<   2011年 01月 ( 8 )   > この月の画像一覧

いい歳、りょうちゃん、700年前の景色に出会うヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 今週の土曜日も大井町湯屋へ行き、大暴れアクアをやりました。プールの水を全て掻き出そうと思いましたが、それはなかなか難しいことでした。そして、ちょうど1週間後の土曜日は大井町湯屋が休館日であるため、浦安湯屋のともちゃんにお願いして、よしこさんといい歳、私の2名で浦安湯屋の大暴れアクアビクスへ遊びに行かしてもらうことになりました。よしこさんは、私が浦安湯屋で傍若無人に暴れることを大変心配していましたが、よしこさんも同世代の人に比べれば相当に動きまわる方だと思います。
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 来週の土曜日は浦安湯屋でたくさん遊んで、夜は大井町のイタリアンのお店アレグロピアットで美味しい料理をたくさん食べたいと思います。

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 1955年(昭和30年)、フランスの国籍を得、洗礼してレオナール・藤田となった藤田嗣治(つぎはる)は、マチス、ピカソなどと並んで、世界の近代洋画壇の巨匠として知られます。

 彼は明治19年(1886年)、東京・牛込の軍医の子として生まれ、東京美術学校を卒業すると、すぐに憧れのパリに渡りました。
 四つのときから非凡の画才をもち、パリ遊学を目指して早くからフランス語を勉強していたといいます。
「パリに着し、運よくモンパルナスという美術家ばかり住んでいる真中に踏み込んだのであった。あたかも1913年は、既にモンマルトルのラビニョン街を、ピカソ、ドラン、モデリアーニ、バンドンゲン等という連中は引揚げて、セーヌ左岸のモンパルナスに移り住んでおったので、たちまち、そういう人達の禍中に投じたのであった。」(藤田嗣治『腕一本』講談社)

彼は独自の画法を確立、画壇で高い評価を得て、エコールド・パリの会員、レジオン・ドヌール勲章、ベルギーのレオポルド勲章などを受けました。
 
 昭和12年(1937年)、日本に帰国したとき、彼の日本での後援者であった秋田の平野政吉の米倉で、世界最大といわれる壁画「秋田の行事」を描き上げました。
 現在、秋田市の平野政吉美術館には、この大壁画をはじめ、藤田嗣治の作品101点が展示されています。
 昭和16年(1941年)、芸術院会員、翌17年には朝日文化賞を受けています。戦時中は戦争記録画に腕を振るいました。

第2次大戦終了後の昭和24年(1949年)離日し、フランスにもどり、晩年はスイスのチューリヒで生活し、1968年(昭和43年)1月29日、そこで亡くなりました。81歳でした。 代表作は「町芸人」「巴里の黒き家」「メキシコのマデレーヌ」など。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 日曜日は鎌倉へ半年ぶりに行きました。私がお世話になっている中国整体の先生が、鎌倉でそろそろ梅が咲き始めてきているので見てきたらどうかと勧めるので、ネットで調べると鶴岡八幡宮で牡丹も見ごろになっているとのこと。北鎌倉の円覚寺から鶴岡八幡宮まで、梅と牡丹を見に行くことにしました。
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円覚寺山門。
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奥で弓の練習をしていました。
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円覚寺弁天堂からは富士山が見えました。700年前も同じ景色だったようです。
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国宝洪鐘(おおがね)。
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明月院。今はろう梅が見頃です。
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To be continued.
この続きはまた次回。

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明月院へ行く途中に葉祥明美術館があり、水平線、地平線の絵がたくさん飾られていました。
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by ryott-ryott | 2011-01-31 00:41 | いざ鎌倉へ | Comments(0)

広島修学旅行最終話・雪の岩国錦帯橋ヽ(^o^)丿


行・地域

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今週の土曜日も大井町湯屋へ行き、大暴れアクアを思う存分やりました。プールに浸かっているだけの年配者がニコニコして、こちらを見ていると思ったら、近づいて見ると、とても怖い顔をして睨んでいました。
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広島修学旅行最終話に行く前に、今日は大井町湯屋仲間のmistyさんから新年会にお誘いいただき、築地のお店、『築地青空三代目hafu』へ連れて行ってもらいました。この「hafu」には「自由」という意味があるようです。024.gif
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中川君のレッスンでご一緒する中村姉さん、山登り初心者の私にいつもたくさんのアドバイスをしてくれる山岳部出身のてらりんさん、mistyの旦那ちゃん、そしていい歳、私の「自由」を愛する5名が集まりました。
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今回集まった方々はかつて毎日のように大井町湯屋に通い詰めて、エアロ、ステップ、アクアなどの有酸素運動を休みの日は朝から晩までやり続け、家よりも大井町湯屋で過ごす時間の方が圧倒的に多いという面々でした。私も2年以上休まずに、大井町湯屋通いを続け、それ以外にどこにも行かなかったことがあり、現在いろんな場所へ写真を撮りに出歩いていることを考えると、人生とはさまざまに変化するということでしょうか。018.gif
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「hafu」のお料理は海鮮丼が有名のようですが、岩塩の上で素材を焼いて食べる「岩塩焼き」も有名のようです。038.gif
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中村さんは来週、荏原町の「さ久」さんで新年会を計画されていたそうですが、「さ久」さんは9月いっぱいで店仕舞いしてしまったことを伝えると大変ショックを受けていらっしゃいました。

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 真白き富士の峰 緑の江の島
 仰ぎ見るも 今は涙
 帰らぬ十二の 雄々しきみたまに
 捧げまつらむ 胸と心

 “懐メロ”でよく歌われる“真白き富士の峰”、正しくは“七里ヶ浜の哀歌”です。
 この歌は、明治43年(1910年)1月23日、午後2時ごろ、神奈川県逗子にある開成中学校(現・高校)の生徒12人が、鎌倉の七里ヶ浜の沖合で、乗っていたボートが転覆し、全員が遭難した事件を悼んでつくられたものです。

 七里ヶ浜のある湘南の海は、海水浴や、ウィンド・サーフィンを楽しむ若者で賑わうところですが、当時の1月のボート遊びは、よほど天気の良い、あたたかい日であったのでしょう。
 その日は日曜日でした。舎監の先生は、転勤するボート部長鎌倉駅まで見送りに行って留守でした。寄宿舎生の12人が無断でボートを漕ぎ出しての惨事です。
 最初はだれも知りませんでした。夕方一人の少年がオールにつかまったまま人事不省になって漂流しているのを漁師が発見して船に収容し、遭難がわかって大騒ぎになりました。

 この歌は、鎌倉女学校の教師をしていた三角錫子さんが『明治唱歌』にのっていた米人ガーデンの曲に合わせて作詞したもので、合同葬のとき、鎌倉女学校の生徒が哀悼歌として合唱したものです。それが大流行し、大正時代の愛唱歌になりました。

 七里ヶ浜突端の稲村ケ崎の小公園に、二人の少年をかたどったブロンズ像の遭難碑が建っていますが、そこにこの歌詞が刻まれています。
 現在はあまりにも大きな事故が多く、このような“哀歌”を捧げきれません。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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広島修学旅行最終日は宮島に別れを告げて、広島をはなれて山口県の岩国へ錦帯橋を見に行きました。岩国は宮島から山陽本線で26分、意外に近いところです。
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錦帯橋は1673年、第3代岩国藩主吉川広嘉によって創建されましたが、昭和25年(1950年)9月にギジア台風によって流失してしまいました。その後昭和28年(1953年)に再建、平成13年から15年かけて、架替えられています。
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大名小路。その昔、この通りを大名行列が通りました。
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私が訪れたとき、錦川で鵜飼い神事が執り行われていました。
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吉香公園。058.gif
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岩国の白蛇は天然記念物に指定されています。018.gif
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岩国城へはロープウェイで。展望台からの眺望。058.gif
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先ほどまで天気がよかったのに、突然、にわかに掻き曇り、雪が降り出しました。
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目加田家。目加田家の壁には船を常に繋いでおり、錦川が氾濫した時に繋がれた船に乗って避難したそうです。
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振り袖瓦。瓦の両端が振り袖状になっています。この振り袖瓦にすると2種類の瓦を作らなければならないので、現在はコストの安い片袖式がほとんどを占めています。
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三又のつぼみ。これから黄色や赤、オレンジの花を咲かせます。056.gif

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錦帯橋の周辺を散策し、帰りの便の時間が近づいてきたので、広島空港へ向かいました。
広島空港の中にあるお店「てっ平」。グラス2杯の利き酒セット630円。好きな酒2種類を選んで、その利き酒をさせてくれるというメニューです。東京の店の感覚では、小さいおちょこにお酒を2杯持ってくるのかと思いましたが、湯のみ冷酒をなみなみと表面張力で液面が盛り上がるまで注いでくれました。私は嬉しくなって、5杯飲んでしまいました。1杯は山口県のお酒の獺祭(だっさい)をいただきましたが、それでもテーブルにこぼれるくらいに湯のみになみなみと入れてくれるのに、630円は安すぎる値段です。

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お店の方が、私の飲みっぷりを見て、たくさん飲んでくれたからと、隠していた銘酒「加茂金秀(かものきんしゅう)」を1杯サービスしてくれました。この「加茂金秀」はその蔵へ出かけないと売ってくれない逸品だそうです。040.gif
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てっ平」の壁には、有名人の色紙がところせましと貼られていました。もし自分の家が広島空港の近くだったら、毎日通いたくなるお店でした。
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広島修学旅行はこれにて完
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by ryott-ryott | 2011-01-23 17:08 | 広島修学旅行 | Comments(4)

いい歳、りょうちゃん、初詣のハシゴで厳島神社参拝ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 今年の初詣として、宮島の弥山へのお山詣りと大聖院への参詣を行い、そして初詣のハシゴとして世界遺産の厳島神社への参拝を忘れるわけにはいきません。この日も三連休の中日とあって、ものすごい数の参拝客が神社に詰めかけていました。拝殿の前で、ちょうど大鳥居を背景にできる場所があり、参拝客が並んで記念撮影を待っていました。061.gif
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 弥山、大聖院から厳島神社へ到着したのは14時くらいでした。今の時期は夕方が干潮で、お昼過ぎには潮が満ちてきて、夕方歩いていけた鳥居の下には海水が来ていました。
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 初詣のハシゴを済ませた後は、宮島の唯一の商店街・表参道商店街で遅い昼食を食べました。広島と言えば、牡蠣。何軒もの店が豪快に店頭で牡蠣を焼いていました。時計は15時近くを差していましたが、ガイドブックに載っているこぎれいなお店は満席でしかも店の前には長蛇の列。私は人気のない、こ汚い店に入りました。私が入ったこ汚い店も長蛇の列は出来なかったものの、すぐに満席になりました。しかし、こ汚い店の焼き牡蠣はおいしかったです。
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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 大津市にある「義仲寺(ぎちゅうじ)」は、木曽義仲の供養のために建てられた寺で、義仲の墓があります。ここを訪れた松尾芭蕉が「あぁ、私もここで眠りたいものだ」とぽつりとつぶやき、義仲の墓の隣に俳聖松尾芭蕉の墓が建てられました。その後、二つ並んだ墓を見た俳人が詠んだのが冒頭の句です。

元暦(げんりゃく)元年(1184年)1月20日、木曽義仲が亡くなりました。
明智光秀が三日天下と言われましたが、それよりも以前に義仲は六十日天下と言われました。

木曽義仲はもともと源氏の出で、正確には源義仲です。源氏もまた身内同士で勢力争いしており、追手から逃れるために幼い時におばさんに預けられ、木曽山中で育ちます。
山中駆けずり回って育ったためか、身長は六尺豊か(190 cmくらい)の偉丈夫(いじょうふ)になりました。体格は立派なんですが、知性・知識・教養はまるでない、都人が嫌う典型的な山家育ち(やまがそだち)になってしまいました。人としてのルール・マナーを一切身につけていない、政(まつりごと)をどのようにすればいいかも一切学んでいない、欲しいものは何でも力づくで奪う、自慢だったのは精力抜群という乱暴者でした。

そんな義仲に好機が巡ってきます。1181年に平清盛が亡くなり、平家の跡目争いで荒れ放題になっている花の都を何とかしてほしいと、後白河法皇から源氏の御曹司たちに平家追討の令旨(りょうじ)(命令のこと)が出されました。
お墨付きの令旨を受け取った義仲は木曽山中から愛人二人を伴って挙兵し、くりから峠の戦いで平家の大軍を打ち破ります。都では義仲の勢いを恐れた平家が安徳天皇とともに西国へ落ち伸びて、都は空っぽ状態、義仲は都を無血占拠しました。
このことが評価されて、後白河法皇から義仲は従五位下左馬頭(さまのかみ)・越後守(えちごのかみ)を与えられ大出世をしますが、悲しいかな、教養のない義仲にはその重みがわかりません。 「もっとわかりやすいものをくれ」と言ったそうです。後白河法皇も困りはて、「どうせコイツは馬鹿だから長くない、これでもやっておくか」と言い、なんと征夷大将軍に任命してしまい、日の出の勢いでトップに立ってしまいました。義仲は朝日将軍と呼ばれました。

しかし山家育ちの義仲は天下を統治する方法を知りません。都を占拠した5万人の兵に「好きにやれ」という命令を出しました。義仲の軍勢は都で掠奪・強奪・強姦を繰り返し、さすがに法皇もこの山猿どもにあきれ果てて、頼朝に義仲追討の命令を出します。元暦元年(1184年)1月20日に源義経に率いられた頼朝軍が、近江瀬田宇治川で義仲軍と対戦し、義仲軍を簡単に撃ち取りました。

義仲は愛人であった巴御前と敗走します。死を覚悟した義仲は愛人の巴御前に「逃げるように」と言いましたが、巴御前は「巴の最期の闘いを見ていなさい」と馬上から大長刀をふるって、追手の一人の首をはねたという逸話は有名です。
その義仲も大津の浜辺で馬が足を取られて、そこに飛んできた矢に兜を撃ち抜かれて絶命しました。31歳でした。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 今回、宿泊した宿、「いろは」です。宿の前も商店街の中も紐が張ってありました。
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 明日はいよいよ宮島とお別れ。宮島に来たもう一つの目的は朝陽を見ることです。1月9日の朝は曇っていて朝陽を見ることができませんでした。明日、宮島を出発する朝、包みが浦にもう一度、朝陽を見に行くことにしました。
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 「いろは」の方から教えてもらったのですが、毎日、朝陽が昇るのを見て育った人と、毎日、夕陽が沈むのを見て育った人の性格はまったく違うそうです。毎日、朝陽が昇るのを見て育った人の典型が、あの坂本竜馬だそうです。常に前向きで、くよくよすることとは無縁で、楽天家。これから朝陽をたくさん見ても、なかなか人のパーソナリティは変わらないと思いますが、楽天家というところだけは合っていそうです。
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 翌朝、5時半に起床。自然に目が覚めました。窓の外を見ると、どうやら雲はなさそうです。仕度をして、6時20分に宿を出て、包みが浦へ向かいました。宿でもらった地図には桟橋から40分と書いてありましたが、前日下見をしていたこともあり、目的地に25分で到着しました。確か日の出は7時10分だったはずなので、まだ30分以上もありました。東の空が赤く染まり、日の出は刻一刻と迫ります。
 そして島の合間から、赤い太陽が昇って来ました。時折、海で漁をする漁船が通り、朝日を背景にした漁の様子を撮ることが出来ました。

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To be continued.
広島修学旅行はまだ続きます。

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by ryott-ryott | 2011-01-20 23:57 | 広島修学旅行 | Comments(0)

いい歳、りょうちゃんの弥山お山初詣りヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 今日の土曜日は久しぶりに大井町湯屋で今年初めての大暴れアクアビクスをやりました。横へ移動するところで、飛び込みながらの動きがあり、近くの年寄りを溺死させるくらいの勢いで思いっきり飛び込んでしまいました。037.gif038.gif037.gif038.gif037.gif
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雲取山打ち上げも2月5日(土)に大井町のイタリアンのお店アレグロピアットで行うことが決定し、浦安湯屋のみなさん、なんでもトライアスロンのみなさんも参加してくださることとなり、現在のところ10名の参加になっています。また富士登山した大井町湯屋のメンバーにも声をかけましたので、もう少し人数が増える可能性があります。
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 また先日、広島平和記念公園を案内して下さったピースボランティアグループの辻さんへお礼のメールを出したところ、辻さんから金閣寺と、旭山神社へ初詣に行った時の初日の出の写真を送っていただきました。そして、辻さんの趣味は山登りであり、今年の目標は4~5つの百名山、特に立山三山と剣岳に今年の夏登山することを計画されているそうです。メールのやりとりをしている間に、辻さんは山登りの上級者であることがわかりました。040.gif
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辻さんが送ってくださった尾瀬・燧ケ岳から見えた富士山の写真。尾瀬から190 km離れた富士山が見えることは滅多にないそうです。10年間ガイドをしている方も尾瀬から富士山を見たのは初めてだったそうです。
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広島修学旅行のつづきです。広島平和記念公園をあとにして、公園内の元安川の船着場から宮島へ世界遺産航路を通って向かいました。片道1900円。平和記念公園から宮島へは約45分の船旅。観音様が横たわっているように見える宮島が視界に入ってきたときには太陽が徐々に焼けてきていました。
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表参道商店街。日本一大きい杓文字。

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 明治・大正の宗教家、教育家として、世界的に名を知られた内村鑑三が、有名な「不敬事件」を起こしたのは、彼がまだ30歳になったばかりの明治24年(1891年)1月9日のことでした。

 この日、東京の第一高等中学校(旧制一高)では、明治天皇の「教育勅語」の拝戴式が行われていました。校長がうやうやしく勅語を奉読したあと、三方に置かれた勅語に対し、教師と学生がその前で最敬礼をすることになっていました。
 しかし、彼だけは勅語への礼拝を拒否しました。
 彼は天皇をすごく敬愛していましたが、勅語という一片の紙きれに礼拝するのは神への冒瀆、イエスの教えに反すると考えたからでした。自分の信仰と信念を貫く通したわけです。
 しかし、当時の天皇は絶対でした。新聞は一斉に、「天皇に対して無礼だ。不敬だ。非国民だ」と大騒ぎをし、彼も「不敬事件」の責任をとって自ら退職して一件落着となりました。

 彼は上州高崎藩士の子として江戸に生まれ、札幌農学校(現・北海道大学)に学びました。
“少年よ大志を抱け”で名高いクラーク博士の感化を受けてキリスト教を信奉。のちアメリカに留学してアーマスト大学で神学を学び、帰国して教壇に立ってわずか10ヵ月でした。
 以来、彼は著述に専念、「万朝報」の客員としてキリスト教的文明批判でその筆名をはせました。

 だが、日露戦争を支持する「万朝報」の態度に反発し、客員を辞して非戦平和論を強く主張しました。
 彼は熱心な無教会派のクリスチャンで、生涯を聖書研究に捧げました。
 著書のうち、『余はいかに基督信徒となりし乎』『代表的日本人』は、広く海外で評価された名著です。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 広島旅行2日目は宮島の弥山(みせん)標高535 mへ今年初めての山登りをしました。標高535 mと、高尾山よりも少し低いくらいですが、海岸線標高 0 mからの登山であったため、高尾山に比較すると道のりは長かったのではないでしょうか。
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 弥山山頂へ向かうルートは3つあります。1つは紅葉谷公園から向かう紅葉谷コース。このコースは一番なだらかで、山頂まで約90分。紅葉谷公園から山頂近くの獅子岩駅までロープウェイが通ってします。山登りが目的でない人はロープウェイで山頂へ向かいます。2つ目は真言密教のお寺・大聖院の脇から登っていく大聖院コース、山頂までやはり90分ほどかかります。そして3つ目は大元公園から向かう大元コース、山頂までは120分のコースです。私はロープウェイを使う紅葉谷コースなどは選ばず、大元公園の脇から登山道へ入っていく最も長い大元コースを生意気にも選びました。厳島神社の裏手を通り、大願寺の前を通って、海岸線に沿って大元公園まで行きました。037.gif
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今年初めてのお山詣りに向かう年配者の集団。目的地は多分、私と同じでしょう。
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清盛神社。清盛の妻である二位尼が壇ノ浦で幼い安徳天皇を抱いて入水し、その二位尼の遺体が宮島に流れ着いたと言われています。
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宮島水族館は現在改装中。2011年8月にオープン予定。
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あんなに数多くいた山頂へ向かうと思われる人たちは、大元コースには誰ひとりいませんでした。この日は朝から曇りで、時折、雨がちらつき、誰もいない登山道は寂しさを増していました。私が大元公園の登山道に入ったのは午前9時26分でした。
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大元コースの登山道は樹林帯におおわれ、急こう配な道も多くありました。042.gif
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山頂が近づくにつれ、断崖絶壁や奇岩というべき大きな石が姿を現しました。

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朝は雲が厚く垂れこめていましたが、その雲も徐々に切れてきて、山頂近くに到達したときには陽射しが登山道を照らしはじめていました。
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賽ノ河原。大元コースには登山者が誰ひとりいませんでしたが、ここまで来ると厳島神社の前で見かけたと思われるたくさんの登山者の姿を再び見ることが出来ました。
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そして、ついに弥山山頂に到着。午前11時15分でした。登山道入り口から1時間49分。海岸線からは悠に2時間を超えていました。
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今日の大元コースは陽射しもなく、殺風景でしたが、山頂に到着した時にはご褒美とも言える景色が広がっていました。038.gif038.gif038.gif
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下山は真ん中にある大聖院コースを降りて行きました。
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大聖院コースは、大元コースとはちがって、視界が開けており、明かるい登山道でした。景色がよい大聖院コースを知っていれば、ほとんど景色を楽しむことが出来ない大元コースに登山者が集まらないことが理解できました。

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To be continued.
広島修学旅行はまだまだ続きます。

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大聖院コースの終点には真言密教のお寺・大聖院があります。
私はこの大聖院にお詣りし、2011年の初詣としました。
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チベットから来た弥勒菩薩と砂曼荼羅がありました。
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愛染明王は愛のキューピッドなんだそうです。欲望の浄化・災害の除去・縁結びの仏様で、6本の手のうち、2本の手に弓と矢を持っているのは、この矢で相手の心を射落とすそうです。
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仏足跡。
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釈迦如来と十六羅漢。

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by ryott-ryott | 2011-01-16 20:16 | 広島修学旅行 | Comments(0)

いい歳、りょうちゃんの広島平和記念公園・平和学習ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 今回の広島修学旅行は原爆ドームと広島平和記念資料館での平和学習から始まりました。
1月8日(土)からの3連休は、はじめての広島で、原爆ドームと宮島・厳島神社の2つの世界遺産はもちろんのこと、宮島のパワースポットである弥山(みせん)標高535 mのお山詣り、そして岩国の世界遺産登録を目指している錦帯橋へ行ってきました。

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 広島へは時間を節約するため飛行機で行きました。土曜日の朝は快晴、羽田空港の展望台から、日の出を見ることが出来ました。
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 前回、広島平和記念資料館の報告をしました。今回はそのつづきです。
 
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 事前に予約することで館内と平和記念公園内の解説を、ピースボランティアの方が無料で説明してくださいます。私は3日前に電話で予約し、平和記念公園内の説明をお願いしました。私の案内をしてくれたのは、ピースボランティアグループの辻さん、68歳です。辻さん自身も広島で被爆し、血液の白血球、血小板の数に異常があるという方です。
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 資料館受付前で待ち合わせ。最初予約をとるときは所要]
時間1時間と聞いていましたが、園内には60以上のモニュメントや慰霊碑などがあり、全て周るには2時間あっても足りないとのことでした。約90分を目安にして、主なものを周っていただくことにしました。

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 被爆したアオギリの木。1月の寒い時期は葉は茂っていませんが、毎年、青々と芽吹いているそうです。この木は爆心地から約1 km離れたところで被爆しましたが翌年1946年の春には芽が出て、被爆した広島市民に生きる勇気を与えました。現在ではこのアオギリの木を分苗して、全国の小学校に平和学習の教材として植えられています。一番右側の木は被爆したアオギリの2世です。
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峠三吉(詩人)の詩碑『にんげんをかえせ』。峠三吉は最初、戦争を肯定する考えを持っていましたが、本人が爆心地から約3 kmのところで被爆し、戦争は間違いであるという考えに変わっていきました。この詩碑の下には本人が使用した万年筆など文筆に使用した遺品が納められています。
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嵐の中の母子像。本郷新が設計し、広島市婦人会連合会が建立したと記されています。右手に乳飲み子、左手で子どもを背負い生き抜こうとする母の姿です。
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祈りの泉。平和記念公園は、大阪万博や東京都庁新庁舎の設計に携わった丹下健三が設計しました。原爆投下後に被爆者が水を求めていたことから、園内には水の施設が数多くあります。私が訪れた日は快晴の天気、祈りの泉に虹がかかっていました。
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祈りの泉に上に輝く太陽は、ダイヤモンドのようでした。
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平和の像『若葉』。ここにノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士の詩が刻まれています。「まがつびよ ふたたびここへ来るなかれ 平和をいのる人のみぞここは」と書かれています。「まがつび」とは「禍つ日」で、「禍禍(まがまが)しい」という言葉から想像できるように禍と災害をもたらす神のことです。原爆は人類が経験した最も大きな禍でした。
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原爆で被爆し茶色く変色した広島市役所庁舎の石を平和記念公園へ移設しました。
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原爆死没者慰霊碑(広島平和年記念碑)。その延長線上に原爆ドームがあります。
「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」。
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ホノルル市と広島市は姉妹都市であり、ホノルル市から贈られた椰子の木です。平和記念公園内には約6000本の樹木が植えられており、広島県の樹の「楠」も多く植わっています。広島県の花は「夾竹桃(きょうちくとう)」です。
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被爆した在日韓国人のための慰霊碑。韓国では亀に乗って、龍神になるという伝説があり、ご覧のような慰霊碑になっています。この慰霊碑は平和公園の外にありましたが、同じ被爆者の慰霊碑として、1999年に平和公園内へ移されました。
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平和の観音像。公園内に特定の宗教を示す仏像などを設置することは法律で禁止されていますが、平和公園は特例として観音像が建てられています。
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平和の鐘、平和の時計塔の音は、日本の音風景百選に選ばれています。そして毎朝8時15分に時計台から音が流れます。
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動員学徒慰霊塔。

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 昭和39年10月、東京オリンピックのマラソンで銅メダル(3位)を獲得、久しぶりに日の丸の旗を挙げたのは、福島県須賀川市出身の円谷幸吉選手でした。

 それから4年、メキシコ・オリンピックが開かれる年の正月です。
 東京オリンピックのマラソンで優勝したエチオピアのアベベ選手が、「今年のマラソンの優勝は、日本の円谷になるだろう」と予言したことから、新聞、テレビなど、マスコミはその談話を大きく取り上げ、円谷への期待を盛り上げました。
 しかし、自衛隊体育学校に籍をおく円谷は、思いがけない足と腰の故障で十分練習ができません。日増しに高まる期待感の重圧に耐えかねて、悶々の日々を過ごしていました。そして、ついに正月、故郷に帰った昭和43年の1月8日、枕元に遺書を残して自殺しました。

「父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。干し柿、モチも美味しゅうございました。
 敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました。(中略)
 父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。
 気が安まることもなく、ご苦労、ご心配をお掛けいたし申し訳ありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。・・・・・・」

 この遺書が公表されたとき、ノーベル賞作家の川端康成は、千万言をもってもつくせぬ哀切であると言って、次のように感想を述べています。
「“美味しゅうございました”という、ありきたりの言葉が、じつに純ないのちを生きている。そして遺書全文の韻律をなしている。美しく、まことで、かなしいひびきだ。」
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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本川(ほんかわ)の向こうに見えるのは「本川小学校」。『はだしのゲン』原作者の中沢啓二が通っていた小学校です。原爆投下時、本川小学校には400名の生徒と10人の教員がいました。そして、教員ひとり、生徒ひとりしか助かりませんでした。その時、たった一人生き残った生徒、居森清子さんは現在も横浜でご健在とのことです。
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相生橋はめずらしいT字型のため、原爆投下場所の目印として目標になりました。
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元安橋のところに建つ「大正呉服店」。現在はレストハウスになっています。この大正呉服店の従業員のひとりもたまたま地下室で仕事をしていたため、助かりました。地下室にいたとはいえ、たくさんの放射線を浴びているはずですが、その方は84歳まで生きられました。
そして、この元安橋の延長線上に爆心地があります。島病院の上空、580 mで原爆が炸裂しました。元安橋の左右両脇にある柱の石が爆風で外側にそれぞれ半分ずれたと言います。
爆心地近くのお寺の墓石はひび割れており、原爆の傷が刻まれています。
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ここで辻さんともお別れ。平和記念資料館も平和記念公園もとても90分では周りきれませんでした。ここにはもう一度、来なければならないと思いました。再び来ることを、胸に誓い、広島平和記念公園をあとにしました。

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平和記念公園から船に乗って、第二の目的地、宮島へ向かいました。

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To be continued.
広島修学旅行はまだまだ続きます。

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by ryott-ryott | 2011-01-15 11:39 | 広島修学旅行 | Comments(0)

いい歳、りょうちゃんの広島修学旅行ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 まがつびよ ふたたびここに くるなかれ 平和をいのる 人のみぞここは
                                      湯川秀樹
 
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 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、広島は世界ではじめての原子爆弾の被害を受けました。原爆が投下された当時は、広島には約40万人の人がいたと言われています。そして爆心地から半径500 m以内にいた人はほぼ即死、あるいはその日のうちに死亡したと言われています。正確な死亡者数はわかっていませんが、1945年12月までに約14万人の方が亡くなりました。そして、平成22年までに26万9447人の被爆者が亡くなり、今もなお23万人の被爆者手帳を持っている方がいるそうです。被爆者手帳を受けられない人も含めれば、その数は秤知れません。
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私は成人の日を含む3連休に、はじめて広島を訪れました。広島平和祈念資料館は事前にお願いをすれば、資料館内あるいは平和記念公園内の慰霊碑についてピースボランティアの方が解説していただけます。私は公園内の慰霊碑の説明をお願いしました。
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その前に広島空港からバスで広島バスセンターへ移動し、歩いて平和記念公園の入口にある原爆ドームへと向かいました。1月8日(土)は東京もとてもいい天気でしたが、広島も負けないくらいの青空が広がっていました。
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原爆ドームは当初「広島県産業奨励館」という名称であり、広島県内の物産の展示と即売、美術品の展覧会場として、大正4年(1915年)にチェコの建築家ヤン・レツルによって設計・建築されました。
8月6日のあの朝に、「広島県産業奨励館」の南東の方角、約100 m離れた島病院の上空580 mで原子爆弾が炸裂しました。島病院の患者さん、看護婦さんはすべて即死しました。院長は約70 km離れた場所へ往診に出かけていたため助かりました。
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原爆は爆発した1秒後には半径280 mの火の玉となり、音速よりも早い風速毎秒440 mの爆風と、中心温度100万℃、爆心地周辺の地表面が4000 ℃になるほどの熱線が人も建物も全てのものを焼きつくしました。台風の風速毎秒20 mで立っていられないほどであることを考えると、その威力は想像もつきません。1 平方メートル当たりにかかる風圧は19 トンであったと推測されており、衝撃波のような爆風と熱線に曝されながらも、「広島県産業奨励館」があれだけの姿をとどめたのは奇蹟と言われています。
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「広島県産業奨励館」も原爆ドームと呼ばれるようになり、時間とともに老朽化が進み、1960年には解体される運命でした。1歳のときに被爆した、高校1年生の楮山ヒロ子さんが、「8時15分、平和の鐘が鳴り外国代表のメッセージを読み終わり、14年前のこの日この時に広島市民の胸に今もまざまざと、記憶されている恐るべき原爆が14年たった今でも、いや一生涯焼き残るだろう。・・・あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも恐るべき原爆を世に訴えてくれるだろうか」と日記に書き遺して、1960年4月5日に急性白血病で亡くなりました。
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ヒロ子さんの日記に心を打たれた「広島折り鶴の会」が原爆ドームを保存するため
運動を開始します。追悼の会でヒロ子さんの日記が朗読され、多くの署名を集め、市民の声に動かされた広島市議会が保存要望の決議を出しました。
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国内外からの募金により、3度にわたる補修工事を行い、平成8年(1996年)、原爆ドームは世界遺産に登録されました。たったひとりの少女の平和に対する想いが、人々の心を動かし、原爆ドームは今も全世界へ平和を訴えかけています。

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。
快晴の広島市中央部上空から、「ピカ」、「ドン」という一瞬の光と音とともに、世界で最初の原子爆弾が投下されました。

この原爆の熱と爆風と放射能で、人口40万人の広島市民のうち、23万人から27万人が即死もしくは5年以内に生命を失いました。
 爆心地に近い、原爆ドームの残骸が見える広島平和公園では、毎年この日、この時刻に、慰霊祭、平和の式典が催されます。

 この広島の原爆で亡くなった演劇人のひとりが新劇俳優の丸山定夫でした。
 どんな人だったかは、彼の友人たちが彼を偲んで鎌倉妙法寺境内に建てられた記念碑の碑文を読むとわかります。

「・・・・独異の性格俳優として、『新劇の団十郎』とまでいわれ、新劇史上に不朽の名を止めた。
 人間としても、よく読み、よく歌い、よく恋し、友を愛し、人の世話をみ、純情で柔軟な心情をもって、知る人すべてから愛された。
 が、昭和二十年八月六日、広島市堀川町九十番地『移動演劇さくら隊』の宿舎で、アメリカ軍投下の原爆に遭い、十日間の苦闘の末、十六日厳島存光寺の庫里で、四十三年の命を閉じた。
 その後、埋められた場所さえ知れずにいたのを、最近この地に朽ちかけた墓標が発見され、友人知人たちの協力で、新しく記念碑が建てられた。
 知友代表としてその由来を記す。                    藤森茂吉」

劇団の重鎮として活躍していた滝沢修、宇野重吉、杉村春子、山本安英と仕事を共にしており、生きていたら、新劇が違っていたかもしれないとの声が聞かれます。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 私が広島平和記念資料館のピースボランティアの方に説明をお願いのは午後1時からでした。それまで1時間半ほど時間があったので、まずは平和祈念資料館の中から周りました。
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 広島に原爆が落とされる前の町の様子。
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 原爆は17の都市に投下されることが検討されていました。そして、もうひとつ京都も対象として考えられていたようですが、「日本の文化の発祥地」であり、戦後の復興を考えると京都は残すべきであるとの考えがあったようです。そして、日本へ原爆を投下する目的は戦争終結であり、日本の文化の象徴でもある京都に原爆を投下すれば、おそらく日本は降伏しないだろうという意見もあり京都は外されたそうです。
 最終的に、新潟、広島、長崎、小倉の4都市に絞られ、5月28日に原爆投下の影響を正確に観測するため、この4都市への空襲は禁止されました。8月6日、小倉の天気予報は曇りであったため、晴れの予報の広島の命運が決まってしまいました。
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原爆投下直後の原爆ドーム。
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原爆ドームの模型のそばに、中日新聞のカメラマンであった松重美人さんの写真がありました。広島市千田町3丁目御幸橋西詰。松重さんの著書「なみだのファインダー」にはその時の辛さが次のように綴られています。
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『 私の目の前に見るこの光景に、カメラを向けることは、耐えがたい苦痛でありました。しかし、現実に見るこの地獄絵図を後世に残し伝えるには、写真以外にはないのです。ましてや、この場でカメラを持ち、その特権を与えられているのは自分ひとりなのです。それでも、カメラに手をかけましたが、どうしてもシャッターが切れないのです。

 私は、ガラスの破片で、顔から胸にかけ、血で真っ赤になってしまったが、自分の傷など、今、カメラを向けている被写体の人たちの傷とは比べものになりません。生死の境に苦しむ多くの眼差が、私に集中しています。
「助けて」
「水をください」
と哀願するかすかな声。
 シャッターを切ろうと思い、気は焦っても指は動かず、写せないのです。
 このように苦しんでいる人々を果たして写すべきかどうか。長い時間、ためらいました。不思議と、どこからとなく「この惨状を写真にして、多くの人に伝えてほしい」と呼びかけられているように思えてきました。それでもまだ、
 「撮ろうか、撮るまいか」
と迷いました。

 そうした幻覚のうちに私の目は、ようやくカメラのファインダーに寄りました。
 「火傷をしているみなさん、そこに横たわっている罹災者のみなさん。いま私はみなさんの死の苦しみにあるその姿を写真に撮りますが許してください」
と心でお詫びしながらシャッターを切る姿勢に入り、
「よし、撮ろう」
と、御幸橋西詰の電車道路中央千田町寄りまできて、ためらう間断のときをふりきり、1枚のシャッターを切りました。この1枚目のシャッターを切るまでに30分はためらいました。
1枚シャッターを切ると、不思議に心が落ち着き、近づいて撮ろうと思うようになりました。

 10歩(5、6メートル)ほど近づき2枚目を撮ろうと、ファインダーを覗いてみるとあまりにもむごく、涙でファインダーが曇りました。
 死ぬか生きるかの人を、追い立てられる思いで切った2枚目のシャッタ―は、あふれ出る涙の証人の姿です。・・・』

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熱線で焼けてしまった瓦、表面が沸騰した跡が残っています。
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熱で溶けてしまった瓦。
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石に残った人の影。
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真っ黒に焼け焦げたお弁当。
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原爆の惨状を示すジオラマ。
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広島からよそへ疎開していた多くの子どもたちが、原爆によって家族を失い、孤児になりました。

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1時間半では館内の資料をすべて見るには時間が足りません。最後は駆け足になってしまいました。この後は、平和公園内の慰霊碑について、ピースボランティアの方に説明いただきましたが、屋外の慰霊碑も90分では全て見ることはできません。その続きは、また次回報告します。

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被爆者たちが描いた原爆の惨状を伝える絵。
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by ryott-ryott | 2011-01-12 01:16 | 広島修学旅行 | Comments(0)

「最後の忠臣蔵」に武士道を観たヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 元旦の朝は大田区城南島海浜公園でいままで見たことのないような初日の出を見ることができました。そして、夕方はじゃんけんぽんのトントンさん、春さんのお宅へお招きいただき、ご馳走になりました。040.gif
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 しかし、そこには決して好きになれない、あの咬みつき犬も来ていました。人の顔を見れば、ワンワン吠えて、隙あらば咬みつこうとします。また常にお正月のお料理を狙っており、人が目を離した隙にお皿の上にあるものをパクリと一呑みしてしまいます。本当に悪い犬です。飼い主に似てしまったのでしょうか、飼い主はトントンさんの妹のみきちゃんです。037.gif
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 大きないびきが聞こえるので、咬みつき犬のいびきかと思ったら、みきちゃんのいびきでした。037.gif
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 トントンさんから、今年の日本酒酒蔵見学は静岡・初孫酒造になりそうだとのお話を聞きました。いまから楽しみです。しかし、その後、ネットで調べたら、静岡には「初孫酒造」はありませんでした。山形県にはあるようです。「初亀酒造」の間違いでしょうか。とにかく楽しみです。038.gif

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 元禄15年(1702年)12月14日は、「忠臣蔵」の義士討ち入りの日です。吉良上野介の首を打ちとり、泉岳寺に引揚げる途中、その門前で一人の義士が逃亡しました。
 足軽だった寺坂吉右衛門です。彼の逃亡説については、細川家細川伝右衛門の覚書にこう書かれています。「吉田忠左衛門に寺坂のことを尋ねたら、“この者は不届者にて候。重ねて名を仰せ下さるまじく候”と言った。」
 徳富蘇峰などは、『近世日本国民史・義士篇』のなかでこれを引用し、寺坂は完全に逃亡者として決めつけています。

 しかし、福本日南の『元禄快挙録』など、寺坂の密命説をとる人たちもかなりおります。
 大石の命を受けて、主君の未亡人に報告にいかせたとか、武士と違って足軽にまで切腹させては、当時の階級社会として恥になる。したがって大石のはからいでひそかに逃がしたのだ・・・・・という説です。
 作家の藤沢周平などもこの説です。「討ち入りの際、吉良邸の玄関に、一丈余の青竹に結んで揚げた“口上書”には、ハッキリと寺坂吉右衛門の名が書かれている。しかも、最後に毛利小兵太の名が見えるが、彼は変心して立退いた者で、直し難いので、そのままにしたという断り書までつけている。大目付仙石伯耆守の邸に、寺坂の主人である吉田忠左衛門が届けに行った際も、口頭であっても訂正していない。寺坂は間違いなく、諒解の上で立去ったものだ」と述べています。

 寺坂は別の資料では、生き残って83歳で亡くなったと言われます。
 切腹した同志と比較して、長生きしてよかったと思いますが、本人としては精神的にかなりつらい日々であったと想像されます。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 早いもので年末年始休暇も1月3日で終了です、明日から勤めになります。そこで久しぶりに映画を見に行きました。「最後の忠臣蔵」。四十七士の最後の生き残りとしては、寺坂吉右衛門の話は有名ですが、この映画では、もう一人の大石家用人であった瀬尾孫左衛門(役所広司)にスポットが当てられています。
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討ち入り前夜に、内蔵助に呼ばれた孫左衛門は、京都へ行き、身ごもっている内蔵助の妾を守ってほしいとの命令を受ける。そのため、孫左衛門は討ち入り前に逃げ出した裏切り者として、赤穂の元家臣から蔑まれて生きるしかなかった。しかし、大石内蔵助の隠し子・可音(桜庭ななみ)を十六年間、立派に育て上げていた。
 「武士道とは何か。」ということをわかりやすく描いた映画だと思います。
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by ryott-ryott | 2011-01-03 21:45 | movie | Comments(3)

A Happy New Year!ヽ(^o^)丿大歓声の2011年初日の出

旅行・地域
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 2011年お正月。年末から何箇所か初日の出スポットを探していたため、今日の元日は素晴らしい初日の出を拝むことが出来ました。
 朝4時に起床し、準備をして、城南島海浜公園へ行きました。先日の下見のときは誰もいなかったのに、今日は天気がいいこともあって、たくさんの人が初日の出を一目見ようと、城南島海浜公園に詰めかけていました。

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 東京湾の向こう側から徐徐にオレンジ色の光が増して、太陽が顔をのぞかせると、周りから新年を祝う大歓声が上がりました。
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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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 社会主義の国と違って、自由主義国、わけても日本から他の国に亡命することはほとんどありません。
 それが、戦争前の昭和13年(1938年)1月3日、まだ日本の領土であった樺太(現・サハリン)の国境を、人気女優がその愛人と、恋の逃避行を兼ねて、ソ連を越境、亡命をはかったのですから、当時としては大変な話題をまきまし。
 その第一報はを伝えた新聞記事です。

「新派、井上正夫一座の女優岡田嘉子(38)がひょっこり厳寒の北樺太に登場。北緯50度の国境線近くで行方不明となり、関係方面で目下捜索中である。嘉子は実父が昔、樺太で事業に関係したところから、かねて雪の樺太に憧れを持っていたが、この暮、出演契約中の大阪の劇場から1ヵ月の休暇をもらったので、若き愛人、新協劇団所属の演出家杉本良吉こと吉田好正君(32)と携えて樺太を訪問し、雪の異国情調を満喫すること2日、慰問袋その他を買い、国境線守備隊の警察官慰問に出かける旨を宿の者に残し、自動車で国境に向け出発した。」(「東京日日新聞」5日付)
 当時、亡命は確認されませんでしたが、戦後二人ともも、モスクワ放送局の日本向けアナウンサーとして手伝っていたことが明らかにされました。
 彼女はその後、モスクワ大学で演劇を学、病死した愛人杉本良吉の遺志をついで、演出家として活躍しました。
 しかし、“望郷”の念もだしがたく、昭和48年(1973年)、35年ぶりに日本に帰ってきました。

 現在は、ときどきソ連にもどる程度で、日本に滞在し、たまにテレビドラマに出演したりしながら日ソ親善のために尽くされています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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<おまけの年末散策>
12月30日に戸越銀座の洋食屋「ブルドック」へ行って、準備中のため門前払いされたことを報告しましたが、12月31日大晦日、こりもせず、再度訪ねました。しかし、「ブルドック」も年末年始休暇に突入し、1月4日までお休みとの貼り紙。こういう時って、なかなか、そのお店に行けないものなのです。
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 戸越銀座の商店街のピークは30日なのでしょう。もうほとんどのお店が閉めており、お正月準備をしているようです。そして、牛乳屋さんで日本酒を買って、帰りました。
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 冒頭に城南島での初日の出を紹介しました。初日の出は多くの人が見に行くのに、その年最後の夕陽、ラスト・サンセットはほとんどの人が見に行くことはありません。2010年最後の夕陽を千葉県の稲毛海岸まで見に行きました。
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稲毛海岸の海浜公園まで駅から歩いて30分近くかかりましたが、大晦日の空もほとんど雲のない快晴の青空。目の前には富士山、東側には京葉工業地帯、西には東京スカイツリーを見ることが出来ました。

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by ryott-ryott | 2011-01-01 13:35 | 太陽散歩 | Comments(0)