<   2011年 04月 ( 7 )   > この月の画像一覧

花はさくらに、山は富士(^o^)丿

旅行・地域
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今週の土曜日は先週に引き続き「剣岳をめざせ」シリーズの第2ステージ、天覧山の岩場で3点確保の講習に申し込んでいましたが、低気圧の通過により本格的な雨が降る予報で、残念ながら前日に中止の連絡がありました。057.gif
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雨が降った時は何はともあれ大井町湯屋へ行き、温泉アクアをやりました。今週は申し込んでいなかったというよしこさんと一緒にアクアをやりました。よしこさんは岩場と鎖場はもう懲り懲りと、早くもGive Up宣言。018.gif
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そして、夕方はいつもの理髪店へ散髪に行きました。自分では見えないのでどのような状態になっているのかわからないのですが、ここ数カ月の間に後頭部に白髪が束になって生えているというので、染めてもらいました。大学の同級生はみんな頭髪が白か肌色の割合が増えている中、自分は白髪が長い間、生えないことだけが少しだけ自慢でしたが、ついに白髪染めをすることになってしまいました。037.gif
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そしてよしこさんが常連の店が震災の影響でつぶれそうだから、少しでいいから来てほしいとのお誘いがあり、仕方なく少しだけ行きました。その店は、他の店から出前を取るほど落ちぶれていました。その後、じゃんけんぽんへ行くと、ガリガリとはいえ、やはりからだが大きい岡田ファミリーが店で大暴れ。龍平ちゃんの卓球仲間がお店で宴会をしていましたが、その誰よりも岡田ママさんの方が、からだが大きいことがわかりました。041.gif
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 こちらは平成生まれのお嬢さん、龍平ちゃんの彼女ではないそうです。岡田ママさんのようにならないでくださいね。037.gif
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そして、有名な岡田ママさん。プロレスラーではありません。
しかし、会っているだけで殴られている錯覚に襲われます。037.gif041.gif

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岡田ママさんに「写真を撮るときぐらい、変顔をしないでください。」とお願いしても、聞き入れてもらえません。普段からこんな顔でした。
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 私は一足先に、26歳差婚の夫婦が経営する「バーディー」さんへ行きましたがお休みでした。

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(コブクロ/あの太陽が、この世界を照らし続けるように。

(映画「岳」予告編)

あの太陽が、この世界を照らし続けるように。(作詞、作曲:小渕健太郎) 060.gif


どんな悲しみにも ひとつの意味を注ぐように
世界中の夜に 朝を連れてくる太陽
ぼくは彷徨ってた 生きる意味を探して
君に出逢うまでの僕じゃ あの壁は越せない

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため
ぼくに生きる意味をくれた その微笑み

人ごみに紛れて 逃げ出すのは容易くとも
一人きりの夜に 孤独から逃げ出せない
ガラス玉のような心を抱え生きてる
落とすたびに砕け散った 涙を忘れない

転がりながら辿り着いた 今がいつも君だけの頂上
心のままに生きてゆけば 時には人はぶつかり合うけれど
その魂に刻まれた模様はきっと 美しきヒビとなる

どんな命も輝いてる
あの太陽が、この世界を照らし続けるように

この手は君を守るため この瞳は君を探すため
こころは君を愛すため この命は君と生きるため

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 人類最初の世界一周の航海を成し遂げたのは、ポルトガル人のマゼランです。彼は、1519年8月、スペイン王カルロス1世の支援を受け、5隻の船隊を率いて、セビリアの港から大航海の旅に出ました。南米の南端を抜けた、はじめて広い大洋に遭遇しました。この海峡を「マゼラン海峡」と名づけ、さらに広い大洋を「太平洋」と命名しました。
 それから3ヵ月、飢えに漂う苦難な航海の末、1921年4月、フィリピン群島のセブ島に到着することができました。

 彼は、ここをスペイン領土として献上すべく、土民を平らげ、隣のマクタン島まで攻めて行きました。ところが、この島の部族長ラブラブの猛反撃にあい、ついに4月27日、マゼランは土民の竹槍であっけなく戦死してしまいました。
 指揮官を失った敗残の一行は、一路帰国の途につき、インド洋、アフリカをまわって、文字通り世界一周の旅を続けて、命からがら翌年9月8日、出発したセビリア港にたどりつきました。5隻の船隊のうち、たどりついたのはビクトリア号ただ1隻、170人の乗組員のうち生還したのは僅か18人だったといいます。
 
マゼランが戦死したマクタン島には、ラブラブが勝利を収めたことを記念する、立派な勝利の碑が建てられています。西欧の歴史家が、マゼランを最初に世界一周を成し遂げた世界の征服者と呼ぶならば、ラブラブこそ、西欧の侵略からアジアを守った、いわば世界の征服者を倒した民族の英雄ではないかと称賛しているのです。フィリピン人の心意気がわかる気がします。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(小柳ルミ子/星の砂)

星の砂(作詞:関口宏、作曲:出門英、歌:小柳ルミ子) 060.gif


二度と出来ない恋を捨てあなた遠く
離ればなれになってゆくの 今つらいわ

嫁ぐ日岬にひとりたたずみ君住む島に
別れを告げる
凪いで凪いでまぶしいサンゴの島が
にじんで落ちて 星の砂

過ぎし日 二人は海辺に遊び
変わらぬ愛を 夕陽に祈る
いつかいつか 二人は運命にさかれ
私は遠く 石垣へ

髪にかざした ブーゲンビリア
そえぬ運命に赤く咲く
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい 星の砂

ルルル・・・・・ルルル・・・・・
ルルルル・・・・・

風よ吹け 波よ打て
それであなたにつぐなえるならば
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい この想い
届けてほしい この想い

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 土曜日の天気とは一変し、日曜日は青空が広がる春の日差しに包まれました。私は戸越小学校で選挙の投票を済ませ、山中湖へ富士山とさくらを見に行きました。056.gif
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品川から東海道線に乗り、一路、国府津へと向かいました。多摩川からは富士山は見えませんでしたが、国府津に近づくにつれ、白く雪化粧した富士山が見えてきました。038.gif
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国府津で御殿場線に乗り換えて、御殿場まで向かうのですが、時計を見るとたった今、電車が出発してしまったところでした。次の電車まで1時間半もありました。きちんと時刻を調べないといけませんでした。
 国府津で途中下車し、高台にあるお寺の墓地の手前から、富士山をはっきりと見ることができました。

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御殿場に着いたころには、先ほどまではっきりと見えていた富士山に雲がかかり始めていました。まずは富士霊園に桜を見に行きました。何年か前に、タレントの清水由紀子が自殺したところです。
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富士霊園の標高はだいたい400~700 mくらいなんだそうです。そして、標高の高いところにある「まめさくら」が咲いていました。何とも可憐な可愛らしい花です。056.gif
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山中湖の標高は約1000 m。ここではまださくらは咲いていませんでした。
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そして、夕方に差しかかり、反対側の箱根の乙女峠にまで足を運び、富士の稜線に沈む夕陽を見て、東京へ戻りました。

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(Gメン75/予告編)

ハードボイルド、いい歳、りょうちゃん、
次の活躍は。

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今週末からの大型連休は、遠く、屋久島へ。宮之浦岳に登ります。4月19日に季節外れの寒波により山頂は積雪の模様。現地のガイドさんに案内をすでにお願いしました。その模様は、またこのブログで紹介します。
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次回
「いい歳、りょうちゃん、
百名山、百番目の頂に立つ。」
乞うご期待。

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by ryott-ryott | 2011-04-26 00:25 | さくら | Comments(0)

陽春、花の陣(^o^)丿

旅行・地域
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岩櫃山登山記のおまけです。と言っても、岩櫃山とは全く関係ありません。
新宿から臨海線に乗って大井町まで帰って来ました。よしこさんが家に帰って食事の仕度は面倒だから、大井町で何か食べて帰ろうと言うので、「くいもの屋・陣」大井町店へリックを背負ったまま、登山の恰好で行きました。037.gif
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もともと「くいもの屋・陣」の本店は荏原町にあり、「さ久」さんや「ちゃんこ晴海」へ通う前に、よく行っていたお店です。その「陣」が今年3月に2号店を大井町に出店したということは大井町湯屋仲間の中村さんから聞いており、時間があったら是非行こうと考えていました。068.gif
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「陣」には実に5~6年ぶりに行きました。前回は荏原町のお店が開店10周年記念のときにご招待していただいて、大井町湯屋仲間の寺澤兄弟と一緒に行き、そのとき以来になります。10周年記念に招待してもらって、散々無料でお料理を食べておきながら、それ以来ぷっつりと行かないなんて、寺澤兄弟は何て悪い兄弟でしょうか。037.gif037.gif037.gif037.gif037.gif
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「陣」大井町店は、大井町駅東口を出て、大通りを挟んですずらん通りの前の道(きゅりあんへ向かう小さい坂)のすぐ入口にあるビル地下1階にあります。昔、春菜亭というお店があった場所です。店に入ると荏原町店の店長の大野さんが働いていました。大野さんは私たちを見て、「うわさ聞いて、来てくれたの?」と言い、どうやら覚えていてくれたようです。
よしこさんが「今、登山の帰りなの。最近、登山に嵌っているのよ。」と言うと、大野さんは私を見るなり、「そんなお腹で登山できるの!?えっ-」と叫んでいました。037.gif041.gif037.gif041.gif037.gif
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最初「陣」大井町店は、荏原町店で大野さんのもとで働いていた青年に任せるつもりだったそうですが、青年が荏原町を離れるのをとても嫌がったため、荏原町店を青年が、大井町店を大野さんが担当することになったそうです。038.gif
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「そんなお腹」でもお腹が減っていたため、料理の写真を撮らずに、出されたものをすぐに食べてしまいました。写真の料理は大井町湯屋メンバーとよく食べたカボチャのホクホク揚げです。次回はメンチカツを食べたいと思います。土曜日に行くお店がまた一つ増えました。
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(平原綾香/ジュピター)
ジュピター(作詞:吉元由美、作曲:G.Holst、歌:平原綾香)


Everyday I listen to my heart
ひとりじゃない
深い胸の奥で つながっている
果てしない時を越えて 輝く星が
出会えた奇跡 教えてくれる

Everyday I listen to my heart
ひとりじゃない
この宇宙の御胸に 抱かれて

私のこの両手で 何ができるの
痛みに触れさせて そっと目を閉じて
夢を失うよりも 悲しいことは
自分を信じてあげられないこと

愛を学ぶため 孤独があるなら
意味のないことなど 起こりはしない

心の静寂に 耳を澄まして

私を呼んだなら どこへでも行くわ
あなたのその涙 私のものに

今は自分を 抱きしめて
命のぬくもり 感じて

私たちは誰も ひとりじゃない
ありのままでずっと 愛されている
望むように生きて 輝く未来を
いつまでも歌うわ あなたのために 

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 毎年4月19日から25日まで、全国の浄土宗のお寺では「御忌(ぎょき)」が催されます。
「御忌」とは、浄土宗の宗祖法然上人の忌日法会のことです。「御」という字がつけられているのは、後柏原天皇の勅命によるものです。
 法然の入寂した日は、建暦2年(1212年)1月25日ですが、正月中で、寒さも厳しいときなので、明治10年(1877年)から陽春4月に改められました。京都の総本山知恩院や、東京芝の増上寺の「御忌」は特に賑わうので知られています。

仏教の伝来は、ご承知の通り奈良時代以前ですが、主として王侯貴族の信仰対象で、いわゆる”殿様仏教”と呼ばれてきました。しかし、平家の滅亡、源氏の台頭など、骨肉相食(は)む血なまぐさい戦乱の世が続くと、民衆も心のやすらぎ、救いを求めてくるようになりました。

比叡山で30年の修行をしていた法然は、従来の仏教に疑念を抱き、山を下りて新しく唱えたのが、”南無阿弥陀仏”の専修念仏でした。
唐の善導大師の書かれた「観経疎」のなかにある「一心に専ら弥陀の名号を念じて、行住坐臥に時節の久近を問わず、念々に捨てざる者、これを正定の業と名づく、彼の仏の願に順ずるが故に・・・・・・・」この言葉を発見して悟ったのです。

仏に近づく道は、経典の勉強や荒行だけではありません。一般の人は、善人悪人、貧富、老若男女の区別なく、ただ一心に”南無阿弥陀仏”を唱えればそれでよいのです。阿弥陀仏は、信ずる人を救ってくださいます。・・・・・・・
これが浄土宗の教義ですから、浄土宗のお寺の葬儀は比較的簡素です。
親鸞は法然の弟子で、のちに浄土真宗を開きました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(小柳ルミ子/星の砂)

星の砂(作詞:関口宏、作曲:出門英、歌:小柳ルミ子) 060.gif


二度と出来ない恋を捨てあなた遠く
離ればなれになってゆくの 今つらいわ

嫁ぐ日岬にひとりたたずみ君住む島に
別れを告げる
凪いで凪いでまぶしいサンゴの島が
にじんで落ちて 星の砂

過ぎし日 二人は海辺に遊び
変わらぬ愛を 夕陽に祈る
いつかいつか 二人は運命にさかれ
私は遠く 石垣へ

髪にかざした ブーゲンビリア
そえぬ運命に赤く咲く
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい 星の砂

ルルル・・・・・ルルル・・・・・
ルルルル・・・・・

風よ吹け 波よ打て
それであなたにつぐなえるならば
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい この想い
届けてほしい この想い

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岩櫃山から帰ってAmazonで購入した、JTBパブリッシング出版 敷島悦郎著「歴史の山を歩く」(定価1400円、ISBN4-533-05706-3)と「アウトドアですぐに役立つロープワーク」(定価1000円、ISBN4-533-05524-9) が家に届きました。「歴史の山を歩く」は品切れか絶版なのか、新品ではなく中古品であり100円で購入しました。定価は1400円です。038.gif
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大菩薩峠の中里介山。著作は未完に終わっていますが、映画「大菩薩峠」、音無しの構えの甲源一刀流、斬って斬って斬りまくる主人公・机竜之介は最終話では波の中に消えて行きました。018.gif
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オーバーハンドノット
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そして翌日の日曜日もいい天気であり、今シーズン最後の桜を見に昭和記念公園へ行きました。休日は昭和記念公園には無料で入園できます。056.gif
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ソメイヨシノはだいぶ散っていましたが、センダイシダレは満開でした。
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ムスカリ。
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広場の向こうにはチューリップが咲き乱れていました。
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by ryott-ryott | 2011-04-19 23:29 | さくら | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、岩櫃山でトレーニング(^o^)丿

旅行・地域
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いよいよ「剣岳をめざせ」シリーズが始まりました。その第1ステージ、群馬県東吾妻町にある岩櫃山へ行ってきました。070.gif
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15名限定のツアーだと思いましたが、当日の参加者は21名にガイドさん4名という一大ツアーとなりました。大井町湯屋からはアクア仲間のよしこさんと私の2名が参加しました。先週の週間予報ではお天気は雨模様だったのですが、前日に雨マークがお日様マークに変わり、雨で参加をキャンセルしたよしこさんも急遽参加することになりました。
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 新宿西口安田生命ビル前(東京モード学園前)に6時50分集合。私は大井町から臨海線と山手線に乗って新宿まで行きました。空は鈍色の曇り空でしたが、岩櫃山へ移動途中、その雲も徐々に切れて行き、陽射しがこぼれて、青空が見えるようになって来ました。
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 いつものように目的地に着くまで本日のコースの説明がありました。「この人が厳しく、怖いと噂されている泉田ガイドかぁ。」平川ガイドが「泉田さんは顔が怖い。」とおっしゃっていました。説明しているところを写真に撮ろうかと思いましたが、おこられそうなのでやめました。岩櫃山のコースの説明の前に、剣岳を登るための心構えについて、お話がありました。とにかく剣岳は日本百名山の中でも別格中の別格で、常に緊張を強いられる山であり、今日、登る岩櫃山もコース自体は短いけれど、岩場に入ったら自分がどういう状況にいるかということを常に意識してほしいとのお話がありました。そして、今日身につけてほしいのは、どんな斜面でもまっすぐに立つこと(地表面に対して垂直に立つこと、重力加速度の方向に水平に立つこと)、そして足場をしっかり見ることが大切であり、岩場にしがみついたり、這いつくばったりすると、それだけでバランスを崩して、自ら危険な状況をつくり、足場も見えなくなってしまうとのことでした。とにかく、まっすぐ立って、足元をよく見る。この2点が「剣岳をめざせ」シリーズ第1ステージのポイントでした。
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 そして、もうひとかた、私が憧れる職業の「作家先生」が本業である敷島悦郎ガイドから、岩櫃山の歴史の話がありました。私は「岩櫃山」と聞いて、「ひつまぶし」の容器のような山ぐらいの発想しかできませんでしたが、「剣岳をめざせ」シリーズで岩山トレーニングに来ているのに、岩櫃山の歴史が聞けるとは思いませんでした。
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 16世紀半ば、越後を統一した上杉謙信と、信濃にも領土を拡大し、西上野(にしこうずけ)や今川氏の領国であった駿河にも進出した武田信玄とが、たびたび衝突した川中島の戦いはあまりにも有名です。甲斐の国と越後の境に位置する難攻不落の岩櫃山に構える岩櫃城は武田にも上杉にも全国統一のためには重要な拠点でした。その当時、岩櫃城は上杉方の斎藤家が約200年にわたり支配していました。そして、武田勢の後ろ楯で斎藤家と争っていたのは真田幸村で有名な真田隆幸でした。何としても、この岩櫃城を手に入れたいと考えていた真田家も、岩櫃山の堅固な守りに阻まれ、斎藤家に対する上杉勢の援護もあり、なかなか岩櫃城を攻略できないでいました。
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しかし、そんななか真田隆幸に好機が巡って来ます。斎藤家の一番の家臣である海野一族の姫君が岩櫃城の中で亡くなります。こんな山の中では満足な葬儀もあげられないため、海野氏は姫の遺体を城の外に出そうとしますが、正月であったこともあり、「正月から城の正門を遺体が通ることは不吉であり、まかりならん!」と言って、斎藤家からは許可が出ませんでした。それでも、海野氏は愛する姫の葬儀を出すため、斎藤家の言いつけに背いて、姫の遺体を城の門から出しました。そして、斎藤家に愛想が尽きた海野氏は岩櫃城を離れて行きました。
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真田隆幸はこの斎藤家の内輪もめを好機と捉え、岩櫃城に奇襲を仕掛けます。斎藤家にも謀反がおこり、追いつめられた斎藤一族はつぎつぎと崖から身を投じ、難攻不落の岩櫃城もあっさりと陥落しました。200年間にわたる岩櫃城の斎藤家支配は終焉し、1614年に岩櫃城が解体されるまで武田方の真田家が治めることになりました。
この一部始終を見ていた武田信玄は家臣にどんなにツワモノがいても主従の間に信頼関係がなければ意味がないことを悟ります。人間関係を築く基本はお互いの信頼が一番重要であるという、「人は石垣、人は城、人は掘、情けは味方、仇は敵」の言葉を残しました。

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山に登る前にこんなにも人をひきつける歴史の話をしていただき、興味深く話を聞くことができました。敷島ガイドはご自身の著作を帰りのバスの中で紹介されていました。「歴史の山をあるく」と「アウトドアですぐ役立つロープワーク」は帰ってすぐにAmazon で注文しました。
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(平原綾香/ジュピター)
ジュピター(作詞:吉元由美、作曲:G.Holst、歌:平原綾香)


Everyday I listen to my heart
ひとりじゃない
深い胸の奥で つながっている
果てしない時を越えて 輝く星が
出会えた奇跡 教えてくれる

Everyday I listen to my heart
ひとりじゃない
この宇宙の御胸に 抱かれて

私のこの両手で 何ができるの
痛みに触れさせて そっと目を閉じて
夢を失うよりも 悲しいことは
自分を信じてあげられないこと

愛を学ぶため 孤独があるなら
意味のないことなど 起こりはしない

心の静寂に 耳を澄まして

私を呼んだなら どこへでも行くわ
あなたのその涙 私のものに

今は自分を 抱きしめて
命のぬくもり 感じて

私たちは誰も ひとりじゃない
ありのままでずっと 愛されている
望むように生きて 輝く未来を
いつまでも歌うわ あなたのために 

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 謡曲『隅田川』は、同じ謡曲『班女』の後日物語で、“梅若伝説”をもとに世阿弥元清がつくった名作です。日本人好みのストーリーが喜ばれ、適当にアレンジされて、浄瑠璃、小唄、歌舞伎などに「隅田川もの」としてたくさん上演されてきました。

 物語の筋は次のようなものです。
 村上天皇の御代、京都北白川の吉田少将惟房の子、梅若丸は、5歳で父を失い、7歳で比叡山に登りましたが、その才能がねたまれ、身の危険を感じて山を下り、大津の宿に入りました。ここで知り合った悪徳商人信夫の藤太に、うまくかどわかされ、東国へ連れ去られてしまいます。しかし、梅若丸は旅の途中に病にかかり、とうとう隅田川のほとりで倒れ、死んでしまいました。

   尋ねきて 問わば答えよ 都鳥 隅田川原に 露と消えぬと

 梅若丸が詠んだ辞世の歌です。旧暦3月15日、享年12歳だったといわれます。
 里人たちはこれを哀れんで、亡骸を埋めて塚をつくり、柳の木を植えました。
 それから1年が過ぎ、里人たちの一周忌の読経の声を聞きつけて、一人の狂女がやって来ました。そしてこの狂女こそが、実は梅若丸を捜し歩いていた母であったという物語です。

 この梅若塚は、現在は東京の「都営白鬚団地」のビルの谷間になってしまった木母寺の境内に移築され、毎年4月15日に「梅若忌」が催されています。

    語り伝え謡い伝えて梅若忌  高浜虚子

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(小柳ルミ子/星の砂)

星の砂(作詞:関口宏、作曲:出門英、歌:小柳ルミ子) 060.gif


二度と出来ない恋を捨てあなた遠く
離ればなれになってゆくの 今つらいわ

嫁ぐ日岬にひとりたたずみ君住む島に
別れを告げる
凪いで凪いでまぶしいサンゴの島が
にじんで落ちて 星の砂

過ぎし日 二人は海辺に遊び
変わらぬ愛を 夕陽に祈る
いつかいつか 二人は運命にさかれ
私は遠く 石垣へ

髪にかざした ブーゲンビリア
そえぬ運命に赤く咲く
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい 星の砂

ルルル・・・・・ルルル・・・・・
ルルルル・・・・・

風よ吹け 波よ打て
それであなたにつぐなえるならば
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい この想い
届けてほしい この想い

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 ガイドさんの興味深い話を聞きながら、バスはJR郷原駅前に到着。参加者は2つの班に分けられました。私とよしこさんは、きびしい泉田ガイドと、倉持さんがよく頼んでおいてくれたという仙石ガイドの班ではなくて、作家先生の敷島ガイドと平川ガイドの班でした。いつものように不要なものはバスに置いて行く身支度を済ませ、出発前に体操をして、いよいよ岩櫃山への出陣です。070.gif
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先ほどまで陽射しもあったのに、出発するとすぐに空がにわかにかき曇り、泣き出しました。雨粒も次第に大きくなり、ガイドさんから雨具を着用するように指示が出ました。057.gif
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私はいつものようにカメラを持って、隊列の後方から進みました。最初は民家と農道を通ります。070.gif
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そして、いよいよ山道へ。30分も歩かないうちに、岩場へと入って行きました。町役場のスピーカーからでしょうか、テレビで流れる「緊急地震速報」が聞こえてきました。「緊急地震速報です、強い揺れに備えてください!」しかし大きな揺れを感じることもなく、最初のハシゴを上がりました。敷島ガイド、平川ガイドが足を置く場所を親切に教えてくれて、難なくクリア。このくらいはね。037.gif
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いよいよ最初の難関、「天狗のかけ橋」が現れます。その横に「迂回路」が示されていましたが、向こう側に見えるハシゴの位置までどのように足を運んで行けばいいのかと思うような細い迂回路で、一歩間違えれば斎藤一族のように奈落の底へ落ちてしまうのではないかと思いました。しかし、私たちは一見危険な迂回路ではなく、「天狗のかけ橋」ルートを通るとのこと。042.gif
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他の方のブログでの報告では、岩櫃山の「天狗のかけ橋」は平均台に乗るように通過している様子を見ていましたが、私たちのツアーで先輩方のわたる様子を見学すると、皆さん中腰で、手を着いて、ガイドさんの指示通りに左右の足を置くところを確認しながら渡っていました。いよいよ私の番です。かけ橋の長さは2 mくらいでしょうか。いきなり這いつくばるような姿勢で手を着き、敷島ガイドの指示通りに、左右の足を置きながら、這うように進みました。私自身は体が硬いので、ガイドさんの指示通りに足を置くのに、もたついてしまい、手の方の力を頼ろうとして、たった2 mほどのかけ橋でも少し怖く感じました。天狗のかけ橋を渡り終えて、よしこさんと「こんなことではとても剣岳には行けないね。」と早くもあきらめモード。025.gif
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更に歩を進めて、頂上へ登る手前のピークを越えるときも足の運びの悪さを露呈してしまいました。体が硬いことと、体が重たいことが原因していると思います。ガイドさんが「もっと鎖を頼って、自信を持って。」と励まされながら、引っ張ってくれました。ガイドさんがいなければ、落ちていたかもしれません。この2番目の難所ではもう写真を撮る余裕もありませんでした。
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頂上へ登るための鎖場へ到着。頂上には先方隊が登っており、しばし頂上直下で休憩。ここでも、よしこさんと「剣岳は無理かもしれないね。止めましょうか。」と弱音を吐いていると、参加者の団塊の世代の先輩方から、「技術なんか一朝一夕で身に付くものではないから、練習を重ねて慣れるのが一番。あとは体力があればいい。まだ若いから大丈夫よ。」と46歳の私と、53歳のよしこさんを叱咤激励してくれました。040.gif
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そして最後の難所。頂上へ登るための鎖場にいよいよ挑戦することになりました。2つの難所で、二人のガイドさんは私がまったくの初心者であることを見抜いたのでしょう。私の胴体に綱を巻いて輪っかをつくり、シャックルを通して、私の体を玉掛けできる状態にしてくれました。そのまったくの初心者の私から頂上に引揚げてもらうことになりました。上からは敷島ガイドが引っ張り、下からは平川ガイドが私の体を押し上げました。そして何とか上に到達し、最後のハシゴを登って頂上に到達することができました。038.gif
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私たちの班のメンバーは次々に頂上に到着、全員無事に頂上制覇。低気圧もすでに通過し、青空が広がっていました。敷島ガイドから、周囲に見える山々の解説がありました。赤城山に十二ヶ岳、妙義山。浅間山は見えませんでした。そして、みんなで記念撮影。
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登りがあれば下りがあります。ザイルを通して玉掛で上がったのは私だけだったようです。平川ガイドが「登りが怖かった人?」と問いかけ、「下りはもっと怖いです。」と続けました。「怖かった人はザイルを着けます。」とのこと。「ザイルを着ければ、落ちることはありません。一番重たい男もそれで上がって来ています。」とニコニコしながら私の方を見ておっしゃっていました。どうやら私は一番重たい男だと思われてしまったようです。間違いありませんが。
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そして、何名かの方は私と同じようにザイルを付けて鎖場を降りて行きました。朝のバスの中で泉田ガイドがどのような斜面でもまっすぐに立つことが大事だと言っていましたが、特に鎖場を降りて行くときにまっすぐに立たずに岩場に這いつくばってしまうと、足場が見えなくなることを実践的に教えてもらいました。040.gif
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下山を開始。最後のピークを越えて、天狗の蹴上げ岩を通り、岩櫃城の城址後まで降りてきました。途中、岩場の陰にカモシカを発見。どのように登ったのでしょうか。蛇もいたそうですが、蛇の写真を撮ることはできませんでした。ともちゃんに見せたかった、残念でした。037.gif037.gif037.gif037.gif037.gif
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ここまで来れば、もう安心。
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ついに無事に下山。空は雲ひとつない青空でした。青空の下、みんなでストレッチをして、ご褒美の岩櫃温泉に向かいました。
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私が風呂上がりに缶ビールを買おうとしていると、道中、私とよしこさんを叱咤激励してくれた団塊世代の先輩から、「生ビールを飲まなきゃダメよ!」と言われ、岩櫃温泉の食堂でビールを飲んでしまいました。「アミューズで、最後の温泉で生ビールがないとガッカリするのよ。でも、ここは合格!」とおっしゃっていました。068.gif068.gif068.gif068.gif068.gif
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帰りのバスの中で、私は爆睡。お隣さんも爆睡。そして、私たちを元気づけてくれたガイドのみなさんが共通しておっしゃっていたのは、山に登り、慣れること。山に行かなければ出来ないとトレーニングがあるので、是非、山に行ってくださいと強調されていました。そして、どんなに技術を身につけていても、最後は登りきる体力がなければ目的は達成できない、そのためにも山へ行ってもらいたいとおっしゃっていました。最後に平川ガイドから、登山装備の手入れの話と清掃登山の紹介がありました。アミューズでの清掃登山では、特に人がたくさん行く山を選んでいるそうです。たくさんの人の前でゴミを拾って清掃することにより、見ている人も「ゴミを捨ててはいけない」という意識が働き、効果が大きいと言います。そして周りの人から感謝され、そのねぎらの言葉は何にも替えがたいとのこと、「褒められて伸びる」タイプのいい歳、りょうちゃんにも、その気持ちは十分わかります。037.gif
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今回の岩櫃山登山は4人のガイドさんから、「登山の心構えと基本」から作家先生の「歴史の話」まで様々なお話を聞くことができ、充実した一日となりました。
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いい歳、りょうちゃんの岩櫃山登頂記、
これにて完。

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by ryott-ryott | 2011-04-18 11:49 | 「剣岳をめざせ」シリーズ | Comments(4)

♪ さくら、さくら、♪ 満開のさくらと花見酒(^o^)丿

旅行・地域
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4月9日は御岳山&日の出山&つるつる温泉へ連れて行ってもらう予定でしたが、皆さんの早朝会議で中止になってしまいました。私は雨でも行くつもりでいましたし、当日の天気を見る限り、雨が降ったのは一時ばかりだったので、景色は望むことはできなかったものの、登れたのではないでしょうか。057.gif
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仕方がないので、9日(土)は大井町湯屋へ行き、温泉アクアをやりました。温泉アクアとはミットを両手につけて首までつかって、トレーニングもどきを行う地味なエクセサイズです。30分間の間に、たった1種目だけ、水を蹴り上げる動きがあります。時間にすると左右合わせて1分間もないと思いますが、その1分足らずの時間に全身全霊を込めて、水を蹴り上げました。たった1分の大暴れアクアです。残りの29分間は温泉アクアです。よしこさんも温泉アクアに来ていました。
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よしこさんとは来週の16日、「めざせ剣岳シリーズ」第1ステージの岩櫃山へ一緒に行くとことになっています。倉持さんからのメールでは大変に厳しいガイドさんが同行されるとのこと。私は倉持さんに「私はほめられて伸びるタイプなので、とても不安です。」
と返信すると、他のお二人のガイドさんはとてもやさしく、よしこさんと私は初心者で、やさしいガイドさんによく頼んでおいてくださるので、大丈夫とのメールをいただきました。

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 そして夜は大井町の隠れた名店「ゲッキー」さんへ行きました。私が店を除くと、マスターの茂樹さんがたったひとりでビーフシチューを作っているところでした。奥さまはいつものように遊びに行っているとのこと。私はすかさず、じゃんけんぽんのトントンさんへ「今、ゲッキーさんにいます。」とのメールをしましたが、時すでに遅し。ちょうど夕飯を食べていらっしゃるところだったようです。018.gif
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 その後、バーディーさんにも行き、歌詠み会に参加しました。

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(平原綾香/ジュピター)
ジュピター(作詞:吉元由美、作曲:G.Holst、歌:平原綾香)


Everyday I listen to my heart
ひとりじゃない
深い胸の奥で つながっている
果てしない時を越えて 輝く星が
出会えた奇跡 教えてくれる

Everyday I listen to my heart
ひとりじゃない
この宇宙の御胸に 抱かれて

私のこの両手で 何ができるの
痛みに触れさせて そっと目を閉じて
夢を失うよりも 悲しいことは
自分を信じてあげられないこと

愛を学ぶため 孤独があるなら
意味のないことなど 起こりはしない

心の静寂に 耳を澄まして

私を呼んだなら どこへでも行くわ
あなたのその涙 私のものに

今は自分を 抱きしめて
命のぬくもり 感じて

私たちは誰も ひとりじゃない
ありのままでずっと 愛されている
望むように生きて 輝く未来を
いつまでも歌うわ あなたのために 

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昭和21年(1946年)4月10日は「婦人の日」、わが国ではじめて婦人参政権が行使された記念の日にあたります。婦人の参政権は、外国の例をみてもわかるように、フィンランド、ノルウェーなどは1905年から、イギリス、ドイツなどでは1918年から、かなり早い時期に行使されています。
 
日本でも、大正14年(1925年)、男子普通選挙法が成立した前後から、婦人参政権獲得運動が繰りが繰り広げられましたが、終戦まではその実現をみることができませんでした。
 戦後、占領軍の指導で新憲法が生まれ、男女平等の原則が認められて選挙法が改正され、ようやく第1回の婦人参政権が行使できるようになったのです。
 このときの選挙で、一挙に婦人議員39人が誕生して話題を呼びました。ここにいたるまで戦前から長い間、婦人参政権の獲得、婦人の地位向上のための婦人運動を推進してきた指導者を忘れるわけにはいかないでしょう。その人の名は市川房枝です。
 
彼女は明治26年(1893年)、愛知県中島郡明地村(現・尾西市)に生まれました。
 大正7年(1918年)、名古屋新聞(現・中日新聞)の記者をやめて上京。婦人運動の創始者ともいえる平塚らいてうの提唱する“新しい女”の運動に参加して、婦人の参政権獲得に奔走してきました。
 戦後、婦人有権者同盟を組織し昭和28年(1953年)の参議院選挙に初当選、以後連続3回当選。昭和49年の参院選全国区では第2位当選、昭和55年(1980年)の選挙では見事第1位当選を果たしました。

一生を独身で通し、生涯を婦人運動に捧げ、昭和56年(1981年)2月11日、88歳の米寿のお祝いを目前に、87歳9カ月の生涯を閉じました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(小柳ルミ子/星の砂)

星の砂(作詞:関口宏、作曲:出門英、歌:小柳ルミ子) 060.gif


二度と出来ない恋を捨てあなた遠く
離ればなれになってゆくの 今つらいわ

嫁ぐ日岬にひとりたたずみ君住む島に
別れを告げる
凪いで凪いでまぶしいサンゴの島が
にじんで落ちて 星の砂

過ぎし日 二人は海辺に遊び
変わらぬ愛を 夕陽に祈る
いつかいつか 二人は運命にさかれ
私は遠く 石垣へ

髪にかざした ブーゲンビリア
そえぬ運命に赤く咲く
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい 星の砂

ルルル・・・・・ルルル・・・・・
ルルルル・・・・・

風よ吹け 波よ打て
それであなたにつぐなえるならば
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい この想い
届けてほしい この想い

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そして日曜日はトントンさんのお誘いで大森の水神公園へお花見に行きました。桜は満開。公園はたくさんの人で賑わっていました。056.gif
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この母親たちを見ると、岡田ママさんがガリガリに見えます。041.gif
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子どもたちはみんないい顔をしていました。038.gif
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バーディーのマスターとママさん、26歳差婚。マスターの話では、男は金を持っていれば、女性はいくらでも寄って来るとおっしゃっていました。悪い人です。037.gif
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いつものように寝てしまいました。
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春さんが作った北京ダッグ。

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by ryott-ryott | 2011-04-11 23:31 | さくら | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、長崎祈りの鐘をつく(^o^)丿

旅行・地域
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雲仙・島原・長崎の旅も最終日。最終日も雨模様でしたが、徐徐に雨もあがって来ました。長崎へ来たからには長崎原爆資料館、平和公園を訪れないわけにはいきません。
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 今日も雲仙観光ホテルの自動車で雲仙バスターミナルまで送ってもらいました。運転してくれたのは、いつもホテルの玄関で山高帽をかぶって、宿泊客のお出迎いをされている方でした。私が今日は山高帽をかぶっていないのですかと声をかけると、山高帽とあのスーツは大変に重くて、たくさん動き回れないのだとおっしゃっていました。山高帽のおじさんとお別れし、私は9:00ちょうど雲仙発長崎駅前行きのバスに乗車しました。雲仙から長崎までのバス料金は1900円で、約100分の道のりです。
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 長崎駅前から赤迫行き路面電車に乗って約15分、浜口町駅で下車しました。長崎駅の路面電車はどこまで行っても料金が大人120円、子ども60円です。ちょっとした坂道を上がったところに長崎原爆資料館がありました。入口にはたくさんの折り鶴が吊り下げられており、ボランティアの方が座っていらっしゃいました。私はすぐにボランティアの方に資料館の案内をお願いしました。
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 長崎に原子爆弾が落とされたことは当然ながら知っていましたが、広島のように映像や写真を目にすることは今までありませんでした。すべてはじめて見る写真でした。長崎は広島に次いで2番目に爆弾が落とされたため、広島と同じ新型爆弾が長崎にも落とされたという情報から、原爆が投下された長崎市へ何人もの報道関係者が入り、写真を撮って記録を残していました。長崎の原爆の惨状を伝える写真は広島より多いと言われています。
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 原子爆弾はアメリカを中心として、ドイツへ落とすために莫大な費用をつぎ込み開発が続けられていましたが、ドイツが1945年5月に早々と降伏してしまったため、どうしても原子爆弾の威力を確かめたいと思った連中は、まだ戦争を続けている日本へ原子爆弾を落とすことにしました。アメリカにとって原子爆弾は日本との戦争を終わらせるためだけのものではなく、原に爆弾の威力についてデータを取得するための実験だったのです。そのために長崎では7万5000人の命が瞬時に奪われ、ほぼ同数の人が負傷し、やはり命を落としていきました。
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 資料館の中には原子爆弾の模型の他、街の惨状、倒壊した建物や真っ黒に焦げた遺体などを写した写真が何枚も展示されていました。展示されている写真はモノクロですが、その惨状を目の当たりにした体験者の話では、遺体からは内臓が飛び出し、血で真っ赤に染まった遺体も多く、地獄絵図そのものだったと言います。そして、ときどきカラーの写真もありました。カラー写真はアメリカ軍が撮った写真であり、ボランティアの方の説明では、アメリカ軍は被爆した人の写真を撮影していたが、決して治療はしてくれなかったそうです。転がっている遺体やひどい火傷を負っている人の写真を、記録を取るように撮影し、どのような経緯で息絶えて行くかをまるでモルモットの実験をしているように観察して、見殺しにしたと言います。ひどい傷を負いながらも、運よく命を取り留めた人も後遺症に苦しみ、顔が変わってしまうほどの火傷のため、その後、人前に出ることもはばかられ、差別を受けることもあったそうです。
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刑務所があった場所。400名が亡くなりました。
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浦上天主堂。
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永井隆博士の家。
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永井先生の家の前には隠れキリシタンの帳方の屋敷がありました。帳方とは隠れキリシタンの頭のことです。その他、洗礼を授けるものを「水方」、指令を伝令するものを「聞き役」と呼んでいました。永井先生の奥さんは7代目帳方の吉蔵の子孫にあたります。
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この噴水は平和の象徴、ハトが羽ばたく様子をイメージしています。
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(第75回あずみ野うたごえ喫茶/長崎の鐘)

長崎の鐘(作詞:サトウハチロー、作曲:古関裕而、歌:藤山一郎)


こよなく晴れた 青空を
悲しと思う せつなさよ
うねりの波の 人の世に
はかなく生きる 野の花よ
なぐさめはげまし 長崎の
 あゝ 長崎の鐘がなる

召されて妻は 天国へ
別れてひとり 旅立ちぬ
かたみに残る ロザリオの
鎖に白き わが涙
なぐさめ はげまし 長崎の
あゝ 長崎の鐘が鳴る

こころの罪を うちあけて
更け行く夜の 月すみぬ
貧しき家の 柱にも
気高く白き マリア様
なぐさめ はげまし 長崎の
あゝ 長崎の鐘が鳴る

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(平原綾香/ジュピター)
ジュピター(作詞:吉元由美、作曲:G.Holst、歌:平原綾香)


Everyday I listen to my heart
ひとりじゃない
深い胸の奥で つながっている
果てしない時を越えて 輝く星が
出会えた奇跡 教えてくれる

Everyday I listen to my heart
ひとりじゃない
この宇宙の御胸に 抱かれて

私のこの両手で 何ができるの
痛みに触れさせて そっと目を閉じて
夢を失うよりも 悲しいことは
自分を信じてあげられないこと

愛を学ぶため 孤独があるなら
意味のないことなど 起こりはしない

心の静寂に 耳を澄まして

私を呼んだなら どこへでも行くわ
あなたのその涙 私のものに

今は自分を 抱きしめて
命のぬくもり 感じて

私たちは誰も ひとりじゃない
ありのままでずっと 愛されている
望むように生きて 輝く未来を
いつまでも歌うわ あなたのために 

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昭和20年8月9日、午前11時20分、広島に続いて2回目の原爆が長崎市に落ちました。
市街地の3分の1は焼土と化し、被爆死した人は、あわせて12万人を越えました。
現在、爆心地であった浦上天主堂一帯は、「長崎平和公園」として保存され、そこに長崎県出身の彫刻家として知られる北村西望作の巨大な平和記念像が建てられています。

この原爆の悲惨さ、憤りを、文学作品として発表した作家はたくさんいますが、被爆者の一人として書かれたものが、ベスト・セラーとして広く読みつがれています。
それは長崎医大助教授、敬虔なクリスチャンでもあった永井隆博士の書かれた3冊です。
『ロザリオの鎖』『この子を残して』『長崎の鐘』と、出版されたのはこの3冊でしたが、『長崎の鐘』は、昭和24年、新藤兼人の脚本・演出で松竹から映画化され、その主題歌(サトウ・ハチロー作詞、古関裕而作曲、藤山一郎唄)は大ヒットしました。今でもナツメロにはよく登場します。

  こよなく晴れた 青空を
  悲しと思う せつなさよ
  うねりの波の 人の世に
  はかなく生きる 野の花よ
   なぐさめはげまし 長崎の
   あゝ長崎の 鐘がなる・・・

平和公園からほど近いところに、永井博士のお宅があり、これも保存されています。
天皇陛下も長崎で巡幸のとき見舞われ、ローマ法王も特使を派遣されましたが、昭和26年5月1日、二人の子どもを残して亡くなりました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(小柳ルミ子/星の砂)

星の砂(作詞:関口宏、作曲:出門英、歌:小柳ルミ子) 060.gif


二度と出来ない恋を捨てあなた遠く
離ればなれになってゆくの 今つらいわ

嫁ぐ日岬にひとりたたずみ君住む島に
別れを告げる
凪いで凪いでまぶしいサンゴの島が
にじんで落ちて 星の砂

過ぎし日 二人は海辺に遊び
変わらぬ愛を 夕陽に祈る
いつかいつか 二人は運命にさかれ
私は遠く 石垣へ

髪にかざした ブーゲンビリア
そえぬ運命に赤く咲く
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい 星の砂

ルルル・・・・・ルルル・・・・・
ルルルル・・・・・

風よ吹け 波よ打て
それであなたにつぐなえるならば
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい この想い
届けてほしい この想い

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 崎と言えば、キリスト教、鎖国、そして出島の誕生という歴史の流れが頭に浮かびます。織田信長が生きていたころはキリスト教の布教はむしろ推進されていました。その信長が1582年(天正10年)に明智光秀の謀反によって本能寺の変で死んでしまうと、キリスト教に対する風当たりは一変します。このころキリスト教信者は約14万人いたと言われています。そして、大友宗麟、有馬晴信、大村純忠は4人の使節団を宣教師の勧めでローマ教皇のもとに派遣しています。諸外国との貿易も盛んに行われ、大きな利益もあげていました。
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 信長の死後、天下を治めた豊臣秀吉はこれから作り上げて行く国家体制にとって、キリスト教の教えは妨げになると考えるようになりました。またキリシタン大名が海外との貿易により莫大な利益を上げ、信者も日に日に増えて行くことは秀吉にとっては脅威であったに違いありません。1587年(天正15年)、秀吉は突如バテレン追放令を出し、宣教師たちを国外追放しました。しかし、南蛮貿易は保護し、ポルトガル船や商人の来航は従来通り認めました。
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 時代は流れて、徳川の江戸幕府もキリスト教徒に対して例外ではありませんでした。幕府も当初は秀吉同様にキリスト教は禁じるが貿易は推奨するという政策を取っていました。しかしながら、貿易を認めれば禁じているキリスト教を完全に抑え込むことはできません。最初は黙認を続けていましたが、キリスト教の布教によるスペインやポルトガルの侵略に対する脅威と、数多くにキリスト教徒の団結を恐れ、1612年(慶長17年)にキリスト教の禁教令を出します。それでも従わない高山右近ら300人をマカオへ国外追放し、長崎で宣教師と信徒合わせて55名を処刑しました。
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 しかし、激しい迫害に屈することなく、潜伏して信仰を続ける者がいました。それが隠れキリシタンです。
 キリスト教徒を根絶やしにすること幕府に決意させる事件が起こります。1637年、長引く飢饉にもかかわらず、島原城主松倉重政や天草領主寺澤勝彦ではなく広高が領民に過酷な年貢を取り立て、徹底したキリスト教の弾圧に耐えかねた農民たちが一揆を起こします。これが島原の乱です。当時16歳の天草四郎時貞をリーダーに3万人が原城に立てこもりました。幕府は最初は板倉重昌を派遣しましたが鎮圧に失敗、その後九州諸大名に12万の兵力を動員し、原城を兵糧攻めにし、オランダ船からの砲撃も要請し、ようやく鎮圧しました。その後、イエス、マリア像を彫った踏絵を踏ませる絵踏を行ったことは有名です。

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 このような幕府のキリスト教に対する政策から海外渡航や貿易も制限が加わるようになりました。そして幕府のみが貿易による利益を独占するため、厳重な統制のもとに管理し始めます。まず1624年にスペインの来航を禁止しました。イギリスも平戸にあった商館を閉鎖しました。1635年、さらに日本人の海外渡航を全面禁止にし、その当時、海外にいた日本人の帰国も禁止にしました。1637年の島原の乱の影響で、1639年ポルトガル船の来航を禁止し、平戸にあったオランダの商館を1641年に長崎の出島に移し、長崎奉行の監視下に置きました。こうして、日本は鎖国へと突入して行きます。
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 その長崎の出島跡に行きました。出島はその当時3方を海に囲まれていましたが、現在は埋め立て地の中にあります。
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敷地の端に植わっている木は、ナンヨウスギと言って日本には存在しない植物だそうです。当時のオランダ人によって運ばれたと言われています。
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出島へやってきたオランダ人は、1回は将軍へ謁見するために江戸へ赴いたそうです。その時は、参勤交代の大名行列さながらに籠に乗って江戸に向かいました。その籠の模型ですが、前方に黒い箱が飛び出ています。これはオランダ人は胡坐や正座が苦手だったため、足が伸ばせるように籠がつくられていました。
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 出島へやってきたオランダ人は特別な用事がない限り、出島から日本本土へ踏み込むことは禁じられていました。そして、日本人も出島への出入りを禁じられていました。ただし、遊女と乞食は出入りを許されていました。オランダ人は自分の妻や子どもを連れて、日本の出島にやって来ますが、妻や子どもは日本への入国を許可されず、無情にもオランダへ返されることがほとんどだったそうです。妻を返されてしまったオランダ人は長崎丸山の遊女を出島へ呼んでいました。

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最後は大浦天主堂を見て、グラバー邸へ行きました。

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雲仙・島原・長崎の旅、これにてお終い。

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by ryott-ryott | 2011-04-09 12:09 | 雲仙・島原・長崎 | Comments(0)

いい歳、りょうちゃん、難攻不落の熊本城へ行く(^o^)丿

旅行・地域
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先週の体調不良は急性の胃炎だったようです。かかりつけのお医者さんへ行く途中、3月31日で統廃合されることになった大間窪小学校には工事業者が入り、これからいよいよ解体が始まるようです。018.gif
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校庭の桜が徐々に咲き始めていました。
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地震が発生してから3週間、ようやく大井町湯屋も平常営業に戻ったようです。しかし、土曜日のいつもの枠からは大暴れアクアはなくなり、30分のミットシェイプに変更になっていました。ミットシェイプは首まで水につかって、筋肉トレーニング系のエクセサイズが主流であり、私たちが好む水を巻き上げる派手なパフォーマンスはありませんでした。それでもかつては大井町湯屋でのミットシェイプも大暴れアクア以上の運動量を要するエクセサイズも行われていたこともあって、皆さんは大暴れ系を期待し、たくさんの方が参加しましたが、見事にその期待は裏切られてしまいました。
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まあ、しばらく土曜日は写真撮影の旅になるため、アクアともしばらくお別れです。来週9日は日の出山&御岳山&つるつる温泉、16日は岩櫃山、23日は天覧山(倉持さんの情報では中止になる可能性が濃厚)、30日は連休2日目で私は遠く屋久島へ宮之浦岳に登る予定です。
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 そして、きのうの土曜日は当初の予定通り、アレグロピアットへ行きました。残念ながら浦安湯屋のメンバーの参加はありませんでしたが、大井町湯屋の大先輩方が参加し、11日の地震発生から今日までどのように過ごしてきたか、東京大空襲に比べれば今回の地震などたいしたことはないなどのお話を聞くことができました。もちろん、私が飛びぬけての最年少です。
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アレグロピアットの裏には「金魚湯」という由緒正しい銭湯があります。煙突から煙が出ていました。
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サラダ
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前菜
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生ハムのペンネ
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スペアリブ
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ピザ
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ラザニア
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リンゴのプディング
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最後は記念撮影、アレグロピアットのご主人は大井町湯屋仲間のよしこさんの高校の後輩だそうです。よしこさんがいつも奥様をあごで使っているので、奥様の方が後輩だと思っていました。ご主人からは再度、月1回の食べ飲み会をやることを、念を押されました。

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そして帰り道、じゃんけんぽんの春さんから歌詠み会のお誘いがあり、バーディーさんへ向かいました。歌詠み会とはカラオケのことです。024.gif
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(平原綾香/ジュピター)
ジュピター(作詞:吉元由美、作曲:G.Holst、歌:平原綾香)


Everyday I listen to my heart
ひとりじゃない
深い胸の奥で つながっている
果てしない時を越えて 輝く星が
出会えた奇跡 教えてくれる

Everyday I listen to my heart
ひとりじゃない
この宇宙の御胸に 抱かれて

私のこの両手で 何ができるの
痛みに触れさせて そっと目を閉じて
夢を失うよりも 悲しいことは
自分を信じてあげられないこと

愛を学ぶため 孤独があるなら
意味のないことなど 起こりはしない

心の静寂に 耳を澄まして

私を呼んだなら どこへでも行くわ
あなたのその涙 私のものに

今は自分を 抱きしめて
命のぬくもり 感じて

私たちは誰も ひとりじゃない
ありのままでずっと 愛されている
望むように生きて 輝く未来を
いつまでも歌うわ あなたのために 

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高村光太郎が第二詩集「智恵子抄」を出したのは、智恵子が死んで3年目、太平洋戦争がはじまる直前の昭和16年8月でした。

日本でも数多くの詩集は出されていますが、「智恵子抄」ぐらい、広く人々に読み継がれて、哀惜と感動を与えている詩集は他にないと言われています。人によっては、狂気の妻にあれほど献身的に愛が捧げられるものであろうか、詩に作意や誇張があるのではないかとの疑念を抱く人もいるようです。それは、光太郎を知らない人の言うことでした。
光太郎は晩年、智恵子夫人の狂気の時代を、次のように回想しています。

「自分にとってあの7年間は、地獄、いや煉獄とも言ってよい名状しがたい苦悩の連続だった。だが、その中で骨身を削りながら尽くせるだけのことは尽くした。人は今、私がひとりぽっちでいるのを淋しいと思っているだろうが、ぼくは今でも時々智恵子と話しているので淋しくない。智恵子を思い出しているのではなく、智恵子はぼくの体の中にいるんだよ。」(奥平英雄「晩年の高村光太郎」より)

 光太郎は終戦後に疎開していた岩手県花巻郊外、太田村山口の小屋で農耕自炊の生活に入りました。戦時中戦意高揚の詩を書いたことを恥ずかしく思い、ここで「暗愚小伝」の詩20編を書きました。昭和27年、青森県から依頼された、十和田湖国立公園顕彰記念碑の裸婦像の制作を引き受けて、7年ぶりに東京のアトリエに戻りました。現在、この裸婦像は十和田湖畔に建っています。

光太郎はこの製作が終わると再び岩手県の山小屋に帰る予定でしたが、その志を果たさず、昭和31年(1956年)4月2日、73歳で亡くなりました。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(小柳ルミ子/星の砂)

星の砂(作詞:関口宏、作曲:出門英、歌:小柳ルミ子) 060.gif


二度と出来ない恋を捨てあなた遠く
離ればなれになってゆくの 今つらいわ

嫁ぐ日岬にひとりたたずみ君住む島に
別れを告げる
凪いで凪いでまぶしいサンゴの島が
にじんで落ちて 星の砂

過ぎし日 二人は海辺に遊び
変わらぬ愛を 夕陽に祈る
いつかいつか 二人は運命にさかれ
私は遠く 石垣へ

髪にかざした ブーゲンビリア
そえぬ運命に赤く咲く
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい 星の砂

ルルル・・・・・ルルル・・・・・
ルルルル・・・・・

風よ吹け 波よ打て
それであなたにつぐなえるならば
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい この想い
届けてほしい この想い

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さて、随分と寄り道をしましたが雲仙・島原・長崎の旅の続きです。旅の2日目は濃霧のため、雲仙普賢岳登山をあきらめて、島原巡りをしました。やはり浦安湯屋のプロ登山家メンバーは濃霧ぐらいでは登山を取りやめることはないようです。038.gif
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 予定が1日ずれてしまったため、3日目はフェリーに乗って島原から熊本へ行くことにしました。3日目は濃霧に加えて、ついに雨が降り出しました。ホテルの人に雲仙バスターミナルまで送ってもらい、そこから島原港まで行き、熊本港行きのフェリーに乗りました。熊本港までは約30分、そして熊本市街までさらのバスで30分。時間がたっぷりあれば、いろいろと周りたいところですが、帰りの船に時間を考えて、熊本城へ行きました。熊本は、雲仙や島原ほど雨は降っていませんでした。057.gif
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 熊本城は築城から400年以上、難攻不落の城として加藤清正が7年の歳月をかけて築き上げます。加藤清正はもともと豊臣秀吉とは親戚の関係にあると言われており、秀吉には秀吉に対しては並々ならぬ忠誠心を持っていました。しかし秀吉の死後、石田三成とはそりが合わず、関ヶ原で東軍に味方します。それでも豊臣家に対する忠誠心が消えうせたわけではなく、秀吉の死後、秀頼の身を案じて、二条城で家康に対して秀頼との会見を実現させます。しかし、清正はその会見後に熊本へ帰る船の中で発病し、帰らぬ人となりました。加藤清正の死後から4年、慶長20年(1615年)、加藤清正の想いも空しく、大坂夏の陣で秀頼は大坂城とともに散りました。
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 その後、加藤家は改易(かいえき;改易とは御家が断絶することです)となり、細川家が替わって熊本城へ入り、明治の廃藩置県(1870年)まで熊本藩を細川家が治めることになりました。家自体は今も続いており、総理大臣にもなった細川護煕はこの細川家の末裔であることは記憶に新しいところでしょう。

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To be continued.
長崎の旅へとつづきます。

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by ryott-ryott | 2011-04-03 14:13 | 雲仙・島原・長崎 | Comments(0)

平成生まれの若者たちは立派に成長しています(^o^)丿

旅行・地域
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4月1日、エイプリルフール。今週はいろいろなことがありました。
きのうの夜中、私ははじめて救急車というものに患者として乗りました。
昼ごはんを食べた終えた後から、お腹が張る感じがしており、みぞおちあたりにさし込むような痛みを感じ始めていました。ちょうど昨日は年度末で4月以降の人の入れ替わりがあるため、送別会などが予定されていましたが、調子の悪さから出席を辞退し、まっすぐ帰宅しました。私としては大変珍しく、夕飯も食べることができず、風呂に入って早く寝ることにしました。しかし、さし込むような痛みは一向に引く気配はなく、もともと、お腹が出ているのでわかりにくいのですが、お腹を見るとみぞおちあたりからお腹が台形のように膨らんでいることがはっきりとわかりました。

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 さらに痛みが激しくなってきたので、私は我慢できずに119番をかけました。電話で症状を話し、5分ほどで救急車が家の前に到着。午前1時20分でした。救急車に乗ると、血圧、熱をすぐに測り、それから指先で血中酸素濃度を測る測定器を付けられました。富士登山のときに倉持ちさんが測ってくれたものと同じです。
 救急隊員の方が、「どこか希望の病院はありますか?」と尋ねられたので、私は「何とか治してもらえればどこでもかまいませんが、私は○○の社員で、大井町に○○病院があるので、診てもられるのではないでしょうか。」と答えると、救急隊の方は「○○病院は救急病院ではないのでわかりませんが、電話してみます。」と言い、○○病院に電話をかけて、交渉らしい会話をして、「診てもらえることになりましたので、○○病院に向かいます。」と言ってくれました。救急車が走り出し、○○病院には5分もかからずに到着しました。
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 タンカでお医者さんの宿直室のような部屋へ運ばれました。私を病院へ運び届けた救急隊員の方はすぐに撤収されました。お医者さんが聴診器を私の台形のように膨らんだお腹に当てて、「胃腸が動いていません。」と言いました。その後、症状の経緯を聞かれましたが、今、震災の影響で胃カメラが病院にないとおっしゃっていました。お話を聞く限りでは、胃カメラを定期検査に出しており、先日の震災の影響でまだ病院に戻って来ていないというのです。お医者さんは「とにかく症状を抑えるため、胃の粘膜を修復する薬を飲んで、様子を見ましょう。来週の月曜日には胃カメラが戻って来るので、症状が改善されなければ検査をしましょう。」と言い、ガスターと吐き気止めを飲み、診察が終了しました。しかし痛みは一向におさまりません。私は「全然症状がおさまらないのに、もう帰されちゃうの。」と思いつつも、守衛所で10000円を支払いました。夜間は保険の計算ができないので、とりあえず10000円を預かり金として支払い、後日に出向いて行って精算するシステムだそうです。よく考えれば、○○病院を選択してしまった自分がいけませんでした。救急隊員に病院をどこにするか尋ねられた時に任せていれば、違う結果になっていたと思います。普段、○○病院に行っても、散々待たされた挙句に、診察は1~2分で、ボルタレンなどの痛み止め薬を処方する診療しかしないことを知っていたにも関わらず、痛みを何とかしたいという一心で○○病院を選んでしまいました。
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 痛みが治まらないまま、無情にも診察室を出されてしまった私は、タクシーを呼んでもらい自宅まで帰って来ました。午前2時を回っていました。その後、胃の中のものを戻してしまい、少し楽になった感じはしましたが、午前6時ごろまで痛みは続きました。

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 ガスターが効いて来たのか、ようやく痛みもおさまり、朝、すぐにかかりつけのお医者さんへ行きました。お医者さんがおっしゃるには、胃の出口と十二指腸の入り口はせまくなっており、こんにゃくなどをよく噛まずに食べてしまうと、胃の出口で詰まってしまい、胃が膨満することがあるそうです。食事のあとにまた同じような症状が出たら、胃カメラ内視鏡で検査しましょうと言われました。
 大井町湯屋も短縮営業がまだ続くようなので、少し食べられないほうがちょうどいいのかもしれません。
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 さて雲仙・島原・長崎の旅のつづきに行く前に、3月26日土曜日は大井町のイタリアンのお店「ゲッキー」さんに行きました。「ゲッキー」という店名はご主人の名前「茂樹」さんから命名されたとのことです。そして、じゃんけんぽんの前を通ると、土曜日は定休日であるはずなのに電気がついていました。トントンさんに「今、ゲッキーさんにいます。」とメールをすると、トントンさんがゲッキーさんまでやって来て、「今日は7時から宴会が入っている。」と説明に来てくれました。私はじゃんけんぽんでの宴会が終わるまでゲッキーさんにいることを約束しました。069.gif
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 お店はすでに「茂樹」さんの奥さまのお友達3名が来店し、酒盛りが始まっていました。そして、もう一人、男性が遅れて来店。その方はアパレル業界にお勤めとのこと、見た目は男性ですが、話す言葉はいわゆる「ラブ注入」系と言われる女性の言葉でした。ブラウン管を通してはよく見かけますが、実際に「ラブ注入」系の方に逢うのははじめてでした。じゃんけんぽんや大井町湯屋には姿は女性ですが、おじさんみたいな人はたくさんいます。代表各はこの人です。
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この二人は本当に親子なんでしょうか。
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このときに話題に上がったのはモンスターペアレンツの話でした。テレビでも紹介されているのでご存知だと思いますが、自分の子どもが通う学校に理不尽な言いがかりをつけて先生を困らせたり、給食費を払うことができる家庭でありながら、給食費を全く払おうとしない親が現に身の回りにいるということでした。払わない理由として、「給食を頼んでもいないのに学校側が勝手に出しているので払わない。」とか、「学校の給食はおいしくないので払わない。」などと本気で言い、本当に支払わないバカ親がいるのです。そして、「ゲッキー」さんに来たアパレル業界のお姉さんも最近はおかしい人(ババァ)が増えているともおっしゃっていました。「お店で購入したバッグにセロテープを貼って剥がしたら、バッグの模様も剥がれてしまったので、交換か返品してほしい。」と平然とこの手の要求してくる客(ババァ)が少なくないそうです。ババァの言い分は「テープを貼って、剥がしたら柄も剥がれてしまうとの説明は受けなかった。この商品はまがい物である。」と一般社会では決して通用することのない「いいがかり」そのものです。ババァの不注意で買ったものを傷つけておきながら、それを店の説明不足だといいがかりをつけて、新品をかすめ取ろうとしている窃盗そのものです。
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こんな話を聞いているうちに、じゃんけんぽんでの宴会が終わったようであり、トントンさんと春さんも合流しました。トントンさん、春さんとの話題もまたババァの話題でした。  
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現在、水道水に放射性ヨウ素が混入しているため、スーパーなどで水がすぐに売り切れの状態になってしまっています。つい先日リニューアルオープンしたばかりの阪急百貨店で、やはり水が売り切れになってしまい、買いに来た客(ババァ)が「バスに乗って、わざわざ買いに来たのに、売り切れだなんて。バス代を返せ!」と店員さんに言っていたそうです。
大井町湯屋にはゴロツキ年寄りがごろごろいるので、そのような話を聞いても驚くことはありません。以前は、人生の先輩である年配の方々誰にでも畏敬の念を以って接して、私たちが知らない戦争中の話や生きて行く知恵を教えてもらっていた時代がありました。しかし、今は違うようです。

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(平原綾香/ジュピター)
ジュピター(作詞:吉元由美、作曲:G.Holst、歌:平原綾香)


Everyday I listen to my heart
ひとりじゃない
深い胸の奥で つながっている
果てしない時を越えて 輝く星が
出会えた奇跡 教えてくれる

Everyday I listen to my heart
ひとりじゃない
この宇宙の御胸に 抱かれて

私のこの両手で 何ができるの
痛みに触れさせて そっと目を閉じて
夢を失うよりも 悲しいことは
自分を信じてあげられないこと

愛を学ぶため 孤独があるなら
意味のないことなど 起こりはしない

心の静寂に 耳を澄まして

私を呼んだなら どこへでも行くわ
あなたのその涙 私のものに

今は自分を 抱きしめて
命のぬくもり 感じて

私たちは誰も ひとりじゃない
ありのままでずっと 愛されている
望むように生きて 輝く未来を
いつまでも歌うわ あなたのために 

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明智光秀の三女、名前は玉、絶世の美女でした。玉は織田信長のすすめもあり細川藤孝(幽斎)の長男忠興に嫁ぎました。その当時は政略結婚がほとんどでしたが、この二人は相思相愛の仲でした。あるとき、庭の植木を剪定に来た植木屋が玉に挨拶しているのが余りにも近過ぎると言って、忠興が植木屋を叩き斬ってしまったほどです。玉は容姿端麗、英明な女性として聞こえていました。

それが、突如、父光秀による本能寺の変が起こり、事後光秀から親戚である藤孝、忠興父子に加勢の依頼がありましたが、勝敗の帰趨を見通してか、父子はそれを拒絶し秀吉方につきました。忠興は玉が逆臣光秀の娘だけに心を配り、離婚の形を取って丹後半島味土野山中に隠棲させました。

夫の忠興は秀吉にも愛されましたが、その養子の秀次からも可愛がられていました。忠興はそれに甘えて、黄金100枚を借りています。妻が光秀の娘であるため、忠興は秀吉から謀反の疑いをかけられてしまいますが、ふた心(裏切りの心)ないことを誓いました。秀吉はその証として、借りていた黄金100枚をすぐに返すように要求します。この黄金100枚は現在の価値にすると2億~3億円、忠興に返せる充てがありませんでした。しかし、この黄金100枚を貸してくれた人物がいました。黄金100枚で人ひとり買えたら安いものだと言って、徳川家康が貸してくれたのです。
やがて秀吉が天下を統一した機会に、家康からのはからいで、玉は許されて忠興のところに戻りました。

大阪城下玉造に住んだその頃、心の安らぎを求め、高山右近の唱えるキリシタンの教えに感動し、洗礼を受けてガラシャ(伽羅奢)の名を受けました。

慶長3年(1598年)秀吉が死に、同5年には関ヶ原の合戦が始まります。実は忠興が秀次から黄金100枚を借金していることを調べ上げたのは石田三成です。忠興と三成は犬猿の仲でした。石田三成はその前夜、石田三成は城下の武将夫人を人質として入城することを強要します。しかし、忠興は徳川方に従い東軍につきました。

ガラシャは人質になることを敢然と拒否し、細川家の屋敷のそこここに爆薬を仕掛けて、自分が死んだあとに屋敷に火を放つように命じて、家臣に胸を突かせて自決しました。慶長5年(1600年)7月17日、37歳でした。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(小柳ルミ子/星の砂)

星の砂(作詞:関口宏、作曲:出門英、歌:小柳ルミ子) 060.gif


二度と出来ない恋を捨てあなた遠く
離ればなれになってゆくの 今つらいわ

嫁ぐ日岬にひとりたたずみ君住む島に
別れを告げる
凪いで凪いでまぶしいサンゴの島が
にじんで落ちて 星の砂

過ぎし日 二人は海辺に遊び
変わらぬ愛を 夕陽に祈る
いつかいつか 二人は運命にさかれ
私は遠く 石垣へ

髪にかざした ブーゲンビリア
そえぬ運命に赤く咲く
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい 星の砂

ルルル・・・・・ルルル・・・・・
ルルルル・・・・・

風よ吹け 波よ打て
それであなたにつぐなえるならば
海よ海に流れがあるならば
届けてほしい この想い
届けてほしい この想い

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東日本大震災から3週間経ちました。今、日本は元気がなく、何でも自粛、何でも中止。卒業式まで中止し、卒業式にかかるお金を被災地へ義援金として送ることを決めた大学もあるようです。発電所が被災し、電力を十分に供給できない状況になってしまった今、全てにおいて、省エネの生活スタイルへ変えて行くことは必要です。しかし、卒業式まで中止にしていいものでしょうか。その人が卒業後に社会人になるなら、その中止になった卒業式は人生最後の卒業式だったでしょう。大人が中止にすると言えば、子どもたちは「致し方ない。」と言うに決まっています。そう言わざるを得ない状況に追い込んではいけないと思います。そんな中、自分たちの普段の練習の成果を披露してくれた若者たちがいました。024.gif024.gif024.gif024.gif024.gif
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3月27日の日曜日、私は自分が卒業した高校へ28年ぶりに行きました。実は毎年、高校の吹奏楽部の定期演奏会が区民ホールで行われており、今年も例年通り区民ホールでとり行われる予定でした。しかし11日に発生した東日本大震災の影響で区民ホールの使用ができなくなり、中止にすることになったそうですが、演奏をみんなに披露したいという高校生たちの熱意が周りを動かし、急遽、母校の体育館で開催されることになりました。
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 30年ぶりに訪れた母校は、私が通っていたころとは見違えるほどきれいに整備されていました。確か敷地の片隅にはプールがあったはずなのですが、なくなっていました。私が先生らしき人に「プールはなくなったのですか?」と聞くと、「屋上にあります。」との答。玄関前のロータリーはコンパクトになっていましたし、木の下駄箱だったはずですが塗装されたステンレス製の下駄箱でした。廊下も広く、会場の体育館には2階の廊下を通って行きました。その途中にはコンピューター室がありました。今は高校の授業でコンピューターを教えているのですね。私が高校生の頃は、コンピューターといものの存在すらありませんでした。018.gif
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 随分と外観は変わっていましたが、面影も残っていました。グラウンド、桜の木が植えられている中庭、そしてテニスコートのそばにあるアカシアの木が5月になると鈴なりの白い花を咲かせ、それを取って、学校でてんぷらにして食べたこともありました。在学当時、私は吹奏楽部でも水泳部でもなく、生物部に所属し、畑を開墾してトウモロコシを育てたり、校内の植物分布を地理の先生と調べたりしていました。不思議なもので、それまで思い出したこともなかったのに、その場所に立つとその当時の記憶がよみがえります。人の記憶は消えることはないのですね。018.gif
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 区民ホールで演奏する予定であった曲目も削りに削ずって、プログラムを縮小しての演奏会でしたが、普段の練習の成果は十分に伝わって来ましたし、区民ホールではやる予定ではなかったと思われる寸劇を入れた昭和ヒットメロディーとして、今や50歳を超えているピンクレディーやキャンディーズの歌をその当時の振り付けで平成生まれの高校生たちが披露していました。おそらくYouTubeを見て、かなり練習を重ねたのではないでしょうか。もちろん吹奏楽部としての演奏も素晴らしく、あっという間に時間が過ぎて行きました。
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 いま日本は元気がなく、何でも自粛、中止にしてしまいます。人生に何回もない、この春の卒業式まで中止にしている大学もあります。今回、定期演奏会を中止にせず、開催したことに大きな意義があったと思います。不必要な自粛、中止を繰り返せば、本来の活力も失われて行きます。そして、平成生まれの若者たちは立派に成長していることがわかりました。
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by ryott-ryott | 2011-04-01 15:16 | 螢友会 | Comments(0)