<   2011年 10月 ( 12 )   > この月の画像一覧

青天の天の原を行く、霧ヶ峰・美ヶ原ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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10月29日(土)、倉持さんの特配で霧ヶ峰と美ヶ原へ行ってきました。この日は雲ひとつない快晴で、前回特配の九州に引き続き、雨具を必要としないトレッキングとなりました。058.gif
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 霧ヶ峰は諏訪湖の東北部に位置する溶岩台地で、その主峰・車山は諏訪湖方面から眺めた時に大八車にそっくりの形をしていたことから名前がつけられています。霧ヶ峰は車山の他には蝶々深山、鷲ヶ峰、八島湿原から成り、今回は車山肩から車山へ登り、その後、蝶々深山、八島湿原へと抜ける予定でしたが、大渋滞により到着時間が90分以上遅れたため、車山周辺のトレッキングのみにとどまりました。
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 バスの中でコース説明をする白砂ガイド。038.gif
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 雲ひとつない青空。058.gif
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 いつものように準備体操をして、車山肩から車山山頂へ向かいます。凄い柔軟性をこれでもかと見せつける倉持さん。真似しようと思うと足が吊りそうになりました。038.gif037.gif
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 終わりかけのマツムシソウが一輪咲いていました。056.gif
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 車山肩から40分ほどで車山山頂に到着。標高1925 m。白砂さんと倉持さんがつくってくれたミルクティーを飲みながら、360°のパノララマを楽しみました。車山頂上からは先々週行った浅間山、北アルプス、南アルプス、富士山、八ヶ岳、蓼科山まで360°の展望を見ることができました。山頂には気象観測レーダーがありました。
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そして、いつものように記念撮影。ガイドさん3名と豪華な記念撮影。038.gif037.gif
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浦安湯屋の三大美女。いつものことながら服の色も鮮やかです。041.gif037.gif
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今回は森ちゃんの奥様がはじめての特配参加。森ちゃんがいつもより大人しいような気がしました。037.gif
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富士山と八ヶ岳を背景にアミューズのお嬢さんふたり。
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噴煙がかすかに見える浅間山。
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北アルプスの山々。尖がっているのが槍ケ岳、その右側は先週登山を断念した常念岳。森ちゃんが常念岳は必ず行こうと言ってくれました。
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南アルプス。右から仙丈ヶ岳、間の岳、北岳、甲斐駒ケ岳。北岳に行った時に北岳の形を見たかったです。
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日本の盟主、富士山。
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八ヶ岳。
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1月7~8日に雪山登山する予定の蓼科山と白樺湖。形のいい山です。
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車山を降りて草原を歩きます。今日は時間がないので、蝶々深山と八島湿原はスキップし、車山肩へ戻ります。前を進む先団が急に立ち止まっているので、すみお姉ちゃんがまたまたすっ転んだのかと思いましたが、宮崎さんだったそうです。037.gif
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車山肩へ戻る途中、ダイヤモンド車山を撮りました。
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう



(中島みゆき/宙船)

宙船(作詞、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロに進んでいるのか
流されまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこは船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

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天文学に関心のある人なら、76年周期で回帰している“ハレー彗星”のことをご存知でしょう。その発見者エドモンド・ハレーは、1656年10月29日、ロンドンに生まれました。彼は、幼くして天文に興味を持ち、20歳のとき早くもセントヘレナ島に遠征し、南半球の恒星観測で大きな業績を挙げました。生まれながらの天文学者であったようです。

 1684年、28歳の夏、ケンブリッジ大学にいた物理学者「万有引力の法則」を発見したニュートンと知り合いました。『プリンキピア』(自然哲学の数理的原理)を刊行させたのも彼の助言です。この本は、力学の集大成として物理学史上第一級の古典といわれた名著です。
 彼はこの法則を利用し、宇宙における彗星もまた惑星と同じく、太陽の引力によって放物線を描き、楕円軌道をたどるのではなか、という仮説を立て、古い文献を調べるとともに,1607年にケプラーの観測した彗星、そして1682年にハレー自身が観測した彗星が同一であることを確かめました。この彗星の記録で一番古いのは、紀元前5世紀、周の時代のもので、それ以後、ほぼ76年おきに33回出現しています。

 ハレーは、1742年に亡くなりましたが、次の彗星が地球に接近するのは、1758年ごろと予測しました。果たせるかな同年クリスマスの晩に出現し、ドイツの天文学者バリッチによって観測され、彼の仮説の正しさを立証するとともに、この彗星を”ハレー彗星”と名付けました。
 ハレー彗星の正確な周期は76.02年です。一番新しい接近は、1986年(昭和61年)の春でした。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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車山を降りて、再びバスに乗って、美ヶ原に向かいます。ビーナスラインで約40分、美ヶ原山本小屋前に到着しました。
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美ヶ原は霧ヶ峰と同じく、火山性堆積岩が隆起してできた台地で、美ヶ原全体は約1800~2000 mの標高です。その最高点は2034 mの王ヶ頭になります。
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美ヶ原牧場が両側に広がる一本道を王ヶ頭へ向かいます。牛はいませんでした。
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美しの塔。この前で集合写真を撮りました。
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道はほとんど平坦で、百名山であるのに山登りすることは全くありませんでした。
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電波塔が見えるところの向こう側に王ヶ頭があります。
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ここが有名な王ヶ頭ホテル。一度、泊まって見たいと思っていますが、ひとり旅の客は泊めてくれません。2名分支払うとホテルに言っても、私は何度も断られました。
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王ヶ頭。
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奥の院。「御嶽神社 奥の院」と書いてあります。石像はすべて御嶽山の方角に向いているそうです。ここ美ヶ原では古くから御嶽山信仰があり石仏はそのために建てられています。王ヶ鼻に行くとたくさんの石仏があるそうです。
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ダイヤモンド王ヶ頭。
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そして定番になった倉持さんとの記念撮影。日本百名山27座目です。038.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村


 


(岩崎宏美/思秋期)
思秋期(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、歌:岩崎宏美)

足音もなく 行き過ぎた
季節をひとり 見送って
はらはら涙あふれる 私十八
無口だけれど あたたかい
心を持った あのひとの
別れの言葉抱きしめ やがて十九に
心ゆれる秋になって 涙もろい私
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ふとしたことで はじめての
くちづけをした あのひとは
ごめんといった それきり
声もかけない
卒業式の まえの日に
心を告げに 来たひとは
私に悩む顔見て 肩をすぼめた
誰も彼も 通り過ぎて
二度とここへ 来ない
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ひとりで紅茶 のみながら
絵葉書なんか 書いている
お元気ですか みなさん
いつか逢いましょう

無-邪-気な 春の語らいや
はなやぐ 夏のいたずらや
笑いころげたあれこれ 思う秋の日

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日も徐々に傾き、影法師の足が長く伸びています。金子さんと「本当の足も長いよね。」と冗談を言いながら、もとの道を戻って行きました。037.gif
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バスに乗り、諏訪湖湖畔にある温泉・片倉館で入浴を済ませました。
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湯あがりに、缶ビールで乾杯。このあと、倉持さんの特配ならではのバス車中での大宴会が始まります。宮崎さんと私で日本酒を2升と8合用意し、さらにコンビニで4合瓶2本買って、合計3.6升の日本酒がありましたが、すべて皆さんの胃袋に消えていき、足りないくらいでした。038.gif
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次回は大菩薩嶺に行ってきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2011-10-30 15:50 | 霧ヶ峰・美ヶ原 | Comments(0)

「ねがい」を歌にのせて、第89回あづみ野うたごえ喫茶ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 宿は安曇野アンビエントホテルに泊まりました。このホテルが常念岳の一の沢登山口に一番近いからです。あとで聞いたことですが、一の沢登山口から登るよりも、中房温泉登山口から登って、燕岳から常念岳へ向かうコースの方が人気があるそうです。
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歌声喫茶の開始時間は午後2時からのため、午前中は安曇野観光を行いました。大王わさび農場へ行きました。この農場の名前にある「大王」とはこの安曇野の地を治めていた怪力無双の首領・魏石鬼八面大王のことです。
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時代は桓武天皇(781~806年)の頃です。時代は奈良から平安へ移り変わっていく時期であり、称徳女帝が死去し、それまで権力をほしいままにしていた称徳女帝の愛人・道鏡が追放されると、それまでの天武天皇の皇統にかわって天智天皇系の白壁王が即位し光仁天皇となります。その子ども山部親王が即位し桓武天皇となりました。
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奈良時代の仏教政治の弊害から脱却するために784年に平城京から現在の京都府日向市に位置していた長岡京に遷都を決めました。しかしながら、長岡京遷都に反対する勢力の抵抗に遭い、桓武天皇の腹心で長岡京遷都を主導していた藤原種継が暗殺される事件が起こります。この事件の主犯格とされる皇太子の早良(さわら)親王(桓武天皇の弟)が処刑される一方で、桓武天皇の母親と皇后が相次いで亡くなりました。こうした不幸は早良親王の怨霊によるものとされるなか、なかなか完成しない長岡京から再度遷都が行われます。794年、新しい都は平安京と名づけられ、源頼朝が鎌倉幕府を開くまでの約400年間を平安時代と呼んでいます。
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名前は平安京ですが、桓武天皇の基盤は確固としていませんでした。とくに東北地方には中央政権に刃向う蝦夷(えみし)と呼ばれる異民族がいました。この蝦夷を制圧するため、東北では実に30数年間にわたって戦争状態が繰り返されました。
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八面大王は桓武天皇の中央政権に刃向うひとりでした。桓武天皇は八面大王一族を制圧するため、あの坂上田村麻呂を副使として大軍を送ります。怪力無双を誇る大王は安曇野の地を守るために立ち上がり、田村麻呂軍と戦いを続けます。しかし圧倒的な数を誇る田村麻呂軍に大王は後退を余儀なくされます。そして一族の女、子供も戦いに巻き込まれて犠牲になり、村は次々と焼き払われて行きました。追いつめられた大王は残された家臣と有明山の麓まで逃れ、岩屋にこもって、力の限り戦いましたが、矢に撃たれて、力尽きてしまいました。
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田村麻呂軍は、敵ながらも強すぎた八面大王が再び生き返らないように、遺体をバラバラにして各地に埋めたと言います。大王わさび農場の一角に、その八面大王の胴体が埋められていると言われており、大王神社として祀られています。
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道祖神も見に行きました。数百体の道祖神のうち、彩色されているのは2体ほどしかないそうであり、道祖神祭りのときに子どもたちが色を塗りなおします。
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水色の時道祖神。
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おひさまにでてきた道祖神。
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早春譜。060.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)

もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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(中島みゆき/宙船)

宙船(作詞、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロに進んでいるのか
流されまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこは船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

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「生まれながらの詩人は、詩的な死に導かれる」と言われますが、中原中也もその一人でしょう。 豊かな才能もむなしく、31歳で夭逝しました。

薄幸な人生であっても、その業績は永遠で、書店の店頭からその名が消えたことはありません。角川書店から「中原中也全集」全5巻と、従来の研究・評論を集大成した別巻が出されました。

友人の小林秀雄は「彼は一流の抒情詩人であった」と評していますが、彼の作品が今日なお愛好されているのは、この抒情に裏打ちされた「青春の挫折感」に共感を覚えるからでしょう。処女詩集「山羊の歌」、第二詩集「在りし日の歌」に、彼の絶唱が熱っぽくうたわれています。

 汚れちまった悲しみに
 今日も小雪の降りかかる
 汚れちまった悲しみに
 今日も風さへ吹きすぎる
      (「汚れちまった悲しみに」)

 ホラホラ、これが僕の骨だ
 生きていた時の苦労にみちた
 あのけがわらしい肉を破って、
 しらじらと雨に洗はれ
 スックと出た、骨のさき
      (「骨」より)

その他「サーカス」の詩の最後に繰り返される「ゆあーん ゆよーん ゆあゆよん」の表現がまだ耳に残っています。

昭和11年11月、3歳になった長男文也を失った彼は、急に精神に異常をきたし、昭和12年(1937年)10月23日午前0時10分に永眠しました。墓は郷里の山口市湯田温泉の経塚にあります。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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北アルプス展望台にも行って、北アルプスの山々を見ようと思いましたが、かなり雲が多く、見ることができませんでした。
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陽射しもあり、展望台は絵を描いている方がたくさんいました。
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うたごえ喫茶へ行く前に安曇野の風景を見て、お昼に穂高駅前まで戻って来ました。昨日入ったおそば屋さんにまた行って、お昼のおそばを食べました。もちろんおしきせも。037.gif
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そして、いよいよ歌声喫茶の会場のホワイトトークハウスへ。歌声喫茶は14時からですが、13時過ぎに着いてしまい、ホワイトトークハウスの中へ入っていくと、歌声メンバーの方たちが最後のリハーサルを行っているところでした。2ヵ月に1回の歌声喫茶は、歌声メンバーの方々が曲選びとその曲の練習を何度も繰り返して、実際の歌声喫茶の何倍もの時間を費やして、私たちに楽しい歌声喫茶を届けてくれていることがリハーサル風景を見て、わかりました。038.gif
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今日の歌声喫茶は「深まりつつある秋」をテーマにした歌が中心でしたが、安曇野はとても蒸し暑く、今日は秋はどこかに行ってしまったようです。058.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村

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今回の<覚えて歌ってみよう>は「りんどうの花咲けば」でした。
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お手本を歌うお父さん。038.gif
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(鳴海日出夫/りんどうの花咲けば)
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(大橋節夫/倖せはここに)
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(岩崎宏美/思秋期)
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思秋期(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、歌:岩崎宏美)

足音もなく 行き過ぎた
季節をひとり 見送って
はらはら涙あふれる 私十八
無口だけれど あたたかい
心を持った あのひとの
別れの言葉抱きしめ やがて十九に
心ゆれる秋になって 涙もろい私
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ふとしたことで はじめての
くちづけをした あのひとは
ごめんといった それきり
声もかけない
卒業式の まえの日に
心を告げに 来たひとは
私に悩む顔見て 肩をすぼめた
誰も彼も 通り過ぎて
二度とここへ 来ない
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ひとりで紅茶 のみながら
絵葉書なんか 書いている
お元気ですか みなさん
いつか逢いましょう

無-邪-気な 春の語らいや
はなやぐ 夏のいたずらや
笑いころげたあれこれ 思う秋の日

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(山口百恵/秋桜)
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 今回の歌声喫茶も、岩崎宏美の「思秋期」や山口百恵の「秋桜」などいい歌がたくさんラインナップされていましたが、なかでも広島市立大州中学校の平和学習の中で生まれた「ねがい」という曲には感動しました。このブログの最初の方に歌詞を書き写しました、どうぞ読んでみてください。私はこの詩を読み、歌を聞き、広島で聞いた悲しい物語の数々を思い出し、涙が出てきました。本当に原子爆弾を落とす必要があったのでしょうか。戦争の恐怖や飢えの苦しみはこの地球上にはまだまだ残っています。これらの禍や災害は「まがつび」のなせる業ではないのです。私たち自身が「まがつび」になってしまうこともあるのです。
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 歌声喫茶の前日に、穂高交流学習センター「みらい」に立ち寄ると、東日本大震災で被災した地域へ赴き、支援活動を続けている方々が、東北地方の惨状の写真を公開していました。その方は震災以来、何度も被災地に足を運んでいるとおっしゃっていました。そして、「被災地がもとに戻るまで、行くのをやめることはできない。」ともおっしゃっていました。「飢えで苦しんでいる人は神様に見捨てられたのではなく、私たちが見捨てているのです。」これはマザー・テレサの言葉です。私たちが手を差し伸べれば、救うことができるものはたくさんあるのです。

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さて次回は美ヶ原・霧ヶ峰に出かけてきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2011-10-27 01:11 | あづみ野うたごえ喫茶 | Comments(0)

かりんとうまんじゅうを求めて、安曇野へ出発ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 今週の日曜日は第89回あづみ野うたごえ喫茶がありました。その前に大井町のじゃんけんぽんで大井町湯屋仲間のよしこさんと、私と晴れ男さんが陰で「おばあちゃん」と呼んでいる阿部ちゃんとおしきせの会を開き、3人で豚しゃぶを食べました。
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 じつはこのおしきせの会には浦安湯屋のはせやんさんもお誘いしましたが、直前に風邪を引いてしまったということで、残念ながら参加していただけませんでした。
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 最近は巷でも「塩麹」なるものが流行っており、よしこさんも阪急百貨店で一握り1000円もする塩麹を購入されたそうです。ここじゃんけんぽんではお店で乾燥麹に塩水をくわえてつくっており、その手作り塩麹をつかって、いろいろな料理を考案されています。038.gif
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 今日出された料理のひとつは塩麹に漬けた鶏肉を焼いたものでした。麹はご承知の通り、酒をつくるときにデンプンを糖化させます。たんぱく質に対してはアミノ酸に分解し、旨みを引き出します。はるさんのお話では野菜を塩麹に漬けてもいい味が出るそうです。
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 この豚肉を豚しゃぶにして食べました。3人で3皿。しかし、いい歳、りょうちゃんが2皿、よしこさんとおばあちゃんで1皿という配分でしょうか。037.gif
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 大井町の母、よしこさん。写真を載せてもうるさいことを言いません。038.gif
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 大井町湯屋仲間の阿部ちゃん。最初は顔を隠していましたが、こんな顔をしてます。写真を載せても、「おばあちゃん」呼ばわりしても決して怒りません。038.gif038.gif
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 そして、隣の席には大井町湯屋仲間の中丸さんご夫妻がいらっしゃいました。
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 ここで皆さんにお知らせしておきたいことがあります。大井町湯屋の吉田さんに紹介してもらったお店、大井町の「由良(ゆら)」ですが、今後行くことはありません。先日、由良に5人の予約を取りたいと電話をしました。5人は予約できないが、4人ならば予約できると言われ、4人分の予約を取りました。しかも、料理の出し方についても尋ねられ、その時はアラカルトでお願いするということも決めました。しかし、翌日、由良から電話があり、別のお客さんの人数が増えたので、案内することができなくなったと言い、私たちの予約を取り消すとの連絡でした。私は「昨日、予約したのにどうして案内できないのか?」と聞きました。しかし、店側は「案内できません。予約を取り消します。」と言うだけです。再度、私は「何故、予約を受けたのか?昨日の段階で予約できないと言ってくれなかったのか?」と聞きましたが、案内できないとの一点張りで電話を切られてしまいました。謝罪の言葉は一言もありませんでした。こんなひどい話があるでしょうか。私たちの予約を受け付けた段階で、別の客の人数が増えたならば、その別の客に対して「人数を増やすことができない」と言って断るべきです。031.gif
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 こういった内容の記事をブログに書きたくはなかったのですが、大井町「由良」のあまりにもひどい仕打ちの事実を書かないわけにはいかないと思いました。折角、吉田さんに教えていただいて、皆さんにも喜んでもらっていただけに非常に残念です。浦安湯屋の方でまだ由良に行っていない方で是非行きたいとお考えの方は、今後私から皆さんをお誘いして由良に案内することはありませんので、ご自身で電話をしてご予約を取って行ってください。由良の電話番号はTEL03-6429-9165です。031.gif
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(第88回安曇野歌声喫茶/ねがい)

ねがい(作詞:広島市立大州中学校3年生有志、作曲:たかだりゅうじ)


もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルでなく
本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう

もしもこの地上に 響き合うものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに とらわれないで
人は自由の歌を 歌うだろう

もしもこの足元に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

もしもひとつだけ 願いが叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
この願いかなうまで 私たちは
歩み続けることを やめないだろう

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(中島みゆき/宙船)

宙船(作詞、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロに進んでいるのか
流されまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこは船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

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「行方定めぬ道なれば、行方定めぬ道なれば、来し方何処ならまし。
 これは一所不住(ふでい)の沙門(しゃもん)にて候。我この程は信濃の国に候ひしが、
 余りに雪深くなり候程に、 まずこの度は鎌倉に上り、春になり、
 修行に出でばやと思ひ候。・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 謡曲『鉢の木』の冒頭の一節です。
 ある旅の僧が、信濃の国から鎌倉に上る途中、上野の国の佐野(現・栃木県佐野市)で大雪にあい、困り果てて、道すがらのある一軒の家にたどりつき宿を頼みました。主人は、自分の家の貧しさゆえにいったんは断りますが、たっての頼みに承知します。夫婦は粟飯を出し、他にもてなすものがないからと、秘蔵の鉢の木を焚いて暖をとらせます。

 そのあたたかい心根に感激した旅の僧は、主人の素姓をたずねました。主人は、自分は佐野源左衛門の尉(じょう)常世という旧領主であると名のりました。もしも、鎌倉殿に一大事あれば、ただちにかけつけるために、具足、長刀一式と、馬一匹だけは用意してあると話します。

 実は、この旅の僧とは、鎌倉幕府の5代目の執権北条時頼で、執権職を時氏の子経時に譲って出家し、諸国を行脚している途中のことでした。時頼は鎌倉に帰ると、常世の言の真偽を試そうと、佐野の庄の武士たちに招集をかけてみました。

 果せるかな常世は、やせ馬に鞭打って馳せ参じました。時頼は常世の忠節をほめ、旧領を与えたほかに、鉢の木のもてなしのお礼に、3か所の領地を与えたという美談です。 出家したあとのこの回国伝説は必ずしも事実ではありません。
 
時頼は弘長3年(1263年)10月22日、37歳の若さで亡くなりました。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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 金曜日、久しぶりに「じゃんけんぽん」でお昼ご飯を食べました。ビールつき。068.gif
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さて、先週末はあづみ野うたごえ喫茶へ参加するために、長野県安曇野市へ行ってきました。実は金曜日は勤め先が創立記念日でお休みで3連休だったので、当初の計画では金曜日に移動して、土曜日に日本百名山の常念岳に日帰り登山をして、日曜日にあづみ野うたごえ喫茶に参加するという計画を立てていました。その計画に浦安湯屋の森ちゃんも同行する予定でしたが、森ちゃんが仕事で同行できなくなり、鳥海山のようにたったひとりでの登山になってしまうことに不安を感じていました。
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 しかも土曜日は本格的な雨の予報です。最後まで傘マークは消えることはありませんでした。ひとりで登山してもいいのですが、鳥海山のようなこともあるので、今回の常念岳の登山は見送ることにして、歌声喫茶一本に専念することにしました。
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 歌声喫茶一本に専念するならば、日曜日当日に安曇野へ行けばよいのですが、どうしても訪ねておきたい場所があったので、前日土曜日に移動しました。
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 訪ねておきたい場所とは、「かりんとうまんじゅう」を売っている丸山菓子舗です。6月のあづみ野うたごえ喫茶に参加した時のコーヒーブレイクで出されたお菓子が「かりんとうまんじゅう」でした。もう一度食べてみたくて、ホワイトトークハウスの鳥羽さんにメールを出して、お店を教えていただきました。040.gif
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 「かりんとうまんじゅう」は名前の通り、外側はかりとうのようにカリッとして、中は上品なこしあんが入っています。ただ残念なことに製造後1~2日くらいしか日持ちしないため、次回の美ヶ原・霧ヶ峰特配ツアーに持っていくことができませんので、その日のうちに食べてしまいました。037.gif
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 ただ他のスイーツを買いましたので、楽しみにしていてください。
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 道祖神。056.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村

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そして碌山美術館にも立ち寄りました。この碌山美術館は昭和33年(1958年)に30万人の寄付によって建てられました。
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彫刻の展示室で、ちょうど学芸員による碌山の紹介が行われていました。
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彫刻家 荻原守衛(のちに碌山を名のります)は明治12年(1879年)12月1日現在の安曇野市穂高に生まれました。もともと碌山は絵画を学ぶために渡仏し、パリの美術学校へ通いますが、ロダンの「考える人」を見て強い衝撃を受けて、彫刻家になることを決心します。
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碌山は彫刻のために人体解剖図を勉強し、一時期は腕のデッサンばかりしていたと言います。その後、明治40年(1907年)28歳のときにロダンを訪ねます。そして、しばしばロダンからアトリエで教えを受けることができました。この時に製作したのが「女の胴」と「坑夫」でした。碌山は帰国に際して、留学時に製作した作品を日本に持って帰るつもりはありませんでしたが、親交のあった高村光太郎が西洋で学んだ芸術を是非日本に持ち帰るべきだと碌山に勧め、帰国後に「女の胴」「坑夫」それに帰国後に製作した「文覚(もんがく)」を第二文展に出品します。「文覚」は入選しますが、高村光太郎に勧められて持ち帰った「女の胴」と「坑夫」は評価されませんでした。その当時の美術界からは碌山の生命感溢れる作品は理解されませんでした。
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帰国後にはじめて製作した「文覚(もんがく)」。文覚は1139年~1203年8月29日、平安時代末期から鎌倉時代初期の実在の人物で真言宗の僧侶です。最初から僧侶であったわけではなく、文覚はもとは武士でした。文覚は従兄である渡辺渡の妻・袈裟御前と愛し合うようになります。二人は不倫の愛に燃えに燃えました。二人の仲が深まるにつれ、袈裟御前の夫である渡辺渡の存在が邪魔になります。二人は渡辺渡を亡き者にしようと計画します。袈裟御前は文覚に「今夜、夫と寝屋で寝ているので、この刀で夫を仕留めてください。」と言い、刀を渡します。そして「私は夫の左側に寝ています。夫は右側に寝ています。右側の夫を斬ってください。」と文覚に告げました。文覚は袈裟御前が夫と眠る寝屋へ忍び込み、渡された刀で、袈裟御前の言う通り、右側に寝ている渡辺渡を一刀両断に斬りつけました。しかし、右側に寝ていたのは渡辺渡ではなく、文覚が愛する袈裟御前でした。袈裟御前は夫がありながらも、文覚との深まる仲を心苦しく思い、愛する文覚の手でこの命を絶ってもらおうと決めたのでした。文覚は最愛の袈裟御前を自分の手で殺してしまったことを嘆き、出家して、僧侶になったと言われています。
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碌山は相馬愛蔵に嫁いだ人妻・黒光(こっこう)に想いを寄せており、文覚を自分に重ね合わせていたと言われています。碌山は一生涯、独身を通しました。
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そして明治43年(1910年)、年末から製作を続けていた「女」が3月下旬に完成します。碌山が想いを寄せていた黒光の面ざしがあると言われています。しかし、この「女」完成後、碌山は4月20日に新宿中村屋で突然吐血し、22日帰らぬ人となりました。30歳5カ月という短い人生でした。
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学芸員の方は最後に彫刻の楽しみ方を教えてくれました。絵画と違い、彫刻は3次元の立体であるため、まずは彫刻の周りを一周して見てみるそうです。たとえば、この「女」という作品は足元の下から上に見上げて行くと向いている面がらせん状に回転し、そして最後に顔が上を向いていることによって、生命感を感じることができるそうです。この「女」は碌山の最高傑作と言われ、重要文化財に指定されています。
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デスペア、女の絶望をあらわしています。
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おそば屋さんでおしきせをして、宿へ向かいました。069.gif
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いよいよ明日はあづみ野うたごえ喫茶です。060.gif

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by ryott-ryott | 2011-10-25 01:46 | あづみ野うたごえ喫茶 | Comments(0)

山燃ゆる浅間山、紅葉の浅間連峰を行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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天狗の茶屋のお風呂は24時間入ることができます。おしきせが済んでから、再び入浴し、部屋に戻ると、同室の小林さんと鈴木さんはNHK「綾小治きみまろのごきげん歌謡笑劇場」を見ていました。私も一緒に見ているうちに眠り込んでしまい、雨の音で目が覚めました。午前2時過ぎです。果たして、この雨は出発するまでにあがるのだろうかと、雨の音を聞きながら、夜が明けるのを待ちました。057.gif058.gif
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 今日のコースは休憩も入れて約8時間の行程になります。朝5時に朝食をとり、5時50分に天狗の茶屋を出発しました。先ほどまで降っていた雨もやみ、天気は回復へ向かう予報です。南西の空に月が見えました。
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この浅間山は数十万年前から火山活動を続けている活火山で、頂上の火口付近は入山規制があり立ち入り禁止です。したがって、カルデラの外輪山にあたる前掛山、標高2524 mに登ります。浅間山山頂の標高は前掛山よりも約40 m高い2568 mです。
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 浅間山は大きな噴火を幾度となく繰り返していますが、最も有名なのは1783年(天明3年)に起こった天明の大噴火です。その前年には東北地方の冷害から始まった天明の大飢饉があり、浅間山の噴火も加わって、世も終わったと思われたようです。
なにしろ天明の大飢饉は多数の餓死者を出しており、陸奥地方でひどく、住民全員が死に絶えた村もあり、津軽藩での餓死者は十数万人に達したと言われています。そのような状況で浅間山の大噴火が起こります。1783年8月5日のことです。噴火は3日間にわたり、大量の溶岩流と火砕流が発生しています。そのときの溶岩流が現在の鬼押出岩です。その後、大量の噴石物が堆積し、たび重なる噴火と地震で耐えきれずに土石流となって流出しました。その時に嬬恋村はほぼ壊滅したと言われています。
また土石流により川がせき止められ、天然に出来たダムはすぐに決壊しました。大量の泥流が川沿いの村々を次々と飲みこんでいき、利根川下流の江戸川ではたくさんの死体が打ち上げられました。この浅間山の天明の大噴火により約1600人の命が奪われたと言われています。
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 さて、いつものように準備体操をして出発です。雨はあがったものの、空はまだ鈍色の曇り空で、風が吹くたびに雨で濡れた樹々から雫が降って来ました。
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紅葉したオンタデ(御蓼)。北岳で見たオンタデとはちがって、かなり背丈が高く成長していました。
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紅く色づいたナナカマド。有吉さんによると、ナナカマドの実は食べられるそうです。ナナカマドはバラ科の植物であるため、お茶などにするとローズヒップのような香りがするそうです。
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ミズナラの葉。根元まで葉がついているのが特徴です。
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蒼い実がなっていました。紫式部か。
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地表には硫黄が析出しています。
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火山館に到着。午前8時40分。登山開始からちょうど2時間が経過。雲の切れ間から青空が見えるようになりました。火山館の下には避難用のシェルターがあります。058.gif
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火山館の傍の祠に登山の安全祈願をし、前掛山へ向かいます。
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草紅葉、唐松の黄葉、そして青い空。058.gif
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マイヅルソウの実が群生していました。食べると甘にがい味がします。鳥は実の色で食べるか食べないかを判断し、赤色を好むそうです。
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雲が陽射しに照らされてみるみる消えて行くのがわかりました。そして、向こうには第2外輪山が見え始めました。
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樹林帯を抜けると目指す前掛山が目の前に現れました。
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前掛山と第2外輪山との間の旧火口の中に人影が見えました。
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浅間山と前掛山との間にシェルターがあります。
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そして前掛山へ向かう最後の稜線を歩きます。
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ついに前掛山最高点に到達。有吉さんと記念撮影。すっかり青空になりましたが、かなりの強風でした。
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日本百名山の四阿山、苗場山も見えました。
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そして富士山もうっすらと顔を覗かしています。
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肝心の浅間山からは噴煙が出ていました。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村

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(中島みゆき/宙船)

宙船(作詞、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロに進んでいるのか
流されまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこは船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

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秘蔵800年といわれる、藤原俊成、定家、為家など、当時の宮廷歌壇で活躍した人々の書や典籍、古文書類を、ゆかりの冷泉家が公開し、その貴重な文化財を保存するために、「冷泉家時雨亭文庫」が設立されたのは、昭和55年(1980年)4月1日です。

 冷泉家は「御子左家(みこさけ)」といわれる和歌宗家の流れをくみます。御子左家とは、醍醐天皇の皇子兼明親王が、皇子として左大臣になったとき、御子左と称しました。その親王の旧宅に、関白藤原道長の子長家が入り、和歌の指導をつとめたことから、和歌宗家を御子左家というようになりました。

 為家のとき、鎌倉幕府の将軍、歌人で知られる源実朝から、歌の指導のお礼に播磨国細川荘を与えられました。為家は最初この土地を長子為氏に相続することを決めました。ところが後妻に入った阿仏尼との間に、為相(ためすけ)、為守(ためもり)の二人が生まれました。為家55歳のときの子です。為家は約束を破って細川荘の土地を為相に譲ることを決めて亡くなりました。

 当然、相続争いが起こります。阿仏尼は、鎌倉幕府に決着をつけてもらうべく、弘安2年(1279年)10月16日、都を旅立ちました。このときの東下りを旅日記にしたのが、出発の日にちなんでつけた、有名な『十六夜(いざよい)日記』です。なかなかの名文です。

 彼女は鎌倉に4年滞在しましたが、折悪しく「元寇」の騒ぎにぶつかり、むなしく京都にもどり、間もなく亡くなりました。そのため為家のあとは、二条家(為氏)、京極家(為教)、冷泉家(為相)と3つに分かれ、対立を深めますが、正和2年(1313年)、幕府が為相に相続を認めます。かくて冷泉家が隆盛になり、「歌の家」として歴史が受け継がれて今日にいたったわけです。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(映画「DOG×POLICE純白の絆」予告編)
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浅間山の火口は登山禁止ですが、ヘルメットをかぶった人たちが大勢火口まで登っていました。
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シェルターのところでお弁当を食べて、下山開始。
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斜面が結構急こう配です。
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陽射しに照らされた唐松が金屏風のようです。058.gif
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向うの外輪山の岩場をたくさんの人が登っていました。038.gif
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途中でも記念撮影。そういえば、今日のすみ姉ちゃんのお尻は汚れていませんでした。今日は尻もちをつかなかったようです。037.gif038.gif
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トミの頭。
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そして再び火山館に戻って来ました。
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下山はまだまだ紅葉の中のトレッキングが続きます。
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(シクラメン/僕の宝物:映画「DOG×POLICE」主題歌)

僕の宝物(作詞:DEppa/電球、作曲:DEppa/電球、歌:シクラメン) 060.gif


何度でも「ありがとう」言葉だけじゃ伝えきれない
どんな時もそばにいるよ ずっと守り続けたい宝物

少し照れくさいけど 真面目に話すよ 気持ち伝えたいよ
数ある奇跡的な出会い 何億通りもある中で 君と出会って
時間を重ねて 心を重ねて ほんの少しだけど気付いた
答えなんかいらなくて 探してもいない

沢山笑い合い 沢山泣き合い共に生きていく
たったそれだけの事で幸せ ただ幸せなんだよ

何度でも「ありがとう」言葉だけじゃ伝えきれない 君が僕にくれたものは
掛け替えのないもの 少しでも「ありがとう」この気持ち届きますように
どんな時もそばにいるよ 大切だから ずっと守り続けたい宝物

楽しい時でも 辛い時でも いつも側に居てくれて 背中を支えてくれた
頼んだわけじゃないのに 言わなくても わかってくれることが 嬉しくて

もしも君に出会えなかったら もしも君がいなくて 僕が一人なら
こんなにも強くはなれない 一人じゃ生きていけない

溢れだす「ありがとう」言葉だけじゃ伝えきれない 君が僕にくれたものは
目には見えないけど 少しでも「ありがとう」この気持ち届きますように
どんな時もそばにいるよ 大切だから ずっと守り続けたい

人は“キセキのカケラ”を拾い集めては 出会い別れを繰り返して行く
知ろうともせず 耳を傾けず 大事なものとは気付かずに 僕の一度しかない「命の灯」
これからも光り輝き続ける 前を向いて歩ける 君がいるそれだけで

何度でも「ありがとう」言葉だけじゃ伝えきれない 君が僕にくれたものは
掛け替えのないもの 少しでも「ありがとう」この気持ち届きますように
どんな時もそばにいるよ ずっと守り続けたい いつまでも
生まれ変わって きっと次の僕でも 君は宝物


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今回の浅間山でも私は最後尾を有吉さんと歩き、写真を撮っては、隊列から引き離されて、また追いつくということを繰り返していましたは、今回の浅間山で鮮やかな紅葉、どこまでも蒼い空、その空に浮かぶ雲、ダイヤモンドのように輝く太陽を撮ることができ、まさに写真日和です。
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また有吉さんが私のブログにtwitterのフォロワーになってくれたおかげで、ほぼ毎日コメントが書きこまれるようになりました。一部の浦安湯屋の人たちは人の顔をみると文句ばかり言って、何一つ書きこんでくれません。たぶん字が書けないのでしょう。037.gif
 有吉さんはツアーのアイディアをたくさんお持ちのようであり、ヘリコプターを使った登山を考えていらっしゃるようです。たとえば飯豊山のようなアプローチがたいへんな山はヘリで稜線まで乗って行き、そこから稜線歩きをすれば、かなりの時間の節約にもなるし、体力に自信のない人でも簡単に頂上へ行くことができると話してくれました。私もそのアイディアには大賛成です。是非、アミューズトラベルで実現させてください。
 それから剱岳をはじめ、むずかしいあるいは体力がかなり必要な山は早めに終わらせておくことを勧められました。私もなるべく早く、実年齢40歳代のうちにクリアしたいと考えています。038.gif
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 そして14時ちょうどに登山口に戻って来ました。登山開始から7時間20分です。登山口でよしこさんが私を呼ぶので、何かと思ったら紅葉が陽射しに照らされて輝いていました。真っ赤な紅葉が青空によく映えていました。
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 「まゆみ」という樹で実がなっていました。丸い弓を取ったことから、この名前がついたそうです。
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 ストレッチをして、バスに乗って、温泉へ。
その温泉の広間から浅間連峰すべてが見えました。
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次回は安曇野歌声喫茶へ行ってきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2011-10-22 00:05 | 紅葉の浅間連峰 | Comments(0)

映画「DOG×POLICE」&山煙る浅間連峰ヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 10月15日(土)~16日(日)にはアミューズのツアーで浅間山前掛山へ行ってきました。その前に前回のくじゅう山の記事でガイド犬・平治号の紹介をしました。犬つながりで、映画「DOG×POLICE 純白の絆」を通勤帰りに見ましたので紹介します。
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 物語はショッピングモールの爆破事件から始まります。ショッピングモール爆破の撮影はCGを使わずに広島市のショッピングモールを借り切って撮影されたそうです。森ちゃんの実家の近くでしょうか。
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 爆破されたショッピングモール、怪我に苦しむ人々、押し掛ける野次馬の群れ。地域の警察官である早川勇作(市原隼人)は野次馬の整理を行っていた。その人ごみの中に犯人と思われる怪しい人物を発見する。早川は単独で不審者を追跡、格闘の上に不審者を取り押さえるが、その男は爆弾犯人ではなく、麻薬の常習犯であった。
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 早川と麻薬常習者の格闘に自転車に乗った男が巻きまれてしまった。自転車に乗った男は怪我を負うが、子どもが生まれるから急いで行かなければならないと言い、早川は男を自転車に乗せて、男が指示する病院へと向かう。しかし、そこは病院ではなく犬の訓練センターであり、今、1匹のメス犬が出産しようとしているところであった。自転車の男は獣医だったのだ。
 メス犬の産道から一匹一匹丁寧に子犬を取り出す獣医。3匹生まれたところで出産は終わったと思われたが、まだ産道に1匹の子犬が引っかかっているという。その子犬も何とか取りだすことに成功したが、息をしていなかった。真っ白なアルビノであった。飼い主も獣医も息をしていないアルビノを見て、「こいつの運命だ。」と言い、あきらめたが、奇しくも犬の出産現場に立ち会うことになった早川は、その死にかけているアルビノを取り上げて、「戻ってこい!!」とアルビノのからだを懸命に擦り続ける。すると奇蹟的にアルビノは息を吹き返すのであった。このとき、早川はこのアルビノが自分の相棒になることを知る由もなかった。

 ショッピングモールの爆破事件から半年後、刑事課への昇進を強く願っていた早川に出された辞令は「警備課装備第4係」というものであった。この部署は警備犬とハンドラー(訓練士)が所属する部署であったのだ。しかもほとんど出動することなく、同じ警察仲間からは犬の世話をして給料をもらっているだけの「犬屋」と陰口を叩かれている部署であることを早川は知っていた。落胆した早川は所長の向井(時任三郎)に刑事課への異動を直訴するが受け入れられなかった。
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 向井は早川を連れて、民間の警察犬訓練所にやってきた。早川の相棒(バディ)を見つけるためだ。そこには一匹だけ他の犬とは異なるメニューで訓練されているアルビノ種の白い犬がいた。この犬こそ、半年前に早川がお産に立ち会って、命を救ったアルビノだった。向井はこの白い犬を早川のバディと決めることにした。訓練所の所長はアルビノ種は身体が弱く、短命であるため、警備犬に向かないと言ったが、向井は早川の相棒をこの白い犬「シロ」に決定する。
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 ハンディを持ったシロを自分のバディにあてがわれて不満に思う早川は、同僚である水野夏希(戸田恵梨香)が計画したSATと装備第4係との合同訓練を見学する。そこには警備犬と見事なチームワークで厳しい訓練をこなしていく装備第4係の姿があった。早川は夏希から犬との絆を深めるために最も大事なことは「親和」であると教えてもらう。「親和」、ゆるぎない信頼関係を築くために、早川とシロの厳しい訓練が始まった。
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 そんな中、連続爆破犯から犯行を予告する電話が警視庁に入る。警視庁は装備第4係に応援を要請し、早川と夏希も現場に急行する。爆発物の処理に成功したものの、夏希のバディ・ブランド号が火薬のにおいを感知し、駐車場に二人を誘導してゆく。そして、1台の自動車が爆発炎上する。その時に怪しい人影が自動車に乗り込み逃走する。早川たちは犯人を取り逃がしてしまったのだ。しかもブランド号はその爆発に巻き込まれ大けがを負ってしまい、警備犬を引退することになってしまう。
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 早川は逃走する犯人が大爆発の中、たじろぐことなく自動車へ乗り込むのを見て、耳が不自由ではないかと気がつく。また自分の相棒シロにも火薬の臭気選別訓練をさせたいと向井に願い出て、シロが通常の警備犬の10000倍の嗅覚能力を持つことを知る。

 その頃、警視庁では一連の連続爆破犯人は、早川が指摘した「耳が不自由」であるというヒントから、一人の容疑者を割り出していた。その男は自分が勤めている警備会社に会社の不備な点を指摘したが聞き届けられずに解雇され、そのことを恨んで以前にも爆破事件を起こして自分の鼓膜を破っていた。社会に恨みを持つ久坂亨(若葉竜也)という男であった。ここから爆破犯・久坂と早川との対決が始まることになる。
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 ふたたび爆破予告を伝えてきた久坂。今度は大勢の人で賑わう巨大コンベンションセンターがターゲット。爆破時刻は午後5時。シロとともに現場に向かった早川は、シロの火薬探知能力を頼りにコンサート会場の真上に取りつけられている爆弾を発見する。爆破までの残り時間はあと3分。早川は爆発物を抱えて、爆発処理班が用意している防爆装置へ向かう。爆発まであと数秒、間一髪のところで爆弾を防爆装置へ投げ入れて爆破の危機を避けることができた。

 あざ笑うかのように犯行を続ける久坂に、正義感をたぎらせる早川は、久坂が耳が聞こえないことを思い出し、この人ごみの中で拳銃を発砲する。銃声に驚いて逃げ出す群衆の中、たったひとりの男が逃げずに立ち止まったままであった。その男こそが犯人の久坂なのだ。久坂は不敵な笑みを浮かべ、地下鉄のホームへと逃走する。それを追う早川とシロ。久坂は地下鉄の資材置き場に自分のアジトをつくって、爆破の犯行を重ねていたのだ。アジトに乗りこんだ早川とシロに、拳銃を持った久坂が忍び寄る。久坂は早川に向かい、「お前のような奴が来るのを待っていた」と言う。早川は「お前はもう負けているんだ!」と言うが、久坂は「何を言っているか聞こえないんだよ!」という言葉を聞き、早川はシロに久坂に飛びかかるように命令する。シロは久坂の拳銃を持って手に噛みつき、拳銃が乱射されてしまう。アジトは爆発する危険物が置かれており、銃の乱射により、危険物に引火し次つぎと爆発が起き、その爆発のあおりを受けて、久坂は鉄骨の下敷きになり即死してしまうが、早川もまた鉄骨の下敷きになってしまい動けなくなってしまう。アジトには久坂が最後に仕掛けた爆弾が時を刻んでいた。このままでは爆弾が爆発して早川も命を落としてしまう。「これからはお前は夏希のバディだ。」と訓練のときに持っていたボールをシロに託し、逃げるように促す早川。夏希の元へ向かうシロ。シロは早川を救うことができるのか。果たして、その結末は・・・・・・・。
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 この映画はエンターテイメントとしてよく出来ていると思います。市原隼人は熱い役を演じたら、右に出る俳優はいないのではないでしょうか。市原自身はインタビューの中で相手の方へ踏み込む勇気と自分をさらけ出す気持ちが大事であり、この映画からくみとって見てほしいと話しています。
 この悪役の久坂が不気味で、姿をほとんど見せないところや、最後はあっけなく死んでしまいますが爆弾をアジトに仕掛けて死んでからもなお敵視する相手の命を脅かす姿は現代社会が抱えている闇を象徴していると思いました。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(中島みゆき/宙船)

宙船(作詞、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロに進んでいるのか
流されまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこは船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

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文芸雑誌「スバル」の同人で、「耽美派の旗手」として注目された木下杢太郎は、終戦直後の昭和20年10月15日、胃ガンのため、61歳で亡くなりました。

代表作としては、「食後の唄」(詩集)、「和泉屋染物店」、「南蛮寺門前」、「空地裏の殺人」(戯曲集)、「唐草表紙」、「厥後集(けつごしゅう)」(小説集)、「すかんぽ」(随筆集)などがあげられます。文芸の各分野で活躍した人です。彼は、静岡県伊東市湯川の生まれ。家は「米惣」の家号をもつ素封家で、代々呉服と雑貨を営んでいました。東京帝大医学部を卒業後、愛知医大、東北帝大、東京帝大の医学部教授を歴任した、れっきとした医学者でもありました。

死後10年過ぎた昭和31年10月21日、国鉄伊東駅の裏山に当たる伊藤公園の丘の上に、彼と親交の深かった著名な建築家谷口吉郎の設計で、ユニークな「すかんぽの碑」が建立されました。

ふるき仲間も 遠く去れば
また日頃 顔合わせねば
知らぬ昔とかわりなき はかなさよ
春になれば 草の雨
三月 桜 四月 すかんぽの花のくれない
また五月には かきつばた
花とりどり 人ちりぢりの眺め
窓の外の入日曇

山田耕筰によって曲がつけられ、戦前のNHKラジオ歌謡として、広く歌われました。年配の人々が懐かしんで、ときどき口ずさむ歌の一つです。今、杢太郎の生家は、もとの「米惣」時代の建物を修復して、「杢太郎記念館」になっています。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(映画「DOG×POLICE純白の絆」予告編)
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さて映画の話が長くなりましたが、アミューズトラベルのツアーで「浅間前掛山と籠ノ登山と水ノ塔山」へ行きました。浅間山山頂は現在登山禁止のため、その前に位置する外輪山の前掛山の最高点到達を以って浅間山登頂になります。いい歳、りょうちゃんにとっては日本百名山25座になります。038.gif

 このツアーは特配ではないので、朝7時30分に新宿安田生命ビル前集合です。10月15日は汲まれているツアーが多く、以前お世話になった辻さん、中野さん、松田さん、敷島さん、後藤さんとアミューズのツアーリーダーがたくさん集結していました。そして、北海度シリーズで一緒になった小沢さんともお会いしました。小沢さんは、中野さんと後藤さんの赤岳へ行くとおっしゃっており、今期はあと2つ百名山へ行って終了になるそうです。倉持さんからは空木岳のときは小沢さんは優しかったと言っていましたが、またもや「倉持さんと一緒になると本当に雨が多いんだよ。俺は雨女なんか嫌いだ!」と毒づいていました。
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 10月15日の天気も傘マークがつく予報で、私もよしこさんもガッカリしていました。よしこさんから前の日に電話がかかって来たので、キャンセルすることを知らせて来たのかと思いました。
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 急遽、向笠さんのピンチヒッターでツアーリーダーになった有吉さんのお話では快方に向かうとのことだったので、それを信じて出発することになりました。浦安湯屋からはすみ姉ちゃんも参加し、特配チーム3人、その他にはお客さん6人、合計9人の少人数でした。もちろん、いい歳、りょうちゃんは一番若い最年少です。
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 そしてこの浅間山ツアーのツアーリーダーを急遽務めることになった有吉さんは、いい歳、りょうちゃんのこのブログをつい最近twitterでフォロワーになってくださいました。私はtwitterやFacebookの使い方をよく理解しないまま登録してしまいました。
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 バスの車窓から外を眺めると、徐々に雲が切れて来ており、雲に煙った妙義山は神秘的でした。
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 11時過ぎに浅間山系の籠ノ登山・水ノ塔山の池の平登山口(標高2060 m)に到着しました。いつものように準備体操をして登って行きます。
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 結構急な登りです。
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そして1時間も経たないうちに籠ノ登山(標高2227 m)の頂上に着きました。池の平からの標高差167 mです。記念撮影、風が結構強いことがわかります。
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マツムシソウが咲いていました。056.gif
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マツムシソウの実。写っている手はツアーリーダーの有吉さんの手です。
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しらたまの実。メントールの味がしました。有吉さんによると白い色は鳥が嫌いであり、ハッカやメントールは虫が毒だと感じているため、動物たちに食べられないようにメントールのにおいと白い色になっているのだろうとおっしゃっていました。038.gif
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黒豆の木。こちらも食べられます。
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(シクラメン/僕の宝物:映画「DOG×POLICE」主題歌)

僕の宝物(作詞:DEppa/電球、作曲:DEppa/電球、歌:シクラメン) 060.gif


何度でも「ありがとう」言葉だけじゃ伝えきれない
どんな時もそばにいるよ ずっと守り続けたい宝物

少し照れくさいけど 真面目に話すよ 気持ち伝えたいよ
数ある奇跡的な出会い 何億通りもある中で 君と出会って
時間を重ねて 心を重ねて ほんの少しだけど気付いた
答えなんかいらなくて 探してもいない

沢山笑い合い 沢山泣き合い共に生きていく
たったそれだけの事で幸せ ただ幸せなんだよ

何度でも「ありがとう」言葉だけじゃ伝えきれない 君が僕にくれたものは
掛け替えのないもの 少しでも「ありがとう」この気持ち届きますように
どんな時もそばにいるよ 大切だから ずっと守り続けたい宝物

楽しい時でも 辛い時でも いつも側に居てくれて 背中を支えてくれた
頼んだわけじゃないのに 言わなくても わかってくれることが 嬉しくて

もしも君に出会えなかったら もしも君がいなくて 僕が一人なら
こんなにも強くはなれない 一人じゃ生きていけない

溢れだす「ありがとう」言葉だけじゃ伝えきれない 君が僕にくれたものは
目には見えないけど 少しでも「ありがとう」この気持ち届きますように
どんな時もそばにいるよ 大切だから ずっと守り続けたい

人は“キセキのカケラ”を拾い集めては 出会い別れを繰り返して行く
知ろうともせず 耳を傾けず 大事なものとは気付かずに 僕の一度しかない「命の灯」
これからも光り輝き続ける 前を向いて歩ける 君がいるそれだけで

何度でも「ありがとう」言葉だけじゃ伝えきれない 君が僕にくれたものは
掛け替えのないもの 少しでも「ありがとう」この気持ち届きますように
どんな時もそばにいるよ ずっと守り続けたい いつまでも
生まれ変わって きっと次の僕でも 君は宝物

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水ノ塔山頂上。
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14時には高峰温泉登山口に到着。2時間半ほどのトレッキングでした。登山口には高峰温泉ランプの宿が建っており、本当ならばこちらの宿に宿泊するはずでした。このツアーへの参加人数が減ってしまい、ツアーが赤字になってしまうため、宿をグレードダウンされてしまいました。ガイドの林さんから見るだけで我慢してくださいと言われました。
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 グレードダウンされた宿、天狗の茶屋でのおしきせ。しかし、有吉さんがお店にとろろ芋を頼んでくださり、さすが長野県だけあってお蕎麦はおいしかったです。夕飯のおしきせを囲みながら、自己紹介が始まり、賑やかに夜が更けて行きました。038.gif
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明日は核心の浅間前掛山に登ります。060.gif

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by ryott-ryott | 2011-10-20 00:05 | 紅葉の浅間連峰 | Comments(0)

久住と九重、伝説のくじゅう連山を行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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さて九州3座最終日はくじゅう山に登ります。阿蘇くじゅう国立公園の北東部に位置するのが九重連山です。前日のおしきせのときに、なぜ「九重」と「久住」の二つの漢字があるのかと言う説明が田中ガイドからありました。038.gif
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これには2つの宗派の寺の争いがありました。「九重」派は1470年創建の九重山法華院白水寺、「久住」派は久住山猪鹿狼(いらか)寺があり、「くじゅう」の名前はそれぞれ2つの寺に由来しています。いずれの漢字を当てるかについては、それぞれからクレームが出ることから現在ではひらがなで「くじゅう山」とし、山域全体をあらわすときは「九重連山」といい、九重連山の盟主である第二の主峰を「久住山」(標高1787 m)と呼んでいます。九重連山の山域で最も高いのは中岳(標高1791 m)です。中岳は九州本土で一番高い山です。
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登山口の牧ノ戸は九重観光ホテルから車で10分のところにあります。ホテルを7:20に出発して、登山口には7:30に到着しました。現在は道が整備されていますが田中ガイドが学生のときはそうではなかったそうです。牧ノ戸の手前に三俣山があり、その三俣山に登るときは牧ノ戸まで行かずに、その途中から登るのが一番近いルートだそうです。
その昔、田中ガイドが学生であった時にバスの運転手に「ここで降ろしてください。」と頼んだところ、運転手が「ここはバス停じゃなかぁ!」と言って停まってくれなかったそうです。そしてその翌週、若い女性を一緒に連れて行って、その女性に運転手に同じように「ここで降ろしてください。」と言わせたところ、運転手は優しい声で「よか、よか、ここで降りんしゃい。」と言い、降ろしてくれたそうです。そういう思い出がある道だとお話していました。「若くて」「きれいな」女性に優しくするのは、男の本能なので仕方ありませんね。037.gif
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いつものように準備体操。毎回のことながら、凄い柔軟性です。
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登山口からは双二峯の由布岳が見えていました。
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最初はコンクリートの道から始まります。
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展望台で衣服調整。暑がりのいい歳、りょうちゃんはその必要はありません。展望台からは阿蘇の根子岳も見えました。
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最初の難所、沓掛山。多分、ここが一番急な岩場で、あとはとても登りやすい山だったと思います。
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平坦な道も結構あります。
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紅葉もところどころ進んでおり、紅葉のくじゅうはカレンダーの写真にも選ばれるそうです。056.gif
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西千里ヶ浜の左手には岩山の星生山(ほっしょさん)。
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旧火口の中に人が歩いています。
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星生山の岩壁の上に人影が見えます。
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星生山の前の岩場を下ると、目の前に目指す盟主・久住山が見えます。
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三俣山と硫黄山、噴煙が上がっています。
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いよいよ久住山へ。
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犬も来ています。
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いつものように頂上で記念撮影。
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とてもいい顔をしています。今日は「服の色だけは鮮やかです。」と言うのはやめておきましょう。037.gif
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久住山頂上からの風景。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)
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わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村

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(中島みゆき/宙船)

宙船(作詞、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロに進んでいるのか
流されまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこは船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

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昭和39年(1964年)10月10日、アジアで最初の第18回オリンピック東京大会の開会式が、新装なった東京代々木の国立競技場で開かれました。参加94カ国、7000人の選手たちによる“美と力の祭典”は、日本選手団の活躍と相まって、全国民を熱狂的にさせました。 鬼の大松監督に率いられた“東洋の魔女”女子バレーボールの熱戦。“ハダシの王者”エチオピアのアベベ選手のマラソンでのゴールイン・・・・・・今でも鮮明に思い出すことができます。

 政府はこれを記念して、国民の保健体育の向上と、スポーツ振興をはかるために、昭和41年(1966年)、この日を「体育の日」として国民の祝日にしました。

 この近代オリンピックの創設に一生を捧げたのが、「オリンピックは平和の祭典だ。人種も国境もない。」「オリンピックは勝つことではなくて、参加することに意義がある。」と説き続けた、フランスのピエール・ド・グーベルタンです。彼は19歳のとき、古代オリンピックの遺跡の発掘現場を見学して感銘を受けました。

 ギリシャの古代オリンピックは、紀元前776年から紀元393年まで、1170年の長い間に、293回も開かれ、その跡が千年あまりも地下に眠っていたのです。彼はその復活を決心し、世界各国を説き続け、ついに1894年、パリに国際オリンピック委員会(IOC)を組織することに成功しました。彼は会長になり、第1回のオリンピックを、1896年4月6日、ギリシャのアテネで開きました。

 最近のオリンピックは、クーベルタンの志も空しく、政治介入が強まり、「勝つことに意義がある」ようになってきたことは残念なことです。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(村田秀雄/王将)

王将(作詞:西条八十、作曲:船村徹、歌:村田秀雄)


吹けば飛ぶような 将棋の駒に
駆けた命を 笑わば笑え
うまれ浪速の 八百八橋
月も知ってる 俺らの意気地

あの手この手の 思案を胸に
やぶれ長屋で 今年も暮れた
愚痴も言わずに 女房の小春
つくる笑顔が いじらしい

明日は東京に 出てゆくからは
なにがなんでも 勝たねばならぬ
空に灯がつく 通天閣に
あれの闘志が また燃える

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 そして九州本土最高峰の中岳へ向かいます。
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 御池の脇を通って、中岳へ。頂上にはたくさんの人が見えました。
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 記念撮影。
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 頂上からの風景。
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 そして下山開始。御池の中には逆さ中岳。
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星生山の前の広場でお昼を食べました。手前の丸い揚げもの、チョコレートでした。
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帰りは友ちゃんの前後で歩き、歌好きの友ちゃんから、くじゅう山とは全く関係がない面白い話を聞きました。それが村田英雄伝説です。
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その昔、終生のライバルと言われた二人の浪曲師がいました。村田英雄と三波春夫です。三波春夫は1923年7月19日に現在の新潟県長岡市に生まれ、1939年16歳のときに浪曲師としてデビューします。その後、戦況悪化により三波春夫自身も1944年に陸軍に入隊し、満洲へ渡ります。三波春夫は満州で敗戦を迎え、ハバロフスクの捕虜収容所に送られて、4年間のシベリア抑留生活を送ることになりました。1949年に帰国し、浪曲師として再び活躍をはじめます。
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一方、村田英雄は1929年1月17日、現在の福岡県うきは市に生まれ、その後、唐津市へ移り、5歳のときに浪曲師酒井雲に弟子入りします。その後、村田英雄は13歳で真打に昇進し、14歳で酒井雲坊一座の座長も務め、九州の地方公演で活躍を続けます。
二人の浪曲師、三波春夫と村田英雄は浪曲の全国大会でたびたび激突することになります。しかし、いつも1位に輝くのは村田英雄であり、三波春夫は常に2番。三波はどうしても村田に勝つことはできませんでした。
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浪曲の世界では村田に勝つことが出来ないと悟った三波は、1957年に芸名を「三波春夫」と改めて、新規一転し歌謡界へとデビューします。するとどうでしょう、出す歌はすべて大ヒット。飛ぶ鳥を落とす勢いです。「お客様は神様です!」という有名なフレーズでも知られる通り、三波の天性の明るさが多くのファンを魅きつけました。
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三波の歌謡界での活躍を見ながら、村田は日本一の浪曲師を夢見て東京へ上京します。そして村田にも転機がやってきます。今や歌謡界のトップにまで上り詰めた三波春夫に歌で勝負できるのは村田しかいないと考えていた人物がいました。その人こそ、あの古賀政男です。古賀政男からの誘いに対して、最初、村田はためらいました。村田はすでに結婚もしており、果たして歌謡界でやっていけるのか迷ったそうです。浪曲の世界では常に自分がトップに君臨し、三波春夫にその座を譲ることがなかった、その三波が今や歌謡界で大活躍していることを目の当たりにし、ついに古賀政男からの歌謡界への誘いを受けることにしました。
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1958年、古賀政男とのコンビで最初に出したのが「無法松の一生」です。しかし、考えていたとおりにはうまくいかないもので、「無法松の一生」はまったくヒットしませんでした。三波春夫とは対照的に、村田英雄はヒット曲には恵まれませんでした。三波春夫が毎年のようにNHK紅白歌合戦でトリを務めているのに、村田英雄は紅白出場すら出来なかったのです。「やはり自分には歌謡界には向いていない、浪曲の世界に戻ろう。」と決心し、歌謡曲の師匠である古賀政男に歌謡界をやめたいと申し出ます。それを聞いた古賀政男は烈火のごとく激昂し、村田英雄を殴り蹴り、破門同然で古賀政男から縁を切られてしまいました。
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村田英雄と古賀政男のやりとりの一部始終を横目で見ていた作曲家がいました。失意の村田に手を差し伸べたのは、美空ひばりの「みだれ髪」でよく知られている船村徹でした。浪曲で鍛え上げた村田の重厚な声は古賀政男の曲調には合わないと、船村は考えていました。その村田に船村から贈った曲があの「王将」(作詞:西条八十)でした。王将は瞬く間に大ヒットします。最終的には300万枚を超え、戦後はじめてのミリオンセラーになったと言われています。しかも、この王将は1961年(昭和36年)と1962年(昭和37年)の2年連続NHK紅白歌合戦で歌われました。この船村徹の「王将」をきっかけに村田英雄は三波春夫と肩を並べる存在になりました。
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歌謡界で成功を収めた村田の公演会に、それを見守るひとりの男性の姿がありました。歌謡界に村田を引き入れた古賀政男です。古賀政男は自分が村田を歌謡界へ誘った責任を感じていたのでしょう。成功した村田の姿を見て、古賀政男は安心して帰って行ったと言います。
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くじゅう山登山で、友ちゃんからこの村田英雄伝説を聞いて、とても感動しました。こんないい話を知っている友ちゃんは、どうしてかずさんにはいい奥さんになれないのでしょうか不思議です。友ちゃんは今頃倉持さんと一緒に猛女同志でアメリカのグランドサークルを楽しんでいることでしょう。
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(三波春夫/東京五輪音頭)

東京五輪音頭(作詞:宮田隆、作曲:古賀政男、歌:三波春夫) 060.gif


ハァー
あの日ローマで ながめた月が
ソレ トトントネ
きょうは都の 空照らす
ア チョイトネ
4年たったら また会いましょと
かたい約束 夢じゃない
ヨイショコーリャ 夢じゃない
オリンピックの 顔と顔
ソレトトントトトント 顔と顔

ハァー
待ちに待っていた 世界の祭り
ソレ トトントネ
西の国から 東から
ア チョイトネ
北の空から 南の海も
越えて日本へ どんときた
ヨイショコーリャ どんときた
オリンピックの 晴れ姿
ソレトトントトトント 晴れ姿

ハァー
色もうれしや かぞえりゃ五つ
ソレ トトントネ
仰ぐ旗見りゃ はずむ胸
ア チョイトネ
すがた形は ちがっていても
いずれおとらぬ 若い花
ヨイショコーリャ 若い花
オリンピックの 庭に咲く
ソレトトントトトント 庭に咲く

ハァー
きみがはやせば わたしはおどる
ソレ トトントネ
菊の香りの 秋の空
ア チョイトネ
羽をそろえて 拍手の音に
とんでくるくる 赤とんぼ
ヨイショコーリャ 赤とんぼ
オリンピックの きょうのうた
ソレトトントトトント きょうのうた

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村田英雄伝説のいいエピソードを聞きながら、私たちの九州3座の旅も終わろうとしていました。西千里ヶ浜から牧ノ戸までの最後の岩場・沓掛山を越えると、あとは舗装された坂道を下って、くじゅう山登頂は終了します。13:43に登山口に戻って来ました。
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朝に出発するときは温泉に入浴はできないだろうと告げられていましたが、九重観光ホテルへ戻って入浴を済ませ、長者原でお酒を購入して、福岡空港へ向かいました。田中ガイドから長者原に建っていた犬の銅像について説明がありました。
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長者原の入り口にはガイド犬・平治号の銅像が建っています。銅像の下には平治号の記録が書いてありました。昭和48年(1973年)に1匹の秋田犬がここ長者原に捨てられていました。気の毒に思ったお土産屋の主人がその秋田犬に餌をやり、飼うようになりました。平治(へいじ)と命名されます。それ以来、平治はくじゅうに住みつき、登山者たちとともに山歩きをして、くじゅうの登山コースをすべて覚えてしまい、登山者をガイドするようになりました。登山者が道に迷ったり、濃霧や吹雪で立ち往生してしまったときに、平治が登山者を誘導して下山させたと言います。
捨て犬だった平治はみんなから愛され、ガイド犬として称賛されました。平治はメスであったため、子犬を生んだことが何度かあったそうです。子犬が産まれるたびに優秀なガイド犬の子犬をみんなが欲しがり、貰われてゆきました。あるとき、平治に3匹の子犬が産まれました。平治は自分の子どもをまた取られてしまうと悟って、3匹とも、くじゅう山のどこかに隠してしまいました。しかし残念ながら2匹は山小屋の床の下と草むらで死体で見つかり、もう1匹は見つからなかったそうです。
平治はガイド犬を昭和63年(1988年)に引退し、老衰のため同年8月3日に亡くなりました。
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 このガイド犬の話も村田英雄伝説と同じくらいいい話で感動しました。バスが空港に着く最後の最後まで田中ガイドはいろいろな話をしてくれました。夕陽を見るのであればハワイのマウナケアへ行くべきであるとか、福岡県で一番おいしい日本酒は「黒田節」であるとか、枚挙にいとまがありません。
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 バスが福岡空港に到着し、田中ガイドともお別れです。最後に一緒に記念写真を撮っていただきました。
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 福岡空港のおでん屋さんで、宮崎さんと菅野さんとおしきせをやりました。他のみなさんは博多ラーメンと餃子を召し上がったそうです。これで九州3座の旅は終了しました。いい歳、りょうちゃんの日本百名山は24座になりました。まだまだ先は長いです。
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次回はアミューズのツアーで浅間山へ出かけます。

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by ryott-ryott | 2011-10-19 00:05 | 九州3座、阿蘇、祖母、くじゅう | Comments(0)

歴史から神話へ、豊玉姫伝説の祖母山を行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 さて九州3座の旅、2日目です。2日目は祖母山です。何故、この名前が付いたのか以前から不思議に考えていましたが、神武天皇のおばあさんにあたる豊玉姫が祀られていることら、この名前がつけられました。祖母山の山頂には豊玉姫が祀られている祠がありました。大阪から来たという登山客は天武天皇のおばあさんが祀られていると言っており、これは間違いなのですが、「天皇」という呼び名が使われ始めたのは天武天皇のときからといわれています。天武天皇の在位期間は673年から686年です。それまでは「大王」と言われていたそうです。004.gif
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 神武天皇やそのおばあさんの豊玉姫が描かれている「日本書紀」では歴史と言うよりは伝説・神話の世界であり、歴史としての信憑性には疑問を投げかける人が多くいることは確かです。
 今年の5月の連休に登った宮之浦岳の神様は天照大神(アマテラスノオオミカミ)の子ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの間にできた「山幸彦」であることを書きました。その山幸彦を見染めた女性こそが豊玉姫です。
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 山幸彦は豊玉姫との楽しい日々を暮らしますが、いずれ山へ帰る日が来ました。しかし、山幸彦を豊玉姫が追って来ました。「私のおなかのなかにはあなたの子どもがいます。産屋を用意してください。そして、決して覗かないでください。」と山幸彦に頼みました。覗かないでくれと言われると、覗きたくなるのが人情です。山幸彦は豊玉姫が子どもを生むところを覗いてしまいます。ところが驚いたことに、そこには一匹の大きなサメが子どもを生み落とそうとしていました。驚いた山幸彦は逃げてしまいます。
 無事に子どもを生んだ豊玉姫の本当の姿はサメであったのです。姿を見られてしまった豊玉姫は子どもを山幸彦の元に残して、ワダツミの宮へ帰って行きました。そのときに自分の乳房を引きちぎり、岩に貼り付けたのが伝説の「お乳岩」であり、自分の妹タマヨリヒメに子どもを育てさせました。
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 その子どもウガヤフキアエズノミコトと乳母であるタマヨリヒメの間に出来たのがカムヤマトイワレヒコノミコト、カムヤマトは「神日本」、イワレは「磐余」は奈良県桜井市中部から橿原市東南部にかけての古地名、ヒコは「彦」で男子をあらわす、神武天皇の本名になります。
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 その神武天皇のおばあさん、母親の姉にあたる豊玉姫が祀られているのが祖母山なのです。祖母山へのルートはいくつもあるようですが、私たちがピストンするコースは北谷登山口(標高1100 m)から登り始めます。北谷登山口へは阿蘇ホテルからバスで三秀台まで行き、そこでタクシーに乗り換えて、向かいます。阿蘇ホテルを6:00に出発し、北谷登山口には8:00に到着しました。
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 いつものように準備体操。「鉄の女」は凄い柔軟性です。体をこれだけ折り曲げてこの笑顔。りょうちゃんならギブアップします。037.gif038.gif
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 登山道は4~5合目まではほぼなだらかなで単調な登りが続きます。
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 三角点に関する説明が田中ガイドからありました。三角点は位置を決める基準であり、日本では東京都港区麻布に位置決めの原点があり、全国の位置を示す緯度・経度が三角法により求められます。独立峰などの山の頂上に三角点が設置されていることが多いのですが、すべての百名山が一等三角点というわけではなく、全国に一等三角点は約1000、二等三角点は約5000、三等三角点は約30000、四等三角点は約70000あります。日本一高い富士山は一等ではなく、二等三角点です。そして一等三角点の石柱の重さは80 kgあるそうです。038.gif
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 合目の標識。1合目から9合目まですべて間隔は0.53 kmで、最後の9合目から頂上までの間隔は0.49 kmになっています。ここまで等間隔で刻まれているのは祖母山だけだそうです。そして、この合目と言うのは富士山が基準になっており、麓から燈明に使う油を運ぶときに、標高が高くなるにつれて、油の重さを軽くするために1合ずつ捨てて行ったと言われています。油を1合ずつ捨てた高さがその合目にあたるそうです。
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 千間平。
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 千間平を抜けると3県境があります(熊本県、宮城県、大分県)。
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 国見峠。目指す祖母山が真正面に見えます。そして空はどこまでも蒼く広がっていました。058.gif
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 9合目から急に斜面がきつくなりますが、頂上はもうすぐです。070.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(中島みゆき/宙船)

宙船(作詞、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロに進んでいるのか
流されまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこは船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

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“かけこみ寺”“縁切寺”で名高い、鎌倉の東慶寺について、作家の瀬戸内晴美(寂聴尼)がこんな随筆を書いています。

「・・・・・東慶寺の石段は、江戸から駆けどおしで逃げてきた女が、追手につかまるまいとして、息もたえだえに裾ふりみだして駆けのぼったところだという。急坂でもないけれど、江戸から逃げてきたという気持ちの疲れと、駆けた足の疲れで、どんなにかこの石段が、高くけわしく女たちに見えただろうか。
 ここまでくれば、はき物をぬいで、軀よりさきになげあげ、その一つでも門の中に入れば、女の逃避行は有効となり、絶対権力のもとで、かたい尼寺の掟の中にかくまわれることになっていた。・・・・・」(雑誌「ミセス」1982年10月号『女の四季』)

 封建時代、離婚したくてもできない女たちは、この寺にかけこみ、24カ月寺の生活をすれば、縁切証文がもらえるという、大変ご利益のあるお寺でした。いや、それだけの治外法権的寺法を許される格式の高いお寺でした。

 開創したのは覚山禅尼。文永と弘安の2回、“蒙古襲来”の国難を乗り切った北条時宗の夫人です。夫人は、34歳の若さで亡くなった時宗が創建した円覚寺の隣に、出家してこの尼寺を創りました。覚山禅尼は、仏法による“女人救済”を考えて、時の権力をバックに、この独特の寺法をあみ出したものと思います。禅尼は徳治元年(1306年)10月9日、55歳で亡くなりました。

 東慶寺は北鎌倉の松ヶ岡にあるところから、昔から“松ヶ岡”と呼ばれます。四季折々の美しい花と、各界有名人の墓塔があるので有名な名です。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(石川さゆり/火の国へ)

火の国へ(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、歌:石川さゆり)

あなたなしでも生きられる
そんな女になりたいと
熱い思いの火の国へ
生まれ変わりに参ります
東京駅から西へ向け

泣かぬ女の
泣かぬ女のひとり旅

雨の降る日はしのび逢い
それが似合いの恋なんて
甘く見えても真実は
若い私をやせさせた
三年三月は重過ぎて

とても背負って
とても背負って行けません

肥後の火の山阿蘇の山
私むかえてくれる山
明日はあなたの想い出も
すべて燃やしてしまいます
未練が眠りをさまたげる

そして夜汽車は
そして夜汽車は火の国へ

そして夜汽車は
そして夜汽車は火の国へ

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そして、ついに頂上に。いつものように鉄人と記念撮影。061.gif
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浦安湯屋のかずさんと友ちゃん夫妻。友ちゃんは帰りの下山ではずっと歌を歌っていました。サラリーマンNEOというNHKのコント番組がお好きなようで、私にも見るように勧めてくれましたがもう番組は終わっているようです。そして、その番組から俳優の沢村一樹や麻生祐未が輩出されたともおっしゃっていました。麻生祐未は最近では「JIN」で橘さき(綾瀬はるか)の母親役を演じた女優さんで、叔母さんは奥村チヨなんだそうです。友ちゃんはなんでもよく知っています。くじゅう山では村田秀雄伝説を教えてくれました。村田秀雄伝説はまた次回のくじゅう山の記事で書きます。
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頂上でお弁当を食べて、風景の写真を撮りました。
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豊玉姫を祀る祠。豊玉姫の正体はサメだったんです。
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ところどころ紅葉も進んでいました。056.gif
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そして再び三角点の場所で田中ガイドによる祖母山オカリナ演奏会がありました。
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登山開始から約7時間30分、15:36に北谷登山口に戻って来ました。途中、私とかずさんは写真に夢中で前を進む隊列からかなり離されてしまいました。037.gif
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(奥村チヨ/恋の奴隷)

恋の奴隷(作詞:なかにし礼、作曲:鈴木邦彦、歌:奥村チヨ) 060.gif


あなたと逢った その日から
恋の奴隷に なりました
あなたの膝に からみつく
小犬のように

だからいつも そばにおいてね
邪魔しないから
悪い時は どうぞぶってね
あなた好みの あなた好みの
女になりたい

あなたを知った その日から
恋の奴隷に なりました
右と言われりゃ 右むいて
とても幸せ

影のように ついてゆくわ
気にしないでね
好きな時に 思い出してね
あなた好みの あなた好みの
女になりたい

あなただけに 言われたいの
可愛い奴と
好きなように 私をかえて
あなた好みの あなた好みの
女になりたい


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帰りのタクシーの中では、田中ガイドとシカ肉、猪肉の上手い食べ方を聞いて、きょうのおしきせは何が出るのかと楽しみにしながら帰って来ました。
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バスの車窓から豊玉姫を祀る「祖母神社」の登山の無事のお礼をしました。
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バスの車窓からオレンジ色の夕陽が見えました。
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九重観光ホテルでのおしきせ。
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馬刺しも出ました。倉本さん、ありがとう。
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またもや手書きの地図で明日のくじゅう山登山の説明をする田中ガイド。
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おしきせを一杯やりながら、田中ガイドのオカリナ演奏会を聴きました。038.gif
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そして、おしきせが終わった後、ホテルのロビーで鉄人のピアノ演奏会、友ちゃんが気分よく歌っていました。
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最終日はくじゅう山に登山します。

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by ryott-ryott | 2011-10-18 01:00 | 九州3座、阿蘇、祖母、くじゅう | Comments(0)

蒼天の火の国へ、火の山・阿蘇を行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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さて体育の日を含む3連休はアミューズの特配ツアーで九州3座、阿蘇山、祖母山、くじゅう山へ出かけてきました。またもやブログが遅れ気味です。040.gif
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 特配で飛行機に乗ったのははじめてでした。浦安湯屋メンバーといい歳、りょうちゃん合わせて14名の参加です。幸いにして、この3連休は天気にも恵まれて、久しぶりに雨具を使うことのない登山でした。058.gif
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 初日は阿蘇山に登るため、熊本空港へ。往きの飛行機の中からは阿蘇山が見えました。阿蘇山の「アソ」はアイヌ語で「火の山」という意味があります。
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 御主人のかずさんから載せてもいいと許可を戴きました。寝ているときは休火山のように静かです。
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 熊本空港到着後、すぐにバスに乗って阿蘇山の中で最も高い高岳(1592 m)の登山口へ向かいます。九州3座を案内してくれる地元ガイドさんはオカリナの名手でもある田中ガイドです。高岳の標高1592 mは「ひ(1)ご(5)のく(9)に(2)」と覚えると教えてくれました。038.gif
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 阿蘇山は世界有数のカルデラであり、有史以前約30万年前に噴火して出来たと言われています。東西18 km南北25 kmにおよび、日本では第2位の大きさです。1位は北海道の屈斜路湖、第3位は鹿児島の桜島です。世界1位のカルデラはインドネシアのトバカルデラだそうです。このカルデラの中には6万人が住んでいます。
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 いきなり団子。
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 この阿蘇山は根子岳、高岳、中岳、烏帽子岳、杵島岳の5つの山から成ります。
 阿蘇山の中で最も高いのは高岳(1592 m)で、根子岳の最高点の天狗岩は1433 mです。
 根子岳の山容がギザギザになっているのは、その昔に高岳と根子岳が高さを競った伝説があり、高岳が生意気な根子岳の頭を竹箒(ぼうき)で叩いたためと伝えられています。
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 駐車場の傍にロープウェイの駅がありますが、会社が倒産してしまったため、現在は運行されていません。したがって、下から歩いて登らなければなりません。
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 いつものように準備体操をして、登山開始。
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 岩の多い登山道が続きます。
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 火山弾。
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出発した駐車場があんなに遠く。
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何度でも言います。服の色だけは花よりも鮮やかです。037.gif
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本物の花はやはり美しい。ミヤマアキノキリンソウ(深山秋麒麟草)。056.gif
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(中島みゆき/宙船)

宙船(作詞、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロに進んでいるのか
流されまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこは船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

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  いのち短し恋せよ乙女
  朱き唇あせぬ間に
  熱き血潮にの冷えぬ間に
  明日の月日はないものを

 よく歌われる『ゴンドラの唄』です。
 大正4年(1915年)、松井須磨子主演の芸術座公演の劇中歌として作られたものです。戦後は、昭和27年(1952年)、ベルリン国際映画祭で銀賞をとった、黒沢明監督の作品『生きる』で歌われて、再び流行するようになりました。この作詩者が吉井勇でした。

 吉井勇は耽美歯の代表的歌人、芸術院会員、歌会始の選者などをつとめました。彼は、明治19年(1886年)10月8日、東京芝高輪の伯爵家の次男として生まれました。中学時代、与謝野鉄幹の主宰する「明星」に魅かれて歌人の道に入りました。

 あゝ祇園わが思う子の噂など つたへて春の風は吹くらむ

 当時の文人墨客の先輩の影響か、“酒・女・旅”に耽溺し、頽廃享楽的な、人生の哀歓をうたいあげた独自の作風をもつ歌人として知られました。とくに祇園をこよなく愛した彼は、祇園について数々の歌を残しました。なかでも、第一歌集『酒ほがひ』に収められた“祇園冊子”の巻頭歌は吉井勇の代表歌の一つでしょう。

  かにかくに祇園はこひし寝るときも 枕の下を水の流るゝ

 この歌碑は、祇園白川沿いの河畔に建てられています。昭和35年(1960年)11月19日、75歳で逝去しました。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(石川さゆり/火の国へ)

火の国へ(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、歌:石川さゆり)

あなたなしでも生きられる
そんな女になりたいと
熱い思いの火の国へ
生まれ変わりに参ります
東京駅から西へ向け

泣かぬ女の
泣かぬ女のひとり旅

雨の降る日はしのび逢い
それが似合いの恋なんて
甘く見えても真実は
若い私をやせさせた
三年三月は重過ぎて

とても背負って
とても背負って行けません

肥後の火の山阿蘇の山
私むかえてくれる山
明日はあなたの想い出も
すべて燃やしてしまいます
未練が眠りをさまたげる

そして夜汽車は
そして夜汽車は火の国へ

そして夜汽車は
そして夜汽車は火の国へ

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ついに稜線に。高岳頂上はもうすぐです。
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高岳頂上へ。1592 m。いつものように記念撮影。038.gif
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頂上からの風景。中岳からは噴煙が上がっていました。
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頭を箒で叩かれた根子岳。りょうちゃんはいつも浦安湯屋の猛女のみなさんに叩かれています。
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下山開始。青空の下の稜線歩きはとても気分がいいです。058.gif
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影法師も下山中。058.gif
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溶岩がごろごろしているため、下山は登山よりも慎重に。登り4、下り6です。
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本当に服の色は鮮やかです。037.gif037.gif037.gif
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東の空を見ると月齢10.7の月が昇って来ていました。十三夜の前日の月です。072.gif
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初日、阿蘇山への登下山を無事に終えて、本日の宿坊・阿蘇ホテルへ。
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(福山雅治/家族になろうよ)

家族になろうよ(作詞:福山雅治、作曲:福山雅治、歌:福山雅治) 060.gif


「100年経っても好きでいていいね」
みんなの前で困らせたり
それでも隣で笑っていてくれて
選んでくれてありがとう

どれほど深く信じ合っても
わからないこともあるでしょう
その孤独と寄り添い生きることが
「愛する」ということかもしれないから・・・・・

いつかお父さんみたいに大きな背中で
いつかお母さんみたいに静かな優しさで
どんなことも越えてゆける
家族になろうよ

小さな頃は身体が弱くて
すぐに泣いて甘えてたの
いつも自分のことばかり精一杯で
親孝行なんて出来てないけど

明日のわたしは
それほど変われないとしても
一歩ずつ与えられる人から
与える人へとかわってゆけたなら

いつかおじいちゃんみたいに無口な強さで
いつかおばあちゃんみたいに可愛い笑顔で
あなたとなら生きてゆけるそんなふたりになろうよ

いつかあなたの笑顔によく似た男の子と
いつかわたしとおなじ泣き虫の女の子と
どんなことも越えてゆける
家族になろうよ

あなたとなら生きてゆける
しあわせになろうよ


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阿蘇ホテルでのおしきせ。
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翌日の祖母山登山の説明を手書きの地図で説明する田中さん。
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地元ガイドの田中さんのオカリナ演奏会がありました。田中さんはオカリナをはじめて5年ほどだとおっしゃっていました。ガイド歴は40年以上であり、九州の山だけではなく、北は利尻山から南は宮之浦岳まですべてガイドできるそうです。もちろん、私たちが来年大目標にしている剱岳も何度もガイドされているそうであり、剱岳の難所といわれているカニの縦ばいはポールが撃ち込まれているのでそのポールにしたがって登って行けば難しいことはなく、カニの横ばいは最初の一歩のところだけ足場が見えないところがあり、そこさえクリアできれば問題ないとおっしゃっていました。ただし、いずれも高度感があるため高所恐怖症の方は身体が固まって動けなくなってしまうことがあるそうです。来年、特配に連れて行ってもらえなければ、田中さんにガイドしてもらうことも視野に入って来ました。
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さて阿蘇ホテルでのおしきせの会、オカリナ演奏会も終わってから、地元の中華屋さん「白龍」へ餃子を食べに行きました。今回、ホテルで同室になった金子さん、宮崎さんはバスの窓から「白龍」に目をつけていたそうです。038.gif
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この日、阿蘇ではお祭りがあり、お店にはお祭り見物の帰りのお客さんで賑わっていました。
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お店にお祭りに仮装で参加されていた矢羽田さん親子が夕飯を食べに来ており、店を訪れた私たちに冷蔵庫からビールを出していただき、おでんのオーダーの仕方を親切に教えてくれました。おでんも餃子もとてもおいしかったです。038.gif
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宮崎さんが矢羽田さんとお話して、矢羽田さんから「なんでもトライアスロン」の掲示板や、このいい歳、りょうちゃんのブログに写真を載せてほしいとおっしゃるので、喜んで載せることにします。どこかのウルサイ猛女とちがっておおらかです。この可愛い坊は矢羽田さんの息子さんの一心(いっしん)君。
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父親も主(つかさ)さんと一緒に親子で記念撮影。お父さんは仮装姿で顔がわかりません。矢羽田さんは地元の電気店「帯屋電機商会」を経営されています。矢羽田さん、お店で親切にしていただき、本当にありがとうございます。
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こちらの方は「白龍」の御主人、63歳。お名前を伺うのを忘れてしまいました。白龍の御主人に、「なんでもトライアスロン」の掲示板や、いい歳、りょうちゃんのブログに写真を載せても構わないかと尋ねると、快く了解してくれました。どこかのウルサイ猛女とちがっておおらかです。「白龍」の御主人は東京の銀座数寄屋橋に10年間、板前の修行に来て、地元の阿蘇に戻ってお店を開店しました。お店は御主人のお母さんと弟さんと3人ではじめましたそうですが、現在はお二人とも他界されて、ご主人お一人で切り盛りされています。そしてお店の開店以降、長期間のお休みを取ったことがないそうです。中華料理やおでんの出汁はスープが命であるため、長期の休みを取ってしまうと、折角とったスープが傷んでしまうため、最初から取りなおさなければならないそうです。休みをとらないほうが、楽なんだそうです。そのおでんは1本100円で、絶品でした。038.gif
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白龍さんで餃子とおでんを食べて、もう一度温泉につかって、翌日の祖母山登山に英気を養いすぎました。

 

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by ryott-ryott | 2011-10-17 12:22 | 九州3座、阿蘇、祖母、くじゅう | Comments(0)

金天、金風、くれないの那須三本槍岳を行くヽ(^o^)丿

旅行・地域
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 10月2日(日)、川崎BEで日本酒試飲会がありました。日本酒試飲会は年2回、焼酎試飲会も年2回、この川崎BEで開催されていますが、川崎BEでの試飲会は今回が最後とのことでした。川崎の再開発で川崎BEが近々に取り壊されるためだそうです。
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この記念すべき川崎BEでの試飲会に、浦安湯屋のかずさん、あやや、森ちゃんが一緒に参加してくれました。試飲会に参加する前に、川崎ラゾーナでベルギービールを飲んでから行きました。068.gif
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一人一枚顔写真、森ちゃん。今月、森ちゃんと一緒に安曇野歌声喫茶に出掛けてきます。またそのついでに常念岳に登ります。
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一人一枚顔写真、あやや。あややは自分が雨女だと思っているらしく、10月3連休に行く九州3座の天気を気にしていました。本当の雨女はあの方ではないでしょうか。しかし週間天気予報では10月3連休はすべてお日様マークが付いていましたよ。058.gif
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一人一枚顔写真、かずさんは撮らせてくれませんでした。試飲会の間、かずさんは熱心にメモを取りながら試飲し、とても幸せそうでした。多分、ともちゃんのことをすっかり忘れて飲んでいたと思います。037.gif
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阪急百貨店の酒屋さん勤務のあっちゃんとけいちゃん。右のベレー帽をかぶった方がけいちゃんで、10月29日の特配の美ヶ原・霧ヶ峰に申し込んでくれました。男性ではありません。037.gif
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第一三共製薬で危ないクスリの研究をしている石井ちゃん親子。「天高く 由紀 肥ゆる秋」(石井ちゃんのお父さん作)。石井ちゃんの下のお名前は由紀と言います。石井ちゃんのお父さんは、私以上に口が悪い毒舌家でした。041.gif038.gif037.gif
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この日本酒試飲会を企画している酒屋西山屋さんのお嬢さん。川崎BEと2月の酒蔵見学はすべて西山さんが企画しています。先日のじゃんけんぽんでの日本酒試飲会で、今度の酒蔵見学はどこにしようかと思案してました。山口県の「獺祭(だっさい)」はどうでしょうか?「獺祭」のホームページを見ると、見学はもちろん、フランスなど外国から日本酒造りを勉強に来る外国人を受け入れています。でも山口県は1日で行くには遠すぎるでしょうか。
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会場には10の酒蔵が集結。自慢の酒がずらりと並んでいました。
泉橋酒造、赤とんぼ。泉橋さんの肴には、自分のところで作られた味噌があり、味噌のような発酵食品は、同じ発酵飲料の日本酒に合っており、胃腸の調子を整えてくれるとおっしゃっていました。
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来福酒造では米の種類も精米も日本酒度も酸度も非公開という「来福X(エックス)」という謎の酒がありました。来福酒造さんは精米10%の日本酒をつくるなどマニュアックな酒造りをしている酒蔵さんです。038.gif
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酔っていたわけではないと思いますが、私が撮った写真も、かずさんが撮った写真もほとんどピンボケが多かったです。これは誰が撮った写真でしょうか。割合よく撮れています。しかし、被写体がボケています。037.gif
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さて10月に入ってそうそう、アミューズのツアーで那須三本槍岳に行ってきました。何しろ、8月に行った北岳から、特配の谷川岳、先週の鳥海山まですべて空は鈍色であり、9月のはじめに予定していた木曾御嶽山は台風で中止になってしまうなど、天候に恵まれない登山が続いていました。10月1日(土)も当初の週間天気予報では傘マークが付いていましたが、徐々に回復傾向に向かい、どうやら雨は降らないとの予報に変わって来ました。
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今回は特配でないので、新宿安田生命ビル前に朝7時に集合して出発します。参加者は13名でした。40歳代は私ひとりで最年少、他の12名は全員60歳以上でした。ツアーリーダーは北海道シリーズの雌阿寒岳・斜里岳・羅臼岳でご一緒した浪速ガイドの松田さん、ガイドは瀬川さんです。私は瀬川さんはお客さんの一人かと思ってしまいました。
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天気予報では雲が多いとの予報でしたが、青空が広がる幸先のいいスタートです。今年の9月は台風でアミューズのツアーはたくさんのツアーが中止になってしまい、松田さんは9月は1度もガイドをしなかったとおっしゃっていました。
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ゴンドラに乗って山頂駅に。晴れていますが、かなりの風が吹いていました。瀬川ガイドによると、那須連峰は日本海側と太平洋側との風の通り道になっており、かなり強風が吹き荒れる場所でもあるそうです。那須茶臼岳では台風の風速に慣れるための訓練を行っているくらい風が強く、ザックを置いておくと風に吹き飛ばされてしまうそうです。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(中島みゆき/宙船)

宙船(作詞、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロに進んでいるのか
流されまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこは船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

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 萌え出づるも枯るるもおなじ野辺の草 いづれか秋にあはではつべき  祇王

 清盛に寵愛された白拍子祇王(妓王)が、新しく出た白拍子仏御前のために追放になったとき、彼女が泣きながらこの歌を襖に書いて立ち去ったと伝えられます。(『平家物語』)

 当時21歳であった祇王と、19歳の妹祇女は、母と3人で出家して、京都嵯峨野の奥里に移り住み、庵を結んで、念仏三昧の生活を過ごしていました。やがて、清盛の愛を失った仏御前も、尼僧姿になってこの庵を訪ね、一緒に暮らすようになりました、この4人の女性の名は、後白河法皇の長講堂の過去帳に残っています。

 この庵は、江戸時代までは、住生寺別院祇王寺と呼ばれていましたが、その形跡がわからず、現在の祇王寺は、明治28年(1895年)に祇王と同じ郷里(滋賀県祇王村)の出身、京都府知事北垣国道が寄進して再建されたものです。長らく無住でしたが、昭和のはじめ、高岡智照尼が入山し、大覚寺派の尼寺になりました。

 智照尼の前身は、東京新橋で“照葉”と名のった名妓で、婚約者に裏切られたとき、愛のあかしのために自分の小指を切って相手の男に送り、新聞沙汰になって、世間を騒がせた女性です。波乱万丈の生活を精算して仏門に帰依しました。

 祇王寺は、今でも『平家物語』に出てくる悲しいヒロインであった祇王・祇女・仏御前を慕い、同時に智照尼にお目にかかりたい人々で、いつも参詣者が絶えません。

 冒頭の歌碑は、祇王没後800年を記念して、昭和44年(1969年)10月1日、その命日に建てられたものです。

(小学館「一日一話人物歳時記」より)


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キバナニガナ
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オトギリソウがまだ咲いていました。

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(サーカス/風のメルヘン)

風のメルヘン
(作詞 山川 啓介、作曲:佐藤 健)
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子供みたいな あなたを見てると
私は小さな 海になる
遠い過去から 私たち
愛してたような 気がするの
胸に火照った 耳を当てれば
せつなくてあたたかい 生命のひびき
都会の風は 気まぐれで
今にも別れが 来そうだけど
花が散っては 咲くように
このつぎの人生も 会いましょう

めぐり逢うのが 遅すぎたけど
それだけきれいね この今が
結ばれなくて かまわない
幸せだけが 残るもの
人間が生まれて 愛をおぼえて
私たち何度目の 恋人かしら
あかりがにじむ 窓ごとに
いろんな顔した 愛がゆれる
誰もが時の 河をゆく
さみしくて ひたむきな旅人

都会の風は 気まぐれで
今にも別れが 来そうだけど
花が散っては 咲くように
このつぎの人生も 会いましょう

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遊歩道。
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遊歩道から見た景色。
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あざみがたくさん咲いていました。056.gif
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真っ青な空に太陽が輝いていました。058.gif
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登りながら左手を見ると、那須連峰の茶臼岳、朝日岳が見えます。茶臼岳からは噴煙が昇っていました。
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松田ガイドといえば、弾痕笹。ここ那須でも弾痕笹を見つけて、そのいわれを説明していました。もう一度紹介しておくと、笹の葉に空いた円形の穴は虫が喰ったものですが弾痕に似ているため「弾痕笹」という名前が付きました。戦時中はこの弾痕笹を懐に入れて戦地に赴き、弾よけのお守りにしていたと言います。松田さんは自分は戦後生まれであることを付け加えていました。038.gif037.gif
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紅葉はまだだと思いましたが、けっこう色づいていました。
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青空と紅葉と山登りが続きます。
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そして頂上へ。途中までは青空のよい天気でしたが、頂上は霧でホワイトアウト。風も強く、暑がりのりょうちゃんは長袖をついに着用。松田ガイドと記念撮影。撮影後はさっさと下山します。
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(福山雅治/家族になろうよ)

星の砂(作詞:福山雅治、作曲:福山雅治、歌:福山雅治) 060.gif


「100年経っても好きでいていいね」
みんなの前で困らせたり
それでも隣で笑っていてくれて
選んでくれてありがとう

どれほど深く信じ合っても
わからないこともあるでしょう
その孤独と寄り添い生きることが
「愛する」ということかもしれないから・・・・・

いつかお父さんみたいに大きな背中で
いつかお母さんみたいに静かな優しさで
どんなことも越えてゆける
家族になろうよ

小さな頃は身体が弱くて
すぐに泣いて甘えてたの
いつも自分のことばかり精一杯で
親孝行なんて出来てないけど

明日のわたしは
それほど変われないとしても
一歩ずつ与えられる人から
与える人へとかわってゆけたなら

いつかおじいちゃんみたいに無口な強さで
いつかおばあちゃんみたいに可愛い笑顔で
あなたとなら生きてゆけるそんなふたりになろうよ

いつかあなたの笑顔によく似た男の子と
いつかわたしとおなじ泣き虫の女の子と
どんなことも越えてゆける
家族になろうよ

あなたとなら生きてゆける
しあわせになろうよ


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 那須三本槍岳のいわれは槍のように急峻であるということではなく、会津、那須、黒羽の3藩の国境に位置していたため、この山に3藩がそれぞれ槍を立ててお互いに領地を主張したことから、この名前になりました。
 私は那須三本槍岳は日本百名山の那須岳だと思っていましたが、那須三本槍岳は百名山ではなく、二百名山だそうです。百名山の那須岳にあたるのは那須茶臼岳のほうであるとのことでした。しかし日本百名山カードの那須岳のところに松田さんがハンコを押してくれました。鳥海山のところにも押してくれました。これでとりあえず日本百名山21座目です。いずれ茶臼岳の方にも行かなければなりませんね。
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 頂上を離れると、ふたたび青空の下、紅く色づいた登山道の下山になります。ここ1ヵ月間に行った北岳、谷川岳、鳥海山での悪天候を忘れさせるような気持のよい天気でした。風は強かったですが。
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 ゴンドラの最終時間は16時。15時30分、全員無事に元の場所に戻って来ました。下山後は温泉に入り、お菓子の城で缶ビールとつまみを買って、おとなしく飲みながら新宿まで帰って来ました。
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来週の10月体育の日3連休は倉持さんの特配で九州3座、阿蘇山、祖母山、九重山に出掛けてきます。週間天気予報では3日間ともお日様マークが付いており、楽しい山登りになりそうです。060.gif
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今週末は九州3座、阿蘇、祖母、九重
の百名山3座に行ってきます。060.gif

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by ryott-ryott | 2011-10-06 10:35 | 那須三本槍岳 | Comments(0)

生と死の間で、「生きる」ことを知る、海向寺ふたたびヽ(^o^)丿

旅行・地域
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さて雪の鳥海山登山から一夜明けて、今日は庄内平野の旅最終日です。朝、「眺海の森さんさん」の周りを散策すると、朝焼けの中に雲ひとつない鳥海山が見えました。今日、登山する人は素晴らしい眺望にめぐまれたことでしょう。058.gif
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 今日は東京に帰らなければなりません。その前に庄内平野をぐるりと周ることにしました。チェックアウトを済ませて、「眺海の森さんさん」の御主人に別れのあいさつ。まずは象潟の蚶満寺へ行きました。松尾芭蕉も立ち寄った蚶満寺です。
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 象潟や 雨に西施が ねぶの花
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九重九島はかつては海の中にありました。1804年象潟を襲った大地震により土地が隆起し、現在の地形になりました。
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奈曽の白滝。
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酒田大仏。
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(掘六平/わさびの花の咲く頃)

(あづみ野うたごえ喫茶/わさびの花の咲く頃)

わさびの花の咲く頃(作詞、作曲:掘六平)

わさびの花は 白い十字架
初夏の風に 笑ってなびく
まだ雪のこる アルプスの
すそ野は田植えの 今盛りなり
こんなところさ 俺たちの村

腰の痛さに ふっと顔上げりゃ
いやにぼんやり 有明山よ
雪に浮き出す 蝶ヶ岳
小腹すいたぞ もうお茶の頃
こんなところさ 俺たちの村

初夏の長日も やがては暮れる
あちらこちらは 夕餉の明かり
泥にまみれて 汚れちゃ居るが
うちに帰れば おしきせもある
こんなところさ 俺たちの村



(中島みゆき/宙船)

宙船(作詞、作曲:中島みゆき、歌:中島みゆき)

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロに進んでいるのか
流されまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこは船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

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毛沢東は「魯迅は偉大な文学者、思想家、革命家である」「魯迅の示す方向こそ、新生中華人民共和国の文化の方向である」と、彼を称賛しています。
 
魯迅というのはペンネーム。本名は周樹人。1881年9月25日、中国淅江省紹興で生まれました。紹興酒で知られるところです。当時中国は、1840年のアヘン戦争以来、帝国主義国家による侵略が続いていました。彼は祖国解放を胸に秘めて日本に留学し、仙台の医学専門学校(現在の東北大学医学部)に入学しました。

2年生の時、たまたま日露戦争の記録のスライドを見せられて、中国人がロシアのスパイ容疑で日本軍に虐殺される場面に強いショックを受け、中国の民衆を救うためには、医学より言論活動だと決意して、北京へ戻り、文芸活動に入りました。
中国近代文学の先駆をなす処女作「狂人日記」、世界的名作と言われる「阿Q正伝」などは、この時代に発表されたものです。

1926年、北洋軍閥の文化弾圧と激突した学生運動3・18事件に北京を脱出、アモイ大学、中山大学(広州)で教鞭をとりながら、翌年上海に潜入。次第にマルキシズムに傾き、左翼作家連盟の指導者として頭角をあらわしてきました。

そして1936年、抗日戦争突入の前年、民族統一戦争の半ば、惜しくも上海の寓居で亡くなりました。現代中国では、魯迅について毛沢東や周恩来などの革命指導者の師としての待遇を受け、生地紹興をはじめ、ゆかりの地北京と上海にそれぞれ魯迅博物館が建てられています。最近は、上海虹口公園にある魯迅の墓は、日本人観光客が参拝する名所の一つになっています。
(小学館「一日一話人物歳時記」より)

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(水森かおり/庄内平野 風の中)

庄内平野 風の中
(作詞 旦野いづみ、作曲:弦 哲也、編曲:伊戸のりお)
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愛という名の 絆の糸は
切れてしまえば 結べない
肩の寒さに 背を向けて
面影偲ぶ 北の旅
風が泣いてる 鳥海山よ
今もあなたが 恋しくて

空を見上げて 手を合わせても
明日の運命は わからない
出来る事なら もう一度
あなたの腕で 眠りたい
風が呼んでる 出羽の三山
私やっぱり 女です

紅い花咲く 峠の道を
越えて涙を 拭くつもり
今度生まれて 来る時は
あなたをきっと 離さない
風が燃えてる 庄内平野
千のひぐらし 鳴いてます

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そしてふたたび海向寺へ行きました。海向寺には2体の即身仏が祀られています。もちろん写真撮影は禁止なのですが、昨年の日本酒試飲会で鯉川酒造の御主人から次のような話を聞きました。山形県では小学生の遠足として、即身仏が祀られているお寺へ行って、即身仏にお参りをするそうです。山形県人なら、一度は即身仏を見ることがあり、子どものころから「即身仏の写真を撮ると不幸になる」と教えられてきたそうです。そして、即身仏の写真を撮影してもよいと山形県と国から許可を得た写真家がたった一人だけいるとおっしゃっていました。その写真家こそ、あの土門拳でした。
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私は海向寺の門をふたたび叩き、即身仏をお参りしてきました。海向寺は現在の住職は女性の方です。ちょうど一年前、私が海向寺を訪れたことを覚えていてくださいました。

私はお参りの後、ご住職に海向寺で売っている即身仏の写真は土門拳が撮影したのか尋ねました。ご住職のお話では土門拳は海向寺に来たことはないそうです。海向寺の2体の即身仏を撮ったのは、写真家で慶応大学の教授である内藤正敏という人物だそうです。海向寺の先代の住職と内藤氏とは昵懇の間柄であり、内藤氏は先代住職から即身仏の裸の姿以外ならば写真撮影をしてもよいと許可を受けていました。しかしながら、内藤氏は夜にこっそりと即身仏が安置されている部屋に忍び込み、身に纏っている衣を取り去って、裸のままの即身仏の姿を写真に撮り、その写真を本に発表してしまったそうです。内藤氏は住職の逆鱗に触れ、それ以降、海向寺を出入り禁止になりました。
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昨年は月山から湯殿山神社の方へ縦走し、湯殿山神社をお参りした後に海向寺を訪れました。その時に湯殿山の鉄の梯子の写真をご住職に見せていました。今年、私が海向寺を尋ねる直前に月山から湯殿山の方へ縦走することを予定しているという女性の方がお参りに来て、昨年、月山から湯殿山へ行った人(私のこと)がいるというお話をされていたそうです。
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こちらのご住職自身は癌との闘病で医師からあと半年の命と宣告され、毎日を悔いなく生きると決めて6年が経過したとおっしゃっていました。人間は体も健康で当たり前のように生きているときは、「生きている」ことの有難さは実感しません。「生」と「死」の間に立ち、まさに命のともし火が消えてしまうかもしれないという時にはじめて「生」を実感できます。3月11日の東日本大震災で被災した宮城県多賀城市の方が先日海向寺にお参りに来たとき、人々の苦しみを救い願い事をかなえるために厳しい修業を積んで自ら即身仏となった二人の姿を見て、みなさん泣いてしまわれたそうです。「死」と対面し即身仏となっていった上人を見て、津波に襲われて「死」を垣間見た被災者は「生」を実感したからではないでしょうか。
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生きている以上は自分にも例外なく「死」は訪れます。しかしながら、「死」がいつやって来るのかを知ることはできません。そして、その時間の流れを止めることもできないのです。それが生きているという証しだからです。山形の旅は「生きる」といことについて、考えさせられる旅でもありました。
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海向寺中興1代目住職の忠海上人、この方は鶴岡市に生まれ、もとは武家の出身。1755年2月21日に入寂、58歳でした。
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もうひとりは海向寺9代目住職の円明海上人。山形県東田川郡栄村の出身で1822年5月8日に入寂、55歳でした。
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(福山雅治/家族になろうよ)

星の砂(作詞:福山雅治、作曲:福山雅治、歌:福山雅治) 060.gif


「100年経っても好きでいていいね」
みんなの前で困らせたり
それでも隣で笑っていてくれて
選んでくれてありがとう

どれほど深く信じ合っても
わからないこともあるでしょう
その孤独と寄り添い生きることが
「愛する」ということかもしれないから・・・・・

いつかお父さんみたいに大きな背中で
いつかお母さんみたいに静かな優しさで
どんなことも越えてゆける
家族になろうよ

小さな頃は身体が弱くて
すぐに泣いて甘えてたの
いつも自分のことばかり精一杯で
親孝行なんて出来てないけど

明日のわたしは
それほど変われないとしても
一歩ずつ与えられる人から
与える人へとかわってゆけたなら

いつかおじいちゃんみたいに無口な強さで
いつかおばあちゃんみたいに可愛い笑顔で
あなたとなら生きてゆけるそんなふたりになろうよ

いつかあなたの笑顔によく似た男の子と
いつかわたしとおなじ泣き虫の女の子と
どんなことも越えてゆける
家族になろうよ

あなたとなら生きてゆける
しあわせになろうよ


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最後は善寳寺の五重塔と五百羅漢を見て、庄内空港に向かいました。
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今回の旅では何とか鳥海山に登ることはできましたが、最大の目標である庄内平野に沈む夕陽を撮ることは今年もできませんでした。この目標を達成するまでは、庄内平野への旅をやめるわけにはいきません。

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次回は青空の那須三本槍岳を報告します。

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by ryott-ryott | 2011-10-04 21:56 | 出羽富士・鳥海山 | Comments(7)