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映画『太平洋の奇跡』のテーマとは(^o^)丿

旅行・地域
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 先々週は熊野詣、先週は酒蔵見学会で、今週の土曜日は1ヵ月ぶりに大井町湯屋での大暴れアクアをやりました。浦安湯屋での大暴れアクアビクスに比べると、やはり運動量が控えめだったと思います。浦安湯屋での大暴れアクアは間断なく動き続けるのに対して、大井町湯屋では一息入るところが運動量の違いになっているのではないかと分析しています。大暴れアクアをやり終えてから、久しぶりに映画『太平洋の奇跡―フォックスと呼ばれた男―』を見に行きました。

(太平洋の奇跡/予告編)
 サイパン島は太平洋戦争で日本軍の重要軍事拠点でした。しかし、1944年6月、圧倒的な兵力を持つアメリカ軍に上陸を許し、日本軍は玉砕命令を発令、日本軍兵士はつぎつぎと戦死を遂げて行きました。アメリカ軍はサイパン島の完全占領を宣言しますが、まだ戦闘状態を解除できる状態にはありませんでした。サイパン島の最高峰タッポーチョ山に潜伏し、日本軍の勝利を信じて、アメリカ軍へ抵抗を続ける日本人がいたからです。
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 彼の名は大場栄大尉。彼は神出鬼没にアメリカ軍を奇襲し、翻弄し続けます。大場は玉砕でただ死ぬだけ、日本の勝利には決し繋がらないと考え、少しでも多くの日本人を救い、彼らを『生きて』日本の地へ返すことが自分の使命だと感じていました。アメリカ軍のルイス大尉は、いつしか大場に対し、尊敬の念をもつようになり、まだ見ぬ大場のことを「フォックス」と呼ぶようになります。
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 タッポーチョ山に潜伏する大場の部隊をいつまでたっても壊滅出来ないことに、アメリカ軍上層部はついに大掃討作戦を決行します。タッポーチョ山の断崖まで逃げてゆき、息をひそめて、アメリカ軍がやり過ごすのをじっと待ちました。
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 アメリカ軍を翻弄し続ける大場を、人間として尊敬していたルイスは何とか彼を、彼らを死なせたくないと考えるようになります。ルイスは日本人捕虜に協力を求め、飛行機から焼け野原になった東京の写真と、投降を促す文書をビラとして撒きます。それでも大場たちは投降に応じません。しかし、すでに食料も薬品も底をついている今、民間人だけでも助けるために、彼らを集めて投降させました。その時に、大場は民間人たちに「ここで私たちと過ごしたことを覚えていてください。みなさんが日本に帰った時に、みなさんの記憶とともに私たちも日本に帰ることが出来ます。」と言って、見送ります。このとき、映画館にいる人たち、みんなが泣いていました。おじさんも、お姉さんも、坊ちゃんもみんな泣いていました。泣いていないのは弁当をムシャムシャ喰っていた意地汚いババァだけでした。
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 その後もルイス大尉は、粘り強く大場を説得します。広島と長崎に新型爆弾が落とされ、天皇が戦争を終わらせることを決意したことを聞いても、大場は応じません。彼ら軍人は上官の命令がなければ、戦いを放棄することはできないのです。小野田寛郎さんの『たったひとりの30年戦争』(東京新聞社)の中にも同じような状況が記述されています。
大場は、肉体的にも精神的にも追い込まれていく仲間の兵士たちを目の当たりにしながら、生き抜こうとしていました。果たして、この結末は・・・・・・・。

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 この映画はハッピーエンド的な構成になっています。この映画の原作『タッポーチョ』を小説化にするにあたり、主人公の大場栄大尉自身は最初は拒絶したと言います。あの頃の自分たちの気持ちをわかってもらえるとは思えず、小説化することにより誰かを傷つけることになると考えたからです。しかし、日本人に敬愛の念を持っている原作者から『この戦いを歴史のページから書き消してはならない。』と強く口説かれ、大場大尉も同意し、それならば出来るだけ事実を正確に伝えることを決めて、この映画の原作が出来ました。
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 書きあがった原作を読んだ大場大尉は、実際の洞窟の徹底抗戦はもっと暗く、不衛生きわまりなく、陰惨でこんなに勇ましくアメリカ軍を手玉にとったことはありませんでしたが、すべてが事実であり、敵の目から書かれたわれわれの戦いの記録だと述べています。


(中島みゆき/宙船)

宙船(作詞、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)060.gif

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロに進んでいるのか
流されてまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこは船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

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 紀元前210年、万里の長城を築いた秦の始皇帝が死ぬと、天下は乱れ、各地に反乱が相つぎました。なかでも、次の天下を望んだのは、項羽と劉邦、二人のライバルでした。

 項羽は秦に殺された楚の名門貴族の子で、すでに楚の国王に復活していました。劉邦は貧しい農民の子でしたが、人使いがうまく、農民や古地主の代表として勢力を伸ばし、項羽から漢中(現・陝西省)の王になっていました。
 ある日、二人は鴻門で会見しました。項羽の軍師氾蔵は、将来邪魔になるから劉邦を宴席で殺すことを進言しました。しかし、項羽はききません。劉邦もそれを察し、上手に宴席から逃げ出しました。

 やがて、項羽と劉邦の対決、楚漢戦争が始まりました。項羽の軍勢40万、劉邦の軍勢10万です。しかし、すぐれた家臣たちをもつ劉邦軍は、垓下というところで項羽軍を包囲し、これを破りました。

 項羽軍が包囲された時、4万から楚の国の歌が聞こえてきました。故郷の人たちまで劉邦についたのかと絶望して、項羽は自決しました。これがよく使われる「四面楚歌」の故事です。かくて劉邦は項羽を倒し、中国を統一して漢王朝を建て、王から皇帝になりました。時に前202年2月21日のことです。
 漢王朝は以後200年、紀元7年に亡び、そのあと再び漢の血統をひく劉氏の王朝が200年続きます。これを前漢と後漢と呼び分けます。前漢の首都は長安(陝西省)、後漢の首都は洛陽(河南省)です。

 わが国にとっては、漢字、漢文、漢語、漢詩、漢方薬などの字が示すように、この時代いかに多くの中国文化を輸入していたかがわかります。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)



(中島みゆき/一期一会)

一期一会(作詞、作曲、歌:中島みゆき)060.gif 060.gif

見たこともない空の色 見たこともない海の色
見たこともない野を越えて 見たこともない人に会う
急いで道を行く人もあり
泣き泣き 道を行く人も
忘れないよ遠く離れても 短い日々も 浅い縁も
忘れいで私のことより あなたの笑顔を 忘れないで

見たこともない月の下 見たこともない枝の下
見たこともない軒の下 見たこともない酒を汲む
人間好きになりたいために
旅を続けて行くのでしょう
忘れないよ遠く離れても 短い日々も 浅い縁も
忘れいで私のことより あなたの笑顔を 忘れないで

一期一会の はかなさつらさ
人恋しさをつのらせる
忘れないよ遠く離れても 短い日々も 浅い縁も
忘れいで私のことより あなたの笑顔を 忘れないで
忘れないよ遠く離れても 短い日々も 浅い縁も
忘れいで私のことより あなたの笑顔を 忘れないで
あなたの笑顔を 忘れないで

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 広島修学旅行で、広島平和記念公園を案内していただいたピースボランティアの辻さんからメールが来ました。辻さんは昨年の8月に立山三山と剱岳をみごとに制覇し、その写真を送ってくださいました。辻さんがおっしゃるには、『剣岳登山は危険な場所が沢山あって注意は必要ですが、基本を守って注意深く登山をすれば!鎖もハシゴも整備されており全然恐がる山ではありません。』と書かれており、むしろ、鎖設備の無い涸沢岳に向かう登山路の方が危険だったと書かれていました。倉持さんはトレーニングしなければ、絶対に無理だとおっしゃっていましたが、アミューズトラベルの剣岳登山、少し考えてみましょうか。しかし、送っていただいた写真を見ると、景色も素晴らしいけど、断崖はかなり怖いです。
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剣岳の登山、最後尾が辻さんです。
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この方が広島修学旅行でお世話になったメル友の辻さんです、68歳。昨年8月に登山されたので、この時は67歳でしょうか。いい歳、私は20年後、こんなまねが出来るでしょうか。
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これは『涸沢岳に向かう登山路』だそうです。これはこわい。倉持さんに、私の『三歩さん』になってもらいましょう。

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(映画『岳』/予告編)

 また辻さんは先日インドの留学生の方をたまたま案内され、広島の心を十分にわかっていただいたそうです。そのお嬢さんはメッセージノートに“Really sad!”と書き、欧米のハグにあたる、お互いの手を相手の頭に乗せるインドの挨拶をされて帰られたと書いてありました。国や言葉が違っても、心は通じるということだと思います。映画『太平洋の奇跡』のテーマもこれではなかったかと、辻さんのメールで、気づかされました。
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葛西臨海公園で撮影した夕景。
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by ryott-ryott | 2011-02-27 22:05 | movie | Comments(0)

いい歳、りょうちゃんの「ことはじめ」参拝(^o^)丿

旅行・地域
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 南紀の旅最終日。前日に熊野三山をバスで駆け足で周り、この日は東京へ帰京。その前に伊勢神宮へ行くことにしました。070.gif
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 最終日も朝からいい天気。朝6時半、朝陽を見るためにホテル中の島の展望台へ行きました。前日の朝はたっぷりと雲が出ていたため、朝日を見ることができませんでした。この日も水平線上には、憎き歯磨き粉軍団が横たわっていましたが、何とかその歯磨き粉の切れ間から朝陽を見ることが出来ました。058.gif
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 展望台には何人もの方が朝陽を見に出てきていました。浴衣姿のまま展望台に出てきたお父さんから、この位置から何とか太陽が見えそうだと教えてもらい、写真を撮りました。その方も2月11日雪の日に、福井県から自動車に乗って、このホテル中の島まで旅行に来たそうです。雪のために自動車道は通行止めになり、目的地の紀伊勝浦にやって来るのに11時間もかかってしまったとおっしゃっていました。018.gif
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 朝食を食堂で食べていたら、先ほど展望台でお会いした方々も朝ご飯を食べており、お互いに撮った写真を見せあいました。
朝8時15分、ホテル中の島からボートに乗って、対岸へ。紀伊勝浦中の島ホテルに別れを告げて、紀勢本線南紀ビュー4号に2時間以上乗車し、多気駅へ。JR参宮線に乗り換えて伊勢市駅へ行きました。
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南紀ビューの車窓から見た風景。

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(あずみのうたごえ喫茶/下町の太陽)

(倍賞千恵子/下町の太陽)

下町の太陽(作詞:横井弘、作曲:江口浩司、歌:倍賞千恵子) 060.gif

下町の空にかがやく太陽は
よろこびと悲しみ写すガラス窓
心のいたむ その朝は
足音しみる 橋の上
あゝ太陽に 呼びかける

下町の恋を育てた太陽は
縁日に二人で分けた丸いあめ
口さえきけず わかれては
祭りの午後の なつかしく
あゝ太陽に 涙ぐむ

下町の屋根を温める太陽は
貧しくも笑顔を消さぬ母の顔
悩みを夢を 打ち明けて
路地にも幸の来るように
あゝ太陽と 今日もまた

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 各地から梅の便りがきかれる季節になりました。
 梅は中国が原産で、日本に渡来したのは、奈良時代のはじめです。
 天平2年(730年)2月13日、大宰府の役人をしていた大伴旅人の家で梅見の宴が開かれ、ここで「梅花の歌三十二首」が詠まれたと、『万葉集』(巻三)には書いてあります。
 『万葉集』には梅の歌が全部で118首ありますが、このころは梅といえば、まだ白梅のことで、紅梅が登場してくるのは、『源氏物語』や『枕草子』の書かれた平安時代に入ってからです。
 
 中国では古来、梅は文を好む「好文木」ともいわれ、ことのほか文人・墨客に好まれました。
 その点、日本では、なんといっても天神様で知られる菅公・菅原道真が第一人者でしょう。 道真は、宇多天皇、後醍醐天皇に仕える朝臣で、文章博士、文人、学者として重用されていました。それが藤原時平の謀略で、九州大宰府に左遷されてしまいます。
 道真は梅が好きで、大宰府に旅立つとき、清涼殿のわきに咲く梅に向かって、

    東風吹かば、匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ

と詠んだところ、翌春、その梅の一枝が大宰府に飛んできて根をおろしたといいます。
 これが有名な菅公の“飛梅”伝説です。

 道真は延喜3年(903年)2月25日、配所で亡くなりました。京都の北野神社、大宰府の天満宮では、この命日に毎年「梅花祭」を開いています。
 
          梅一輪 一輪ほどの暖かさ 嵐雪

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(美空ひばり/太鼓)

太鼓(作詞、作曲:小椋 佳、歌:美空ひばり) 060.gif

冬ざれの 肌さす風が
痛い 痛い 能登だよ 輪島だよ
聞こえくる 地鳴り 海鳴り
いやいや あれが御陣乗太鼓
ドンスクスクドン 季節はずれがなおさらに
ドンストトトドン 心の底を突き揺する
ドンスクスクドン 攻め来る冬を打ち払え
ドンストトトドン つらい想いも打ち払え
乱れ心は 夜叉の面に隠して

末枯れの 黄昏海は
暗い 暗い 能登だよ 輪島だよ
岩浜に切り子燈せよ
心は燃やせ 御陣乗太鼓
ドンスクスクドン こごえる肩も打つほどに
ドンストトトドン 汗さえにじむ熱くなる
ドンスクスクドン 夢中になればいつだって
ドンストトトドン 残る力が目を覚ます
乱れ心は 夜叉の面に隠して

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 伊勢市駅前は閑散としていました。伊勢神宮の外宮に向かって歩いて行くと、観光案内所があり、地図をもらいに入ったら、案内所のおばさんが親切にも、これから周る順番を全てアドバイスしてくれました。まずは外宮に行き、20分を目安に土宮、水宮、石段を上がった多賀宮をお参りし、その途中に「三ツ石」に手を当てるとパワーをもらえると教えてもらいました。その後、内宮へ向かうバスに乗って、猿田彦神社へ行き、お参りを済ませた後、おかげ横丁を通って内宮に向かうというスケジュールです。猿田彦神社は「ことはじめ」の神様が祀られており、新車を買った人が交通安全のため新車のお払いに来るそうです。038.gif018.gif
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 教えられたとおり、まずは外宮に行き、土宮、水宮、多賀宮をお参りし、パワースポットの「三ツ石」が見つからないので、神社の人に聞いたら、すぐ近くにありました。たくさんの人が集まっており、皆さん、石の間に御賽銭を入れて、パワーをもらおうと手のひらをかざしていました。観光案内所のおばさんは「三ツ石」をさわるようにアドバイスしてくれたので、思いっきり「三ツ石」を撫でてきました。037.gif038.gif
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 そして、第二の目的地の猿田彦神社へ。猿田彦神社の主神は猿田彦大神で、「みちひらきの神」と言われています。ものごとの最初に現れて、万事良い方向へ“おみちびき”になる大神様で、建築、方除け、災難除け、開運、事業発展、五穀豊穣、大漁満足などの御神徳で知られています。
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 御本殿の裏には「御神田」があり、毎年5月5日には豊作を祈って早苗を植える「御田祭(おみた)」が行われるそうです。
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 また神社の脇には佐瑠女(さるめ)神社があり、天宇受売命(あまのうずめのみこと)が祀られており、俳優(わざおぎ)、神楽、芸能、魂鎮めの祖神で、縁結びの神様として信仰を集めています。
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 猿田彦神社をお参りした後、おかげ横丁を通って、内宮へ向かいました。おかげ横丁には、あの有名な「赤福本店」がありました。また伊勢・鳥羽は真珠の生産で有名であり、何軒も真珠のお店がありました。時間があれば真珠の養殖を見学に行きたかったところです。
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 外宮が天照大神のお食事を司る神様の豊受大神をお祀りしているのに対して、内宮は天照大神をお祀りする日本で最も尊いお宮です。内宮のまわりには五十鈴川が流れており、宇治橋を渡って、内宮の中へ。御正宮を目指しましたが、その本殿前は人垣が出来ていました。上にあがるのをあきらめて、本殿前で二拝二拍手一拝をして、帰って来ました。
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 おかげ横丁もものすごい数の人。お昼を過ぎても人が引けていく様子はありません。あまりにもお腹が減ったので、酒屋で日本酒を一杯試飲し、その後、「ひりょうず」という色んな具を魚のすり身で丸めた「がんもどき」みたいな食べ物を食べました。
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おかげ横丁では太鼓の実演が行われていました。
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 この日お参りした猿田彦神社は「ことはじめ」の神様です。これから、いい歳、りょうちゃんが、何かの「ことはじめ」をするのはなかなか大変です。私にとっては写真を撮ることが大きなウェイトを占めますが、昨年から始めた山登りを「ことはじめ」とし、2011年は日本百名山の1番目の利尻岳と、100番目の宮之浦岳に挑戦することを決めました。すでにどちらも宿の予約は済ませ、まずは4月末の連休に屋久島の宮之浦岳に登ることにしました。倉持さんのアドバイス通りに、現地のガイドさんも予約しました。よい写真が撮影できたら、この中でまた紹介します。
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 伊勢神宮の参拝を済ませ、おかげ横丁で一杯やって、伊勢市駅から近鉄に乗り、名古屋屋から新幹線のぞみ号に乗って、東京へ帰って来ました。やはり新幹線は速い!速くて、時間が正確で、安全な新幹線に、外国から来たお客さんが、「まずは日本の新幹線に乗ってみたい。」と言うのが改めてわかりました。

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これにて熊野詣・伊勢神宮の旅はおしまい。
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by ryott-ryott | 2011-02-22 13:14 | 伊勢神宮 | Comments(0)

いい歳、りょうちゃんの酒蔵見学会(^o^)丿

旅行・地域
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熊野詣最終話に行く前に、今週は毎年この時期に行われる日本酒酒蔵見学会に参加しました。したがって、今週も大井町湯屋の大暴れアクアはお休みしました。今年の酒蔵見学は旧東海道・岡部の宿にある静岡県藤枝市岡部町の初亀酒造さんです。富士山と雲取山登山でご一緒した浦安湯屋のかずさんと行ってきました。070.gif070.gif070.gif
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 朝7時30分過ぎに川崎駅改札口で浦安湯屋のかずさんと待ち合わせ、ミューザの裏手から酒蔵へ向かうバスに乗車しました。参加者数定員25名に近い人数の方が参加していたと思います。第一三共製薬でやせる薬の開発をして、自分の体ではうまくいっていない石井ちゃんグループ、お酒を飲むと骨折するまで前後不覚になってしまう細野さんご夫妻、トントンさん妹でかみつき犬の飼い主のみきちゃん、阪急百貨店の佐藤さんなど、いい歳、りょうちゃん御用達の大井町で一番有名な居酒屋「じゃんけんぽん」のお客さんは全員で17名の参加でした。川崎から東名に乗り、目的地の初亀酒造までは約3時間の道のりでした。
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初亀酒造の創業はなんと江戸時代1636年、駿府城がある静岡県中町で酒造りを始めたそうです。現在の岡部町へは明治9年(1876年)に移転しました。
岡部町にある三輪神社はお酒の神様、高草山を御神体としており、酒蔵の玄関に吊り下げられている杉玉は神社そのものを表しているのだそうです。018.gif018.gif018.gif
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昭和13年の日本酒1升は1円48銭、ラーメンは10銭だったそうです。大工の1日の日当が1円50銭であったことを考えると、日本酒はかなり高価な飲み物でした。日本酒1合は今のお金の価値から換算すると3000円ほどで、とても毎日1合ずつ飲むなんてことは出来なかったそうです。
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 酒蔵には午前11時に到着。普段、初亀酒造さんは普段、酒蔵見学をすべてお断りしているそうですが、今回は特別。私は酒蔵で酒造りをしている人を杜氏(とうじ)と呼ぶと思っていましたが、酒蔵で働く人は蔵人(くらびと)と呼ばれ、数多くの蔵人を束ねて行く蔵人のトップが杜氏さんであり、酒蔵にたった一人しかいません。そして、この時期は酒造りの最盛期であり、蔵人たちが泊まり込みで日本酒を育てていました。合宿期間は前年の10月から3月までのおよそ半年間、その間は遠出の旅行はもちろん、家に帰ることも許されません。若い蔵人さんに話を聞くと、土日が休みと言ったような決まった休日はなく、ときには寝ずに日本酒の世話をすることも多いそうです。そして日本酒造りは止めることが出来ないため、風邪をひいても、酒造りを続けなければならない過酷な労働です。しかし、彼ら若い蔵人さんはいずれ蔵人のトップ・杜氏になることを目標に、酒造りに取り組んでいます。
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 酒造りにはお米と水と麹づくりが重要ですが、すべての工程において温度管理をうまくできるかどうかがお酒の品質に大きく影響します。酒造好適米である山田錦や五百万石を削って、米の中心部にあるデンプン質部分を取り出し、水で洗い、米に水を吸わせます。このときも10 ℃で行わなければならないため、使用する水をあらかじめタンクに汲んでおいて、熱平衡にしておき、水温がばらつかないように一定にします。水道水などを蛇口をひねって洗米すると、最初に出てくる水と後から出てくる水との間に温度のばらつきが生じるために、洗米される米の中で、温度の異なる水に接することにより、米が吸う水の量が均一にならないそうです。
洗米したお米を蒸す際にも、いかに蒸気が米にむらなく均一に行きわたるかがとても重要であり、蒸し器も工夫して、全ての米がむらなく蒸しあがるようにし、蒸気の中に鉄分が入らないようなノズルを使用しているとおっしゃっていました。
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 蒸し上がった米はまず麹造りに使われます。蒸し上がった米が冷めないうちに麹室(こうじむろ)に運んで行き、人の手で米をほぐし広げて、米1つに対して麹菌が1つになるように「かけ麹」をします。これは高いスキルを要求されます。「かけ麹」後、33 ℃で麹を育てます。
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 出来あがった麹と蒸米と水を混ぜ合わせて、水麹を作ります。そこへ純粋培養した酵母と蒸し上がった米を加えて「かけ米」を行い、酒母を作ります。この操作を3回行うため、三段仕込みと言われています。麹によって米のデンプンがブドウ糖に変化し、そのブドウ糖を酵母がアルコールに変えていく、2つの化学反応が同時進行します。
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 三段仕込み終了後、約20日間発酵させて、それを絞って、日本酒原酒が出来上がります。初亀醸造の橋本社長がおっしゃっていましたが、日本酒を作るには温度が+5 ℃なければならないそうです。日本酒は寒い地域でつくられるイメージがありますが、あまりにも気温が低くなると、暖房を入れるそうです。そして酒蔵が厚い土塀に覆われているのは外気温に影響されないためです。
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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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「“三州吉良港”一口にそういわれているが吉良上野の本拠は三州横須賀村である。後年、伊勢の荒神山で、勇ましい喧嘩があって、それが今は、はなやかな伝説になった。・・・・・・」
 尾崎士郎の『人生劇場』の書き出しです。
 『人生劇場』は、この青春編を発表して以来、好評にこたえ、愛欲編、残俠編、風雲篇、遠征編、夢幻編、望郷編、蕩子編と、実に26年にわたって書き続けられ、作者の代表作になりました。
 尾崎士郎は、昭和39年(1964年)2月19日東京で66歳の生涯を終えましたが、この『人生劇場』は、その後も歌に、映画に、テレビドラマに、今なお人気を呼んでいます。

 この小説の主人公青成瓢吉は、三州吉良の生まれ、父瓢太郎は辰巳産の旦那衆でしたが吉良仁吉などとの因縁のある、仁侠気のある快男児でした。
 息子の瓢吉も、そういう男になってほしいと考えていました。その期待にこたえて瓢吉は暴れん坊として成長し、中学は退学処分、苦労して入った早稲田大学でも、学生仲間の英雄として君臨しますが、学園生活いざこざに幻滅を感じ、「飄々乎たり、青成瓢吉、人生 に舞い落ちる一片の木の葉に似たり」とつぶやきながら学園を去っていきました。
 かくて瓢吉は、社会と人生との荒波に翻弄され、文字通り波乱万丈、流転の運命に身をまかせます。

 作者である尾崎士郎は、この三州吉良の生まれ、実家は代々辰巳屋と号し、マユの仲買いを業としていました。つまり、この小説の主人公青成瓢吉は、尾崎士郎の分身でした。
 彼は、酒、浪曲、相撲をこよなく愛し、女性遍歴を重ねながら、生涯、日本的庶民感情をわきたたせる男の心意気、悲壮なロマンを描き続けました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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洗米機。洗米はお米を洗うだけでなく、お米に水を吸わせるという「浸漬」という重要なプロセスも兼ねています。そして、洗ったお米が割れないように、水圧もコントロールしなければなりません。
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洗米後のお米、水切りをしています。
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麹室(こうじむろ)。
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大吟醸酒をとるための「と瓶」。中どりの最も美味しい部分を採取します。
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発酵させています。最近はチタン製の容器と摺を使います。チタンは腐食することなく、雑味となる金属イオンが酒の中に溶け込むことがありません。またステンレスに比べると軽量で、操作が容易です。ただし、タンクの中は二酸化炭素が充満しているため、誤ってタンクの中へ落ちてしまったら命はありません。頭を突っ込んで一呼吸するだけで絶命してしまいます。
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見学が終わって、日本酒を試飲。
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第一三共製薬の石井ちゃんグループ。真ん中は春さん。写真を撮るときぐらい、石井ちゃんは「変顔」をしないでもらいたいものです。「変顔」しなくても「変顔」でした。041.gif037.gif041.gif037.gif041.gif
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最後はかずさんも一緒に蔵人さんたちと記念撮影。
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見学終了後は近くのお店で日本酒試飲とお昼ごはん。最初、小さいおちょこが配られていましたが、皆さん、湯のみにお酒をついでゴクゴク飲んでいました。
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乾杯のあいさつをする「じゃんけんぽん」のオーナーシェフのトントンさん。トントンさんの妹・かみつき犬の飼い主のみきちゃんが「トントンは挨拶が苦手なのよ、挨拶なんかしないで早くお酒を飲みたいのよ。」とおっしゃっていました。
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お昼ごはんには、ごはんととろろ汁が出ました。とろろ汁を肴に一杯やりました。
食事をしたお店のすぐそばには、文化財に認定されている大旅籠柏屋(おおはたごかしばや)があり、等身大のひな人形が展示されていました。ちょっと不気味。037.gif
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弥次・喜多の人形もありました。
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おばあちゃんのひな人形展もありました。
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初亀酒造さんのお店でお酒を買って、宅急便で家に送りました。このブログを書いていた先ほど、もう家に届きました。かずさんもお酒を買っていました。038.gif038.gif038.gif
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細野さんの奥さんの首がありません。037.gif037.gif037.gif
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初亀酒造さんに別れを告げ、当初立ち寄る予定であった「玉露の里」はスキップして焼津(やいづ)のお魚センターで黒はんぺんと煮干しを買いました。焼津と言えば、品川隆二の「焼津の半次」を思い出します。

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by ryott-ryott | 2011-02-20 11:17 | 日本酒試飲会 | Comments(0)

那智の瀧に仏様を見た(^o^)丿

旅行・地域
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 熊野詣の続きです。熊野本宮大社を訪れた後は、再びバスに乗車し、志古の瀞峡(どろきょう)の船着場で食事をして、新宮駅近くの熊野速玉大社へ向かいました。
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熊野三山とは、最初に訪れた熊野本宮大社、新宮の熊野速玉大社、そして那智の熊野那智大社を差します。それぞれ神様が祀られており、那智には「夫須美神」、新宮には「速玉神」、本宮には「家都御子神」が祀られて、熊野三山になりました。
 もちろん、その中心は那智山で、神武天皇が東征の折に那智の大瀧を発見し、この瀧を神様として祀ったのが熊野那智大社の起源と言われています。

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 907年に宇多上皇が熊野詣を行ったのが最初で、その後、花山、後白河、鳥羽、後鳥羽の天皇・上皇が数代に亘り百数十回も熊野詣が行われました。1回の熊野詣では百数十人の一行が約1ヵ月かけて参詣し、180 kgのお米を必要としたそうです。天皇・上皇一行たちは民たちに食料を差しださせ、そのたびに民たちは悲鳴を上げていたと言われています。
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 熊野詣は貴族だけではなく、一般の民にも浸透していました。ただ何十日も険しい熊野の山々を巡って行くのは、食料の確保も難しく、困難な道のりでした。熊野詣では多くの人が志半ばで亡くなって行ったと言われています。

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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“世界の大冒険家”といわれた植村直己が、最後の冒険になってしまった、厳寒期の極北マッキンリーで世界初の単独登頂に成功したのは、昭和59年(1984年)2月12日です。

 偶然にもこの日は、彼の43歳の誕生日でした。
 2月16日、取材中のセスナ機のパイロットが、5200地点の雪洞の中から、元気に手を振る彼の姿を目撃したのを最後に、以後消息を絶ってしまいました。
 彼が生まれたふるさとは、兵庫県日高町。地元の高校から明大に入学、山岳部に入りました。“冒険”との出会いはここから始まったのです。
 彼は“冒険”とか“探検”とかいわず、“単なる世界放浪の旅ですよ”と謙虚に答えていますが、そのおもな壮挙を紹介してみましょう。

 1966年、欧州の最高峰モンブラン(4248 m)を単独登頂をしたのを皮切りに、アフリカのキリマンジャロ(5895 m)、南米のアコンカグア(6960 m)、アジアのエベレスト(8878 m)、北米のマッキンリー(6191 m)と、世界五大陸の最高峰をことごとく登頂。この間、エベレストを除いてはすべて単独登頂です。
 1968年には、アマゾン川の源流ユリマグアスからイカダで河口まで3ヵ月間、約6000 kmのイカダ下り、73年にはグリーンランドからアラスカまで、北極圏12000 kmの単独犬ゾリ旅行に成功。
 マッキンリー登頂成功後は、最後の夢であった、南極大陸単独横断旅行を実行に移す予定でした。

 日本人として、あとにも先にもこんな“世界的冒険野郎”は二度と出ないでしょう。昭和59年4月19日、政府から国民栄誉賞が贈られました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 古代の人たちが行ってきた熊野詣に比べれば、はるかに楽な方法で、熊野三山を周って来ました。那智の瀧の前に大門坂にバスが寄ってくれました。普通は、この大門坂から那智の瀧、熊野那智大社を目指します。
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そして、那智の瀧。落差133 mは日本一。幅13 m、滝壺に深さは10 m。滝壺の深さは崖崩れで埋まり、今の深さになったそうです。
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瀧の岩肌を見ていると、仏さまの顔が浮かんでいるように見えました。
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青岸渡寺。
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青岸渡寺から見た那智の瀧。
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那智大社。
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八咫烏(やたがらす)の向こうは一般公開されていません。毎年、枝垂れ桜が咲く時期だけ公開されるそうです。
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曼陀羅。朝日新聞に載ったそうです。
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この熊野三山めぐりバスツアーでは、最後に参加者全員で記念撮影をしました。1枚1000円。折角なので買いました。見知らぬ人との記念撮影で、いい歳、りょうちゃんはこんな表情。

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To be continued.
最終日は伊勢神宮へ行きました。

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by ryott-ryott | 2011-02-16 00:09 | 熊野詣 | Comments(0)

いい歳、りょうちゃんの熊野詣(^o^)丿

旅行・地域
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2月11日~13日の3連休は和歌山県紀伊勝浦へ行ってきました。今週の大井町湯屋での大暴れアクアはお休みです。037.gif
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今日のバレンタインデーも雪が降っていますが、2月11日も朝から雪。朝8時前の東京では雪は積もっていませんでしたが、新幹線のぞみ号に乗り、名古屋に着いたころにはかなり積雪していました。3連休とあって、きのくに紀勢本線・南紀ビュー3号は指定席も自由席も満席でした。
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新幹線から紀勢本線に乗り換えたせいか、紀勢本線は自転車より遅いのではないかと感じました。何しろ名古屋から終点・紀伊勝浦まで3時間50分ほど、4時間近くの道のりでした。私が品川駅から乗ったのぞみ号は、南紀ビュー3号が終点に着いたころには博多に先に着いていたはずです。

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名古屋から紀伊長島までは雪がしんしんと降りしきり、今回の南紀の旅は雪の熊野詣でになるのかと考えていましたが、紀伊長島から先に進むと雪も降っておらず、普通の曇り空でした。紀伊勝浦では雪が降ることはたまにあっても、ほとんど積もらないそうです。しかし、年間の降水量は多く、熊野の山々に見られるような樹林帯が広がっているとのことでした。018.gif
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ホテルは桟橋からボートで行きます。
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私が泊まった宿は、島全体がホテルになっている「ホテル中ノ島」です。大井町湯屋仲間のエルビーさんや、ヨガの指導をされているらてんこさんも泊まられたことがあるそうです。島全体がホテルの敷地で、5階の屋上から島の突端に遊歩道が敷かれていました。
露天風呂が二つあって、1階は男性、2階は女性になっており、2階の女性の階から下の男性の風呂が覗けるようになっているそうです。私が入っていた時は誰も覗いてはくれませんでした。また別に大浴場もありました。
敷地内の釣りスポットや、目の前の海には紀伊の松島めぐりに向かう遊覧船も通り、男湯の様子が全て見えてしまいます。

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私の部屋から露天風呂男湯が見えました。
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遊歩道。056.gif
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ホテル展望台から見た風景。

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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西暦270年2月14日、ローマ司祭であった聖バレンタインが、皇帝クラウディウスによって、反逆罪で投獄され、フラミニノ会堂で撲殺されて殉教した日です。
以来、ローマ・カトリック教会ではこの日を「聖バレンタイン・デー」として殉教者の死を悼む祭日と決めました。

その宗教行事がいつの間にか、女性が男性にチョコレートを贈る「愛の日」に変わってしまいました。これにはいくつかの伝説があるようです。

この皇帝クラウディウスは極端な軍国主義者で、兵隊の結婚を禁じていました。結婚すると妻子など家族への心配がつのり、戦場に出た時に戦闘意識が薄くなるためと考えたからです。バレンタイン司祭はこれに強く反対しました。
非人道的行為であると批判し、積極的に若い兵士の結婚を呼びかけ、娘たちにすすんでプロポーズするようにすすめました。これが皇帝の怒りを買い、投獄され、撲殺される原因になったと言われています。
若い人たちにとって、この愛を育てることに献身した聖バレンタインに感謝して、その心にそって、この日を「愛の日」と定めました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 今回の南紀の旅では、熊野三山の那智大社、那智の滝、熊野速玉大社、熊野本宮大社を参拝するのが目的です。当初は那智大社と那智の滝までバスで行って、そこから雲取越えをして熊野本宮まで行くことも考えましたが、那智山から本宮までは約10時間かかり、本宮大社から新宮までバスで戻るのに1時間半かかるというので、そのプランはあきらめました。今回の2泊3日ではとても熊野古道散策までは時間的猶予がなく、熊野交通公社から出ている熊野三山めぐりのバスに安直に乗ってしまいました。しかしバスはほぼ満席状態でした。018.gif
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 バスはまず那智山ではなく、熊野本宮へ向かいました。熊野川の対岸は三重県。川をさかのぼるにつれて、熊野の山岳美が映え、昨日降った雪が山の上には残っていました。
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 熊野本宮大社は明治に水害に遭い流失するまで音無川と熊野川の合流する中州にありました。大斎原(おおゆのはら)には、高さ33 mの日本一の大鳥居があります。
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 バスツアーは効率よく三山を周ってくれましたが、何しろ忙しい。7時間で熊野三山全てをまわり、十分時間があるように思えますが、一か所当たり30分程度、最後に周った熊野那智大社と青岸渡寺合わせて50分、ゆっくりする暇がありません。さっさとお参りし、私の場合は写真を撮り、ご朱印も貰うと30分はあっという間でした。今回は次回の予習だと思って強行軍で周ることにしました。
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To be continued.
熊野詣はまだまだ続きます。

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by ryott-ryott | 2011-02-15 00:57 | 熊野詣 | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、浦安湯屋で大暴れ(^o^)丿

旅行・地域
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今週の土曜日は大井町湯屋が休館日で、いつもの大暴れアクアもお休みでしたが、浦安湯屋のともちゃんから「浦安湯屋でアクアをご一緒しましょう」とのお誘いをいただき、そのお言葉に甘え、大井町湯屋仲間のよしこさんと一緒に浦安湯屋で大暴れアクアビクスに挑戦しました。
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お昼ちょうどに大井町駅でよしこさんと待ち合わせをして、りんかい線で新木場まで行き、京葉線で新浦安へ向かいました。何事もなく新浦安駅へ向かっていたところでしたが、舞浜駅を過ぎたところで京葉線の車内で突然、男性がうめき声をあげて、その場に倒れ込むハプニングが起きました。そばに座っていた女性客がすぐに車掌を呼びに行き、その車両の乗客の誰かが非常停止ボタンを押したため、電車は停止してしまいました。
車掌は倒れ込んだ男性の様子を見るため運転席から出てて、再び運転席にもどり、倒れた男性を病院へ運ぶためか、「次の新浦安駅でしばらく停止します。」との車内アナウンスが流れ、電車は動き出しました。

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目的地の新浦安駅に到着し、よしこさんと私は電車を降りましたが、倒れ込んだ男性の姿がなく、電車の床は血まみれになっていました。どうやら倒れた男性は気を取り戻して、電車を降りて行ってしまったようでした。新浦安駅の前の駅でしばらく電車が停車することになっていたら、約束には間に合わないところでした。
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ハプニングで始まった浦安湯屋訪問でしたが、無事に新浦安駅に迎えに来ていただいたともちゃんと再会。浦安湯屋へ連れて行っていただきました。浦安湯屋は駅のすぐ前のビル4階にあり、スタジオもスパも大井町湯屋よりも広く、立派な設備でした。浦安湯屋の入り口で、すみちゃん、樋口さん、倉持さん、三浦さんと再会。みなさんは既にエアロビクス1本をやり終わったとのことでした。070.gif070.gif070.gif070.gif070.gif
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浦安湯屋に到着し、末梢血管血流測定を行いました。私の血管年齢は33歳でした。実年齢は46歳です。また血管の硬さは、AからGまでの7段階評価で、上から2番目のB評価、スコア120点満点中106点で、とてもよい評価でした。よしこさんは実年齢53歳に対して、43歳でした。ふたりとも実年齢より10歳以上若い血管年齢でした。驚いたことに倉持さんの血管年齢は29歳だったそうです。倉持さんの実年齢は知りませんが、それは凄いことだとわかります。
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早速、樋口さんと三浦さんに案内していただき、ロッカーで水着に着替えて、ついに浦安湯屋のプールに入りました。浦安湯屋は6レーン25 mのプールと、アクアビクス用の3レーン20 mの2つのプールがありました。アクア用のプールの深さは両端で1.15 m、中央付近は1.2 mであり、大井町湯屋のプールとほぼ同じ深さです。
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午後1時30分からアクアコア30分をまず受けました。ともちゃん曰く、地味なレッスンとのことでしたが、水中で腹筋の引き締めを行い、確かに地味でした。
そして15分間の休憩をはさんで、いよいよ大暴れアクアビクス開始、正式なレッスン名はアクアサーキットといい、45分間のエクセサイズです。浦安湯屋での大暴れアクアはアクアミットを装着してのエクセサイズで、思いのほか強度が高く、しかも間断なく続くので、最初のうちは頑張って水を外に掻き出せていましたが、最後は足を上げるのも大変な状態になっていました。しかし、大井町湯屋での大暴れアクアでは体験できない、体の中から熱くなっていくことがわかりました。

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今日、私たちが参加した大暴れアクアの先生は女性らしいのですが男性のような風格があり、インストラクターの指導されている先生で、浦安湯屋のアクアビクスで最も定評がある先生だそうです。体を横にひねるところで、先生は「セクシーに!」とおっしゃっていましたが、先生がとても「セクシー」とは言えないので、誰も先生の言うとおりに出来ていませんでした。そして「セクシー」どころか、先生も汗びっしょりになって、大暴れアクアの指導をされており、私の目の前に来た時にはなるべく水をかけてあげるようにしました。
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私が毎週参加している大井町湯屋の大暴れアクアビクスに比べると、2~3倍の運動量があったと思います。アクアビクスに参加して、こんなに消耗したのは久しぶりでした。大暴れアクアが終わってから、何人かの浦安湯屋の年配者の方に、「楽しかったわ。」と声をかけていただきました。
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45分間の大暴れアクアを終えて、今度は倉持さんと一緒にスタジオで50分間のステップをやりました。実はステップ台を使ったエクセサイズには2年ぶりに参加しました。浦安湯屋のステップ台はリーボックではなく、ステップ台と足がセパレートされている、なつかしい緑色のものでした。ステップ台の高さを最初は足1段にしようと思いましたが、倉持さんが足2段にするとおっしゃるので、私も真似をして足2段にしました。大暴れアクアでかなり消耗していましたが、レッスンの難度は高いものではなく、ベーシックステップ、Vステップ、ニーアップストラルなどステップの基本を組み合わせたエクセサイズでした。それでもレッスンが終了するころには、汗びっしょりになりました。
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一日、浦安湯屋で遊んだ後は、浦安湯屋のみなさんと大井町へ向かいました。夕方から大井町のイタリアンの名店、アレグロピアットで雲取山登山の打ち上げを行うためです。大井町駅で今村さん、瀧本さん、羽入さん、あやちゃんと合流して、総勢11名でアレグロピアットへ向かいました。
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お店では料理が運ばれてくるたびに、みんなでその写真を撮り、お酒がすすむたびに、私たちのグループだけ大騒ぎになっていました。11人でワインを10本くらい明けたのではないでしょうか。またすみちゃんが焼菓子を焼いてきてくれて、みなさんにバレンタインのプレゼントをしてくれました。
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なんでもトライアスロンにときどき登場する「にぴきの建ちゃん」はともちゃんの旦那さんのかずさんのことだとはじめて知りました。中国に行かれた時に、日本語では「一匹(いっぴき、二匹(にひき)、三匹(さんびき)」と数えるところ、日本語が堪能な中国ガイドさんがこの数え方が難しくて言えず、「二匹(にひき)」というところを、いつも「にぴき」と言っていたことが印象に残っているために、ハンドルネームを「にぴきの建ちゃん」にしたそうです。
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また中国に一緒に行ったタッキーは、美人の中国人女性にメロメロになってしまったそうです。その写真を見せていただきました。楊貴妃にめろめろになった玄宗皇帝のようになってしまったのでしょうか、写真を送っていただけたら、私のブログで紹介します。またタッキーは山登り以外に映画観賞の趣味があり、ほとんどの映画をご覧になっているそうですが、奥さんから「家にいないでくれ」と言われて、映画を見に行くと聞いた時には可哀そうになりました。そんな家を離れて、中国で楊貴妃のような美女にめろめろになってしまうのは至極当然なことだと思います。

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倉持さんの会社も4日で営業停止が解けて、この日5日から営業再開になり、早速、3月5日の筑波山ツアーの企画のお知らせがありました。すみちゃん、あやちゃん、ともちゃんはすでに申し込んだようであり、私も申し込みました。
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賑やかに夜が更けて行き、最後はみんなで記念撮影。大井町駅前でみんなとハグしてお別れしました。
浦安湯屋となんでもトライアスロンのみなさん、土曜日はありがとうございました。とても楽しい一日を過ごすことが出来ました。また機会を見つけて浦安湯屋へ遊びに行きたいと思います。

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(やしきたかじん/東京)

東京(作詞:及川眠子、作曲:川上明彦、歌:やしきたかじん) 060.gif

あんたとなら
いつ死んでもかまわへん
わすれないで
そんな女いたことを

見上げた空さえも
冷たい色やけど
あたしが本気で惚れたひと
そう生まれた街やから

いとしさも 憎しみも
すべてすべて ぎゅっと抱きしめ
祈るように 今日も灯が
ともる東京

夢だけ見て
生きてるようなあんたやった
いつかあたし
待つことにも慣れてたよ
くすんだ風のなか
肩よせ暮らしたね
誰にも似てへんひとやけど
本物の愛をくれた

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

痛いほど好きなのに
なんでなんで別れたんやろ
いまもまだ 胸の奥
揺れる東京

悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけど
かけがえのないひとに
逢えた東京

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小野小町は平安初期(9世紀ごろ)の女流歌人で、「六歌仙」の一人として「古今集」をはじめ、数多くの勅撰歌集に秀歌をのこしています。生没年ともに不詳、そして絶世の美女だったと言われています。

小野小町に関する伝説、お墓は全国に点在しており、福島県に生地といわれる小野町があります。これは同じ小野一族で、浄瑠璃節の祖と言われた小野お通が、小町を主人公にした歌物語、恋物語、人生落魄(らくはく)の物語に仕立てて諸国をまわった影響とみられています。能の世界でも「小町もの」の人気は高く、さまざまな小野小町の生きざまを描いています。

才色兼備の絶世の美女、小野小町に憧れる男性は多く、中でも深草の少将の「通小町(かよいこまち)」は有名です。深草の少将が小野小町に「私のもとに、なんとしても嫁に来ていただきたい」と言い寄るところ、小町は「ならば百夜(ももよ)通ってください、そうすればあなた様のもとに参りましょう」と返事をします。「百夜通え」とは百日間欠かさず来ることを要求しました、しかし部屋に入れてくれるわけではありません。小町の住むところまで通ってきて、その外で歌などを詠んで帰っていくという繰り返しです。深草の少将はやりました。99日通い、あと一日で百夜だというところで、病を得て、とうとう焦れ死にをしてしまいました。
小町に仕えていた女中衆が、小町にそのことを知らせると、表情も変えずに脇に置いてあった「ほれ帳」と書かれてあった手帳を開き、イロハの順の「フ」の部に書いてあった深草の少将の名前に棒を引いてあっさりと消してしまったという話です。
実は小野小町は女性としての機能がなく、男性を受け入れることが出来ない体であったと言われています。それなのに「百夜通え」というのはイカサマじゃないかと、後に川柳を詠む江戸っ子たちは小野小町のことを「穴なし小町」と言うようになりました。
 裁縫に使う、穴のない針のことを「待ち針」と言いますが、もともとは「小町針」と言われており、「小」がとれて「町針」になり、「待ち針」となりました。

 小野小町は「俳句歳時記」では観音様の化身と言われており、その縁日である3月18日を「小町忌」としています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(五木ひろし/契り)

契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、歌:五木ひろし)060.gif

あなたは誰と ちぎりますか
永遠の心を 結びますか

波のうねりが岸にとどく
過去の歌をのせて
激しい想いが 砕ける涙のように
緑は今も みずみずしいか
乙女はあでやかか
人の心は鴎のように
真白だろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

朝の光が海を染める
生きる夢に満ちて
まぶしい願いが きらめくいのちのように
流れは今も 清らかだろうか
子どもはほがらかか
人はいつでも桜のように
ほほえむだろうか
愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

愛するひとよ 美しく
愛するひとよ すこやかに

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 鎌倉散歩の続きです。明月院でろう梅を見た後、葉祥明美術館に立ち寄り、外に出ると小雪が舞っていました。この日の目的は、円覚寺でも明月院でもなく、鶴岡八幡宮のそばにある牡丹苑で満開になった牡丹を見ることでした。途中建長寺にも立ち寄って、鶴岡八幡宮に到着。参拝をさっさと済ませて、目的の牡丹苑に行きました。みごとな牡丹の大輪が誇らしげに咲いていました。
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 先ほどまで雪がちらついていましたが、海の方を見ると雲が切れて陽射しが差しこんできたため、夕陽が見れるのではないかと思い、稲村ケ崎へ行きました。たぶん気温は10 ℃を下回っていたと思います。そんなに寒いのに、稲村ケ崎の海の中にはたくさんの人に姿があり、波乗りをしていました。

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来週の3連休(2月11日~13日)は和歌山県・那智勝浦へ行き、那智の滝と熊野大社へ行く予定です。2泊3日なので、熊野古道のすべてを周ることはできませんが、少しは散策したいと考えています。

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by ryott-ryott | 2011-02-06 13:12 | 浦安湯屋 | Comments(0)