1615年)11月3日、法皇庁でパウロ5世に謁見し、そこで政宗からの親書を手渡し、法皇から政宗宛の親書も受け取りました。
 きらびやかな絹の日本服をよそおった7人の小姓、それに4人の武士、続いて衛兵たちによって護られた常長の、金銀縫い取りの華美な着物に、イタリア風の襟飾りと帽子のいで立ちで、にこやかに応待する優雅な風采に、群衆は熱狂して彼らを迎えたといいます。
 元和6年(1620年)8月、常長ら一行は7年ぶりに帰国しましたが、国内はキリスト教の禁圧、鎖国政策の実施中で、せっかくの通商条約締結の話も実現できませんでした。
 常長自身もキリスト教信者の疑いで処刑される寸前でしたが許されました。晩年は不遇でした。しかし、わが国外交史で特筆されていい人物です。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 11月3日文化の日は伊豆にある達磨山と金冠山へ行きました。金冠山は沼津市のホームページにも載っており、標高816 m。一方の達磨山は982 m。今月の飛び石連休で行くことを計画している鹿児島の開聞岳(922 m)よりも60 m高い山です。
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 伊豆の修善寺までは、三島まで新幹線で行き(品川から37分)、三島から伊豆箱根鉄道で終点の修善寺に37分で辿り着きます。修善寺からは東海バスに30分乗り、達磨山高原レストハウス前で下車。レストハウス前の展望台からは、駿河湾と富士山を見ることは出来ました。しかしながら、富士山には歯磨き粉のような雲がかかっており、その全景を見ることができませんでした。031.gif
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 レストハウスで地図をもらい、まずは達磨山を目指しました。山道は芝生の山道で整備されており、金冠山へ行く分岐点を通過し、戸田峠(へだとうげ)から山頂へ登って行きました。途中、舗装された道と車道を横切り、レストハウスから約90分で達磨山山頂に着きました。登りやすい山道だったとはいえ、やはり登り道は大変でした。そこからは山を下って行って、大曲茶屋まで行き、バスで修善寺へ戻るルートもありましたが、沼津市のホームページには金冠山からの眺望も素晴らしいとあったので、登ってきた山道を引き返し、金冠山へ行きました。先ほどの分岐点からは10分くらいで山頂に到達しました。目の前に広がる駿河湾と歯磨き粉状の雲がまとわりついていましたが、それでも富士山は雄大でした。私が山頂に着いた数分後に、中年の夫婦もやって来て、富士山をバックに写真撮影を頼まれました。時刻は14:00くらいでした。070.gif070.gif070.gif
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 沼津市のホームページによると、金冠山山頂から下山コースが2つ、沢道コースと尾根道コースがあると記されており、コースの先には「市民の森」があるとありました。その先にはバス停があり、そこから沼津駅へ行くことができるようです。金冠山へ登ってきた中年の夫婦は元来た道を降りていきましたが、私は「市民の森」から沼津へと抜ける道を選ぶことにしました。この判断は間違いでした。金冠山から「市民の森」へ行く道は整備されてなく、道なのか山なのか、わかりませんでした。ただただ海のある方角へ下山を続けて行きました。そして途中にあるはずの「市民の森」を結局見つけることが出来ず、さらに山道の判断がますますわからなくなり、どうなることかと思いましたが、脇に舗装された車道が見えたので、その車道へ出てしまいました。070.gif031.gif070.gif031.gif
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 海岸まで出て、駿河湾へ沈む夕陽の写真を撮ることが出来ればと思っていましたが、歩いても歩いても目印となる場所もなく、その舗装された坂道を通る車も人もありませんでした。そして、ようやくホームページの地図にある稲荷杉の前に辿り着きました。地図に寄れば、海岸までの道のりはまだ遠く、日が沈む前には海岸線まで辿り着こうという目標に切り替えました。
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 しばらくするとみかん畑が現れ、畑で働いているおばちゃんがいました。そのおばちゃんに「この地図にあるバス停までどのくらいありますか?」と尋ねたところ、歩いて15分から20分と言うので、棒のようになった足を引きずりながら、海岸のバス停へ向かいましたが、20分歩いてもバス停は現れませんでした。
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 金冠山を降りはじめて2時間半、16:30にようやく海岸へ辿り着きました。日の入りは16:42。真っ赤な夕陽を今日こそは見ようと港に突き出ているところまで行きましたが、駿河湾に突き出ている突端に阻まれて、海に沈みゆく夕陽を見ることができませんでした。こんなことであれば、金冠山からは沼津に抜けずに、達磨山高原レストハウスまで戻って、修善寺から三島へ行って、夕陽スポットを探せばよかったと思います。
沼津市のホームページに載っている下山コースは絶対にお勧めできません。
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by ryott-ryott | 2010-11-07 19:26 | 達磨山・金冠山

いい歳、りょうちゃん、東大寺大仏 天平の至宝展へ行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 たまたまテレビ神奈川をかけていたら、「好きです♡川崎」というCDの宣伝をしており、その中に「ちょっきんず」なるグループの唄が収録されているとのこと。「ちょっきんず」とは先週の日本酒試飲会に来ていたグループでした。「ちょっきんず」で検索すると、アメーバに「ちょっきんずオフィシャルブログ」があり、10月24日の記事に試飲会のことが書かれてありました。オフィシャルブログと言うことは、「ちょっきんず」も芸人ということなんでしょうか。西山さんや即身仏の話をしてくれた鯉川酒造の社長が「ちょっきんず」と一緒に記念撮影した写真が掲載されていました。037.gif037.gif037.gif
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 そして試飲会で食べたホタルイカ姿干しが宅急便でやって来ました。鯉川酒造の社長に教えてもらった「イグゼあまるめ」に問い合わせをして、取り寄せました。日本酒試飲会の会場に置いてあった酒の肴の中で一番おいしいと思いました。038.gif038.gif038.gif
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 057.gif057.gif057.gif土曜日はちょっと用事があり、台風接近の雨の中、大江戸線に乗りましたが、いつも通勤で人が溢れているホームはガランとしていました。057.gif057.gif057.gif

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 天文学に関心のある人なら、76年周期で回帰している“ハレー彗星”のことをご存知でしょう。
 その発見者エドモンド・ハレーは、1656年10月29日、ロンドンに生まれました。彼は、幼くして天文に興味を持ち、20歳のとき早くもセントヘレナ島に遠征し、南半球の恒星観測で大きな業績を挙げました。生まれながらの天文学者であったようです。
 1684年、28歳の夏、ケンブリッジ大学にいた物理学者「万有引力の法則」を発見したニュートンと知り合いました。『プリンキピア』(自然哲学の数理的原理)を刊行させたのも彼の助言です。この本は、力学の集大成として物理学史上第一級の古典といわれた名著です。
 彼はこの法則を利用し、宇宙における彗星もまた惑星と同じく、太陽の引力によって放物線を描き、楕円軌道をたどるのではなか、という仮説を立て、古い文献を調べるとともに,1607年にケプラーの観測した彗星、そして1682年にハレー自身が観測した彗星が同一であることを確かめました。
 この彗星の記録で一番古いのは、紀元前5世紀、周の時代のもので、それ以後、ほぼ76年おきに33回出現しています。
 ハレーは、1742年に亡くなりましたが、次の彗星が地球に接近するのは、1758年ごろと予測しました。果たせるかな同年クリスマスの晩に出現し、ドイツの天文学者バリッチによって観測され、彼の仮説の正しさを立証するとともに、この彗星を”ハレー彗星”と名付けました。
 ハレー彗星の正確な周期は76.02年です。一番新しい接近は、1986年(昭和61年)の春でした。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)072.gif

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 台風による大雨が心配されましたが、土曜日の夜には小康状態になりました。台風一過の日曜はいい天気になることを期待していましたが、空全面が鈍色のどんよりとした曇り空、そして夕方には鈍色の空がまた泣き出しました。057.gif057.gif
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 最近、日曜日は大井町湯屋をサボるのが定着してしまい、今週は東京国立博物館で開催されている特別展「東大寺大仏 天平の至宝」を見に行きました。平城遷都1300年記念の波及効果もあってか、特別展は多くの人で賑わっていました。台風のときの大江戸線とは大変なちがいです。037.gif037.gif037.gif
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 なかでも「誕生釈迦仏立像および灌仏盤」のまわりには多くの人が集まっていました。お釈迦様は生まれるとすぐに7歩あるいて、天と地を指して「天上天下(てんじょうてんげ)唯我独尊」と告げたという話は有名です。このお釈迦様と月光菩薩のレプリカがショップで売られていましたが、この特別展の入場券を持っていない人は買うことが出来ないプレミア商品であり、私もお釈迦さまを一つ買ってしまいました。041.gif

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by ryott-ryott | 2010-11-01 00:00 | museum