<   2010年 12月 ( 8 )   > この月の画像一覧

いい歳、りょうちゃん、年越しラーメンを食べるヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 ようやく勤めも年末年始休暇に入り、家の掃除をしています。ここ半年間、連続した休暇のたびに出掛けていたので、年末にしわ寄せがきて、なかなか片付きません。
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 大井町駅前の阪急もだいぶ出来てきたようです。3月にオープン。それと同時に現在のビルも解体開始。入っていたお店もすでに移転したところもあるようです。018.gif
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 29日は今年最後のじゃんけんぽんへ行きました。トントンさん、春さんのご子息の龍平ちゃんが学校の仲間としゃぶしゃぶをしており、私にもしゃぶしゃぶを用意してくれました。年越し一人しゃぶしゃぶでした。068.gif
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 龍平ちゃんのグル―プはほとんどが平成生まれ。一番年上のたまちゃんさえ、昭和63年生まれ。ついつい、若い人たちの方へ眼が向いてしまいます。037.gif
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 しゃぶしゃぶも食べ終わると、若いグループは記念撮影をはじめました。年配者の岡田夫妻、トントンさんの妹さん・みきちゃんも一緒に記念撮影に参加。岡田パパさんは私が撮った写真を見て、「顔が二重あごになっている。」と言って、撮り直しさせられましたが、変化はなかったと思います。写真は正直なんです。写真を見ると、岡田ママさんは自分を小さく見せようとしているのか、いつも後ろのほうで写っていました。
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この最後の写真が一番いい写真です。↓038.gif
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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 ロシア革命を早める原因の一つになった“怪僧・ラスプーチン”の名前は、旧制中学の西洋史で習って以来、妙に頭に残ってはなれません。
 日本の怪僧・道鏡のイメージがあるせいか、頭のハゲあがった、精力絶倫のデップリとした坊さんかと思っていましたら、実際は髪クログロとした、やせ型でアゴヒゲをたくわえた、イランのホメイニ師のような修道僧でした。
 1871年、シベリアの貧農の子として生まれましたが、生い立ちは一切ナゾに包まれています。

 異端の宗教、鞭身教徒として、ロシア各地を転々として巡礼し、それでも農民たちからは聖者として尊敬されていました。
 1907年、首都ペテルブルグに出て来ましたが、その名声を聞いて、時のニコライ2世の皇后が、彼を祈禱僧として宮廷内に迎い入れました。
  今でいう“超能力”とでもいうのでしょうか、奇妙な催眠術を応用して、すっかり人々を信じさせてしまいました。なにしろ王子の病気を彼の祈禱でなおしたのですから大変です。わけても皇后の信頼は厚く、次第に黒幕として、政治の実権を握るようになりました。人事は感情によって行われ、首相、国防相、農相など、閣僚を4回もクビにし、彼の友人たちを次々と大僧正や聖職の位につけました。

 ドイツとの戦争が起こると、親独派を集めて対独講和を推し進めましたが、これはドイツのスパイにまんまと利用されたものといわれ、抗戦派の人々によって、1916年12月29日、暗殺されました。45歳でした。
 このロシア王朝最後の人となったニコライ2世の優柔不断、皇后とラスプーチンの宮廷内の腐敗政治が、革命を早めたことは事実です。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 年末年始休暇2日目、本棚の整理以外はだいたい片付きました。本当は30日に本棚が届く予定でしたが、業者から年明けになってしまうとのふざけた連絡がありました。部屋は現在、本で溢れています。
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 神棚の古いお札を戸越八幡神社へ持って行き、新しいお札をもらって来ました。その帰りに年にほぼ1回しか行かない戸越銀座商店街へ行きました。正月の食べる食材を買うためです。070.gif
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 戸越銀座にも洋食屋の「ブルドッグ」があったはずなので、お昼ごはんを「ブルドッグ」で食べようとお店に行きましたが、準備中であり入店を断られてしまいました。戸越銀座は最近マスコットキャラクターを用意して、宣伝しているみたいです。
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 「ブルドッグ」を断られたので、「えにし」さんへ行きました。この時期は「ラーメン」しかないようです。ただし、「味付け卵」か、「ごはん」をつけてくれるというので、私は「ごはん」を頼みました。
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12月29日(水)はお台場海浜公園に夕景を撮りに行きました。この時期は太陽は南西の方へ沈み、レインボーブリッジに向かってかなり左端のほうへ移動しています。

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by ryott-ryott | 2010-12-30 22:27 | 散歩

いい歳、りょうちゃんの初日の出スポット巡りヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 先日床屋に行き、いつもの通りに散髪をお願いしたら、頭の後ろ側に白髪のかたまりが2つあると指摘されました。私はすぐにその白髪の一団を抜くようにお願いしましたが、チャコちゃん(床屋さん)は「抜いたら、その部分、髪なくなっちゃうよ。」と言って抜いてくれません。鏡で見せてもらったら、確かに五百円玉大の白髪のかたまりが2つ後頭部にありました。チャコちゃんは、白髪が生えている毛根はもう白髪しか生えず、毛根も弱っているので抜いてはダメだというのです。その話は以前にも聞いていたので、それから科学は進歩していないのかと思いました。チャコちゃんはあまりにも気になるようだったら、染めたらどうかと、サンプルを見せてくれました。ただし染めると髪が傷むそうです。その話も以前聞きました。髪の毛の世界はまだまだ科学が進歩していないようです。次回、1月に白髪の面積が五百円玉2つから拡大していたら、染めることを検討すると答えて床屋を後にしました。
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そして12月25日(土)クリスマスは2010年最後の大暴れアクアをやりました。大きな水しぶきのクリスマスツリーをうち立てたかったのですが、やはり足がだんだん上がらなくなってきており、正面の床を洗う程度の小さな樅の木となりました。
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 結構自信があった有馬記念は10番ではなく、ゼロを取った1番の馬が勝ってしまいました。レースが終わってから気がつきましたが、今日の第55回有馬記念も第77回日本ダービーも1枠の馬が勝ち、4枠の馬が2着でした。出目で買えばよかったわけです。競馬はもうやめます。
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 この飛び石連休では遠出はせずに近場の初日の出スポット探索をしていました。
12月23日(木)天皇誕生日は朝から掃除をし、湯屋へは行かずに、また葛西臨海公園に夕景を撮りに行きました。この日は先日に葛西臨海公園に行った時と違って、雲が少なく、富士山を見ることができ、沈む太陽は紅いというよりは黄色い感じでした。
雲が少なければ空気中の水蒸気が少なくなるので、赤の波長の光に他の光も混ざって来るため、オレンジから黄色へとシフトして行くのだと思います。

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 この日も葛西臨海公園で黄色からオレンジの夕陽が撮れました。葛西臨海公園と相性がよく、狙って行けば夕陽を高い確率で撮ることが出来ています。たぶん12月の気候もあるのでしょう。西風が強く吹けば、雲も流れて富士山と夕陽がきれいに見える日が多いのだと思います。葛西臨海公園から対岸の房総半島が見えました。有馬記念も狙って取れれば、言うことなかったのですが、わざわざ永六輔のように遠くに行く必要もありません。

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 そして、葛西臨海公園から帰って来ると、じゃんけんぽんのトントンさんから電話があり、ゼームス坂の「いっぽ」にいますとの連絡があり、すぐに向かいました。041.gif
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 「いっぽ」さんは昔、「じゃんけんぽん」の下の階に鉄板焼きのお店を構えていましたが、その後、JR大井町駅の踏切を渡ったところへお寿司屋さんとして移転をしました。今はその場所に「いっぽ」さんと違うお店の「春鮨」さんが入っており、「いっぽ」さんのメンバーの行方はわからないままでした。ゼームス坂の「いっぽ」さんは、鉄板焼き屋、お寿司屋さんで働いていた出口さんが、ふたたび鉄板焼き屋さんとして9月に開店したお店です。
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 鉄板焼き以外にも、おつまみとお酒が用意してあり、月曜日が定休日です。もんじゃ焼きもあり、私が通勤している月島のもんじゃ焼きと比べると、おいしい上に値段が半額でした。じゃんけんぽんが営業していない土曜日・日曜日にでも行きますか。
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イタリアンもんじゃとカルボナーラもんじゃはフランスパンがほしくなりました。

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 大正15年(1926年)12月25日、クリスマスの日の午前1時25分、かねて病気療養中の大正天皇は、48歳の若さで崩御されました。
 この日の朝「東京日日新聞」(現「毎日新聞」)は、天皇の崩御を知らせるとともに、新元号が“光文”に決まったことを伝えました。

 大スクープ、大特ダネです。驚いたのは政府関係者でした。摂政であった裕仁親王(昭和天皇)が即位され、それが終わったところで新元号を発表する手はずになっていました。その秘密がもれては政府の面子が立ちません。
 あわてて緊急秘密会を開いて、もう一つの候補であった「昭和」を選ぶことにしました。
 気の毒だったのは「東京日日新聞」です。せっかくの大特ダネが一瞬にして“世紀の大誤報”になってしまったのです。”光文”の元号も幻の元号で終わりました。

 当時、黒田藩編纂所に勤務していた中島利一郎が、こんな証言をしています。「新しく来るべき新天皇の時代は、”文”を主体にした文化国家でなければならない。したがって、それにふさわしい名前を考えろといわれて探したのが“光文”です。漢代の詩人皇甫蔚の『文錦賦』にある「閲披風前 光文燦然 百花互選 五色相宣」からとりました。」(川辺信蔵『書かれざる特種』サンデー毎日臨時増刊号・昭和32・2・15)

 「昭和」の典拠は『書経』の尭典にある「百姓昭明ニシテ、万邦ヲ協和ス」の一句からとったものです。「昭」は光明、「和」は平和を意味します。
 その「昭和」もいつしか60年を過ぎました。光明と平和は、本当に訪れたのでしょうか。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 現在勤めている職場の正月休みは昨年までの職場と違って短いため、遠出はせずに大井町近傍で初日の出を拝もうと考えています。前回、葛西臨海公園の他に大田区・京浜島のつばさ公園を紹介しましたが、もっといいところがありました。おなじく大田区の城南島海浜公園のオートキャンプ場です。オートキャンプ場の前から東京湾から昇る朝日を真正面で見ることが出来ます。南側には羽田空港があり、東京湾には船が行き交い、タイミングが良ければ、飛行機と船と朝日の共演を見ることが出来ます。
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 城南島海浜公園へは大森駅からバスも出ており、帰りも大森駅や大井町駅東口へ戻るバスが走っています。あとは元日の朝、雲ひとつない快晴になってくれることを願うばかりです。2011年1月1日東京の日の出の時刻は、午前6時50分3秒です。

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by ryott-ryott | 2010-12-26 21:57 | 太陽散歩

いい歳、りょうちゃんの、私の百名山、雲取山縦走、後編ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 雲取山縦走2日目へ行く前に、今週日曜日12月26日の第55回有馬記念の予想を少し書きたいと思います。私の有馬記念は5枠10番エイシンフラッシュです。同枠のダノンシャンティも抑えます。037.gif037.gif037.gif
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 大井町湯屋へ通う前は会社の悪い人たちと随分と鉄火場通いをして、ひどい目に遭わされました。大井町湯屋へ通うようになって、賭博はやらなくなりましたが、日本ダービーと有馬記念だけは続けています。
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 今年の日本ダービー馬は5枠10番エイシンフラッシュで、第77回の日本ダービーでした(私はその時はローズキングダムの単勝を買いましたが、残念ながら2着)。不思議なもので、揃い目の回数のレースを勝った馬は、同じく揃い目の回数のレースを勝つことがあります。最近でもありませんが、第66回揃い目の皐月賞馬は、第55回揃い目のスプリングSを勝ったメイショウサムソンでした。このような例は結構あります。
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 したがって、今年揃い目の第55回有馬記念は、同じく揃い目第77回日本ダービー馬が勝っても不思議ありません。しかも第77回日本ダービーは1頭が取り消し、今回の有馬記念も1頭取消、条件が揃っています。有馬記念とは関係ありませんが、天皇陛下が今年77歳をお迎えになったと聞くと、第77回日本ダービー馬エイシンフラッシュが有馬記念を勝ってしまう気がしてなりません。今年の私の有馬記念はエイシンフラッシュの単勝にします。

10番の単勝。
(9番の単勝も抑えた方がいいです、同枠の馬が来るケースもよくあります)。
馬連 9番-10番、10番-12番
(抑え9番-12番、昨年の1着馬が翌年2着に来るケースがあるので、12番は相手に買う必要があります)。
3連複、3連単も9番、10番→9番、10番、12番→9番、10番、7番、12番のフォーメーション。

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 江戸時代の町奉行を務めた人は全部で88人いたそうですが、一番なじみがあるのは大岡越前と遠山の金さんで知られる遠山左衛門尉景元の二人でしょう。
あの名裁判ぶりはすべてウソでテレビ・芝居・講談の創作です。大岡越前が南町奉行20年間の在職中に、自分で裁判に臨んだのはあの「天一坊事件」など3件しかありません。

大岡越前守忠相は1712年36歳の時に伊勢山田の奉行に取り立てられました。このときに徳川御三家のひとつ紀州家が境界争いを起こし、紀州が自らの威光をかさにごり押しするのを、忠相が公平に裁き、紀州藩主徳川吉宗の耳に達していました。
やがて7代将軍家継が亡くなると、吉宗が8代将軍として江戸城に迎えられました。吉宗は国元から忠相を呼び寄せ、江戸南町奉行に抜擢しました。

忠相の名が高まったのは、当時の江戸町長(今で言うと東京都知事)として名行政官であり、民衆に慕われる実績を残したからです。
司法制度の改革、町火消し「いろは四十八組」の創設、小石川養生所の建設、青木昆陽を登用して甘薯(さつまいも)の栽培普及などなど、数々の業績を残しています。
吉宗は忠相の功績を認めて、1736年寺社奉行に昇進させ、1751年には一万石の大名にし、三河西太平の領地を与えました。しかし同じ年に吉宗の死を追うように1751年12月19日、忠相もこの世を去りました。享年75歳。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 雲取山縦走2日目。昨晩はクリスマスパーティーを食堂で祝った後、部屋に戻って、みなさんが用意したおつまみとお酒で消灯までパーティーのつづきをやりました。21時に消灯。コタツを真ん中に置いて、布団を放射線状に敷き、みんなが足をコタツに突っ込めるようにして寝ました。 
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 私は4時に起き、山荘の外へ出ると、空全面にたくさんの星が散りばめられていました。山荘の方が北斗七星と北極星を教えてくれました。私の腕が未熟で星の写真は撮れませんでした。 
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 朝5時30分、食堂で朝ごはんを済ませて、6時30分に山荘前でいよいよアイゼンの装着。倉持さんに教えてもらいながら、私もなんとかアイゼンを装着。意外と簡単に装着できました。アイゼンをつけると、確かに滑ってしまうということはなさそうです。冬山、恐るるに足らずです、な~んて。037.gif070.gif
 準備体操をして、いよいよ下山開始。私たちが準備体操をしている間に、たった一人で降りて行く方もいらっしゃいました。

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 私はカメラを首からぶら下げて、朝日を撮りながら、みんなを追走。昨日と違って、風があったため気温はかなり低く感じました。歩いているときはさほどでもありませんが、休憩すると暑がりの私でも結構寒く感じました。ザックに入れていたお茶が凍り始めており、氷が混ざっていたほど気温は低かったのだと思います。
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 大ダワから白岩山にかけて、凍結した急な下りが続きました。倉持さんの指示で、カメラをザックにしまって、下山に集中。道の片側は断崖、尻もちをついて手首が簡単に折れてしまうのだから、こんな高いところから滑落したら、おそらく命はないでしょう。しかし倉持さんが常に、私とあきちゃんの前で先導し、後ろにはタッキーと羽入さんに助けてもらい、きわめて過保護な下山で危険な場所を無事に通過できました。あとでよしこさんから聞いたのですが、白岩山に行方不明者の貼り紙が貼ってあったそうです。あの場所から滑落したら、命がないばかりではなく、遺体を見つけてもらうことも出来ないのでしょう。
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 白岩小屋を過ぎて、霧藻ヶ峰へ登っていく前にようやくカメラ解禁。霧藻ヶ峰からは浅間山と北アルプスが見えました。061.gif
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白く見えるのが北アルプス。私は雲かと思いました。037.gif
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浅間山。
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馬酔木。056.gif056.gif056.gif
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一等三角点。

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そして最後の下り道を降り、杉並木を通り、三峰神社を過ぎると、2日間にわたる雲取山縦走もここで終わりになります。
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 駐車場でストレッチをして、バスで温泉施設へ移動。温泉に入った後に飲んだビールはとても美味しかったです。じゃんけん大会があり、すみちゃんとタッキーが商品を獲得、あとで羽入さんが倉持さんはいつもチョキしか出さないと言っていました。037.gif037.gif037.gif
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 帰りのバスの中でもお酒を飲みながら、ようよう上野駅まで戻って来ました。よしこさんは休憩のたびに瓶詰めのお土産を買いこみ、出かける前よりも荷物が増えていました。倉持さんをはじめ、みなさんとは、アレグロピアットと山で逢うことを約束し、握手でお別れ。アレグロピアットとはよしこさんの馴染みのイタリアンのお店で、雲取山の打ち上げをアレグロピアットでやりましょうということになりました。
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 そして、大井町駅ホームで大井町湯屋インストラクターの篠ちゃんに偶然お逢いすることができました。富士登山の週から日曜日に湯屋に行っていないので4ヵ月ぶりの再会。篠ちゃんに「今、よしこさんたちと山に行ってきたところです。」と言うと、篠ちゃんは「ブログをいつも見ています。」とおっしゃってくださいました。

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雲取山縦走挑戦、これにて完
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by ryott-ryott | 2010-12-25 11:11 | 雲取山縦走

いい歳、りょうちゃんの、私の百名山、雲取山縦走、前編ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 12月21日(火)は満月、しかも皆既月食ですが、天気予報はあいにくの雨模様。少し楽しみにしていただけに残念です。しかし晴れていても仕事があるので見ることができないと思います。満月前夜、今夜の十五夜の月を載せておきます。月はいつ撮っても、この模様です。この面を地球に向けて周っているのでしょう。072.gif
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 雲取山リポートの前に、さびしいことがありました。大井町湯屋のメンバーがよく利用していた荏原町のお店、居食屋「さ久」さんが9月いっぱいでお店を畳んでしまいました。
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 先日、会社の忘年会を「さ久」さんでやろうと思い、予約の電話をしたところ、電話番号が変更になったとのアナウンスがあり、その番号へ電話したところ、なかなか通じません。この時期は忘年会シーズンで忙しいはずですが、電話に出ないなんて、どうしてしまったのか。時間を置いて、3回目の電話をかけたところ、ようやく受話器の向こうで「さ久」さんのお母さんの声がしました。私が「さ久さんですか?」と聞くと、お母さんが「そうです」との返事。しかし、そのあと、お母さんから「実は9月いっぱいでお店を閉めた」とのお知らせを聞きました。最近は客足がバッタリ途絶えてしまい、売上が上がらず、悩みに悩んだ末に、9月いっぱいでお店を閉めることにしたそうです。お父さんの代からのお店だったので、もう少し頑張ってみようかと考える日々が続いたそうです。しかし、お母さん自身も健康面に不安もあり、ついに店を閉めるに至ったと話してくださいました。
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「さ久」さんは湯屋仲間のポリスマンさんに教えてもらった、家庭的な雰囲気とおいしいお料理で、大好きなお店です。大井町湯屋仲間はもちろんのこと、会社の人とも何回も行きましたし、私が出向してしまうというときに送別会を「さ久」さんでやってもらいました。また大井町湯屋の会員なら誰もが大好きなインストラクターのらてこんさんと新年会を「さ久」さんでやったことがありました。024.gif
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 お母さんは「お店はやめてしまったけれど、同じ場所に住んでいるので、通りかかったらいつでも立ち寄っていってください。」とおっしゃってくださいました。若い御主人は料理人をやめて、サラリーマンとして働いているそうです。長い間、本当にありがとうございました。
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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 明治維新の三傑といわれるのは、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の3人です。
 なかでも西郷の維新に果たした功績は、例の勝海舟との江戸城無血開城の談判など、民衆に広く知れわたり、その名声、人気は抜群で、明治2年(1869年)の論功行賞でも、それを反映するかのように、最高の賞典禄を下賜されています。
 しかし、隆盛は晩年、「幕末の功臣、維新の賊臣」と称されるように、征韓論で敗れ、西南の役で敗れ、ついに明治10年(1877年)9月24日、敗戦の責任をとって自刃しました。
 昔から西郷隆盛の人物評には二説あります。ひとつは、日本的リーダーの魅力とされる、無口、豪放磊落(ごうほうらいらく)、人情味を備えた、軍事的指揮官として名将ぶりを強調する説。
 もうひとつは、彼の風貌人柄にごま化されるが、所詮は軍事的指揮官に過ぎず、平時の行政能力、国際感覚などの先見性はゼロ、彼を買いかぶり過ぎているという説と二つあります。
 朝敵の汚名をきたまま悲劇的な死を遂げても、義経に対する“判官(ほうがん)びいき”と同じく、国民の隆盛に対する人気は一向に衰えをみせません。
 明治政府は明治22年(1889年)、西郷に貼り付けた「賊」の名を除き、剥奪していた正三位を改めて追贈しました。
 折柄の軍国主義熱に便乗し、隆盛を「征韓論の英雄」に復活させ、朝鮮半島侵略のムードづくりに利用するためです。
 明治31年(1898年)12月18日には、上野公園に西郷隆盛の銅像を建て、朝野の名士を招き盛大な除幕式を行いました。
 この日隆盛の夫人が招かれましたが、除幕した銅像の顔を見て「うちの人、こげん顔していません」と漏らし、関係者をあわてさせたという秘話が伝わっています。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 12月18日土曜日は、いつもの大暴れアクアをお休みし、東京で最も高い山、雲取山へ行きました。雲取山は東京都、埼玉県、山梨県の1都2県にまたがる、東京で最も高い山で日本百名山のひとつです。標高2017 m。コメツガ、シラビソの樹林帯が広がります。秩父の山地はジュラ紀に沈み込み体に伴う付加体として隆起した石灰岩主体の山岳で形成されていると地学の教科書に書いてありました。
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 今回はひとり旅ではなく、富士登山でお世話になったアミューズトラベルのツアーに参加しました。雲取山の先達さんは、年齢を超えて元気な倉持お姉さんと白砂さん、富士登山のときとまったく同じ布陣。参加者もセントラルのメンバーと「なんでもトライアスロン」のお仲間。セントラルは別名、浦安湯屋とは言わないのでしょうか。037.gif
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そして、大井町湯屋からの参加者は毎週土曜日に一緒に大暴れアクアで鬼婆退治をしているよしこさんといい歳、わたくし。運転手さんを入れて総勢17名。今夏、富士登山に参加した大井町湯屋メンバーは、加齢を理由に参加を断念しました。
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 朝7時に上野駅公園改札口に集合。前日は忘年会であったため、自重はしたものの、かなり眠い朝でした。バスを待っている間、上野駅越しに見える東京スカイツリーの写真を撮っていると、道路の方から倉持さんの大きな笑い声が聞こえたので、バスが到着したことがすぐにわかりました。
 バスに乗ると、富士山でご一緒した山ガールのすみちゃん、樋口さんご夫妻、あきちゃん、三浦さん、羽入さんとほぼ4ヵ月ぶりの再会。しかも、大井町湯屋のよしこさん、吉田さんは読んでもくれないのに、すみちゃん、樋口さん、三浦さんは私のこのブログの愛読者であるらしいのです、と勝手に思い込みました。
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 定刻通り、17名を乗せて、7時に上野を出発。奥多摩湖周辺の小袖乗越へ向かいました。ここから登山口へと入って行きます。向かうバスの中では、雪山に備えて、アイゼン装着の練習。私は前もって、倉持さんにお願いして、三浦さんに買っておいてもらいました。ありがとうございます。そして、白砂さんから雲取山コースの説明がありました。雲取山は落葉広葉樹林帯で冬の季節は葉が落ちて見晴らしが利くため、今の季節が最適であり、なだらかで昇りやすいコースのようです。なだらかな分、距離は長く、この日に歩く総距離はおよそ10 km、6~7時間の道のりになります。また冬山登山では防寒が大事であり、薄着を何枚も重ねて着るのがコツだそうです。042.gif042.gif042.gif
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 10時前に小袖乗越の駐車場にバスが到着。ストレッチを行って、いよいよ出発。10時過ぎ。私は薄着を4枚重ねていましたが、登山口に入る前に暑くて2枚脱いでしまいました。半袖でもよかったかなと思っています。042.gif042.gif042.gif
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 雲取山に行くのに、空には雲ひとつない青空が広がっており、得意の青一色の青空写真を撮ってしまいました。富士山とは違って、土の道でとても歩きやすい昇り道でした。途中、何度もダイヤモンド状の太陽の写真を撮りました。
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 小袖乗越から堂所を通り、ブナ坂で巻道をして奥多摩小屋へ向かいました。ブナ坂の巻道あたりから残雪が観察され、片側の斜面は深い谷になっています。歩きやすいコースといえども、落ちたら死んでしまうでしょう。しかし、この巻道を抜けると小雲取山へ続く広い山道が現れて、素晴らしい景色が広がっていました。下山してきた学生さんが「しばらくこの景色が続きますよ。」と教えてくれました。南西の方角には8月に登った霊峰富士も見えていました。そして歩き始めて5時間、15時過ぎにようやく奥多摩小屋に到着しました。北東の空には月が出ていました。072.gif072.gif072.gif
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 しかし目的地の雲取山荘までにはもうしばらくかかります。小雲取山から雲取山山頂(標高2017 m)に着いた16時過ぎには太陽が紅く色づき始めていました。山頂でしばし休憩。皆さん思い思いに記念撮影を済ませて、暗くならないうちに雲取山荘を目指します。雲取山山頂から雲取山荘までは20分ほどとのこと。
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しかし、ここからが一つの難所になりました。山頂から山荘への下り道は北側斜面になるため、残雪が凍結し、今まで昇って来た道とは一転して危険な道でした。私も倉持さんに頼り切って、慎重に歩を進めて行きましたが、滑って2回も尻もちを付いてしまいました。やはり山頂でアイゼンをつけるべきだったでしょうか。山荘に到着したころには、すっかり暗くなっていました。私が山荘前の階段をもたもたと降りていると、あきちゃんが足元をヘッドランプで照らしてくれました。山荘の時計を見ると16時48分を指していました。

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 山荘に着くと、私よりも太った牢名主のような山小屋のおやじが居て、玄関を閉めない登山客を「早く入って、扉を閉めてくれ!」と言って、怒っていました。12月18日はクリスマスパーティーが催されるため、雲取山荘にはクリスマスパーティーを楽しみに登って来た登山客150名が宿泊したようです。その前に、先ほどの牢名主に睨まれながらの夕飯を済ませました。ご飯のおかわり自由。お願いをすれば、ご飯を東京スカイツリーのように盛ってくれます。私は2杯、あきちゃんは3杯おかわりしました。038.gif038.gif038.gif
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 夕飯後、クリスマスパーティーが始まるまで部屋で皆さんが用意してくれたおつまみとお酒で一杯。そして、19時、夕飯を食べた食堂には山小屋の人が飾り付けをしてクリスマスパーティーの開始。あの牢名主も飾り付けを手伝ったのでしょうか。
 各テーブルにはケーキ、オードブル、手羽先、シャンパンが用意され、合図とともにクラッカーを鳴らして、クリスマスのお祝いをしました。
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 そして、部屋に戻って、消灯21時まで再び宴会。21時にはすべての電気が消されてしまいます。コタツを真ん中に置いて、放射状に布団を引いて、コタツに足を突っ込んで寝ました。明日の朝は早いぞ。

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 雲取山縦断はまだまだ続きます。
To be continued.
 
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by ryott-ryott | 2010-12-21 02:00 | 雲取山縦走

いい歳、りょうちゃんの夕焼け散歩ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 先週、六本木ヒルズ展望台スカイデッキへ行き、夕景を撮影したことを報告しました。その翌日もぬけるような青空が広がり、葛西臨海公園へ行き、燃えるような太陽が西の空へ沈んでいくところを撮影できました。
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 9月、10月、11月と遠出をしても、夕景に関しては満足いく写真を1枚も撮影できませんでしたが、ここ葛西臨海公園との相性は抜群のようです。

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 アマデウス・モーツァルトは、音楽史上不滅の光彩を放つ大作曲家ですが、惜しいことに35歳で、短くも華麗な生涯を終わりました。
 彼の幼少時代は“神童”としてヨーロッパ各地に招待され、宮廷や貴族の人たちに、その豊かな音楽的才能をもてはやされました。

 オーストリアの王女、のちのフランス革命で非業の死を遂げた、あのマリー・アントアネットは、彼を弟のように可愛がったといわれます。
 14歳でローマ法皇から「黄金拍車の騎士」という名誉ある位を授けられ、十字勲章をももらいました。華やかで幸福な前半の人生でした。

 ところが、20歳を過ぎたころから、運命の歯車は逆にまわりはじめ、故郷の実力者ザルツブルグの大司教と意見が合わず、母とともにパリに出ましたが、職もなく、母も亡くしてしまいました。
 25歳になってウィーンに移り、歌劇『魔弾の射手』の作曲家ウェーバーの姪と結婚しましたが、うまくいかず、生活のためにたくさんの作曲をしましたが報われず、次第に健康を害していきました。

 1791年7月、貴族の使者と称する灰色のマントを着た男が訪れ、死者の霊をなぐさめる“レクイエム”(鎮魂歌)の作曲を依頼していきました。
 彼は自らの死を予感し、熱心に作曲しましたが、完成を待たず、その年の12月5日に死去しました。

 昔から、彼の才能をねたんだ宮廷音楽家アントニオ・サリエリが、“毒殺”したとの噂が高く、それをテーマに、ピーター・シェファーが製作した、舞台劇とその映画化『アマデウス』が全世界の話題をさらいました。
 彼は歌劇『魔笛』『フィガロの結婚』など、626曲の名曲を残しました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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今週は忘年会週間でした。水曜日と金曜日は勤め先2か所の忘年会に参加。とくに金曜日は店で寝てしまい、気が付いたら朝4時30分。始発の電車で帰りました。日の出までまだ時間があり、空を見ると雲ひとつないので、つばさ公園まで行って朝陽を見ました。
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羽田空港越しに東京湾から昇る朝陽を見ることが出来ました。わざわざ遠くに行かなくても東京のこんな場所できれいな朝陽を見ることが出来ることに驚きました。
初日の出は東京でスポット探しをすることにしましょうか。

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そして、今週末の12月18日は富士登山でお世話になったアミューズトラベルの企画で東京最高峰の山・雲取山に行くことにしました。
今年後半から富士山を皮切りに、9つの山へ行き、雲取山で10回目になります。
立山はバスとケーブルカーで、鳥海山は8合目までの展望台だったので、自分の足で昇るのは8回目です。大井町湯屋仲間からは結局、よしこさんと私だけの参加で、般若の阿部ちゃんなど他の方々は高齢を理由に今回見送ることにしたようです。

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8月28日・29日  富士山 3776 m
9月19日     立山  2450 m
9月24日      月山 1984 m 、湯殿山 1500 m
9月25日     鳥海山 2236 m
9月 26日      羽黒山 414 m
11月 3日     達磨山 982 m 、金冠山 816 m
11月21日     開聞岳  924 m

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アウトドアショップの店員さんが2年前に行った時は、頂上付近はガチガチに凍っていたそうです。やはり軽アイゼンを用意しなければいけないようです。アウトドアショップでは綿でないインナー、長袖シャツ、冬用登山用ズボンそして開聞岳でなくしてしまった磁石を買いました。雲取山ではなくさないようにしたいと思います。
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by ryott-ryott | 2010-12-12 23:10 | 太陽散歩

いい歳、りょうちゃん、平和を願い、只一筋に征くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 基地を発進して、約2時間30分、
 前方の水平線上に
 豆粒大の敵艦船群が姿を現す。
 隊長はサッと手を挙げ、
 「突撃!」と力強く前へ振る。
 いよいよ、愛機、爆弾もろとも敵艦も
 体当たりする瞬間がきた。

 エンジン全開で急上昇する
 隊長機に、
 隊員機も必死で後に続く。
 高度1000 mに到達すると、
 編隊は左右に散開し、
 突入態勢を整える。
 一斉に浴びせられる、敵艦船群の対空砲火。
 炸裂する高角砲弾の爆風が、
 特攻機の機体をガタガタと震わせる。
 撃たれてたまるか・・・
 必ず沈めてやる!

 空母に狙いをさだめ、無電の電鍵を素早くたたき、
 信号を送る。

 「ワレトツニュウス―――」

 歯を食いしばり、目を見開き、
 全身の血をみなぎらせて、
 一瞬、操縦桿を浮かし、グイッと前に倒す。
 レバー全開、
 エンジンがうなりを上げ、機体が急降下する。

 最後の瞬間、今までの何万倍ものスピードで、
 敵艦が目の前に迫る。
 さようなら
 さようなら
 故郷よ、友よ、母よ―――
 愛する全てのものに別れを告げて、
 ただ一筋に突入する。

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 1945年4月、戦況は悪化の一途をたどり、力と数に勝るアメリカの軍艦を沈めるためには爆弾をつんだ飛行機で飛んで行って、「体当たり」するしかほかにない、と日本軍は考えました。
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 500 kgの爆弾を飛行機に積み、片道分の燃料しか入れず、「特攻隊」(特別攻撃隊)は飛び立っていきました。
 鹿児島・知覧から飛び立ち、散って行った命は1036名。知覧特攻平和会館へ続く道には1036名全員の魂を慰めるための燈篭が建てられていました。
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 南国の旅・最終話は知覧特攻平和会館へ行きました。そこには1036名の遺影と、自分の家族に宛てた最期の手紙がありました。

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 四月二十日

 最後の基地 知覧飛行場へ参りました
 兵舎は爆撃の為に毀れて居ります
 余りのなつかしさに 私のかつて寝たと思われる所を歩きまわりました
 知覧で操縦をおぼえ知覧をとびたって終わりになろうとは
 明日はいよいよ出撃です
 花々しく戦います
 花々しく戦って必ず敵艦を屠ります

 皆さん御安心下さい
 私の心はいま日本晴です

 お母さん
 おばあさん
 お父さん
 おじいさん
 皆さま
      さようなら

 四月二十日 二十一時三十分
 (「渡辺少尉が母宛に綴った日記」より)

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明日出撃することが決まると、この三角兵舎に宿泊し、酒と最後の晩餐が用意されました。
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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 パリの歓楽街の踊り子や、娼婦たちなど、世紀末の頽廃を好んで描いた画家ロートレックは、南フランス最古の都市といわれるアルビで、1864年11月24日に生まれました。
 父は中世フランス王家の血筋をひく貴族で、母はその従妹(いとこ)でした。
 血族結婚のせいか、ロートレックは生来病弱で、よその子どものように、戸外で活発に遊ぶことなどは出来なかったようです。
 それだけに家族からは“小さな宝石”と呼ばれ可愛がられ、いつしか室内で絵筆を握るようになりました。
 そのころのノートや、教科書のスミに描いたデッサンを見ると、早くも画家としての天分を十分に発揮していることに驚きます。

 病弱に加え、少年期に左足や右足大腿骨を骨折し、体が不自由なため、本格的な絵の勉強をするため、18歳のときにパリに出ました。
 彼はモンマルトルにアトリエを持ち、ここでドガやゴッホなど、のちの巨匠たちと知り合いになりますが、同時にお金持ちの坊ちゃんとしてチヤホヤされ、毎晩、酒と女に明け暮れる生活を過ごしました。
 彼が歓楽街の踊り子や、場末の娼婦たちの中に浸っていたのは、日本でいえば永井荷風と同じように、その内側から、彼女たちの生活を通して人生を見ようとしたものと思われます。
 世紀末の頽廃といわれながらも、虚飾のない裸の人々のなかに、彼なりのやすらぎと、生きがいを感じていたのかもしれません。
 惜しいことに、その不健康な生活がたたり、わずか37歳という若さで亡くなってしまいました。
 パリで、ムーラン・ルージュあたりを散歩すると、なんとなくロートレックを思い出します。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 屋久杉でつくられた作品
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 首のところにリングを入れたこけしを作っていました
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 鹿児島のお茶畑。静岡に次いで日本第二位の生産。暖かい鹿児島でもお茶は霜に弱く、霜がたたないように扇風機を回していました。

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 知覧特攻平和会館を見たあとは、知覧の武家屋敷へ行きました。8つほど武家屋敷が観光客向けに開放されていました。そのうちの一つである「佐多直忠邸」は子孫の方が御座敷にいて、お庭の説明をしてくださいました。庭を見たときに遠山からの借景になっているのは子孫繁栄を願って作られているとのこと。そして、庭の石の裏側を見て御覧なさいとおっしゃるので、覗くと石がくり抜かれていました。遠くから運ぶため、石を少しでも重量を減らしたそうです。
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またお屋敷の壁を見るとオレンジ色の壁になっており、特定の部屋の壁がそうなっていました。出水のときと同様に当主あるいは長男だけがそのオレンジ色の壁の部屋にしか入れなかったそうです。妻、次男以下、娘は入ることを許されませんでした。
また葬儀のときの焼香の順番も、当主、長男、妻の順番になるそうです。母親である妻は常に長男の次の順位であり、現在もその当時の風習が受け継がれているそうです。

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そして最後に桜島が見えるところに行きました。白い噴煙を上げており、駐車している黒い自動車の屋根を見ると、火山灰が降り積もっていることがわかりました。桜島の前の海は澄んでいました。

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南国・鹿児島の旅  これにて完
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by ryott-ryott | 2010-12-11 19:30 | 南国・鹿児島の旅

国宝源氏物語絵巻、時空を超えてヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 南国の旅・最終話へ行く前に、11月28日(日)に五島美術館へ行きました。五島美術館は11月28日を最後に翌日から改修工事に入り、リニューアルオープンは再来年の2012年秋を予定しており、約2年間しばしのお別れになります。リニューアル前の展示は「国宝 源氏物語絵巻」でした。018.gif
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 リニューアル前の最後、しかも日曜日とあって、大変な人出でした。展示室へ入るまで60分待ちの長蛇の列。記念絵葉書も飛ぶように売れていました。

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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親鸞は、京都で「お東さん」「お西さん」と呼ばれる、浄土真宗の総本山、東西両本願寺教団の開祖です。苦悩と波乱に富んだ革新的宗教家の事績と、主著「強行信証」、その語録「歎異抄」に魅かされるのか、親鸞に関する本は現在もあとをたちません。
 親鸞は、覚如の書いた「親鸞上人伝絵」によりますと、父は藤原一門、皇太后宮職をつとめた日野有範で、本来ならば、宮廷に使える殿上人(てんじょうびと)の生涯を送る人であったと言われます。
 8歳のとき父の勧めで出家し、比叡山延暦寺で修行に励みましたが飽き足らず、山を下りて、「専修念仏」を唱える、法然の門に入りました。
 当時、僧侶の妻帯は許されていませんでしたが、性に悩む若き親鸞は公然と結婚し、「破壊僧」と指さされながらも、長子善鸞をもうけました。
 やがて「専修念仏」への弾圧がはじまり、師の法然とともに流罪となり、親鸞は越後に流されます。ここで親鸞は、越後介三善為則の娘恵信と結ばれ、のちに男女6人の子どもをつくりました。恵信尼は、かなり教養のあった女性で、親鸞宛の数々の手紙が残されていますが、立派なので感心します。
 建暦元年(1211年)流罪を許され、親鸞は京都へ帰らず、親子ともども、新しい布教の地として常陸を選びました。約20年、彼は数多くの門徒、弟子を捨て、再び京都に戻りました。不服な門徒たちの要請に応え、長男善鸞を派遣しますが、この善鸞が父に背いてしまいます。
京都はまだ弾圧の余波が残り、親鸞の悩みは尽きません。しかし親鸞にも終焉の時がやってきました。弘長2年(1262年)11月28日、愛の炎をくぐり抜け、煩悩と苦渋に満ちた80年の生涯を閉じました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 さらに今週の土曜日はとても天気がよかったので、大井町湯屋での大暴れアクアをやめて、六本木ヒルズの展望台、スカイデッキへ、夕景を撮りに行きました。
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 すぐに展望台へ上がれると思ったら、五島美術館同様、長蛇の列。早く上がらないと肝心の太陽が沈んでしまいます。展望台+森美術館+スカイプラネタリュームのセットで1800円の料金を支払い、52階までエレベーターで移動。スカイデッキへすぐに入れると思ったら、さらに300円必要とのこと、すべてで2100円支払い、しかもカメラと携帯電話以外はコインロッカーへ入れて、カバンなどの持ち物を展望台へ持っていくことができません。こんなことだったら、お金を取られない『葛西臨海公園』へ行くべきだったと後悔しました。
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 何とか日没前にスカイデッキへ上がることが出来ました。東側に東京タワー、北東側には建設中の東京スカイツリー、スカイツリーと東京タワーを同時に見ることができました。024.gif
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 西側には富士山と丹沢山系、富士山の南側に日が沈んで行きました。
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 折角なので、森美術館とスカイプラネタリュームにも行きました。森美術館の展示は小谷元彦展 幽体の知覚をやっており、怪奇系の展示だと思いました。
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そして長蛇の列のほとんどのお客さんはスカイプラネタリューム目当てです。私たちが普段見ている星座を構成している星は太陽と同じ恒星であり、一定の方向へ動いているため、100万年後、200万年後と時間の経過とともに星座の形が変化してしまうということや、オリオン座を構成している7つの星の配置を2次元的に見ていますが、横から見ると奥行きがあり、3次元的に離れていることなど、とても勉強になりました。おそらく紫式部も同じ星を見ていたにちがいありません。

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by ryott-ryott | 2010-12-05 22:30 | museum

いい歳、りょうちゃん、出水の鶴に会いに行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 11月22日(月)、南国の旅、3日目。この日は朝から雨、しかし西から天気は回復し、夕方には晴れ間が広がるとの予報でした。
 私に南国の旅を決意させたのは、出水に来る1万羽の鶴を見てみたいとの思いでした。私が仕事で鹿児島の出水市を訪れたのは9月。鶴はまだ1羽も飛来していませんでした。

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 出水市のホームページで現在の鶴の数を確認すると、9000羽が飛来しているとのこと。ほとんどの鶴はナベヅルであり、ロシアや中国で繁殖し、この時期に鹿児島まで渡って来て越冬します。
 鶴の居るところは柵で目隠しされており、夜間などに車のヘッドライトが鶴にあたらないようにしています。鶴を見ることが出来るという展望台へ行く途中にも、田んぼや畦道に鶴を見ることが出来ました。しかし、鶴は警戒心が強く、車や人の気配を感じるとスーッと遠ざかっていきます。
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 展望台の近くにも観察小屋があり、餌付けをしており、主に麦を与えているそうです。鶴は雑食で魚、昆虫、穀物、野菜など何でも食べるそうです。ある程度、餌付けをしないと畑の作物を食べてしまうことがあるために餌付けを行っているとのことでした。
 餌付けされた鶴は人にも慣れて、簡単に近づいてくるそうですが、私が行った時にはまだその段階にはなっていませんでした。鶴が飛来しはじめ、2ヵ月くらい経った12月ごろから、餌付けされた鶴が田んぼや畑が隣接する民家にも出没する姿も見られるそうです。
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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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アメリカのケネディ大統領というと、思い出すことが5つあります。
第一は、大統領就任のときの名演説です。
「アメリカの国民諸君!諸君は国家が諸君に何をなすかを問い給うな。諸君が国家に何をなしうるかを問い給え。人類の自由と平和のために、我々が何をなしうるかを問い給え!・・・・・」この格調高い就任演説は、リンカーンの「人民の、人民による、人民にための政治」といった、あの名演説とともに、歴史に残る感動的な演説です。

第二は、キューバ島に建設されたソ連ミサイル基地の撤退を求めた時の毅然とした態度です。さすがのフルシチョフも撤退に応じました。

第三は、あの暗殺です。たまたま、日米間にテレビの衛星中継が開始された当日だっただけに、意外な大事件の報道に、みんながびっくりしてテレビの前に釘付けになりました。
 1963年11月22日、将来を期待されていた若きアメリカ大統領ケネディは、遊説先のダラス市内で、オズワルド青年の凶弾に倒れてしまいました。享年46歳でした。
 
第四は、弟ロバート・ケネディの暗殺です。ケネディ家には、不幸な事件が多発しました。呪われた家系なのでしょうか。それともCIAの謀略だったのでしょうか。
 
第五は、ジャクリーヌ夫人の再婚です。あの悲劇の大統領夫人が、いくら優雅な生活に憧れたからといって、ギリシャの大金持ちオナシスに嫁ぐとは、日本の常識ではとても考えられないことです。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 日本一のお地蔵様
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 日本一の鈴

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 出水の武家屋敷。ここでNHK大河ドラマ「篤姫」のロケが行われました。佐々木すみ江扮する菊本が宮崎あおいの「篤姫」を追いかけるシーンがここで撮影されました。そのシーン撮影で石畳に躓いて、佐々木すみ江が転んでしまったと武家屋敷の方が説明していました。018.gif018.gif018.gif018.gif037.gif
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武家屋敷はバリアフリーではなく、部屋と部屋との敷居に10 cm程度の段差があります。武家社会では、その家の当主は絶対的な存在であり、その段差から先の部屋には当主、あるいは長男しか入ることが許されませんでした。当主の妻、次男以下、娘は段差の下までしか来ることが出来ず、当主に声をかける時は敷居の段差の下側に正座して、ご主人さまにお声かけすることをしていたそうです。いまの岡田家とは逆の完全な男性社会でした。018.gif018.gif018.gif018.gif
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鶴とお地蔵さんと鈴と武家屋敷を見て、出水の駅に戻って来ました。だいたいの所要時間は2時間半。その間、すべて観光タクシーに乗車して周りました、その代金は5000円。東北、北海道では1時間で7000円位であったことに比べると、なんて安いことでしょうか。しかも、わがままな私が「ここで写真を撮りたい」というと、ちゃんと停まってくれます。
これで晴れていたら最高だったと思います。

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出水市は鶴と武家屋敷が有名で、バスで観光客が見に来るそうですが、出水市には大きなホテルや旅館はなく、ほとんどが霧島に宿泊しているお客さんがバスに乗ってやって来て、バスに乗って霧島へ帰っていくそうです。したがって、観光客がいなければ、街の中には人は少なく寂しい佇まいでした。出水市の産業の一つに、植木の樹木の生産を行っており、特に中国などに輸出している樹木の80 %が出水で生産されたものだそうです。出水市の樹木は「イヌマキ」という樹で、神社仏閣などに好んで植えられており、先日、京都のお寺さんが樹齢300年ほどのイヌマキを8本購入されていったそうです。そのお値段、1本1000万円。京都のお寺さんでないと、できない買い物だと思いました。
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出水の駅で「みかん地蔵」を買いました。
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黒豚のとんかつ。

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新幹線「つばめ」、特急「なのはなデラックス」に乗って、指宿に戻って来ました。朝から降っていた雨もやんで、陽が差してきたので、開聞岳が見えるところに立ち寄ってもらい写真を撮りました。開聞岳の頂上付近に北側から流れてきた雲が巻きつくように周って、、南側へ消えていきました。この雲を「巻き雲」といい、このような雲の流れのときは天気が回復傾向だと地元の方がおっしゃっていました。台風が近づいているときは、雲が東側から南を通って西に流れており、地元の人は「雲」を見て的中率100 %の天気予報をしていました。
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To be continued.
南国の旅はまだまだ続きます。

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by ryott-ryott | 2010-12-04 21:47 | 南国・鹿児島の旅